第五話 ゲルドヴァのワイルドハント 二
登場人物が増えるので五話のジバクマ側の主要人物名を記しておきます。
ラムサス・ドロギスニグ
アリステル・ズィーカの部下。階級は少尉。
アリステル・ズィーカ
アリステル班を率いる班長。階級は中佐。軍医。
バイル・リッテン
ゲルドヴァ駐屯軍司令補佐。階級は少将。
マトゥーシュ・スカマル
ゲルドヴァ支部憲兵団団長代理。階級は少将。
クフィア・ドロギスニグ
ライゼンの名を冠するブラッククラスのハンター。
「会食なんてどうでしょうか」
呑気な声で案を提示するアリステルのことを、少将はがっかりとした目で見ている。
「ポーラは人間でも、他はアンデッド……。出席するとは思えんね」
「でも、ほらここ。見てくださいよ」
アリステルは先ほど卓上に配られていた資料の一箇所を指差す。
『ワイルドハント構成員九体のうち、八体からアンデッドの反応を検出。そのうち四体から生命反応を検出』と、書いてある。
何だ、これは。一体何故こんな異常な情報を先ほどの会議で誰も指摘しない。
「そうだ、それは俺も聞こうと思っていたんだ。バイル、これはどういうことだ。誤記か?」
鏡の向こう、首都にいるジルの下にもこの部屋で配られた資料と同じ物があるらしい。
「それはその通りの意味です、陛下。偽装魔法というものがありますので、アンデッドが魔物や人間などの通常の生命かのように情報魔法を欺く場合があります。幻惑破りはもちろん使いましたが、成否は不明です。見破れたかどうかは相手術者との力量差によります。この情報の確度不明なことは、注意点として隅に書いてあります」
アンデッドがそういう偽装魔法を使う意味とは一体何だろう。何を欺こうとしてそのような魔法を使う。意味があるとは到底思えない。
「実はこのワイルドハントに生体部分を持つような新種のアンデッドが多数いて食事もするのであれば、会食に来てくれるかもしれないよ」
「確かに言われてみると、資料の中でポーラがゲルドヴァの街で買った物には食料品が多い。塩や保存食などもあるが、生鮮食品に限ってみても、女一人で食べきれるような量ではない」
構成員の数が少ない割に、異常な強さの個体が多い。人間らしさを保っている人間がいる。人間社会の金を稼ぐためにワーカー業務に従事し、足場作りを始めとした職人顔負けの建設職能を持つ。人間に対する敵対心が低い。倒した相手の治療費を払う。そして専らアンデッドだが、生体部分があって食事をとるかもしれない?
私の知るワイルドハントともアンデッドともかけ離れている。どんな特殊な事情があれば、これらの異常性全てに綺麗な説明をつけられるというのだ。
「受けてくれるかどうかはともかく、会食に誘ってみるのは悪くはないか。断ることはあっても、誘われただけで怒りだしはしないだろうし……」
「来てくれればそれだけで儲けものだ。五時間あれば上手くすると七つ、少なくとも二つは調べられるんだよな、ラムサス?」
私の調査が前提の会食とはいえ、ジルの想定では私が卓を囲む人間の一人になっていないだろうか。いやはやそれは机上論というものだ。ワイルドハントの真ん前でトゥールさんは出せない。この中の誰かを中心にポーラとその他のワイルドハントを歓待してもらい、私はどこかに隠れて調査を行うのが最上策だ。
それに、五時間会話をどうやって保たせるのだろう。気心の知れた人間相手でないと難しい。ましてや相手はアンデッドだ。考えるだけでも頭が痛くなる。
「五時間、場を繋いでくれる方がいれば、ですが」
「別に五時間喋り続ける必要はない。歌でも踊りでも曲芸でも、何でも準備させるさ。要人歓待、いや、未来の国家重鎮の歓迎会だ」
ジルは社長だったり王だったりと組織の頂点に立ち続けているだけあって、こういう考え方に抵抗がない。
「ちなみにその会食の食事に毒が入っているとどうなりますかね」
アリステルは真顔でとんでもないことを言い出した。
「致死性の毒ならポーラは死ぬな。生命反応がある四体はどうなるか分からないが、残りの四体は生命反応が無いのだから、死なない、というか食べないだろ。戦闘力の高い八体を怒らせるだけだ」
アリステルは断じて茶化しているのではなく、会食で生じうる問題を想定した上で発言している。それが分かっているからジルも真面目に答える。
