第五四話 魔法の到達者
勝負を決するためにルーヴァンに向けて振るったその一撃は、アルバートとして生きた中で最も速く鋭い一撃だった。剣を振りながら、生涯最高の一振りだという実感すら抱いていた。
しかし、ただ一心に最高の一振りを求めた結果、剣の軌道はあまりにも素直なものとなり、完全にルーヴァンに読まれてしまっていた。
ルーヴァンはゆっくりと私の剣を弾く。
ゆっくりと……?
ああ、この緩慢な時間の流れは、グレンに初めて絶を披露されて一本を取られたときと同じだ。あの時グレンが寸止めしてくれたように、ルーヴァンも寸止めしてくれるだろうか。そんな訳がない。
ああ、死んだ……
生きる希望を手放し、私の身体に撃ち込まれる最後の銀閃を見届けようと穏やかな気持ちで身体を弛緩させた瞬間、ルーヴァンは初めて余裕の表情を崩し、後方に大きく飛び退いた。それと同時に私の眼前、ほんの目と鼻の先を巨大な氷柱が猛烈な速度で左から右へと飛んで行く。この魔法は……
敵味方関係なく、その場の全員が魔法の主を探す。
魔法が飛来した方向。そこにはフードを目深にかぶり、魔法杖をかざした者が立っていた。魔法杖からは沸々と靄が醸されている。
ベネンソンだ。ベネンソンが来てくれた。
ベネンソンは足を止めずに歩いたまま、魔力を溜める。チャージは一瞬。溜め始めたと思った次の瞬間には、私とルーヴァンの間に巨大な氷の壁が出現する。
分厚く高い氷の壁が、辺りの空気を一変させる。冷気と共に壁から吹き下ろす緊張感が、この場の何もかもを掌握していく。
ベネンソンは更に魔法の手を重ねる。魔法杖の前方に何本もの野太い氷柱を作り上げると、それを続けざまにルーヴァンへ向けて放つ。
ルドスクシュが放っていたアイススピアーと比べると、氷柱の絶対数こそ少ないものの、氷柱一本一本が信じられないほどの魔力を有している。径は太く、丈は長く、ルーヴァンや私程度の剣では到底切り払えないほどに大きな柱である。
ルーヴァンはベネンソンに対抗して、何か魔法を放とうと溜めを行っていたが、極めて短い間隔で襲い来る氷柱が、ルーヴァンに魔法錬成のため足を止めることを許さない。
ルーヴァンは数本の氷柱を回避したところで、氷柱を回避しながらの魔法構築が不可能であることを悟り、チャージした魔力を霧散させて氷柱回避に努め始めた。
氷柱に追いやられる形で、ルーヴァンはどんどんと我々から遠ざかっていく。距離を取れば回避が容易になりそうなものだというのに、実際にそうはならない。
ルーヴァンが離れれば離れるほど、ベネンソンの氷柱は、高弾速、短間隔、高威力になっていく。息切れをしなければ、照準にだって狂いはない。これでもまだベネンソンは余裕があるのだ。
これがミスリルクラスの魔法使いが操る魔法。一体どれだけの……
先ほどまでルーヴァンの顔に浮かんでいた余裕の表情は影も形もなくなった。焦りと恐れがはっきりと分かる顔で、無様なまでに必死に氷柱を回避している。
表情が判別しにくくなるほど遠ざかったルーヴァンは身を翻し、襲い来る氷柱を警戒して振り返り振り返りしながら、ゲダリングの方向へと走り始めた。
逃げるルーヴァンを見て、ベネンソンの手が止まる。
「ベネンソン、追わないと!」
声を張り上げ、ベネンソンに追撃を促す。
ルーヴァンは私のペンダントを持っている。何としてもここで仕留めたい。
「闇雲な追撃は危険だ。向こうにはどんな敵が待ち構えているか分からない。退かせただけで十分だ」
逃げたルーヴァンに、ベネンソンはもう興味を示していない。
くそっ!! 私一人では奴を倒せない。ベネンソンの力を借りないことには……。ここは諦めるしかないのか。
氷柱の雨が止んだことで、ルーヴァンは振り返ることを止め、脱兎の如く走り出し、すぐに木々に隠れて見えなくなっていく。憎きルーヴァンの背中を、私はただ悔しさを噛みしめながら見つめることしかできなかった。
「馬鹿者、何をしているんだ!!」
ベネンソンは、かつてない怒りを露わにして私を怒鳴りつける。
「通りすがりに……人助け」
何とも苦しい言い訳である。本当の事は、どうしたって言えない。
ベネンソンは苦々しく私を一瞥すると、ダラリと頭を垂れ、両手で口元を覆った。
「そんな自己犠牲の精神など……。危うく自分が命を落とすところだったんだぞ」
随分本気で怒っている。そんな長い付き合いでもないのに、なぜこんなに心配してくれるのだろうか。
「その方は我々のことを救ってくれたのです。どうかお怒りを鎮めてください」
