第八話 毒壺 二
八話のジバクマ側の主要人物名です。
ラムサス・ドロギスニグ
アリステル・ズィーカの部下。階級は少尉。
アリステル・ズィーカ
アリステル班を率いる班長。階級は中佐。軍医。
ラシード・ヘイダ
アリステル班の班員。階級は大尉。軍医。
サマンダ・シェンク
アリステル班の班員。階級は中尉。軍医。
私達基準で毒壺突入から二日目の朝、ポーラは昨晩と同様、構成員に食事を食べさせる。
食事を必要とするのはポーラを除けば四体。数は昨日と変わらない。この四体は毎回同じなのだろうか。
まだ構成員の見分けがつかない中、どの構成員が食事を取っているのか一度に覚えるのは難しい。ワイルドハントの中で最も背が高い一体は食事を提供されていた。暫定的にこいつは「背高」と呼ぼう。取り敢えずそれだけは忘れぬように記憶する。
ワイルドハントとアリステル班の朝餉が済んだらダンジョン探索再開だ。夜の間に死骸が消え去っていたセーフティーゾーンを後にして中層へと足を伸ばす。
セーフティーゾーン傍は綺麗な道が続いたが、最初の岐路が近付いてくると、死骸が見られるようになってきた。まだ死んでから間もない、ということだろう。
「別れ道は虱潰しにしていません。ここからは魔物が出現すると思います。皆さんの背後から現れるかもしれません。油断されぬように気をつけてください。ああ、あと勉強と言っていましたが、見て学ぶばかりではなく、皆さんも少しは戦いたいですよね?」
「私達はエルリックの皆さんのように強くはないので、加減していただけると助かります」
アリステルの回答に、分かりました、とポーラが頷く。
ワイルドハントが匙加減を理解しているだろうか。私達の処理能力を超えた大量の魔物を押し付けてくるかもしれない。アリステル班は魔物を一度に大量殲滅可能なスキルや魔法を有していない。相手が一体だけであれば、アリステルとラシード頼みとはなるが、チタンクラスを要する魔物とも渡り合えるとは思う。
岐路の先に伸びる道の一本を進むうちに前方から戦闘の気配が漂い始めた。次々と何かが斬られ、倒れていく物音がする。この物音もまた普通とは異なり、倒される側の音はしても、倒す側であるワイルドハントの動作音らしき音はとても小さく静かだ。戦闘音として考えると誠に異質である。
私が訝っていると、不意に前方から何かが飛んできた。アリステルとラシードの前に落ちたそれは、昨日ワイルドハントが食べていた芋虫だった。まだ生きている。昨晩土鍋の中で見かけた一匹よりもずっと激しく素早く蠢動していて、肢の短なキャタピラーだてらに飛び跳ねて体当たりでもしてきそうだ。
キャタピラーが攻撃を繰り出す前にラシードが直ぐ様叩き潰す。
こんなのは班の全員誰でも簡単にできる。ワイルドハントは私達がどれだけ弱いと思っているのだ。
キャタピラー一匹を簡単に処理できると分かったためか、今度は数匹同時にこちらに放り込まれる。今度は私とサマンダも加わって、全てを一撃で倒す。毒針毛がある、と言っていたから触れないように注意しなければならないが、それだけである。断じててこずる相手ではない。
キャタピラーの次は成虫が出てきた。赤毒蛾だ。ワイルドハントの間をすり抜けてきた、というよりは、ワイルドハントが上手にこちらに誘導している。キャタピラーが最初に投げられてきたときと同様に一匹だけ押し付けてくるあたり、順を追って私達の力量を見極めよう、という目論見のようだ。
レッドモスは羽ばたくだけで毒鱗粉が撒き散らされる。距離や立ち位置、風向きに注意して戦う必要がある。
「大丈夫、解毒できる」
アリステルにそう言われ、ラシードがレッドモスの前に出る。
毒鱗粉が怖いだけで、それ以外に強力な攻撃手段も堅固な防御手段も持たない魔物だ。防御力なら、むしろキャタピラーのほうがよっぽど固い。
剣の間合いを活かしてラシードはあっさりと一撃でレッドモスを斬り払った。
魔物の追加は前方からどんどん来る。ラシードだけでは手が足りない。全員で殲滅を開始する。