「つまり食事を準備するときには、絶対に毒を混入されないように細心の注意を払う必要がありますね」
アリステルの言葉は、内部に潜在するかもしれない敵のことを指している。ジバクマ国内の要職に就いていた敵国の工作員はかなりの数を討ったが、敵国も常に新しい手を打ち続けている。
距離が比較的近いオルシネーヴァはワイルドハントの情報を既に得ている可能性が高い。ワイルドハントと良好な関係を築こうとする私達に妨害を企てるかもしれない。他にも、全く敵国と通謀していないジバクマの軍人や憲兵であっても、自国からアンデッドを排除しようという愛国心が故に私達の障害となってもおかしくはない。敵はどこにでもいる、ということだ。
「普通のパーティーと同じだ。毒感知魔法を怠らないだけ。それはバイルのほうで準備できるだろ?」
「もちろんです」
「会食に持っていければそれが最良。次善としては会食に持っていけなくても、フラフスの件について最大限謝意を伝えて味方に引き入れる。味方に引き入れられなくても、国と敵対さえしないでくれれば悪い結果ではない。最悪なのは敵対した上でクフィアとラムサスを失うことだ。それは絶対に避けてくれ」
鏡の前の全員がジルの意見に承服の意を示す。
「じゃ、こっちも忙しいから、細かい所はそっちで詰めておいてくれ」
話し合いは終了となり、バイルが片膝をついて頭を下げるに倣って私達も片膝で跪拝する。次に頭を上げたとき、鏡は私達四人を映す普通の鏡に戻っていた。
◇◇
“仲間”内での会議終了後、束の間の猶予期間全てをワイルドハント再襲来に対する備えに費やし、考えられる最高の配置を旧ビルベイ邸に置いて標的が来るのを待った。
邸宅の玄関前に立ち、ワイルドハントに直接応対、いや応接するのが、バイル、ゲルドヴァ支部憲兵団団長代理のマトゥーシュ・スカマル少将、そしてアリステルの三人だ。階級的に、中佐に過ぎないアリステルの場違い感が強い。
マトゥーシュは階級と役職が高いだけで、"仲間"ではない。事情は上辺しか分かっていない。バイルは事情を知ったる"仲間"ではあるが、応接力には期待薄。アリステルに何とか上手くワイルドハントを丸め込んでもらわなくてはならない。
ワイルドハントは前回フラフス邸の正門から堂々と乗り込んできた。今回も同じ場所から攻め入ってくる、という予想の下、私は正門から向かって左側、邸内の見通しがよく利く場所に待機だ。この場所なら、正門に入ってきたワイルドハントはぎりぎり能力の射程内における。
戦闘になった場合に備え、私の周りには精鋭の憲兵が配置されている。選りすぐりとはいえこれも捨て駒。本命は私の真横にいるライゼンだ。
ライゼンとこれほど近くにいるのは久しぶりである。とても気まずい。
「ラムサス」
「何でしょう、ライゼン卿」
「そんな呼び方――」
「今は任務中です」
黙って聞いていたところでライゼンはどうせ碌なことを言わない。ムカつくことを言われる前に、こちらから切って捨てる。
ライゼンは頭を振って大きく息を吐いた。
「ダニエル殿は小妖精が見えていた。お前も気を付けなさい」
ライゼンが私にしか聞こえない小さな声で忠告を残す。
そうだったのか。それは知らなかった。
トゥールさんはそもそも、相手に見られてはならない、という使用前提があるのだから、見えようが見えまいが関係ない。
それにしても、ダニエル殿、か。
ダニエルに対して抱いているライゼンの感情が、今の一言だけでわずかならず透けて見える。馬鹿な人間だ。
「現れたようだぞ」
考え事はしていても、警戒は一切怠っていなかったのに、ライゼンに言われるまで全く分からなかった。
それは音もなくビルベイ邸の門の前に姿を現した。
まるで気配を感じなかった……。姿を見せている今でさえ、その存在が実在しているのか不安になるような希薄さがある。
何なんだ、こいつらは。
強いだけのワイルドハントではない。一目で分かる。こいつらは何かが捻じ曲がった異常な集団だ。
暑く湿ったジバクマの風が、私を嘲笑うかのようにその温度を下げたような気がした。
邸宅の正面玄関入り口に立ったバイル達が大声でワイルドハントへ名乗りを挙げる。
それを聞いたワイルドハント九体の中から少しだけ小柄な一体が門を抜けて敷地内へと足を進める。
