第二話 テールニャの人狼 二
ベルケンが右手にピックを隠し持っているのは先ほど一瞬だけ見えた。四人に囲まれていても戦意は萎んでいない。自分の実力に自信があるからだ。
「君は昨夜、酒場で知り合ったばかりの女性を外へ連れ出した後、以前のハント仲間の納屋から盗み出した金爪とピックで彼女を襲って殺した。そうだね?」
犯人は敵意剥き出しで、いつでもこちらに飛びかかれる状態。私たちも武器を構え直し、いつでもそれを迎え撃てる状態。もはや探り合いは不要。アリステルはいきなり核心を突いて話始める。
「何を言ってるんですか。あなたたちは。私はそんなことしていませんよ。大体あなたたち、本当は憲兵じゃないでしょ? 何の権限があってこんなことを」
口先でこの場を煙に巻くことができれば私たちから逃れられるとでも思っているのだろう。そういうお優しい聴取は憲兵に期待すればいい。そんな時間の浪費になど、私たちは付き合わない。
「我々は心を読む魔道具を持っている。君の否認は何も意味を持たない。隠し持っている武器を手放して大人しく逮捕に応じろ」
口から出まかせだ。論理武装をしてくる相手にこういう手段を使うと、後から手痛い反撃を食らわされる諸刃の剣になりかねない。しかし、ベルケンの舌鋒は見せかけだ。少し追い込むだけで必ずボロを出す。
「ふ、ふ、ふ……。そんな馬鹿な話が……あるかああああ!!!!!!」
ベルケンは床を強く蹴り、四人の一番右端に位置する私に向かって突っ込んできた。
右手にはピックを持っている。左手にも何か隠しているかもしれない。
正眼に構えた剣で、ベルケンの右手を強く弾く。腕を切り落とす必要はない。飛び道具として牽制に使うならまだしも、剣を相手にするにはピックは武器として小さくか弱すぎる。
弾かれるのはベルケンも分かっている。本命は左手。ベルケンの体重の乗った左手が私の首筋を狙って伸びてきた。
自分の剣の振りに引きずられないように片手を握りから離し、大きく上半身をよじってベルケンの左手を既のところで避ける。
これで二手、ベルケンの攻撃を捌いた。二手も捌けば十分。
ベルケンの左手が私の眼前を掠めた直後、ベルケンの身体は床に叩き潰された。私の左側にいたラシードによって上段から振り下ろされた剣の腹が、ベルケンの肩口から背中を直撃したのだ。
受け身を取れずに地面に沈みこむベルケンが動き出す前に、その身体の上へ私も体重を乗せて関節を極め、確保を完了する。
痛みに苦悶するベルケンには構わず両腕を拘束した所で憲兵が建物の中へ入ってきた。後の面倒な作業は本職に任せるべきだろう。
「大丈夫? 怪我はない、ラムサス?」
「見てのとおり、無傷で終了です」
ラシードは私の身体を前後左右から見回し、どこも負傷していないか確かめる。
「今は大丈夫だったみたいだけど、あの隊形はやっぱり良くないよ」
ラシードとしては、アリステルと自分を前面に出し、私とサマンダの二人には後ろに下がっていてほしいのだろう。
実力的にはラシードの言い分に理がある。とはいえ、ラシードとて最初から強かったのではない。ラシードはここ最近急速に実力を伸ばしている。ちょっと前までは私とどんぐりの背比べだったはずなのに……。
ラシードは強くなる下地があった。ようやくその殻を破りつつある、とでも言ったらいいのだろうか。度重なる命の危機がラシードを強くした。ラシードはもうプラチナクラスの入り口に足をかけている。
私とサマンダは戦闘力において、ラシードから一線も二線も劣る。ついこの間までほとんど変わらない強さだった、という、自負心と呼ぶには醜悪な邪念が私の心をささくれだたせる。
「いえ、私たちも任務の中で強くなる必要があります。二年後には今の大尉より強くなってみせます」
「それを言うなら二年後には俺はもっと強くなっている。それに役割分担ってのがあるじゃないか。戦闘力まで劣っているんだと、俺の存在価値が無くなってしまう。ラムサスに求められている力は、相手を腕っぷしで叩きのめすことじゃないだろ」
なぜ私よりも強くあろうとする。やめてほしい。
