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第一〇話 毒壺 四 エルリック

 暗澹(あんたん)たる思いで第二(ディープ)セーフティーゾーンへ帰ってきた。いつも時間を測るために活用している腹時計は全く機能していない。食事を取って間もないからではない。ポーラが事実無根かつ恐ろしいことを言ったせいだ。


 今日はきっとこのまま食欲が湧かない。食欲が湧かないことには時間が分からない。


 今日はあまり狩りをしていない。時間としてはまだ早いはずだから、今日のアリステルの訓練は長引くことになるだろう。


 アリステルが私たち三人へ、訓練を始めるよ、と声を掛ける。


 ほらね、アリステルはいつも通りだ。アリステルは、「軽めの訓練」と嘘をついて、私たちに厳しい訓練を課す。ちょっと風邪がこじれているだけで、普段と何も変わらない。


 それなのに、アリステルの前に立つラシードは悲壮な表情を浮かべている。そんなラシードを見て、少しだけ苦笑しながらアリステルが剣を抜く。そう、いつも通り……


 これから訓練が始まるというのに、ポーラがアリステルの横に近付いてきた。ワイルドハントは今まで一度も私たちの訓練を妨げたことがない。こちらがやりたいことはそれなりに尊重してくれていたというのに、下層でのアリステルへの暴言といい、今日は随分と欠礼だ。


「ズィーカ中佐」

「まだ何かあるのでしょうか?」


 アリステルはポーラを振り返り、剣先を下げた。


「三人の訓練を我々に任せてはみませんか?」


 ポーラは意外過ぎる提案をしてきた。意外……本当にそうだろうか。


「エルリックの皆さんには、魔物を前にしたときにとてもご迷惑をかけています。そんなことまではとても――」


 私たちの訓練は譲れない。


 アリステルは遠慮しているのではなく、拒絶している。どんなに体調が悪くても、アリステルは私たちに自分の持つ力を、技術を、知識を可能な限り多く伝えようとしてくれている。ダンジョンで片膝を付いたくらいで、私たちへの訓練を止めるつもりはない。


「ヘイダ大尉は日々強くなっています。そして貴方は日に日に弱くなっている。今はまだ中佐のほうが強いですが、大尉はかなり中佐に遠慮をしています。大尉の成長を促すには、既に貴方では不足しているんですよ」

「そんなことはありません!!」


 ラシードが声を大にして反論する。


 ラシードは確かに強くなった。それでも剣戦闘はアリステルにまだまだ敵わない。教わらなければならないことが山ほどある。ラシードはアリステルの剣を習って強くなろうとしている。そのアリステルを指導者の立場から引きずり降ろそうなど、到底受け容れられる話ではない。


「ヘイダ大尉の剣はそれなりに強くなっている。しかし、成長しているのは主に対魔物の剣術。魔物相手に積んだ経験を対人剣に転用することで、対人剣も少しばかり上達している。言ってしまえば、それだけのことなのです。貴方方は軍人なのだから、それではダメ……。魔物を相手にする戦いと、人間を相手にする戦いは全く違います。全力で対人剣を撃てる相手がいれば、ヘイダ大尉の成長は加速します。断言していい。まあ、私以外はアンデッドですが、対人を想定した訓練相手には十分だと思いますよ」


 ワイルドハントは私たちのことをよく観察していた。ラシードのどこが成長していて、何が足りていないか。こんなことはアリステルにだって言われたことはない。言っても詮のないことだからかもしれないけれど……


 でも、これではっきりした。ワイルドハントが下層で私たちを魔物と戦わせるための時間を割いているのは、気紛れではない。ワイルドハントは私たちに興味を持っている。しかも、口調は穏やかでも、ちょっとやそっと拒絶されたくらいでは退かない、という強い旗幟を鮮明にしている。


「それに、剣を置いて魔力の使用を控えれば、貴方の寿命も少しは延ばせるはずです。その延びた時間があれば、彼らに剣以外の大切なことをより長く、より多く伝えられるのではないでしょうか。それは貴方でなければ伝えられないことです。剣は我々が教えます。貴方以上に強くしてみせます。必ずです」


 そう、アリステルは寿命が縮むことを知りながら魔力を使っている。魔力硬化症は不治の病。ゆっくりと、しかし、確実に身体を蝕む。病の悪化を早めるのが魔力の使用で、病の悪化を遅らせるのが魔力使用の禁止だ。アリステルが剣を置けば、病の悪化速度が緩むのは紛れもない事実である。


 アリステルは首を縦に振らない。


 ……縦に?


