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第六七話 奇矯のミスリル

 二度目の長期休暇に入り、やってきたのは去年と同じく霧の土地ムグワズレフ。早速オサムシの一種、巨大なマイマイカブリのスコルパドノシェンを探した。


 去年即興で作った風魔法と水魔法の合成魔法は、スコルパドノシェンを弱らせるのに長い時間を要した。今年は新型の合成魔法、アイシーブラストがある。物理的に燃え上がるブレアをたったの二発で瞬間冷却した、信頼と実績のある優れものだ。


 霧の中を洋々と歩いて最初に見つけたスコルパドノシェンは、呑気にアビルマイマイの殻に身体を預けて中身を貪っていた。


 新魔法の実験台となってくれるスコルパドノシェンは、撃ってくれ、と言わんばかりに無防備な後ろ姿を晒している。健気なスコルパドノシェンの期待に答えるべく背後からアイシーブラストをぶつけたところ、一撃で死んだように動かなくなった。


 近付いて腹部をつつけど全く反応がない。つついた感触的に凍りついてはいない。微弱ながら魔力だって感じる。死んではいない。理想的な冷却具合によって仮死状態に陥ったのだ。


 魔法抵抗のなくなったスコルパドノシェンにドミネートをかけて傀儡に仕立て上げた後、火魔法で身体を温めて復活させる。瞬間冷却魔法は編み出したが、急速加温の魔法は未作成。焼け焦げないように注意してじんわりと温めなければといけないため、やはりどうしても時間がかかる。


 腰を下ろし、風魔法と火魔法で温風を作り、料理人の気分でスコルパドノシェンを加温しながらボンヤリと思い耽る。


 アイシーブラストは虫や爬虫類等の、熱産生に乏しい魔物にはかなり有効な魔法のようだ。撃力には乏しいため汎用性はなく、冷却用途に特化した魔法である。


 スコルパドノシェンの身体が存分に温まったところで都合よく霧が晴れてきた。サンサンドワームが顔を出す時間だ。


 土魔法で足場を作って上に陣取り、スコルパドノシェンによる囮狩りを開始する。スコルパドノシェンを走らせていると、微かにサンサンドワームが地中を走る気配がある。


 去年は気付かなかった毫末な気配だ。気配とタイミングに合わせてスコルパドノシェンの身体をヒラリと跳ねさせると、直前までスコルパドノシェンがいた場所にサンサンドワームが身体を突っ込ませてきた。サンサンドワームの飛び出すタイミングは去年と全く変わらない。


 スコルパドノシェンを捕らえられずに空振ったサンサンドワームの胴体にファイアーボールをぶつけると、サンサンドワームは熱さに悶え苦しみ地上で身体をくねらせ始める。


 見慣れた光景が私から緊張感を奪い、危険な思考をよぎらせる。


 わざわざ囮を用意しなくとも、今の私ならばサンサンドワームの攻撃を十分に避けられるのではないか、と。


 サンサンドワームが動かなくなるのを見届けた後、足場から地面へ降りて自分の足で歩いてみる。


 サンサンドワームがいつ襲ってくるかと思うとなかなかに緊張感がある。


 足音を消さずに歩いていると、そう待つこともなく、サンサンドワームの気配がすぐに忍び寄ってきた。地中を進むサンサンドワームの気配は、スコルパドノシェンの身体ではなく、私本体でも感じ取れる。私の気配察知能力も少しずつ向上している。


 サンサンドワームが飛び出してきたのは、私の斜め後ろの穴だった。目では見え辛い方向からの襲撃ながら、余裕をもって避けることができた。目ではなく、気配とタイミングの合わせで回避しているからであろう。


 私の眼前をサンサンドワームの長い胴体が横に流れていく。サンサンドワームの攻撃をド真ん前で見て思うに、この程度の速度の攻撃は、補助魔法がなくとも闘衣を駆使するだけで避けられそうだ。


 イェジェシュチェン台地で何度か攻撃を避けた経験も大きい。あの土地ではサンサンドワームが地中を進むときに異音を伴う。サンサンドワームの攻撃に慣れるには最適な場所だった。


 この手の攻撃を回避するのはタイミングが最も重要。タイミングは完璧に掴んでいる。しかも、うっかりタイミングを取り損なったとしても、今の私は闘衣の瞬発力で失敗を無にできる。


 初撃さえ避けてしまえばサンサンドワームは何でもない敵だ。去年と違って精石は必要としていない。この場所にはもう用がない。


 到着して数時間でムグワズレフの用事は完了となり、よく晴れた日射しの中、イェジェシュチェン台地へと向かうことにする。私の足音に合わせてサンサンドワームが何匹も顔を出す。威勢のいい見送りだ。




    ◇◇    




 イェジェシュチェンに着いたら探すのはボガスアリクイだ。去年は遠当て魔法に試行錯誤するばかりで挑戦すらできなかった大物を探す。


 思い浮かべるのは巨大な岩。その実、じっくり見ると少しずつ動いている、岩に擬態した巨大魔物。


 役に立つのは自分の目よりもホークの目だ。もはや身体の一部、手足の一本と称しても過言ではないガタトリーヴァホークのステラをフル活用し、一帯に目を凝らして極む。


 同じ場所から付近を見回し続けてもボガスアリクイは見つからない。偵察しては移動し、敵が現れては排除し、ボガスアリクイ探しを地道に続ける。


 巨大猛禽の風の翼(ポルフスクシュ)が目に入るとステラは途端に弱腰になり、激しいストレスを感じだすため、移動がてらステラのメンタルケアを目的にポルフスクシュ討伐に向かう。


 必要に迫られてポルフスクシュを倒しているだけだというのに、それだけでステラからの信頼度が上昇していく。


 ステラが私といることに安心感を抱いてくれるのが分かると、私も自然とステラに対して良い感情が芽生えてくるもので、怖がりなステラが可愛く思えてくる。


 下品なデカさのポルフスクシュは怖いな、ステラ。おぉ、よしよし。


 調教師(テイマー)ごっこに興じながら少しばかりの時間をかけ、ステラの目がボガスアリクイを見つけてくれた。


 頑張ってくれたステラはしばし休憩で、ここからは私の力の見せ所である。


 まずはボガスアリクイから適度な距離に土魔法で足場を作る。去年のサンサンドワーム狩りに始まったこの足場、これもまた私の魔法能力の一端である。一年間、改良に余念なく過ごしたことで、機能と構造は飛躍的に変化し、使い勝手の大きな向上を果たしている。


