第七二話 吸血種が残した傷跡
オドイストスとの密会の後、最大限の警戒を払いながら学園都市に戻る。
臓腑が縮み上がるほどに緊張している私とは裏腹に学園都市は平穏そのもので、何も起こることはなかった。
その後しばらくの期間、私がハントに出掛けるときだけは、オドイストスを尾けていたのと同一と思われる連中が私の後を追いかけて来たが、ソロでのハントでは意識して撒こうとせずとも簡単に撒けた。
私は日頃から俊敏性強化と持久力強化の補助魔法、それから移動を助ける風魔法を自分に施している。いつもの速度でいつもどおり走っているだけで彼らはついてこられない。私の尾行役としては失格だ。
オドイストスが私を尾けていたときは、オドイストスが私についてこられる速度、という制限があったからこそ、彼らもついてこられた。オドイストスがいない今、私の移動速度を縛る枷はない。
ハントにおける私の普段のフィールド探索速度は尾行者たちにとって全力疾走にあたる。彼らが補助魔法なり風魔法なり使えるか、あるいはフィールドを走り慣れているかしていれば私についてくることくらいはできただろうに、準備不足の感が否めない。
フィールドを息も絶え絶えに全力疾走する彼らに気配を隠す余裕はない。これでは尾行もへったくれもあるはずがなく、街頭広告人さながらにとにかく目立つ。
一か月と経たぬうちに彼らの持久力訓練は終わりになった。彼らが本来追うべき存在のドレーナはもういないのだから当然の結果だ。
◇◇
尾行者たちから解放されて数か月が経過し、肌に刺さる暑さが季節の変化を告げる。夏の始まりだ。
今夏、卒業を見込んでいる学生たちは大半が私と同期の四回生たちである。同じ大学に四年間在籍していながら四回生たちの現状は多様だ。
卒業試験に落ちて再試験に備え勉強する者。卒業試験はないが卒業論文や卒業制作が受理されずに大慌てで修正する者。何もかも手遅れであることを悟って開き直り、卒業を確定させた友人たちの祝宴に参加して人一倍バカ騒ぎする者。実に色々な人間がいる。
毎年恒例の愚か者たち少数を除き、四回生たちの目はもう大学内を向いておらず、新しい生活を見据えている。
私も今年で卒業だ。卒業式典は一応出る予定でいる。卒業式典の卒業生代表挨拶には選ばれていない。その大役は火魔法講座を選択した学生に任されている。
いやあ、ブレアに首輪をつけたのは大正解だ。おかげで私は穏やかな気持ちで式典に臨める。
卒業後は、おそらく最後になるであろうエヴァとのハントに赴き、精算が終わったらオルシネーヴァに潜入してペンダントを取り戻す。
後の全てのことはペンダントを取り戻してから考える。そう心に決めていた。
名目上は大学に在籍しているのだから、学生としての権利は現在も行使している。
未明は演習棟に行って魔法の修練に励む。私以外の利用者が現れる朝の時間を迎えた後は部室に籠もって剣を振る。
迷い、考えては剣を振り、時に無心で剣を振り、仮想のヤバイバーを相手に未だ見えてこない勝利へ繋がる一本の手筋を探し続ける。
先日、一度だけ奴をギリギリまで追い詰めることができた。ヤバイバーは私の剣の受け方を誤って後手後手となり、そんな奴を前にして、またとない絶好機に私の方がかえって焦ってしまい、最終的には敗れてしまったもの、本当にあと少しだった。
偶然でもまぐれでもいい。卒業前にヤバイバーから一本を奪いたい。
それにしても奴はいつまで休学生を続けるつもりなのだろう。私が初めて荒れ狂う銀閃の部室を訪れてから早四年が経とうとしている。部室に顔を出す部員は、この四年弱の間に半分ちかくが入れ替わった。
学部生から院生になったり学園都市に就職したりで、ニールのように同好会にそのまま所属し続ける者もいるし、そもそも最初から大学生でも院生でもない者もいるから、何年経とうと入れ替わる予定のない、ある程度固定の部員がいるとは言っても、ヤバイバーは本来入れ替わる側の人間のはずなのだ。