私だってこれ以上弱い立場に甘んじていたくない。私は強くなる必要がある。
彼のためにも、いつか手が届かなくなるその日まで私が守らなければならない。
私よりどれだけ強くなろうとも……。
「確保じゃなくて殲滅が目的なら、ラムサスももっと動きようがあった。実力に自信がある標的相手で、しかもその攻撃を防げるなら、先ほどの誘い出しは悪くない。事前の調べでは、ラムサスとベルケンの実力は伯仲していたし、実際の動きもそうだった」
総合力ではベルケンのほうが私よりも優れているのかもしれない。しかし、ベルケンの強さはあくまでハンターとしてのものだ。軍人である私たちと違って、対人戦の訓練には勤しんでいない。殺し合いなら一対一でも私に分がある。ベルケンはベルケンで、私を人質か盾にでもしようとしていたようだから、お互い相手を殺さない戦い方をしていたことになる。
「ですが班長!」
「ちょっと強くなったからって、私たちが全く戦えないみたいな考え方、ひどいと思いまーす」
大尉たるラシードをなじる中尉のサマンダは、この四人の中だと最も弱い。それでも、もうゴールドクラスが見えている。
どれだけ訓練を積んだところで、実戦で動けるかどうかは別の話だ。プラチナクラスの基礎能力があるが、実戦経験が少なく具体的な戦績に欠けている人間よりも、経験豊富で現場において確実に動けるゴールドクラスのほうが役に立つ。
ここにいる全員が戦力として求められていて、かつ成長を義務付けられている。ラシードの純情を一々真に受けていては、私とサマンダは成長の芽を摘まれることになってしまう。
「ふんっ!! 分かったよ!」
いつもどおり三対一の構図になり、ラシードが渋々矛を収める。何も分かっていないまま。
ラシードは私たちが求めている事の本質が分かっていない。
「よし、消耗はほとんどなくここの犯人を確保できたんだ。元の仕事に取り掛かろう。いい時間ではあるから、ラシードとサマンダは昼食を調達してきてくれ。私とラムサスは西の容疑者の所へ向かう。後から追いかけてくるように」
「了解です、班長」
「了解……」
四人班で良かった、と思える瞬間だ。不機嫌になったラシードを最も早く宥められるのがサマンダだ。班長でもいいのだが、そうなると私とサマンダが組んで行動することになる。宿で休むときならともかく、戦闘力という意味で私とサマンダがペア行動を取るのは好ましくない。
◇◇
思い返してみると昨日の私はボケていた。たとえ情報に欠けていても、ライカンスロープであることをより確実に否定するための持っていき方はいくらでもあったはずだ。それなのに、気付けば早く仕事を終わらせることに終始していた。やっている最中は全くそれと自覚していなかった。
気付きさえすれば簡単だ。やはり西の容疑者はシロだ。この人間の意識は連続性を保っている。二型のライカンスロープではないし、ライカンスロープ以外の普通の犯人でもない。
調査が終わったところでラシードたちが合流してきた。
「すみません、遅くなって。小さなことで憲兵にも民間人にも足止めを食らい、時間を取られてしまいました」
遅めの昼食を調達するだけの割には合流に時間がかかったラシードが事情をアリステルに説明する。緊急の場合は別として、憲兵に素っ気なくして心証を悪くすると快く手を貸してくれなくなり、軍と憲兵の対立に繋がってしまう。民間人からの頼み事を無下に拒否すると、軍への反発が強くなる。呼び止める手と掛けられる声を振り切るのもほどほどにしなければならない。
「大丈夫、こちらは問題なく終わった。だろ、ラムサス?」
「西の容疑者の潔白をより深く確信するに至りました」
「となるとやっぱり東の容疑者か。西と東……呼び分け易くはあるけれど、毎回足を運ぶ身にもなってほしいよな。なんで街の真逆にいるんだよ」
愚痴を吐くラシードではあるが、その機嫌はすっかり治っているようだ。元々長引くタイプではないとはいえ、サマンダの話術は見事なものである。サマンダのしたり顔も甘んじて受け入れよう。
行動食として遅い昼食を頬張りながら全員で東へ移動する。
