第六八話 エヴァの忠告と助言
合流したエヴァと二人で向かう王都への道すがら、昨年エヴァに依頼した品を回収することを思い出す。
「そうだ。忘れないうちに去年渡したペンダントを貰えるか」
「あれからもう一年になるんですね」
星霜の流れの速さは万人を驚かせる。それは年長者であっても変わることはなく、むしろ歳を重ねるほどに速さは増していく。時間の体感長は歴年齢の逆数に比例する、という心理学の法則だ。
[*ジャネーの法則 人間が体感する時間の長さは、年齢を重ねるごとに短くなっていくことを説明した法則]
エヴァが首から外したペンダントを受け取る。
エヴァは一年ペンダントを守り切った。私とは大違いだ。
「ありがとう。恩に着る」
「アルバート君は私にもっと優しくしてくれてもいいと思うんですよ」
一年かけてペンダントに魔力を充填し、私にたっぷりと恩を着せた恩人は抽象的な問い掛けを始め、貯めた恩返しポイントの交換をちらつかせる。
「何を所望している?」
「まずはそういう無味乾燥の言葉選びから何とかしましょうか? それと、労いの言葉、労りの言葉をかけるとかですね」
「ちゃんと『ありがとう』って言ったじゃないか」
返事をした直後に過ちを犯したと気付く。
これはあれだ。奉謝の事実の有無を問うているのでなければ、論理的な話でもない。
[*奉謝--お礼を申し上げること]
赤心を恩人の心に響く形で伝えたかどうか、という情緒的な話だ。大儀千万な話である。恩返しポイントはこうして豪華返礼品に換えなければならないわけだ。何をどうすればいい……。考えたところで、私がこの手のことに名案を出せるはずがない。返礼品第一弾は、適当に賛辞でも呈しておけ。
「きょ……」
「きょ?」
口にしかけた言葉が、あってはならない無首尾であることにハタと気が付き、既の所で口を閉ざす。容色への言及は自縄自縛に通ずる。決して触れてはならない。
「今日のエヴァは昨年以上に武芸の才気が迸っているように見受ける」
「溜めて引っ張って出てきた言葉がそれですか。ふっ、ふふっ……。アルバート君は女性を褒める言葉も覚えましょうね」
容姿を褒めるのは失着。嘘や空々しい世辞も自分を苦しくする。となるともうこれ位しか思い浮かばない。我ながら凄い言葉を贈ってしまった。剣に生き、天下一の武芸者を目指す修行者と語り合っているのではないのだぞ。
世間離れした褒め言葉を聞かされたエヴァは不機嫌になるかと思いきや、喉を鳴らして笑い始めた。
「女の悦ぶ甘い言葉が弱点の魔物でもいるなら考えておこう」
「女性は皆、魔物みたいなものですよ」
そんなことは知っている。うんざりするほどに。
「本当に魔物であれば、調教に必要なのは言葉よりも根気と時間、それに知識だ」
ステラの羽毛に指を一本差し入れて撫で心地を味わう。魔物をテイムするように、それら一式に言葉を加えたところで女は従属化しない。したとしてもそれは仮初か、数えるほどの夜を明かすだけで消え失せてしまう夢幻のようなもの。
「君の将来の結婚生活が早々に破綻することのないように、という助言なんですけどね」
それは耳が痛い忠告だ。セリカではないまた別の「前」の私は、おそらく何度か結婚したことがある。その結婚生活はいずれも破綻していた。「何度か」というのが、「前」の私一人が何度も結婚と離婚を繰り返していたのか、それとも何人分もの「前」の私の記憶の集合を指しているのかまでは思い出せない。
結婚していた、という「前」の私は間違いなく男だ。夫がいた記憶は無いが、妻がいた記憶はある。当時の妻に対する不快感、苛立ち、軽蔑といった否定的感情は思い出せても、伴侶としての尊敬や信頼、愛情などの肯定的感情は思い出せない。今の私が女に対して期待や興味をあまり抱けないのは、「前」に女と結婚して失敗した時の影響が強く表れているのだろう。失敗した理由が、人間としての相性が悪かっただけなのか、下らない女を相手に選んでしまったのか、私に非があったのか。それは不明だ。
