第五八話 中間搾取
週末の夜を迎え、シルヴィアと約束した王都のパストゥースホテルへやって来た。
レセプションでエントリーを済ませ、エントランスから周囲の出席者を見回す。思ったよりも高い平均年齢に、心の中で舌打ちをする。
主催者はシルヴィア本人ではなく、彼女の父親だ。
私は未だにこれが何目的のパーティーなのか知らされていない。もっと小規模のパーティーであれば、主催者には否々ながら挨拶しようと思っていた。これだけ参加者の人数が多いのだ。挨拶せずとも非礼にはあたらないだろう。
それにしても、見回せど探せど大学の同期が見当たらない。皆はどこにいる。私以外は誰が来ているのだ。
どうにも当ての無い事が分かり、癪に障るがシルヴィアを探してメインホールへ向かう。
メインホールでは一組の夫妻がひっきりなしに出席者の挨拶を受けている。
あれが今日の主催者だ。ということは、シルヴィアはその近くに……いた。分かりやすい作り笑顔でゲスト対応をしている。挨拶の列に並び順番を待っていると、主催者までの挨拶待ちがあと数組となったところでシルヴィアがこちらに気が付いた。
「あっ、アール」
列を無視してシルヴィアがこちらに寄ってきた。
「ようこそお運びくださいました」
言葉と会釈だけは作法に則り、しかし顔だけは先程の作り笑顔ではなく、大学でも見たことのない、いい笑顔で出迎えてくれた。
「招待してくれてありがとう。でもいいのか、持ち場を離れて? 今の時間、シルヴィアの指定席はあそこだろ」
「両親と姉さえいれば大丈夫。メインは姉だから」
「そうか。じゃあちょっと別の場所で話さないか」
「うん、少しだったらいいよ」
シルヴィアはそう言って私の手に自分の手を重ねてきた。
「残念だけど、ホテル内をよく知らない。案内はシルヴィアがしてくれよ」
「もう、仕方ないなあ」
シルヴィアの手に引かれ、メインホールを後にして、少し離れた場所の吹き抜け上階へとやってきた。この場所はエントランスやメインホールほど混み合っていない。
「この辺りならいいでしょ」
「主催者も大変だ。シルヴィアの今日の入りは何時から?」
「今日じゃなくて昨晩から」
「それは疲れるわけだ。それで、他には誰が来てるんだ?」
「誰って?」
シルヴィアはキョトンとしている。
「だから、大学の同期さ。他にも呼んでるんだろ?」
「呼んでないよ。アールだけ」
誘ったのはイオスと私だけ、ということか。
国内最高峰にランクするこのホテルでこの規模のパーティーだ。開催が決まったのが、この一週間以内ということはないはず。私が甘諾したことで、シルヴィアは誰か招待していた人間を切り捨てたことになる。シルヴィアに弄ばれた、顔も知らないどこかの誰かに同情の念を禁じ得ない。
「いつも一緒にいるお友達も誘ってないんだな」
「イザベラとナナの事? 今日のパーティーに誘うような相手じゃないもの」
遠慮するでも見下すでもなく、さも当然、とシルヴィアは言ってのける。
パーティーは開催目的によって誘う相手を選ばないといけない。そういう意味では、シルヴィアの言っていることは間違っていない。
私はパーティーの内容を分かっていないため、シルヴィアがどのような内心で、そう言ったのかを推し量ることができない。
「そんな中選ばれたのは光栄だな。それで、これは何のパーティーなんだ?」
「あら、知らないの? ミューズ・マディオフ殿下が我が社の安全管理局局長に就任してくださるから、そのお披露目。後はセルテックス社との事業協力の発表とかかな」
ミューズ・マディオフ? マディオフ姓を持つ、ということは王族。家系図的にはどのあたりに位置する人物だろうか。
人数が多すぎて、口で説明されても予備知識なしには覚えられるようなものではないのが確実。長兄だろうが末弟だろうが、男性名を持つミューズに王位継承権は無い。臣籍降下と同時に民間企業に就職し、形ばかりの部門代表に据え置かれる、といったところだろう。
「絶対ピンと来てない顔だよね。知らないよー、不敬罪に問われても」
「先に聞いておいてよかった。知らないままに会場をウロウロしていたら、誰と何を話して失敗していたことか」
内容的に、私が何かに引き摺り出される恐れは無さそうだ。王族の権威を失って平民に成り下がる予定のミューズはどうでもいい。それよりもヒューラー社とセルテックス社の重鎮に興味がある。知り合いになっておけば、いずれ何かの役に立つ。一方的に私が知っておくだけでも情報は使い方次第だ。
「出席者への挨拶が終わったら記念式典で、その後は事業発表で、それが終わったらパパも少しだけ時間が取れると思う。そのタイミングで一緒に挨拶に行こうね」
一緒に? 何の?