私と一緒に戦ったジバクマ勢の一人、プラチナクラスの部下が兜を脱いで、ベネンソンを宥める。
戦闘の邪魔にならぬようにアップにした髪が、汗で艶がかっていて一目で女と分かる。
ああ、そうだ。こいつは女なのだった。力強い低音の声をしているから、ついマディオフ人の意識で、男のように錯覚してしまっていた。ここで得た新しい知識に順応しきれていない。
「みっともない所を見せてしまいました。ここも、いつ敵が再び顔を出すか分かりません。できる限り早くこの場を立ち去りましょう」
ベネンソンは落ち着いて女軍人に速やかな避難を促す。ジバクマの人間にまで噛みつくほど、頭に血が上ってはいないようだ。
そういえばジェダ・ドロギスニグという子供は無事だろうか。顔を見るだけで、私にそれと分かるかどうか……
女子供のほうへチラリと目をやる。
十人ほどが寄り添っていて、盗み見る程度だとはっきり分からない。開き直り、グルリと顔を向けてジェダを探す。
密集した人間の真ん中で、一番大切に守られている感じのする、背丈の一番小さいあの子供。あれがジェダのはずだ。年の頃は、十を少し過ぎたくらいで、少年のような顔立ちをしている。名前からすると性別は女。
今の今まで殺し合いがこの場所で繰り広げられていたにも関わらず、彼女に脅えた様子はなく、とても落ち着いている。怖がっているどころか、ふてぶてしさすら感じるほどだ。
魔力はそこまで強くはない。エルザが十歳くらいの頃の魔力はたしか……少し昔のことを思い出して考えてみる。
私の記憶が確かであれば、ジェダの持つ魔力は、同年齢に換算した時のエルザと同等以上だ。将来的な魔力量は私を余裕で上回りそうである。それに、魔力と容姿だけではない、言葉では言い表せない"何か"が、彼女の将来性を感じさせる。
何か、とは何なのだろう。カリスマ性というやつだろうか。少なくとも魔力に関しては珠玉の才があり、魔力以外にも摩訶不思議な印象を私に与える。確かにこの子供は強くなりそうな予感がする。
部下に護衛され、世話係だろうか侍女のような者に囲まれて、この特別扱い。ジェダは王族諸子弟に準ずる厚遇を受けている。この将来の嘱望のされよう。ジバクマには大人になったときの能力を予測する魔法でもあるのだろうか。
しばし、戦地であることも忘れ、マジマジとジェダを眺めていると、ベネンソンが私の首根っこに手を伸ばしてきた。
「女性を眺めていい御身分じゃないか、お前は。私の怒りがまるで堪えていないようだな。一目惚れでもして正気を失ったか」
ベネンソンの声は怒りで震えている。
それは全くの勘違いだ。女と言ってもジェダは子供であり、そういう好奇心で見ていたわけではない。
しかも傷口のある私の首を、そんなに力をこめて握るのではない。
反論したくとも、ベネンソンの喉輪にこめた力が凄まじく、全く声が出せない。いい加減本気で苦しくなり、首を握り潰さんばかりのベネンソンの手を何回かタップすると、ようやく力を緩めてくれた。
「氷の魔術師と呼ばれる方でも、身内のことになると冷静ではいられないのですね。その方は貴方のお弟子さんですか?」
「……」
女に尋ねられたベネンソンは、あらぬ方向を見つめて黙っている。あまり嘘が得意ではないようだ。
私が撒いた種である。代弁するとしよう。
「我々は名の無いハンターだ。今日この場を通ってはいないし、誰にも会ってはいない。無論、氷の魔術師などがジバクマにいる訳がない。あなた方は自力でオルシネーヴァの手勢を退けた。事実はそれだけだ」
口を閉ざしたベネンソンに代わり、密入国者と避難民、お互いが取るべき道を提示する。
「そんな……。私達が救われた、という事実は変わりません」
私の言いたいことを、女はすんなりと理解してくれない。ベネンソンの魔力がざわつき始める。ベネンソンは心優しいやつだ。しかし、限界を超えるといきなり実力行使にでるかもしれない。もう少し私のほうから女を強く押したほうがいい。
「救われた? 分かっていないな。ではもう一つ可能性を提示しようか。今ここであなた方が命を失ったところで、犯人はオルシネーヴァ軍と信じ、誰も疑わない。もし、我々に敵対的な発言を繰り返すようであれば、この場に悉く骸を晒す未来は今からでも有り得るのだぞ」
より分かりやすい形でこちらの意思を示し、本気の証として剣の柄に手を伸ばす。
さあ、どうだ……ここまでやれば、我々の要求を理解してくれるだろう。
ゴンっ!!