ときに私は自分の記憶の出所について、転生なのかループなのか悩んでいた時期があった。ループ説について考える際は、何度もループを繰り返していることを前提に脳内検証を繰り返したのに対し、なぜか転生は一回こっきり、という前提で推理に勤しんでいた。もしも論理的かつ真に中庸な思考を持つことができていれば、転生は一回だけ、という縛られた思考から抜け出せたはずなのだ。私はそれができず、ジバクマで"仕組み"を思い出すまでずっと自分の思い込みが作り出した迷宮に囚われていたのだから、偏見の排除が如何に難しいか分かるというものだ。
「私には女に現を抜かしている余裕などない。無用の心配だ」
「余裕ができたときに多くの人は結婚するんですよ。このまま君が鰥男暮らしに飽きないとは思えませんし、それになにより、私は知っていますからね。君が学園都市でも王都でもお楽しみだということを」
ニヤニヤとした顔でエヴァが指しているのはシルヴィアとモニカのことだろうか。もしかしたらターニャも数えられているかもしれない。
あれは彼女達を介することで、手っ取り早く望ましい恩恵を引き出すことができるから行ったに過ぎない。向こうは知らないが、こちらは恋愛など何等楽しんでいない。
ターニャに至っては二回しか会ったことがない。会ってしたことといえば、社交辞令の範囲に過ぎない当たり障りのない会話を交わしただけ。本当に用事があるのはターニャではなく、父親である魔道具商のジエンセンなのだから。
そういえばターニャとはしばらく会っていない。ジエンセンとは折節会っているのに。……ああ、今年の春から徴兵に行っているのだった。どうでもよすぎて忘れていた。ジエンセンの前でターニャを粗略にした発言はできない。ペンダントを追うための大事な"足掛かり"だ。こうやって思い出すのも大切な作業である。
ではモニカはどうだろう。モニカに恋人はいるのだろうか。モニカとは一度も恋愛話をしたことがない。恋人や想い人の存在は把握していない。我々の関係は極めて単純。週末、ハントから帰った後に薬学を教えてもらい、勉強を教えてもらう礼に、勉強前か後に一緒に食事するだけ。私が彼女を拘束する時間はそう長くない。モニカは恋人と過ごす時間をいくらだって捻出できる。
大学生活はこのまま順調にいくと残り二年。モニカと定期的に会うのはそれで終わりとなる。仮に現在恋人がいなくとも、モニカはまだ若い。大学を卒業してからいい話がきっとある。モニカのほうから将来の相談を持ち掛けられたらティムを紹介するのも面白そうだ。合コン好きのティムに決まった相手はいないはず。
二人の交際開始後、ティムに、「モニカを泣かせたら絶対許さない」とでも言っておけば、大切にしてくれるのではないだろうか。ブレア派閥が失脚しない限りティムの将来は安泰だ。万が一失脚しても、そこは魔法専攻の大学院生。食うに困るほど堕ちることはない。どこかの企業が拾ってくれる。
「何の話を聞いたか知らないが、それは多分、事実無根の与太話だ。それも手配師から聞いたのか?」
「色んな女性を取っ替え引っ替えして、お高いホテルやレストランに引っ切り無しに出入りしている、と複数の方面から聞きました」
おや、指摘されてみるとそれは誤魔化しようのない事実だ。
シルヴィアとはホテルのパーティーで一回同席、ターニャとはレストランで二回同席、残りはほとんど全部モニカだ。薬学指南の代価としてモニカに食事を奢る行為が、部外者にはこのように見えるのか。意識しないと分からないものである。
はてさて、それはよしとして、事実を基に不実たる私の好色を追及するエヴァは、気付いていないことがある。
「それは心当たりがあるんだけどさ……」
「まだ言い逃れるつもりですか。認めてしまっても構わないんですよ。抜かしてますよね、現」
エヴァはこの上なく楽しそうに笑っている。今のうちに笑っておくがいい。
「残念ながら噂を流している連中は、『色んな女性』という下りにエヴァのことを含めているはずだ」
エヴァの笑顔が凍り付いた。睨んだ通り、エヴァは自覚していなかった。自分の行いが見え辛いことは、今正に私が認識したことでもある。エヴァほどの情報強者であっても、その法則は当てはまる。
「……ま、まあ、私はそういうのを気にするほうではありません。なんなら光栄ですよ。恋愛は自由だと思いますし」
