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第九話 毒壺 三 アリステルの風邪

 ワイルドハントは中層下部の魔物を物ともせずに奥へ奥へと突き進んでいく。


 中層上部を探索していた頃は、私たちからワイルドハントの先頭の様子を見ることはできなかった。それが今、ワイルドハントが縦に長い隊形をとらなくなったことによって、その戦闘風景が見えるようになった。


 これは貴重な勉強のチャンスであり、かつ、いつかワイルドハントがジバクマの敵となった際に攻略法を見出すための又とない機会、初めて見せた奴等の隙だ。


 意気込み刮目して戦いを観る。




 ワラワラと出現する魔物をワイルドハントは危なげなく倒していく。どれだけ強い魔物が大量かつ一斉に出現しても苦戦することなく簡単に屠っていく。


 ワイルドハントはほぼ全員が剣を操り敵を倒すことができる。戦わないポーラを除き、弱い構成員が一体もいない。いずれの構成員も一騎当千の近接戦闘力を有している。


 物怖じしないラシードが、なぜ瘴気を使わないのか尋ねたところ、中層下部の魔物は瘴気では即死しないこと、瘴気は魔力消費が大きく、敵が即死しないのであれば常時展開するのは下策であることを教えてくれた。


 上層や中層上部においての魔物掃討を振り返ると、ワイルドハントはかなり長時間瘴気を展開していたように思うのだが、瘴気を目視できなかった私たちに本当のところは分かりかねる。あのときは、構成員が交代で瘴気を出していたのだろうか。あるいは、ポーラは虚実を織り交ぜて質問に答えているのかもしれない。


 嘘か本当かは忘れるとして、ポーラはここまでラシードの質問に面倒臭がることなく答えている。私の問いにも答えてくれるかもしれない。タイミングを見計らい、私もポーラに質問してみた。なぜ戦闘風景が見えるようにしたのか、と。すると、「他者の戦闘を見るのも勉強ですよ」という、妥当ながらも極めて面白みのない答えが返ってきた。ワイルドハントの怒りを買わないか緊張し、得られる答えがどれだけ突飛なものか少しだけ期待していたというのに、ドキドキして損をした。


 力の誇示が目的ではないことは間違いない。ワイルドハントの気まぐれな厚意と私の目的はそれなりに合致している。その慢心が仇となるように奴等の技術を盗む……という心意気を持って戦いを観るも、私が得たのは諦観の念だった。


 動きの速さ、剣撃の重さ、闘衣の技術、敵の攻撃の見切り、どれをとっても強すぎて全然戦い方の参考にならない。プロの音楽家の演奏を間近で観て聞いたところで、同じように演奏することが不可能なのと同じだ。


 挙げ句の果てには火、水、土、風の四色の魔法まで飛び交っている。威力はどれも申し分ない。スピード感に溢れた戦闘の中で魔法が放たれるため、どの構成員がどの属性の魔法を放っているのかよく分からない。


 剣も魔法も凄すぎて、何もかもどうでもよくなってきた私は、全員が四属性の魔法を操っているんじゃないかな、などと、有り得ないことを考えてしまう。


 凄いのは戦闘力だけではない。ワイルドハントはダンジョンそのものが自動生成する罠も、全て嵌まることなく未然に回避、解除していた。


 何も断りなく全て解除してしまうため、アリステルとラシードは、罠の大半が存在していることすら気付いていないようだった。アリステル以上の高い観察力を持つサマンダは、解除された罠の六、七割に気付いていた。それでも六、七割である。ダンジョンに魔物がいなかったとしても、私たちの班は私の能力無しだと中層下部を安全に歩くことすらできない、ということである。




    ◇◇    




 ブルーモスの群れ以降、私たちは全く戦闘をしないまま、次の安全地帯である第二(ディープ)セーフティーゾーンに辿り着いた。ディープセーフティーゾーンは、中層下部と下層の間に位置している。