東の容疑者……モンス。ひとり暮らしのシルバークラスハンター。人を直接襲う強さの魔物は決して狩らない、ネズミ専門のハンターだ。街の衛生管理には欠かせないネズミ駆除の専門技能を有しているからこそのシルバークラスであり、戦闘力ではカッパー以下、おそらくレードクラスだろう。あの痩せ方だと、もしかしたら更に下かもしれない。
人狼形態の強さと、人間形態の強さは必ずしも相関しない。むしろ、人狼形態のほうにエネルギーを奪われ、人間時の体格がどんどん貧相になっていくこともある、とアリステルは言っていた。モンスもそうなのだろうか。
街の反対側、モンスの家の付近に着いたのは、まだ明るさの残る時間帯だった。
「容疑者はまだ仕事から帰っていないみたいですね」
隻腕のハンターだ。奴の狩り方は罠狩りが基本。ネズミの行動の鈍る日中に罠の設置、確認、回収を行う。日中モンスがどこにいるのかを逐一把握している者は誰もいない。夕方になると家に戻ってくるから、家の近くで待つほかあるまい。
「班長、今日はどれくらい粘りますか」
「昨夜の凶行は別人の犯行だったからね。真犯人の活動性の高さ、頻度を考えると今夜また新たな事件が起こってもおかしくない。今一番疑わしいのは、この東の容疑者だ。私たちが帰った時に、晩飯になんとかありつける時間帯ギリギリまでは頑張ろうか」
ここテールニャはそこそこの規模の街であり、その夜は長い。質さえ選り好みしなければ、深夜近くまで食事を提供する店がある。つまり私たちの行動は今日もまだまだ終わらない、ということを意味している。
私たちはいつ帰ってくるか定かでないモンスの帰宅を黙って待つことになった。
◇◇
「もう日が暮れて大分になるのに、帰ってきませんね」
「確かに遅い」
時間に堪えるため思考を無にしていた私たちも、色々と考え出さざるを得ない。
「もしかしてお仕事先からそのまま犯行先に出向いたんじゃないですかー?」
「奴が犯人だったとして、人間狩りに出る前には一度自宅に寄ると思ったのだけれど。本職の、ネズミ狩りの荷物があるからね」
不要な荷物を置くため、一旦家に帰る。
それは自然な発想だ。ただし、人間から人狼へ変わる際に意識が連続しているのであれば、の話である。
こういう捜査をする場合、自分自身が完全に犯人になりきったつもりで考える必要がある。自分がライカンスロープ二型だと仮定して考える。
人狼になる前に自覚できる前兆があり、時間的な余裕があれば自宅に荷物を置きに行くことができる。だが、人間形態から人狼形態に変わるのが、まるでくしゃみでもするように一瞬で変化するのであれば……。
鼻にむず痒さを感じてからくしゃみが出るまでなど、長く見積もっても数秒のものだろう。
「二型なら中尉の言うとおり、真っ直ぐ犯行に向かうかもしれません。荷物を置きに家に立ち寄る、というのは一型の行動のように思います」
「なるほど。言われてみると確かにそうだ。この時間まで帰ってきていないことだし、もし今夜犯行が起こるのであれば、このままここに張り込んだところで未然に防ぐことができない。中心街へ戻ろう」
今夜は真犯人による事件が起こるかもしれない。そう思うと気も身も引き締まるというものだ。通りを歩く者誰しもが怪しく見えてくる。なまじ街の規模が大きいだけあって、立て続けに人が殺されているというのに日没後の外出を自粛する様子が見られない。他人事のように感じているのだろう。
人口の少ない小さい村であれば、不要不急の外出を控え、余所者を締め出すところである。しかし、その希薄な安全意識のおかげで余所者の私たちも宿を取り、食事にありつけているとも言える。
「二人組以上で歩いている人たちばかりですね」
「この時間帯にひとりで歩くのはいくらなんでもあまりというものだろう」
その組んでいる相手がライカンスロープだったら? そんなことは考えないのだろうか。
種族としてのライカンスロープは淘汰され、ジバクマにはもういない。世界のどこかにはまだいるのかもしれない。
