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第五五話 護送

 ゲダリングがオルシネーヴァ軍の急襲を受けた翌日、朝日が地平線より顔を覗かせる少し前。闇が薄闇に変わりゆく中、朝露を集めつつパーティーの移動を開始させる。


 ジェダよりもリッキーとマラカイ負傷者二人や、非戦闘員である女達のほうが疲れた顔をしている。それでも、誰しもが状況を理解していて、弱音を吐くことなく移動についてくる。


 悪条件はジバクマ人だけでなく、我々にも降り掛かっている。見知らぬ土地、慣れぬ気候、未知の魔物分布と植生、能力の分からぬ同行者、後方の脅威、補給と睡眠と休息は不十分、低下し続ける体力、見えぬ到達目標。身体と精神をすり減らすには、十分過ぎるほどの要素が重なっている。


 絶えず張り付く疲労感により、思考は冴え渡らない。それに対し、感覚だけは体力に反比例するように鋭くなっていく。


 普段よりも遠くまで見渡せる、小さな音が拾える。そんな気がする。


 興奮と緊張が感覚を研ぎ澄ましているのかもしれないし、只神経過敏になっているだけなのかもしれない。


 主観ではなく客観的な事実として、私の索敵をすり抜けてパーティーメンバーに迫る魔物や、私よりもパーティーメンバーが先に発見する魔物は一体たりともいなかった。




 ゲダリングの民衆の多くが避難に用いている南側の街道は、真東ではなく東南東に伸びている。我々が森を突っ切り真東に進むことで街道から次第に距離が開くようになり、傀儡の目にも人間の姿は映らなくなった。これはとてもありがたいことである。


 気配遮断を知らない無数の人間が無節操に撒き散らす気配は、我々に迫る追手の気配を覆い隠してしまう。


 オルシネーヴァが民衆ではなく我々に向けて追撃を試みる場合、追撃部隊の人数は超少数になりようがない。小国であるオルシネーヴァに、ベネンソンを討ち取れるほどの人材がゴロゴロと何人もいようはずがないからだ。


 あの聖堂でドノヴァンが倒したオルシネーヴァ軍人、そして林の中で我々に返り討ちにされたルーヴァン以下数名。彼らはオルシネーヴァ軍の精鋭だったはずだ。質で太刀打ちできなければ、量で圧殺にかかってくる。


 最低でも小隊以上、ひょっとすれば大隊……大人数の部隊となると、どれだけ隠密に森の中を進もうとも、集団全体の気配を殺しきることはできない。必ず私のほうが先に相手を見つける。見つけなければならない。


 ここまでのところ、オルシネーヴァの追撃の様子はどこにも見られない。我々の移動速度はさして速くない。休憩だって何時間も取っている。


 交戦場所からゲダリングに逃げ帰ったルーヴァンが状況を報告して、上官が直ちに追撃部隊を編成、派遣すると、ごく少数の斥候(スカウト)は、そろそろ近くまで来ていてもおかしくない。そいつらを絶対に逃してはいけない。見つけたら背後に回り込み、逃げ道を塞いだ上で倒す。そのためにも、パーティー後方に対してはかなりの注意を払っている。


 ゲダリングの街全体を攻撃した軍勢と、聖堂及びジェダを襲撃した部隊。この二者の連携は、あまり上手くいっていないのだろうか。


 もし襲撃部隊の母集団の最強戦力があのルーヴァンという男であれば、その集団だけでは我々を倒しきるメンバーを再編成できないことになる。聖堂ではかなりの数のオルシネーヴァ兵を倒した。希望的観測にはなるが、母集団はルーヴァン一人を残して完全に壊滅、ということになっていてもおかしくない。そして横の連携がうまく取れていなければ、ルーヴァンが状況を報告したところで追撃部隊を編成できない、と。


 もしそうならば、願ったり叶ったりである。




 移動を続け朝日が地平線を離れる頃合いになると、周囲からけたたましい鳥の鳴き声がチラホラと聞こえるようになってきた。この声には聞き覚えがある。前に聞いた時よりも甲高く、輪をかけて耳障りだ。


