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第三話 テールニャの人狼 三

 女の確保を終えてしばらくすると、ラシードとサマンダが駆けつけてきた。


「ここにいたんですね。すみません、追いつくのに時間がかかって」

「彼女の脚が速くってね。ここまで逃げられてしまったよ」


 褒められた当の女は、というと、口答えするどころではなく、荒い呼吸を続けている。


「結構深手を負わせてしまった。回復は不十分。疲れている所悪いんだけどさ、こっちに憲兵を呼んできてくれないかな、ラシード。あ、できれば担架か、台車のような物も持ってきてほしい」

「了解しました」


 着いたばかりのラシードが、急いで来た道を戻っていく。


「深手を負わせた、ってことは、そんなにこの人が強かった、ってことですか」

「そうなんだよ。ライカンスロープのフリができるだけあるよね」


 三型の能力を考えると、それは少し違う気がする。ただし、女が強かったのは事実だ。


「さっき捕まえた男とこの人が一連の事件の真犯人だった、ってことですよね」


 問いかけるサマンダの口にアリステルがウインクで封をする。


「あ……ご、ごめんなさい」


 幻惑魔法が使えることや女の戦闘力から考えて、サマンダの言うとおり、この二人が連続殺人を犯していたとみてまず間違いない。しかし、それが真実であるか確定させるには、憲兵の取り調べを待たなければならない。しばらく能力を使えない私では、真相が究明できない。


 そうだ、確認しておく必要がある。


 情報魔法、魔力量測定魔法ディスコーティアスステアリングで女の魔力を確かめる。


 ああ、良かった。剣の腕が立つだけであって、案じていたほど魔力は多くない。




 その後、女を憲兵に引き渡し、私たちが把握している情報を憲兵に報告し終える頃には、鳥たちが朝を知らせる(さえず)りを奏で始めていた。


「あー、やっぱりぐっすり眠れる日は来ないんだ。あの便乗犯さえ変な気を起こさなかったら、一昨日はちゃんと眠れたはずなのに!」


 サマンダは小さな声量で、身振り手振りは精一杯大きくして慟哭(どうこく)している。気持ちは皆同じである。


「ハハハ。もう夜が明けてしまうね。宿に戻って少しでも休むとしよう」

「でも、もう朝ご飯まですぐですよ」

「朝食はキャンセル。睡眠時間を確保して、今日はブランチということにしよう」


 眠ってもよい、という上官の厚情に、眠気をおくびにも出していなかったラシードも喜びを隠しきれずに身を前のめりにしている。


「でも大丈夫なんですか? 任務完了すると、すぐ次の任務の指示が与えられますよね」

「何言ってるのさ、ラシード。まだ任務は完了していないよ。さっきの二人から憲兵が確固とした自白を得るまで、犯人捜しは終わらない」

「じゃあ、本当に休めるんですね」


 アリステルが優しく微笑む。上官というよりも保護者が見せる笑顔だ。


「やったー!! じゃあ、早く戻りましょう」


 ここ一週間程は、食事よりも睡眠が圧倒的に足りていない。次の任務のことを考えずにまとまった睡眠時間を確保できるとなると、嬉しいのはラシードだけではない。アリステルの言葉には多分に方便が含まれている。おそらくアリステルは気付いている。私の能力の回復に時間がかかることを考えると、ここで一呼吸置かざるを得ないのだ。……などと、理由をつけてはみても、深く眠れるのは私も純粋に嬉しい。




 宿に着き、各自部屋へ戻る直前に私だけアリステルに手招きされた。


 アリステルの前に直立する。


 薄く、本当にごく薄く笑っているようないつものアリステルの顔だ。美しく濡れた黒い髪の毛に少し白いものが混じり始めているが、整った目鼻立ちがアリステルを年齢よりもずっと若々しく見せている。長時間の任務の結果として、口の周りにはポツポツと髭が顔を出してきている。更に連続した任務になると、髭にも白い毛が混じっているのが分かるようになる。