「あれ、緊張してる?」
緊張ではなく困惑である。
「心配しなくても、目出度い式典でいきなり怒鳴りつけてくることはないって。普通に挨拶するだけで終わりだよ」
恐いのはシルヴィアの父親よりもシルヴィアの動向だ。父親を目の前にして何を口にするか、大心配である。変なことを言い始めたら、どうにかして遮るつもりでいなければならない。
『パーティーには何時に来てもいい』と、言っていたのは、前半は私に用が無いからだ。分かりやすいことである。
「シルヴィアのお父さんはシルヴィア以上に疲れていることだろう。自己紹介すればいいんだな?」
「そうそう。疲れてなくてもパパは私にはあんまり興味ないんだ。すぐに終わるよ」
シルヴィアは、少し強がった風を装っている。シルヴィアの言っていた、『メインは姉』という台詞。
今日のメインは姉なのか、今日もメインは姉なのか。
普通の家庭であれば、親の興味と関心は長男か長女に集まるだろう。ウチは真逆だがな。
次男のリラードが一番手をかけられていて、次点に長女のエルザ。放置が長男の私だ。
ウチの場合、私が大罪者という特殊事情があるため、参考にはならない。むしろ、よくぞ無事にあの家を出られたというものだ。
私としては、自由にさせてもらったおかげで能力の成長を阻害させることなく助かりはした。けれども、引き継がれた精神に隠された仮面の下で、子供だった頃のアルバートの肉体は、親からの愛情を欲していたのだと思う。子供の頃どころか、今でもそうかもしれない。
私のせいで私が親から関心を持たれなかったのは、それなりに心のしこりになっている。
私をこのパーティーに呼ぶことで、シルヴィアは果たして親の興味を引けるのだろうか。彼女の親子関係がどんなものかは知らない。興味を持ってもいけない。私が彼女の家庭内の立ち位置を憂慮する必要などないのだ。
考えるべきは、自分を守る事だけ。あとは情報収集だ。
邪魔が入らなければ、ここでは色々と有益な情報が集められる。パーティーとは得てしてそういう場所だ。職場で口の固い人間は、逆にこういう場所でこそ口を滑らせやすくなる。特に会場を後にして、自分の部屋に入った時などは。
この場所にいるのは、私にとって知らない人間ばかり。億劫がらずに顔と名前を覚えて相関図を構築しよう。
人間関係と利害関係を理解していると、一つの情報から芋づる式に各種事情を察することができる。壁の花などやっているのは、時間の浪費に他ならない。
話題を変えて、シルヴィアと雑談を重ねていく。彼女にとっては紛れもない雑談。階下を歩く人間の名前や役職、周辺事情を話すだけ。
シルヴィアがまだ小さかった頃から休日でも家に呼び付けられていた部下のことだの、最近、その部下の係累が入社しただの、そいつが仕事では使えないだの、一つ一つは取り立てて重要な話ではない。
しかし、何人も人間を覚えていくと、次第に私の頭の中にヒューラー社の組織図が構築されていく。
こういう場所にいる以上、初参加の私が、誰がどういう人間なのかを質問することは何もおかしいことではない。
イザベラやナナといった、大学で常に引き連れている取り巻きがいないおかげか、シルヴィアは大学で話すときよりもずっと素直で喋りやすかった。
そうこうしているうちに式典の開始時刻になる。シルヴィアはヒューラー家の所定位置に戻り、私は出席者の山に埋もれて殿下の有難い所信を拝聴する。
殿下の顔を立てるためだけの時間の後は、ヒューラー社とセルテックス社の事業ロードマップ公開だ。殿下が壇上で吠える独り言と違い、ロードマップの説明はとても興味深い。
事業の発表内容は関係者にとって周知の事実のようで、喝采こそ上がっていたが、その中に新鮮な驚きというものが含まれているようには思えなかった。
堅苦しい時間が終わると、会場が移動となり、過剰なまでに豪華に用意された料理が食べられるようになる。お偉方は歓談時間となってもまだ食事にありつくことができない。それも彼らの役回りである。
誰と話す必要のない私は、誰も手を付けない料理を皿に取り、会場の隅で普段食べることのない珍しい料理、贅沢な料理を胃袋に流し込む。
シェルドンは、ここのホテルの肉のローストが凄い美味しいと言っていた。今私が食べているこれがそうなのだろうか。