 この声を以前聞いた場所はどこだっただろうか。……そうだ、エヴァと行った峡谷だ。ルドスクシュを討伐したシュロハジョニ峡谷。あの土地に響き渡っていたイーグル(ワシ)の鳴き声に似ている。その近縁種でもいるのだろう。


 タカ科の魔物は、いずれも非常に優秀な遠方視力を持っている。現在我々が最も必要としている能力の一つだ。ここで逃す手はない。


 パーティーの移動をマールに託し、傀儡の確保に向かう。鳥は絶え間なく鳴き声を上げて自分から居場所を教える。峡谷と違って、この森ではイーグルの鳴き声が反響しない。居場所の特定になんら苦労はない。


 見つけた鳥は樹上で羽根を休めていた。あれを確保するには木に登る必要がある。私が木登りするところを、ジバクマ勢の誰かが目撃するかもしれない。見られたところで構わない。昨日果実を集めたのが目眩ましとして機能する。ドミネート能力が露見することはない。


 気配を殺して木に登る。腕力頼みで木に登ると、木は大きく揺れる。スキルを利用した私の登り方の場合、木はほとんど揺れることがない。


 鳥は天敵のいない頂点種なのだろう。子育ての時期でもなく警戒心に欠け、私の接近を簡単に許してくれた。おかげでブライヴィツ湖で鳥を確保するときに比べ、格段に楽にドミネートを成功させることができた。


 確保した傀儡は、イーグル(ワシ)ではなくホーク(タカ)だった。峡谷にいたガダトリーヴァイーグルより一回り小ぶりの身体である。


 鳥の視界に身体の大きさは関係ない。取り回しのし易さで言ったら、断然小さめのほうが良い。


 初めて操る猛禽を早速空に羽ばたかせる。ホークの目が映す映像は、他の鳥よりもずっと人間に近かった。視野は人間より広く、他の鳥よりは狭く、両目で物が見られる。遠方視力は、他のどんな魔物よりも優れている。彼方の景色が、くっきり鮮やかに立体感をもち、浮かび上がらんばかりである。


 ここまで遠くをクリアに見通すことができると、人間の目とは果たして何なのだろうか、との思いを抱く。いやはや、人間の粗末な能力などを(かこ)つのは無用だ。今は、また一つ新たな世界の扉を開いたことを喜ぶこととしよう。


 しばし羽ばたいて飛んでみた感想としては、連続長時間飛行にはあまり向いていない。短時間の飛行速度は断トツで速い。空の視界としては最良の選択肢と評して間違いない。なぜ今までタカ科の魔物をドミネートしてこなかったのか非常に悔やまれる。


 気分が高揚し、疲れが一気に吹っ飛ぶ。自分の戦闘力が向上したわけでもないのに、今なら一対一でもルーヴァンに勝てそうな気がしてくるのだから、自分の心の浮かれ具合が分かるというものだ。危うい兆候である。


 気を引き締め直し、ドミネートの有効圏内を越えない範囲で高く飛翔し、西方遠くへ目を凝らす。地上からは全く見えないゲダリングが、まるですぐそこにあるように見える。この視力をもってすれば、天候と地形的な条件次第ではブライヴィツ湖まで見通すことだって何ら難しくないであろう。


 西に続いて今度は南へ視点を移す。東西に伸びる街道上を人が無数に歩いている。彼ら避難民も首都を目指して歩いているのだろうか。


 西のゲダリングを見ても、南の街道を見ても、大きな混乱が起こっている様子はない。オルシネーヴァは、民衆の大虐殺には乗り出していないらしい。煙はどこからも上がっていない。街を燃やす炎は鎮火したと見える。


 一番大切な我々への追手はどうだろう。街道を使わずに林の中を通ってこられると分かりにくい。見たところ、大規模な部隊の進軍はない。隠密性を重視して少数部隊を編成していたとしても、少数であればベネンソンがいる限り後れを取ることはない。


 敵にルーヴァンのような火魔法の使い手がいても同じこと。こちらには強力な水魔法の使い手がいるのだ。延焼さえも制御できる。


 交戦時に取れる選択肢は段違いに多い。なんなら後の事はベネンソンに任せて私もファイアーボールを乱発したっていい。……いけない。やはり思考が普段の私ではない。ホークの能力に当てられて昂ぶっているだけでなく、フヴォントから続く睡眠不足も影響している。