その後は、一匹ないし一体一体順番ではなく、途切れることなく次から次に魔物が流れてくる。私達が魔物と繰り広げている以上に激しい戦闘が、ワイルドハントの先頭では繰り広げられていることだろう。
そして倒すべき魔物は倒しながら、こちらに流す魔物の種類と数を完全に掌握している。少し考えるだけで分かる事実の一つ一つがワイルドハントの強さを再認識させる。
また一体の魔物がこちらに飛ばされてきた。アリステルとラシードが身構える。
新しい魔物はハンターマンティスだ。あの魔物は、毒は無いはずだが、カマによる純然とした攻撃力がある大きい蟷螂だ。
ラシードがハンターマンティスににじり寄り、間合いを少しずつ詰めていく。カマの間合いに入ったところでハンターマンティスが先手を打ってきた。ラシードは重心を落とし、剣を上手く使ってカマを受け流す。そのままハンターマンティスの懐に入り込み、無防備な魔物の身体を両断にした。
ダンジョン内に出てくるハンターマンティスということで緊張させられたが、今の攻防を見る限りだとフィールドに出てくるハンターマンティスとさして強さは変わらない。サマンダでも問題なく倒せる。
その後、何体か投げられてきたハンターマンティスを全て倒すと、最後に青毒蛾が一匹飛んできた。レッドモスの上位種で、広げた羽の長さは人間の身長程にも達する大きな蛾だ。
「あれはかなり固い。それ以外はレッドモスと変わらない」
アリステルがラシードに助言する。ラシードはレッドモスを倒したときと同じ間合いまで近付くと、バッシュを放って一撃で仕留めた。
「皆さんお強いですね」
ブルーモスを最後に、こちらに流れる魔物がピタリと止まり、代わりに笑顔を浮かべたポーラがやってきた。
「これだけ強いなら、こんな浅い所で時間を無駄にする理由は無さそうです。この辺りの弱い魔物はこちらで全部倒しておきます。探索速度を最優先といたしましょう」
それだけ言ってポーラがワイルドハントの後尾に戻っていく。
戦闘開始からパーティー移動の足がほぼ止まっていたワイルドハントは、再び移動を始める。私達もそれに付いて行く。
しばらくワイルドハントの先頭集団が戦っていたと思われる地点には、魔物の死骸が山となって積もっていた。死骸の山を抜けた先の道にも死骸は無数に転がっている。ただし、昨夜の上層のような膝まで積もるほどの夥しい量ではなかった。
「倒した量が少ない、というより、そもそもの魔物の量が多くない?」
「中層は上層ほどの大量発生には至っていなかったのかもしれない」
魔物の量の違いについて、アリステルも確信に足る前提知識はないようだ。ダンジョンにおける大発生とは、ダンジョンの全層で満遍なく起こるものではないのだろうか。
ダンジョンに棲む魔物は、深い層にいる個体ほど強いと相場が決まっている。下層に蔓延る強力な魔物が大量発生してダンジョンから湧き出てくると、どれだけ軍やハンターを動員しても処理しきれるものではないはずだ。しかし、ダンジョン発の大氾濫の際に、超強力な魔物が大挙として人の住処を襲った、という話は聞かない。押し寄せる波を構成する魔物の強さは並かやや強い程度と聞く。
今私達がいるのは中層上部である。中層下部まで潜ると更に魔物の量が少ない、あるいはアウトブレイクそのものが生じていない、ということも考えられる。
アリステル班の戦闘は終了となり、後は何をするでもなくワイルドハントに付いて行くだけになった。ダークエーテルで命を落としたと思われる生きた姿そのままの死骸を避けながら歩き、ワイルドハントの休憩に合わせて私達も休み、また歩く。
中層の岐路一つ一つに足を踏み入れ、ダンジョンに蠢く魔物の群れを一匹残らず殲滅していく。
歩き続けるうちに、いつの間にかセーフティーゾーンに戻ってきた。
「今日はもう終わりにしましょう」
ポーラは本日のハント終了を宣言した。
「かなり早く切り上げるんですね」