 私たちが今朝まで休息に利用していたサーフェスセーフティーゾーンがあるのは、上層と中層上部の間だ。そのサーフェスセーフティーゾーンを利用した初日と異なり、ここディープセーフティーゾーンには、魔物の死骸は一つも転がっていなかった。




「今日はここで休みましょう」


 ポーラは本日のダンジョン探索終了を宣言した。


 アリステルもブルーモスに襲われたことだ。今日は座学だけで、訓練は無しかな……


 そんなことを考えながら荷物を下ろし、野営の準備を始める。




 ワイルドハントは、休む、という発言とは裏腹に、一向に野営を始める様子がない。ポーラを含む全構成員が微動だにせず凝立している。精力的に活動を続けるワイルドハントが黙って突っ立っているのも不気味なものである。


 しばらくするとポーラは無動を解除し、アリステルのところへやってきた。


「我々はちょっと下層のほうを覗いてきます。中層よりもいい魔物がいるかもしれません。訓練はご自由にしてもらっていいですが、ズィーカ中佐の今日の講義は、我々が戻ってからお願いしますね」

「え、ええ……。承知いたしました」


 アリステルから約束を取り付けると、ワイルドハントは颯爽と下層に消えていった。


 神経を擦り減らす私たちと違い、ワイルドハントはダンジョン探索を楽しんでいる。忌々しいものだ。




「これ……どうしたらいいと思う?」


 ワイルドハントから渡された、水が満杯に溜まった水筒を持ってラシードが尋ねる。


 水筒をラシードに返す前、ポーラは安全を強調していたが、ワイルドハントに渡された飲食物になど、誰だって口を付けたくないだろう。しかし、そうは言っていられない事情がある。


 水はいずれ底を突く。このままワイルドハントに同行するのであれば、いつかこの水に手を付けなければならないときがくる。いずれ必ず飲むのであれば、脱水で全員が動けなくなってしまう前に試飲すべきだ。


「僕が飲んでみようか?」


 気軽な様子でアリステルが提案する。私たちを不安にさせないように、意図して飄々(ひょうひょう)と言っている。


「班長に飲ませるわけにはいきません。俺が飲みます。何かあったときは班長、お願いします!」


 どうすべきか尋ねてきたはずのラシードは、アリステルの配慮に感化され、自ら毒見役を買って出た。アリステルが水筒の水に毒感知魔法(ディテクトトキシン)をかけ、既知の毒が含まれていないか確認した後、ラシードは水をごくごくと飲み始めた。


 ディテクトトキシンで毒が検出されなかったとはいえ、魔法で検出できない未知の毒の懸念は残り、さらに瘴気の影響も不明である。


 私たちアリステル班の結成目的の一つが、アリステルから回復や解毒、治療の知識、経験、技術、魔法を学ぶことである。アリステルは全員の上官であり、師であり、教科書なのだ。そのアリステルを毒見に使うなど言語道断である。ラシードは自分の身を張り、ワイルドハントが用意した水の安全性を確かめようとしてくれている。




