第六九話 エヴァと歩くダンジョン下層
イオスの元相方、アッシュが住んでいるマディオフ北西部最大の街、ロギシーン。マディオフ三大都市であるロギシーンと王都のおよそ中間の場所にダンジョン、ポジェムジュグラはある。
ダンジョンというのは基本的に日が射さない場所であり、フィールドに比し植物は少ない。ポジェムジュグラはダンジョンには珍しく、内部に植物が密に生い茂っている。『地下の密林』なるダンジョン名そのままの風景が内部に広がっているのだ。
豊かな植物が豊富な恵みを与えてくれることから、数あるダンジョンの中でもここポジェムジュグラは魔物の密度が抜きん出て高い。ゴブリンしかり、アントしかり、どうすればこんなに繁殖できるのか、と溜め息が漏れてしまうほどワラワラと出現する。
我々以外にも少なくない数のハンターがこのダンジョンを出入りしている。日々彼らに間引かれてなおこの密度を維持しているのだから、恐るべき生産力だ。上層と中層の魔物は今の私とエヴァからすれば雑魚でしかないが、成長段階早期のハンターにとって、この量は辛いだろう。理不尽なまでの数を相手に囲まれることなく捌く、ないし、囲まれてなお捌き切る技量がないと、ここではハントが成立しない。
初見の場所だというのに緊張感に欠けたまま大量の魔物を屠って下層に到着し、そこにしばらく篭ることになった。主な敵はリカオンゴブリンとミノタウロスだ。
リカオンゴブリンは、ゴブリン種の中で最上位種のはずのブルーゴブリンよりも強い。雑談中に何気なくそのことを呟くと、名前にゴブリンという文字が入っているだけであり、実際には種どころか目からして違う魔物だ、と教えてもらった。エヴァは何でも知っている。
ミノタウロスはそこそこ強い。エヴァと会う前の私がミノタウロスに挑戦していたら間違いなく殺されている。一年前の私であれば、一体ずつ倒すことはできるだろう。しかし、単体処理が限界では、数に圧殺される。今の私の強さで、さらにエヴァが横にいてくれるからこそ、複数体同時に出現してもギリギリ捌けている。
遭遇頻度が最も高いのが、その二種の魔物。下層においてそれなりの遭遇頻度がある魔物の中で、最も厄介なのは植物系の魔物である。
体高は人間の腰程度しかなく、見た目の威圧感が全く無いピンギキュラという魔物は、茨の蔓を次から次に伸ばしてくる。ピンギキュラを前にほんの少しヘマを踏むと、忽ち拘束されて行動不能になってしまう。
同じく植物系の魔物であるスプリガンは、外観だけはヒト型を取っている。スプリガンは魔法が得意で、個体によって使いこなす魔法の種類が違う。一体一体適切な倒し方が異なるのだ。共通しているのは、どの個体も風魔法を使いこなす、という点で、ただでさえ厄介な風魔法に加えて、どの個体も更にひとつか二つ別種の魔法を操り我々を翻弄する。肉体的な強度や絶対的な破壊力ではミノタウロスのほうが圧倒的に上だというのに、討伐が難しいのは断然スプリガンである。ミノタウロスやピンギキュラと違ってスプリガンが群れて出現しない点はせめてもの救いだ。
植物の魔物なのだから弱点は火魔法である。しかし、私は火魔法をこれらの魔物に放ったことがないため、弱点に関する情報が事実なのかは分からない。フィールドならともかく、ダンジョン内で周囲の普通の植物に火が燃え広がってしまうと、物性瘴気が充満することになる。闘衣が防げるのは撃力や熱、魔性瘴気だけ。毒や物性瘴気を闘衣で防ぐことはできない。故にこの場所では火魔法を駆使して植物系の魔物を攻撃することができない。もしも使うとすれば、ファイアーボールでもファイアボルトでもなく、延焼のおそれの低いヒートロッドがいいだろう。技術を盗んでから二年経つというのに、私のヒートロッドはベネンソンに及ばない。フィールドを歩く雑魚ゴブリン相手ならともかく、強敵のスプリガンを前に慣れない魔法を使うのは至難だ。こんなことならもう少しヒートロッドを練習しておけばよかった。
スプリガンに火魔法は試していないが、水魔法は撃ったことがある。こちらのダメージの通りは良かったから、イオスを連れてきたら大車輪の活躍を見せてもらえそうだ。
ポジェムジュグラ下層の総括として、私とエヴァの二人パーティーにとっての難易度は、ほどほど、である。去年一昨年とエヴァから課せられた無茶に比べると、今年は易し目に感じられた。自分の成長に気を良くした私は、「これならボスにも挑戦できるんじゃないか?」と、何の気なしに聞いてみた。
「間違いなく勝てませんね」
いつも笑顔のエヴァは少し嘲るような、何を諦めたような乾いた笑顔で答えた。
