第六話 学校
何事もなく日々は過ぎ、弟が生まれたりしながら、私自身には大きな変化はなく、少し前に六歳の誕生日を迎えた。その折にナタリーから学校についての話が出た。そろそろ私も学校へ通う年齢らしい。
家の中だけで過ごすことにたっぷりと飽きていた私は、学校そのものより、家の外に出られることに関心があった。学校へ通うことは義務ではなく、また学費もそれなりにかかるということだった。
ナタリーを含め、使用人たちは誰も学校に通った経験は無かった。ナタリーの家では、一番上の兄だけが学校に通わせてもらったらしい。
私は最初から文字を読めたからいいようなものの、もし前世の記憶が無ければ学校に入学するまで本は読めるようにならなかった訳か。仮定とはいえあまり考えたくない話だ。
私は入学を希望し、例のごとく、ナタリーが希望を父に伝えた。入学について母は興味を示さず、父は賛成し、事無く学校へ通うことが決まった。
学校は家から少し距離があり、毎日カールの送迎付きで歩いて通った。距離を歩くことに慣れていなかったため、最初の頃は行き帰りだけで疲れてしまったが、数週も経たないうちに慣れた。
同じ級の子供の多くは、私と同じく教会関係に籍を置く親を持っていた。これはアンデッドが多く湧くダンジョンを近郊に持つ、アーチボルクという都市の特徴であった。
対アンデッドに非常に有効な殲滅力を持つ修道士達が、この都市を拠点として大量に養成され、国内各地へと散らばっていく。修道士の一大生産拠点が故に、教会関係者の子供が自然と多い訳であった。
そんな子供たちも、入学時点では親が一般市民レベルよりも若干裕福という点を除けば只の子供でしかなく、私のように特別な存在はいなかった。もちろん、勉強が得意とか、運動能力が高いとか、優秀な子供はたくさんいたものの、前世の記憶を持っていそうな突出した存在はいなかった。同級生の話を聞いた限りでは、生まれ変わりの昔話の例はあっても、具体的にどこそこの誰々が現存する生まれ変わった人物、という例は無いようだ。
悪目立ちを避けるために、私は前世の記憶を周囲に漏らさずに、ただ単に優秀な子供の一人として生活を送った。
学校での授業は内容こそ簡単なものばかりであったが、家で読んだ書物にも、前世の記憶にも引っかからない初めて見聞きする知識が稀に得られ、そこそこ楽しく、概して退屈であった。
学校に通うようになって一年が経った頃、家に家庭教師が来るようになった。と言っても、私のための家庭教師ではない。エルザのための家庭教師である。
それはヒルハウスという名の、痩せぎすで面でも被ったように表情をかえない嫌な雰囲気の中年男だった。家名のような名前を持つ、見た目も名前も妙な男だ。
こんな男を家庭教師にあてがわれ、果たしてエルザは大丈夫かと不安を感じ、学校が休みの日に傀儡を使ってヒルハウスの授業の様子を観察してみた。
ヒルハウスの展開する授業は笑いも無く、怒声もなく淡々と進んでいた。エルザは彼の話を聞いて、書き取りをし、たまに質問をしていた。私の通う学校で広がる賑やかな授業の様子とは全く異なる、無機質な空間がそこには広がっていた。
ヒルハウスの授業の内容は学校で習うこととほとんど同じ。あえて違いを挙げるとすれば、座学に偏っていること。唯一、体内を循環する魔力の流れを意識する、という魔法の基礎練習だけが実技練習だ。私も一歳になる前から自主的にずっとやっている。必要だから行っていることであり、楽しさは何もない。
私と遊ぶときは笑顔いっぱい元気印のエルザが、あの陰気臭い男と寒々しい空間でつまらない授業ばかり受けるのか、と思うと私の不安は強くなった。
私は何度もエルザに尋ねた。
「家庭教師との授業は辛くないか? ヒルハウスは嫌じゃないか?」と。
何度尋ねても、いつまで経っても、エルザは不満の一つも漏らすことは無かった。
初めのころは気に食わなかったヒルハウスだったが、何も問題が起きぬまま時間は過ぎていき、次第に彼への警戒心も興味も薄れていった。表情の話でいったらカールだって常に無表情だ。多分こういう朴訥とした男が、雇い主であろう父か母の好みなんだろう。
ヒルハウスが来るようになってから一年ほど経った頃、エルザも学校に通うようになった。
エルザが入学する前に、特に話し合いなどは無かった。私の時はまず、「入学するかどうか」という話から始まったのに、今回は話し合うまでもなく、母の中でエルザの入学は決定事項となっていたらしい。
エルザが学校に通うこと自体は大賛成でも、その経緯に、というか入学までの経緯が存在しない、という不公平に対する不満を禁じ得ない。
登下校はエルザとカールの三人でするようになった。エルザがヒルハウスから受ける授業は、それまで日中に受けていたものから、下校後へと変更になった。私よりもエルザのほうが忙しくなってしまい、食事と登下校の時間以外にエルザと話すことが減っていった。
学校に通うようになり数年が経ち、私はいつものように教室で授業を受けていた。片手間に、ドミネートでハエを飛ばし、代り映えしない校内を観察していると、面白いものを発見した。それは、運動場で授業を行っている子供たちの中にいた。