「振り返ってみると、私とエヴァは、去年も一昨年もシェルドンと三人でホテルの施設を利用している。私は悲しい。せっかく美味しい食事に舌鼓を打ち、楽しい時間を共に過ごした、と思ったら、よりにもよって同席相手が私を庇うでもなく、噂側に私を売り払うなんて……」
エヴァと出会ってから二年と少し。初めて攻守が逆転したように思う。
「私は責めてなんていませんよ。ただ助言しただけです」
「挙句、大切なハント仲間と王都で過ごす時間を指して、『現を抜かす』呼ばわりして心なく糾弾する。『付き合う相手は選べ』とはよく言ったものだ」
エヴァをからかう楽しさのあまり、二の矢、三の矢が意識するまでもなく自然と私の口から放たれていく。
「アルバート君、あんまりな駁撃ではありませんか。私は構われたがりの生き物である女性との関係を、どうすれば長く良好に保てるか、という人生の妙を伝えたかっただけですよ」
[*駁撃--他人の言論・所説を攻撃すること。非難]
私をおちょくることの好きなエヴァは、からかわれるのがお気に召さないようだ。エヴァの口調から軽妙さが消え、声色が低く変化した。
溜飲は十分に下がったことだ。戯れはこれくらいにしておこう。
「冗談だ。エヴァには目を掛けてもらっていると思うし、本当に感謝している」
エヴァへの感謝。それは偽りない私の本心だ。エヴァがどれだけ危険人物で、どんな真意を持って私の成長を助けているのかは未確定にせよ、私は一人のハンターとしてエヴァに敬意を持ち、指導を授けてくれたことに感佩している。
「いつも私のことを考えて助言を与えてくれる。女性に優しく、というのは、一朝一夕に応えられる易しいものではないにせよ、好きな女性ができた日には心掛けると約束しよう」
「えぇ……? むうー、私に優しくすることは一旦忘れるとして、その色んな女性のことを好きではないんですか?」
エヴァの怒ったフリは数秒で終わりを告げ、今のエヴァは口を尖らせて訝っている。
「人間としては好きだよ。特別に高く評価している。だが、エヴァが言いたいのは、女性として好意を抱いているか、ということだろ? そういうのは無い」
特にシルヴィアについては、特別な好意ってやつを断ち切らんと努力しているところだ。必要外に優しい言葉を掛け、まかり間違ってシルヴィアが私を振り向いた日にはどうしてくれる。私は未練を断ち切れなくなってしまう。
「本当に刺されないように注意したほうがいいですよ。君にその気が無くても、その女性達は結婚相手を選ぶ目で君を見ているに違いありません」
口調は冗談めかしていても、表情は真面目そのものだ。エヴァは私よりも真実が見えていること、度々である。昨年は金策の件、今年は交際の件。
金策と違い、人間関係は終わらせると決めたからといって、即座に終了とは相成らない。大学は残り二年。そろそろ手仕舞いを始めなければならない、ということだ。
それと、ホテルの件に関して気になる点がある。私と出入りしている女性というのは、大半がモニカだ。一つ、モニカの視点に立って考えてみよう。
毎週末になると私に会い、一緒にそれなりの価格帯のホテルやレストランに行き、その後はお互いの家に行き、数時間一緒に過ごす。相手である私は大学生ながらチタンクラスのハンター。
これは……モニカに彼氏を作れ、と言っても無理な話だ。モニカが人に、「アルバート・ネイゲルとは付き合っていない。彼氏でも何でもない」と言って、誰が信じるだろうか。私が第三者だとしたら、そんなこと絶対に信じない。
モニカに好意を抱く男性がいたとして、その男性がモニカに好意を伝えたり、デートに誘ったりすることが果たしてできるだろうか? 私なら無理だ。チタンクラスのハンターと揉めるなど、真っ平御免である。
私とモニカがいかに学友の範囲内で交友を結ぼうとも、世間からはそう見えていないのだ。彼氏ができない責任の一端どころではなく、重い責任が私にあることを悟る。
「その忠告は真摯に受け止めておこう。今後の身の振り方は考えておく」
私だけに非があるのではなく、モニカにも非がある。モニカが持つ非の程度、割合。それは未だ分からない。もしもモニカの将来を真剣に憂うのでれば、モニカからはすぐにでも手を引くべきだ。しかし、あの三人の中で唯一まだしばらく必要なのがモニカだ。