 現在地がゲダリングからまだまだ近いのは気になるが、ジバクマ人だけでなく自分の体調を考えても、休憩は適宜取るべきだ。




 マールの所に戻り、パーティーの足を止めて休憩を取らせる。夜明けから数時間は歩いている。休憩なし(ノンストップ)で歩き続けるよりも、こまめに休憩を取ったほうが、人員の脱落リスクを下げられ、移動速度も上げられる。


 私も地面に腰を下ろし、西方の林の奥を睨みながら昨日残しておいたヒヤール(キュウリ)を齧っていると、ジェダの横にいた女の一人が隣に来た。


「纏っているローブを貸してください」


 私のローブを何に使うつもりだ。この暑苦しい気候の中、寒さに身を震わすわけもないというのに。


 女の言う意味が分からず困惑していると、女は細い指で私の首元を指した。


「時間はかかりませんよ」


 ルーヴァンの剣を躱しきれずに斬られてしまった部分を繕う、と女は言いたいようだ。


 被っても被っても、少し動くとすぐにフードがずり落ちてしまうため、私の顔はルーヴァンとの戦闘以降、完全にさらけ出す格好になっている。


 流れ出た血液は乾いて血痕となり、ローブにおどろおどろしい模様を作り上げている。自分の血液であってもそう思うのだ。若い女からしてみれば、このローブは汚物そのものだろう。抜いだ汚物を女に差し出すと、女は気色悪がる素振りすら見せずニッコリと笑って受け取った。


 ジバクマの人間だけあり、肌の色がとてもはっきりしている。疲労がこんでいるはずなのに、肌はみずみずしく張りつめ、若さが溢れている。女は無遠慮な私の視線を避けるように小走りにジェダの近くへ走っていくと、倒木に腰を下ろして私のローブを繕い始めた。


 なぜこの状況で裁縫道具を持っているのだろうか……


 いや、それこそが、何の準備もできずに着の身着のまま、持っていたものそのままで逃げてきたという何よりの証拠なのかもしれない。もしかしたら裁縫道具ではなく、本来は傷口を縫うための針と糸かもしれない。この件を深思したところで得られるものはなさそうだ。


 視線を女から西側に戻して監視を再開し、食べかけのヒヤールを齧る。不味いはずのヒヤールが、少しだけ喉を通りやすくなっていた。




    ◇◇    




 我々は黙々と東進を続けた。手強い魔物に遭遇することもなければ、追撃の手が及ぶこともなく、ただゲダリングから遠ざかることだけができた。ゲダリング急襲の翌日も翌々日も何事もなく移動は続き、脱落者が出ることはなかった。


 ゲダリングから逃げて四日目、ジバクマの人間と別れることとした。


「ここからは別行動だ。自力で首都まで辿り着いてくれ」


 別離を宣言し、三日間かけて集めた果実の大半をジバクマ人達に押し付ける。行動を共にするようになってから、彼らは一度も私に逆らわなかった。ここでも黙って私から果実を受け取っている。不要な押し問答がなくて幸いである。


「ここでお別れか。数日間、とても頼もしかったぞ」


 何気なくマールの顔を見ると、その目は真っ直ぐに私を向いていた。私は嫌われるばかりで、感謝の言葉はベネンソンに向けられたものだと思っていた。意外なこともあるものだ。


「首都までの道程は半分も過ぎていない。大変なのはここからだろう。子供は任せたぞ」


 少し嫌味っぽくなってしまった私の言葉を聞いてもマールは怒ることなく、むしろ少し表情を緩めて口を開く。


「そっちのベネンソンさんはともかく、お前は一体何者なんだろうな。最初はレイハ中佐の知音かと考えた。そうではなくて、もしや、ライゼン卿の縁者か?」

「ワーカーの素性詮索とは、礼を失した行為をするものだ」

「ははは、大丈夫。二人が忍びでこの場所にいることは理解している。首都についても、二人の立場を苦しくするような報告の上げ方はしないよ。軍人として、何も報告しないわけにはいかないがな」