運動場であるから、子供たちはもちろん運動をしている。その中で一人だけ周囲とは別格の動きを見せるものがいる。その子供は、体格から予想される八歳前後の年齢にはまるで見合わない、素早く力強い動作を見せていた。
それはまるで「ただ運動神経が良いだけではないのだ」と、周囲の子供たちとの確かな違いを誰にとはなしに見せつけるかのようであった。また、周りの子供たちも彼女が「自分たちとは違う」存在であることを子供心に分かっているようだった。
その子供が動くたびに、周りの子供がざわめく。ハエの聴覚は小さい音を拾うには便利でも、言葉の聞き取りには難があり、何を喋っているのか理解するのは難しい。だが、ざわめきの中で繰り返される一つの単語だけは聞き取ることができた。
リディア。
それがおそらくあの子供の名前だ。
聞いたことがある。私より一つ下の学年の子供だ。今までは"優秀な子供の一人"としか認識していなかった。
今日は傀儡越しとはいえ初めて実物を見ることができた。リディアはただの優秀な子供ではない特別な存在だ。天才児の類か、それとも"生まれ変わり"か……。どちらにしても面白そうだ。私は彼女に興味を持った。
学校の授業が終わると、私は急いでリディアの教室へと向かった。授業中、ハエを飛ばしてリディアの教室がどこかは調べてあり、そのまま観察を続けていたため、既に学校から帰ってしまっているという心配は無かった。
取り巻きの友達がいるでもなく、一人帰る準備をしている彼女に話しかける。
「ねえ、ちょっといいかな?」
「なに?」
十歳に満たない子供とは思えない凛とした佇まいの彼女が、素っ気なく答える。予想外の冷たさに私は一瞬、「攻撃されるのではないか」と思ってしまう。
ただ話し掛けただけで攻撃されるなどあるはずもなく、リディアは私の次の言葉を待っている。落ち着け。まずは自己紹介だ。
「はじめまして。私はアルバート。アルバート・ネイゲル。四年生なんだ。君はリディアであってる?」
「ええ」
リディアは二文字でしか返事をしていない。興味のない面倒な相手に対応する人間によく見られる行動だ。
「友達から、リディアは凄い運動ができるって聞いてさ。ここの教室に来るのは初めてだけど、その秘訣が知りたくて今日は来たんだ。何か習い事でもやってるの?」
「学校が始まる前と終わった後に、修練場で剣を習ってる」
表情を変えることなく無愛想に返事をするリディアから二文字以上の返事が得られた。剣の修練か。私がカールに槍で相手をしてもらっているようなものか。
「毎日修練場に行ってるの?」
「ええ」
「その修練場、ついて行ってもいい?」
「ついて来るのは勝手だけど、大人に混じって練習しているし、許可なく入ってきたらあなた怒られちゃうかもしれないよ」
大人に混じって戦闘訓練とは、かなり強そうだ。学校の授業では見られない彼女の実力を是非見てみたい。
鬱陶しそうに私に答えるリディアから半ば無理やり一緒に修練場に行く約束を取り付け、歩を並べて校門へ向かうと、エルザとカールが待っていた。興が乗りすぎていて彼らの存在を失念していた。カールに状況を説明する必要がある。
「カール。今日は家に帰る前にリディアと一緒に修練場に行きたいんだ。寄って行ってもいいでしょ?」
「アルバート様。私は旦那様から、学校と自宅を安全に送り迎えするように申し付けられています。許可が無ければ、修練場へは立ち寄れません」
あっさり断られた。真面目な彼のことだ。エルザもいるし、粘ったところで結果は変わらないだろう。それに今日は……
思うところがあり、今日のところは諦めることにする。リディアに謝ったうえで、修練場の方角へ歩いていく彼女とその従者を校門から見送った。
二人並んで歩く姿を見ているうちに、まだエルザが入学を迎える前、カールと二人だけで学校へ通っていた頃の事を思い出した。たった数年前のことなのに、ずっと古い昔のことのようにも、数日前のようにも感じられた。
自宅への帰り道、カールに修練場について尋ねてみた。私の住む、この都市アーチボルクだけでも修練場は何か所もあるらしく、リディアの指す修練場がそのうちのどれなのかは分からなかった。
普段カールに戦闘訓練をつけてもらっている手前、修練場に向かいたい、と私が言い出したことでカールが気分を害していないか心配であったが、どうもその様子はないようであった。
カールは家で槍を帯びていて、私も彼も槍で戦闘訓練を行っている。戦闘技術は剣や弓、格闘術など、色々なものがある。親の同意さえ得られれば、複数修めることにカールは賛成のようであった。
私が修練場に向かう目的は剣を習うことではなく、リディアの実力を確かめることなのだが、剣を習えるならそれはそれで良いだろう。カールは槍が得意で剣はそれほどでもない、と自分で言っているから、修練場に通えるようになれば都合がよい。
いずれにしろ、まずは父から修練場に向かう同意を得る必要がある。もし修練場に毎日通うことになったら、下校の際の私とエルザの付き添いをどう分けよう。それも私が考えないといけないだろうか?