少なくとも、今のジバクマで見られるのはライカンスロープという病魔に侵された元人間だけだ。昔からの知り合い、それこそ親先祖からの付き合いだった親友や、長年連れ添った伴侶だったとしても、それがある日いきなりライカンスロープになるかもしれない。そういうものなのだ。
それを見抜け、というのも酷な話であり、複数人で歩くのは当然といえば当然。ライカンスロープの身体能力を考えたら、それでも心許ない。それがどんなに弱い個体であっても、ライカンスロープを倒そうと思ったら、討伐者の側に最低限ゴールドクラスの力が求められる、とアリステルは言っていた。最低でも私やサマンダくらいの強さが必要、ということだ。
今の私は具体的にどれくらいの戦闘力があるだろう。民間人の成人男性程度であれば、二人同時に襲い掛かってきても負ける気はしない。装備を整えた憲兵二人が相手になると少し……いや、大分怪しくなってくる、といったところか。
「容疑者、いませんね。ここじゃないのかな」
「探す場所が繁華街であっているとしても、人間をひとり探し当てると言うのは難しいものだよ」
これで舞台がテールニャではなく更に大きな都市になると、人探しはより難航する。そんな状況にも対応可能な能力を身に着けられるなら習得したいものだ。
「店にひとつひとつ入ってみますか?」
「憲兵でもないのに冷やかしはちょっとね……。向こうには我々の存在に気付いてもらいたくないし」
モンスは私たちの顔を知らない。モンスが知っているのは、私たちよりも前にモンスの所に聞き取りに行った憲兵の顔だけである。憲兵に代わって私たちが引き続きモンスを追っていること等知らないから、通りすがりにお互いの顔を見たところで奴はこちらを怪しまないはず。
調査で犯人だと確定させられればそれが一番だが、シロともクロとも判定し難い場合は位置を捕捉した上で犯行直前まで泳がす、という手もある。その場合、新たな犠牲者が出ないようにするのはやや難しくなる、が……ん?
予想外の情報が舞い込んできた。
「班長」
視線だけは前を向いたまま、何気ない口調でアリステルを呼ぶ。
「どうした。奴を見つけた?」
「いえ、それとはまた別件です。向こうは私たちに気付いています。取り敢えず、この場所はこのまま真っすぐ抜けましょう」
しばらく道なりに進んだ後、角を曲がって路地裏に入り、周囲に私たち以外誰もいないことを確認する。
「人数は不明、少なくとも二人。顔は見ていません。男女も不明。私たちが軍人であることには気付いているようです。どうも犯罪を目論んでいるようです。今回の件と関係あるのか、あるいはただのスリや泥棒の類などかも分かりません」
「向こうがこっちに気付いていて、こっちが向こうの顔を分からない、というのは厳しいね。区別のために新しい標的を……そうだな。三型、とでも呼ぶことにしよう。さて、どうするかな」
「私が三型を探しに行ってみましょうか」
ひとり偵察であれば隠密能力が最も高いサマンダが適任だ。普段なら。
「まだこちらの様子を窺っているようですので、中尉でも難しいと思います」
「では、こちらも少し待ってみよう」
この路地裏には誰も来ないだろうか。無関係な酔っ払いに絡まれると面倒である。その辺はラシードを前面に立てておけば大丈夫だと信じ、新たな情報が入ってこないか集中する。
時間にして十分程度待つと、警戒を解除した三型が移動を始めた。
「動き始めたようです」
距離を離し過ぎるのはよくない。それは尾行における基本事項であり、私の能力の有効距離からも、また然りだ。
私たちも路地裏から出て尾行を開始する。といっても、能力頼みで自分自身誰を追っているのかすらよく分からない尾行だ。
アリステルと私が先頭に立ち、ラシードとサマンダが後ろに立つ。まだまだ人通りのある時間。民間人が隠れ蓑になるのは、追う私たちにとっても、身を潜めようとする犯人にとっても同じ。環境は上手く利用した者勝ちである。
「あ、お店に入るみたいです」
三型に遅れて私たちも一軒の店の入り口の前に立つ。どうやらここは酒場のようだ。
「三型は獲物を探してこの店の中に入りました」