モニカに薬学を教えてもらうのも残り数回となっている。モニカは卒業後、個人医院を開くのではないかと推測していたが、教会任職が決まっていた。最後にモノを言うのはやはり人脈だ。
私がモニカに一般企業でいうところの就職内定祝いを伝えても、モニカはまるで嬉しそうではなかった。それどころか、私がハントの放浪の旅に出てしまい、会えなくなってしまうのが寂しい、と泣いていた。
ハントの旅というのはあながち嘘ではない。ペンダントハントだ。数か月で戻ってこられるのか、あるいは何年もかかってしまうのかは私にも分からない。
無事に取り戻すことさえできれば、またマディオフに戻ってくる。
マディオフに戻る理由は母に会うためであり、モニカに会うためではない。この国に戻ってきたところでモニカと顔を合わせる機会があるかは分からないが、その時は、誰かいい人と結婚した、という報告を受けたいところだ。
私のせいで相手を見繕う機会を失い老嬢となってしまったのでは、私も悔恨の情を免れない。
[*老嬢--年をとった未婚の女性。いかず小母]
これでモニカのほうから、誰か紹介してほしい、と持ち掛けられたら私は手を尽くして仲立ちする。しかし、それはありえないだろう。私のほうから持ち掛けるのは、それこそ大悪手だ。モニカの気持ちを逆撫ですることにしかならない。
かけるべき言葉が見つからず、はらはらと涙を流してくれる心の美しさにただ感謝を伝えた。
イオスは年を追うごとに大学内で存在感を増している。
来年度からは二回生までを担当するゼミナールだけでなく、三回生以降も担当する講座を客員教授ではなく常任教授として正式に構えることになっている。不確定な内々示ではなく正規の辞令が発せられており、これで来年度からは立場上、他の講座の教授と対等になる。
教育と管理、運営の業務が増える代わりに予算は増えて秘書を正規職員として雇える。イオス自身、客員教授として着任した時より仕事がずっと早くなっている。増える業務を私なしでどうにでも対処できるはずだ。
シルヴィアはイオスの研究室の院生になることが決まっている。試験はなく、大学卒業時の成績だけで合格した。
この二人はいつ協同文書に署名することになるだろうか。オルシネーヴァから戻ってきたらイオスの子供の顔が見たい。様々なことをそつなくこなせるイオスではあるが、こればっかりは本人に期待しても無駄であろう。ここは是非シルヴィアに手腕を振るってもらいたい。
自分の話に戻ると、昨年の立冬以降ハントの頻度はずっと落としたままにしている。怠け心に唆されてそうしているのではなく、明確な意図があってハントの回数を抑えている。
きっちりと見積もったうえで行動していたというのに、せっかくの見積もりを打ち砕くかのごとく私のハンタークラスはいつの間にかミスリルクラスにされていた。
絶望の事実を教えてくれたのは手配師として世話になっているテベスではなく、数回パーティーを組んだ程度の知り合いハンターだった。
なんとなく寄せ場に顔を出したら、さも当然のように『おっ、ミスリルクラスのお出ましたぞ』と言われた私は全てを察した。
用事もないのに寄せ場に行くべきではなかった。いや、別に行かなかったところで犯歴に変動は生じないのだけれども。
春の一件以降、私が寄せ場に顔を出す回数は激減していたため、実際のところいつクラスが変わったのか本当に分からない。
私はこれまで既知のミスリルクラスと判定される要件を決して満たさぬように注意を払ってきた。一体いかなる判定基準に抵触してしまったのだろう。
どれだけ悔やんだところで後の祭り、認識外の判定基準を踏み抜いてしまった過去は消せない。私はこの先ミスリルクラスという烙印が押された上面を抱えて生きていく他ない。