 少し嫌味っぽいどころでなはく、かなり冷たくマールの問いを切り捨てたというのに、マールは笑って応答する。それはまるで、私の本心は分かっている、と言わんばかりだ。


 マディオフに帰国後、密出入国の罪を問われた場合、気がかりなのは私が負うことになる刑罰よりも私以外の人間に及ぶ影響だ。私は大学にそこまでの執着はない。入学資格を失ったところで特に困りはしない。最も懸念されるのが、父ウリトラスと妹エルザの立場への悪影響。


 密出入国は重罪。時に国賊と見做される。身内に国賊が出た日には、父と妹の出世は絶望的である。現職すら失ってしまうかもしれない。ベネンソンだって、せっかく得たポストを着任早々失ってもおかしくない。マール達には是非とも上手く誤魔化してもらいたい。


 マールの後方にいるジェダへ視線を向ける。安全快適な街を離れて、フィールド行動すること四日目だというのに疲れた様子もなく、初めて見たときと変わらずのふてぶてしい表情をしている。ジェダは問題無さそうである。


 ジェダの横から、「前」と「今」を含めて一度も感じたことのない特殊な視線が発せられていることに気付き、隣へ視点を滑らせる。


 ジェダの横に立つ者……私のローブを繕ってくれた女が、熱視線と呼ぶに相応しい感情の籠った視線をこちらに向けている。彼女は眼の縁に涙を溜め、今にも膝から崩れ落ちそうだ。


 多分彼女は卒業式とか離任式で泣き出すタイプだ。感極まるあまり、私達について行く、などと言い出しやしないだろうか。


 そんな私の脳内映像をトレースするかのごとく、彼女がこちらへ一歩目を踏み出し、私をギクリとさせる。だが、実際に彼女が進んだのは一歩だけであり、すぐに後ろから誰かに服の端を掴まれて止められた。彼女の行動を予知した身内らしい手並である。


 ホッとしてマールに視線を戻す。


「二人も無事マディオフに帰れるように祈っている」


 マールが余計な祈念を口にしだす。


「私達はどこの国の人間でもない」

「ああ、ではそういう事にしておこう」


 マールがまた苦笑する。


 これ以上会話を継続したところで、ぼろを出すばかりだ。巧みな話術を持たない私には、どう頑張っても煙に巻くことなどできない。


 別れの挨拶を切り上げ、私とベネンソンは、ジバクマの面々に背を向けて東へ歩き出す。


 彼らはここから首都に向かって南進する。東進する我々とは進路が直角に分かれることになる。すぐに北へ向かわないのは、せめてもの偽装である。


 マール達を欺くためというよりも、もしもオルシネーヴァの部隊が足跡を追ってきていた場合の偽装である。北と南に足跡が分かれるよりも、東と南に足跡が分かれるほうが陽動になるだろう。南に首都がある以上、限定的な効果でしかないだろうが……


 集められた限りの水分兼食料は彼らに持たせた。主要街道からは離れている。


 マールは強い。索敵さえ成功すれば、そうそう魔物相手に下手を踏むことはないはずだ。


 少し気になるのは、ゲダリングから逃げた初日、藪の中へ忽然と姿を消したローブの男。奴には見覚えがある。奴を前に見掛けたのはマディオフかジバクマか、あるいはこれも「前」の記憶なのか……


 いずれにしろ、あの男は子供やマールらを襲うことはない。根拠薄弱にもかかわらず、私の心は、そう確信している。あの男に対する強い疑心は湧いてこない。消えた男は警戒しなくてもいいだろう。


 ジバクマの面々にはなんとか首都まで逃げ延びてほしい。


 そして、彼らばかりを心配してはいられない。我々も無事、かつ期限内に学園都市まで戻らなければならない。新年度開始まで、あと二十七日。また何かに巻き込まれない限り間に合って戻れる。何にも巻き込まれてはならない。