「誰か三型の顔を見た?」
全員が首を横に振る。私が見ていないのに、他の誰も見ている訳がなかった。
「知らない店だから計画が練り辛いなあ……。個室タイプの酒場だと、中に入っても大っぴらに調査はできない」
さてどうするか。班長が頭を悩ませたところで中から店の扉が開いた。全員が緊張して身構える。
現れたのは顔を赤らめた男性二人だった。
「お、おお。何だあんたら、怖い顔して。横、通っていいかい?」
急いで男のうちひとりを確かめる。
……
違う。この二人は普通の飲み客だ。三型ではない。
しかし、これは使える。サマンダにさっと目配せする。
「お兄さんたち、ちょっとお時間いいですか~?」
サマンダが甘ったるい猫なで声で男たちを呼び止める。何という変わり身の早さ。
「何だい、お嬢ちゃん?」
「私たち、この街に来たばっかりでー、今晩美味しくお酒を飲めるお店を探していたんです。お兄さんたち、このお店で飲んでたみたいなので、中はどんな様子なのか教えてほしいなー、なーんて」
自分でやらせておいてなんだが、サマンダは世が世なら普段からこうやって男に媚びていたのではないだろうか、とつい考えてしまう。
男二人は疑うこともなくサマンダに店のことを教えてくれる。こちらは男二名、女二名という構成が分かっているはずなのに、下卑た視線をサマンダにも私にも向けてくる。情報の対価とはいえ、気分は良くない。
「よーく分かりました。今日はここにしよっかなー。お兄さんたち、気を付けて帰ってくださいね。最近物騒だしー」
「ああ、そっちの彼氏たちが忙しいときは俺たちが酒に付き合うぜ。いつでも誘ってくれや」
「おいおい、怒られちゃうぞー!!」
ガハハ、と盛大に笑いながら男二人は、梯子酒でもするのだろう、人通りの多い方へ歩いて行った。
「酒場の構造は分かりましたね」
「吹き抜けのある開放型か。入り口から入った瞬間に、向こうにも顔を見られてしまう訳だ。中の客を全員把握できる、という意味では個室よりもありがたい。しかし、客の数がネックだね……」
「もし一連の事件と関係あるのであれば、酒場では犯行に及ばないはずです」
アリステルは腕組みをして少し考え込む。
「昏睡強盗だと一旦は成功させてしまうことになる。まあ、大事のため、と目を瞑ろうか。サマンダとラシードは裏口に回れ。私とラムサスで正面の客を洗う」
二手に分かれ、出てきた客をひとりひとり確認していく。能力と猶予時間、および冷却時間を考えると、何人かたて続けに酒場から出てくるだけでたちまち難しくなる作業だ。
その場合、危険ではあるがこちらの姿を晒すしかない。私とアリステルの姿を見れば必ず何かしらの反応を呈するはず。見つけてみせる。
◇◇
張り込みを開始してから何人の客が酒場から出てきただろうか。然程大きな外観の建物でもないというのに、それなりに人気店なのだろう、かなりの人数が出入りしている。夜が更けたことにより、入った人間の数よりも、出てきた人間の数のほうが大分多くなってきた。もう店内にそう多くの客はいないはずだ。
ここまで三型らしき人物は出てきていない。かなり絞りこんだ調査にしていることから漏れがあるかもしれないが、この際だ。軽犯罪には目を瞑ろう。
また客が建物から出てくる。今度は三人だ。同時に全員調査するのは無理である。
誰を調べよう……。獲物を狙う目、と考えた場合、こいつが最もそれっぽいだろうか。
……
…………
「班長、三型です。大尉たちを裏口から戻しましょう」
◇◇
人が疎らになり始めた夜の街を歩くのは三人組。女がひとり、男が二人。
憐れにも今夜被害者となるべく見定められた者だけが、これから起こる出来事について勘違いしたまま、徐々に人気のない場所へ進む。
予め見繕っていた場所に着くと、男のひとりがその場から離れた。
残った男と女は互いの距離を零にまで近付け、その夜の宴が幕開けとなった。
女は声を出さないように我慢する。見張りの男以外の誰にも気付かれぬようにするためだ。
(長く楽しみたい)
温かい液体が二人の足元を濡らしていく。