 ラシードは水筒の水を飲み干した。これは毒見なのだ。完飲する必要はこれっぽっちも無い。ラシードは、頭は悪くないけれどやっぱり馬鹿だ。


「味は普通の水だった」


 しぱしぱと(まばた)きをしながらラシードが感想を述べる。重要なのは味ではなく、これからのラシードの体調だ。


「身体はどこもおかしくないですか、大尉?」


 サマンダがラシードの真横に立ち、上目遣いで心配そうに尋ねる。


「今のところは」と、ラシードは心細い返答をした。顔色だけならもう十分に具合が悪そうだ。水が身体に毒性を発揮したのではなく、不安で血の気が引いているとみえる。


「班長! エルリックが戻ってくるまで、俺は寝ようと思います。いいですよね!?」

「本当は訓練の時間にしようと思ったんだけど……未知の物を口にした後、すぐに身体を動かすのは安全上好ましくない。いいよ、横になって」


 アリステルがラシードに転寝を許可する。


 あれだけブルーモスに痛めつけられた後だというのに、今日も訓練をするつもりだったのか。相変わらずのアリステルだ。


「じゃあ今日は、サマンダとラムサスだけだね」


 私たちの訓練は免除になっていなかった。少し私の具合も悪くなったような気がした。




    ◇◇    




 軽い訓練という名目のしごきに耐えていると、ワイルドハントがディープセーフティーゾーンに戻ってきた。


「見てくださいよー。こーんな大きなトカゲがいましたよ」


 満面の笑みでポーラが指差す先にいたのは、ワイルドハントに引きずられる、トカゲと呼ぶにはあまりにも大きな爬虫類系の魔物だった。


 クロールドラゴンだ。ドラゴンの名を冠してはいるが、ドラゴン種ではなくリザード種の魔物である。体長は成人の背丈以上。毒壺の例に漏れず、その牙には毒を有している。食用に適か不適かまでの知識は、私はもっていない。


「あっ、ズィーカ中佐。今日は食事と講義、どちらを先にしますか?」

「まだ訓練が一区切りついておりませんので、先に食事にしていただけますか」

「はい。分かりました」


 日程を確認したポーラはご機嫌のまま、他のワイルドハントが準備を始めた野営場所へ下がっていった。




 所定の訓練が終了した後、食事を先に、ということで残り僅かとなった糧食を荷物から取り出す。


「はい、やめー」


 向こうでポーラが声を張り上げ、私たちを制止した。


「今日は私の料理を食べてもらいます。それはしまってください」


 一方的に宣言すると、私たちの意見を確かめることなく、ポーラは調理を続ける。


 ダメだ……。ポーラは是が非でも私たちにあれを食べさせるつもりだ。


 力関係上、ポーラに逆らうことはできない。すごすごとアリステルが糧食を仕舞い直すのを見て、私たちもそれに従う。


 あぁ、本当にワイルドハントが出す物を食べなければならないのだろうか。




 (おのの)く私たちを他所に、ポーラはあっという間に鍋料理を作り上げ、私たちの前に持ってきた。椅子、テーブル、食器、全て土魔法で作り上げ、何もかもアンデッド手作りの食卓を私たちに囲ませる。


 テーブルの真ん中に置かれた土鍋の蓋をポーラが開ける。すると、鍋の匂いが湯気とともにフワッと周囲に立ち込めた。調理中に漂ってきた匂いは少し生臭いように感じたが、蓋を開けた鍋から香り立つ匂いは私の食欲を大いにそそった。


「はい、皆さん召し上がれ。水は飲めるけれど、食べ物は食べられない、なんてことはないはずですよね。不安ならば、毒感知魔法(ディテクトトキシン)を使ってもらっても構いませんよ」


 料理に手を付けようとしない私たちを見ると、ポーラは自分の分を鍋から深皿によそい、これ見よがしに食べ始めた。


 いつもならばポーラはワイルドハントの一体に食べさせてあげてから二番目に食べる。ポーラが最初に食事を口にするのは、毒壺に来てから初めてのことである。


「すごーく美味しいですよ」


 ポーラが横に座るアリステルにいやらしい流し目を送る。


「では、失礼ながら確認させていただきます」


 ポーラが意図的に料理に毒を仕込んだ可能性はない。それは()()だ。ただし、毒壺で採れた魔物を食材にしているのだ。ポーラに悪意が一切無かったとしても、料理に毒が含まれないという保証はない。