 まるで私がそれを望んでいるようではないか。


 私たちは全員知っている。私たちのすべきことは、アリステルに魔力の使用をやめさせることではない。命懸けのアリステルの指導を全力で自分の血肉にすることだ。


 ……でも、分かっていても、アリステルには生きてほしい。少しでも長く一緒にいたい。


 アリステルは()()()からずっと私を守ってくれている。私だけではない。私たち三人にとって、アリステルはもはやただの上官ではない。父親にも等しい大切な家族だ。


 自分の大切な人間の寿命を延ばせると言われて、誰がその誘惑に抗える。


 私はアリステルが好きだし、この班が好きだ。




 やっぱり私は弱い。


 力は弟より弱く、心はこの班の中で誰よりも弱いかもしれない。だから人心を解さないワイルドハント如きに、簡単に心を揺さぶられる。でも、アリステルに生きていてほしい、という私の気持ちは、ワイルドハントとは関係ない。軍の任務とも関係ない。誰に強制されたものでもない、嘘偽りのない私の本心だ。


「は……班長!! 私は……」


 声が震える。声以上に膝が震えている。真っすぐに立てているのか、自分ではもう分からない。


 勇気が欲しい。


 感情を抑える勇気ではない。アリステルに生きていてほしい、という感情を支える勇気だ。


「私は、エルリックの剣を習いたいです」


 言った……


 言ってしまった……


 こんなのはアリステルに対する背信と(そし)られてもおかしくない。




 周囲がシン……と静まり返る。ダンジョンとはこんなに静かだっただろうか。


 静かであっても、無音とは程遠い。色々な音が鳴り響いている。


 こんな場所でも風は吹いている。ダンジョンを流れる風は、魔物の唸り声のような底気味悪い音を、一時も休むことなく奏でている。誰も喋らないと、風洞音は耳が痛いほどによく聞こえる。


 心臓の鼓動も、今はやけにうるさい。破裂してしまうのではないかと思うほど、強く大きく拍動している。


 誰か、何か言ってほしい。私を肯定してほしい。


 肯定できないから、賛成できないから皆、黙っているのだろうか。


 もし、反対なのだとしても、黙っていないで言葉に出してほしい。いつ終わるか分からない無言の責め苦には、これ以上耐えられない。




「あのー。私も、エルリックから剣を習ってみたいかなー」


 サマンダがおずおずと私の意見に、ううん、思いに続いてくれた。


 言葉に出すことを封印していただけで、サマンダだって私と同じことを、きっとずっと考えていたのだ。


 アリステルの視線がサマンダに向くと、サマンダはそれを直視できず、救いを求めるようにラシードを見た。ラシードは、自分の意見を決めかねているようで、目を左右にキョロキョロとさせ、最後に私の目を見た。


 私はラシードの目を見て、ゆっくりと一つ頷いた。


 ラシードがそれをどう捉えたか分からない。だってラシードは馬鹿だから……




 瞳から迷いの消えたラシードが口を開く。


「さっきの言葉は撤回しません」


 ああ、やっぱりラシードは……


「……でも、ワイルドハントから剣を習ったら、アリステル班に箔が付くと思います。だから……だから、俺も二人に賛成かな。心配しないでください、班長。俺はすぐに強くなってこいつらを全員ぶっ倒します。そしたら、また班長が俺たちに剣を教えてくださいよ」


 ……やっぱりラシードは馬鹿だ。後半が致命的に良くない。それどころか、少しばかり状況を勘違いしているような気がする。でも、私の気持ちの大事な部分は理解してくれていた。馬鹿のラシードにしては十分合格点だ。


「部下のお三方はこう思ってらっしゃるそうですよ。さあ、どうします、()()?」


 アリステルはふっと遠くを見る。


「三人とも、上官である僕の気持ちはお構いなしか……」


 お構いなしなんかじゃない。今一番構うのはアリステルの気持ちだ。


「班長には、私たちに強くなってほしい、と思っていただけないのでしょうか?」


 アリステルから教えを授かることに何ら不満はない。アリステルの訓練を受けていたい、という気持ちは私にだってある。でも、問題はそこにはない。


 誰が望もうとも足を踏み入れることの叶わない、より強くなるための邪道が、今まさに私たちの目の前に伸びている。アリステルに教えてもらう以上に強くなれる。下層に来てからの私たちの成長速度がそれを雄弁に物語っている。しかも、その邪道に進んだところで何も失うことはない。それどころか、大切なものをより一層大切にできる、という最高の特典がついてくる。