よし、トゥールさんの射程内に入った。あの小柄な奴がポーラだろうか。もしポーラで合っているとしても、ポーラに能力を使うかどうかはアリステルの判断にかかっている。合図が送られてくるまで待たなければならない。
小柄な一体は敷地内深くに入ることなく立ち止まり、被っているフードを外した。仮面は付けておらず、遠目ながらおそらく女性。やはりあれがポーラだ。
ポーラは不意に首を動かすと、迷うことなくこちらを見た。その顔は微かに笑っているようだった。遠くて表情など分からないというのに、なぜかそんな気がした。
「目も勘もかなりの良さだ。一瞬でこちらに気付いた」
私に警告する意味があってか、ライゼンは重々しく言った。
言われなくても、それくらい私だって分かる。
ポーラはすぐにこちらから目を切ると、バイル達と会話を始めた。
バイルはよく通る伸びのある声とともに滑舌よく話す。述べる内容は打ち合わせ済みのことであり、離れた場所にいる私でもバイルが何を言っているか分かる。ただし、一言一句まで聞き取ることはできない。
バイルに返事をするポーラに至っては、声を出しているのかいないのかがかろうじて分かる程度で、どんな内容を話しているのか全く分からない。会話の流れが全く分からないのだから、能力行使にはやはりアリステルの合図を待つ以外にない。
息を呑んで待機していると、それほど時間はかからずそれは送られてきた。
アリステルからの合図は二つ。
一つは、私とライゼンの潜伏がバレている、ということ。
もう一つは、邸宅内への誘い込みが失敗した、ということだった。
ただし、逃げろ、という合図は送られてきていないし、相手が怒りだした、という合図も無い。
能力をポーラに使え、という合図ではなくてよかった。正直、ワイルドハントの異常さに恐れをなしている自分がいる。今ここで能力を行使しても有用な情報を入手できる自信は無い。ここはアリステルを信じるだけだ。
引き続き三人とワイルドハントのやり取りを見守る。
……
…………
長い。
三人とポーラの発言の往復はもうかなりの数に上っている。張り詰めた空気が故に長く感じているだけではなく、実際にそれなりの時間が経過しているはずだ。
怒り出したのなら話はすぐに決裂しそうなものだ。これだけ長く会話に応じてくれているのだから、こちら側の話にワイルドハントが興味を持った可能性が高い。いや、そうでないと困る。
アリステルから次の合図はまだ送られてこない。話に集中するあまり、こちらに合図を送るのを忘れてしまっているのではないだろうか。
そうだとすれば、私は自己裁量で能力を行使すべきかもしれない。どうする? ライゼンに意見を聞いてみるか?
……ダメだ。頼るな、こんな奴に。自分のことは自分で決めなきゃ。
よし、決めた。私はやる。やってやる!
覚悟を決めてトゥールさんを喚び出そうとした瞬間、ワイルドハントが動き出す。
アリステルから二回目の合図が来ることもなくワイルドハントが退いていく。
失敗だ……。攻撃姿勢が見られないことから、ジルの指す所の「悪くはない」程度の失敗かもしれないが、成功ではないだろう。
ポーラは敷地の外に出て、門前で待機していた八体と合流すると、そのうちの一体に抱きかかえられた。ワイルドハントは来た時と同じように、音もなく去っていった。単純に走り去ったというだけなのに、嘘のように静かで速かった。
三人とポーラの間で、どのような話を交わしたのか。一秒でも早く内容を知りたい。
「玄関前に行きましょう、ライゼン卿」
ワイルドハントが走り去った方角を見守るライゼンを促し、宅内の長い廊下を走ってアリステルの下に急ぐ。
玄関に着くと、邸宅各所に配置されていた者達の大半が既に集まっていた。
バイルとアリステルはただならぬ様子で話し合っている。
「まずは移動しましょう。兎に角時間が無い」
何がどう時間が無いのだ。宣戦布告でもされて、数時間後に戦闘でも始まるのだろうか。
バイル、マトゥーシュ、アリステルの顔にはこれ以上ないほど分かりやすく焦りと困惑の色が浮かんでいる。
「ライゼン卿。申し訳ありませんが、ラムサスと一緒にスカマル少将について行ってください。マジェスティックダイナーという料理屋です。詳細はそこで説明します」
マジェスティックダイナー? その店はどこにあるのだ?
