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第七話 毒壺 一

 毒壺が近付くにつれ、辺りに刺激のある異臭が漂い始めた。


「何だろうか、この臭いは?」

「以前は、このような臭いはしなかったのですが……」


 アリステルの呟きに、憲兵の指揮官がそう答える。ワイルドハントが何か薬品でも使ったのだろうか。警戒を高めながら更に毒壺の入り口に近付いていくと、異臭はますます濃くなっていく。同時に、謎の黒山が視界に入り始めた。


「何だろう、あの黒山は。あれも前は無かった」


 その黒山こそが異臭の根源だった。それはうず高く積み重ねられた虫と小さい爬虫類系の魔物の死骸だった。死骸の山は、目測だと三階建ての建造物以上の高さがある。その高い集積物が、まるで塀のように左右に整然と毒壺の入り口まで伸びていた。


「うぅ、吐きそう……」


 サマンダが気持ち悪そうにしている。強すぎる異臭は私にも息苦しさを与えている。不快感が苦しいように思わせているのか、臭いの中に催吐成分が含まれているのか分からないが、班員も憲兵も誰ひとりとして心地よく呼吸している人間はいない。


「これ、全部エルリックがやったんだろうか」

「こんな小さい虫の一匹一匹、人の手で倒していたら何年かかるか分かったものではないですよ、班長」


 虫も爬虫類も全て死骸、紛れもなく死んでいる。死んでいる、ということは、何らかの方法で殺した、ということである。それなのに死骸はどれも原型を留めていて、臭いこそ放つもののあまり汚くない。どうやってこの虫と魔物たちを倒したのだろう。


「死骸を放置すると、疫病の原因になるかもしれません。ちゃんと処理をしなければ」


 アリステルが憲兵の指揮官と協議する。


「火でも放ちますか?」

「燃やすのは一案です。ただし、毒壺の入り口から離す必要があります。燃やして生じた瘴気が毒壺内に回ってしまうと、私たちが入っていけなくなりますからね」

「それでは人手を集めて、この死骸を運ぶとしましょう」


 憲兵の指揮官が死骸処理に必要な人数の試算を始めた。




「おや、ズィーカ中佐とドロギスニグ少尉ではないですか」


 ダンジョンの入り口から、あの声が聞こえた。まるで街角で偶然会ったかのような気安い声だった。


「たくさんお揃いで、どうされたんですか?」


 ワイルドハントがぞろぞろとダンジョンの入口から出てくる。その小集団の中から、少し小柄なローブの人物が先頭へ出てきてフードを外す。


「ポーラ様、この死骸の山は貴方方(あなたがた)が?」

「ええ、もしかして殺さないでほしい種類の魔物でもいましたか?」

「いえ、そうではないのですが……。エルリックの方々はいつ頃こちらに到着なさったのでしょう?」


 ポーラは顎をさすり記憶の糸を手繰る。(ひげ)を蓄えた男性がやりそうな仕草だ。別に女性であっても顎をさすることはあるが、何故だか妙な感じがする。


「うーん、確か三日くらい前ですかね。別に日付は数えてないのでハッキリとは覚えてませんが」


 三日前? それだとジルの遣わした早馬がリレンコフに着いた日とほとんど変わらない。本当に夜通し走ってきたのだろうか。アンデッドはともかく、ポーラも?


「うわー、結構臭いがきついですね」


 ポーラは死骸の山が漂わせる悪臭に顔を(しか)めて鼻をつまむ。これはお前たちが仕出かしたことの結果だ。


「ええ。死骸の山は、移動して焼却しようと思います」

「ああ、だから大人数でいらっしゃったんですね」


 ポーラは私たちが小隊と共にここを訪れた理由を勝手に決めつけて自己完結した。


「我々はこれからリレンコフへ行って買い物をする予定です。リレンコフは初めて訪れる街なので、どなたか街に詳しい方に案内してもらうことはできますか?」


 ポーラはアリステル班ではなく、男の多い憲兵団へ顔を向けて可愛らしい弱り顔でおねだりを始めた。あざとい。サマンダと同じものを感じる。


 見れば、ワイルドハントはかなりの荷物を抱えている。毒壺で得た戦利品をリレンコフで換金するつもりのようだ。


 私たちは私たちで死骸処理の準備を整えに街へ戻る必要がある。ワイルドハントと一緒に全員で街まで戻り、憲兵から街の案内役をワイルドハントにひとり出してもらった。残りの人員は処理に必要な道具を抱えて、毒壺入り口に舞い戻る。