 私だからこそ分かる。ワイルドハントは本気でアリステルを助けようとしている。だから、私が一番強く押さなければならないのだ。


「ああ、強くなってほしいよ。だから……」


 アリステルはポーラを両目で見据えた。


「だから、私の自慢の部下たちをどうか強くしてください」


 私たち三人に反旗を翻されたとはいえ、アリステルは決して厭厭ではなく、しっかりと自分の意志でポーラに指導を請願した。


「任されました」


 私たち四人の本気を受け止めたポーラは、自信に満ちた笑顔で深く頷いた。




    ◇◇    




 その日からアリステルに代わり、エルリックの非人道的訓練が始まった。エルリックはポーラ以外人間ではないのだから、歩いている道がそもそも“人の道”ではないのだ。


 朝、食事を済ませると下層探索の開始だ。エルリックの後ろを歩き、見学という名目で次元の異なる戦闘風景を観て、時にエルリックのメンバー一人の真隣りで魔物と戦う。


 夕方になると第二(ディープ)セーフティーゾーンに戻り、アリステルの講義を受ける。これは今までと同じ、ただし、同じなのはこの時間だけだ。


 講義が終わると、エルリックによる訓練の開始だ。


 今度は、エルリックは隣ではなく、私たちの真正面に立つ。練達修道士が裸足で逃げ出すほど強いアンデッドに私たちは立ち向かわなければならない。


 気配と存在感は希薄ながら、目の前に立つエルリックが醸し出す死の恐怖は、どんな任務でも味わったことがないほどに濃厚で芳醇だ。


 アリステルはなんて優しかったんだ、と思うほどにエルリックは恐ろしく、厳しい。決して手を抜かない。より正しく表現すると、私たちに決して手を抜かせない。ほんの少しでも楽をしようとした瞬間に、強烈なお仕置き、という名の激痛を与えられることになる。私たちは常に自分の限界を出しきらないといけない。


 手合わせの中で握力が保たなくなり剣が手から抜け落ちていくなど序の口で、筋痙攣を起こすことも、苦しさのあまりえずくことも、息が上がるあまり視界が暗転することも、立っていられず地面に倒れることも、何もかもが日常茶飯事だ。


 性質が悪いことに、アリステルもポーラも横で涼しい顔で私たちが苦しむさまを見ている。ポーラに至ってはずっとサディスティックな笑みを絶やさず指示を飛ばしてくる。エルリックがどんな無茶な訓練をさせても、アリステルは決して口を挟まない。アリステルが容認しているのだ。私たちに逃げ場はない。むしろ、音を上げるとアリステルが病身に鞭を打ち、また私たちに訓練を施すことになる。それは絶対に避けなければならない。


 それに、厳しさはあっても理不尽さはそこまでではない。確かにエルリックは理不尽なまでに強い。では、訓練が力ずく、魔力ずくか、というとそんなことはない。私たちが真剣に訓練に当たっている限り、エルリックは極めて理性的である。剣を撃つ手を止めて言葉で説明するときも、アリステルの医学講義に匹敵する論理的な説明で私たちに意識の改革と技術の向上を促す。ポーラが語る剣術解説を聞けば聞くほど、私の剣がどれほど感覚に頼った粗暴な金属棒の振り回しに過ぎないのか分かり、私は深く恥じ入ることになる。力任せの棒きれの振り回しではない確かな剣の術を、エルリックは私たちに授けてくれる。あと、無茶はさせても無理はさせない。「過剰な負荷は無用の怪我の元。成長が遅れることになります」と言いい、私たちの体調が芳しくないときには専用のメニューを組む。エルリックはエルリックでどれだけ負荷をかけるのが適切か考え、その一線を越えないように気を配っている。それでも私たちにとっては無茶な訓練に代わりはないのだが、考えなしの理不尽ではない、ということだ。




 まあ、どれだけ論理的であるにせよ、訓練は厳しい。本当に、途方も無く……。しかし、最も苦しいのは、実は訓練ではなく食事だった。


「あなたたちは作戦行動と称して食事を軽視しているからそんなにヒョロヒョロと痩せているんですよ。強くなりたいのでしょう? だったら、栄養のあるものをちゃんと食べてください」と、ポーラはそれらしいことを並べて私たちに押し食いさせる。