柔らかい肉の外側は美しい焼き目が入り、内側は瑞々しく温かい色合いを呈している。口の中に放り込んで一つ噛むと、肉汁が滴り、肉の柔らかさとともに旨味が噴水のように広がっていく。
ローストとグリルの違いですら私には分からない。これがシェルドンの言っていたものであろうとなかろうと、舌と胃袋を満足させてくれるのであれば、何も文句はない。
シェルドンは本当に美味しいものに詳しい。大学入学後も何度か彼と会い、一緒にハントに行った。ハントを終えて王都に戻ると、彼はその度に美味しいものを教えてくれる。
グルメに興味がない私でさえ、シェルドンの味の探求心には舌を巻く。シェルドンの勧める物には外れがない。ただし、甘味を除いて、だ。
私が甘いものを苦手としている、というだけのことかもしれない。苦手という表現は正確性に欠ける。シェルドンほど大量に甘いものが食べられない、というだけだ。一口大の甘味であれば、私でも美味しく食べられる。
イオスが脂ものを食べると胃もたれするようなものである。適量が非常に少なく設定されている、ということだ。
「ここの料理は気に入った?」
一区切りがついたのか、シルヴィアが家族の所を抜け出してきた。
「高名に恥じない素晴らしい味だ」
「美味しいものが好きなら、普段から食事にもう少しお金を使えばいいのに」
大学にいるときの私を見るだけでも、食への無頓着ぶりは瞭然である。私が頓着するのは、味ではなく栄養と毒性の有無である。
「楽しんでもらえている所悪いけど、パパの所に行こう」
「分かった。行こう」
食事を中座し、再びシルヴィアに手を引かれて会場を進む。ヒューラ―夫妻の前には、式典前のような長い行列はできていない。セルテックス社の人間だろうか、数人とヒューラ―夫妻は話し込んでいる。
シルヴィアと他愛ない話をして十分ほど待つと、前の組がヒューラ―夫妻から離れていった。また別の人間がヒューラ―夫妻に話し掛けようとする前に、シルヴィアが父親の視界に入り込む。
「パパ、紹介するね。私が誘った大学の同級生のアルバート」
「始めまして。アルバート・ネイゲルと申します」
「アルバート君か。よろしくな」
父親は、目だけはこちらを向いているものの、その意識は私にもシルヴィアにも向いていないように見える。比較的重要度の高いパーティーの主催者として賓客を饗応することに疲れ、私のようなどうでもいい人間が目の前に来たことで、精神が"休憩"を貪っている。
「前にも教えたでしょ? アルバート、凄い優秀なんだよ。ミスリルクラスのハンターだった新しい教授のイオス先生にも気に入られているの」
『だった』だと?
私の紹介よりも、イオスの解説に引っかかりを覚える。イオスは教授になってもハントの世界からは完全に身を引いていない。いわゆる兼業ハンターの一人として、今も活躍中だ。
シルヴィアの父親はぼんやりとした表情で何も答えない。明らかに何か別のことを考えている。こうも無関心だとシルヴィアに同情を覚える。
「来年からはイオス先生のゼミで一緒に勉強するんだ」
「あら、そうなの。アルバートさん、シルヴィアと仲良くしてあげてくださいね」
心ここにあらずの父親に代わり、シルヴィアによく似た母親が助け舟を出した。
母親は、今日のような格式高いパーティーの場には似つかわしくないほどに魔力が高い。シルヴィアの魔力の高さといい眉目の良さといい、どちらも母親譲りだ。
「いえいえ、こちらこそ」
ゼミではご一緒したくないのだけれど、この場でそんなことを言う訳にもいかない。適当に相槌を打ってニコニコ笑っておく。
「ふーん。その人がシルヴィアの今の彼氏なんだ?」
シルヴィアに輪をかけて高慢な雰囲気を持つ女が横から話し掛けてきた。
「お姉ちゃん……。今はまだ付き合ってはいないけど……」
交際が既定路線のような言い回しだ。こういう場所に一人だけ誘うというのはそういう意味合いを少なからず包含している。
「シルヴィアは大学を卒業したら、ママが諦めたハンターになりたいの? それなら、そのイオス先生のほうが相手としてはいいんじゃない?」
シルヴィアの姉は、目の前にいる私などお構いなしに、ズケズケと思ったことを言う。もしかしたら、これでも彼女なりに抑えを利かせているのかもしれない。これで私が目の前にいなければ、どれだけ酷く言われていたことだろう。