 ダンジョン探索に先立ち、思いがけず清掃作業をさせられることになってしまった。ワイルドハントによって引き起こされる未来というのは予測できないものである。


 この場所の清浄を保つのはリレンコフの住民のためだけではなく、ここをしばらく出入りすることになる自分たちのためでもある。つまらない不満は忘れ、完璧にこなすことにしよう。




 それなりに意欲を持って清掃作業を開始するも、死骸の山は一向にその量が減らない。小隊の人員も不精せずに真面目に取り組んでいるというのに、だ。


 シャベルで死骸を(すく)い、台車に移し、ダンジョン入り口から数分離れた場所まで運び、そこに新しい山を作っていく。延々その繰り返しだ。毒のある魔物ばかりだから、死骸といえども触れないように注意しなければならない、という点が作業効率を少なからず悪化させる。


 運んでも運んでも減らない死骸の山。吹き出る汗。吐き気を催す悪臭。


 この死骸処理はいつ終わるのだろうか。それを考えるだけで気が遠くなる。




    ◇◇    




 終わりの見えない単純労働に黙々打ち込んでいると、街での用事を済ませたワイルドハントが戻ってきた。


「皆さんまだ作業をされていたんですね」


 ポーラが作業の様子を眺める。


「これでは何日経っても終わらないでしょう。我々も参加いたします」


 そう言うと、ワイルドハントは毒壺の入り口より伸びた道の真ん中から憲兵たちを除け始めた。


「この直線にコンベヤーを作ります。そのコンベヤーに次々死骸を投入していきましょう。そしてコンベヤーの終点には死骸焼却用の簡易な炉を作ろうと思います。どなたかには火の管理をしていただくことになりますが、よろしいでしょうか?」

「コンベヤーを作るとは、どうやってでしょうか」


 アリステルがポーラに尋ねる。


 私たちはコンベヤーを作る材料など持参していない。ワイルドハントもそんな道具を持っているようには見えない。


「こうやってです」


 ポーラが言うが早いか、ワイルドハントたちは一斉に魔力を溜め始めた。チャージ開始後、直ちにワイルドハントの目の前に土魔法によるチェーンコンベヤーがみるみる形作られていく。


 驚いている暇もないほど短時間のうちに立派なコンベヤーが私たちの前に完成した。


「この轆轤(ろくろ)棒を回すとエプロン部分が進みます。皆さんここにじゃんじゃん死骸を投入していってください」


 コンベヤーを完成させると、ポーラは勝手に現場を仕切り始めた。


「素晴らしい土魔法を使える方が隨分多いんですね」


 アリステルがワイルドハントの魔法に賛辞を呈する。世辞ではなく、心からの驚きと称賛がそこに込められている。


 アリステルの言うとおり、このワイルドハントの構成員大半は土魔法に相当長けている。クレイクラフトでここまで見事な物品を制作するのは難易度がとても高かったはずだ。実用性を伴っているかどうかはこれから使って確かめなければならないにしても、外見的にこのコンベヤーは業務用途の製品として売り物にできそうなほど完成度が高い。