興味深いことに、ミスリルクラスになった者が私以外にもうひとりいる。かねて高く評価されていたアバンテの土魔法使いバンガンだ。
これといって根拠はないものの、話題性を狙って二人同時にミスリルクラスという扱いにしたのではないかと私は勝手に推測している。つまり私は、主演俳優たるバンガンのミスリルクラス昇格という大演目に華を添える助演的な存在ということだ。
私はバンガンが羨ましい。私と違って本物の土魔法の実力があり、信頼できて実力も申し分ない仲間がいる。ついでに言うなら「侵略者」という二つ名も悪くない。
現役ハンターであるバンガンと私は二つ名がいくつもある。二つ名は自分でつけるものではなく他人が勝手につけるものだから、バンガンですら「守護ってお兄ちゃん」とかいう、えげつない二つ名も中には存在する。もはや名前ではなく短い文章だ。
ただ、バンガンの場合そういうのは極一部、私の場合は全てがダサい。
「奇矯のミスリル」ってなんだ。剣も魔法も半端で実力がミスリルクラスに届いていないのは否定しないが、多分名前が論っているのはそこではない。もっと別の何かを、多分受注する案件の選択とか合理性とか、そこら辺を揶揄している。
「足場バカ一代」は、もっとおかしい。私はフィールドで足場作りの力を他者にこれ見よがしに披露したことはない。ということはつまり「足場バカ一代」とは、建設現場での働きを評価したものに他ならない。建設現場での日雇い労働なんてハント以上に片手間でしか携わっていない。
私が作る足場は所詮、土魔法の産物だ。時間経過で消えてしまうから用途は限定される。現場で使い始めた頃など、作った私本人以外に魔法の足場に命を預けようとする者は誰もいなかった。
しかし、目ざとく利用価値を見出す奴はどこの世界にもいる。
足場とは専ら高所作業の効率化や安全確保を目的として組むものだ。これは実際に現場で働いた経験のある人間でないとなかなか理解できない感覚かもしれないが、『あー、足場を組むための足場があったら楽なのになー』とつい思ってしまう状況がまま発生する。
普通は現場作業員のたわいない夢想で終わり、そのまま忘れ去られるはずなのだが、時が流れて場面が変わり、状況が差し迫った際に突如、忘れかけていた夢を思い出す輩が現れる。
夢は深層意識の中で薄れながら変質し、しかも別の記憶と混じり合った結果、表層意識に再臨したときには傍迷惑な渇望に変化を遂げている。
突貫工事を余儀なくされた。納期直前の最終点検時に誤施工あるいは施工忘れが判明した。様々な理由で大慌てとなった現場の責任者は、こちらの都合などお構いなしに押しかけてきて言う。
『頼む。今回だけなんとか助けると思って手を貸してくれ!』
私に迷惑をかけている自覚が多少なりとも感じられる頼み方をしてきたのは最初のうちだけだった。一度、要求が通ると同じことが二度、三度と繰り返され、次第に厚かましくなっていく。
『足場さえ作ってくれたら後は帰ってもいい! 今回は特別だ!』とか『金か? 金がもっと欲しいのか!? 強欲もすぎるとロクな死に方しねえぞ……。仕方ねえ。ここは俺が損を被って報酬に色をつけてやる!』とか『どうして首を縦に振らない? 欲しいのは本物の色か!? それなら一回だけ母ちゃんにお前の相手をさせてやってもいい! 一回で足りないなら、ええい二回だ! ……それで不満なら、母ちゃんそのままくれてやる。この「ホテル王」が!』とか無茶苦茶言われるようになった。
回想する度、遣る瀬無さに見舞われる。とにかく腰掛けでしかない建設業界の呼び名で私を言い表すことに異議を唱えたい。
「ホテル王」に至ってはワーカー業務にすら関連がない。知らない人には経営者にしか聞こえないこの名称、悲しいかな、現実の私は不動産をひとつも所有していない。名付けた奴は機知に富んだ名前とでも思っているのだろう。宿泊目的ではなく専らモニカに謝礼代わりの食事を振る舞っているだけなのだから、せめて「饗王」とか実態を反映したものにしてもらいたい。