父は、と言えば、最近は仕事が忙しいらしく、自宅を長期に空けることが増えていた。今日は、そんな多忙の父が丁度自宅に帰ってくる日だった。少し前にナタリーが父の帰宅日程について喋っていたため、記憶に残っていた。
今までの流れであれば、まずお願い事はナタリーに伝えるところだ。しかし、ナタリーを経由することでもし時間差が生じて今度の機会を逃してしまうと、次に父が帰ってくるのは何週間後か分からない。自分で直接お願いするのが確実だ。
未だに父は恐ろしいが、苦手意識を克服するいい機会かもしれない。私は自分の欲求に従うことにした。
私は家に着くとナタリーに尋ねた。
「ただいま、ナタリー。お父様はもうお帰りになった?」
「おかえりなさいませ、アール様。旦那様はお昼過ぎに帰ってこられて、今は書斎にいらっしゃるはずですよ」
ナタリーに感謝を述べてから自室へ行って荷物を下すと、そのまま真っすぐに父の書斎へと向かった。ハエではなく、自分自身で父の部屋を訪れようとするのはこれが二度目か。
途中の廊下で、以前のように母に呼び止められるのではないかとドキドキしたが、母の部屋の扉が開くことは無かった。
父の書斎の扉の前に立ち、ノックし、話しかける。
「お忙しいところすみません、お父様。お話しする時間はありますか」
わずかな間を置いて扉が開き、父が顔を出した。近くで見ると、やはり相変わらずの途方もない魔力だ。自分が成長するにつれ、父との実力差というものを以前よりも強く感じるようなったように思う。
「おお、学校から帰ってきたか。どうした。また何か欲しいものでもあるのか」
おねだりに来たのは見透かされているようだった。
「お帰りなさい、お父様。お願い事に来たのは当たっていますが、今回は物が欲しい訳ではありません。修練場に行ってみたいのです」
「修練場? アールはカールに稽古をつけてもらっているんだろ。それでは不足なのか」
父の片眉がピクリと上がる。うぅ……怖い。怒鳴りだしたりしないだろうな……
「カールには槍で相手してもらっています。その修練場では剣を主に扱うようです。私の一つ下の学年のリディアという才覚溢れる子供がそこに通っています。修練場に通い続けるかどうかはまだ決めていません。視察という意味でも、是非一度そこに行ってみたいのです」
「リディア? ……アール、その子の家名は知っているか?」
「いえ、名前しか聞いたことはありません。家名があるかどうかまでは……。学校に通い、幼くして修練場にも通っているくらいですから、名のある家の子供なのかもしれません。お父様は何か心当たりがあるのですか」
「そうだな……。ネイドって知ってるか? ネイド・カーター。この国マディオフが誇る最強の騎士だよ。ネイドの長女の名前が、確かリディアだったはずだ」
父のその言葉は、私の前世の記憶を揺り起こした。
ネイド・カーター。
会ったことは無いが、確かに知っている。マディオフ王国最強の騎士。
リディアはその騎士の子供かもしれない、か。これはますます修練場に行かなければならない。
「それを聞いてより一層修練場に行きたくなりました。お願いです、行かせてください」
「アールがネイドのところの子供と肩を並べて剣を競う、ねぇ。それも面白いか」
父はニヤニヤと悪巧みをする子供のような笑顔を浮かべながらひとりごちていた。
「許可して頂けるのですね」
「いいだろう。あとでカールには伝えておくよ」
「ありがとうございます、お父様」
修練場に行く許可を得ただけでなく、リディアに対する期待を一層膨らませる未確認情報が追加で得られた。私はここしばらく感じたことのない喜びを味わったのであった。
それにしても、恐ろしい父とばかり思い、身構えてお願いにいった、というのに、随分とあっさり了承がとれたものだ。そういえば、どうして私は父を恐れているのだろう。途轍もない魔力を有するからだ、と今までは思考放棄して納得していた。よく考えてみるとそれは正しくない。
父の魔力量は確かに凄い。しかし、家の中の様子だけで判断する限り、母と異なり父の精神状態は安定している。私は、父が激高するところを見た記憶が無いし、私を含めた家族にも使用人にも理不尽な態度をとった場面など無い。
そうだ、私は父が怖かった。だが、それは現世の父、ウリトラスのことではない。前世の父だ。私は彼が怖かった。
彼が嫌で、他にも色んな事が重なって家を飛び出したんだ。家を飛び出して、そして……そしてどうしたのだったか。思い出せない。
賊を思わせる技能を持っている、ということは家を飛び出して賊に身をやつしたのか。そうではなかった気がするが……
とにかく父親は怖かったし、嫌いだった。そうだ。思い出してみると、恐怖よりもむしろ腹が立ってきた!!
その腹立たしい父親の名前はなんだったか。理不尽だったとは思うのだが、どんな理不尽な言動だったかまでは思い出せない。
向ける矛先の無い反発心がムラムラと蘇り、しばらくは腹の虫が治まらなかった。それも修練場のことを思い出すうちに期待に塗り替えられ、忘れていった。