「ちょっと動かしてみてもいいですか?」


 ラシードが動作の具合を確かめようと、コンベヤーの取っ手(ハンドル)に手をかけて力をこめる。だが、取っ手はこれっぽっちも動かない。


 ラシードは顔を(しか)めると、腕捲りをするようなポーズをとり、腰を入れて本気で取っ手を回そうと力を込める。


「んがー!!」


 顔を真っ赤にしてうんうん唸りながら押せども引けどもコンベヤーの取っ手はビクともしない。


「この取っ手、ロックでもかかっているんですか? 全然回らないですよ」


 取っ手を回すことを諦めたラシードがポーラに尋ねる。


「両側から回すようにできてますからね。でも、力さえ足りていれば片側からでも十分に回りますよ。単純に力が足りないだけです」


 コンベヤーの両側に二体のワイルドハントが回り込むと、それぞれ取っ手を掴みプーリーを回し始めた。ガチャンガチャンと金属音を鳴らし、コンベヤーが動き始める。


「ほらね? ちょっと代わってみます?」


 取っ手を回す一体が取っ手から手を離し、ラシードが再び取っ手回しに挑戦する。


「お~も~い~」


 ラシードは顔を真っ赤にしながら、枯れた声を上げ、取っ手回しが如何に重労働なのかを分かりやすく私たちに教えてくれる。


「こういうのはすぐに疲れてしまう人間よりもアンデッドのほうが向いています。取っ手は我々に任せて皆さんは死骸をコンベヤーに投入する側に回ってください」


 ワイルドハントは各所に散らばって作業に取り掛かる。どこからともなくシャベルを取り出し死骸を掬って台車に移す者、台車に溜まった死骸をコンベヤーへ投入する者、コンベヤーを監視し土魔法を更新する者、コンベヤーを回す者、打ち合わせもせずに構成員は綺麗にバラけた。


 ポーラだけは何もせずにその場に立ち、私たちに指示を出す。


「これから炉を作るので、火の管理をできる方はコンベヤーの終端に行って焼却作業をお願いします。煙を吸い込んで体調を崩さないように注意してください」


 アリステル班には火魔法を使える者がいないため、憲兵団の小隊側から二人が炉に向かった。


「ポーラさんは何を?」


 サマンダが何の気なくポーラに尋ねる。


「私はここで待機して皆さんとお話しするのが仕事です。何か困ったことがあったら私に言ってください」


 なるほど、これはワーカーとして建設作業をしているときと同じ構図だ。ポーラは仲介役(メディエーター)及び指示役として常に会話可能な状態で待機しているのだ。


 それにしてもワイルドハントは力もあるし疲れ知らずで、こいつらが加わったことによって作業効率が段違いに上がった。小隊がこなす仕事量よりも、ポーラを除いたたった八人のワイルドハントがこなす仕事量のほうがずっと多い。




 コンベヤーができたこと、力の強い手が増えたことなどにより仕事の効率が急激に上がり、死骸の山は徐々にその体積を減らしていった。日が沈む頃には、その残りは僅かとなった。


「皆さーん、もう日が落ちまーす。作業は終了にしてくださーい」


 ポーラが大きな声で全員に作業終了を合図する。作業の手を止めて集合した小隊の指揮官にポーラが謝意を告げる。


「残りは我々が片付けておきますので、皆さんはもうお休みください。死骸の処理のことまで考えずにお手数お掛けしてしまいました。夜のうちに処理は終わるので、明日以降は大丈夫です。今日はありがとうございました」


 ワイルドハントは夜を徹して作業を続けるつもりらしい。


 憲兵の指揮官がアリステルに今後の確認を取りにくる。


 少なくとも毒壺入り口には差し迫った危険が無さそうだし、死骸処理はワイルドハントがいる限り、他に人手を必要としない。


 アリステルが感謝と共にそのことを告げると、小隊は暗くなり始めた道を通って帰っていった。


 笑顔で手を振って見送るポーラに、小隊の男連中は誰しも振り返り、緩みきった笑顔で過剰なまでに大きく手を振って帰っていく。男が如何に馬鹿な生き物かよく分かる光景だ。


「あれ、皆さんは帰らないのですか?」


 その場に残った私たちにポーラが、さも不思議そうな顔で聞いてくる。


「我々も作業を続けます。エルリックの皆さんは、処理が終わったらどうされるのですか?」


 私たちの任務にはワイルドハントの監視も含まれている。できる限りこいつらの行動に目を光らせておかねばならない。


「全部を燃やし終えても夜遅くにはならないと思うので、これが済んだらダンジョンの中に戻ります。第一(サーフェス)セーフティーゾーンから中層の入り口までの魔物は片付けてあるから、セーフティーゾーンまではすぐ辿り着けるはずです。大発生ヒュージアウトブレイクのせいで、足を踏み入れた当初はセーフティーでも何でもありませんでしたけどね」


 屈託のない笑顔でポーラは話す。


「では、私たちもそれに随行いたします。是非勉強させてください」


 アンデッドはともかく、ポーラは睡眠をとるはずだ。私たちもそのタイミングで休息を取ればいい。しかし、もし違ったら……?