 アリステルはディテクトトキシンを使い、料理に毒が含まれていないことを確認する。


 残念ながら何も反応は無く、観念したアリステルは料理を口に運ぼうとする。


「俺っ、俺が先に食べます!!」


 クロールドラゴンの肉がアリステルの口の中に入る直前、ラシードの大声がアリステルの動きを止めた。


 上官を守るため、ラシードはまたも自らの身を挺し、大わらわに料理を口に頬張った。先ほどワイルドハント産の水を飲んだときといい、毒味は大量に摂取する必要などないのに……


 そういえば、あの水を飲んでから結構な時間が経った。腹の具合は大丈夫なのだろうか。


「ああああああ!!」


 料理を口に入れた直後、ラシードが苦しみ始めた。


「あひっあひっ!!」


 熱い料理を塊のまま口の中に放り込んで口の中を火傷しただけだった。


 先ほど空にしたものとは別の水筒に口を付け、口の中を懸命に冷ます。


 貴重な水を浪費して……。やっぱりラシードは馬鹿だ。


「慌てて食べなくても、料理は逃げませんよ」


 ポーラは優しい笑顔でラシードを見守っている。


 口の中を冷ました後、ラシードは肉を小さく切り、二口目、三口目と食べ進めていく。そんなラシードの様子を見てアリステル、続いてサマンダが料理に手を付ける。


 アリステルは無表情のまま料理を口に含み、咀嚼し、嚥下し、口の中が空になっても何も言わない。


「すごく美味しいです」


 サマンダが小さな声で感想を言った。


「本当に? 良かったー! 美味しく食べてもらえるか不安だったんですよ。男二人は毒が入ってないかどうかにしか興味を示さないし、感想も言わないし。お世辞でも嬉しいです、シェンク中尉」


 サマンダの感想を聞いたポーラは相好を崩す。


 ワイルドハントが食事程度でこんなに喜ぶなんて、思ってもみなかった。


「では、私たちはあちらで続きをいただきます。こちらは皆さんだけで、どうぞ楽しんでください」


 そう言うとポーラは席を立ち、ワイルドハントの野営スペースに戻っていった。土魔法の更新のため、物言わぬワイルドハント一体が残り、静かにテーブル脇に立っている。シュールに過ぎる光景である。


「確かに美味しいね、この鍋は」

「班長ー。その一言をポーラさんに言ってあげたらよかったのにー。でも本当、トカゲなのに全然臭みがないです。街で食べる鶏肉みたいで、すごくさっぱりしていてスルスル喉を通ります」


 ラシードは会話に参加せずに黙々と食べ、何度も鍋からお代りをよそっている。よほど口に合ったようだ。


 全員が美味しそうに食べるのを見て、私も食べてみようかな、という気になってきた。器によそった肉をほんの一欠片分だけ小さく切り離し、小さな小さな肉片をおそるおそる口に入れる。


 ……


 それは確かに美味しかった。ここ数日食べてきた、キツい塩気以外の味がしない、乾いた冷たい糧食とは違う。これはちゃんとした料理だ。いい按配に塩が利いていて、香辛料が少々と、何かの香草の香りもする。サマンダの言う通り、トカゲの臭みは何もない。あるのは肉と調味料が一緒になって奏でる風味(フレーバー)だけだ。喜んで受け入れられる。クドく口の中にまとわりつく脂っこさはなく、簡単に喉を通り抜けていく。これならいくらでも食べられそうだ。何なら、食べれば食べるほど空腹になっていく気さえする。


 よそい分けた自分の皿はすぐに空になり、私も三人に負けじとお代りに手を伸ばさざるを得ないのだった。




 糧食続きで、全員温かい食事と、何より量に飢えていた。鍋丸ごと一つ、まるで底は舐められたかのように綺麗に平らげてしまった。


 この大きな鍋の中身が全て私たち四人の胃袋に入っているのかと思うと不思議な感じがする。


 ダンジョンの中でこれほど美味しい食事にありつけるとは思ってもみなかった。クロールドラゴンの肉が美味しいのか、ポーラの料理の腕が良いのか。


 いずれにしろ、腹はたっぷりと満たされた。これだけ食事に満足できたのは、いつ以来だろう……


 不本意ながら、ポーラを敵視しにくくなってしまった。胃袋を掴まれた、とでも言ったらいいのか。あんなに美味しい料理を作る人間が、悪人のはずがない、と非論理的思考が心の中で大声を上げている。