アリステルの返事の通り、体感時間はまだ早い。外は夕方くらいではなかろうか。昨日は夜更けまで活動していたことを考えると、今日の活動終了は相当に早い。
「魔物の討伐以外にも我々には色々とやることがあります。もし狩り足りなければお邪魔はしません。皆さんだけでどうぞ」
ポーラはそう言って昨日の野営跡に腰を下ろし、他のワイルドハント達と何やら作業を始めた。
狩り足りなければ、とは言ってくれるが、私達だけでダンジョンの大発生に対応することは不可能である。うっかり未探索エリアに足を踏み入れて、ワイルドハントが倒していた量の魔物に一斉に襲い掛かって来られた場合、抵抗虚しく圧殺されてしまうことにしかならない。
「今日は時間も体力もある。せっかくだし、座学と訓練の時間に充てることにしよう」
アリステルの放った、訓練、という単語が私達の身体を固くさせる。
まあ、そうなるだろう。私達は各員、十かそこらの雑魚の魔物を倒しただけで、後はワイルドハントの後方という危険そうでいて安全な場所を呑気に歩いていただけ。身体は全く疲れていない。訓練時間を設けられるのは自明の理だ。
アリステルは、「訓練より先に講義にしようね」と言いながら、黒板代わりにするため地面を整えていく。
「はいっ、はいはいっ!!」
一体どうした、ということか、喜色満面のポーラが向こうで手を挙げている。
「何でしょうか、ポーラさん」
アリステルがポーラに応える。
「我々にも知識を授けていただける、というお話でしたよね。中佐の講義を是非拝聴させてください」
「ええ、もちろんどうぞ」
アリステルが承諾すると、ポーラ他ワイルドハント二体がこちらにやってきた。
ポーラだけではなく他のワイルドハントまで一緒に聴講するのか……。てっきりポーラ一人が参加するものと思っていた。
ワイルドハントは情報魔法で繋がっているはずなのに、なぜこの二体も聴講しようというのか。この二体は情報魔法で繋がっていない、とかそういうことなのだろうか?
一体は、朝に私が記憶した「背高」だ。
もう一体は……まだ見分けがつかない一体だ。分かりやすい見た目の特徴はこれといってない。何か一体一体に個別の特徴を持たせてほしいところである。
「先生。板書にはこれを使ってください」
背高は土魔法でアリステルが書き込みやすい高さに板を作り上げた。その板をポーラが両手で恭しく示す。
何も喋らぬ背高と、わざとらしいまでにハキハキと喋るポーラを見ていると、背高が操者、ポーラが人形の腹話術を見ているかのように錯覚する。
「表面は簡単に傷がつくようにしてあります。こちらを使って文字を書いてください。教鞭にはこちらをどうぞ」
背高は更に板書用の筆記具と教鞭を作り、それを手に取ったポーラがアリステルに畏まって謹呈する。
少しばかりの演技っぽさはあるけれど、ワイルドハントはきちんと、教えを請う者の姿勢になり、指導者であるアリステルに対し礼を尽くしている。
背高は土魔法を行使させるために呼んだのだ。では、ポーラは土魔法を使えない、ということか。振り返ってみても、ここまでポーラの魔法らしき魔法も戦闘風景も目にしていない。
ワイルドハントを加えた六名でアリステルの講義に耳を傾ける。
アリステルが教えてくれるのは専ら医学講義だ。最初のうちは分かりやすいのだが、途中から徐々に専門用語が入ってくる。専門用語の意味についても一通り説明してくれるものの、用語の種類が多すぎてとても覚えきれたものではない。
ラシードやサマンダと違って私には軍医としての基礎知識が無い。アリステルはそれを知っているから、導入は易しい説明を心掛けてくれる。折角心遣いをしてもらっているというのに、専門用語が増え、内容が高度になってくると、私は途端に理解不能になる。
ラシードとサマンダも苦労はしているようだが、私と違ってそれなりに内容を理解している、というのが横に居て分かる。