不意に後頭部に衝撃が走り、前方に倒れこみそうになる。
ベネンソンが私の後頭部を殴ったのだ。
「なんで喧嘩腰なんだ、お前は!! 申し訳ありませんね」
私の非礼をベネンソンが謝罪する。
「いえ……お二人にも事情があるのでしょうから」
「私達は個人的な用事でここにいただけです。国や軍とは一切関係がありません。それだけは信じてください」
ベネンソンは女に頼みこむ。軍人としてジェダを護衛する彼女にも、立場というものがある。生きて安全な場所に辿り着いた暁には、必ず何らかの形で上層部に報告を上げなければならない。我々が素人劇を演じたことで、報告内容に手心を加えてくれることを切に願う。
私自身はどうでもいい。自業自得である。しかし、私が密出入国したことが露見すると、軍人である父やエルザに迷惑がかかるし、イオスにだって迷惑を掛けることになってしまう。私がでしゃばりさえしなければ、ベネンソンの正体が彼女らにバレることはなかったのだから。
「仰りたいことは理解いたしました。話は変わりますが、そのレイハ中佐の剣を返していただけませんか」
彼女は私の腰に提がった剣に視線を落とす。その目は懇願とも悲嘆ともとれる交々の感情に満ちている。
「この剣は略奪や死体漁りなどの違法行為を経ず、ドノヴァンと私の両者の意思で正当に私の所有物となった。あなたの気持ちはお察しするが、譲ることはできない」
それを聞いた女はしばし苦渋の顔を浮かべた後、ふと何かを思いついたかのように表情を切り替える。
「そうですか。それでは少しだけお待ちいただいてもいいでしょうか」
「同じ場所に長居すべきではない。手短に頼む」
私がそう言うと、彼女はジェダのほうへ歩いて行った。
「おい、その剣はどこで手に入れたんだ」
ベネンソンが疑いの目で私を見てくる。
「轟音の中心地だ」
「本当に盗んだんじゃないだろうな」
「私がそこに辿り着いた時、剣の持ち主は生きていた。そこで少しやりとりがあったんだ。その時にこの剣と、そこにいる子供を守ること、この二つを託された、ってところだ」
ベネンソンに説明するため、ジェダを指さす。
ん? 何か視線を感じる。それも今までに感じたことの無い異質な視線を……
指さす先にはジェダがいて……更にその先、木の幹の後ろに誰かいる? まだ誰か潜んでいたのか!!
不吉極まる視線の主に対応するため、ベネンソンの横を飛び出して、剣を抜きつつ、木の陰目指して走る。
私が走る経路には、途中にジバクマの者達がいる。プラチナの女は私が襲い掛かってきた、とでも思ったのか、慌てて剣を構える。
邪魔だ。
ジェダを中心に三角に避けるように通り過ぎると、件の不審な人物は林の奥へ走り去ろうとしている。
着用しているローブのフードが頭からずり落ち、後ろ髪をなびかせている。一瞬だけ見えた横顔は、男の顔立ちをしていた。
男は信じられない速さで走り、林の中に広がる濃い藪に飛び込んで姿を隠した。
私もすぐに藪の手前まで走り着き、藪の中の気配を探る。しかし、全く気配を感じない。
藪の中を人間が逃げようとすると、どうしても葉擦れの音が響くはずだというのに、吹き抜ける風が作り出す自然な植物のざわめきしか聞こえない。木の後ろに立っていたときに、少しだけ見えていた男の魔力にしても、どこにも見当たらない。
どうなっている。
藪の中を進むのならば、音で分かる。藪の中で息を潜めているのなら、魔力で分かる。それが、異音も魔力もどちらもないのだ。
藪の中、地面にぽっかりと抜け道の穴でも開いているのだろうか。そんな都合よく?