ターニャは徴兵で不在となっている以上、ターニャの相手をしなくてもジエンセンから魔道具の情報を得ることは可能。
遠隔地で生きているだけで価値を持つターニャと違い、モニカは直接会わないと薬学の知識を得ることができない。そしてモニカにはもう一つ、薬学以外に重要な役割がある。エヴァがいるからこそ深い意味を持つ、大事な役割が……
「将来のことで思ったのですが、アルバート君は大学卒業後の進路をもう決めているんですか? この先もずっとハンターをやっていくのでしょうか」
「最優先事項はずっと昔から変わらない。しかし、為すべきことは多々あり、達成のために必要な手順をどのように踏まえるか、それが決めきれていない」
長期視点では魔法の探求。これは前から、ずっと「前」から変わらない本懐。そのためだけに私は罪を重ねてきた。
中期視点だとペンダントを奪還し、母に会うこと。
短期目標はハントパートナーの確保だ。安定して組めるパートナーが居るとハントの幅が広がる。ハントの環境を整えられれば、実戦形式で魔法を鍛えられる。強さはペンダントを手繰り寄せるために欠かせない要件だ。パートナーをペンダント奪還作戦に組み込むことはできないのが残念至極。
オルシネーヴァに忍び込むことを考えたとき、ミスリルクラスという肩書は邪魔になる。ジバクマに潜入したイオスは変装していたにもかかわらず、魔法を使っただけでマール達に完全に看破されていた。軍人は他国の軍が保有する軍事力だけでなく、ハンターの実力者も調査している。だからこそ、軍人のマールがハンターであるイオスのことを知っていた。ハンタークラスが上がることは、私の目標の妨げにしか作用しない。
「それで? 具体的にはどういうことなんですか。抽象表現で煙に巻こうとしないでください」
「……。エヴァにもシェルドンにも教えていない失くし物があるんだ。それを探す。強さや能力は役に立つが、ミスリスクラスという言わば称号はそのときの邪魔にしかならない」
エヴァが小さく溜め息を衝く。
「縛られるのは、ミスリルクラスだけではありませんよ。知ってました? 国はゴールドクラス以上のハンターを全員把握しています。プラチナクラス以上になると、能力や装備だけではありません。年齢、出身、パーティー遍歴、家族構成……至るところを調べ上げています」
能力が高くなればなるほど有事に際して重用される。人材を適切に活用するためには、そういう者がいる、と情報を集めておくことが何より重要だ。肯定的な面だけではない。高い能力はときとして国に一際大きな損害をもたらす。危険分子を管理、監視する意味でも、能力者を調べておくことは意味がある。
私はその一線をチタンクラス以上と踏んでいたが、プラチナクラスから目を付けられていたようだ。マディオフ国内でチタンクラス以上の強さを持つ非軍人は十人強。国家レベルの情報管理能力で、それだけしか把握していない、というのは確かに粗笨過ぎて考えにくい。プラチナクラスでも人数は百人に遠く及ばない。国なら楽に管理できる数だ。
「強くなればなるほど、色んなものに縛られていくんですよ。どう足掻いても」
自嘲するエヴァの目には悲しみの色が見える。エヴァを縛るものが無かったら、本当はどのような生き方を選んでいたのだろう。
「先程の問いを繰り返す。エヴァには、どこか行きたいダンジョンやフィールドはないのか?」
「んー、君と一緒に行くことを考えると……」
「私が聞いているのは、私を連れていくのに按配が良い場所、ではなく、エヴァ自身が訪れてみたい、挑戦してみたい、と願っている場所だ」
「一通り行きましたからね」
パーティーを渡り歩いているのだから、かなりの場所に到達済みだろう。
ダンジョンを探索するのも、フィールドを歩くのも、どちらも危険度の高い行動。戦闘力は確かに危険な場面で命を拾う可能性を高めてくれる。しかし、単純な戦闘力よりも知識や経験のほうが有用な場面は数多くある。
知ってさえいれば弱い人間でも回避できる危険が、チタンクラスの強者を一飲みにすることなどいくらだってある。昨年の私は"知っていた"からこそ、サンサンドワームを倒すことができた。今の私は昨年の私よりも強いが、今の戦闘力を持ってしても、"知らない"状態で晴れたムグワズレフを歩いた日には、サンサンドワームに飲み込まれて命を落とすことだろう。