会食の約束が取り付けられたら、場所はこの邸宅内か、ここを嫌えばゲルドヴァで最も大きなホテルにする予定だった。一体どういう経緯を経てそうなったのだ。
バイルとマトゥーシュは慌ただしく部下に指示を出していく。
「スカマル少将、ここは私が撤収させます。貴官は現場に向かって用地の確保をお願いします」
「分かった。これから指名する者は私とともに来い。残る者はリッテン少将の指示に従え。さあ、ズィーカ中佐、行きましょう」
合点のいく説明が得られないまま、先に立つマトゥーシュを追いかけて旧ビルベイ邸を後にする。
「一体何があったのですか、スカマル殿」
ライゼンがマトゥーシュに状況を尋ねる。
マトゥーシュは歩む速度を落とすことなくキョロキョロと周囲を警戒しながら小さめの声で答える。
「経過はバッサリ省きまして、結論だけ申し上げますと。ポーラは会食に応じました。ただ、会場の変更を要求してきました。しかも彼らが希望する会食開始の時刻まではたった二時間しかありません。まるで時間がないのです。急がなければなりません」
とんでもない要求だ。友人二人で連れ立って夕食を食べに行くのではないのだ。二時間でどれほどの準備ができようものか。軍とか憲兵としての作戦行動を抜きにしても、店側だってこんな突然に対応可能か分からない。というか普通は無理だ。無理だからこそ……?
市街中心部から少し外れた場所にあるビルベイ邸から半分以上駆け足で目的地へ向かう。現地に着くとマトゥーシュはマジェスティックダイナーという料理屋を強制徴発した。
作戦行動として場所を借りるため、マトゥーシュが店長に事情を説明するものの、マトゥーシュ自身が混乱しているせいで説明は要領を得ない。店長も、店長の横に立つ店員もマトゥーシュの説明と要求を理解できずにいることにマトゥーシュは業を煮やす。その怒気といったら、それこそ、その場で店員を殺しかねない勢いであり、横のアリステルが必死に宥めていた。
追い詰められた故の行動とはいえ、民間人に横暴をはたらくのは全くいただけない。斯様の話は瞬く間に民衆に伝わって強い反発を生みだすことになる。軍人も憲兵も国を守る人間であり、民衆の支持を得ていないと、あらゆる行動に支障をきたすことになる。
ライゼンがマトゥーシュを宥めてアリステルが店長に事情を説明することでやっと店の確保に至る。その後は窓のある部屋を主会場に設定し、更にその会場を覗き見られる観察地点を用意する。料理屋とは別の棟、通りを挟んで反対側に位置する建物の屋上が私の配置場所となる観察地点だ。そして、催しの仕込みのための要員待機場所も忘れずに準備する。
あれよあれよ、という間になけなしの二時間は過ぎていった。
部隊を綺麗に配置する余裕などないままに、ワイルドハントは先ほどと同じく音もなく姿を現した。
ビルベイ邸の時と同じく、バイル、マトゥーシュ、アリステルの三人が主となってワイルドハントを出迎える。
ポーラは最初からフードを外していた。ホストに招き入れられ、ワイルドハントは淀みなくマジェスティックダイナー店内へ入っていった。
私とライゼンの視界から消えたワイルドハントは店内を歩き、セッティングを整えた二階の会場へ入ったところで、再び私達の視界に映る。
窓越しであることから会場内全てを見渡すことができない。ポーラだけでもこちらから見える席に座らせてもらいたいところだ。
おや、どうしたのだろうか。
私とライゼンが目を凝らして見つめる窓の真ん前にワイルドハントの一体が立った。
その一体は、開放された窓枠から徐に身体を乗り出すと、まるで蜘蛛のようにすいすいと外壁を登って屋根の上に到達した。
屋根の上に立ったそいつは、そのまま周囲を監視し始める。
いや、それでは理解が浅い。そいつはライゼンと私がいるこちらを見るために屋根上に登ったのだ。そのついでに周囲を警戒しているに過ぎない。駄目だ、もう私の能力は使えない……