 全体を俯瞰すると、六角柱の骨組み(フレーム)が平面に敷き詰められていて、その骨組み(フレーム)が積層構造となっている。ちょうどハチの巣の(レイヤー)(レイヤー)間の隙間を詰めて積み重ねた形だ。


 六角柱には建物における壁の部分がない。面には何もなく、辺の部分を軽くて細い土魔法の柱、いや、柱というよりも手で握れるくらいの少し太めの棒で構成してある。


 幾つもの(レイヤー)を積み上げた足場の高さは、ボガスアリクイの優に三倍以上はある。ボガスアリクイは横にどこまでも長いが、体高は人の背丈の倍と少しに過ぎない。足場の高さは取り敢えずこれぐらいでいい。


 サンサンドワーム戦と同じで、この足場の上からボガスアリクイを一方的に攻撃しようという算段だ。


 ボガスアリクイが足場の天辺にまで届く攻撃手段を持っているなら、足場を更に積み上げるだけ。フレーム強度的に、更に足場を高く積み上げることは何ら問題なくできる。


 足場の上に立ってボガスアリクイを見下ろす。ボガスアリクイは私にも足場にも何ら興味を示していない。これなら私は好きなだけ魔力を練り上げられる。


 警戒心の足りていないイェジェシュチェンの頂点種に魔法を放つべく、ファイアーボールの構築を開始する。


 事前調査によると、ボガスアリクイに弱点属性は無いらしい。ならば話は簡単だ。自分の一番得意な属性の魔法を放てばいい。


 足場に守られ、魔法杖の作り上げる防御障壁に守られながら、全力のファイアーボールの構築を完了する。


 ソロで活動するハンターがこれだけ時間をかけて威力極振りの魔法を練り上げるというのも珍しい話である。


 演習棟以外では作った験しのない巨大なファイアーボールをしばし感心しながら眺めた後、目標目掛けて自信作を撃つ。


 去年は遠距離から当てようとクレイスパイクの改良に腐心した。あのとき編み出した飛距離延長の技術はクレイスパイクにしか活用できないものであり、ファイアーボールには何ら応用が効かない。


 残念な事実はそれだけに留まらない。広域に炎を撒き散らしてしまうファイアーボールはハントフィールドだと使い勝手が悪く、あまり使用していない。


 一番得意な属性の上位攻撃魔法で、私が使える全ての攻撃手段の中で最も高威力でありながら、実用機会に乏しかったために、さほど上達していない、というのが事実だ。


 制限時間なく目一杯魔力を溜めきれた分、ブレア戦で使った時よりは大きい火球になった。しかし、それでもブレアのファイアーボールより小さい。魔力密度もブレアに劣る。


 自信を持って放ったはずの一撃なのに、他者と比べてしまったことで、標的に命中する前から自信喪失してしまう。


 製作者から期待されていないファイアーボールはボガスアリクイにぶつかると炸裂し、目標の身体を焦がし始めた。


 物理的な衝撃がそれなりにあったのか、それとも自分からのけぞったのか、ボガスアリクイは火球と反対側にぐらりと傾いた後、巨大な角笛を彷彿とさせるよく響く大音量の雄叫(おたけ)びを上げた。


 ボガスアリクイが巨体を揺らして旋回する。


 今、こちら側に向いているほうが頭部なのだろうか。生物らしさを放棄した見た目のせいで構造がよく分からない。


 岩に擬態しているだけあって外皮は硬く頑丈そうだ。こういう魔物は地面に向けている側、つまり腹側の防御が弱そうなものである。私は高所に陣取っている関係上、ボガスアリクイの腹部をめがけて魔法を撃つことができない。


 足場から地面に降りれば土魔法で腹部を狙って攻撃することもできるが、それだと自分の身の安全を守ることができなくなるから本末転倒である。


 ボガスアリクイの身体にへばりつく火弾は私の想定よりも大分早くその姿を消した。


 吸い込まれるような炎の消え方、燃焼時間の短さ……ブ厚い外皮には闘衣を展開できるようだ。


 この図体に闘衣を張り巡らすにはどれだけの魔力が必要なのだろう。闘衣を展開するだけで激しく消耗しそうなものである。


 では、魔力切れを狙って消耗戦に持ち込みたいかというと、それは御免だ。


 ボガスアリクイは、死んだところで話は終わりだ。その後のことなど考える必要はない。しかし、私には討伐後にやることがある。魔力の枯渇した状態で難易度のそこそこ高いフィールドを彷徨うなど悪夢でしかない。


 ファイアーボールの魔力消費は私にとってもかなりの負担であり、これでごり押しは論外だ。それでもボガスアリクイの魔力を削れたことは間違いないのだから、実戦練習がてらにもう一発くらい撃っておくことにしよう。


 再びファイアーボールを作り上げ、ボガスアリクイの頭部と思われる部分に放つ。


 二発目のファイアーボールを食らったボガスアリクイは足場の上に立つ私をやっと敵と認識し、盛大に土煙を上げてこちらへ移動を始めた。


 さて、ボガスアリクイのお手並み拝見といこうではないか。


 攻撃の手を止めボガスアリクイの動きを静観する。


 ボガスアリクイは真っ直ぐに足場の前までやってくると、やおら巨大化を始めた。いや、巨大化したように見えたのだ。私の目には。


 ボガスアリクイの側方上方を飛行するステラの目があるからこそ自分の目に映るものと現実のズレが分かる。


 ボガスアリクイは巨大化などしていない。後脚二本で立ち上がり、身体の前半分を起こしただけだ。


 この巨大な超重量の魔物が四脚歩行できるだけでも脅威だというのに、外骨格を使うと両脚立ちまでできるとはね。こいつは驚きだ。おかげで、どこが後脚でどこが前脚か分かるようなった。


 ボガスアリクイは天高く前脚を掲げる。前脚の高度は、私が立つ足場よりもさらに高い。


 これは危険だ!