()()()()んだよね?」


 アリステルは静かに現状を確認してきた。


「はい、申し訳ありません」


 あの女にトゥールさんの姿を晒したのはアリステルの指示ではなく私の独断だ。


「叱責してるんじゃないさ。それで、どのくらいかかりそう?」

「おそらく一週間はかからないと思います」


 一週間という言葉を聞き、アリステルは苦みを含んだ顔になる。


「余計なことをしてしまいました」

「ラムサスは何も悪くないよ。僕もさっきの女性はもっと簡単に倒せると考えていた。あぁ、やだよね、やっぱりさ」


 犯人確保ために取った行動として、私の判断は軽率だったかと慙愧(ざんき)を感じる以上に、アリステルは不甲斐なさや口惜しさを感じているのだろう。


「班長……」

「さあ、これからのことも考えないといけない。今一番考えるべきことは体力の回復だ。このことは忘れてゆっくり休もう」


 後悔はいくら打ち消しても次から次に湧いてくる。アリステルの言うように、後悔に打ちひしがれることよりも、身体を休めることのほうが大切だ。考え事などしていてはすぐに休む時間が無くなってしまう。


 アリステルの言葉に背中を押されるようにして私は自室へ戻った。私を待たずに、扉の鍵を開けたままで間に眠りの世界に落ちていったサマンダを横目に私も少しだけ装備を外す。


 今日は私が簡易装備で休む番だ。二分の一とはいえ、眠るには邪魔な装備を全て外して休める日が、今日この最も深く眠れる日に当たるとは、サマンダは運がいい。


 同室者の幸運に嫉妬しながら、追いかけるように私もすぐに眠りの世界に落ちていった。




    ◇◇    




 久しぶりに人並みの睡眠時間を取れたというのに、身体は節々に痛みがある。装備をつけたまま深い眠りに落ちたせいだ。ただ、痛みにさえ目をつぶれば、疲労が取れているという実感はある。


 日中は軽めの所用をこなし、夕方になってからテールニャの牢へ向かった。


 テールニャは大都市というほど大きくはない中規模の街だ。これくらいの規模の街であれば監獄や留置場、刑場などは分かれておらず、全ての役割を一か所の牢が担っている。牢に勤める憲兵から取り調べの結果を確認したアリステルが私たちにその内容を教えてくれた。


「女の方が全て話してくれて、事件はこれで解決のようだよ」

「随分早く口を割ったんですね」

「そういう手を使ったんだろう」


 拷問したのだろう。情報魔法の使い手は極めて少数であり、しかも情報魔法では、黙秘を続ける容疑者から真実を暴くことは難しい。自白の強要のほうが、よほど現実的な手段である。拷問にも規則は設けられているが、この国の状況ではそれがどれだけ守られているか分からない。




 アリステルが語った事件の全貌はこうだ。


 一連の殺人事件を起こしたのは私たちが捕まえたサメク姉弟。姉のロマナ・サメクと弟のツチラト・サメクの二人組。


 二人はジバクマ国内を渡り歩きながら、ペアのハンターとして生計を立てていた。ロマナは昔から猟奇的な趣味を持っていて、それがテールニャに着いて以降、殺人にまで至るようになった。


 初めて人間の被害者を出した時、弟のツチラトは幻惑魔法を使って捜査を撹乱(かくらん)することを企てた。死体に爪や牙で襲われたような特徴的な傷をつけ、魔法で作り上げた隻腕の人狼の姿を市民に晒すことで、犯人はライカンスロープ、しかも隻腕の者であると思わせることにした。


 捜査の目を逸らしたのはいいがロマナの殺人衝動は一向に収まらず、次々に人を殺したために憲兵の捜査は厳しくなっていった。


 テールニャの街を離れることに決めた昨日、永遠に捜査の対象となってもらうため、犯人役にうってつけである隻腕のモンスを、ネズミ駆除の仕事場である下水道で殺害した。死体はその場でバラバラにして投棄した。よって、死体の回収はほぼ不可能。


 モンス殺害後、二人はテールニャ最後の標的を酒場で調達した。人通りの少ない路地まで誘い出して殺害したところで私たちアリステル班に見つかった。




「口を割らない弟のツチラトと違って、姉は簡単に自供したらしい。幻惑魔法を使えるのだから、余罪はまだまだありそうだ。取り調べはこれからまだまだ続く」


 弟は姉に付き合わされただけなのか、それとも弟もそういう人間だったのか、今の私では分からない。しかし、それは犯罪を裁く上で大きな問題にはならないだろう。何人もの人を(あや)めたのだ。主犯ではないツチラトも、死刑を免れるとは思えない。