「ダンジョンボスは下層の魔物よりも桁外れに強い、正しく次元の異なる強さです。仮に単騎討伐を目論んだ日には、どのダンジョンボスもブラッククラスは必要と考えたほうがいいですよ。ペアでの討伐も、それに準ずる殲滅力と防御力を有していなければ達成できません」
それほど強いものなのか。私はこれまで一度もダンジョンボスを見たことがない。
「ダンジョンボスは普段最下層にいますが、たまに下層まで出張ってくることがあります。もし見かけたら一目散に逃げなければなりません。ちょっと様子を窺うとか、からかうとか、そういうことは冗談でも決して行ってはいけません」
エヴァの表情と語調は真剣そのものだ。それほどの大事は下層に入る前に説明してもらいたい。
「ここのダンジョンボスを見たことがあるのか?」
「私はありません。ですが、最下層と下層の二か所において確かな目撃情報があります」
最下層はダンジョンボスの縄張り。ハンターの世界ではボス部屋との異称を持つ。自室に蟄居せず、下層をそぞろ歩く規格外の魔物……。並々ならぬ雰囲気で並べられるエヴァの約やかな描写が、私の恐怖と想像力を煽り立てる。
「ここのダンジョンボスは確か――」
「エキムムーラです。私たち人間には相性の悪い魔物です」
エキムムーラ。マディオフには珍しい吸血種のひとつ。吸血種という言葉は、多種多様な魔物を十把一絡げにしたものでしかない。カやダニといった誰でも払える吸血虫から、人間と同等の大きさのある吸血種、エキムムーラのように人間を上回る体躯の吸血種など、色々といる。
エキムムーラはお伽噺の題材になるほど有名だ。お伽噺の中のエキムムーラがポジェムジュグラのダンジョンボスと同一個体か。それは分からない。
「ゼトラケインの王様とどちらが強いだろう」
「対立国とはいえ、同じ吸血種というだけで他国の王と魔物を比較するのは褒められませんね。声を大にはできませんが、私としては、どちらも超常の強さだと推測しています」
魔法や戦闘を生業にしない人間からすれば、ゴールドクラスやプラチナクラスのハンターは人間離れした強さだという。そんなプラチナクラスのハンターから見ても、ミスリルクラスは常軌を逸した強さである。戦闘力はおそらくミスリルクラスに到達していであろうエヴァをしてエキムムーラはこれほどの評価を得ている。増長して侮り手を出すのは厳に慎むべきである。
「いつかは倒せるようになりたいものだ」
そのためにはブラッククラスに到達しなければならない、か。
ブラッククラスの強さの人間がひとりいるだけで、国家間の戦力図が一変する。人間世界に与える影響度はダンジョンボス以上。意欲や願望で至れる強さではない。
東の大国からの侵攻を受けて、滅亡は時間の問題かと思われた南のジバクマ共和国だが、ブラッククラスのハンターであるクフィア・ドロギスニグがジバクマの防衛戦に協力したことで戦線を押し戻した、という衝撃的な話は非ハンター非軍人の一般人にも広く知られている。英雄クフィアがいなかったら、私とイオスがジバクマに忍び込むことも無かったかもしれない。
実力が伸びた今、ハンターの強さを具体的に想起できるようになった。
百人にひとりしか到達できないとされるゴールドクラス。これはブラウンベアを独力で倒せる強さだ。タイニーベアと違ってブラウンベアは人間より体格がずっと大きく、ただの力自慢の前衛では到底倒せない。ブラウンベアの攻撃を避けるなり防ぐなりで捌くことができ、なおかつブラウンベアの分厚い毛皮が持つ防御力を貫く攻撃力がないことには、ゴールドクラスと認められない。瞬間的に高い攻撃力を発揮する技能であるバッシュやピアースといった攻撃スキルを効果的に活用することが、前衛にとってはゴールドクラス到達の近道となる。
これら攻撃スキルを覚えるのが、およそシルバークラスの中位の話である。ハンターの半分はスキルを獲得できないままにハンター人生を終える。才能という残酷な判定基準のひとつがスキルの有無なのだ。ハンターの上半分しか覚えられない攻撃スキルを鍛え、実戦投入し、それなりの水準で使いこなせる頃合いのゴールドクラス中位になると、闘衣の習得が見えてくる。
攻撃スキルと同じく、闘衣は戦闘の世界を変える技能だ。外骨格は抜きにしても、通常の闘衣を覚えるだけで攻撃力と防御力が跳ね上がる。闘衣そのものが身体の攻守を強化するだけでなく、闘衣対応装備が使えるようになるためだ。
