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第四話 ゲルドヴァのワイルドハント 一

 そのワイルドハントは一か月ほど前に何の前触れもなくゲルドヴァに現れた。近隣他国を含めても最近のワイルドハントの目撃情報というのは無く、本当に突然ゲルドヴァに出現した。


 総勢は九体の小規模な集団。全員が茶色いローブに身を包み、フードで隠れた顔には時折髑髏仮面が見え隠れする。そのうち一体、いや一名は人間の女性。ポーラと名乗るその女性だけは髑髏仮面を被っておらず、会話をするのはこのポーラだけ。それ以外の構成員が口を開くことはない。


 ポーラが手配師から仕事を受注し、報酬を受け取り、買い物をする。ポーラ自身は建設作業をしないが、現場主任の指示受けをこの女性がすることで、指示は構成員全員に伝わる。作業員の休憩時間になると、ポーラだけは作業員の休憩の輪に加わり、作業員と一緒に食事をしてお喋りをする。


 ポーラは明るくて聞き上手。男ばかりの現場作業員の四方山(よもやま)話を喜んで聞いては楽しそうに質問をする。ポーラの存在もあってか、作業員からのワイルドハントの評判は、悪いどころかすこぶる良い。


 仕事ぶりは熟練の職人ほど丁寧とは言えないが、一体あたりがこなす仕事量は人間の男とは比べものにならないほど多い。しかも、現場作業を始めて一、二年目の新人、若手よりずっと仕事慣れしている。細部の修正や仕様の変更が生じた場合、ポーラに少し話すだけで、一から十まで説明せずとも要望を汲み取ってもらえる。土魔法の得意な構成員が多く、建設作業に存分に土魔法を活用する。


 現場経験、作業知識、無駄のない意思共有、土魔法の技術、アンデッド特有の尽きぬ体力、これら諸々の要因により、ワイルドハントは建設作業団として掛け値なしに有能である。


 これに目を付けたフラフスという建設会社が、日雇いではなく十日間の期限付きの契約工事をワイルドハントに発注した。工事は工期ぎりぎりで完了したものの、フラフス社は完成した仕事に難癖をつけて報酬の減額を通告した。


 不当かつ一方的な報酬減額に立腹したワイルドハントは工事完了から五日後にフラフス社の社長、ビルベイ・フラフスの邸宅を襲撃した。ワイルドハントは襲撃日時を予告していたため、ビルベイは襲撃に備えてハンターを雇っていた。しかし、雇われハンターたちはワイルドハント相手に良いところなく倒されて完全壊滅した。


 ワイルドハントはハンターを倒すと、取り立て手数料と利子を上乗せした額の報酬を半月後、再度取り立てに来る、と言い残してビルベイ邸を去った。


 手勢を倒されたビルベイは、震え上がって国に助けを求めてきた。




 ロッキーの説明による事のあらましは以上だった。


「ビルベイ・フラフスは、『工事完了後にワイルドハントが不当な報酬増額を要求した』と言っていますが、手配師やワーカーを含めたフラフス社に関わったことのある者たちは全員、『フラフス社が勝手に報酬を下げただけに決まっている』と、話しています。契約書を残していないため、フラフス社とワイルドハント間での契約がいくらで約定されたのかを証明できませんが、フラフス社が以前から度々ワーカーたちへの支払いで揉め事を起こしているのは事実です」

「調べる限りではフラフス社の完全な自業自得だ。問題にならない問題を挙げるならば、ワイルドハントが武力を行使した、という点と、フラフスに突き付けている利子と上乗せした手数料が法外、という点だ」

「ちなみに利子はどのくらいなんでしょうか?」


 説明が始まって以来、初めてアリステルが口を開く。


「初日利子、複利ありのトゴだ」


 トゴ……十日で五割。闇金融も真っ青の高利だ。初日の利子も、短期契約での複利も全て違法である。


「金貸しの国内法もありますから、そういう事を宣言されてしまうと国としては動かない訳にはいきませんね」

「いや、そうとは限らない。ビルベイ邸襲撃では死者は一名たりとも出ていない。報酬や契約、金利についても、全てはフラフス社とワイルドハント間で交わされたやりとりに過ぎず、国が関与して確定した事実というのはひとつもない。今は調査の段階だからな」