 本当にライカンスロープであれば、この先表舞台に出てくることはできなくとも、死刑にはならない。終わりのない実験台にされる分、むしろライカンスロープだったほうが犯人たちにとっては悲劇的な結末といえるのかもしれない。




「幻惑魔法の怖さがよく分かりますね」

「ああ。だから才能があるだけでは、幻惑魔法は一律に教えられない。ジバクマ以外の国でもそうなんじゃないかな。犯罪に使われると捜査にかなり苦労するからね。幻惑破り(アンチデリュージョン)を使える魔法使いは限られるし」


 幻惑魔法を見破るアンチデリュージョンは情報魔法。情報魔法使いである私もアンチデリュージョンは習得していない。


 私の場合は必要ないとも言える。アンチデリュージョンが中身を隠す箱の蓋を開ける魔法だとすれば、私の能力は蓋を開けずに中身の大凡(おおよそ)の見当をつけるようなものだ。


「さて、任務が完了したところで次の任務のお話だ」

「えっ、やっぱりもう、なんですねー」

「この班を遊ばせておく余裕は、この国には無い、ということだね。しかも、いつもの任務以上に次の任務は重大だ」


 国がアリステル班に投げてくる任務は常に一癖ある。一筋縄ではいかないからこそ私たちが必要になるのだ。それは往々にしてアリステルの知識や技術、経験を求めるものか、私の能力を求めるものであることが多い。私が不能になっている今、後者だと非常に苦しい立場に置かれることになる。


「ジバクマに新たなワイルドハントが姿を現した。その調査に向かう」


 アリステルの口から放たれた言葉は、私が想定していた難題を遥かに上回る絶望を押し付けてきた。


「ワイルドハント!! それは本当なんですか!?」


 ラシードが声を荒げる。


 興奮するのも当然だ。ワイルドハントが出現したとなると、その規模や実力によっては国家の存亡の危機だ。


 十年と少し前に没した大アンデッド、ダニエル・ゼロナグラ。公国だった時代から始まり、ジバクマ共和国内において最後にして最大の領土を治めていた大公ダニエルも、かつてはひとつのワイルドハントの長だったという。


「統率されたアンデッド集団の出現。これは確定している事実だ。機密情報どころではなく、該当地域周辺の一般住民にも知れ渡っている」


 一口にワイルドハントといっても、その性格は集団によって異なる。


 ワイルドハントと指すにあたり、明確な定義というのは存在しない。人の住処に拠点を置かず、移動を続けながら魔物を狩り、時として人間すらも狩るハンター集団、それがワイルドハントだ。


 構成員は人間以外の種族であることが多い。一帯に殺戮と破壊を撒き散らすだけの厄災のこともあれば、比較的穏やかで人間と交流を持つ場合もある。知恵比べや力比べをしてワイルドハントを負かした人間に無二無三の魔道具を与えた、などという伝承もある。


「そのワイルドハントは、どこでどんなことをしているのでしょう?」

「場所はゲルドヴァ」


 ゲルドヴァ……。ここテールニャからは距離がある。歩いて向かうのであれば、ゲルドヴァに着く頃には私の能力も回復しているはずだ。ただし、そんなに悠長な行動を取る時間があるとは思えない。


「ここからは(にわ)かには信じがたい話なんだ。そのワイルドハントは……」


 アリステルが言葉を躊躇(ためら)うように息を呑む。


 口にするのも(はばか)られる残虐行為が繰り広げられているのだろうか。


 班員全員が固唾を飲んで次の言葉を待つ。


「そのワイルドハントは、ワーカーとして建設作業に従事している」


 は?


 アンデッドが……建設作業?