闘衣対応装備は闘衣無しの人間にとって、主に耐久性、という意味で一般の装備よりも劣ったものでしかない。闘衣を習得した人間が使うからこそ、闘衣対応装備は力を示す。スキル、闘衣、装備という可視の三点があることから、ゴールドクラスに強さの一線がある、というのは間違いない。プラチナクラスまで至ると、前衛の人間は大抵闘衣を習得している。後衛の人間が闘衣を習得しているかどうかは、人によりけりだ。闘衣を習得した前衛は、俗にいう百人力の強さを誇る。
もちろん、如何にゴールド・プラチナクラスのハンターといえど、カッパー・シルバークラスのハンターに百人同時に襲い掛かられると討ち取られてしまうだろうが、ゴロンアントの時を思い出せば分かるように、適切に運用することで徴兵明けの凡夫百人分の仕事をさせる、というのは決して絵空事ではない。
そしてそんなゴールド・プラチナクラスのハンターが数十人でかかっても敵わないのがチタンクラス以上のハンターだ。エヴァを見れば一目瞭然。
エヴァの真の力はミスリルクラス。これは間違いないだろう。二年前のプラチナクラスの私を数十人並べ、それを同時にエヴァに襲い掛からせたとしても、エヴァは実力を隠し手を抜いたまま無傷で殲滅できる。百人力の強さを持つゴールド・プラチナクラスのハンターからしても、ミスリルクラスは頂上見えざる遥かな高み。せめて頂上までの経路知りたし、と仰ぎ見たところで、あまりに険峻さに意識が遠のくかそのまま後ろに倒れるかしてしまいそうだ。
魔物を例に考えるのも想起しやすい。プラチナクラス上位からチタンクラス下位のハンター推奨となっている氷の翼は、平均的な大きさの個体であってもアイススピアーによってカッパークラスのハンター数百人を全滅させられることだろう。
手配師の判断基準によれば、今の私はミスリルクラス、ということになる。今の私がプラチナ半程度のサバスと相対したらどうなるか。サバスは絶が使えなかった。今の私は絶も外骨格も操れる。
戦い方を近接戦に限定して想定してみると、サバスが複数人同時に掛かってきたところで皆殺しにするのは難しくない。中距離から遠距離で戦闘開始し、魔法を使って攻撃できるのであれば、サバスが数十人いたところで倒しきれるだろう。もちろんこれは、サバスが逃げずに掛かってきてくれることが前提になる。
いざ自分がミスリルクラスに匹敵する力を得ても、到達感や万能感、征服感などはなく、抱くのは「ふーん、この程度のものだったのだな」という乾いた感想だけだ。ただ、事実を改まって俯瞰してみると、チタンクラスやミスリルクラスが如何に常識外れの能力を持っているか、よく分かる。
「ダンジョンボスを倒せる強さを得ようと思ったら何を心掛けるべきか。ボスを倒したことのない私が僭越ながら助言するとすれば、『死なない』こと。これに尽きると思います。修行を積む過程で死にさえしなければ君はブラッククラスになれる、と私は信じています。君がブラッククラスになれなければ、他の誰もなれません」
エヴァは二年前も似たようなことを言っていた。褒めて伸ばす作戦だろうか。私はここまで大体一年か二年置きにクラスが上がっている。このペースが続くと大学を卒業する頃にはブラッククラスになってしまう。外部評価ではなく、内省、自己評価としては、エヴァやヤバイバーの背中がかろうじて見えてきた程度。イオスの魔法とは比べることすらおこがましい。真の蓋世の才の背中には、手が届かないどころか、ヒートロッドを伸ばしても掠らない。そんな私が二年後にブラッククラスになれるとは全く思えない。なったところで、公式評価チタンクラスのエヴァより弱い、世にも奇矯なブラッククラスが誕生するだけだ。
「では、お達しの通り、エキムムーラを見つけたら全力で逃げるとしよう」
「ああ、あとスモークゴーレムにも気を付けましょう」
「何だ、それは?」
初めて耳にする名前だ。ポジェムジュグラにはゴーレムまでいるのか。いやはや、ダンジョンボスが下層に出現する可能性も含めて、もっと早くに警告してもらいたい。
「自身のまわり、かなり広範囲に霧のような煙幕を張っているゴーレムです。敵を襲うため、というより自分の姿を隠して不要な戦闘を避けるために煙幕を張っているらしいです」
ポジェムジュグラ内は霧なのか何なのか、どこもガスがかかったように空気が不透明で見通しが悪い。下層ではそれが特に顕著である。
「ポジェムジュグラの視程が短いのはそのスモークゴーレムとやらのせいか」
「どうでしょうね? 上層もガスってますから、ダンジョン自体の特性じゃないですか?」
「ダンジョンボスは無理でも、そのスモークゴーレムは――」
「無理です」