 急いで足場を後方に拡張する。


 足場へ向けて前脚が振り下ろされるのと同時に、拡張した後ろ側の足場に緊急退避する。


 ボガスアリクイの巨体が上方から足場にぶつかり、盛大に崩していく。低強度の足場は枯れ枝が折れるようにバキバキに崩れ落ちていく。


 事前に作っておいた足場の大半が、両脚立ちからのぶちかまし(プレス)一撃で壊されてしまったことになる。


 壊されるのは想定内とはいえ、一撃でこれだけ大きく削られるのは想定以上の被害だ。これは見込みよりも苦戦することになるかもしれない。


 足場を構成する土魔法の棒は、私が動き回っても壊れない最低限の強度しか持たせていない。軽量かつ省魔力で短時間に作れる。壊される端から新しく足場を作るのは容易い。


 足場は主に逃げ場確保の意味で私が自由に動き回れるように、棒同士の間隔をかなり広めに作ってある。要は中身もフレームも"スカスカ"な作りなのだ。


 スカスカかつ低強度の足場は、壊そうと思えば、ボガスアリクイでなくとも簡単に壊せる。低強度という点は、昨年作った足場と変わらない。むしろ、去年よりも局所耐久性は下がったかもしれない。


 しかし、全体の耐久性はまた別だ。これだけ大きく崩されてしまった後でも、残った部分は安定している。私が残った足場内を動き回ることに関しては何ら問題がない。


 精々無駄に暴れて、好きなだけ壊せばいい。


 私は必要な分だけ足場を再構築しつつ、上から魔法を放つ。ボガスアリクイは私を落とそうと足場を壊す。それだけの話である。


 省魔力化を突き詰めた足場だ。再構築し続けても、こちらの魔力はそうそう尽きない。




 体当たり後、ボガスアリクイは再度の両脚立ちを行わず、四脚歩行のままで足場破壊を再開する。


 私には分かる。両脚立ちはボガスアリクイにとっても負担が大きいのだ。どれだけ外骨格を駆使しても、元の骨格や関節に与える影響は甚大だ。


 しかも、使う闘衣がただの闘衣ではなく外骨格なのだ。本来外骨格は瞬間的に使用するもの。立ち上がり、前脚を天に振り上げ、地に振り下ろす。その間ずっと外骨格を展開しているのだから、これは外骨格的には、超長時間使用に該当する。両脚立ち一回で莫大な量の魔力を消費する。


 そう何度も両脚立ちから一気に足場を崩されることはないだろう。つまり私にも、足場の再構築以外の魔法を撃つ余裕がある、ということだ。


 物は試し、取り敢えずファイアボルトでも撃ってみよう。


 ボガスアリクイの胴体目掛けてファイアボルトを数発放つ。


 ファイアボルトがボガスアリクイの身体に着弾すると、硬い外皮から複数の針が飛び出してきた。針はかなり長さがある。


 ファイアーボールのときは炎が邪魔で見えなかったが、同様に針は飛び出していたことだろう。近接して攻撃するためには、あの針の反撃をどうにかしなければならない。


 守りが硬いだけではなく、欠かさず反撃してくるのだから一筋縄ではいかない。


 こんな魔物がサンサンドワームと同じくチタンクラスのハンターの討伐対象とは、何とも大まかに過ぎた括りである。


 ただ、チタンクラスの討伐対象とされるのには根拠がある。相性が悪くない限り、ミスリルクラスのハンターはボガスアリクイを単騎討伐できるらしいのだ。


 ソロ討伐とパーティー討伐の難易度の差は大きく、パーティーを組めばチタンクラスのハンターでも討伐は可能。そういう理屈である。


 ここで重要なのは、イオスはまず間違いなくボガスアリクイを倒せる、ということだ。私も同じ魔法使いとして、必ずこいつを倒してみせる。




 意気は軒昂、ではそれをどう実現するか。


 試してみたいことは山程あれど魔力は有限、試行するにも計画的にやらなければならない。


 考えなしに魔法を垂れ流していると、魔力欠乏(マナデフ)になって足場すら作ることができなくなり、踏み潰されて死んでしまう。


 ……よし、初撃のファイアーボールが命中した箇所だけを集中的に攻撃してみよう。ボガスアリクイが左半身をこちらに晒しているときはファイアボルトを撃ち、右半身を向けているときは適当に立ち位置を変えながら足場を再構築する。


 図体が災いして俊敏性は皆無。走り出すと最高速度が速いだけで、切り返しはできない。身体を旋回させるのに苦労していたのは、最初に見ての通りだ。


 足場を平面方向や高さ方向に長くする必要はない。ボガスアリクイをぐるりと囲むように作り上げ、そこでグルグル回らせておけばいい。




 ボガスアリクイをからかうようにクルクルと足場内を回りながらファイアボルトを撃つ。


 始まってしまうと機転も工夫もない単純作業だ。それをしばらく続けていると、ファイアボルトが当たっても針を出してこなくなった。


 あの針は自動反撃ではなくて、ある程度ボガスアリクイ自身の意思で射出を制御できるのだろうか。それともファイアボルトによる損傷、あるいは反撃を繰り返し過ぎたことで針の射出機能が不全に陥ったのか。


 検証のため、右半身にファイアボルトを撃ってみたところ、しっかりと針は飛び出してきた。どうやらボガスアリクイが自らの意思で反撃を止めたわけでは無さそうだ。


 本当にあの箇所から針が飛び出してこないのであれば、あそこに近接攻撃を叩き込むのも選択肢になる。


 もちろんそれは多々ある選択肢のたった一つ。先に試すべきことはまだまだある。


 ファイアボルトの手を一旦止め、今度はクレイスパイクを、焼け焦げた外皮を狙って放つ。一撃当てると、黒く焦げた外皮がパラパラと崩れ落ちた。


 それが痛覚を刺激したのか、ボガスアリクイは再び角笛のような雄叫びを上げた。時間とともにおざなりに足場を崩すだけになっていた巨大な魔物が、思い出したように後脚で立ち上がる。


 これを待っていたんだ!


 大急ぎで距離を取り、ファイアーボールを作る。猶予はわずか。その間にありったけの魔力をファイアーボールに込めていく。


 足場よりも遥か高くに持ち上がったボガスアリクイの前脚を見上げる。


 足場は横に広くなった分、高さを二段階ほど下げてある。その分だけ先ほどよりもボガスアリクイが高く大きく見えるが、頂点高は変わらないはず。


 ステラの目で間合いを何度も確認し、ボガスアリクイの前脚は決して私の位置まで届かない、と高さがもたらす恐怖をねじ伏せる。


 脚が振り下ろされ始めてもファイアーボールの完成度を高めるために魔力を注ぎ、ギリギリ腹部に当てられるタイミングまで粘り粘った末にファイアーボールを放つ。


 急造のファイアーボールの破壊力とボガスアリクイの腹部の防御力、果たしてどちらが高いか!?