強くなって自分一人で探索範囲を広げるより、知っている人間についていくほうが、未知のエリアを埋めるには効率的だ。
各地のパーティーが踏破済みの場所は、エヴァにとっても初見ではない。逆に考えてみよう。どんなパーティーでも敬遠しそうな場所と言えば……
「火山は?」
「行ったことはありませんし、別に行きたいとも思いません。私は経験を積みたいとは思っていますが、別に極致を垣間見ることに命を懸けてはいません」
火山は極端過ぎる場所だった。エヴァの真の目的がそんな所に転がっているはずはない。
「では、どこかのダンジョン下層は?」
「あまり行きたい場所で考えたことはないんですよ。その時のパーティーの構成、実力でどこが適当か、という観点で考えるばっかりで。敢えて言うなら……君が失くし物をした場所。そこに行ってみたいです」
これはエヴァの本心らしく聞こえる。私が返答に苦しむ、と分かっているからこそ、問うているのもあるだろう。
「私以外は誰も知らない場所だ」
「そういうのを教えてもらえると、特別な気分に浸れそうです」
「エヴァだけではない。誰にも教えられない」
オルシネーヴァに編入された旧ジバクマ領土、などと誰が言えようものか。イオスだって、私がそこで大切な物を失ったと気付いていない。知っているのはマールら数人のジバクマ人だけだ。
「秘密を共有したい、という気持ちが少しあるだけで、秘密を暴きたい、とは思っていません。あとは、失くし物をしたのであれば、それを探す手伝いがしたいだけです」
こうやってエヴァは恩返しポイントを積み立てていくわけだ。エヴァが私の敵ではなく、純粋な厚意から、こう言ってくれているのだとしても、密出入国に限っては迂闊に話せない。
「気持ちは嬉しいが、自分で……自分独りで探さなければならないのだ。もし、私以外の誰かがそれを見つけて私の目の前に置いていった日には、逆に永遠に喪失感に苦しむことになるかもしれない」
オルシネーヴァに忍び込む際は必然的に独力になるとはいえ、既に独りで成し遂げることに意義を感じ始めている。他者にペンダントを与えられたとしても、心は半分程度しか満たされないだろう。
「私自身が行きたい、というより、君を連れていきたい場所ならいくらでもあるんですけどね」
これも揺さぶりではなくエヴァの本心に聞こえる。私が一番知りたいのは、「私を強くするために連れて行く場所」ではなく、「満足のいくまで強くなった後に連れて行きたい場所」だ。
お互い秘密が多い。私に至っては、自分の秘密すら全てを理解していない。必然、騙し合い然とした会話にしかならない。
「当面ハンター業から完全に手を引くことは考えていない。機会はいくらだってある」
「人生何が起こるか分かりません。行けるうちに行っておいた方がいいでしょう。特に今は一緒にハントできる機会が限られています。君がハントするのに丁度いい場所、それが私の行きたい場所です。今回は私の言う通りに付き合ってもらいますよ」
「今回も、だろ?」
思いが不意に口を衝いて飛び出してしまった。
「言いますね。でも、君の言う通りです。これでも頭を捻って考えているんですよ」
「なんだかんだ言って、本当は行く場所を最初から決めていたのではないか?」
「目的地候補は複数用意していました。君は予想よりも強くなっているようなので、候補の中で最難関の場所に行こうと思います」
私で決まる目的地であって、決して私が決める目的地ではない。候補が複数挙がっているのはエヴァの頭の中だけであり、私の目の前に敷かれるのはたった一つの強制狭隘な険路である。
「今回行くのはポジェムジュグラ下層です」
昨年の同時期に、『来年はダンジョン下層に行きたい』と夢想したことを思い出す。エヴァに不平を漏らすまでもなく、私は私が思い描いた道を、自ら願った速度で走っていたようだ。
「強敵が出現する場所はフィールドにもありますが、せっかくの成長期です。質だけでなく量も重視、ということで、たくさん平らげてもらいましょう。ポジェムジュグラは数あるダンジョンの中でも魔物の密度が抜群に高い場所です。満腹になれますよ」