最初は上手くいかなかった。必要となる技術を彼女が持っていなかったからだ。
だが、好きなものほど上達も早い。快楽を最大限に引き出すための方法と技術を彼女は自分でも驚くほどの早さで習得していった。今ではどんなことをすれば、相手からどんな反応が得られるか粗方想像がつく。
予想外の反応もまた楽しいものである。
(我慢などせず、好きなだけ声を出せたらどれだけ気持ちがいいだろう。自分よりも相手に声を出させたい。そうしたら、それこそ想像がつかないほどの悦びを得られそうだ)
音を遮るものがない屋外では無理な行為に、彼女は思いを馳せる。
彼女の夢想を現実のものにするためには、もっと場所を選ばなければならない。
(人里離れた場所に拠点を持つのは良い考えかもしれない)
声を遮るのではなく、どれだけ大きな声を出しても、誰に聞かれない心配のない場所。女の欲望はそれを最適解と判断した。
(拠点でヤろうとすると、掃除をしなければならないのが難点か。それは弟にやらせればいいだろう)
いかなる場所で行為に至るにせよ、彼女が欲望を満たすには助けがいる。姉の頼みを何でも聞き届ける、唯一にして最愛の家族が、きっと煩わしい掃除も完璧にこなしてくれるだろう、と彼女は考える。
(……ああ、もう反応が無くなってきた。逞しい肉体だと思ったのに情けない。やはり首のせいか)
叫び声を上げさせないために最初に首を強く締めるのは優れた手段だ。ただし、致命となるまでの時間が短い。
拠点を持つことによって、標的ひとり当たりで楽しめる時間を今までの何倍、何十倍と長くできる。大切なのは、殺害という結果ではなく、死に至らしめるまでの過程であり、拠点は過程を充実させることにこれ以上ないほど寄与するだろう。
(やはり拠点は持つべきだ。そのためには支度金が要る)
人狼の犯行に見せかけるべく、彼女は今日まで標的の銭袋を漁ってこなかった。
(この街はこれで去るんだ。全部は持ち去らず、中身を少し拝借するだけならバレやしない)
血に濡れるのも厭わず、彼女は男の懐をまさぐり始めた。
◇◇
ガラン、ガランと、木製の桶でも転がったような大きな音が静かな夜の街に鳴り響く。それに続いて、「誰だっ!!」と、男の野太い声が上がった。
ラシードの下手くそ。
見張りの男が立つ路地の入口を挟み撃ちにするべく、ラシードとサマンダを、私とアリステルが今隠れている側とは逆側に回り込ませようとしたのはいいが、その途中で静音行動に失敗し、こちらまで聞こえる派手な音を立ててしまったのだ。
こういう粗相をしでかすのはラシードに決まっている。一応二人とも反対側まで辿り着けてはいるか……。
これなら男が逃げられる方向は、路地の奥だけだ。
私の横にいたアリステルが物陰から飛び出し、男へ匕首を投げた。完全な奇襲にこそならなかったものの、ラシードに気を取られた男はアリステルにも匕首にも気付かない。匕首は鈍い音とともに男の背中に深々と刺さった。
アリステルが動いたのを合図に全員が行動を開始する。
路地の奥には二人いる。ひとりが犯人側の人間で、もうひとりは犯人たちに見定められた今夜の標的だ。犯行仲間が路地の奥から出てくる前に、入り口で見張りをしていたこのひとりだけでも行動不能にしたい。
憲兵の応援を呼んでいないこの状況だ。生け捕りに固執するのは命取りになる。
ラシードとアリステルが二方向から同時に男へ斬りかかる。
防御は不可能、形勢不利を悟った男は後方、路地の奥へ飛び退いた。
路地の先は袋小路になっている可能性が高い。それを確かめさせるためにも、ラシードたちを回り込ませたのである。回り込む際に、抜け道は見当たらない、という合図が送られてきている。
袋小路に追い込んだ目標を捕らえるのもそれなりに難しいことではあるが、好き勝手に逃げられるよりはいい。
男を追い掛けるアリステルとラシードに続き、私、そしてサマンダと路地に入っていく。
「くそっ、抜け穴だ」
路地の片隅には無残に変わり果てた被害者の姿があり、その横には三型たちが逃走経路として用いたと思われる穴が、地中へと伸びている。穴から立ち上る臭気といったらひどいもので、どうやら下水に繋がっているようだ。