 ワイルドハントの構成員の中に何人か人間がいて、その人間がワーカーとして働くことがある、ということだろうか。


「特に“足場”なんかは、人間以上に、それは見事に作る。ゲルドヴァに現れた後、しばらくは問題を起こすこともなく穏やかに働いていた。それがある日、報酬を吊り上げようとゴネて暴れ、それで国に救援要請がきたみたいなんだ」


 何もかもおかしい話だ。ワイルドハントではなく、普通のワーカーと雇い主との間に起こったイザコザが誇張されただけなのではないだろうか。


「それ、本当にワイルドハントなんでしょうか?」


 サマンダがごく当たり前の疑問を呈する。是非、私以外の誰かにそのことを質問してもらいたかった。でかした、サマンダ。


「僕も見たわけじゃないからね……。でも、憲兵だけではなく、軍でも教会でも、その集団がアンデッドであることを魔道具と魔法で確認したみたいだよ」


 私たちが抱いた疑問は、憲兵、軍、教会でも検証済みの問題だった。


「規模は大きいのでしょうか?」

「それが十体に満たないんだ」


 十体に満たないアンデッドが暴れたくらいで、なぜ憲兵や軍が鎮圧できないのだろうか。その十体はそれほど強大なアンデッドなのだろうか。確かにダニエルのような特別なアンデッドが一体でもいれば、軍の側が大隊単位でも壊滅は免れない。


 ジバクマの現状を考えると、大隊をいきなり動かせるわけがない。魔物狩りが専門ではない軍人の小隊が動いたところで、場合によってはリッチ一体に苦戦するかもしれない。


 いや、でもリッチ一体とその取り巻きが数体であれば、ゲルドヴァよりもっと小さい地方都市であっても教会勢だけで何とかできるはず。そう易々といかない十体、ということに間違いない。


 強力な個体が相手であれば、こちらも少数精鋭で臨むべきか。リッチの類は、新鮮な死体から直ちにアンデッドを作り出す能力を持っている。本来であれば、死体にアンデッドとして偽りの生命が宿るまで一週間程度の時間を要する。その時計の針を進める能力とでも表現したらよいだろう。雑兵を連れて行っては、殺されてアンデッドに作り替えられてしまう。言うなれば、ワイルドハントに戦力を供給するようなものだ。


 しかし、そんな強いワイルドハントが、なぜワーカーとして人間の街で働く。イマイチ納得に足る説明が思い浮かばない。腑に落ちないことは、他にもまだまだある。


「ワイルドハントが現れた。軍が動いた。そこまでは分かるのですが、私たちの調査の本当の目的は何なのでしょう?」

「うん、気になるのはそこだよね。救援を要請してきたのは、このワイルドハントに手配師を介して仕事を依頼した雇い主だ。ワイルドハントに報酬釣り上げを強要された、と雇い主が主張する一方、他のワーカーや周辺住民は、雇い主とは異なった証言をしている」

「それはつまり……」

「多分、その雇い主は、国に真実を言っていないんだと思う」


 アリステルも私と同じ考えのようだ。金に執着を見せるアンデッドなど聞いたことがない。金銭への執着が人間ほどみられない、という点が、統治者として人間よりも向いている、と判断されるからこそ、「アンデッド名君待望論」なんてタイトルの本が刊行されるくらいだ。


 そういう意味では、ワーカーとして建設作業をこなし金を稼ごうとする時点でおかしいのだが、後から報酬を吊り上げようとしてゴネるなど、全くアンデッドらしくない。むしろ、そういうのは人間がすることである。アンデッドがゴネたのではなく、仕事が終わった後で雇い主が既定の報酬を払い渋った、というほうがよほど腑に落ちる。


「調査は、そのあたりの整合性を確認することも含まれる。でも、それは主目的ではない。元の行動から判断するに人間への敵対性は稀に見るほど低いワイルドハントみたいだから、なんとか国の味方に引き入れられないかを探る。それが今回の任務の本当の目的だ」


 ワイルドハントの出現は確かに国難になりうるが、味方になるのであればこれほど心強い存在はない。しかも、構成員がアンデッドとくれば、疲れも恐れも知らずに戦い続けられる集団ということになる。アンデッドの公などいない敵国オルシネーヴァとの戦闘にぶつけたっていい。結果、ワイルドハントが全滅したところでジバクマ軍の戦力を失うわけではないのだから。