 バイルは狡い顔で含みを持たせた言い回しをした。フラフス社とハンターさえ黙らせることができれば、ワイルドハントへの罪を追及せずともよい、ということを言外に述べている。


「君たちには急ぎ、フラフス社の嘘を暴き立ててもらう。こちらでも調査は進めているから、確認程度で十分だ。それなりに規模の大きな民間企業だったが、もはやそれもこれまで。今回の一件を機に、この会社は国の管理下に置く。ビルベイを野放しにしてしまうと、ワイルドハントと纏まる話も纏まらなくなってしまう上、ワイルドハントの件を抜きにしてもこの会社は社会的な悪影響が大きい」




 その後、いくつかの質問をした後、私たちはロッキーとともに会議室を出た。


「それでは、続いて憲兵団の本部にご案内します」


 そう言ってロッキーが私たちの前に立って歩いていく。ロッキーに連れられて向かった憲兵団の本部は、軍の駐屯地敷地内、真横にある建物だった。そもそもここには、憲兵団の詰所が先にあったらしい。オルシネーヴァとの開戦以降、軍が合流して拡張に拡張を重ねて今の形に落ち着いたという。


 物理的にも制度的にも軍と憲兵の距離が近過ぎる、というのは良くないことのように思う。身動き取れなくなる前に分けるべきだが、この国の状況だと、効率には代えがたいのかもしれない。


 ロッキーは憲兵団本部内で通りすがった者を呼び止めた。


「あっ、ねえねえ。マタビシを応接室に連れてきてよ。今、アリステル班が来てるからさ」

「はい。了解しました」


 ロッキーから指令を受けた憲兵の受け答えは普通だった。ゲルドヴァの憲兵全員がロッキーのようではなくて安心した。




 私たちを応接室に案内すると、ロッキーは、茶菓子を取ってくる、と言っていなくなり、しばらくしてからティーワゴンと憲兵ひとりを引き連れて戻ってきた。


「憲兵団マタビシ・チェフ少尉です。宜しくお願いいたします」


 自己紹介するマタビシと私たちを尻目に、ロッキーはまたもや茶を給仕している。好きなのだろうか、茶を入れるのが。


「ここの押し麦クッキーは美味しいんですよ。茶葉は軍の司令部の方が断然美味しいんですけどね」

「ああ、懐かしい味だなあ」


 アリステルとロッキーは美味しそうにクッキーを頬張るが、硬くてバサバサで油も塩味もあまり効いていないため、私にはあまり美味しいと思えなかった。


 それにしてもロッキーは司令部であれだけ何杯も茶を飲んでいたのに、どれだけ飲むのだろうか。などと、思っていると、心を読んだようにロッキーがボソリと呟く。


「ああ……会議室でお茶を飲みすぎてお腹がダブダブです」


 その瞬間、ラシードが耐えきれずにブッと噴き出した。サマンダも身体がピクついている。ラシードが口に物を含んでいるタイミングではなかったのが不幸中の幸いだった。


 ロッキーは司令部の会議室で緊張していたがために、無意識にお茶を飲みまくっていただけだった。緊張するとポンコツになるタイプだ。肝心なところでは役に立たなさそうだ。


 茶と茶菓子を手元においたまま、会議室では聞ききれなかったゲルドヴァの諸事情を教えてもらう。また、マタビシ少尉は、アリステル班がゲルドヴァでの調査を行うにあたって案内役として派遣、同行してもらえる、ということだった。生まれも育ちもゲルドヴァというマタビシ少尉は案内役にうってつけだ。