「ポーターは捕まるだろうか」
「ポーターは連れて行きません」
ポーターを伴わないハント……素材回収はしないのだろうか。私が後ろ暗い金策をしないか憂患していた人物の提言とは思えない。
「どこのダンジョンでも下層レベルになると、最低限の自衛にプラチナクラスの強さが必要になります。ゴールドクラスの人間を下層に連れて行くとみすみす死なせてしまうことにしかなりません。知っているかもしれませんが、プラチナクラスの強さがあってポーターをやっている人はチタンクラスのハンターと同じくらい希少なんですよ。それくらい強ければ普通に狩れますからね。プラチナクラスのポーターは、私は二人しか知りません。二人とも固定パーティーを組んでいるので、手伝ってもらうのは無理ですよ」
専業のポーターではなく、固定パーティーを組んでいないフリーのプラチナクラスのハンターであれば雇えるかもしれない。しかし、引き受けてくれたとしても専業ポーターと同じだけの仕事を期待するのは無理がある。担ぎ慣れない大荷物を抱えさせてしまうと、プラチナクラスの力も発揮できなくなってしまうかもしれない。然らば二人だけで行ったほうが断然やりやすいだろう。
「そういう希少人員を組み込めたパーティーは強運だな」
「共にハントを重ねて強くなったのでしょう。強いパーティーメンバーを得たければ、既に強い者を探すだけではなく、強くなる見込みを持つ者を探すことも考えなければなりません。既に強い者は一癖二癖あることが多いです。一時的に組むのは別として、能力、個性、主義主張が完成している人と長く良好な関係を維持するのは大変ですよ」
エヴァが言う原石探しを、私は既にこの春経験し、失敗した。ポーターではなく前衛の話とはいえ、するべきことはほぼ同様だろう。
「今回のメンバー選定に限らず、もっと広い話として、そういう将来性のあるポーターやハンターを見つけようと思ったらどうすればいい?」
「裾野を最大に広げようと思ったら、徴兵中に目立っている人間の情報を集めることになります。最初に粉をかけるのは当然軍になりますが、正規入軍しない人はたくさんいますから、春はチャンスです」
私も情報料を出して新成人について調べはしたが、今年の春の失敗とエヴァの解説を踏まえると、あれは遅きに失していた、と判断せざるを得ない。
新人ハンターとして寄せ場に顔を出す前から人相を調べておき、寄せ場に現れたら誰かの勧誘を受ける前に一番乗りでパーティーに誘う。……寄せ場に"初出勤"するより先に、徴兵仲間でパーティーを組むことを考えると、これでも遅いかもしれない。
「これは一般論ですね。アルバート君の場合は徴兵前から注目を集めていたので例外中の例外。参考にはなりません。そういう人の情報は調べたり探したりするまでもなく、声の大きな噂として流れてきます」
「そう言えば、初めて会った時にもエヴァは斯様に言っていたな。『超有名人』と」
「んー、懐かしい。あの時から女性を侍らしていましたねぇ」
私をしつこくパーティーに勧誘してきたペトラとレイアのことか。あの時は面倒なだけで気付かなかったが、今思い返すと二人は私に示唆を与えてくれていた。今はペトラが放ったあの言葉の意味が分かる。
「絡まれていた、と言ってくれ。エヴァも見ていたではないか」
私と二人のやり取りを見ていたからこそ、エヴァは斯様な切り出し方ができた。
「徴兵明けも、徴兵前と同様にお抱えの槍兵と一緒にハントをするかと思いきや、一人で寄せ場に現れたのです。私だけでなく、君に目をつけていたハンターは一様に驚いていたことでしょう。あの時、その場の注目を一身に受けたのを覚えていますか?」
それまでになく多くの人間から見られていたことは朧に覚えている。徴兵同期が見ているのだとばかり思っていたが、どうやら違ったらしい。
「うっすらと、ね。槍兵のカールは私の親との雇用関係の延長で私に付き合ってくれていただけで、生粋のハンターではない。その他諸々の事情もあったため、徴兵後のメンバー候補には挙がらなかった。それに、あの時寄せ場に足を運んだのは……様子見だ。少なくとも、徴兵明けの新人をパーティーメンバーにしようとは考えていなかった」