「では急がないといけませんね」


 ラシードはワイルドハントと聞いても怖くないのだろうか。ラシードの背後に燃え上がるやる気の炎が空目できてしまう。


「いや、諸事情があって急いでも意味がない。出発は明日だ」

「えっ、明日でいいんですか?」


 ラシードのやる気が音を立てんばかりに抜けていく。いつもながら分かりやすい人だ。


「諸事情ってなんですか、班長」

「重要機密だから言えない。でも、ゲルドヴァに着けば意味が分かるよ」


 サマンダとラシードは顔を見合わせる。私が不能になっていることはアリステルしか把握していない。


 早く着いたところで、ゲルドヴァで足踏みさせられるだけだ。


 大切な仲間であればこそ、こういう時に秘密を話せないのは辛いが、別に二人を裏切るような嘘の類ではない。それに数日もすれば私の秘密は消えてなくなる。アリステルは私の不能以外にも何か秘密があるように思われる。多分ゲルドヴァに着けば分かるのは、そちらのほうだろう。


「じゃあブリーフィングは終了。日が沈むまで少しだけ時間があるから、久しぶりに訓練をしようか。憲兵の訓練場を借りてさ」


 三人の表情が凍り付く。ラシードに至っては、ワイルドハントという単語を聞いた時よりも絶望的な表情をしている。


「最近は任務ばかりで訓練の時間を取ることができなかった。実戦で発揮される実力というのは、訓練とか基礎練習、そういうので積み重ねたものなんだよ。みんな、そんな顔しないで。今日は軽めにしておくからさ」


 今日も、である。能力があったところで見抜けない嘘のひとつだ。アリステルはあの厳しい訓練を指して、本気で「軽め」だと思っているのだから。




    ◇◇    




 翌朝早くテールニャの街を発つ。ここから徒歩だと二日三日ではゲルドヴァに着かない。しばらく宿には泊まれない。寝心地が良かった分だけ、たった数時間前に離れたばかりのテールニャのベッドが恋しい。


 アリステルの、急いでも詮のない、という言葉どおり、私たちは街道沿いの魔物をいくらか討伐しながらゲルドヴァへ向かった。そのため、最初の数日間、一日あたりの移動距離は短めだった。


 五日目に入り私の能力が回復したところで移動速度を引き上げ、テールニャを出発してから一週間と経たずにゲルドヴァ入りした。




「ゲルドヴァって本当に大きな街ですねー」


 ゲルドヴァに来るのが初めてのサマンダは、街並みを眺めて感嘆を漏らしている。先日まで滞在していたテールニャもそれなりの規模の街だったが、ゲルドヴァはそれよりも更に大きい。


 私の朧気な記憶の中にあるゲルドヴァの街は、日中の人通りが今よりずっと少ない。あれから流入があったのだろう。なにせジバクマ北西部最大の都市であるゲダリングがオルシネーヴァに奪われたのだ。


 戦火を逃れて避難したゲダリング住民の最大の受け入れ先が、ここゲルドヴァだったのだから、それは人口も膨れ上がるというものだ。


「僕が前に来た時はこんなに人で溢れてはいなかった。大通りの人口密度は首都に匹敵するかもしれないね」


 ここゲルドヴァはオルシネーヴァとの戦線に最も近い街だ。しかし、道行く人々の顔に深刻な悲壮感は漂っていない。


 近頃戦争は膠着状態だ。砦を落とされた、という悪報も、占領されていた街を奪還した、という朗報も聞こえてこない。両軍は睨み合いが専らで、時折小競り合いが生じるだけ。それでも戦争だけあって経済は動く。その好況に最も(あずか)っている街のひとつがゲルドヴァだ。


「この人出を見る限り、本当にワイルドハントが住民に危害を加えることはないようですね」

「うん、それは事前の報告どおりだ。あまり人の多さに気を取られていないで、駐屯地に行こう」


 賑わっている街中を抜けて街外れの軍の駐屯地へと向かう。


 駐屯地へ着くと、休む間もなく司令部へ案内される。駐屯地に建造されている軍の建物は一見して簡素な作りをしている。防衛線が突破された場合、ここははたして防衛能力があるのだろうか。


 そんな不安を抱きながら、アリステルとともに全員で司令部の会議室へ向かった。


 本来ならアリステルひとりが召喚されてもいいようなものである。なぜ私たちまで会議室に呼ばれるのだろう。まあ、受け答えをするのはアリステルだ。私たちは、個別に問われるまで黙って話を聞いていればいい。