アリステルが被害者の横に駆け寄って状態を確認する。しかし、息は既にないようだ。
「班長、逃げた奴らを追いましょう」
「クリアした」
抜け穴に罠が無いことを確認し、それを告げると、アリステルは追跡に同意する。
大人ひとり通るのがやっとの狭い穴から伸びる梯子を伝ってラシードが真っ先に下りて行き、私はラシードに続いて二番目に梯子を下りる。
下りた先の道の奥からはまだ足音がかすかに聞こえ、三型たちが使っているのであろう光も見えている。
「こっちだ!!」
役割分担を本当に認識できているだろうか。ラシードは迷うことなく足音がする方へ駆け出す。
強烈な臭気漂う汚れた下水道を、光と足音を頼りにラシードが突き進む。
「ラシード止まって!!」
私が全力で叫ぶと、ラシードは足を滑らせながら急制動して立ち止まる。こちらの声が聞こえなくなるほど血気に逸ってはいないようだ。
「あそこ」
罠があると思しきポイントへ照明魔法を飛ばす。
変性魔法が作り上げる小さな光球が、立ち止まったラシードよりも更に少し奥の壁にぶつかり、そこに留まって辺りを明るく照らす。
マジックライトを置いた場所に罠がある。
罠がそこにある、ということさえ分かってしまえば、見つけるのは簡単だ。
そこにあったのは、人間の首の高さに張られた細い金属糸だった。知らずに駆け抜けると首が落ちている。
「解除!!」
金属糸を斬り払い、再びラシードが駆け出す。三型と、そして何よりラシードの脚の速さについていくのが大変だけれど、独走はさせられない。
ラシードは役割分担を分かっていた。私の支援を信じて走っている。あと、いいところを見せるために。
これで私が引き離されてしまうと、猛進するラシードは簡単に罠に絡め取られてしまう。絶対に遅れられない。
「もうひとつ!!」
「解除!!」
また新たに仕掛けられていた金属糸をラシードが斬り払う。下水の先から聞こえていた足音は無くなり、今は梯子を登る音に変わっている。
「いたぞ!」
角を曲がると、男がちょうど梯子を登り切るところだった。一瞬だけこちらを見た男はにやりと笑ってみせた後、梯子の上へ姿を消した。
梯子の桟二本を目掛け、マジックライトを飛ばす。
「その桟二本は罠。その二本を使わないで登って」
「分かった」
ラシードは猛然と梯子を登っていく。
「上で待ち構えてはいない。そのまま登り切って」
ラシードに続いて梯子を登り切る。狭い口から身をよじりだすと、そこは街の中心だった。
「街外れからここまで戻ってきていたのか」
夜の街を楽しむ人間の数はかなり減ったものの、それでもまだパラパラと人影が見える。
「民間人に紛れて身を隠すつもりのようだね」
私の後に上ってきたアリステルも衆人に目を凝らす。
そう簡単には逃がさない。
思い浮かべた計画をアリステルに上申する。
この場所には疎らながら、四方に人がいる。その全てに捜査の目を通そうとして班員四人を四方に散開させる、などという、ありがちな愚は犯さない。
四人全員で通りの一方向へ歩いていく。進む通りの左手には店の前で立ち話をしている男が二人。右手にも男が二人いて、ひとりは物に腰掛け、もうひとりは立ったまま談笑している。
男四名の間を通り過ぎがてら、アリステルが右手の男たちの顔を覗き込む。それに気付いた男もアリステルへ顔を向ける。右手の男二人は、私たちが追っていた男とはまるで顔が違う。
アリステルは男の視線に気付き、さっと視線を逸らすとそのまま横を通り過ぎた。アリステルが目を切ると、見られていた側の男二人もまたアリステルから目を切る。男の目がアリステルから切れた瞬間、アリステルは振り返り、立っている男に匕首を飛ばした。
男は攻撃されると予期していたような電撃的な反応で匕首を払い落とすと、慌ててその場を飛び退く。
ラシードは座っていた男に伸し掛かり、サマンダと確保を始めた。
「くそっ、なんで分かったんだ!?」
立っていた男はそれだけ言うと、こちらに背を向けて逃げ始めた。