 味は正直悪くない。まずまず美味しい。だが、問題は味などではない。量が問題なのだ。


 あれでは食事ではない。餌だ。家畜を太らす餌だ。エルリックは私たちを太らせて食べる気だ。


 食事一回あたりに食べなければいけない量に限って言えば、そこまで多くはない。普通か、少し多いかな? という程度だ。それを一日二食か三食なら何も問題ないというのに、ポーラはとにかく、回数を多く食べさせる。吸収に良いから、と理由を付けて、一日に五回も六回も食事を取らせる。一日三回、超大量の食事を取るより、普通からやや多めの食事を六回取るほうが、トータルで食べられる量は多くなる、とポーラは供述する。


 下層探索中、一定時間が経つと、魔物が蔓延るダンジョンの道中真っただ中で私たちはポーラ特製ランチボックスを広げ、食事を取らなければならない。その前に取った食事が、『やっと消化されてきた』と思うと、もう次の食事の時間なのだ。まだ空腹とは程遠いというのに、普通量の食事を取らされる。せめて少量であれば、こんなに憂鬱にならないものを……


 私たちが食べ終わるのを、アリステルとポーラはじっと見ている。体調が悪いときを除き、食べない、という選択肢が私たちにはない。心の中で泣きながら食べなければならない。


 訓練でも音を上げないラシードが、「もう食べられません」と言うと、「味が変わると食が進む」と、新しい風味(フレーバー)のソースを渡される。


 えずきながらサマンダが、「吐きそうです」と言うと、「軍医の癖に自分で薬も調合できないんですか?」と小言を頂きながら、消化薬を渡される。


 本気で厭になった私が、「もう食事は見たくありません」と言うと、「目は閉じてていいから口だけ開けてください」と、口の中に食事を詰め込まれる。普段エルリックのメンバーに食事を食べさせてあげているだけあって、ポーラの手際はすこぶる良かった。




 しばらく経つと、私とサマンダは少し身体の凹凸が目立つようになった。軍人とはいえ一応女なのだ。これ以上筋肉がつかないでほしい。


 私とサマンダはその程度で済んでいても、ラシードは違う。ラシードは見ていて気色が悪いほど筋肉膨れで身体が大きくなり、装備が入らなくなって困るようになった。


 それを見たエルリックは連日夜なべをしてクロールドラゴンの皮を加工し、ラシードの新装備を拵えてくれた。


 身体の変化に最初は驚いていたラシードだったが、いつの間にか身体が大きくなる魅力に取り憑かれてしまい、次第に自分の筋肉を眺める時間が増えていった。エルリックから新装備を作ってもらう頃には、完全にエルリックを盲信するようになっていた。筋肉教の信者の誕生だ。単純なラシードに付け込んだ、エルリックの汚い作戦である。


 ある日、交代で睡眠を取る時間、ラシードは、「もっと身体を大きくしたい。筋肉を喜ばせるにはどうしたらいいですか?」と、正気を失った相談をポーラにしていた。私が眠りに落ちて聞いていないと思ったら大間違いだ。




 感覚の鋭さを見込まれたサマンダは、私やラシードとは別個に気配察知や視線感知、静音行動を教え込まれた。軍で教わる初歩技術の一歩上を行く中等から高等技術だ。他にも、罠についての教えを授けられ、エルリックが見抜く罠は、サマンダも全て見抜けるようになっていった。


 下層を歩くとき、サマンダは大体私の隣にいる。最近のサマンダは真隣にいても、足音がほとんど聞こえない。エルリックのメンバーが一人増えたようで気味が悪い。




 ラシードは筋肉、サマンダは野伏(レンジャー)技能。では、私が何を特別に習ったか、というと、自分でもビックリ、それは攻撃魔法だった。


 ずっと前、魔法練習開始直後の魔法適性が全く判明していなかった時分、詠唱律を用いて色々と試したことがある。けれど、攻撃魔法は四属性どれも発動させられず、私はそれ以来諦めていた。もう一生練習することはない、と思っていた攻撃魔法を、エルリックはなぜか習得目標に掲げると、根気よく、本当に根気強く私に教えてくれた。


 四色のうち汎用性が高いのは水属性と土属性。練習する属性をどちらか一方、選ぶように求められた私は、土属性を多用するエルリックに対してささやかな抵抗をしたつもりで水属性を選んだ。自分が攻撃魔法を使えるようになるとは思っていなかったし、私の才能の無さが分かればエルリックは見切りをつけ、私にだけ少ーし楽をできる時間ができるかもしれない、と頭をはたらかせたつもりだった。でもそれは全く的外れな考えだった。