 数時間ほど東進した後、進路を北へ変える。数時間とはいっても、私とベネンソンの二人だけである。進んだ距離は、ジバクマ人達と行動していた時の半日分近くに相当する。


「彼女達が無事首都に辿り着いてくれるといいな」


 ベネンソンがボソリと(つぶや)く。


「ベネンソンも心配しているのか」

「二日以上一緒にいたんだ。持つな、と言われても関心を持ってしまうだろう。それにジゼルさんだっているしな」


 そう言って私の肩をポンポンと叩いてきた。


「ジゼルさん? なんだ、ベネンソン。もしかしてあの中に好みの女でもいたのか?」

「……お前、それ本気で言ってるのか」


 ベネンソンは、心底呆れた、という目で私見ている。


「な、なんだよ。ジゼルサンって、人間の名前じゃなくて何かの符牒か?」


 ベネンソンはとうとう頭を抱え始めた。


「本当、何もわかってないんだな。お前のことを好いている、あの女性のことだ。今日も彼女は別れを惜しんで涙を流していたじゃないか。流した涙を返せ、と言われてもおかしくないぞ、今のエルキンスの発言は」


 ベネンソンが勝手にジゼルの代理人として私を糾弾しだす。


「お互い自己紹介もしてないのに、名前など知るはずがない。むしろなんでベネンソンは名前を知っている? 私が知っているのは、大人だとリッキーとマラカイの男二人にマールくらいのもの。あとはジェダと思しき子供に見当をつけているから、合わせて四人が精々だ」

「休憩の時とかに色々と聞かれたんだよ、お前について。恋人がいるのか、とか、出身はどこなのか、とか、食べ物は何が好きか、とか。話をしていれば名前くらい覚えるだろ」


 私の知らないところでベネンソンは恋愛相談を受けていた。そいつはお疲れさんだったな……


 この切迫した状況におかれながら、ジゼルという女は余裕がある。なんなら非日常を楽しんでいたのかもしれない。逃避行や駆け落ちする恋愛小説のヒロインと自分を重ね合わせていたのではなかろうか。


「それをこの朴念仁ときたら、名前すら覚えてあげていない、ときたものだ。元相方でも女性の名前を間違えることはなかったぞ!」


 ベネンソンの怒りは次第に熱を持っていく。今のベネンソンの怒りは、アッシュに対する不平不満と一絡(ひとから)げになっているような気がする。


「ベネンソンとジゼルとの間で行われたやり取りから察するに、ジゼルが私に好意を抱いていたのは間違いないようだ。ただ、気付いたところで、何も変わりはしない」


「前」も「今」も私は恋愛能力が皆無に等しい。女がどういう思いを私に対して抱いているかなど、(ごう)も分からない。


 それに分かったところでどうせ私は……。私がリディアに対して抱いていた感情。あれは本当に恋愛感情だったのだろうか。そう思い込んでいただけで、本当はもしかしたら……


 リディアのことも、ジゼルのことも、今考える必要はない。たった今、自分で言ったばかりではないか。『気付いたところで、何も変わりはしない』と。


 意図して変えたくば、どうするか? 私はもうその答え(のうりょく)を手にしている。贖罪のためにも、可能な限り終極が近付くまで、この能力を使わずに生きていきたい。


「せめて別れるときに一言くらい言葉を掛けてやれば良かったというのに。そういえばエルキンスは、ドノヴァンという人間に頼まれて人助け、とか言っていたな。彼女達を助けた真の理由は何なんだ? 本当のことを言え。……さては、ジゼルさん以外に一目惚れした女性でもいたのか。あの中に!!」


 私の気も知らず、ベネンソンは妄想を色めいた方向へ転がしていき、得も言われぬモヤモヤとした感情が私の胃を押し広げる。浮気を疑われた無実の夫の気分とは、こんなものなのだろうか。


「随分下世話な心配をしてくれている。理由は初日に言った通りだ。もう少しだけ詳しく話しておこう。ベネンソンはジェダ・ドロギスニグを知っているか?」

「ああ、全員で守っていたあの少年のことだろう?」


 少年めいた顔立ちの少女だと思っていたら、まさしく少年だったのか。ジバクマの命名規則はよく分からない。


「ジェダについて、他には何を知っている」

「それくらいのことしか知らない。有名人物なのか?」

「ああ。湖畔の村でベネンソンと別行動を取っていたときに、観光者達が口にするジェダの噂を耳に挟んだ。私はそれでジェダのことを知ったのだ。ジェダはクフィア・ドロギスニグの子供だ」