「ゴマすりクソ野郎」「ヤバイバーと比べればヨワイバー」などは、どれも一定の事実を含んでいるから、「ホテル王」に比べたらまだ了解できる。
イオスの「氷の魔術師」はいいよな。能力を反映しつつ、響きが美しい。敬意も込められている。私の二つ名には、どれも例外なく侮蔑の意図がある。
なんにせよ私はミスリルクラスに上がったことに不利益しか感じられない。
ハンタークラスの判定基準は各手配師によって微妙に変わる。私が仕事する上で最も付き合いのあるテベスが私をどのクラスに分類しているかは確認していない。一度確かめてしまうと、もう後戻りができない気がして自分から尋ねる気にはなれない。
学園都市ではそこまででもないのだが、王都を歩いていると寄せ場でなくとも至る場所から視線が向けられてひどく居心地が悪い。
どう見てもハンターではない人間まで私の顔を知っていて、しかも、そいつらは見世物小屋で芸を披露する珍獣でも見ているかのような好奇の目で私をジロジロと眺め、ああでもないこうでもないと好き放題感想を垂れてくれる。
不快どころでは言葉が足りない。悍ましいとすら思う。
王族ではないのだ。もう少しひっそりと街をそぞろ歩く自由が欲しい。
卒業までもう数えるほどとなったある週末、私はふと思い立ってハントに出掛けることにした。目的は金稼ぎでも人脈作りでも技能向上でもない。あれこれつまらぬことを頭の中で考えるだけでは晴らしきれない鬱憤を魔物の命で洗い流すハントだ。
憂さ晴らし目的のハントだというのに出発前に手配師から不人気の依頼を受注してしまったのは身に染み付いた悲しい習慣と言えよう。手配師から案件を見繕ってもらったのは実に久しぶりだ。
街の喧騒から離れてフィールドをひとり静かに歩いていると心に新しい風が流れ込む。
果てしなく長いと思われた大学生活も、もう終わりか。案外、感慨深いものだ。
王都からも学園都市からもそうは離れていないフィールドで雑念にとらわれながらダラダラとハントをこなす。
請け負った不人気案件は程なく終わり、足が街へ向かう。
ああ、しまった。案件をこなすのが主目的のハントではなく娯楽代わりのハントなのだから、もうしばらくフィールドで遊んでいても良かったのに。取り留めのないことばかり考えていたせいで頭がきちんと機能しておらず、うっかり帰途に就いてしまった。
戻ってハントを続ける? それも悪くないが、半分帰る気持ちになっていたせいか、なんだか気分が乗らない。
期待したほど気分が晴れぬまま、また考え事をしながら帰り道を歩く。一定の緊張感を持って臨むべきハントでは緩みきっていたというのに、今は来るオルシネーヴァ侵入の日を考えているせいで、ひどい緊張具合だ。
意味なく緊張しながら王都に着き、テベスに依頼の完了を告げる。
清算を終え、学園都市で待つモニカのところへ向かって歩いていると私を呼び止める声がする。
「待て、アルバート・ネイゲル」
立ち止まり、声をかけてきた二人の顔を見やる。どちらもフードを被っている。フードの陰から覗く顔は、オドイストスの尾行者とは違う。身体に蓄えている魔力は弱く、シルバークラスあるかどうか、といったところだ。
二人の表情にはある種の確信が宿っている。烙印とはまた別の、何らかの私の個人情報を持っている様子だ。
かくいう私のほうも、フード越しの彼らの顔にどことなく見覚えがある。一体、いつどこで会ったのだったか……。
「すみません。当方、人様の顔を覚えるのが苦手で……。どちらでお会いしましたでしょうか?」
尋ねられた二人が訝り顔を見合わせる。そして咳払いをひとつしてから身分を述べる。
「我々は偽金捜査官だ。捜査に協力してもらう」