 個別練習の時間、私とエルリックの一人は並んで立つ。エルリックに数回、手本を見せてもらった後、私はそれを再現するため、両手を前方にかざして魔力を集中する。


 頭の中に思い描いた水魔法を現実に投影するように魔力を動かす。私の手から放たれた魔力が自分の両手の前でウネウネと動いているのを感じる。しかし、ウネるばかりで一向に形にならない。何度繰り返しても、何時間続けても、水魔法は発動しない。


 幻惑魔法や情報魔法と違い、攻撃魔法というのは事象がより実物的な形を作る。それがよくない。私にとって魔法というのはもっと形のない、抽象的な事象のほうが扱いやすい。多くの魔法使いからしてみれば、形の存在しない幻惑魔法や情報魔法よりも、可視化しやすい攻撃魔法のほうが習得難易度は低いらしい。


 しかし、少し矛盾したことに、筋力強化魔法(リーンフォースパワー)をはじめとした戦闘補助魔法も目に見える類の魔法ではないというのに、これを習得できる魔法使いの数は情報魔法使いよりもずっと多い。結局のところ、目に見える、見えない、なんていうのは重要ではなく、その魔法に適性を有しているかどうかが問題なのだ。私は攻撃魔法に適性がない。残念ながらそれが事実だ。


 ところが、それで諦めないのがエルリックだ。私本人よりも、ポーラのほうがウンウンと唸って真剣に悩み、考え、どうすれば魔法を発動させられるか熱心になっている。私に魔法を使わせようと夢中になっている、と言ってもいいかもしれない。それくらい懸命だった。


 毎日毎日練習方法を試行錯誤する。ある日は、「楽器練習みたいに、片手でやってみましょうか? 実はこちらのほうが習得しやすいかもしれません」と、提案し、それでダメでも次の日になると、「今日は魔法杖を使ってやってみましょう。形から入るのも一つの方法です」と、手を変え品を変え私を飽きさせない。何日失敗が続いても、次の日になれば必ず新しい案を持ってくる。私は途中、もう諦めて別のことでもいいから実際に習得可能なことを練習したい、と思っていた。でも、粘り強いエルリックを見て、私はまた変わった。私が攻撃魔法を覚えたところで、エルリックには何の得にもならない。それでも、これだけ情熱をもって指導してくれているのに、教わる私のほうが不真面目ではダメだ、と心持ちを改めた。


 失敗を繰り返すだけの日々が一ヶ月も続いた後、エルリックは一つの練習方法を編み出した。私はいつものように真っ直ぐに立ち、両手を前方にかざして手掌の前に魔力を集める。エルリックは私の真後ろ、ほとんど身体が接するくらいの場所に立つと、肩越しに私の腕の上に自分の腕を重ねてきた。いつもはめているグローブを外し、乾いたアンデッドの手掌を私の手の甲に重ね、私の手を貫くように魔力を放つ。


 私の魔力とエルリックの魔力が混ざり合い、手掌の前で蠢いているのを感じる。私が今まで作り上げてきた魔力の動き、流れ、構築とは全く別の動きが作り上げられていくのを感じ、『これなら本当に魔法が発動するかもしれない』と、思った。そう思えただけで、実際に魔法が発動することはなかったものの、今までとは違う、明らかな前進を実感できた。


 複数人で魔法を構築する“斉唱”は、一人で魔法を作り上げるよりもずっと難しいはずなのに、エルリックに介添えされると、このほうがずっと容易に魔法習得できそうな気がしてくる。また少し私のやる気が上がった状態で練習すること数週、ついにその日がきた。


 昨日までと変わらずに魔法練習する最中、私の掌の前に変化が表れる。魔力が一点に急速に凝集し、事象へと姿を変えていく。手から放たれた魔力が一点に吸い込まれていくような感覚の後、豆粒のように小さな氷の塊が私の掌の前に現れ、足元にポトリと落ちた。


 できた……。これが私の、アイスボールだ……


 夢のよう、とは正にこのことで、達成感や嬉しさというものが感じられず、現実味のないフワフワとした言葉では表現できない感情が、身体を自分のものではないように錯覚させた。


 呆けている私の横で、ポーラは我がことのように、私の分まで喜んでくれた。私の手を取って破顔するポーラを見ることで、私の魔法は成功したのだ、と実感を得ることができた。


 最初のアイスボールは、エルリックの魔法に私の魔力が混じっていた、という程度のものでしかなかったかもしれない。しかし、形はどんなでも、成功は成功だ。一度できたことによって、水魔法とは何か、という理解が格段に深まった。大袈裟に言うと、魔法とは何なのか、それがほんの少しだけ分かったような気がした。