 一度食事を用意してもらった程度で相手を判断するのは論外だ。ただでさえこいつらは凶悪なワイルドハント。引き続き最大限の警戒を払わなければならない。けれども、本性の良し悪しと食にかける熱意は別物だ。


 訪れて間もないはずのゲルドヴァの街で、マジェスティックダイナーのことを知っていたくらいだ。ポーラはきっと美食に目が無い。


 私たちに戦慄を与え、脅迫じみた言葉を発したのがポーラなら、私たちに食事を振る舞って嬉しそうにしているのもまたポーラだ。どちらが偽でどちらが真という話ではない。多面性があるのはワイルドハントに限らず、誰しもに当てはまることだ。


 ポーラに安易に心を許してはならない。……ならないのだが、今は満腹だし、一時くらいはそのことを忘れてもいいだろう。




 心地よい苦しさを訴える腹を(さす)っていると、ポーラがこちらへ来た。


「皆さん綺麗に召し上がりましたね。喜んでもらえたようで、作った私も嬉しいです。我々はまだもう少しかかります。皆さんはお腹を少し落ち着けてください。こちらが片付いたら、ズィーカ中佐、今日の講義をお願いします」


 そう言うと、私たちの横で待機を続けていたワイルドハント一体とポーラは鍋と食器を片付け始めた。


「いつもこんなに美味しい料理を作っていたんですね」


 アリステルが先程言いそびれた賛辞を呈する。


 ポーラはそれを聞いて首を横に振った。


「今日は特別です。皆さんに食べてもらおうと思ってちゃんと料理しました。美味しい料理を作ろうとすると、調味料が結構な量必要になります。そこまで大量には携行してませんから、毎回あれを作るのは無理ですね」


 そう話すポーラの横顔は少し寂しそうだった。


 ポーラは私たちと会話するとき、大抵笑顔である。私は今までそれをずっと、作り笑顔、あるいは嘲笑のように感じていた。


 なのに、今ときたらどうだ。私たちと同じ、本当の喜怒哀楽を呈しているように見える。ポーラは何も変わってなどいない。変わったのは私の受け止め方だ。たった一度手料理を食べさせてもらっただけ。それでこんなに相手の見え方が変わるとは予想だにできなかった。


「でも、調味料の使用量を抑えながら味を調える方法はあります。明日からも食べてくださいね、私の料理」


 ポーラとワイルドハントは満足したように自分たちのスペースへ戻っていった。




 その日のアリステルの講義時間は、ポーラの存在に不愉快さを感じることがなかった。真剣にアリステルの話を聞き、熱心に質問するポーラの姿勢に、好ましさすら感じるようになっていた。


 やはりあの料理には毒が入っていたのだ。私の心が、ワイルドハントの毒に冒されてしまっている……




    ◇◇    




 翌日から毒壺下層の探索が始まった。下層に出現する魔物は中層の魔物より圧倒的に強いが、絶対数は上・中層に比べて格段に少ない。


 下層では大発生ヒュージアウトブレイクが起こっていない。そう断言できる少なさだった。


 毒壺を起点に勃発しかけている大氾濫(スタンピード)の未然防止、という国がワイルドハントに頼みたかった依頼は完了している。後はワイルドハントが満足するのを待つだけだ。アリステル班単独で中層下部を突破できない以上、ワイルドハントが満足するまでは私たちも地上に帰れない。


 ワイルドハントの後ろを歩きながら、ワイルドハントと下層の魔物の戦闘を見学し、たまに私たちも魔物と戦う。ブルーグリズリーはラシードよりも間違いなく強いし、無傷のクロールドラゴンはおそらく全員でかかっても倒せない。