 応接室でのロッキーは、司令部にいた時と違って常識的だった。司令部では本当に緊張していたらしい。




    ◇◇    




 駐屯地を後にした私たちは、マタビシに案内されて手配師やフラフス社員たちの話を聞きに行った。能力で確認してみても、やはり満場一致で社長のビルベイと、その血縁で固められたフラフス社幹部陣に全ての非があるようだった。社是(しゃぜ)として、下請けへの支払い不当値引きを繰り返しているらしい。この時点で完全に法律違反だ。しかも租税逃れから始まって余罪がいくらでもあるようなので、接収ではなく執行という扱いでフラフス社の全てを抑えることが可能だろう。


 フラフス社の違法性は揺るがないものと判断し、今度はワイルドハントと戦ったハンターたちの様子を見るために医院へ足を運んだ。




 医院に今も入院しているハンターは三人だけで、残りは軽症のため最初から入院しなかったか、既に傷が癒えて退院した後だった。ビルベイ・フラフスの邸宅の防備に当たったのは、常勤の私兵を含めて数十人以上。それを全て中軽症に留め、死者も重傷者も出さずに制圧した、という事実は驚きである。


 訓練や稽古ではなく、武器を持って本気でかかってくる相手に大きな怪我を負わせぬように手加減して倒すには、倒す方、倒される方の間にかなり大きな実力の開きがないといけない。ビルベイ邸に集まったのは、ただの大人数十人ではなく、ワイルドハント相手に戦おうという、腕っぷしに自信のあるハンター数十人なのだ。それをこのような倒し方ができるのだから、このワイルドハントの戦闘力は推して知るべしだ。


「人間の女は分からないが、その他のワイルドハント全員がチタンクラス以上の強さだ」と、ハンターのひとりが震えながら証言してくれた。


 恐怖がワイルドハントの戦力を過剰に大きく見積もらせている可能性はある。ただ、憲兵の調べや手配師たちの見立て、ハンターの倒され方を見ての私の推測、これらいずれにもほとんど矛盾していない。


 事前調査によると、ポーラを除いた、あのワイルドハントの構成員の強さは、人間換算でミスリルクラスが三体、チタンクラスが三体、残り二体がプラチナクラスという話だったから、大体合っている。これが国に対して牙を向くとなれば、千を超す有象無象のアンデッドが織りなすワイルドハントよりも恐ろしい。


 ジバクマの軍人にはブラッククラスもミスリルクラスもいない。チタンクラスの人材は他国に比べて豊富だが、ミスリルクラスもブラッククラスも軍人ではなくハンターにしかいないのだ。オルシネーヴァに向けているジバクマの軍勢を全てワイルドハントに費やさなければ、その殲滅は不可能ではないだろうか。できれば戦いたくないものである。


 それにしても、ワイルドハントは謎の気配りを見せている。ワイルドハントはビルベイ邸襲撃の前日、ゲルドヴァにあるハンター御用達の医院全てに顔を出し、数日以内に医院に治療を求めてきたハンターの治療にかかる費用の全額拠出を申し出ていた。かなりの太っ腹だ。


 しかし、この行動は何かおかしい。金に余裕があるのであれば、なぜワーカーとして金を稼ぐ。最初から、ワイルドハントはこうなることを見越して、この時のために金を稼いでいたのではないだろうか。何だかきな臭い。




    ◇◇    




 私たちは司令部に戻り、バイルに結果を報告した。その後、憲兵団にすぐに話が伝わり、その晩のうちに憲兵団はフラフス社の全施設を抑えた。


 憲兵団の動きの速さからして、フラフス社の命運は前から決まっていたのだろう。私の能力は最終確認に使われただけだ。


 さあ、前座は終了。本当に大変なのはここからである。




 私たちは再び司令部会議室に呼び出された。ラシードは今度もガチガチに緊張している。二回目なのだから少しは慣れてほしい。仕方ない、またほぐしてやるか……。


 私が使える魔法の中で二番目に得意な系統である幻惑魔法、鎮静魔法(コーム)をラシードの身体に施してやると、ラシードは過緊張を脱してシレっとした顔で会議の始まりを待つ。


 今度の会議には少将だけでなく、軍からも憲兵団からも高位の将官が数人ずつ出席している。私たちの班では、班長であるアリステルだけが着席し、私たちもマタビシも、憲兵のロッキーも上官の後方に立たされている。