そもそもこの講義はラシードとサマンダのためのものであり、私に向けたものではない。ラシードとサマンダは、疑問を抱いたときや内容を理解できない場合は、アリステルに質問する。質問し、アリステルの答えを聞いて理解を確かなものに変えていく。
私は理解できなくても質問ができない。してはいけない訳ではない。質問すればするだけ、ラシードとサマンダの学ぶ時間を削ることになるからだ。だからしない。
アリステルが黒板上と講義空間にギッシリと並べ上げていく大量の専門知識の中から、もしかしたら将来自分を助けてくれるかもしれない知識の欠片だけを摘み上げ、それを頭の中にひっそりと書き記していく。そんな時間だ。
一緒の時間を過ごしながらも私だけは仲間外れ。でも、勉学に打ち込むラシードとサマンダの横顔を見るのも、熱心に教鞭を揮うアリステルを見るのも嫌いではない。むしろ、任務に忙殺される日々の中、少しだけ穏やかな気持ちでいられる、私の好きな時間の一つだ。
……だったというのに、その私の大切な時間をワイルドハントが台無しにする。
全部ポーラのせいだ。
ラシードやサマンダが質問をするのを見て、ポーラもアリステルに質問をする。
ポーラの質問は、ラシードやサマンダとは異なっている。理解の及ばなさ故に生じる疑問を投げかけているのではない。アリステルが講義する題材について、より突っ込んだ部分を説明しろ、とか、あるいは具体的な例を提示して実践的にはどうするのか、ということを問うてくる。
お飾りのように座っているだけの私とは全く違う。ポーラはラシードよりもサマンダよりもアリステルの講義を理解している。
ポーラはもしかして医者なのだろうか。
ポーラのせいで、今まで感じることのなかった疎外感が一気に押し寄せてくる。
私だけが話についていけない。ワイルドハントですら理解している内容が分からない。
その日のアリステルの講義は人生で一番長く感じられた。私は座学終了後の訓練にも身が入らず、サマンダに後れを取る始末だった。
夜、少し自棄になった私の下に不思議な情報がもたらされたものの、今の私にそれを構い、咀嚼して理解する余裕など無いのであった。
◇◇
翌日からダンジョンの探索速度が急激に引き上げられた。私達はあまり戦闘をせず、兎に角探索エリアの拡大に努めてワイルドハントはどんどんと前に進んでいく。たまに強い魔物の個体がいると、ワイルドハントはその個体をこちらに流してくるから、退屈しのぎと訓練代わりにそれを倒す。
岐路という岐路全てから伸びる道の魔物討伐を行い、あっちへ行きこっちへ行きしているうちにセーフティーゾーンに戻ると、今度はワイルドハントと座学を受け、アリステルの厳しい訓練に身を置く。数日間、そんなことを繰り返した。
いつものように中層を進み続けるある日、何かが変わった。ダンジョン内に漂う空気の質が変わった、とでも表現したらいいだろうか。空気の変化を具体的に言い表すことはできないのだが、明らかにそれまでとは雰囲気が違う。
「班長、なんか変じゃないですか?」
ラシードがアリステルに尋ねる。
「多分、今僕達がいるのは中層の奥の方、中層下部だ」
一体、どのあたりから中層下部に入っていたのだろう。今日はセーフティーゾーンを出発すること数時間、既に岐路をいくつも越えている。どこまでが中層上部で、どこからが中層上部なのか、私はよく分かっていない。気付いたら空気が一変していたのだ。
「拙くないですか? このままだと食糧と水が……」
ラシードは昨日アリステル班の会議で話し合った問題を再提起する。
上層と中層の間に位置する第一セーフティーゾーンからリレンコフの街に戻ることは、私達の独力でも難しくない。なにせ、私達が毒壺に到着する前にワイルドハントが魔物の大半を討伐してあるのだ。難しいどころか、至って容易な話である。
しかし、中層下部に入ったとなると話は違う。中層上部まではダンジョンの構造的に奥に進むのが難しい。それが一転、中層下部に入ると今度は入り口に戻ることが難しくなる。しかも、道中に出現する魔物は中層上部よりも格段に強くなる。