私の冗談めかした提言は、終わりに届く前に否定されてしまった。
「私では、ゴーレム種にダメージを与えることもできなければ、ゴーレムの攻撃を一撃受けきることもでません。仮に君がゴーレムに有効な攻撃魔法を使えた日には、ゴーレムのヘイトが君ひとりに向くことになります。つまり、君ひとりで戦うのとあまり変わらない、ということです。スモークゴーレムはミスリルクラスのハンターが複数名いないと倒せないだろう、と手配師たちは睨んでいます。ダンジョンボスに準ずる強さがある、ということです。彼らは自分でフィールドにもダンジョンにも出向かない割に、そのあたりの読みは鋭いですから、素直に耳を傾けたほうがいいですよ」
ゴーレムへの挑戦は、言ってみただけのことであり、ただの冗談。私もゴーレムを破壊しうるスキルや魔法を習得していない。私の全技能の中で破壊力最高はファイアーボール。火属性魔法はゴーレムに対して相性が良くない。体表面を火で炙られても、ゴーレムはゴブリンや猛禽のように火傷を負うことがない。ゴーレム討伐に必要なのは瞬間的に作用する衝撃、ゴーレムの体表面にあしらわれた外装甲の強度を超える大きな撃力だ。演習場の地面を心持ち削るのが限界の私のファイアーボールを何発撃とうともゴーレムは倒せない。
ここ数年、魔法で成長した点といえば小手先の変化が増した程度のもの。絶対的な威力はさほど向上していない。だからブレアに押し負ける。
「ボスどころか、まだまだではないか。道のりは」
「何を言っているんですか。道は誰にとっても果てしなく長い。それを君は一歩飛ばしどころか、二歩三歩分飛ばして駆け上がっています。異常なまでの速度ですよ、自覚がなくてもね」
そうだろうか。私以上の人間はどこにでもいる。エヴァやヤバイバーだけではない。剣で勝てない相手は学園都市だけでも片手で数えられないほど何人もいる。もう何年も会っていないが、リディアとは一層差が開いているだろう。
魔法だってそうだ。エルザの魔法を見たことはないが、家にいたころの魔力の増加速度からして、今頃私以上の魔法使いになっていても何ら不思議はない。私は学園都市に来てから、何人ものハンターと一時的なパーティーを組んだ。パーティー行動を経ると、私の魔法が如何に凡庸なものか歴然になる。得意の火魔法や土魔法ですら私以上の使い手が何人もいる。水や風魔法ならば腐るほどだ。
参考にすべき先達、目標にすべき道標がある、というのは成長を促進するありがたいものではあるが、しばしば卑屈になってしまう要因にもなる。イオスが火魔法を諦めたことで最強の水魔法使いになれたように、私も何か絶世の技術を得ようと思ったら、たったひとつのためにその他多くを捨てなければならない。
私はイオスやエヴァに忠告されてなお、絞りきることなく無数の技術に手を伸ばしている。
「ではスモークゴーレム以外を狩りつくすとするか」
「その意気です」
◇◇
ダンジョン下層は失敗の連続である。この場所での失敗は死に直結する。それをエヴァに毎回救命される。失敗はその都度私を気落ちさせる。感情を表に出さぬこともまた技術のひとつと思い、私は落胆をあからさまに表現しないように心掛けた。しかし、急拵えの無表情はエヴァに明瞭に感情を伝えることにしかならない。エヴァは励ましと称して悪罵することが決してない。口先だけで解決しようとせず、足を止め、手を伸ばし、穏やかに私に寄り添い、私の心に触れようとしてくる。
以前、私はボガスアリクイの死体の横でこう思った。『エヴァがどれだけ巧言を弄したところで、真実の欠片を手中に収めている私には決して響くことがない』と。それは、エヴァに心を許してはいけない、という理性が掲げた目標でしかなく、私の感情が真に抱いているものではなかった。むしろ、既に心を揺り動かされていたからこそ、そう思ったのかもしれない。
心など無用。私とエヴァの心底は相反している。エヴァを超える力を手に入れて真意を探り、エヴァが敵と判明した日には、彼女を倒さなければならない。
あらゆる方面から攻めてくる魔物と戦い、私の下層の日々は過ぎていった。
◇◇
長期休暇も末になり、ダンジョン探索を終了して王都へ帰還する。挨拶代わりに手配師のテベスの所へ顔を出すと、ボガスアリクイ回収後の清算代金を渡された。
長いダンジョン暮らしの間にボガスアリクイのことを綺麗さっぱり忘れていたので、これにはとても驚いた。テベスの説明する回収経費は事前の想定を大幅に上回っていた。テベスは敏腕手配師とはいっても、私に対して過剰申告のような形で不正に中抜きしたことが一度もない。彼が適正だと判断したのだから、実際に回収を手掛けたポーターと護衛ハンターたちには本当に必要な経費だったのだろう。追及する意義を何ら感じない。