 出席者が粗方揃ったところでバイルが始まりを告げ、会議を進行していく。


「執行により収めたばかりの旧ビルベイ邸に、明日ワイルドハントがやってくる。そこからの対応の試案をまとめてきたので説明する」


 少将(バイル)が説明を開始したところで、会議室のドアがノックされ、ライゼン卿がお見えになりました、と入室許可を求める声が聞こえてきた。


「お入りいただけ」


 ライゼンの名が出たことで、会議室内が一斉にざわめき立つ。出席者の中でも、ライゼンの来訪を知っている者は限られていた、ということだ。もう何年も軍事行動に協力しているとはいえ、ライゼンは軍人ではなく、諸国最強ブラッククラスの強さがある、というだけの只のワーカーだ。


 アリステルの背中からは驚く様子が窺えない。アリステルがテールニャで言っていた『ゲルドヴァに着けば分かる重要機密』のひとつがこれだろう。


 入室したライゼンには少将の横の席があてがわれた。道理でひとつ空席があったわけだ。


「それでは全員が揃ったところで改めて説明を開始する。知っての通り、ここゲルドヴァに新たなワイルドハントが出現した。ゲルドヴァ憲兵団の全力の調査により、人間に友好的なワイルドハントということは分かっている。恥ずかしい話ではあるが、ゲルドヴァ内の建設会社、フラフス社がこのワイルドハントに対し大変に礼を失した行為を行った。このフラフス社は現在国の管理下にある。明日、ワイルドハントはフラフスの非を問うために、フラフス社の元社長、ビルベイが住んでいた旧ビルベイ邸を訪れる。フラフス社に代わり国としてワイルドハントに謝罪した上で、ワイルドハントの歴々を国家の要員として招聘したいと考える。何か意見はあるか」


 バイルが会議の要旨を簡潔に述べあげ、参加者の意見を求める。参加者たちは天井を仰いだり、資料に目を落としたりして、数秒間の沈黙が訪れた。そんな中、一名の軍人が重々しく口を開く。


「資料にあるワイルドハントの戦力評価の確度はどれくらいのものでしょうか」


 軍人の質問に憲兵の一名が回答する。


「ゲルドヴァ憲兵団で最も優秀な情報魔法の使い手と、オルシネーヴァとの戦線から一時的に派遣していただいた軍の情報魔法の使い手一名のご助力で取得した情報です。ゲルドヴァの手配師たちの見立てとも完全に一致しています」


 これ以上の精度はない、ということだ。


 うぅーん、といういくつもの唸り声が会議室に重なる。


「アンデッドを引き入れたところでゼロナグラ公の二の舞ではないだろうか。埋伏の毒となるならば、いっそ今戦ったらどうだろう?」


 全員の目が一斉にライゼンに向けられる。


 環視の期待に応えるように、ライゼンがその口を始めて開く。


「実物を見ないと何とも言えませんが、こちらの資料を見る限りでは勝てると思います」


 おぉ、と感嘆の声が全体から漏れた。


「ただ、ゲルドヴァは地図上から消えるものとお考えください」


 ライゼンの言葉は会議室全員を一旦持ち上げた後、どん底へ叩き落としてくれた。


 たとえワイルドハントを殲滅できたところで、ゲルドヴァが無くなるとジバクマはオルシネーヴァとの戦線を維持できなくなる。そうなるとジバクマの心臓、首都ジェラズヴェザを落とされるのは時間の問題だ。


「どうにもならないのか……」


 会議室は答えも解決策も無い闘論の場へと成り下がった。


 アンデッドを受け入れたくない。


 だが、受け入れなければ国が滅ぶ。


 選択肢など無いと分かっていても、それでもなんとかならないのか、と懇願にも似た発言があちこちから挙がる。


 一通りの出されるべき恐怖と不安が吐露されたところで、バイルが会議室内を一喝して静まらせた。


「貴官らの不安は分かるが、皆、勘違いをしている。ゼロナグラ公は名君として長く国土東三分の一に治世をしいた。残念ながら没してしまわれたものの、ジバクマの英雄ではないか。そして今回姿を現したワイルドハントはその再来かもしれない。精霊のお導きとも考えられる。掴み取るのは今なのだ」