怪しい身なりの二人は街の衛兵だった。言われてみると、確かにしばらく前、この二人から偽金捜査の任意協力という名目で強制捜査を受けた覚えがある。
ついていない。今年、偽金捜査を受けるのは何度目だろう。
偽金は常に市場に出回っていて捜査も通年行われているが、週末のこの時間に受けたのは初めてのように思う。
ハントを終えたばかりの今、私はそれなりの量の貨幣を持っている。貨幣は大体少なく見積もっても一割、多いときは三割ほどが偽金だ。
捜査の対象にめでたく選ばれると、手持ちの貨幣を全て捜査官に検査してもらうことになる。検査後、本物の貨幣はそのまま戻ってくるが、偽金と判断された分は全て没収され、捜査協力費というかたちで雀の涙分だけが返ってくる。
本日捜査に協力するにあたって問題なのは失う額の大きさではない。貨幣の量が多い分だけ検査に時間がかかる、ということだ。モニカとの食事には間に合いそうにない。私はともかく、モニカの時間を潰してしまうのは気が差す。
ああ、胸が悪い。
ただ、彼ら偽金捜査官も週末にもかかわらず業務に就いている公僕であり、私の不満を彼らに向けるのは筋違いだ。
理性に従い、不平を盛大に漏らすのは心の中だけにしておく。
「はい、量だけはたくさんあります。こちらをどうぞお願いします」
ずっしりと重みのある銭袋を偽金捜査官の前に差し出すと、受け取った捜査官も重量と中の貨幣の量にうんざりした顔を見せる。
今日ここで無理に捜査を続けても互いに得がない。ここはひとつ、今日の捜査は無かったことにしませんか、と提案したいものだ。実際にはそんな危険な言葉、口が裂けても言えないが。
「これは本当に量が多いな。庁舎まで来てもらえるか」
捜査官は長い検査時間を見越して検査場所の変更を提案した。
早く終わるならついて行こうではないか。それが本当に捜査官の庁舎であれば。
衛兵は時に詐欺師や犯罪者集団と結託して一般人を罠に嵌めることがある。彼ら二人が本物の衛兵であっても、常に法と正義に則った行動を取るとは限らない。公権力への盲従は危険だ。
警戒は怠らずに二人の後に続く。
連れて行かれた建物は、確かに行政区の合同庁舎だった。
この辺りの一画、捜査局から少し離れた場所に税務署があったはずだ。代筆屋に任せっきりで最近は足が遠のいている地域であり、記憶は薄い。
庁舎の入り口で武器を預けて中に入ると、明日にはもう平日が始まる週末の午後だというのに、残って仕事をしている哀れな役人が数名いた。
終わらない仕事をこんな時間まで健気にこなしている彼らに新しい仕事が舞い込む。何を隠そう、私の所持していた貨幣の検査である。
捜査官から仕事を押し付けられた役人は怨嗟の声を上げた後、虚ろな目で新しい仕事に取り掛かった。
捜査官と役人たちは、私の目の届く場所でひとつひとつ貨幣の検査を進めていく。役人が用いている年代物の真贋鑑定器は見るからに性能が低い。ひとつの貨幣の真贋を判定するのにたっぷりと時間がかかるうえ、頻繁に鑑定に失敗して鑑定者にやり直しを強いる。
もし、役人の鑑定器だけで検査を行っていたら時間は果てしなくかかる。一方、捜査官が使っている新世代の鑑定器は一検査あたりの所要時間が早くそれでいて成功率は高く、と段違いの性能が容易に見て取れる。
おそらく新しい鑑定器は仕事に迅速性が求められる外回りの捜査官に配備され、捜査官のお下がりが庁舎に回ってきて……という具合に機器を更新しているのだろう。
貨幣を検査する手は増えたには増えた。しかし、残念ながら増えた手は年季が入っていて動きが鈍い。これではせっかく庁舎まで来たのに、検査の所要時間は然程短縮されない。
思った以上に長引きそうだ。
来訪者用の長椅子に腰を下ろし、モニカへの遅刻の謝罪を考える。