いずれにしても黒字なことには変わりない。しかも、ボガスアリクイの売上がどうでもよくなるほど、ポジェムジュグラ下層から持ち帰った素材の売上が大きい。ボガスアリクイの回収経費程度の細かな部分を気にしなければならない金銭事情はどこにも存在しない。精石や希少部位等しか持ち帰っていないのに買い取り額が驚くほど高く、買い取り側が提示額を間違ったのではないか思ったほどだ。むしろ、約定を終えた今でもふと思ってしまう。
以前、ミスリルクラスのハンターでも固有名持ち武器を買うのは難しい、と愚考したことがあった。しかし、ハンターとして強くなると指数関数的に収入が増えるのであれば、もしかしたらネームドウェポンですらも、いずれ買えるかもしれない。
少なくとも数年資金を積み立てるだけで王都の一等地にそれなりの家を構えられそうだ。不動産の価格に興味を持って調べたことはないが、そのように思う。
本気で貯めるとなると、経費上限を定めるなど、細かい金銭管理をしたほうが好ましい。ワーカー、ハンター業務は必ずしもテベスが周旋するとは限らない。よく知らない手配師が担当する場合、不正な中抜きがないか確認するには、それなりの手間と時間、何より精神力を要する。
ネームドウェポンは欲しい。しかし、周到に監査するのは面倒臭い。細かな不正ひとつひとつに目を光らせるより、ボガスアリクイをもう一体倒すほうがよほど精神疲労は少ない。かと言って大儀がり、あまりに愚鈍な側面を晒していると、手配師はどんどん派手な抜き方をしてくる。「あいつは気づかない」という悪評が大きく立ってしまうと、他の手配師やパーティーメンバーまで不正を企むようになる。無数の不正に都度対応するのは下策。指摘するのはごく偶に、だ。湧いた虫を潰すのと同じ。目に見える虫を一匹一匹叩いても根本の解決にはならない。巣穴を潰さないことには。
こういう日雇いの現場における巣穴とは何か。それは悪徳手配師のことである。前もって見せしめにする手配師を選出し、そいつを泳がせた上で不正の証拠を集める。可視化可能な証拠が十分集まった後、手配師には晒し者になってもらう。擦り傷を複数人に与える必要はない。たったひとりの頸動脈を切り、屋根を越えて噴出する血飛沫を見世物にすれば、何十、何百という残った愚物は以後、弁えた抜き方に留めてくれるだろう。殺してしまうと私が罪に問われる。血飛沫に相当する具体的な恥辱を今から考えておくとしよう。
云わば囮捜査のようなものだが、それは結局のところ名目。犯人逮捕までの過程で、自分の身銭を悪人に与えることになる。金に困らなくなると金銭管理が杜撰になるいい例だ。
清算終了後、シェルドンに遭遇した。彼の利益になるハントもないというのに、彼は我々と行動を共にしたがったため、三人で二日間かけて王都の食事巡りを行った。シェルドンは打ち合わせもしていないのに、毎度タイミングよく王都にいて、目ざとく我々を見つける。そういう何らかのスキルを所持しているのだろうか。
私をからかったエヴァに対する当てつけにするため、「今回はホテル巡りをコンセプトにしよう」とシェルドンに提案し、訪れる場所は全てホテル内の施設になった。これでまた、私がエヴァを連れてホテルに出入りしている、という噂が流れるのだろう。この噂を流した主は、一緒にいるシェルドンをどういう風に見做しているのだろうか。ハンスが、エヴァと一緒にいた私のことを記憶していなかったのと同様、シェルドンのことは存在すら認識していないのかもしれない。
◇◇
長期休暇が終わると三回生の始まりだ。今年からは変性魔法の講座に入り浸って日中を過ごすことになる。魔法専攻、専門は変性魔法というわけだ。腰掛けである変性魔法講座の最大の長所は、火魔法講座や防御魔法講座のような社会的な負担がない点だ。教授のティヴィアスは学生にみだりに干渉しない。在籍する学生は総じて穏やかで、他者への攻撃性が低い。
日中は平和な講座内で研究に励む。定刻後は、イオスの研究室に行く回数を去年より減らし、論文作成の時間に充てることにした。論文作成といってもまだデータ取得の段階である。私の卒論制作工程で最も時間が掛かる部分は精石集めと魔力充填部であり、それは既に完了している。取得後のデータを解析して統計処理し、論文に書き起こすまでの道筋は大体見えている。どの部分は専門家に依頼しても学部生の研究として適正か前もって確かめてある。専門家の力を借りられる部分は専門家に依頼する。そのほうが目的とする結果を正確かつ短時間に求められる。金には困っていないのだから、こういう場面に惜しみなく注ぐべきなのである。