「しかし、ゼロナグラ公は――」

()()に基づいた意見に限って発言するように。ゼロナグラ公に対する根拠のない誹謗中傷は厳に慎まなければならない。ゼロナグラ公の名誉を毀損する噂にしても、全責任はマディオフにあるはずだ」


 少将がしているのは指揮だ。導入部(イントロ)終結部(アウトロ)は最初から確定していて、展開部において会議参加者がどのようにアドリブしようとも、少将は決まったアウトロに結論を導いていく。その終結部を描いたのは少将ではなく……。


「それが総司令部の決定なのか……」


 参加者のひとりが恨めしそうに少将を見た。


 ここに居ない中将以上の将官。本来いるはずの軍の司令も、憲兵団の支部団長も、今は首都にいる。首都の総司令部で方針は既に決まっていたのだ。会議の形を採ったのは、ライゼンに対するパフォーマンスとみえる。


 その後、少しばかり「でもでもだって」の子供の駄々のような、代替案を伴わない否定的意見が会議を紛々(ふんぷん)なものにしたが、全体の方向性は少将の試案、いや、少将が伝言形式で説明した試案の通りとなり、軍も憲兵も全力でその補佐にあたることになった。




 将官たちが敗残兵のように項垂(うなだ)れて会議室から退室していく。


「ズィーカ中佐、ドロギスニグ少尉は残りたまえ」


 アリステルと私は少将に呼び止められ、その場にはさらにライゼンを加えた四人だけが残った。ラシードとサマンダは会議室の外で待機である。


 ()()()がいなくなると少将は最高位将官としての悠揚な挙措を止め、キビキビとした動きで横に寝かせられていた鏡を立てて少将とライゼンの席の間に置いた。王の所有物である、国宝の鏡だ。


 共和国の王ジル・シャピエハ・ジバクマ。


 愚昧の極みのような話だ。王がいるなら共和国ではなく王国だろう。祭り上げられたというより、血統を探し当てられ、無理矢理引きずり出された挙句、実権の無い王位を押し付けられた不幸の象徴である。


 立憲君主国の完成かと思いきや、ジバクマは未だに共和国を名乗っている。一体どんな矜持が政治家や官僚に改名を躊躇(ためら)わせているのか、私には理解できない。どうせ薄汚い保身が転がっているだけだ。能力を使って知りたくもない。


 本人にとってはともかく、国にとっては幸運だったのが、この新しい王が指導者としての資質に恵まれていたという点だろう。だからこそ、ジバクマという国がかろうじて生き長らえている。




 鏡が起動し、対になった鏡と通信を始める。遠方にある、また別の鏡と共同で働くことで離れた場所との意思疎通を可能にすることができる、今では再現できない古代の技術が用いられた魔道具だ。


 鏡に通信先の映像と音声が映し出される。最初に侍女と思しき人間の姿が映り、しばらくお待ちください、と深く美しい辞儀を見せた後、映像が移り変わる。向こうの鏡が物理的に動かされているのだ。


 移動を終えた鏡は、空の玉座を映し出した。あれも本当は玉座などではない。


 少将に促された私たちは片膝をつく。その姿勢のまま待っていると、鏡は横から現れるジルの姿を映し出し、慌てて私は顔を下げて片膝跪拝の姿勢を取る。


 ギシリ。


 王が玉座に腰かける音がする。


「顔を上げて」


 ジルの許可が得られ、膝をついたまま顔を上げる。


「あと、その配置はすごい見辛い。鏡の前に椅子を四つ並べて座ってもらえる?」


 王の威厳などどこにも感じられない気楽(フランク)な語り口調で、鏡の向こうから指示を出す。そう言われるのが分かっていたようにライゼンは直ちに円環状の卓を避けると、鏡の前に椅子を並べ始めた。