 考えだせば不安は尽きないが、とにかくついて行くしかない。置いて行かれると、ダンジョン内で合流できる保証などないのだから。




 小隊がいなくなると、ワイルドハントたちの動きは更に早くなった。日が落ちると活動が活発になるのかもしれない。


 小一時間で死骸の山は綺麗に片付いた。そこから焼却が完了するまでのしばしの時間が小休憩となり、炉から火が完全に消えた後、ワイルドハントは薄暗いダンジョンの中へ入っていく。


 この時間になると、星明りしかない外よりも、構造そのものが仄かに自発光しているダンジョン内の方がむしろ明るい。


 ワイルドハントの後ろに続き、ラシードとアリステルを先頭にダンジョンの中を進んでいく。




 ワイルドハント最後尾を歩くポーラに、アリステルが話し掛ける。


「そういえば、入り口の魔物はどうやって倒したのですか? 魔物の死体はとても綺麗でした」

「ああ、あれですか。あれは既に入り口から溢れて辺りに散らばっていた虫たちを、光や肉の臭いで集めてダークエーテルを展開しただけです。夜通しかかって大変でしたよ」


 他のワイルドハントはともかく、やはりと言うべきか、『大変』と表現するあたりポーラは疲労を感じるのだろう。今更ながら、ワイルドハントにアウトブレイクの処理を依頼して正解だった。今日処理した魔物の死骸の量を考えると、たとえその一部でも人間の生活区域に流れていれば大変なことになっていた。ただの虫とかリザード(トカゲ)ではない。全て有毒生物なのだ。しかも、あの数。人の手で全てを倒そうとしたらどれだけの犠牲を伴い、どれだけの労力と日数を割くことになったか分からない。


「して、ダークエーテルとは何でしょう? 初めて耳にいたします」

「俗に言う瘴気のことですね。我々は自分の魔力で展開する瘴気をダークエーテルと呼んでいます。こちらでは正式な呼び名がありますか?」


 ポーラがさらっととんでもないことを言う。瘴気を出せる、となるとエルダーリッチかデスロードクラスのアンデッド、ということになる。そもそもミスリルクラスやチタンクラスに匹敵する強さのアンデッドなのだから、どの構成員もそれ位のことは押し並べてできると思ったほうがよさそうだ。


「いえ、瘴気、という言い回ししか聞いたことがないです。なにせ人間には使い手のない技術です」

「人間は使えない? あー、言われてみるとそうかもしれませんね。あっ、確認しておかなければならないことがあります。中佐の班の皆さんは闘衣が使えますでしょうか? それを知っておかないと、うっかり皆さんを殺してしまいかねません」


 私たちの生死がかかった問いだというのに、ポーラはまるで好き嫌いでも確認するかのように語調を一切変えることなく話す。脅そうとしているのではない。こちらがその質問にどれだけ動揺するかなど、ポーラは考えてもいないのだ。


「私と横のラシードは使えますが、後ろのラムサスとサマンダは使えません」

「そうですか。ではダークエーテル使用の際、皆さんには離れてもらわないといけませんね」

「ポーラ様は闘衣を使えるのですか?」


 お返しとばかりにアリステルがポーラに尋ねる。報告を信じるならば、ポーラの魔力ははっきりいって弱い。シルバークラス程度しかない。どれだけ覚えの早い者であっても、闘衣の習得にはゴールドクラスの魔力が必要、というのが一般的な見解だ。後衛に身を置いて魔法ばかり練習し、スキルを使ってこなかった者は、プラチナクラスに至っても闘衣を習得できないことがある。


「ふふふ、使えない、とお思いのようですね。私がいることで瘴気を展開できない事態などありえない、とお答えしておきましょう。あと、敬称はいりません。我々はただのワーカーです。呼び捨ててください」


 闘衣を展開できる、とは答えていないが、防御魔法でも瘴気は防げる。闘衣かどうかはともかく、何らかの瘴気の回避方法を持ち合わせているのだろう。


 それにしても呼び捨てしてほしい、か。ライゼンとも初対面で気安く話していた。あまり堅苦しい言い回しは好まないとみえる。


 それ以降、アリステルはポーラのことを「さん」付けで話すようになった。




 魔物の気配がないダンジョンをしばらく進むと、道に一面に敷き詰められるほどの大量の死骸が転がる場所に辿り着いた。


「この辺りはまだ倒してからそう時間が経っていません。死骸がダンジョンに吸収されていないようですね。アンデッド化しないように一応目を通して簡単に処理はしていますが、動き出す魔物がいないとも限りません。一応皆さん用心はしてください」