慎重に藪の中を探っていると、遅れてプラチナの女が駆けてきた。
「一体なんだというのだ!!」
「その木の裏に男が一人隠れて、こちらを覗いていたのだ。私に気付かれた後、男は逃げ出してこの藪に飛び込んだ。見えていなかったのか?」
「なんだと!? 私にはお前以外誰も見えなかったぞ……」
どいつもこいつも鈍すぎる。本当にこんなので護衛が務まるのか?
ハンターではないにしろ、剣の腕を磨くだけではなく、視線感知能力や隠れた敵を察知する能力も鍛えておいたほうがいい。
そう思う私自身、男を逃してしまった手前、そのまま口をつぐんでいると、女の後ろから声がする。
「マール、大丈夫です。戻ってください」
声を上げたのは、ジェダの横にいる女の一人だった。
「しかし……」
マールと呼ばれたプラチナクラスの女は、まだ私を警戒して構えを崩さない。
体勢はそのままに、仲間のほうに数秒だけ目を向けると、マールは剣先を下げた。
「そう言うのでしたら……分かりました」
この女の名前……マール……。
この女がそういう本名であることに、何も異論はない。しかし、外国人としての感覚から、マールという名前が女につけられていることに違和感を覚えて仕方がない。マーラならマディオフ人感覚としてもしっくりくる。マーレなら、マディオフではない、また別の国の女性名として適当だ。
訝る私をよそに、マールはジェダの下へ戻っていった。
私はジバクマ人達を無視してそのまま数分ほど藪を探る。藪の中にいくら虫を走らせても、人の姿はおろか、誰かが隠れられそうな穴や抜け道の類など、手掛かりとなるものは、何も見つからない。安堵の得られぬまま、私は男の捜索を諦めるしかなかった。
諦めてベネンソンの所へ戻ろうとすると、マールが話し掛けてくる。
「中佐の剣はあなたに託すことにいたしました。どうか大切にしてください」
諦めきれていない切なげな表情でマールが私に剣を託す。当然、ダメになるまで使うさ。これは私の剣なのだから……
「代わりに一つ、何卒頼まれてはいただけないでしょうか」
何を言いたいかは想像がつく。ベネンソンをチラリと見やると、眉を顰め、首を横に振っている。
「我々はこれから首都へ向かいます。子供達を安全な所に届けるまで、護衛をしていただきたいのです」
予想通りだ。気安く引き受けられるような頼み事ではない。なにせジバクマは戦争中であり、我々にとってジバクマは外国なのだ。このままジバクマに残り、ジバクマの国民として国家と命運を共にする。それ位の覚悟がなければ首都までは行けない。
私には、まだマディオフでやりたいことがある。むしろ、ジバクマに来たことで、やらなければならないことが一つ明確になった。
……けれども、ここで見限った場合、彼女らが無事に逃げて生き延びられるか、甚だ疑問である。
「首都の方角と所用日数を教えてくれ」
外国人丸出しの不用意な発言をしてしまう。ベネンソンが私の背中に向ける視線が少し厳しくなったのを感じる。実際問題、地理が分からないのだから聞いて確かめざるを得ない。
「首都は南東の方角にあります。私達の足でも、十日もあれば十分に辿り着けるでしょう」
十日……。彼女らにとっては片道でも、我々にとっては往復だ。オルシネーヴァがこれ以上追ってこなかったとしても、やはり無理だ。
「既存の街道は使わず、ここから真っすぐ東に向かうのであれば、二日間だけ行動を共にしよう。その先の道は自分達で進んでくれ。もし首都への最短の道を選ぶようであれば我々は一緒には行けない」
「おい、勝手に決めるな」
ベネンソンに何の相談もなく話を進めるものだから、彼は怒っている。
だが、私は何となくで喋っているのではない。これでも私なりに考えた折衷案だ。
ベネンソンに耳打ちする。
「すすんでこれ以上迷惑をかけたいわけじゃない。ベネンソンとはまた別行動になっても構わない」
既にたっぷりと迷惑をかけてしまっているのだ。これ以上迷惑はかけられない。ジェダと彼女らを助けるのは、ベネンソンとは無関係の私の使命である。ベネンソンと別れたほうが、私は自分の納得のいくところまで彼女らを助けられる。