 ラシードはそう思っていないようで、がちがちに緊張している。取って食われるとでも思っているのだろうか。魔物や犯罪者相手には怖気づかないのに、お偉方の前に立つのが怖いのだ、この人は。


 ここまで私たちを案内してくれていた駐屯地配属の軍人が会議室のドアを三度ノックすると、中から、誰だ、と返事がした。


「首都防衛部隊所属ズィーカ中佐とその班員をご案内しました」


 入れ、という言葉に促され全員で入室する。案内役の軍人は敬礼を残して下がっていった。


 中は十人以上が楽に座ることができる広さと座席、それに円環状の卓があった。


 そこで待っていたのはたったひとりの将官だった。卓の上に本や報告資料などは何も無い。私たちが来るまでこの人は、この部屋でボンヤリとでもしていたのだろうか。


「ご苦労。見知らぬ顔もあるし一応名乗っておくか。ここの司令補佐、少将のバイル・リッテンだ。今は私が中将の留守を預かっている。まあ掛けたまえ」


 バイルが私たちに着席を促す。班員の手前がある。本当に座ってもいいのだろうか。


 アリステルの着席を見届けた後、ラシード、サマンダと階級順に動くのに続いて私も席に着いた。


「私のほうから状況を説明してもいいんだがね。今憲兵団から事情をよく把握している者を呼んでいる。すぐに来るはずだ。二度手間を避けるため、そこで少し待っていてくれ」


 バイルはそう言ってアリステルと私に視線を流したきり、口を閉ざした。




 沈黙に包まれたまま数分ほど待っていると、ドアが外からノックされる。


「憲兵団ピラート中尉、入ります」


 入れ、の許可と同時、いや許可よりも少し早かったのではないだろうか。ピラート中尉と名乗った男が入室してきた。


 ピラートは円卓を挟んで私たちの反対側に回り込むと、空席の前に立ってジッと少将を見つめる。口は何も動いていないが、目が明確に何かを要求している。


「座れ」

「はい!!」


 待ってました、とばかりにピラート中尉が席に座る。


「このピラ――」

「お茶を入れましょうか!?」


 喋り始めたバイルを遮り、着席した直後のピラート中尉が叫ぶように尋ねる。


「勝手に入れろ」

「はい、失礼します!!」


 ピラート中尉はすぐに立ち上がると、ツカツカと会議室から出て行った。そして数分もするとワゴンとともに戻ってきてお茶を給仕し始めた。


 ここでは憲兵が軍の施設内でお茶を入れているのか……。


 ピラート中尉は無言でバイルに給仕した後、私たちの前にもティーカップを並べていく。そして、私たちひとりひとりに、ロッキーです、と話し掛けてきた。


 ロッキーとは何だろう。茶葉の種類かな?


 全員に茶を配り終えると、中尉はワゴンを自分の席の隣に置いて再び席に着いた。


「では中尉、紹介しよう。そこに座る彼がアリステル・ズィーカ中佐。そしてその三人が彼の部下たち。通称アリステル班の面々だ」


 ピラート中尉は自分で注いだお茶をゴクゴクと飲みながら横目で少将を見て話を聞いている。


 見ていて冷や冷やする。


 ピラート中尉はお茶を飲み終えるとティーカップを置き、「はい、ロッキー・ピラート中尉です!! 宜しくお願いします!!」と、元気よく私たちに挨拶をして自分のティーカップにお(かわ)りを注ぐ。


 ロッキーとは自分の名前だったのか……。


「ピラート中尉。彼らにワイルドハントについて説明してやってくれ」


 ロッキーは先ほどと全く同じようにお茶をゴクゴクと飲みながら、横目で少将を見て話を聞いている。


 私の右隣に座るラシードとサマンダがそれを見てプルプルと震えている。私に感染するから震えるのは自粛していただきたい。


 カップを空にしたロッキーは、淀みなくワイルドハントについて説明し始めた。お茶を注ぎながら。

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― 新着の感想 ―
[一言] アルバートの魔力視はほんとに魔眼だったっぽいな
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