中層下部に突入する旨の発言をポーラは全くしていなかった。行動計画を私達にしっかりと説明してくれる連中ではなかったが、最も望ましくないタイミングで中層下部に突入してくれたものだ。
「ちょっとポーラさんと話してみよ――」
アリステルがそう言いかけたところで前方から魔物が飛んできた。連日倒してきたハンターマンティス、その青い個体。ブルーハンターマンティスだ。
「ラシード、二人でかかるぞ」
アリステルは今まで以上に真剣な表情で魔物に剣を向ける。それだけブルーハンターマンティスが強い、ということだ。
ラシードとアリステルの二人が連携して左右からブルーハンターマンティスに剣を撃つ。
中層上部のハンターマンティスとは別格の動きを見せるブルーハンターマンティスだったが、左右両側から撃たれるラシードとアリステルの剣の前には手数が及ばず、次々に傷を刻み込まれて案外呆気なく骸に変わった。
この二人ならば中層下部の魔物を危なげなく倒せることが分かり、少しだけ安心する。
「ポーラさん、ちょっと待ってください」
ブルーハンターマンティスの絶命を確認したアリステルは急いでワイルドハントの最後尾にいるポーラを呼ぶ。
「ん、どうしました?」
「実は私達の携行する水分と食糧が減ってきています。そこで補給のため、一旦リレンコフまで戻ろうと思うのですが……」
「そうなんですね。ではお気をつけて」
ポーラはあまり興味が無さそうに返事をすると、笑顔で手を振ってワイルドハントの後尾へ戻ろうとする。
「待ってください」
アリステルが追い縋る。
「お恥ずかしい話、この辺りまで来ると魔物は私達にとってかなり手強く、街からダンジョンに戻った時にエルリックの皆さんと合流できるか分かりません。ご一緒にリレンコフまで戻ってはいただけませんか?」
軍に状況を報告するのも私達の任務だ。飲食物がなんとかなっても、必ず定期的に街に戻らなければならない。その間、ワイルドハントを野放しにするのは避けるべきである。
「魔物が強い……? 貴方方からすればそうでしょうね。それで、街に戻る度に毎回我々にも付き合え、と言うのですか」
「大変申し訳ないのですが、お願いできませんか?」
ポーラはアリステルに感情を伴わない微笑みを返した。この笑顔は……
「イヤです」
ポーラの浮かべる笑顔は、あからさまなまでにハッキリとした作り笑顔だった。
「ジバクマにとってはスタンピードさえ防げればそれでいいのでしょう。しかし、それは貴方方の事情であり、必ずしも我々には関係がない。我々にとっては国の公認の下、ダンジョンに挑戦すること自体が魅力的な話であり、だからこそ応じた契約です。貴方方のお守りに付き合ったのはただの気まぐれ……。街まで戻るとなると、かかる時間が今までの比ではなくなる。そんなものに付き合うつもりは毛頭ありません。一緒に来るのでしたら、水も食料も分けてあげます。帰るのでしたら貴方方だけでどうぞ。運が良ければ、一人くらいは地上に到達できるかもしれませんよ」
運が良ければ? それはどういう意味だ。
「班長!!」
考える間もなく、サマンダの悲鳴のような叫び声が上がる。
振り返ると、今しがた私達が歩いてきた道の後方から、ブルーモスの大群が飛んできているではないか。気配察知に優れたサマンダが真っ先に気付いたのだ。
「くっ……。話してる場合じゃないか」
アリステルとラシードがブルーモスの前に躍り出る。
ブルーモスの数は多い。十や二十どころではない、大量の青い恐怖が鱗粉という名の毒を撒き散らしながらこちらに迫ってきている。被毒を避ける倒し方など考えている余裕はない。兎にも角にも数を減らさなければならない。二人がそれぞれ別のブルーモスに剣を振り下ろす。
アリステルは一撃でブルーモスを倒した。だが、ラシードはバッシュまで使ったというのに一撃ではブルーモスを仕留められなかった。このブルーモス、中層上部に出現した個体よりも強い!