多くの学生は卒論……卒業論文を四回生になってから書き始める。そう決まっているのではなく、三回生のほとんどが論文を書いたことがないためだ。論文を作成するためには研究を知らなければならず、三回生は講座を構成する教員たちの下で研究に触れていくのだ。ある意味お客様である。その上で四年生になってから自分の研究と論文作成を本格的に開始する。見た目上の作成開始が四回生の始まりであっても、素地作りは三回生の一年間であることを考えると、初めての論文作成には二年間掛かると言えるかもしれない。
論文作成は最初の一篇がとても大変だ。論文内容がどうこう以前に、論文を作成する思考経路が存在しないからだ。一篇書き上げてしまえば、二篇目からは劇的に時間が短縮する。ただ、絶対に短縮しない時間も存在する。私の研究だと、精石の長時間魔力充填の工程は、誰がどうやっても時間を削減できない。短時間充填を行うと、その瞬間に研究の目的が変わってしまう。こんな研究を四回生になってから始めていたら、四年で大学を卒業できないことが確定してしまう。
私は論文を書いたことがあるから、四回生を待つ必要はない。だからこそ、一回生の終わりから前準備を進めていた。真剣に取り組めば院生水準の論文を作成できるだろう。研究職を目指しているのではないのだ。論文作成などというものは早くに取り掛かって早めに終わらせたほうが良い。
卒論が終わったら残った時間は卒業制作に充てられる。卒業に必要なのは卒業論文か卒業制作のどちらか片方で、両方が受理される必要はない。ただし、私に限って言えば論文は卒業制作の副産物である。変性魔法講座の研究室の設備を利用して、魔道具を作ってみたかったのだ。
魔道具製作は正真正銘経験が無い。基礎部分の製作でビギナーズラックな良い出来の物が仕上がったら、残りは専門業者に施工させることを考えている。これは卒業制作に不適正であり、審査会には提出できなくなる。
卒業判定には関係ない上、どうせ設備以外の費用は全部私が出すのだ。自分がやりたいようにやるべきである。しかし、社会とは煩わしいものであり、大学の設備を使用する以上、何らかの成果を形として残さなければならない。さもなければ、悪意ある人間にこのことを知られた時、不正利用だ、と咎められることになる。断じてプラグナスを喜ばせるネタを提供するわけにはいかない。そこで、製作品の申請をメインとダミーで何通りか出しておいた。こうすれば、万が一誰かの目に入っても問題にはならないだろう。作業内容の本当のところは、作業者本人以外に決して分からない。
それに防御魔法が変性魔法講座から独立しているのも長所である。おかげで、軍の干渉や強制的な機密扱いされる範囲が狭い。機密扱いされていると、物を大学から出し入れするのが困難になる。まだ何を製作するか確定していないが、自分で使いたくなる素晴らしい魔道具が出来たら嬉しい。
◇◇
研究生活の傍ら、火魔法講座教授のブレアが風魔法講座の教授、イグバルと勝負するところを見ることができた。最近はイグバルが逃げの一手でなかなか勝負は実現しなかった。そのため、私が両者の戦いを見たのはそれが初めてだった。
勝負は演習棟で行われた。勝敗が一瞬で決することはなく、決着までそれなりに時間が掛かった。かといってダレることもなく密度の濃い戦いが繰り広げられ、見応えは十分であった。結果は通算戦績の通り、イグバルの勝利で終わった。風と火という相性の問題、魔法使いとしての技量の問題とはまた別に、「イグバルは強い」ということを一回の観戦で存分に理解した。
ブレアは優秀な魔法使いであっても、決して強い魔法使いではない。優れた知識を持っているだけでは優れた論文を書けない、という話と似ている。ブレアは難しい魔法構築に長けていても、魔法戦闘に長けていない、戦闘思考を持っていないのだ。
イグバルは上手いだけでなく、諸手を挙げて認められるほどに強い。ブレアとの戦いはいい試合だった。素人目にはそう見えるようにイグバルがそう演出していた。私にはできなかった自在の試合運び、というやつをイグバルは目の前で実演してみせた。
あの一戦を見る限りだと、イオスとどちらが強いか分からない。風という属性を今まで侮っていたと思い知らされた。風魔法も使いこなすとあれだけ強くなるのだ。自分が強力な風魔法を操れないために、風属性全体の限界を愚かにも低く見積もっていた。