 二度目のアイスボールは次の日に成功し、三度目は二度目の小一時間後に成功し、四度目は三度目に続けて成功した。五度目は一人でアイスボールを放つことができた。


 私は水魔法使いになった。


 もう、自分だけで水魔法を使うことができる。その事実が、信じられないほど私の心を浮つかせた。初めてアイスボールを成功させられた日に喜びそこねた分を取り戻すように私は浮かれ、嬉しくなった。嬉しくなり過ぎたあまりに、魔法訓練後も一人で水魔法を何度も行使してしまい、魔力欠乏(マナデフ)に陥りかけた。


 朦朧とする私を見つけたポーラは、魔力回復効果があるという煎じ薬を作ってくれた。


「とっても身体にいいんですよ」と、言われて飲まされた粘り気のある青漆色の液体は、胆汁混じりの吐瀉(としゃ)物のような酷い味がした。私は別に毒の味に詳しくはないけれど、魔力回復薬の味はどんな毒よりも毒らしい、と思った。


 ポーラは、美味しい食べ物は、美味しい、と説明する。身体にいい、と説明するときは、不味い、という意味だと分かった。




 水魔法を習得したことにより、身体が攻撃魔法を使うことに目覚めたのか、その後立て続けに火属性と風属性の攻撃魔法を習得することができた。練習を続けるのはできれば一属性、どんなに欲張るとしても二属性に絞るようにアリステルとポーラに言われ、水属性をメインに、風属性をサブに伸ばすことに決めた。


 伸ばす魔法を選択してしばらく経ってから、水と風の二属性がライゼンの得意属性であることを思い出し、微妙な気持ちになった。




 自分の意固地の悪さが原因でおかしなエピソードが追加されたけれど、攻撃魔法の練習と習得は、私の意識を大きく変える切っ掛けになった。


 私は自分のことを、努力を惜しまない人間だ、と思っていた。でも、エルリックを見ることで、それが必ずしも真実ではないことを理解した。努力には、正しい努力と、正しくない努力がある。魔法で考えると、適当な師がいて適切な指導を受ければ、私は攻撃魔法を習得できたのだ。昔の私の練習は、やり方がよくなかった。努力の仕方を間違っていたから、私は魔法を身に着けられなかった。努力の正しさを吟味せず、盲目的に繰り返すのは、やらない怠惰と紙一重の違いでしかない。形だけやったことを言い訳にして怠けているのと同じ。常に正しい努力をするべく内省を繰り返さないことには、本当の努力家たりえない。努力の正しさなんて、考えたこともなかった。


 努力と切っても切れない関係にあるのが才能だ。才能というものへの認識も変わった。頭がいい人、悪い人。足が遅い人、速い人。後天的な努力で埋められるものはわずかで、先天的に持った才能にはどうやっても抗えない。それはそれで正しいのかもしれない。ただし、才能とはとても分かりにくいものだ、と今は思う。例えば、ベアという魔物は成体になると、特に努力をしなくても、いずれの個体も人間以上の力を持つ。それは、そういう風にできているからだ。それと同じように、ワイルドハントであるエルリックも、最初から強いのだと、私は思っていた。でも、魔法訓練を経た今、エルリックの強さも能力も、血の滲むような努力の果てに得られたものではないか、と思う。


 エルリックは努力を惜しまない。それも、ただ形だけ繰り返すだけではない、正しい努力、本当の努力を続ける。エルリックはいつも何かをしている。常に成長し、新しい発見を求めている。寿命のないアンデッドが寸暇を惜しんでこれだけ努力をしている横で、老い先短い人間が怠惰であっていいわけがない。エルリックがどれだけ優れた才能を持っているか、そんなこと私には分からない。けれども、エルリックは努力を続ける素晴らしい才能を持っている。それだけは間違いない。私は、エルリックの後をついて下層を歩くときも、アリステルの講義を受けるときも、今までより前傾姿勢で臨むように心掛けた。