ブルーモスは一度地面に叩き落されながらも、再びバタバタと羽ばたいて空中に舞い上がる。ブルーモス達の狙いは、私達と戦うことではない。ただ、前へ前へと進もうとしているだけだ。
ブルーモスにしてみれば場所移動でしかなくとも、私達にとっては有害極まりない行動だ。ブルーモスを放置した結果、好き放題に毒鱗粉を撒き散らされては、換気のよくないダンジョン空間で私達は呼吸もままならなくなってしまう。ここは一匹残らず殲滅するつもりで戦う!
ラシードの横を通り抜けてきたブルーモスに私はバッシュを放った。二撃目の剣を受けてブルーモスはようやく動きを止める。しかし、討伐したのはたったの二匹。道の奥からは次から次にブルーモスがやってきている。
アリステルとラシードの二人では全くその量は防ぎきれず、何匹ものブルーモスが二人の横を、真上を飛んでいく。いつまでも呼吸を止めて戦い続けることはできず、鱗粉を吸い込んだ二人は苦痛に顔を歪めている。
こちらに飛んできたブルーモスに私とサマンダも必死に対応する。一匹だけなら私やサマンダでも何とかなるブルーモスであっても、この数だ。全てを倒しきることはできずに、ついに一匹のブルーモスに私達の頭上スレスレを通過されてしまう。鱗粉は私達の身体の上にこれでもか、というほど大量に降りかかる。
アリステル班を素通りしたブルーモスはポーラのほうに飛んでいく。
ワイルドハントはどうだっていい。前の二人はどうなっている!?
見ると、アリステルはブルーモスに、通過点ではなく獲物として認識されてしまっていた。
何匹ものブルーモスがアリステルの身体に取り付いて、凶悪な口吻を装備の隙間に突き入れている。
アリステルは振り払いきれず、ついに膝を地についた。
「班長!!」
怒声を上げるラシードも自分のことで手一杯であり、とてもアリステルに助けの手を伸ばす余裕などない。
はっ。
鼻で笑う声が後ろから聞こえた次の瞬間、一体のワイルドハントが目にも止まらぬ速さでこちらに近付いてきた。そのワイルドハントは走ったまま足を止めることなく剣の間合いに入ったブルーモスを全て一撃で斬り払っていく。流れる水が如く鮮やかな動きでブルーモスを倒すワイルドハントは、アリステルに集る大量のブルーモスも瞬時に膾とした後、後方から飛来し続けるブルーモスを鏖殺していった。
やっと自由に動けるようになったラシードがアリステルに駆け寄って解毒魔法をかける。青い顔をしていたアリステルに、徐々に血の気が戻っていく。
「ごめんごめん、ラシード。もう大丈夫」
ラシードを手で制すると、アリステルは自らデトキシファイを使い始めた。
「僕は大丈夫だから、みんなも自分を回復して」
ラシードもサマンダも自分自身にデトキシファイを使い毒を癒す。解毒魔法も回復魔法も使えない私は肌、喉、気管を灼く毒の痛みに耐えながら、班員が自分自身を癒し終えるのをじっと待つ。
少しすると、本当に自分の身体から毒を除き終えたのか怪しいラシードが私の所へ来てデトキシファイを使い始めた。
ラシードのことだ。アリステルの目が無かったら、自分を癒す前に私を癒し始めたことだろう。それをやると優しいアリステルといえどもさすがに怒る。
回復魔法には優先順位というものがある。今回のように回復魔法をかける時間的余裕がある場合、回復魔法の行使者を先に癒すのが基本だ。他者を助けようとして回復魔法の行使者が先に倒れてしまっては共倒れになってしまう。これで、私とラシードが同時に死にかけていて、明らかにどちらか片方にしか回復魔法をかける時間がない、という場合、能力の希少さから私が優先される。
優先順位は状況によって異なる。適切に判断できなければ上官から大目玉を食うことになる。
「皆さん。まだ命懸けで地上に戻りたいですか?」
全滅の憂き目に遭いかけ、命からがら回復を終えた私達に、白けた顔でポーラが話し掛けてきた。
抜け抜けとよくそんなことが言えたものだ。
ポーラに向ける目に、つい憎悪の感情が篭ってしまう。