 魔物が何体同時に出現しようがワイルドハントはそれを一捻りにする。手頃な魔物がいるときだけは一体だけ残し、十分に弱らせた上で私たちの側に誘導する。存分にお膳立てされた状態で私たちは全力で戦う。それでなんとか倒せる強さなのが、下層の魔物である。


 ワイルドハントも、私たちなりにギリギリの戦いをしていることを理解している。魔物をこちらに流すときは、必ず傍に誰か一体付き添う。そして私たちが倒しきれないときや、危険な状況に陥ったときはすかさず魔物を倒す。頼まれてもいないのにワイルドハントは私たちの師匠を気取っている。


 私たちが魔物と戦う、ということはワイルドハントのダンジョン探索速度が落ちることに繋がるというのに、それを気にする様子は全くなかった。


 ワイルドハントの真意はともかく、これが私たちにとって得難い特別な成長の機会であることは間違いなかった。強敵と戦い続けることで、自分の戦闘力が跳ね上がっていくのを実感できた。


 それは、私に限った話ではなく、ラシードとサマンダも同じだった。特にラシードの成長は著しい。ワイルドハントに会う前までも素晴らしい成長速度を見せていたが、今のラシードを見ていると、それすら助走に過ぎなかったと確信できる。


 (つぼみ)の状態にあったラシードの潜在能力が絶好機と邂逅を果たすことで開花していく様を、私たちは今まさに目にしている。


 ちょっと前まで、私はラシードと実力差が開いていくことに忌々しさを感じていた。自分が順調に成長している、という実感が得られているおかげか、嫉妬に駆られることなくラシードの成長を受け止めることができた。それどころか、ウチの班はこれだけ伸び代があるんだぞ、と誇らしく思いすらしていた。




  ◇◇  




 下層の探索の日々は急速に過ぎていく。季節感の無いダンジョンの中にありながらも、毎朝全員でその日の日付を(そら)んじる軍人の定形行動(ルーティーン)が、辛うじて日付感覚を保たせる。アリステルの懐中時計はダンジョン探索の過程で壊れてしまっており、陽の光の射さないダンジョン内では正確な時間が分からない。少しずつ時間と日付がずれていっているかもしれないが、それでも私たちは毎日、日付と毒壺に突入してからの経過日数を確認した。


 過ぎ行く時間が日になり、週になり、そして月にもなろうか、という頃に変化は訪れた。




 いつものように弱ったブルーグリズリーと戦っているときに、不意にアリステルが体勢を崩した。


 グリズリーが隙を晒す目の前の獲物に喜んで爪を伸ばす。


 グリズリーの豪腕が繰り出す一撃は、アリステル班一の膂力を持つラシードであっても、横から手を出して防げるような生半可なものではない。


 グリズリーの爪がアリステルに到達する……その直前にワイルドハントが割って入り、グリズリーを一撃で叩き斬る。どう、と大きな音を立ててグリズリーの巨体が地面に沈んだ。




「申し訳ありません」


 身体を起こしながらアリステルがワイルドハントに謝る。


「大分体調が悪いようですね、ズィーカ中佐」

「ええ。大したことはないんですが、ちょっと今日は風邪気味みたいで……」


 苦笑いを浮かべて返事をするアリステルを、ポーラはじっと見つめている。


「魔力硬化症……」


 立ち上がったアリステルをじっとりとした目で見つめたまま、ポーラはボソリと良からぬ単語を口にした。


 アリステルは何も返事をしない。


 私も表情を変えずに済んだと思う。


 だけど、ラシードは無理だった。ラシードは、まるで自分が殴られたかのようにギュッと目を瞑ってしまった。


 ワイルドハントの観察力は並外れて高い。きっと見られた……


「そんな身体で戦っていたんですね。中佐は強いだけでなく、卓越した医療知識と回復魔法の技術を有しています。階級も高いのに、少数精鋭とはいっても、なぜここまで率いる人数が少ないのか、と最初は不思議に思っていました」