 今までで最も近距離から放ったファイアーボールはボガスアリクイの腹部に当たり炸裂する。この距離であれば照準など考えずとも、ただ撃ちさえすればいい。


 ボガスアリクイは振り下ろす足も身体も止められるわけがなく、ファイアーボールを抱きかかえる形で沈み込んでいく。


 二回目のぶちかましによって大量の足場が崩されて砂埃が舞い、砂礫と炸裂した火弾の一部が飛来する。


 連続して足場を崩されると追い詰められかねない。ステラの目でボガスアリクイの様子とファイアーボールの有効性を窺いながら、足場の修復作業を開始する。


 腹部を焦がすファイアーボールは効果的にダメージを与えているようだ。ボガスアリクイの様子が明らかに変化した。


 動きには明確な一つの意思が感じられない。その場で暴れて至近の足場を壊すだけで、私の方に向かってこようとしない。


 足場を壊すために暴れているのではなく、さしずめ悶絶でもしているのだろう。それならば追撃と洒落込もうではないか。


 円環状に広がった足場から降り、地面に立ってファイアーボールを作り出す。ファイアーボールが形を成し始めてもボガスアリクイがこちらに向かってくる様子は無いため、最初と同じく全力でチャージする。


「腹部が弱点ならば、腹に二発目をくれてやる」


 地面に降り立つとボガスアリクイの腹部が少しだけ見える。仰角をつけて放ったファイアーボールは足場を少しだけ巻き込みながら、ボガスアリクイの腹部を抉る。


 射角の問題で先の一撃程は綺麗に入らないものの、十分に直撃といえるだろう。


 腹部に二発目のファイアーボールを受けたボガスアリクイの身体が心なしか浮かび上がり、すぐに元に戻る。それと同時にボガスアリクイは狂ったように突進してきた。


 大慌てて足場を駆け上がると、ボガスアリクイは上方の私などまるで無視したまま真っすぐに突き進み、私の斜め下を通り過ぎていった。足場から遠ざかっていくボガスアリクイを見て思う。


 これは逃亡を始めたのだろうか。それとも痛苦のあまりの大きさがために、走らずにはいられなくなっただけなのだろうか。


 真意不明のまま駆けるボガスアリクイの脚は次第にもつれ、何もない地点で躓くと左前脚から崩れるように地面に倒れ込んだ。


 片側のみ集中的に攻撃を受けたことで、左側が満足に動かなくなったようだ。


 一本くらい肢を失っても動き回れる六脚の魔物と違い、四脚の魔物は脚が一本動かなくなると動作は劇的に鈍重になる。


 足場を降りてボガスアリクイの少し左側に回り込む。前脚が崩れているために腹部の露出は良くないが、執拗なまでに同側を狙うのは常套手段だ。


 あまりにも図体が大きいから、腹部という的を狙うには射界が小さいように勘違いしそうになるが、人間一人を狙うよりもずっと簡単なことだろう。


 もはや反撃も回避もままならないボガスアリクイを大きな練習用の(まと)に見立て、ファイアーボールを叩き込む。


 一発撃ち、二発撃ったところで左後脚も利かなくなったのか、身体は完全に左側に倒れこんだ。


 こちら側からはボガスアリクイの硬そうな背中しか見えない。大回りして逆側に回り込むと無防備な腹部が露わとなっている。


 真ん中から綺麗に左側だけが焼け焦げている。火傷を免れている腹部右側を見てみると、色合いは背中などと変わらないが、皮膚は(たわ)んで皺が寄っていて、柔軟性があると見て取れる。


 ファイアーボールとファイアボルトがボガスアリクイの防御を貫く威力を持つことは理解できた。では、火に次いで得意な土魔法はどうであろう。


 焼け焦げた部分に放ったクレイスパイクはボガスアリクイを激昂させる口火となった。損傷部ではなく健常部でもクレイスパイクでダメージを与えられるものか知りたい。


 まだ綺麗な右側にクレイスパイクを撃つ。ファイアボルトで焼け焦がした部位と違い、簡単には外皮が崩れない。


 ファイアボルトだって何十発も……下手をすると百以上撃ったのだ。クレイスパイクが有効だとしても、一発二発でどうこうはならない。粘り強くクレイスパイクを放ち続ける。


 しばらくクレイスパイクを撃ち続け、自分の魔力の目方が減ってきたところで一旦魔法の手を止め、ボガスアリクイを改めて観察する。


 外皮は何となく傷んでいるように見える。外皮の内側がどれほど損傷しているのか、見た目からだと判別がつかない。効いているのか効いていないのだか……。ボガスアリクイは横倒しになった直後と同じように規則正しく呼吸をしている。


 腹側は針で反撃してくる様子がない。剣で斬ってみるのも一案だ。しかし、ここまで全て魔法でことを運んだのだ。どうせなら魔法一本で最後まで成し遂げたいものだ。


 どこからともなく生まれた謎のこだわりに縛られ、剣を封じる。


 今の私は魔力を消耗している。実験と称してこれ以上あれこれ試すのは自分の首を絞めることになる。魔法を活用しつつ、速やかに討伐を完遂するとしよう。


 もはやボガスアリクイは倒れ伏して息をしながら死を待つだけの魔物だ。呼吸しているだけ……。そうだ、呼吸を止めてしまえ。


 頭側に回り込んでボガスアリクイをよく観察してみる。土埃の舞い上がり方から、口ないし鼻穴のある大体の範囲が分かる。


 トラの大口程度の大きさであれば、土魔法と水魔法を組み合わせて泥を作り出し、閉塞してしまうことで窒息させてようと目論んだのだが、これだけ広く曖昧な範囲を泥で密閉するのは難儀である。