「ドロギスニグ少尉は何か言いたいことがあるようですね。先に言っておくと、あのブルーモスは我々が招き寄せたわけではありませんよ。ダンジョン内を平常通り生きていただけの、通りすがりのブルーモスの群れでしょう。それに襲われて全滅しそうになった貴方方を我々は助けた。感謝こそされても、恨まれるようなことはしていないと思いますが、少尉はどのように考えます?」
ポーラはブルーモスとの関与を否定しているが、真相など分かったものではない。人間では嗅ぎ取れない臭い袋でも使っておびき寄せたのかもしれないし、リッチお得意のドミネートを使って全部操っていたのかもしれない。
「私は何も……」
心の中に山ほどある言いたいことをぐっと飲みこむ。
「そういう目には見えませんが、いいでしょう。話を戻します。進むも退くも貴方方の自由です。ここに留まると言うのもね。我々は先に進みますので、お互いの幸運を祈りましょう」
ポーラは私達に背中を向けた。置き去りにするつもりだ。
「ポーラさん! 私達は……エルリックの皆さんに付いて行きます。どうか私達をお守りください」
自力脱出が不可能と判断したアリステルはワイルドハントに慈悲を請う。私達のためにアリステルはこんな屈辱を味わわされている。昨日の時点で補給帰還の判断を下していれば……いや、それでも遅かれ早かれこうなっていたのか……
ポーラは頭を垂れるアリステルの様子を不可解な表情で見ている。憐れんでいるのでも見下しているのでも冷笑しているのでもない。ポーラは悲しげな、寂しそうな顔でアリステルを見ていた。
「付いて来るのは自由です、と言いました。一緒に来るのであればそれなりに守ってあげましょう。ただし、それも我々自身が危うくならない範囲でのことです。こちらの身が危うくなれば、貴方方は真っ先に切り捨てられる存在であることをお忘れなく。ああ、その場合でも、どうぞ自分の非力さを恨んでくださいね。我々を恨むのは筋違いですよ」
冷酷に言い放つポーラに悄然さは全く無くなっていた。
私はそれを背筋が凍るような思いで黙って聞いていることしかできなかった。
旧ビルベイ邸でアリステル達は、きっと今と同じような恐怖を味わったのだろう。
「空の水筒があったら出してください」
何の脈絡もなしに、ポーラは水筒の提示を要求した。
何をしようというのだ。
ポーラの意図が分からず、四人で顔を見合わせる。
「水筒って知りません? 水を入れて持ち運ぶ容器のことです」
ポーラは少し困った表情で、水筒という言葉の意味を説明し始めた。
そんなのは知っている。それをどうするのかが問題なのだ。空の水筒はあるが、ポーラに差し出すのは躊躇われる。
誰も自分の水筒を取り出さずにいる中、意を決したラシードが懐から空の水筒を取り出した。
「水を満たすだけのことです。あんまり勿体ぶらないでくださいよ」
ポーラはラシードが手に持った水筒を受け取ると、水筒の口を開け、しげしげと蓋、それに本体内側を観察する。
これ、清潔なのかなー、とボソっと言った後、一体のワイルドハントがポーラに近寄ってきて、水魔法で水筒に水をかけ始めた。
「ちょっと、何やってるんですか!?」
ラシードがポーラに問い詰める。
「何って、洗ってるに決まってるじゃないですか。汚れた容器に水を入れると、その水も汚染されるんですよ」
ポーラはいつの間にか手にブラシのようなものを持っている。それを使って水筒の中や口の部分、蓋までごしごしと洗い始めた。
「さ、こんなのは何でもない作業です。歩きながら行いましょうね」
ワイルドハントが移動を始める。私達もそれに従って後ろを付いて行く。
ポーラは水筒をしばらく擦り洗いしたあと、水筒を振って水気を切り、洗い上がりを確かめる。洗い上がりに満足すると、綺麗になった水筒を、前を歩いているワイルドハントへ投げ渡した。
「ちょっと!! 今度はどうするんですか」
自分の水筒をやりたい放題されているラシードが再び抗議する。
よく抗議できる……。怖くないのか?