 ダンジョン内で倒した魔物、あるいはダンジョンで命を落としたハンターも、落命後しばらくするとダンジョンに呑み込まれる。その前提において考えると、外にいた魔物たちもダンジョン内で倒してくれれば死骸処理の手間が省けたというのに……。


 ああ、しかし、あの量を考えると、何よりも先駆けて相当量の魔物を外で倒してからでないと、ダンジョンの入り口を(くぐ)ることすら難しかったかもしれない。




 ワイルドハントは敷き詰められた魔物よりも高くフワリと浮かび上がり、死骸上方をスイスイ歩いていく。あまりに唐突な動きに飛行魔法(フライ)でも使ったのかと一瞬錯覚したが、よく見るとワイルドハントの足元には踏み台がある。ワイルドハントは浮いているのではなく、“足場”の上を歩いているだけだった。


 なんだ、あの足場は? ここまで歩いてきた凹凸に富んだ地面とはまるで違う、踏板のある整えられた小綺麗な足場だ。踏み板の横幅はそれなりにあっても、踏み面長はかなり狭い。踏板を支える脚は、体重を預けるには頼りないほど細い。ポーラを含めたワイルドハントは全員その上を怖がることもなく平然と歩いていく。


 アリステルがおっかなびっくり、といった様子で踏板に足を下ろす。


「見た目よりしっかりしているみたい」

「その足場は我々が土魔法で作った足場です。体重が重い人でも普通にその上を歩く分には支えきれますが、横向きの強い力を加えられることは想定して作っていません。上に乗っておかしなことはしないほうがいいですよ」


 これが建設現場で役立てていた自慢の足場だ。魔物の死骸を焼却する際も土魔法でコンベヤーを作っていた。このワイルドハントは自在にクレイクラフトを使いこなしている。


 さて、どうする? ワイルドハントが作った足場を信頼してその上を歩くか、それとも膝まで埋まりながら毒のある魔物の死骸を掻き分けて進むか。どちらも絶対の安全性などない。全員がアリステルの指示を待つ。


 そうしている間にもワイルドハントはどんどん奥に進んでいく。


「足場の上を行こう。みんな、くれぐれも気を付けて」


 アリステル、ラシード、といつもの順番で足場の上に乗る。一歩目は怖かったが、乗ってみれば何と言うことはない。(きし)むことも揺れることもないただの足場だ。


「さ、遅れないようについていこう」


 少し離されてしまったポーラの背中を追いかける。


 ワイルドハントの先頭はこの足場を作りながら進んでいるのだろうか? 作りながらにしては進行速度があまりにも速い。しかし、ダンジョンから一旦出る前に作った足場だとすれば、半日以上も実体を留めていることになる。氷像魔法(アイススカルプチャー)であろうがクレイクラフトであろうが、魔法の更新無しにそこまで長時間保つとは考えがたい。ミスリルクラスにもなるとそれだけ早く作れるのだろう。




 活動している魔物がいないダンジョンというのは何とも違和感がある。目の前を歩くアンデッド数体を除いて、の話ではあるが。初めて入るダンジョンでさえこうなのだから、普段からここに出入りしているハンターがいれば、格別な違和感を覚えたことであろう。




 ワイルドハントたちは足音無く歩く。アリステル班四人の足音しか響かない閑かなダンジョン内を進み続けるうちに、少し通路の狭まった場所が見えてきた。その狭まった通路を抜けると、広大な空間が目の前に広がる。


「セーフティーゾーンだ。ポーラさんが言っていたとおり、魔物の死骸はここにも大量に転がっている……」


 死骸だらけで雰囲気が台無しになっているものの、元はダンジョンの一服の清涼剤、ハンターにとって無くてはならない休憩場所である。


「今日はここで休みましょう」

「えっ、休むんですか?」


 休息を宣言したポーラに対し、ラシードが間髪(かんはつ)()れずに聞き返す。考えなしに思ったままを言葉にするラシードを見て、ポーラは少し笑った。愛想笑顔ではなく、本心から笑っているように見える。


「私は人間だと言ったじゃないですか。ジバクマの皆さんの間では、このパーティーは全員アンデッドということにでもなっているんですか?」


 ワイルドハントの構成員にアンデッドがいることは(かね)てより自認している。それもハッタリかもしれないが。


「中層はまだ挨拶程度で、きちんと平らげてはいません。生きている魔物がまだまだたくさんいます。一っ走りそれを狩ってきます。皆さんはこちらでゆっくりしていてください」