「やれやれ。せっかく苦労して準備した観察地点が無駄になってしまったな」
ライゼンも私の能力行使が不可能であると悟って諦めている。そっちはともかく、私の護衛までは放棄しないでくれよ……
こうなると、またもや人任せとなるがアリステル達に期待するしかない。なんとか話術で情報を引き出すのだ。
屋根の上に佇む一体から目を外し、もう一度会場内に目を向ける。
ワイルドハントは誰一人席に着く様子がない。アリステル達は着座を促しているはず。何を揉めているのだろう。
屋根上の一体を下ろすよう交渉しているのであれば、愚かとしか言いようがない。それとも、またもやワイルドハントが無茶な要求でも始めたのだろうか。
どんな要求をされるのが私達にとって都合が悪いか。しばし思案していると、店内から一人の憲兵が飛び出し、通りを隔てた場所に建つ私達の建物に走ってきた。
さして長い距離でもないというのに息を切らせて辿り着いた憲兵は、御免蒙りたい要求の伝令を始めた。
「ワイルドハントは、ライゼン卿と少尉の同席を望んでいます。どうぞ店内へお越しください」
ワイルドハントの要求は、私が考える「最悪」とは全く異種の性質の悪さがあった。
ライゼンは躊躇うことなく憲兵についていく。連れて行くのはライゼンだけにしてもらいたいところだが、足並みを乱すわけにもいかず、渋々ライゼンの後に続く。
店内に入り二階へ上がると、会場の扉の前には屋根の上同様にワイルドハントの一体が悠然と待ち構えていた。物言わぬワイルドハントの向ける髑髏仮面が、未だかつて経験したことがないほどの威圧感を私に与える。
ワイルドハントは剣を抜いて構えを取ることも魔法を構築することもなく、ただ立っているだけ。それでもその目の前を横切るのは並々ならぬ抵抗がある。尻込みする私とは対照的に、ライゼンは臆することなく会場に入っていく。その後姿がなければ、私は一人、扉に近付くことすらできずに悶々と悩んでいたことだろう。ライゼンが歩いた後の空気の流れが無くならぬうちに、流れに乗って私も会場へ入った。
中に入ると、ポーラが満面の笑みでライゼンを出迎えていた。間近で見るポーラは、想像していたよりもずっと若く綺麗な女性だった。ミドルボブに整えられた黄桃色のバレイヤージュがくっきりした目鼻立ちによく映えている。可愛らしい、というより、健康的な美人、という感じだ。
「突然お呼びして申し訳ありません。ライゼン様。我々はワーカーとしてパーティーを組んでいるエルリックと申します。私は人間のポーラです。偉大なハンターのライゼン様にお会いできて光栄です」
ポーラはライゼンに握手を求めて手を伸ばす。ライゼンは断ることなく握手に応じる。
「俺は一介のハンターだ。ありがたくも公国時代に古代の英雄のライゼンという名を頂いたが、ハントと直接関係のある話ではない。クフィアと呼んでもらって結構」
鼻息荒々しくライゼンがそう言うと、
「ではそうすることにいたしましょう。こちらもどうぞ呼び捨ててください」
と、ポーラは答える。
ブラッククラスのハンターと、ミスリルクラスに匹敵するワイルドハント。両者の間で野趣に富んだ挨拶が済まされてしまい、形式や格調、順番を無視できない私達軍人と憲兵は置いていかれてしまう。
「ライゼン卿も見えましたし、今度こそどうぞエルリックの方々、席へおかけください」
アリステルに促されるのに応じ、ポーラとワイルドハント六体が席に着いた。屋根の上と扉の外の一体は席に着くどころか会場内に入ってくる気配がない。
ワイルドハント側の座席が二つ空いたままで着席完了と判断したウェイターが用聞きに卓後ろにつく。
食前酒について聞かれたポーラは、アルコールを嗜まない、と香草茶を頼み、それ以外の構成員には飲み物も食事も不要であることをウェイターに告げる。
ワイルドハント側で飲食をするのは、ここではポーラだけ、か。それも少し気になるところではあるが、今回の本題ではない。