「一々うるさいなあ。見える汚れは落としたんで、今度は瘴気に曝して見えない汚れまで落とすんですよ。消毒です、消毒」
ヒエェッ!! とラシードが、どこから声を出したのか、と思うような奇妙な絶叫を上げる。
「何て声を上げてるんですか。ヘイダ大尉は瘴気を魔物の毒腺から出ている毒物と同一視でもしているのでしょうか? それだとズィーカ中佐が悲しみますよ」
アリステルが悲しむ? なぜ?
「すみません。瘴気にあてられた者の症状とか治療は分かりますが、水筒に使うなんて聞いたことがないので、教えていただけませんか」
水を向けられたアリステルもポーラが言わんとすることの意味が分からず、素直にポーラに尋ねている。
「我々が用いているのは物性瘴気ではありません。魔力で作り出した魔性瘴気です。物性瘴気も魔性瘴気も、その素性によって特性はまるで異なります。我々がダークエーテルと呼んでいる魔性瘴気は、魔力の供給をやめることで消え去り、人体への害は一切なくなります。物性瘴気と違い、残留して毒性を発揮することはありませんのでご心配なく。水筒でも食器でも医療器具でも、生命持たざる物には安全に消毒に使えますよ」
ポーラはすらすらと口上を述べる。
辻褄は合っている……のか? それらしい嘘を並べ立てて逸そうとしてはいないだろうか。瘴気のことなど詳しく学んだことのない私には、ポーラの述べている内容が説明の体を成しているのか、あるいは口上の端から端までまるっきり嘘なのか判断がつかない。
無学な私は別にしても、アリステル達三人は、甚く合点がいった、という風に首肯している。案外、無謬な説明なのかもしれない。
水筒を瘴気に曝露した後、ワイルドハント二体がラシードの水筒を持ったままアリステル班の後方へ回り込む。
今度は一体何をするのだろうか。
興味半分、恐怖半分で見ていると、ワイルドハントは水魔法で大きな氷柱を作り上げた。そして、出来上がった氷柱の先にラシードの水筒の口を宛がい、クレイクラフトによって作り上げた器具で水筒と氷の位置関係を固定していく。どうやら水滴を集めて水を溜める算段のようだ。
氷も水も、魔力で出現させたものはいずれ消え去る。だから魔法の水は、洗い物には使えても、飲んで水分補給する用途には使えない。魔法を用いる用いないにかかわらず、結露を利用した水分確保は、任務中にしばしば使われる手法だ。
「水の集め方は分かりましたが、どうして後ろに回り込んだんですか」
ワイルドハントの行動一つ一つにそれなりに了解可能な理由があることを知ったラシードは、今度は語調を荒げることなく落ち着いて質問する。
「それは……」
ラシードが穏やかに尋ねたというのに、ポーラはこちらに目を合わせず、渋い顔をして言葉の続きを躊躇った。
「大きい氷を使うので、貴方方が身体を冷やさないようにするためです」
ポーラは目を逸らしたまま、口を尖らせて喋っている。その表情は、年端の行かない子供が喧嘩した後、親や先生に強いられて不承不承、謝罪と和解を行ったときを彷彿とさせるものだった。
ダンジョン内は、温暖なジバクマとは思えないほど気温が低い。そこに大きな氷を出現させると、空気は確かにかなり冷え込むことだろう。
ワイルドハントは私達に気を遣って後ろに回り込んだのだ。それを言いたくなくて、ポーラはこんな酸い顔をしている。
自分の目で見るポーラの姿と、能力がもたらす情報の二つを組み合わせ、自分の考えが間違っていないことを私は確信する。
先ほどはあんなに突き放した態度を取って私達を震撼させたというのに、ここではなぜか気配りを見せる。ワイルドハントの行動は、全くもって謎に包まれている。