「順番はどうでもいい。適当に座って」


 どうしていいかまごついていると、王が着席を促す。


 真ん中二つには座りたくない。


 私は慌てて端の席を確保した。


「クフィア久しぶり。バイルも」

「陛下におかれましては――」

「そういう堅苦しいのはいいから普通に喋って。いつも言ってるだろ。時間の無駄」


 さすが民間出の王。社長業を営んでいた経験が活きている。


「で、そっちの将官たちは上手くまとまったの?」

「予想通りの反応でした。特にいい代案もなく、一案で話を進めることができました」

「独断専行でワイルドハントに襲い掛かりそうな奴はいなかった?」


 軍人でもないのに王は現場で起きうるトラブルのことをなかなか分かっている。


「ゲルドヴァでは憲兵と軍の距離が近く、軍を無視して憲兵団がワイルドハントを攻撃することはないでしょう。それに、そもそも憲兵団だけではどうしようもない程強力なワイルドハントであることは、彼らも分かっています」

「それで、俺は何をすればいいのかな」


 まるで友人と話をするかのようにライゼンがジルに気安く尋ねる。


「今回のクフィアの仕事はワイルドハントを滅ぼすことじゃない。お前の娘を守ることだ。ラムサスにはワイルドハントの長が誰か、ということと、長の行動理念を確かめてもらう。兵はいくら死んでも変わりがいるが、クフィアとラムサスに死なれると替えが利かないからな」


 ジルは回りくどい言葉を選ばず、言うべき内容ズバリを言っていく。


 私の能力に代替する魔法を使える者は、このジバクマ国内、少なくとも軍の中にはいない。魔道具ではかろうじて近い働きをする物が存在するものの、それも今はオルシネーヴァの手中にある。


「ワイルドハントとの交渉が決裂しても、お前は決して向かっていくな。どれだけ兵や民衆に犠牲が出ても、だ」

「それでいいのか?」

「もう決めたことだ」


 ライゼンの眉間に寄った皺が、その苦しい胸の内を表現している。


 私がライゼンを、お父さん、と呼んでいたのも今は昔だ。それこそダニエルが健在だった頃まで遡る。関係が変わってしまった今、私を守ることをライゼンはどう考えているのだろう。


「陛下。ドロギスニグ少尉の能力の制限はご存じですか」


 現場で動く手足(わたしたち)と、作戦会議室から指示を出す(ジルたち)との間に齟齬(そご)があってはならない、とアリステルが確認を取る。


「少しはな。トゥールさんだったっけ? 強い相手だと連続使用できなかったな。あと、名字は長い。全員名前で呼ぼう」


 アリステルはジルよりも私の能力を把握している。私がジルと協力していたのはもう何年も前のことで、あの時は私も今ほど自分の能力の制限を把握していなかった。


 そんなことよりも切羽詰まった重大な問題がたった今発生した。こっ恥ずかしい愛称がこの場の全員に知られてしまったのである。


 一体誰だ、ジルに告げ口したのは。ああ、もうやだやだやだ。……帰りたい。


「ラムサス、陛下に説明を」


 帰る場所など無いにせよ、せめて下を向いて俯いていたかったところだというのに、アリステルが私に発言を促した。


 クールな情報魔法使いは赤面も消沈もしない。私は冷然と言葉を紡ぐ。


「はい。では、ワイルドハントの構成員にゼロナグラ公と同じほどの強さを持つ者がいたと仮定します。その者に私が能力を使った場合、長くて一か月は別の者に能力を行使できなくなります」

「一か月か……そりゃ長いな。うーん」

「一体に使い続けるのであれば連続して()()が可能です。ゼロナグラ公で考えた場合、下手を踏むと五時間で二つ、どれだけ上手くいっても五時間で七つ程度です。あと覚えておいでと思いますが、ワイルドハントに見られないように注意しないといけません」


 それ以上の細かいルールは自分でも突き止められていない。間違いなく重要なのは、相手と自分の強さ、特に魔力の比だ。私の方が強ければ調査は楽だが、相手が私よりも強いと調査は一気に難航する。