こちら側ではライゼンが水を頼み、バイルが紅茶を頼むと、残りの全員が「私も同じものを」と思考時間を経ることなく注文を済ませていく。時間を保たせる、という観点をもう見失っている気がする。この状況だと私は能力を使えないし、時間を稼ぐ意味は無くなった、と判断し、私も右に倣えと続いた。
ウェイターが一旦退室しようとしたところでポーラが急にウェイターを呼び止める。
「やっぱりお酒を頂きます。こちらには何がありますか?」
アルコールは嗜まない、と言ったばかりではないか。舌の根の乾かぬうちにこれである。それに、もともと飲む方だとしても、この状況、この時間に酒は飲まないだろう。会食のために我慢するはずが、つい辛抱しきれなくなった、といったところか。ポーラはよほどの酒好きなのかもしれない。
ポーラは店で取り揃えている酒の種類を聞くと、ウェイターのお勧めを全く無視してラム酒を注文した。発言があまりにも自由過ぎる。店員を含めて私達全員をおちょくっているのだろうか。
店員が酒の種類を一つ挙げる度に、私の真ん前に座るワイルドハントが痙攣したように小刻みに身体を揺らすのが目に付いた。こっちはこっちで何をやっている。どこかに合図でも送っているのか?
全員に飲み物がサーブされると、ジバクマの代表としてマトゥーシュが乾杯挨拶を述べる。何を言いたいのかよく分からないしどろもどろの挨拶が終わると、誰よりも早くポーラが液体に口を付けた。
会場の外は警戒しているのに、店の人間が出す飲み物には何ら警戒を示さない。これもまた不可解極まりない。
ポーラは本当に美味しそうに酒を飲み、ほとんど一口で盃を空にした。
ラム酒はこんなにゴクゴク飲めるほど度数の低い酒ではなかったように思う。無類の酒好き、かつよほどの酒豪のようだ。今日はこのままどれほど飲むだろうか? 泥酔して意義のある話し合いができなくなると、それはそれで私達が困ることになる……
上機嫌のポーラが二杯目に注文したのは、ただの水だった。
なぜ水を頼む。数分と飲酒を我慢できないほどの酒好きが一杯飲んだだけで満足するはずがない。この行動にはどんな意図がある? 能力さえ使えれば……
本来の打ち合わせでは、バイルがポーラに会話を振り、バイルが会話に詰まるようなときは主にアリステルが話を繋ぐ、という予定だった。ところが、バイルに出る幕はなく、ポーラのほうから積極的に話を振ってきた。その内容はこちらが望むものではなく、ライゼンのことを根掘り葉掘り聞くばかりだった。
「クフィアさんにハントで固定のパーティーメンバーはいなかったんですか?」
「俺の能力はパーティーを組むのに全く適していないからな」
ライゼンは軍人ではない。それでいて他国にまで能力が知れ渡っている。とはいえ、あまりベラベラと喋るのは好ましくない。ライゼンが喋る内容など打ち合わせていないから、どんなことを話すのか一々ビクビクさせられる。
「そうなんですね。国家情勢さえ落ち着いたら、一緒にハントに行ってみたかったです」
「やめておいたほうがいい。俺の雷魔法に焼き殺されるのがオチだ」
「我々のパーティーにも前衛はいますが、後方支援、後衛攻撃のほうが得意なので、クフィアさんが前衛でもいいですよ」
「馬鹿言え」
どこまで冗談か分からないポーラの提案にライゼンが苦笑している。
「クフィアさんでなくとも、横のお嬢さんが軍人ではなくハンターならハントにお誘いしたのに、とても残念です」
ポーラが私の目を真っすぐに見つめる。同性であっても美しい顔をした人間に直視されると、つい畏縮してしまう。魔法とか能力とはまた別に、瞳を合わせてしまうだけで心の中が読まれてしまうように錯覚する。
「私などは皆様の足元にも及びません。とんでもないことです」
これは謙遜ではなく、事実そうなのであり、誠に情けない。