 アリステルは回復魔法や解毒魔法の手本を見せるとき以外、ほとんど魔力を使わなくなった。下層の探索のときは、アリステルの横にエルリックのメンバーが一人付き添っている。こちらに魔物を流すときは、付き添いの一人がアリステルの代わりを務める。その一人と、ラシード、私、サマンダの四人で魔物と戦うのだ。アリステルは幅広い才能を有し、魔物の知識だって豊富だけれど、やはり本職ではない。本物のハンターであるエルリックの横で戦うことにより、私たちの対魔物の戦闘力は、今まで以上に伸びていくことになった。セーフティーゾーンでの対人剣の訓練のときと同じく、アリステルはダンジョン探索における魔物の先頭でも、手を出すことも口を出すこともなく、真剣に、けれども優しい顔で私たちを見守っている。


 魔力さえ使わなければ身体を動かすこと自体は悪くないようで、セーフティーゾーンではエルリック相手に闘衣無しでの剣戦闘を毎日こなしている。最近では体加減がかなり復調したらしく、毒壺突入前どころか、数か月くらい前の剣の冴えを取り戻している。魔力使用がどれほどアリステルの身体の負担になっていたか分かる。




 エルリックは多種多様なことをやっている。興味が向いているのは魔法や剣戦闘だけではない。エルリックが向ける興味の一つに、栽培がある。


 エルリックはセーフティーゾーンに作物を植え、何度か失敗していた。下層からセーフティーゾーンに運び込んだ土が翌日になってダンジョンに吸収される、という珍妙な経験も積んでいた。どのような条件で吸収されるのかをポーラはぶつぶつ言いながら考え、試しては失敗し、しばらくの後に香草や香辛料作物の栽培を成功させた。


 種籾は地上から持ちこんだものだとばかり思っていたが、全てダンジョン内に自生していた植物の株分けなどで増やしていった、とのことだった。言われてみればなるほど、日光の当たらないダンジョン内で外界由来の植物がすんなりと育つはずはない。




 必要量の多さ故に安定して確保するのが最も難しい調味料、それが“塩”である。ほんの少し手に入れるだけなら、ダンジョン内でも破茶滅茶に難しくはない。十分な量を入手するのが難しいのだ。ダンジョンにおける料理人泣かせの調味料である塩もまた、いつの間にか精製するようになっていた。


 最初はダンジョンの至る所から土を集めてきて塩が濃い場所を調べていた。しかし、どこも濃度が低すぎて効率が悪い、と言っていた。


 そのうちに目を付けられるようになったのがクロールドラゴンだ。エルリックは毎日食べきれない量のクロールドラゴンを狩っている。肉として食べるために持ち帰る分とは別にクロールドラゴンをセーフティーゾーンに持って帰り、変性魔法の助けを借りて、魔物の身体から塩を絞り出すのだ。


 トカゲの身体から塩を回収するのは、土から塩を回収するよりも、重量比で百倍は効率がいい、なることをポーラが言っていた。ポーラはクロールドラゴン塩作りを始める前、「岩塩が取れたらこんな苦労はいらないのに」と、幾度となく嘆いていたが、クロールドラゴン塩作り開始後は、「変性魔法様様です」と、ご機嫌で自画自賛するようになった。




 エルリックのメンバー九人は、かなり見分けがつくようになった。


 一番強いと思われるのが「背高」だ。魔力量測定魔法ディスコーティアスステアリングで確かめてはいないが、(はた)にいて感じられる魔力は、背高がエルリックで一番強力なように思う。背高は食事を取る、アリステルの講義を聞く、戦闘時にエルリックの中で最も高頻度に魔法を使う、という特徴がある。憲兵の報告でミスリルクラスと判断されていた一人だ、と私たちは睨んでいる。


 背高の次に魔法を使う頻度が高いのは二人。その頻度と強さは大体同じくらい。一人は「イデナ」と、もう一人は「マドヴァ」と名付けた。ただでさえお揃いのローブに身を包み、髑髏仮面で顔を隠しているのだ。能力と行動が似通っているイデナとマドヴァに揃って動かれると、見分けるのは未だに難しい。二人とも食事を取るが、アリステルの講義を聞きに来たことはない。


 エルリックの食事時、ポーラが真っ先に料理を食べさせる相手。これは「ノエル」と名付けた。ノエルは魔法を全く使わず剣だけで戦う。身体捌きは悪くないのに剣の扱いにぎこちなさがあり、エルリックの中ではあまり強くないメンバーである。


 物理戦闘最強の座を占めるメンバーが「シーワ」だ。上背は背高に次いで高く、身体はどのメンバーよりも横に大きく厚みがある。純粋な剣捌きは他のメンバーと同程度だと思うのだが、膂力という意味でも魔力の出力という意味でも、一撃の威力が他のメンバーとは一線を画している。しかも、手にしている武器が特殊だ。ぱっと見では変哲のない普通の剣。その実、全く普通の剣ではない。剣そのものに幻惑魔法がかかっている、という奇妙な代物だ。なんのための幻惑魔法かは分からないが、おそらく剣の真の形状を隠しているのだろう。もしかしたら、斧やハルバードに近い形状をしているのかもしれない。シーワもミスリルクラスの一人だと思われる。