「狩りに行くのであれば私たちも参ります」


 アリステルが同行の意を示す。


「食材となる魔物を数体狩るだけです。足の遅い皆さんが来ると(かえ)って時間がかかります。食事の支度や寝る場所を確保するためにも、先ほどの続きで申し訳ないですが、掃除していてもらえると助かります。分業ですね、分業」


 そう言い終わるや否や、ポーラはワイルドハントの背中におぶさった。


 あれ、そういえば……。


 アリステルが言いかけた言葉を最後まで聞かず、ワイルドハントは中層の入口へ次々に吸い込まれるように消えていった。




「せっかく合流できたエルリックと離れてしまいましたね、班長」

「僕だけでも付いて行きたかったけれど、聞く耳をもつ感じじゃ無いもんなあ……。すぐ戻ってくるような口振りだったから、こちらは言われたとおりに寛げる区画でも作ろうか?」


 毒壺入り口を清掃した時に利用した掃除道具はダンジョン内に持ってきていない。小隊が全て持って帰った。適当な道具の無い私たちは、武器を使って死骸を押しのけ足の踏み場を少しずつ作っていく。


 掃除中、サマンダが話し掛けてきた。


「さっきは背負われてたね、ポーラさん。旧ビルベイ邸の時はお姫様抱っこだったのに」


 そう言えばあの光景はサマンダも別の場所で見ていたのだった。サマンダの言うとおり、あの時は前抱きで去っていった。目の付け所がサマンダと同じなのは、同性である何よりの証明かもしれない。


 班員四人が荷物を広げて寝られるだけの場所が確保できたところで、ワイルドハントたちが音もなく帰ってきた。現れたのがちょうど顔を上げていたタイミングでよかった。


 何しろこのワイルドハントは足音も気配も無いアンデッド集団である。下を向いて作業に集中していると、真横に来るまで気付かない。いきなり自分の横に髑髏仮面のローブの者が佇んでいたら、心臓が止まらんばかりに驚倒すること間違いない。


 私たちしかいないセーフティーゾーンに気配を消して現れる意味などないのだから、もう少し存在感を出してもらいたいものだ。




「今日のご飯はこれですよー」


 朗笑するポーラが私たちに、見ろ、と誇らしげに一点を指差している。その先にあったのは、ワイルドハントの一体が両手で抱える土鍋であった。


 また別の一体が土鍋の蓋を開けると、中にいたのは禍々しい原色が散りばめられた(おぞ)ましい体色の芋虫(キャタピラー)だった。でっぷりと太った芋虫は、大きな土鍋の底一杯にみっちりとつまったまま、僅かに蠢動(しゅんどう)している。


「これを食べるんですか!?」


 強い拒絶の意思を込めてラシードが反応を呈する。私たち四人の気持ちの代弁だ。よくぞ言ってくれた。


「あっ、お腹が空いていてもまだ触らないほうがいいですよ。ツルンと見えても表面には毒針毛がついています。加熱すると毒は失活するので、先ずは一煮立ちしましょう。表面に熱が通ったら切り分けて、もう一度中までちゃんと火を通します。外部にも内部にも加熱後まで残る毒はありません。口器とかの固い部分以外は全部食べられますよ」


 ポーラのほうもよくぞ質問してくれました、とばかりにラシードに丁寧に食べ方を説明する。


 違う……そういうことが聞きたいんじゃない。


「すみません。見慣れない食材ですし、今日は用意していた保存食もあるんで……」


 アリステルがやんわりと毒芋虫の実食をお断りする。


「そうですか。残念です……。ゲルドヴァでは露店で昆虫食をよく見ましたから、喜んでいただけると思ったのですが……」


 ポーラはとても残念そうにしている。どこにもわざとらしさのない自然な感情表出に見える。それほどまでに私たちに毒芋虫を食べさせたかったのか。ワイルドハントは気色の悪いことを考える。


「我々だけでは食べきれないので、もしお腹が空いたら言ってくださいね」


 ポーラはそう言うと私たちから離れた場所に行き、そこへ土鍋を下ろして調理を始めた。調理スペースはいつの間にか他のワイルドハントの掃除によって綺麗に整えられていた。調理スペースどころか、私たち四人が数十分かけて片付けた面積よりもずっと広い面積が既に虫の触角一本残さず綺麗に掃除されている。ワイルドハントは案外綺麗好きだ。