「やだなあ。ただの風邪ですよ」


 アリステルは取り繕うように身振りを交え、重い病ではないことを強調する。


 ポーラはアリステルの説明を無視する。


「何年前から患っていたのです? 亡くなるには、中佐はまだまだ若い。きっと色々な夢もあることでしょう。さぞ辛いことと思います」


 ポーラの口は止まることを知らず、言ってはならない暴言まで放ち始めた。


 何て酷いことを言うのだ。アリステルは風邪をひいているだけだ。


 アリステルはいつも風邪をひいている。だから時折身体が動かなくなる。だから段々弱くなる。でも、風邪なんかで死んだりしない。あと数年の命などということは有り得ない。ずっとこの班を率いていくのだ。


「魔力を使えば使うほど病の進みが早まることを分かっていながら、それでも部下を、いえ、教え子の皆さんを守っていたのですね」


 アリステルの風邪のことなど、班員全員が知っている。その風邪をひくと最終的にどうなるかは、魔力に秀でた家系に生まれれば、おそらく子供だって知っている。


 知っているからこそ、誰も口にしない。


 いつか“その日”が来ることなんて、疾うの昔から分かっている。……でも、こうやって言葉として耳から聞いてしまうと、もう駄目だった。


 ポーラはほんの数言、アリステルが罹っているはずもない病気に罹っていた場合のこと、的外れの仮定を口にした。それだけのことなのに、サマンダは口元を押さえて瞳に涙を浮かべ始めた。


 なんで泣く……


 感情は感染する。折角我慢していたというのに、私まで涙が溢れてきた。


 アリステルのことは全員知っている。分かった上で一緒にいる。病気なんて無くたって、軍の任務はいつだって命懸けだ。必要なのは病を嘆くことでもなければ、運命に涙することでもない。命を捧げて任務を共に果たしながら、アリステルが伝えようとする技術を、知識を、経験を取り零さないように掴み取ることだ。


 知っていたはずだった。分かっていたはずだった。でも言葉にしたことはなかった。


 言葉にされるのがこんなに辛いなんて思いもよらなかった。軍人が任務中に感情を制御しきれなくなるなんて軍人失格である。


「私はただの風邪ですが、どうしてそう思われるのですか?」


 アリステルは穏やかな口調のまま、ポーラに尋ねた。


「中佐の戦い方を見ていて違和感を覚えたんです。奇遇なことに、その違和感には心当たりがあります。高い能力を有している者が、日を追うごとにその能力を失っていく。そんな感じがしました。戦闘するとき、ヒトはイメージを頭に浮かべて身体を動かします。頭の中に浮かぶ、普段なら問題なくできるはずの戦いのイメージ、それを現在の自分の肉体で実現できない。中佐はそういう状態にあるのです」


 目を向けていられなくなったラシードは全員に背を向けた。


「そして、自他覚症状の中で最も分かりやすいのが硬化症状。時折、身体を自由に動かせなくなる。今さっき体勢を崩したのも、攻撃を受けたのでもなければ、熱で朦朧としてふらついたのでもない。脱力によって倒れそうになっていました。今までも何度か同じような場面を見ましたが、今日はちょっと派手でしたね」

「明日には元に戻りますよ」


 静かに穏やかに交わされるアリステルとポーラの会話。アリステルの声色を聞いても、立ったまま薄く笑う姿を見ても、普段通りとしか思えない。ワイルドハントだって、このアリステルを見たらそう思うはずだ。それなのに、皮肉にもアリステルを支えるべき部下三人の姿が真実を物語ってしまっていた。


「今日はもう戻りましょう」


 残酷なまでに四人を切り刻む言葉を発するポーラの口はようやく閉じられた。

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