私の背筋をゾクリと震わせて暗い欲望が駆け抜けていく。こういう傲慢な女ほど被虐者としては優秀だ。苛む際に加虐者に大きな悦びを与えてくれる。
「前」の記憶が生み出す飢渇によって歪みそうになる表情は、笑顔の仮面の下に綺麗に隠す。
あまり具体的に想起してしまうと、今宵この場所で再犯しかねない。別のことで気を紛らすべきだ。
邪念をかき消すため、他に気になっている点に自らの思考をずらす。
シルヴィアと姉の構図は何かに似ている。これは果たして何だったか……。ああ、そうか。簡単な話だ。
「先の事なんてまだ分からないよ。大学もまだ入ったばかりだし、優秀な成績さえ収めていれば、選択肢はいくらだってあるもの」
「ふーん。ま、好きにしたら?」
「貴方たち、もっと淑やかになさい。ごめんなさいね、アルバートさん。賑やかな娘で。どうぞゆっくり楽しんでいってください」
挨拶は終わり、という母親の言葉を区切りとして、シルヴィアの両親と姉との拝顔を終える。
何を言うでもなくシルヴィアと二人、二階の定位置に戻ると、シルヴィアが大げさに溜め息を衝く。
「お姉ちゃん、結婚が決まっても性格は全然変わらない。きっとアールが格好良かったのが気に入らなかったんだよ」
「今日のヒューラ―家の主役はシルヴィアのお姉さんか」
「うん。横にいた人が婚約者のセルテックスの御長男。あの人、結構年齢いってるんだよ」
政略結婚のために取って置いた手札が、今切られた、といったところか。鉱山を中心とした資源開発大手のヒューラー社と、物流を起点に建設業に参入し、年々規模を大きくしているセルテックス社。企業連携としては悪くない組み合わせだ。
「お姉さんの横にいた物静かな人だな」
挨拶の際、喋らず動かず目立たずで、控え目っぷりと言ったら、まるでウェイターのようだった。私でも分かる仕立ての良い服を着ていたから、人間ではなく服にだけ目を向ければ間違えることはない。
「影の薄かった人ね。仕事はそれなりで頭は悪くないみたいだけど、あまり人の前に立って主張してくるタイプじゃないみたい」
婚約者とはいえ、かの男が立つべき場所は、セルテックス社の側だろう。企業の力関係により、姉の横に立たざるをえなかったのか、そういう部分とは関係なく、単に姉に逆らえないだけなのか。
先ほど姉を見て分かった。シルヴィアの大学での傲慢な振る舞いは、姉を模していたのだ。今日のシルヴィアが少しばかりしおらしいのは、パーティーの場だからではなく、"本物"が近くにいるからだ。
大学での姿が仮のモノとか全て演技とまではいかないだろうが、心根をそのまま反映したものではないだろう。もし彼女が家庭のストレスから解放されて完全に仮面を取り去ることがあるならば、大学とも今日のこの場所とも、また違った性格が見えてくるかもしれない。
「良縁には違いないさ」
私からすれば魅力のない結婚も、当人同士の立場を考えれば間違いなく良縁だ。
「アールは本当にそう思うの?」
社交辞令を真面目に聞き返すのは禁じ手である。
「誰もが羨む組み合わせじゃないか」
「うーん。じゃあさ、アールはもしチャンスがあったらお姉ちゃんと結婚したいと思う?」
「そういうのは誰が聞いているか分からない」
すぐ目の届く場所に人間が何人もいる。肉厚の絨毯や硬く重い建材に囲まれていようとも、耳のいい者には聞き取られてしまうかもしれない。
「ハンターなのに臆病なんだ」
「ハンターは適度に恐れることが必要だ。恐れを知らない勇気など蛮勇……ただの向こう見ずでしかない」
「それでは趣向を変えまして……どんな女性が好み? それなら言えるでしょ」
「どんな女性? あんまり考えたことがない」
「今考えてよ」
「はあ……。理想の女性でも言えばいいか」
「それでもいいよ」
私が相手に求めるもの……
「まず魔力が強くて、魔法的な探求心があって……」
「うんうん」
後衛として申し分なくて……
これでは理想の女性ではなく、理想のパーティーメンバーだ。というかイオスだ。
気色の悪い話である。話題を変えてパーティーメンバーを探すのであれば、私の代わりに前衛を担ってくれる人物のほうが、より適当だ。そうすれば私が魔法を使うことができる。
頭をパーティーメンバーではなく、女性のことに戻そう。