 私たちは地面に腰を下ろし、糧食を頬張って人心地をつけながら思案する。


 ワイルドハントは多芸だ。土魔法でコンベヤーを作り、足場を作り、掃除用具も土鍋も多分土魔法で作った。思えば毒壺に入る前、ワイルドハントはどこからともなくシャベルを取り出していたが、あれも土魔法ではないか? 土魔法の得意な構成員がかなり多い。もしかしたら全員土魔法を使いこなせるのかもしれない。


 調理のために今、ポーラが鍋に注いだ魔法は普通の水だろうか、それとも水魔法で出した水だろうか。安全な燃料など無いこの場所でどうやって鍋を煮立てるかと思って見ていると、一体のワイルドハントが普通に火魔法を使い始めた。死骸焼却を憲兵にやらせたのは本当にただの役割分担であり、エルリックが火魔法を使えない、ということではなかった。全部で九体もいるのだ。一通りの魔法を使いこなせるのだろう。




 塩っ気以外の味気を伴わない糧食を胃袋に収めた後も、そのままワイルドハントの行動を見守る。


 ワイルドハントの調理はかなり手際が良く、ほんの短時間で完了となる。


 ポーラは切り分けられた芋虫の一片を食器に取り分けた。皿やフォーク、ナイフも土魔法だ。細かい道具まで本当に器用に作る。


 ポーラは芋虫の肉片を更に細かく切り分けると、フォークに刺して……


 ええええ?




「うそっ。食べさせてあげてる……。ワイルドハントでもああいうことするんだ。いいなあー」


 ポーラはフォークに刺した肉片を自分の口には運ばず、自分の横に座るワイルドハントの一体の口元へ差し出した。差し出されたワイルドハントはこちらに背を向けているため顔は見えないが、食べさせてあげているのは間違いない。


 なぜいきなりいちゃつき始めた……。


「あれ、ラムサス。顔が赤くない?」

「な、な、何を言っていますか。そういう中尉だって耳が赤いじゃないですか!!」


 見ているだけで恥ずかしい光景のせいで、私はいつの間にか顔が尋常でない程火照っている。鏡を見なくとも顔が真っ赤だと分かる。


「ラムサス、あーいうのが好きなんだ。そういえば夢見がちなところがあるってこの前言ってたよね」


 ラシードは何を言われてもすぐに忘れるくせして、なんでこういう要らないことだけは覚えているのだ。しかもちょっと頬を赤らめている。


 忘れろ。今すぐに、五秒以内に忘れろ。人がいるところでそんなことを言うとは、なんと無神経な人間だ。ああ、憤懣遣る方無い!


 三人して肘でお互いを突付き合って牽制していると、アリステルが上官らしい言葉を投げかけてきた。


「若者らしい反応はいいんだけどさ、あれを見て思ったことはそれだけなの?」


 アリステルの顔は赤くない。さすがは年長者かつ既婚者、私たちと違ってこんなことでは動じない。


「なんだろう……。何か違和感がある」


 ラシードが真っ先に何かに気付く。


「分かった。いつもポーラさんは笑顔なのに、今は無表情で食べさせている!」


 アリステルは苦笑する。


「それはそうなんだけど、もっと重要なことだよ」


 重要なこと? ポーラは今何をやっている?