 私たちに剣を教えてくれるのが「ウルド」と「フルル」の二人だ。この二人もローブの汚れくらいでしか見分けがつかない。シーワ、ウルド、フルルは極たまにしか魔法を使わない。


 ポーラを除けば最も異色な存在が「二脚」だ。最初は、腕無し、と呼んでいたが、班で話しているときに、響きが良くない、ということで二脚に改名した。エルリックもアリステル班も全員二本足なのに、一人だけ二脚と呼ぶのは命名としてどうかと思う部分はあるけれど、意味が分かればいい、ということで二脚の呼び名が採用された。腕無しという旧名の通り、両腕が無い。普段はローブで隠れているためにそれが分からないものの、動き回り方に両腕の無さ故の不自然さがあり、何より剣を持つ場面も魔法を放つところも披露したことがない。二脚は戦闘の際、見晴らしのいいポイントに立ち、キョロキョロと周囲の警戒をしている。足には武器を仕込んであり、しばしば魔物に止めだけを刺す。私からすると、エルリックの戦力になっているとはとても思えない、存在価値が不明の一人だ。


 ポーラは戦わないし魔法も使わない。この女性の仕事は料理、裁縫、食事の介助、私たちとの会話、そしてアリステルの講義の受講だ。ポーラ以外のエルリックのメンバーは手先が器用ではないようで、細々としたことはポーラが全てこなしている。エルリックの庶務代行、という立ち位置だ。私たちの装備の接続部が壊れたり、服がほつれたりするとすぐ直してくれるので、アリステル班のヘルパーでもある。


 ポーラはたまにラシードをからかう。この前も、ラシードの鎧下着の破れを繕ってあげた後、感謝を述べるラシードに対し、「お礼にキスしてください」と言っていた。私は、ラシードがそのおねだりを断るだろうと思って静観していた。すると、ラシードは、「え、ええ~? そんなのでいいんですか。参っちゃうな、へへへ」と、鼻の下を伸ばし、満更でもない、という顔でポーラの両肩に手をかけた。


 ラシードの後ろでは、サマンダがサマンダらしからぬ憤怒の形相でラシードを睨みつけていたのだが、囂囂(ごうごう)の非難の視線にラシードが気付く様子は全く無かった。


 目を瞑って接近を続けるラシードの顔を、「ラシード君、冗談ですよ」とポーラが押さえて止めなかったら、あの馬鹿は本気でキスしていたと思う。止められた後のラシードの残念そうな顔ときたらもう、釈明の余地は無い。ラシードはポーラにキスしたがっていた。


 ポーラは青いラシードをからかうことだけでなく、やきもちを焼くサマンダのことも合わせて楽しんでいる。そこはやはりワイルドハント。性格は極悪なのである。




 まとめると、エルリックの中で食事を取るのは背高、イデナ、マドヴァ、ノエル、ポーラの五人。これは間違いない。ポーラが全員に食事の介助をしている。生命反応があった四体のアンデッド、というのはポーラを除いた、この四人のことだろう。


 魔法使用頻度が高いのは背高、イデナ、マドヴァ。たまに魔法を使うのがシーワ、ウルド、フルル。全く魔法を使わないのがノエル、二脚、ポーラ。


 アリステルの講義を聞きに来るのはポーラと背高だけ。最初の講義のときだけはもう一人いたが、当時は背高以外見分けがついていなかったので、今となってはそれが誰だったのか皆目不明である。


 また、三人のミスリルクラスのうち、二人は背高とシーワとみて間違いない。もう一人のミスリルクラスが誰なのか、これが分からない。情報魔法さえ使えれば分かると思うのだが、これだけ近い距離で日々を送っていては怪しい真似などできない。


 エルリックは私が特殊な能力を持っていることは気付いており、「四人を皆殺しにするのは辛いです。だから、ラムサスさんの能力を我々に使ってはいけませんよ」と、釘を刺した。最近は、エルリックの調査のために能力を使う機会を探ることすらしていない。

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― 新着の感想 ―
[一言] ラシードいいキャラしてるな笑
[良い点] 筋肉教に入信したラシードに思わず笑ってしまいました。
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