 では窒息はやめて、物性瘴気で攻めることにしよう。そうと決まったら、燃えるものを集めなければ。


 一人で可燃物を集めるのは大変だ。私は今、傀儡(なかま)を必要としている。


 傀儡を探すため、少し足を伸ばすことにする。イェジェシュチェン台地で収集作業に適した魔物といったらサンドオークで決まりである。


 サンドオークは弱くない魔物だ。ただし、戦闘力は個体差が大きい。弱めの個体にはドミネートが通用しそうな気がする。並の個体はカール以上だから、まず抵抗(レジスト)される。カールにはドミネートをかけたことなどないというのに、なぜかカールの魔力量を基準にドミネートの成否を推測する。いつものことである。


「大人しくここで待っているように」と、ボガスアリクイに言い含めて傀儡(なかま)を求めて探索を開始する。


 イェジェシュチェンではよく見掛ける魔物。すぐに出会える、と楽観的に歩き出すも、手を伸ばすと遠ざかるのが世界の不思議。


 なぜかサンドオークになかなか出会えない。ようやく見つけたと思っても、その群れはどいつもこいつも優秀な個体ばかりで全くドミネートが通らない。


 サンドオークが十体以上いながら、ほぼ全てにレジストされてしまうとは、何という不運だ。傀儡にできたのはたったの一体だけ。ステラの目で見回せど、近くに他のサンドオークの群れは見当たらない。


 傀儡探しが億劫になり、傀儡(なかま)になってくれた一体を連れて、枯れ木枯れ枝枯れ草を拾い集めつつボガスアリクイの元に戻る。


 離れたときとまるで変わった様子はなく、ボガスアリクイは横倒しのまま元気に呼吸していた。……倒れているのだから、そもそも元気ではないのか。


 燃料はその場に置き、傀儡には周囲の燃えそうなものを引き続き集めさせる。私は物性瘴気を溜めるための(かまど)を土魔法のクレイクラフトで作り上げる。


 ボガスアリクイの身体が大きいせいで竈も必然的に大きくなる。単純な構造物とはいえ作った経験がない。慣れない物を作るのは慣れた物を作るよりも消費が大きく、足場を作るよりも多量の魔力を要した。


 頭部をすっぽりと包み込む(のう)状の竈を作りあげ、入り口側に送風口と燃料投入部を作る。


 傀儡が戻ってきたところで集めた燃料を燃料投入部から全投下する。そして送風口からヒートロッドを伸ばして燃料に着火、あとは送風口から風魔法で緩やかに風を送り込んで燃料を燃やす。


 薪と称してもよさそうな太い木に至るまで着火したところで送風口を塞ぎ、竈の隙間が無いかを点検する。


 針が飛んでくると怖いので、竈とボガスアリクイの身体の隙間は傀儡に泥で塞がせた。幸い針が傀儡の身体を貫くことはなかった。針が射出されるのは、一定以上に魔力や衝撃が加えられたときだけなのかもしれない。


 物性瘴気が竈内に満ちるまでどれほどの時間が掛かるか分からない。竈を形作る土魔法を更新した後、自分の食事のための食材を探しに出掛ける。


 数十分ほどで食材を確保し戻ってきたとき、ボガスアリクイは深い呼吸と浅い呼吸を繰り返していたが、料理中にふと見ると呼吸が止まっていた。


 仮死状態なのか、完全に死亡したのかは不明だ。空腹では考える気にもなれず、竈の魔法を更新して食事をとった。


 私の食事風景が横で見ている傀儡のサンドオークの食欲を刺激したようで、ドミネートを介してオークらしい激しいまでの空腹感が伝わってくる。私がいくら飲めど食えど、伝わる空腹感は増すばかりである。自分の満腹感で、もうこれ以上食べられないほどに腹が膨れたところで、私は食事の手を止めた。傀儡の悪影響で普段より多く食事をとってしまった。


 満腹になってもなお空腹感が伝わってくる。ドミネートを使うと空腹と満腹の感覚を同時に味わうことができる。どこまでが自分の感覚で、どこからが傀儡の感覚か、しっかり区別するのは案外難しいものである。


 満腹感は得てして思考や行動を阻害する。故にハンターはフィールドで満腹になるまで食事をとらない。どんなに食べても腹八分まで。今日は例外的な満腹だ。


 満腹感が私のやる気を削いだせいか、その日は何となくボガスアリクイの死体を漁る気にならず、少し離れたところで野営した。


 傀儡にしたオークは群れが元居た場所で処分しておいた。空腹のままいるのは辛いだろう。仲間と共に安らかに眠るといい。




 翌日になり、朝食を(したた)めた後、ダラダラと昨日の場所に戻る。


 私は昨日ボガスアリクイの絶命を確認していない。もしかしたらボガスアリクイはあのときまだ仮死状態で、夜の間に回復し、既にどこかへ行ってしまったかもしれない。それならばそれで構わない。かえって死体処理の手間が省けるというものだ。


 身勝手な一縷の望みを抱いて戦闘跡地に戻ると、そこには存在感たっぷりのボガスアリクイの身体が横たわっていた。


 うわあ……やっぱりいた……


 自分で殺しておきながら酷い感想を抱いている、という自覚はある。衝動的に殺人を犯したものが、『これは悪い夢で、寝て起きたら死体も凶器も犯行の事実も、全て消えてなくなっているかもしれない』と、妄想するのは、きっと今の私の心境に近いのだろう。


 ボガスアリクイの横に立ち、冷たい体に触れ、絶命していることを確認する。間違いない、こいつは死んでいる。寝ても覚めても立派な死体だ。頭の中で言い回しを変えて言葉遊びを続けたところで、何の解決策にもならない。この巨体の解体、これは討伐に匹敵する大仕事だ。普段の倍、金を払ってでもポーターの力を借りたい。


 非現実的な妄想から、現実的な妄想に移行したところで、どこからともなくポーターが現れる、などということはなく、大儀な解体作業が重く私の肩にのしかかる。ボガスアリクイ討伐は一年来の目標、大仰に言えば悲願であり、悲願を達成してしまった後の無気力感もまた、私になすべきことを先送りにさせようとしている。