当時はどこかの中堅パーティーに潜り込もうかと思っていたのだった。顧みてみると、私が目論んでいたことは、エヴァの表向きの活動内容と変わらない。もしもエヴァが話し掛けてこなかったら、私に目を付けていたハンター連中とやらから勧誘の嵐を受けたのだろうか。メンバーを探していたとはいえ、それはそれで億劫な話である。
「君をメンバーに加えたがっているパーティーはたくさんありましたが、君が私の手を取った瞬間に、全員が永久に機会を失いました。事実、私と組んで以降の数ヶ月、アーチボルクで君とハントをできたのはポーターだけ。私とシェルドンとルヴェール以外とは、誰ともパーティーを組んでいない。商品に言い換えると、限定一品入荷、販売開始後即完売、更には二度と再入荷されないという、買い手泣かせの品だったのです」
商品に置き換えて説明されると購入難易度が明快になる。大型新人の契約を勝ち取るのが如何に難しいかよく分かった。私がエヴァと組んだのは、偶然でも巡り合わせでもなく、エヴァの前準備と執念によるものだったのだ。
「チャンスなんてそんなものなんです。新人を発掘するつもりなら肝に銘じておいてください。恥ずかしがって声を掛けるのをほんの少しでも躊躇えば、その瞬間に横から手が伸びてきて持って行かれます」
これだけ力説されてしまうと、自分が才能ある新人とパーティーを組める可能性は極限にまで小さく思えてくる。
「その点、ペトラさん達を雇った連中はある意味賢かったですね。最終的に失敗したとはいえ、私以外に君に声を掛けられたのはペトラさん達だけなんですから」
「雇った?」
「彼女達は君をパーティーに誘い入れる餌です。君の同期の可愛い女性を使って君を釣り上げて、然る後、自分のパーティーに組み込む。そういう手筈だったみたいですよ」
器量の良い若い娘を客引きに使う手口は、ヤバイバーの好きな酌婦のいる酒場を彷彿とさせる。俺の好かない店だ。
肴は不味い。中にいる女は表で客を引いている女とは並べられないブスばかり。仕様がないから酒をかっくらっていると女がクソも面白くない話を始める。見た目は悪い、話はつまらん、身体に触れると嫌がりだす。半ば意地になって口説き落とし、抱いてみたところで床技巧を何も持たない。これほどクソな店は……「今」の私には関係のないことだった。
そんなものは人の好き好きだ。「前」の私にも「今」の私にも価値のない店であっても、ヤバイバーは喜んで通っている。
それに「今」の私だってヤバイバーを一方的に罵れない。エヴァがこれほどの実力者ではなく、ペトラと同程度の強さしかなかったとしても、当時の私はエヴァの色香に迷わされてパーティーを組んでいたことだろう。
「色々と考えつくものだ。場合によっては来年の春にその知識を活用してみよう」
「狡い手法は時として自分の立場を苦しくします。そういうのに頼らないほうがいいですよ」
「ああ、それはよく分かっている」
行動と結果を伴わぬ限り、真の理解とは呼べない。理解の証明のために、私は強くならなくてはいけないわけだ。
それと、去年のこの時期に聞き出せなかった情報を、こちらから探るまでもなく入手できた。不弁舌な私を補う会話の流れがあったため、自然に聞き出すことができた。王都に戻ったら、次の春を待たずにテベスに依頼をかけておこう。
◇◇
王都に着いた後、手配師のテベスにボガスアリクイ回収を発注した。ポーター複数名の他、イェジェシュチェンという土地柄のために護衛のハンターも複数名必要ということで依頼料はかなりの高額になった。それでも回収に成功すれば利益が残る。
何かの間違いで先に別の集団に回収されたり、雇った回収班に不正をはたらかれたりすると着手金と仲介料の分が丸々赤字になるものの、それ以上に傷口は広がらない。私からすればむしろ失敗に終わってもらったほうが、都合はいいかもしれない。ボガスアリクイのハント実績を加算されずに済むからだ。
成否を問わない、ということは、回収班の監視に回らなくても済む、ということだ。発注をかけた後は全てを手配師任せとして、私はエヴァと二人、王都から西北西遠くに位置するダンジョン、ポジェムジュグラへ向かった。