 また、相手に見られないようにしないといけない。わざとトゥールさんの姿を晒したロマナの場合は五日間も能力が使えなくなった。


「ワイルドハントの中で一番弱いのがポーラ、っていう人間だったな。あれはどの程度の立場にあるんだろうか」

「それが分からないのです。周囲の化物と比較すれば魔力は常人と変わらぬ程度です。ワーカー作業時の様子からして、おそらく情報魔法を使えるのだろうと推測します」


 ジルとバイルが悩んでいるのは、トゥールさんをポーラに使うべきかどうか、ということだ。ポーラがワイルドハントにおける小間使い、最も下っ端の存在であるとか、ワイルドハントの誰かにドミネートで操られている傀儡に過ぎないのであれば、ポーラにトゥールさんの能力を使ったところで得られる情報はたかが知れている。


 けれども、ドミネートを実用的に使う、となるとドミネートの行使者は人間ではなくリッチとか、リッチよりも上位の魔物であるエルダーリッチ、ということになる。アンデッドに操られて傀儡となった人間は、人間的な振舞いをしなくなる。まるで人形のように表情が無くなり、抑揚のない平坦な声で喋り、動作は戦闘時でもない限り活力の無い、下級のアンデッドのような鈍いものになるはずだ。そんな傀儡が、人間のワーカーの昼食に混じって談笑するなどあり得ない。


 では、逆にポーラがアンデッドたる他の構成員を操っている可能性があるだろうか? これはますますあり得ない。


 ドミネートという魔法は、人間だろうがアンデッドだろうが、強い相手には抵抗(レジスト)される。


 ダニエル・ゼロナグラが操っていたアンデッドを思い返してみても、数こそ多いものの、一体一体はそんなに強くなかった。シルバークラス中位のハンターでも倒せそうな程度だ。ポーラが人間だてらにドミネートを使えたとしても、プラチナクラスやそれ以上のアンデッドをドミネートできるわけがない。


 気になるのは建設作業をしている時に現場主任がポーラと話をすると、指示が全ての構成員に伝わった、という点だ。中から近距離での情報共有であれば高位情報魔法で説明が可能だ。あるいは今私たちがジルと通信しているような魔道具の類でも可である。


 こう考えると、ポーラがドミネートで操られた傀儡である可能性も、他の構成員を操るドミネート操者である可能性も低い。


「ポーラから情報を引き出せると楽なんだろ、ラムサス?」

「仰る通りです。ただし、もしポーラがドミネートで操られている傀儡だった場合や、低い立場の使いパシリだった場合は、重要な情報を得られないかもしれません。見方を変えて、本命に挑戦する前にいくつか確認を取るだけ、とするならば、長くとも数十分程度のロスで済むはずです」

「それでも数十分はかかるか……」


 鏡の前と向こうの両側から溜め息が漏れる。


 それでも、先ほどの会議よりはずっと建設的だ。どんな手札を持っているかを開示できない状態では、作戦の立てようがない。この場合における手札、私の能力は信用できる相手にしか教えられない。


 ジバクマが今も存続できている理由のひとつが、私の能力である、と自負している。こういう状況に陥った原因の一端も私にあるのだが……。


 私、ライゼン、アリステル、ジル、そしてバイル・リッテン。全員()()()に協力した“仲間”だ。誰ひとり欠けても渡り切ることのできない薄氷の道を歩んできた。


 先ほど会議に出席していた将官たちもいずれは“仲間”に加わってほしいが、一人ひとりを洗う時間が今は無い。首都に召喚されているゲルドヴァの中将たちは、信用に足らないとしてジルやレネーたちが適当に理由をつけて一時的に排除してくれたのだろう。


「あ、そうだ」


 アリステルが気合の抜けるようなトーンの高い声で、何か閃いたことを私たちに知らせた。

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― 新着の感想 ―
[一言] 一章の五十四話でクフィアはジェダの母親って言っているけど、ラムサスの父親でもある?? 名前は女性名っぽいけど。
[一言] 指示語で隠されてること多すぎて覚えてられるか不安
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