 もう死体はこのままこの場所に放置し、別のハントでも開始しようかと本気で悩んでいると、遠くにエヴァの姿が見える。私は判断を保留することにした。


 魔法の練習をしつつ、ステラにボガスアリクイの上空を旋回させていると、エヴァもステラに気付いたらしく、一直線にこちらへ歩いてきた。




「久しぶり、エヴァ。よくここが分かった」


 手もぶちさたにクレイスパイクをボガスアリクイにぶつけながらエヴァに話し掛ける。


「ステラが飛んでいたおかげです。この辺りに風の翼(ポルフスクシュ)はいても、そのサイズのホークはいません。いい目印になりました」


 一年ぶりに見るエヴァの顔は、またもや去年と違っていた。誰かに似ている、と思ったら、若干シルヴィアに似ているのだ。嫌がらせではないと分かっていても、無性に腹が立ってくる。


 エヴァはボガスアリクイの死体周囲をグルリと一周してから私に向き直った。


「アルバート君は本当に凄いです。あっという間に私を超えていってしまいました」

「ボガスアリクイを倒した話か? 前衛と後衛という相性の問題でしかない」


 エヴァの言い(ぐさ)からするに、エヴァは本当に一人でボガスアリクイを倒せないようだ。しかし、エヴァが前衛である、ということと、武器が巨大な魔物を破壊するのに不向き、というだけの話であり、エヴァが倒せないボガスアリクイを私が倒したからといって、私がエヴァを超えたという答えには結びつかない。


 私がエヴァと戦うとどうなるか。戦闘開始時の互いの距離が遠く離れていたとしても、私が勝つ未来図は描けない。エヴァに一方的に攻撃されて倒されるだけである。


「前衛と後衛という違いがあっても、です。君はもうミスリルクラスのハンターの仲間入りですよ。おめでとうございます」

「ボガスアリクイを倒せるくらいでミスリルクラス?」


 ミスリルクラスのハンターがボガスアリクイを単騎討伐できる、とは知っていた。ところが、ボガスアリクイを単騎で倒せたら、それだけでミスリルクラスと判定される、とまでは考えていなかった。


「私もつい先日まで知らなかったことです。ちょうど君の場所を教えてもらうときにテベスさんと話したんですよ」


 テベスは学園都市と王都で私が世話になっている手配師だ。肌は浅黒く、口髭(くちひげ)と顎髭は揉み上げまで繋がり、彫りの深さと相まって目は落ち窪み、違法薬物の売人(プッシャー)さながらの見た目をしている。


「聞けば君は今年もムグワズレフに行って、そこからイェジェシュチェンに行く、というじゃないですか。私は、きっと去年戦えなかったボガスアリクイに挑戦するんだろうなあ、と思ったんです。そのことをテベスさんに伝えたら、『ソロでボガスアリクイを倒したらミスリルクラスだ』とのこと。とまあ、こういう経緯です」


 エヴァはいつもの物知り顔のまま、不快な内容が事実であることを証明してくれた。


『ミスリルクラスのハンターがボガスアリクイを単騎討伐できる』なる旨を私に教えてくれたのは、確かテベスだった気がする。どうせなら、判定基準のほうも一緒に教えてもらいたかった。


 ボガスアリクイは確かに耐久力の高い魔物だった。けれども攻撃に関しては際立って優れたものがない。体格任せの体当たりや踏み潰しと、針による自動反撃しかできない。攻撃に特筆すべき点がないからこそ、私は泥臭い倒し方をできたのだ。強さで倒したのではなく、工夫で倒しただけだ。足場無しに挑戦すると、倒すどころか戦いの形にならない点では、少し前のヤバイバーとの手合わせのようなものである。


「ハメどっただけだ。真っ当なミスリルクラスの強さはない」


 サンサンドワームを適当な狩猟法を知らずに倒そうとすると、チタンクラスの戦闘力が必要となる。しかし、サンサンドワームには何らかの上手い狩り方が存在し、プラチナクラスやゴールドクラスのハンターでもサンサンドワームを倒せる。そのため、サンサンドワームを倒せても、即ちチタンクラスとは判定されない。手配師達は多方面から検討したうえで、クラスを判定している。足場を活用して一方的に攻撃しただけの私も、ミスリルクラスと判定されるべきではないのだ。


「では尋ねましょう。君が用いた手法を一人で実現できるハンターに心当たりがありますか?」


 今回主な攻撃手段(ダメージソース)になった火魔法について考える。王都のハンターの中には、プラチナクラスですら私以上の火魔法使いがいる。私の火魔法はそこそこの技量に過ぎず、超一流どころか一流にすら届いていない。ハンターではなく大学教授のブレアだって私以上の火魔法使いだ。


 では土魔法はどうか。あの足場を作り上げるには建築、建設の知識が要る。頭の中で図面を引く能力をほんの少しだけ持っていれば、私が作った足場を再現できる土魔法使いはいくらだっているだろう。


 火魔法と土魔法を両方同じ水準で再現、となると話は変わる。もしかしたら周辺国を含めてもいないかもしれない。


 なにより土魔法で組み上げた足場を私と同じように活用できるハンターはついぞ見たことがない。足場を自由自在に動き回る技術は、ハンターというよりとび職、クライマー、パルクールを操るトレーサーが有するものである。私の場合、経験を活かしているのではなく、単純に()()()()()()()を使っている。


「知らないな」

「ね、そうでしょう? 私もお弟子さんがミスリルクラスになって鼻が高いです」


『お弟子さん』なる言い回しを自分の教え子に使うのは誤用だ、エヴァ……


 話が無駄に長引くことを嫌気し、誤用を指摘したい気持ちに腹の中で封をする。


「それより、早くポーターに依頼してボガスアリクイを回収させましょう。せっかくの素材です。高く売れますよ」

「回収する前に相談がある。……このボガスアリクイ、エヴァと二人で倒したことにしないか?」


 エヴァが時宜にかなった重要な情報をもたらしてくれて助かった。何も知らぬままに回収などさせてみろ。自分の首を絞めることになる。


 エヴァが呆れ半分に一つ笑う。


「私は何もしていないじゃないですか。『そこで財布を拾ったから中身を山分けしよう』と、突然に持ち掛けてくる詐欺師の話を思い出しちゃいましたよ。で、アルバート君の真意は何なのです?」

「ボガスアリクイは魔法使いとしての成長に必要な階段に過ぎない。言い換えるなら、倒したいから倒しただけ。今は別に大金を欲していない。それに何よりハンタークラスを上げたくてハントをしているわけではない」


 より正確に表現すると、ハンタークラスを上げたくないのだ。チタンクラスというだけで、目立って目立って仕方がない。王都でも学園都市でも人目を引く。注目されるのにはうんざりだ。何が悲しくて常時、環視に怯えて生きていかなければならない。