「あんたたち、何やってるんだ!」
通りの左側で平和に談笑していた男は状況を飲み込めず、悲鳴に近い声で問うてきた。
「俺たちは軍人だ。憲兵を呼んで来い」
そちらはラシードたち二人に任せ、私とアリステルは再び逃げた男を追う。
座っていた男は、ただ何となく座っていたのではない。匕首に塗っていた痺れ薬で立てなくなっていたのだ。
憲兵に引き渡したらラシードたちもこちらを追ってくるだろう。
逃げた男は足が速く、どれだけ走っても距離が縮まらない。悪足掻きのつもりでマジックライトを飛ばしてみたところ、上手く男の背中に当たった。
攻撃魔法ではないため、男はしばらくマジックライトを灯されたことに気付かなかったが、曲がり角で自分の影の伸び方がおかしいことを認識すると立ち止まり、マジックライトによって光を放つ外套を脱ぎ捨てた。
「しつこい奴だね、やってやるよ」
逃げることを諦めた男がこちらを睨みつける。
先ほどもそうだったが、男が発しているのは完全に女声だ。幻惑魔法で姿を変えたのである。だから、下水で見かけた時とは顔が違ったのだ。
幻惑魔法は私の能力のカモでしかない。それに今回は痺れ薬の効果もある。どのみち三型が私たちの目を欺くことなどできなかったのだ。
男……いや、女は腰に提げた小剣を抜いた。
私とアリステルも剣を抜く。
「すぐに応援が駆け付ける。どうだろう、このまま投降してくれないか?」
「寝言は寝て言え。すぐに終わらせてやるさぁ」
女はふっと身を低くすると、滑るようにこちらへ近寄ってきた。
アリステルは女を迎え撃つため、地面を払うように剣を横に薙ぐ。
女はその剣を躱して小さく跳ねると、アリステルの首元目掛けて剣を振り下ろしてきた。
アリステルは横への脚運びで振り下ろしを躱して次の剣を撃つと、女も体捌きでアリステルの剣を避ける。片手持ちの小剣でアリステルの両手剣と打ち合うことを嫌ったのか、女はそのまま体捌きで剣を避ける。いくらかは攻撃の手を出すものの、どれもフェイントばかりだ。
女の剣はアリステルに届かない。対するアリステルも、フェイントを入れながら回避し続ける女に一撃を当てられずにいた。私も加勢したいところなのだが、アリステルも女も私より断然強い。
私は遠距離攻撃の魔法が使えない。下手に剣を撃つと、カウンターの一撃をもらいかねない。となると、タイミングを見計らってスキルで攻撃するしかない。
二人は細かく立ち位置を動かし続けているから、私の攻撃が間違ってもアリステルに当たることのないようにしないといけない。
アリステルもそれは分かっている。上手く機会を作れるように意図を持った動きをしている。
女のほうもそれはお見通しらしく、私とアリステルに挟み込まれないように動いている。
アリステルのほうが女よりもやや上の技量を持つようだが、回避に徹した女を仕留めきれずにいる。
剣の空振りというのは、かなり体力を持っていかれる。女はアリステルが焦れるのか、疲れるのでも待っているのだろう。速攻を行うかのようなことを言っておきながら、性急な攻撃には転じない。隙を狙う私にも注意を怠らない。かなり戦い慣れている。
だが、こちらの応援が駆けつけるのを恐れているのは間違いない。新しく何かが加われば、この状況は変わる、ということだ。ならばこれはどうだ。
「な、なんだお前は!!」
女は、自分の真横に突如として現れた謎の存在に向かって叫ぶ。
今だ!!
私は女に向かって渾身のバッシュを放つ。
虚をつくことができた。
そのはずだったというのに、敵もさるもの。女は私のバッシュをギリギリで避け、私の剣は女の服と皮膚をごく浅くしか断ち切ることはできなかった。
私の剣を避けた女は、追い打ちのアリステルの剣までは避けきれずに小剣で受け止めた。
そう、この戦いで初めて女はアリステルの剣を受けた。女は片手持ちの小剣で見事アリステルの剣を止め切った。しかし、身体はそのまま硬直している。闘衣の技量の差が表れた。
アリステルは手を止めず、もう一撃を女の身体に叩き込んだ。鮮血が宙に舞い、ようやく勝敗は決した。