「あとはいつも笑顔で、楽しそうに話をしていて、だけど勉強や稽古は真面目にして……」
うーん。これも理想の女性ではなく、妹のエルザになってしまっている。
「うんうん!!」
シルヴィアの目が輝きを増す。
シルヴィアは自分が当てはまるとでも思っているのだろうか。大学でシルヴィアが見せる下卑た笑いをして、エルザの笑顔と比較しようとはおこがましい。
「それと……」
理想の女性を思い浮かべるのは案外難しい。女のことなど、美人かどうかぐらいしか気にしたことがない。
容姿に絞って思考を巡らすと、エヴァの顔ばかりが頭にちらつく。この際、顔については忘れる。
容姿を封印した途端、後は何も思い浮かばなくなる。私は本当に女の見た目にしか興味がないようだ。
ええい、この際適当なことでも言っておけ。
「頭がいいことかな」
「やだ、アール。愛の告白?」
究極の好意的解釈だ。横っ面を叩きたい衝動を、腹に力を込めて抑える。
「まだ見ぬ理想の女性像を描いたものであり、特定の個人について言及したものではない」
「冗談、分かってる。でも、魔力とか知性とかって部分を抜き出すと、企業というよりは大学に属する人間のことだよね。それも研究室にばかり閉じこもっているんじゃなくて、フィールドにも足を伸ばすような、さ」
私が適当に並べただけの特徴を組み合わせると、確かにそうなる。
「そっかー、よく分かった」
シルヴィアは一人で納得している。
「ねえ、アール。今度私もハントに連れて行ってよ」
「唐突な要求だ」
「いつも一人で行ってるんでしょ?」
「いつもではない」
イオスやシェルドンと行ったり、他にも一時的なパーティーを組んで行ったりすることが多い。単独ハントは、ハント全体の半分にも満たない。
「ママは、『パパと結婚していなかったら、今頃自分は円熟したハンターになっていたはず』って言ってるんだ。私はハントに行ったことないけど、ママの血を引いてるから、向いていると思う。ねえ、お願い」
シルヴィアは上半身を私にぐっと寄せ、私に同伴をねだる。私にお願い攻撃をしていいのは妹だけだ。
「明確な目的があってハントに行っている。私は強くなる必要がある」
「決まったパートナーがいたほうが、強くなれるかもしれないよ。私だって、アールが連れて行ってくれたらすぐに強くなってみせる」
親の片方がハンターの資質を秘めていた。だから自分も強くなれる。それだけだと、根拠とするには少し弱い。
シルヴィアの魔力量は、魔法専攻の学生達の中にあって優秀な部類である。ただし、それはあくまで魔力量。魔力を戦闘力に変換する才能を有しているかどうかは誰にも分からない。
魔法はともかく、徴兵以外で武術を嗜んでいないのであればポーター並の自衛すらできないであろう。となると、シルヴィアをハントフィールドに連れて行った日には、何から何まで私が面倒を見なくてはならない。それは御免蒙る。
「フィールドに出たいだけなら、ゼミナールが始まればそのうち機会がある」
「私はアールと行きたいの」
また少し身体をこちらに寄せるシルヴィアに少しだけ気圧される。ここが大学であれば迷うことなくきっぱり断れる。招かれたこの場所で、しかもシルヴィアの物腰が普段と違うと、突き放すのが憚られる。
「はあ……。それでは、今度、一度だけ一緒に行くか」
「えー、一度だけ? でも最初が無いと二回目も無いし……。うん、じゃあいつにする?」
雰囲気に飲まれて甘々な折れ方をしてしまった。
「ハントは私の生活費や学費を捻出するという意味合いもあるんだ。日程は私に合わせてもらう。今日は返事をできない。日を改めて予定を立てて連絡する」
「分かった。じゃあ楽しみにしてるね」
このまま一緒にいると、いつまたお願い攻撃をされてもおかしくない。しかも、この状況で押しに弱くなっている自分では、お願い攻撃を防ぎきれない。明日に備えて、と適当な言い訳を残し、私は急いで客室へ引き上げた。予約の取り辛いホテルらしいが、直前になるとキャンセルが出るもので、苦労せずに確保できた部屋だ。負担になったのは高額な宿泊料だけ。これは投機のようなものである。
どれだけ手入れの行き届いた綺麗なホテルであっても、ネズミという生き物は必ずどこかしらにいる。静かな場所、暗がり、狭い場所。そういったネズミが好んで潜み隠れる場所を探り、現地調達に成功した傀儡をホテル中に走らせる。