「えー、嫌ですよ。何か隠し事がありますよね。本心を言いなさい」

「うるさいな。エヴァだって秘密がたくさんあるだろ。ルドスクシュの時だって、エヴァ一人で倒したようなものなのに報酬は分配したじゃないか。私が同じことをしたって構わないはずだ」

「構うか構わないかは私が決めることです。あのときは正式にパーティーを組んでハントに挑んでいました。今回はパーティーを組む前に君が一人で倒したのです。状況がまるで違います」


 エヴァは論理的に私の要請を拒否する。まるで責任の擦り付け合いのような展開になってきた。その実、押し付けあっているのは報酬と高評価という珍妙さ。


「ルドスクシュの報酬なんか、私がほとんど全部受け取ったんだぞ。それに、ヴィツォファリアの代金も未返済だ」

「金銭での受け取りは断固拒否いたします。返す気があるのなら、お金でも物でもない、心の籠った形でお願いします」


 過去二年を振り返って考えても、金銭をエヴァに受け取らせるのは無理な話である。この話になるとエヴァは絶対に譲らない。私はエヴァに巧妙な手口で"押し貸し"されてしまったのだ。一部は巧妙どころか、かなりの力技だった。


「あー……。もうこれはこの場所に放り置こうかな……」


 エヴァに金を返すだけでも難しい話だというのに、ボガスアリクイの処理を絡めたところで夢物語に成り果てるだけだ。ならばいっそ、ボガスアリクイにはここで朽ち果ててもらうしかあるまい。


「それだと君の屠ったボガスアリクイが報われません。ちゃんと有効活用してください。それに、見過ごせない問題は他にもあります。アルバート君にしてはお金に執着があまりにもなさすぎます。おかしい。これは絶対におかしい。アルバート君、また悪いことをしているんじゃないでしょうね?」


 エヴァは偏見の目で私を見始めた。私が金に困っていないのは悪事に手を染めているから、という失礼千万な色眼鏡である。この一年はハントを含む真っ当なワーカー業でしか稼いでいない。


「んー、私の記憶との照合によると、剣は去年と同じ物のようです。防具もそうですね。悪いことはせず、ハントをしているだけでも、それなりに装備を更新できそうなものなのに……。これはまたおかしなところを見つけてしまいました。被告人、この一年の間に買った物の中で、最も高かったのは何ですか?」

「介入。個人的な買い物への介入。黙秘権を行使する」

「納得のいく説明が聞けるまで解放しませんよ」


 エヴァは執拗に食い下がる。今日のエヴァを前に全てを秘密にし続けるのは難しい。意固地に黙秘を続けたところで、エヴァほどの情報収集力を有する者ならば、少し調べるだけで判明してしまうことだ。しかも、今年の購入品は暴露しても比較的害のない内容。喋るときは感情を込めずに、事務的に、だ。


「妹へのプレゼントだ。先頃、成人した」


 エルザに贈る魔道具を購入する際、ジエンセンが大喜びでプレゼント選びを手伝ってくれた。あまりに嬉しそうに長時間付き合ってくれるものだから、心ならずも罪悪感を抱いてしまった。


 大学二回生のうちに稼いだ金の大半は、この魔道具に姿を変えた。残った金で買ったのが、今持っている魔法杖だ。魔法杖が有るのと無いのでは雲泥の差がある。購入に踏み切ったのは紛れもなく好判断だった。ただし、購入資金の問題から、私が入手した魔法杖は、流通品の中において比較的安い部類のもの。今の私は、良い装備が自分の成長を促進してくれることを知っている。これまでの使用においてさしたる不満はないものの、かような理由でなるべく早く買い替えようと思っている。


「溺愛している妹さんですね。悲しみますよ、悪い事をして貯めたお金で買ったプレゼントと妹さんが知ったら」


 せっかく素っ気ない言い方をしたというのに、エヴァは私がエルザを愛してやまないことを知っていた。思い返してみると、私の方からエヴァに妹の可愛さを熱弁したことがあったように思う。これは不用意なことをしてしまった。


 自ら犯してしまった為出(しで)かしに気付き、果てしない後悔に襲われる。


「どうやら、それが如何に罪深いことか分かってくれたようですね。君はもうミスリルクラスのハンターです。誰が羨んでも手に入れられない額の金銭を、一切の悪事なしに入手できます。これからは正しい生き方をしてください。これは忠告であり、赤心からのお願いでもあります、アルバート君」


 強い後悔に苦悶し押し黙る私を見て、エヴァは誤解したまま話を進めていく。


「話を戻しましょう。どうしてミスリルクラスになるのが嫌なんです? ハンターなら誰しも憧れる云わば称号であり、君の年齢でそこに到達するのは穎脱(えいだつ)の証でもあります。誰に頼らずとも君は高みに達したかもしれません。ですが、私は成長にほんの少しであっても関わることができた。それをとても嬉しく、とても誇らしく思っています。私が勝手に抱く感情とはいえ、それを投げ捨てるような真似をされると、私は悲しいです」


 エヴァは横に並ぶと私の背中に優しく手を当て、諭すように穏やかに語る。私は失敗したのだ。よりにもよってエヴァ相手に。


 エヴァがどれだけ巧言を弄したところで、真実の欠片を手中に収めている私には決して響くことがない。


 ミスリルクラスに到達することを否定されると悲しい? 私だけでなく、エヴァもまたミスリルクラスになることを拒み、回避している。


 初めて会ったときは雲上の強さ過ぎて見抜けなかったが、自分が少しだけ強くなった今だからこそ確信を持って言える。


 エヴァの強さはミスリルクラスだ。エヴァは実力を隠し、敢えてチタンクラスに留まっている。


 しかし、それをこの場で言うことはできない。エヴァは、私の読み切れていない、秘匿した目的がある。秘密の幾つかを探り当てた、と面と向かって告げるのは、ともすれば敵対宣言である。


 エヴァの真の目的が分からず、かつ実力で排除することが不可能な現状では、エヴァの顔色を窺って生きる他に道はない。エヴァを満足させられる理由(いいわけ)を垂れて、ここは何とかやり過ごさないといけない。