私はイグバルに勝てるだろうか。
魔法戦では勝ち目がない。彼の風魔法を前にすると、私の魔法は攻撃の用をなさない。魔法が通用しないとなると、私に残るは近接戦闘しかない。近接戦闘をするためには、剣の届く距離まで接近しなければならない。
イグバルの風魔法が吹き荒ぶ場で、剣を片手にイグバルに接近する。
無理だ……。イグバルの風魔法を回避して距離を詰める絵を脳内に全く描けない。では、距離を詰めるためにこちらも魔法を放ち、イグバルの魔法構築を阻害できるだろうか? これもまた難しい。
私の魔法は、イグバルの風魔法で全て軌道を逸らされることだろう。イグバルは片手で魔法を逸らし、もう片方の手で好きなだけ私に風魔法を撃ち込むことができる。手合わせしてみないことには実際にどうなるか分からないが、かなり厳しいことは間違いない。
これでイグバルが近接戦まで強いとお手上げである。剣も魔法も嗜む人間は一定数存在する。ルーヴァンはその代表のような者だ。時折ハントに出掛ける、というイグバルのこと。剣捌きがそれなりである可能性は十分。
聞く所によると、イグバルは昔から大学に勤めていて、ハントは趣味でしかない。イオスのように、昔の本職がハンターだった、ということはないのだ。才能ある人間は教員、研究者として大学に身を置きながら、片手間にハントを行うだけでここまでの域に達することができるのだ。人によっては夢のある話だろう。「才能があれば」という前置きがある以上、私の夢と希望を叩き折る話である。
私に風魔法の才能があったらイグバルはいい見本になったことだろう。しかし、私は風方面の鈍才。私が何もかも捨てて風魔法に全身全霊をかけたとしても、イグバルと同じ高みに達することは不可能。剣でヤバイバーとエヴァの二人を同時に下すほうが、まだ可能性があるように思う。イグバルの魔法は、私が風魔法を練習するときの理想形程度に記憶しておこう。
◇◇
ハントが少ない分密度の低い冬は、最中においてはゆるやかな時の流れに感じるが、その実、瞬く間に日が過ぎていく。
多々生まれる隙間時間はワーカー業に費やさず、剣と魔法の修練の時間に充て、手配師と顔を合わせるときは欠かさず新人の情報を求めた。求めると言っても、私にできることはテベスに金を積むことくらいのものである。提示額の低さゆえに情報を出し渋られても困る、と考え、テベスに目一杯の誠意を見せたものの、「どれだけ大枚をはたかれても、有望な新人が居ないことには朗報をもたらすなど不可能」と一蹴された。代わりに「有力情報が入ったら真っ先に教えてやるから、それを言い値で買え」と言われた。テベスにそう言われると、高い金を払いたくなる、というものだ。お買い得な優等生など求めていない。卒倒するほどの情報料を要求される才気縦横の大器が待ち遠しくて仕方ない。
ただ、次の春は期待薄である。テベスはラナック同様、私にかなり融通を利かせてくれる。テベスは私がどれほど理想を高く持っているか知悉している。彼が「居ない」と言っているのだから、徴兵明け間近の新兵の中には本当に目ぼしい人材が無いのだろう。
[*知悉--知り尽くすこと。詳しく知ること]
私が望んでいるのはチタンクラスの前衛になれる可能性を秘めた者。では最終的にチタンクラスに到達する人間が、徴兵明けの新成人の段階で、どの程度の強さがあるものなのか。その範囲は大体シルバークラスからゴールドクラスに納まるらしい。
ゴールドクラスの中でも、プラチナクラスが近いゴールドクラス上位ではなく、ゴールドクラスになったばかりのゴールドクラス下位だ。今ではミスリルクラスのイオスですら、新成人の頃合いはシルバークラスの真ん中あたりだった、ということだから、少なくともシルバークラス中位の実力を有している新成人は、将来の可能性を秘めていることになる。では、シルバークラス中位の新成人に、手当たり次第唾を付けるべきか、というと、話はそう簡単ではない。確かにシルバークラスの実力を有する新成人は、新成人全体の中でも少数。ただし、両手で数えられるほど少なくもない。そこから絞り込むための“光る何か”が必要になる。数値化できない、才能を感じさせる何か、だ。それはきっと私よりも手配師のほうが分かる部分だろう。
私がシルバークラスだったのはいつ頃だろう? 十四歳の時に母から許しを貰ってカールとハントに出て、それから少し経った頃合いがそうだったはずだ。当時手配師が私をどう判定していたかは知らないが、カールと私の強さが拮抗しつつあった頃であり、戦闘力的には正確な見立てのはずだ。