 それも少し視野が狭いか……。ワイルドハントは今、何をやっている? そういうことだ。


「分かりました」


 発言権を求めてアリステルをじっと見る。


 アリステルは、耳打ちするように、と自分の耳を指さす。アリステルの耳に口を寄せ、小声で自分の考えを述べる。


「うん、そうだね。僕もそのことを考えていた」


 私はアリステルと同じ着眼点を持つことができていた。


 むしろ、私とアリステルは分からないとおかしい。あの秘密の作戦会議で何をやっていたのだ、という話になる。


 ラシードとサマンダは気付くべき矛盾点が分からず、まだ首を捻っている。


「二人は会食の現場に居合わせなかったし、もしかしたら聞いていないかもしれないけど、あの時エルリックのメンバーで食事をしたのって、ポーラさんだけなんだよね」

「えっ、そうなんですか? でも、じゃああれは……」


 あのワイルドハントの中には、人間を自称するポーラ以外にも食事を必要とする構成員がいる、ということだ。


 アンデッドは往々にして生命あるものを襲う。だが、それは食べるためではない。殺すためだ。噛みつくのはただの攻撃手段にすぎない。


 殺した獲物を食べて自らの血肉に変える必要は、アンデッドにはない。




 一体に食事を食べさせ終わったポーラは自らも手早く食事をとると、更に肉を細かく、それこそ病的なまでに小さく切り分け、別の三体のワイルドハントに食事を持っていった。


 今度は、先ほどの一体と違って食事は口元ではなく、胸とか腹の部分に差し出している。


 こちらから陰になるように動くため、何をしているのかはっきりとは分からないが、『食べさせている』というより『戸棚に物をしまい込んでいる』ような身体の動きだ。


 私は、アンデッド、という単語から、人間の死体を起源に持つ集団を想像していた。けれども、アンデッドになるのは人間だけではない。ゴブリンでもオークでもアンデッド化する。こいつらが元人間とは限らない、ということだ。これもひとつの思い込み、真実を見抜けなくなってしまう先入観だ。中庸な意識を忘れないようにしなければ……


 とはいえゴブリンもオークも、口は頭部にある。胸や腹の部分に口はない。ポーラの食事の差し出し方から察するに、あのローブと髑髏仮面の下に隠されているのは、私が思い描くアンデッド像からかけ離れた禁忌の異形なのかもしれない。


「この間のライカンスロープの事件で学んだはずだ。目に映るものが真実とは限らない。自分が今見ているもの、それが本当は何なのか、常に自らに問う必要がある」


 ラシードとサマンダは重々しく頷く。ワイルドハントとポーラが見せているこの姿は、おそらく幻影ではない、と思う。ただし、それが意味するところを私はまだ分からない。得られた端緒を正確に解釈できなければ真実には至れない。


「この場で考えを(つまび)らかにするのが賢いとは思えない。今は見えたもの、気付いたことをなるだけ正確に、客観性を失わずに記憶しよう。自分が作った答案の見せ合いっこは機会を改めて。いいね?」


 各々の推理を言わない。もしかしたらアリステルは自分が正解を閃いた確信があるのかもしれない。




 食事を終えたワイルドハントは再びもぞもぞと活動を始めた。二体はセーフティーゾーンの上層への出入り口側、もう二体は中層への出入り口側に立っている。どうやら上層、中層からセーフティーゾーンに入り込む魔物がいないか見張るらしい。


「では我々は休みますね。用があるときは誰に話し掛けてもらってもいいですが、お返事は私しかできません。ご了承ください。急ぎの場合は大声で呼んでもらえると助かります」


 そう言うとポーラは簡単に作られた床に横になった。ワイルドハントらしからぬ普通の寝姿だ。


 残る四体は座ったまま、魔法と思しき何らかの作業を続けている。上層、中層方面を見張るためにペアを作った二組はいずれも、一体が座って一体は立っている。アンデッドだと立ちっぱなしでもいいようなものなのに、なぜポーラ以外のワイルドハントも休息を取っているのだろう。先ほど食事を取っていたワイルドハントが座っているのだろうか。


 ……よく分からない。ポーラ以外のワイルドハントはまだ見分けがつかない。同じような格好をしているせいだ。


 注意深く観察すると、構成員は少しずつ背丈が違う。ローブの汚れ方もそれぞれ異なる。特徴を掴んで一体ずつ記憶していく必要がある。


 構成員の判別は追々進めるとして、私たちも睡眠を取らなければならない。普段の野営と同じ、交代の睡眠だ。実力的に、ワイルドハントは私たちが寝ていようが起きていようがお構いなしに、気分次第でいつでもこちらを殺すことができる。私たちが最優先に警戒すべきものは、大発生ヒュージアウトブレイクを起こしているダンジョンの魔物だ。自分たちの安全を確保した上で、ワイルドハントの動向に目を光らせるのだ。


 セーフティーゾーンに転がる魔物の死骸の数々を見れば分かる。これを見る限りここも名ばかりの安全地帯だ。気は休まらないが、身体は少しでも休めなければ。


 僅かな糧食では消し去り切れなかった空腹と緊張が入眠を妨げるのではないかと思ったが、いつの間にか私は眠りに落ちていった。

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