「ライゼンの子供……。確かに同じ家名だ」


 私が閑談において他者よりも詳しいというのは珍しい状態だ。


「私はゲダリングでお前と別れた後、轟音の音源に向かった。轟音が放たれていたのは街の北側に位置する聖堂で、その中ではジェダを狙い襲ってきたオルシネーヴァ軍と、ジバクマ軍の軍人ドノヴァンが戦っていた。マール達が『レイハ中佐』と呼んでいた男だな。ドノヴァンはほぼ全てのオルシネーヴァ兵を倒した代償に、助かる見込みのない重傷を負っていた。私が聖堂に着いた時、ドノヴァンはもはや今際(いまわ)(きわ)だったのだ。ドノヴァンはこの剣を対価に、ジェダを守るよう、私に頼んできた」

「それでお前は剣をマールさんに渡すことを拒んだのか。渡してしまえばお前が少年を守る理由も無くなってしまうから。結構義理堅い奴だな」


 私はここまで嘘を一つも喋っていない。事実を部分的に口にすると、ベネンソンのような理解になる。


「だが、一時の正義感に駆られて勝てる見込みのない格上の敵に挑むのは、褒められた行為ではない。死んでしまったら、全ておしまいなんだぞ」

「マラカイが深手を負わずに耐えられていれば、多分ルーヴァンには勝てていたよ」


 数は強さである。一対一では勝ち目がなくとも、数を揃えて囲いこめば、勝率はぐっと上がる。


「減らず口を叩く。奴も追い込まれれば、思いがけない奇手を繰り出してきたかもしれない。まだ見ぬその手すら防ぐ自信があるというのなら、それは過信に他ならない」

「そこまで言うつもりはない。交戦前に正確に彼我の実力差や戦力差を見抜くのは難しい。しかも、戦力差は刻一刻と変化する」

「その把握ができなければ死ぬだけだ。手合わせならともかく、戦争時、盗賊を相手にする時、魔物を相手にする時、というのは、勝てない勝負を挑んではいけない」

「戦闘狂じゃないんだ。普段はあのような無謀な戦いに身を投じない」

「死ぬのに回数は必要ない。たった一回冒険するだけで、十分に落命しうるのだ」


 冒険者(ミスリルクラス)が冒険に挑戦することそのものを否定する、か。ベネンソンは私のことを心配して言ってくれているのだ。これ以上とやかく反論することもないだろう。


「ベネンソンの言いたいことは理解した。たっぷりと迷惑をかけてしまったな」

「全くだぞ。本当はこの旅で貸しを返してもらうはずだったのに、前以上に貸しを増やしてしまった」

「この借りは就職先(だいがく)で返そう」

「エルキンスはハントの事しか知らないんじゃないか? 職場(だいがく)でそんな機会が訪れるだろうか……」


 カリナの一件のように清く正しくない手法であれば、大学でも私の力を発揮する機会はいくらでもある。事務棟を見る限り、大学は防犯意識が希薄である。私の倫理観が崩壊すれば、大学の運営を破綻させることすら何も難しくない。


「それを証明するには、兎にも角にも職場に戻る必要がある。これから寄り道せずに真っ直ぐにもどれば、期日の少し前に戻れるはずだ」


 大学について最近は専ら、期日に間に合って戻ること、しか考えていなかった。重要なのは、戻った後のほうである。


 学園都市に戻ったら、何から手を付ければいい? 合格後の入学手続きはイオスが手配した代筆屋が行ってくれているのだったな。試験に受かったかどうかよりも、代筆屋が仕事をしているかどうかのほうが不安だ。入学料を持ち逃げしてはいないだろうか……


 別にイオスに金を支払った訳ではないから、私の懐は痛まない。ただし、一年間を無駄にする。


 よく考えてみると、入学が一年遅れたところで講義やゼミが無い分、イオスを手伝いやすくなるし、剣や闘衣の鍛錬には同好会があるから困らない。金はハントで稼げばいい。魔法は……広い学園都市であれば、きっとどこかにいい練習場所があるのではないだろうか。客員とはいえ、イオスは教授である。イオスの名前で演習棟を借りられれば、そこで魔法を練習したっていい。


 うむ。やはり一年程度の遅れには、別段明確なデメリットが無い。それに、ここでいくら悩んだところで、『何も変わりはしない』のだから、足を止めて考えるのは無駄である。気に病むより、一日も早く帰ることだ。


 私は思考を放棄し、マディオフ目指して北へ進むことに集中した。

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