そう考えると、シルバークラスというのは大分弱い。当時はタイニーベアが大物だったのだから。あの二年のハント期間において、最終的にはメタルタートルを討伐した。なぜか習得していた変性魔法が無かったら厳しかっただろう。メタルファティーギュというメタルタートルからしたら反則的な魔法を習得していたがために、大きいほうの個体を楽々討伐することができた。
メタルタートル討伐を参考記録に留めるとすれば、討伐した魔物の中で最も強かったのがウォーウルフだ。あれも止め足にかかってくれたから比較的あっさり倒せただけ。止め足を見抜かれ、奇襲に失敗していたら苦戦を強いられたことだろう。
心の中にあの頃の私とカールを思い浮かべる。心に浮かんだ像と同じくらいの強さを有していて、更に未知の才を匂わせる新成人。それが私のパートナー候補というわけだ。
思い浮かべた私とカールの横に、ひとつまた別の人物像が勝手に浮かび上がってきた。その人物はスヴェンだった。なるほど確かに彼は徴兵修了時点でシルバークラス中位の実力を有していた。スヴェンの能力は風魔法特化の後衛型であり、前衛を求める私の要望とは合致しないが、比較対象にこれほど適した人間はいない。
自分の強さは年月とともに移ろうため、浮かぶ像が有する戦闘力はしばしば曖昧なものになる。しかし、スヴェンの場合は違う。スヴェンとは徴兵修了後、寄せ場で一度見掛けたきり。私の中のスヴェン像は徴兵終了時点のものに固定されている。
前衛的な育ち方をしていればカール位の強さ、後衛的な育ち方をしていればスヴェン位の強さがある新成人。そういう人物を狙うことになる。この強さの閾値を越えているが正規軍人にはならず、ハンター志望で、パーティーが確定していない者。条件があまりにも多い。
そもそも私が知っている国内のチタンクラスとミスリルクラスのハンターは全員合わせて十二人しかいない。ハンターを十八歳から四十歳まで続けるものと仮定して、現役年数は二十年強。チタンクラス以上のハンターになりうる人材は、ざっくり言って二年にひとりしか出てこない。
去年の新成人の中には、ゴールドクラスに達していた者がいなかった。手配師の見立てでも、王都の寄せ場における私の見立てでも、だ。テベスの情報によると、今年の新成人予定の人間の中にゴールドクラスに匹敵する者は一応いる。ただし、近接戦が滅法苦手な上、ハンターにも軍人にもなるつもりが全くない、とのこと。
他の者たちは総じて小粒。良くてシルバークラス下位。その程度だと、どれほど急峻な成長曲線を描いたとしても、最終到達点はプラチナクラス止まりである。準プラチナクラスというとサバスが真っ先に思い浮かぶ。戦った時はそれなりに感じたものだが、今となってはサバスに前衛を担わせたところで私の負担要因にしかならない。サバス程度の能力は通過点にしてもらわないと意味がない。つまり、妥協してシルバークラス下位の者を仲間に入れる理由はない、ということだ。
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次年度の新成人事情は何も変わらないまま冬を越し、大学に来てから三度目の春を迎える。書き上げた卒論は受理され、卒業制作は九割方完成し、微小修正と稀に小修正を繰り返すだけの日々である。最近は大幅変更どころか、小変更すら行っていない。
春になると徴兵を終えた新成人が故郷に戻ってくる。帰郷した新成人の一部は社会人として職を求める。家業を継げぬ者、働き口にあぶれた者、定職を持たぬ者は寄せ場に集まる。事前情報から無駄と知りつつ、それでも買わぬ籤は当たらぬ、と淡い期待を胸に秘めて私も寄せ場へ顔を出す。およそ二歳年下の子供っぽさが抜けきらない若人たちを日に数時間眺め、それを繰り返すこと数日間。淡い期待は泡となって消えた。私の意に適う新人はどこにもいなかった。
また、先のゴールドクラスに匹敵する新人には後日談がある。件の新人をパーティーに加入させようと画策するハンター連中は、私以外に多数いた。その中の一組が、なんと徴兵明けに実家まで勧誘に行った、というのだ。勧誘側からしてみれば礼を尽くした拝趨だったのかもしれないが、新人とその家族からしてみれば押し掛けもいいところだったようだ。ハンターたちは本人に会うことすらできぬまま、家族からけんもほろろに断られた。斯く言う私も直接交渉を考えていたのだが、口達者な交渉人を雇ったハンターが失敗した、ということだから、元より成功の目は無かったのだろう。
私は二年連続でパーティーメンバー探しに失敗した。