会話はお偉方の役割である。添え物に過ぎない私に話を振るのは行儀違反だ。さっきだって私一人だけがバイルによって名前を紹介された。そうせざるを得なかったとはいえ、晒し物にされているようで恥ずかしかった。
それにしてもポーラは本当に楽しそうにライゼンと話をする。国とワイルドハントの代表者同士による腹の探り合いではなく、一人の若手ハンターが生きる伝説といえる名ハンターと話す機会が得られたことに胸を躍らせて話をしている、そんな風にしか見えない。
それがフリに決まっていると分かっていても、身振り口振りからは微塵もわざとらしさや演技臭さを感じない。それに、この場の誰よりも活き活きとしたこの表情……やはりポーラがアンデッドにドミネートされているようには思えない。
ただの操り人形ではなくワイルドハントの真の代表者ならば、ポーラを調査する価値は十分にありそうだ。ワイルドハントの目の前というこの状況でさえなければ……
ポーラとクフィアが話している間に前菜が運ばれてきた。全員に行き渡るのを待たず、またしてもポーラが真っ先にサラダを口に運ぶ。
ポーラはサラダを数噛みすると、顔を俯けた。
……?
様子がおかしい。
まさか、あれだけ言っておいたのに、食事に何か混入していたのか!?
いや、私は向こうの建物にいたとはいえ、こちらには最初からアリステルがいたのだ。途中からバイルも来た。いくら時間が無くとも、毒感知の手筈は整えてくれていたはずだ。
バイル、アリステル、ついでにウェイターの顔を見ると、全員が首を横に振った。毒ではないのか。
「あ、味が濃かったでしょうか。それともお口に合わない食材がありましたでしょうか」
アリステルが玉のような汗を額に浮かべて様子を窺う。
「いえ……美味しかったので……」
私の見間違いでなければ、少しだけ顔を上げたポーラは涙ぐんでいるようだ。
美味しかった?
私もサラダを口に運ぶ。こちら側に座る全員が一斉にサラダを口に含む様は、まるで久しぶりに食事にありつく貧者や囚人のような卑しさがあった。
口に含んだサラダを味わい、思う。
サラダは確かに美味しい……が、普通だ。特別際立つありがたさなどはないし、辛かったり、飛びあがるように塩がきつかったりはしない。
大雑把に言って、ただのサラダ。味付けされた、どこの食事処でも見掛ける気取った草である。草を食んだところで泣く人間はどこにもいない。なぜそんな大袈裟に感動する。
「美味しかったですか? ははは、やあ嬉しいな、喜んでいただけて」
バイルの発言は慰めているのか煽っているのかよく分からない。バイルにポーラを怒らせようなどという意図が一切ないと分かっていても、言葉選びの拙劣さに腹が立ってくる。
「本当にお口に合わないようでしたら、無理をなさらないでください。お皿はお下げして、別の物を用意してもらいます」
誰も気の利いた発言をしない中、ゲストを饗すホストとしてアリステルがごく当たり前のことを言う。当たり前のことを当たり前にできるアリステルのなんと素晴らしいことだろう。
「いいえ、食べたいです……」
前菜を持って行かれるとでも思ったのだろうか。ポーラは涙目のままサラダをさっさと口に詰め込み始めた。
「勝手に下げはいたしません。どうぞごゆっくり召し上がってください」
思惑あってのこととはいえ、私達は真実ワイルドハントを饗そうとしている。ポーラを困らせようとは誰も思っていない。そんなこちらの気持ちは伝わっていないのか、ポーラは瞬く間に前菜を食べ終えた。
ウェイターが救いを求めるように私を見た。
今日の主賓は私達ではなくワイルドハントだ。私達は気にせず、ワイルドハントの食事ペースに合わせてさっさと次の皿を持ってこい!! ……という願いを込めて、ただ首を縦に振ったところ、精霊の天啓得たり、とばかりにウェイターはそそくさと会場から出ていった。
その次の皿もポーラは目に涙を浮かべながら食べ、更にその次、運ばれてきたスープを口に含むと、ついに涙をテーブルへとぽたぽた零れ落とし、抑え気味に嗚咽まで上げ始めた。