しばらくすると、庁舎の入り口から無骨な人間が三人入ってきた。身なりはハンター然としていて体格がよく、腕はかなり立ちそうに見える。体内には波波と魔力を湛えていて、プラチナクラスはありそうだ。フードで顔がよく見えないため、人相は不明である。
王都で活動しているプラチナクラス以上のハンターを私は全員記憶している。しかし、このような雰囲気の人間を私は知らない。地方から王都へ出てきたばかりのハンターかもしれない。
三人は偽金捜査の対象となったことに苛立っているのか殺気を発し、誰とも言葉を交わさずに腕を組んで佇立している。
気持ちは分からないでもないが、憤るあまりに捜査官に食ってかかって面倒事を起こさぬように強く願う。
もしも起こすなら、私の検査が終わってからにしてくれ。お前たちの面倒に巻き込まれると私まで解放されるのが遅れてしまう。
私の不安を他所に、彼らは暴れることも大声を出すこともなくおとなしく待機を続ける。
揉め事になる心配はどうやらなさそうだ。不安がひとつ和らぐと、今度は不満ひとつが芽生えてくる。
この待合所はそれなりの人数が同時に来訪しても問題なく収容できる十分な広さがある。それなのに三人は私のかなり近くに立っている。これでこの場所が混み合っていれば真隣に座られたところで特に何も思わない。しかし、今はガラガラに空いている。手が届きそうなほど近い場所に立たれると実害はなくとも気まずさがある。
もうちょっと離れた場所に立て、と念じながら、検査終了を待つことしばし、全ての貨幣の検査が完了し、ようやく捜査官が私の所に戻ってくる。
渡した銭袋の中身のうちおよそ二割五分が偽金として没収され、没収された偽金額面の一割が捜査協力費として返ってきた。偽金の割合が高めだったこともあり、没収額は私の中で過去最高を記録した。
捜査協力費として返ってくるのが金ではなく時間だったらよかったのに、と詮無いことを思いながら、気の毒な捜査官と役人に労いの言葉をかける。
そして、そのまま庁舎を後にしようとすると、今まで一言も発することなく立っていた人間が私の肩を掴んだ。
「アルバート・ネイゲル、お前は家に帰れんぞ。外患援助の容疑でこのまま留置所に来てもらう」
がっしりと私の肩を掴む男の口から出てきたのは、私がずっと恐れていた文言だった。
慌てて周囲を窺うと、後から入ってきた三人組のうち、ひとりは入り口側へ回り込み、もうひとりは私の横、捜査官との間を塞ぐように立っているではないか。私の肩を掴んでいるのは残ったひとりだ。
三人共、いつの間にか各々手に武器を持っている。ハンター然として入り口から入ってきたから、私と同じく丸腰と思い込んでいた。
油断した。
こいつら、ハンターではなく私服の衛兵……いや軍人か?
状況打開策を求めてもう一度、現場を俯瞰する。
仕事をしていた役人たちは、これまたいつの間にか姿を消している。
つまり、捜査官も役人も私の逮捕を前もって知らされていた。別件逮捕のやり口に通ずるところのある、仕組まれた逮捕劇だ。
偽金捜査を担当する衛兵と外患に対応する軍人、全く異なる組織がこんなかたちで連携を取るとは……私の想定が甘かった。
能力を惜しみなく使えば、たとえ無手でもこいつらを倒してここを抜け出すくらいは難しくない。
だが、その後はどうする。外患の捜査状況はどうなっている。下手に立ち回ると私の罪状が増すばかりだ。
ダメだ。後手に回った。情報があまりにもない。
対応を迷っている間に私の手首に固く冷たい錠がかけられる。
どうやって容疑を跳ね除けたらよいか。苦しいことにヒト型吸血種と接触を持ったのは事実だ。はたして跳ね除けられるのか。
数か月前に頭を悩ませた問題とその解法を必死に思い出そうとする私を、軍人たちは王都の中心地から離れた留置所へ引きずるように連行する。
日の沈んだ王都に吹く風は、夏の夜と言うにはまだ幾分早い涼しさをもって、恐怖と焦りで汗に濡れる私の身体を腹の底から寒からしめた。