「クラスが上がると面倒事に巻き込まれるんだよ。このハントに発つ前だって、大学で一悶着あったんだ」

「有名税ですよ。それを捌けてこそのミスリルクラスです。ちゃんと対処できたから今ここにいるんでしょう? 遅かれ早かれ君はミスリルクラスになるのです。いつの日か、マディオフ初のブラッククラスになった暁には、ミスリルの比ではないんでしょうねえ。私もブラッククラスの反響は想像できません」

「仮にいつかなるにしても、それが今である必要は何らない。頼むよ、私を助けると思って」


 エヴァが少し悩む顔を見せた。ミスリルクラスになる不都合を並べて論理的に説明するより、感情に訴えかけたほうが効果的なのだろうか。あまり感情論をかざしたくはないものの、必要とあらばやむを得ない。


「そうは言っても、君にはもう大分貸しがあるんですよ。まだ何も返してもらっていないのに、また追加融資ですか」


 貸し借りをポイント形式に換算して帳簿でもつけているのだろうか。前もトイチだかヒサンだか、高利貸じみたことを言っていた。


 加速度的に膨張する恩返しポイント……。狂気に満ちた妄想が捗る。エヴァが変なことを言い出したせいで、私の思考まで滅裂になってきた。


「エヴァはどういう風に返されることを望んでいるんだ? 具体的に言ってくれ。家族になる、というのはナシで」

「それ以外無いじゃないですか。強いて言うなら、後は勉強になるような機会ですかねぇ……」

「じゃあイオスを紹介しようか? 多分ハントに付き合ってくれるぞ」


 言った傍から後悔する。エルザ関連の失言の悔恨が胸に作る渦の勢い衰えぬうちに、ますます渦を強く大きくする失言を重ねてしまった。




 以前、イオスと雑談していて気付いたことがある。


 イオスはエヴァのことを知らない。


 勉強のためにパーティーを渡り歩いているエヴァが、イオスと組んだことがないのは不自然極まりない。必ず納得に足る理由がある。それこそがエヴァの秘密の心臓に近付く一手だ。




「いえ、それは遠慮しておきます。イオスさんは、私の好みではない、ということだけは知っていますので」


 好み……ね。エヴァは逃げ道を最初から準備していた。危ない危ない、おかげで私も命拾いできた。


「それでは仕方ないな。王都でしばらく一緒にパーティーを組んでくれるハンターでも探すか?」

「それは、ハントの幅を広げることにはなっても、必ずしも君といる理由にはならないですよね」

「私とエヴァの二人きりでは無理でも、そこに少し人員が増えるだけで、どこかのダンジョン下層も行けるのではなかろうか」

「ダンジョン下層に行くだけなら私とアルバート君の二人で十分ですよ。場所さえ選べばね」


 エヴァは勉強機会を欲している旨を述べていたが、私とペアでダンジョン下層を訪れたところで、それがはたして勉強になり、恩返しに加算されるのだろうか。加算されたとしても、これは間違いなく低ポイント。


 しかし、エヴァに他に願いが無いとなると、私自身が強くなって一緒にハントをすることで地道にポイントを返済し続ける以外に方法が思い浮かばない。エヴァが要注意人物であるにせよ、受けた恩は返しておかねば後味が悪い。


「ふう……ここで話していても埒が明かなさそうです。私と共闘したことにしてもよしとしましょう。その代わり、ボガスアリクイはちゃんと回収するのです。いいですね?」

「ああ」


 少しだけ遠回りした後に、最初に私が提案した通りの条件で妥結と相成った。


 せっかく狩った魔物を丸々放置するのは(いち)ハンターとして気分が良くない。恩返しポイントという名の債務が増えたにせよ、これが一番良い解決策なのだ。


「回収してもらうのにも、この場所では時間が必要です。頭部だけは私達だけで離断しておくべきでしょう。これは骨が折れそうです」

「その必要はない」

「何を言っているんです。アンデッド化したら、また倒すのに一苦労です。時間がかかっても――」


 エヴァの言葉を無視してボガスアリクイの身体に手を伸ばし、バニシュを行使する。聖魔法の淡い光がボガスアリクイの大きな体に広がっていく。これだけの巨体が光ると、それがたとえ人為的な光であってもそれなりに美しさを感じる。


「アルバート君、前にバニシュは使えないって言ってましたよね」

「よく覚えている。あれから練習したのだ」


 聖属性魔法の基本中の基本であるバニシュを「前」はいくら練習しても使えなかった。しかし、それはあくまで「前」の話。


 二年前にエヴァがバニシュという魔法の存在を思い出させてくれた。それから折を見てチマチマと練習していたら使えるようになった。それだけのことである。


 必要に迫られておらず、諦め半分での試みだったため集中的には練習しなかったこともあり、練習開始日から習得日までの延べ日数はかなりの長さになってしまった。生活の合間、ふと思い出した際に短時間練習しただけなので、練習に費やした正味の合計時間はさほど長くない。合計時間だと、風魔法(ガスト)のほうが、よほど長くかかっている。


「あの時はアルバート君がいきなり泣き出すものだから、私もびっくりしましたよ。バニシュが使えない、と打ち明けるのがそんなに恥ずかしいだなんて、きっとプライドがすごく高いんだろうな、と思いました」


 うっ、余計なことまでしっかり覚えている。エヴァの記憶の中では、私が滂沱(ぼうだ)の涙を流したことになっている。微かに目を潤ませただけのことではないか。「前」の記憶は感情とともに蘇るのが厄介なところだ。強い感情は先のように人前で醜態を晒すことに繋がり、エピソードを持った記憶となって深く痕を残してしまう。


「長い苦労の末に技術を一つ習得した。エヴァが見たのは過程の僅かな一幕と結果だけ。過程は本人である私にしか意味をなさない。他者にとって重要なのは、今、私がバニシュを使える、ということ。そうだろう」


 そう言うと、エヴァは自分を抱くように腕を組み、斜めに私を眺めて笑った。


「一部とはいえ私も過程を知る者です。でも、それ以上は言わないことにしましょう。篤学のアルバート君のおかげで、私と君の二人で倒したボガスアリクイを安置し、安心してここから離れられます」


 エヴァが目を細めて恩着せがましく私をからかう間に、ボガスアリクイのアンチアンデッド化が完了する。偽りの生命を迎えて蘇ることのない、安らかな眠りに就いたボガスアリクイを後に、我々は王都へ向かった。

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