ワイルドハント以外、会場の全員が咽び泣くポーラを呆気にとられたまま見つめる。
だめだ……。現場にいて一部始終を見ているというのに、何故こんなことになっているのか全く理解できない。
親子の縁を切ったポーラの父親が実はこの店でシェフとして働いていて、昔を思い出す味に触れたことで感極まったとでもいうのだろうか。
少しでもそれらしき理由になりそうなエピソードを探し、私は妄想の中に逃げ込むことにした。アリステルですら言葉を失っているのだ。私に掛けられる言葉があるはずもない。
「気分が優れないようであれば、日を改めようか」
ライゼンはとても優しい声でポーラにそう言った。
この会食でライゼンが自分から口を開くことはない。私はそう思っていた。それは間違いだった。
ライゼンの言葉は千載一遇の機会を逸するような失言の類である。しかし、そこに打算はなく私達の中で誰よりも人間的な発言だった。なぜそれを言えるのがライゼンで、言われる相手がポーラなのか。
それは私にとってこれ以上ないほどに不快極まりない一幕だった。
ポーラは下を向いたまま首を横に振り、そのまま数分の間泣き続けた。
◇◇
嗚咽をやめ、震えの止まったポーラが顔を上げる。目は赤く充血し、瞼は腫れている。見るからに泣いた後の顔ながらも、表情は何かを吹っ切ったかのように晴れやかだった。
「お見苦しいところをお見せしました。もう大丈夫です」
涙を拭うと、ポーラは湯気の上がらなくなったスープを再び口に運んだ。
発言は自由極まりなく、サラダの食べ方など、マナーの欠片も知らないような振舞いだったにもかかわらず、その後のポーラの作法はとても美しかった。ただ、ジバクマの作法とは少し違った。
ポーラはまるで自分が主かのように全員へ話題を振っていった。それはゲルドヴァの街の様子であったり、その者の出身であったりと当たり障りのない会話だった。
デザートを全員が平らげたところで、ポーラの雰囲気は一変した。
「尋ねてもよろしいでしょうか」
ポーラの視線は誰にも向いていない。
目的語の無い問いかけにバイルが答える。
「何でしょうか」
「貴方方は軍人と憲兵。作戦行動としてこの場にいるものと思います。今回の作戦の総司令は国王。そうですね?」
「仰る通りです」
ジルのことはビルベイ邸でバイルが口にしているはずだ。このポーラの発言は想定内である。仲間ではないマトゥーシュは、引っかかりを覚えるかもしれないが、こんな儀礼的な発言で私達を怪しむことはないだろう。
「王が我々に最も望んでいることは何でしょうか」
「ご存じのとおり、我らがジバクマ国王は即位して日が浅いです。そして国は未曽有の国難に晒されています。王は国を支える一角として貴方方を迎えたいと考えています。どうかお力を貸してください」
ポーラはチラリとライゼンを見る。
「我々はワーカーでありハンターです。ハンターは自由が信条と考えています。何者にも縛られたくはない。クフィ……ライゼン卿が今日この場にいるのも、国や王から依頼を受けたこととはお察ししますが、最終的には卿の自由意志に基づいた判断の結果として見えられたのだと思います。国が我々に強制的な手段を取ったとしても、我々は面従腹背を選ぶつもりはありません。ただ、国が求める内容次第では、我々もライゼン卿と同じく自己の判断に基づき、微力ながらお手伝いできるかと思います。だからこそ今日のお招きに呼ばれたのです」
私達がワイルドハントに求めているのは政治力などではなく無論、その戦闘力だ。もって回ったやり取りをせずともワイルドハントはそのことを承知していた。
問題は戦闘力を向ける先だ。それがワイルドハントの利害と一致するようであれば協力しよう、と言っているのだろう。思わぬ想定外があったものの、一気に話が進んだ。
「貴方方にはダンジョンに向かっていただきたいと思います」
ジバクマに最も差し迫った危機。バイルはそれを打ち明けた。