面積の広いホテルであり、横方向に走査範囲を広げるとドミネートの有効距離を越えてしまう。しかし、縦方向にそこまで高いホテルなどありはしない。ホテル内部は大半が、私の傀儡の走査範囲である。
虫の傀儡だと人間の会話を聞き取ることは難しい。盗聴に用いる傀儡には、虫よりもネズミが適任である。中庭にいる者、フロアの隅でひそひそ話している者、客室にいる者、彼らの会話に聞き耳を立てる。
会話からは人名がよく飛び出す。シルヴィアから聞き出しておいた個人情報が、ここで役に立つ。
これまで私が深い関係を持たずに過ごしてきた仕事の世界の最新情報と動向。そういった情報が面白いように集まっていく。特に人気の少ない所では、彼らは色々と「聞かれてはまずい話」を聞かせてくれる。
投機として撒いた種が、早速芽吹いている。せっかく聞かせてくれるのだ。聞かぬ、という手はない。各階各部屋に派遣した傀儡を通して企業秘密をいくつも回収していく。
成功している企業だけあって、どこも不正まみれである。企業秘密だけでなく不倫話も多い。今まさにホテル内で不倫している、という現場でさえも簡単に見つけられる。
『誰と彼が不倫している、間違いない』と話しているのを聞き、ホテルの顧客名簿から当該人物の部屋を見つけ、傀儡を派遣してみると、まさしくそこが不倫の現場、という箇所を散見する。
何故人は、これほど分かりやすい場所で不倫してしまうのか。リスクを楽しんでいるのだろうか。こういう機会でも利用せずに密会するのは、もっとバレやすいからだろうか。不倫に及ぶ人間の事情など、私には分からない。
それに不倫かどうかは置いておくとして、客室以外の場所で情事に及んでいる連中をちらほら見かける。なぜ部屋で行わない……
身なりや口調でどれだけ体裁を整えたところで、結局やっていることは大学生のホームパーティーと変わらない。口にする内容につけても、試験の不正が仕事の不正に変わり、恋愛話が不倫話に置き換えられただけだ。
盛る人間を観察し、はたと思う。他人の色事を直に見るのは強い刺激になる。それが、傀儡の目を通して見ても、全くそそられない。道端で交尾する犬を見掛けたようなものでしかない。
ネズミから見れば、"情事"ではなく"人間の交尾"でしかないからであろう。私の目的は窃視ではないため、愉しめないのは問題ない。むしろ、これは学習である。こういう点がドミネートの特徴なのだ。自分の持つ技術の特性を理解するのは、極めて重要なことである。
もし窃視目的で傀儡を利用するならば、人間の男をドミネートして他人の情事を覗かせなければならない。そうすることで傀儡の性的な興奮が私に伝わり……
うげー、気持ち悪っ!
冷静かつ具体的に想像を広げていた私の全身の肌が粟立つ。
これは、絶対に行ってはいけない試みだ。窃視目的にドミネートを使ってはならない。自らの肝に銘ずる。過ちを犯す前に気付いたのは幸いだった。
気色の悪い想像から立ち直り、ドミネートの考察を再開する。
ネズミは頭がいいだけあって人間の会話を聞き取りやすいが、手持ちの鳥には及ばない。ジバクマで確保したガダトリーヴァホークは、他のどの魔物よりも会話を聞き取るのに優れている。
犬なんかは、単語は分かっても、二語文より長い文章となると、途端に理解度が怪しくなってくる。
虫になると単語の聞き取りすら厳しい。音の固まりを直接私のほうに持ってきて、そのうえで「解読」する必要がある。こうなると集中力を一気に持っていかれる。
ネズミであれば五匹でも六匹でも同時に他人の会話を聞き取れるのに対し、虫で聞き取りをしようとすると一匹が限界だ。それも文章ではなく単語での理解になる。
考察を重ねることでドミネートについて知見が深まっていく。ただし、技術は一向に向上しない。何かふとした切っ掛けか、あるいは確固とした成長の方針が見えてくれば、もう一つ上の段階に手が届くような気がするのだが、今一歩及ばない。そんな状態のまま、もう何年も停滞を続けている。切っ掛けが欲しい……
脳内思考においても、現に操作する傀儡においても、ドミネートにこれほど集中力を注ぐのは久しぶりである。夜が更けるまで情報収集に努めつつ、ドミネートの成長について思い悩むのだった。