ベネンソンはわざとらしく深いため息を衝いた。多分こんな感じでアッシュに散々振り回されてきたんだろう。損な男である。
今に限っては、いい人であろうとする必要はない。ベネンソンが来なくとも、私は彼女らにもう少しついていく。それはもう決めている。
マールは他の者達とひそひそと話し合った後、互いに頷きあう。決はとれたようだ。
「可能な限りで構いません。どうか守っていただきたい」
「任せておけ。それにあたって必要な話は、移動しながらにしよう。ここに留まるのは危険だ」
「分かりました。みんな、移動しよう」
一気に増えた所帯で東へ移動を開始する。ベネンソンは否定も肯定もせずについてきた。
もう夜は間近である。こんな敵の目と鼻の先では、夜も休むことができない。少しでも日の光が道を照らすうちにゲダリングから離れなければ……
「ベネンソン、足跡は消せるか」
不満一杯のベネンソンに仕事を割り振る。ついてきている以上、戦力としてはたらいてもらう。
「ああ、上手くはないがな」
「これから夜になる。形だけで十分だ。殿を頼むぞ。マール。ここから東に進む際の注意点を述べろ」
私が仕切り始めたことで、マールは顔に不快の感情を見せている。
「数は多くないがジャガーがいる。夜は活動が活発になる」
「有毒植物は?」
「そんなもの、どこにだって生えている」
「触れるだけで毒性を発揮するタイプの植物だ」
「それならば種類は多くない。この辺りでそういう植物はどれも独特の臭いがあるからすぐに分かる」
マールは強さだけでなく、この雑木林を歩くのに役立つ知識を有していそうだ。
「よし、お前は私と一緒に先頭を歩くぞ」
「それではパーティーの真ん中が手薄になる」
「まだ大人はいるだろ?」
「マラカイもリッキーも怪我をしている」
マールが言っているのは、私が参戦する前から怪我をしていたゴールドクラスと、ルーヴァンに倒されたプラチナクラスの部下二人のことだ。
手当を施され、二人とも歩いて移動するくらいはなんとかできる。
「身を挺すれば一撃くらいは代わりに食らうことができるはずだ。初撃から子供を守れば、あとは我々が何とかする。それが不服なら、パーティーからそいつらを弾き出せ」
「人の命を何だと思ってるんだ!」
怪我をしている当人のマラカイとリッキーは、そんな軍人にあらざることなど言わない。それなのに、ジバクマ人員のリーダー代行を務めるマールが社会派なことを言い出すようでは、先が暗い。
「命の尊さを語りたければ、投降してオルシネーヴァの連中にでも説くがいい」
マールは目の端を吊り上げ、その怒りは今にも私に斬りかからんばかりだ。二人の怪我人を気遣い、パーティー全体を危険に晒すなど、あってはならないことである。
パーティーリーダーとして非情な判断を下すのには向いていないマールであっても、今は必要な存在だ。
「子供が大事なのか、軍の仲間のほうが大切なのか、それとも我が身が可愛いのか。優先順位をはっきりさせるんだな。私は、はっきりしている。自分達の命が一番大切だ。そしてその次に大事なのは子供の命だ。お前達大人は子供を守るための駒でしかない。ドノヴァンから、部下の命を助けることまでは頼まれていない。仲間のほうが大切で、子供はどうでもいいのであれば、子供は置いてお前らだけでどこなりと行け。子供は私が守る」
優先順位を付けられていないと、咄嗟の判断を誤りかねない。ここで態度を明確にしておくべきだ。
「我々は命を賭してでもジェダを守る。貴様のようなワーカー風情に、そんな言い方をされる覚えはない」
ワーカー風情ね。ジェダの母親のクフィアも、言ってしまえば近隣最強なだけの、一人のワーカーでしかないはずだ。
「では言葉尻に噛みついていないで作戦の本質にだけ意見を述べてくれ」
「マール、この方に従おう」
私に駒扱いされたパーティー最重傷者のマラカイがマールを諫める。怪我人のほうが、よほど理解がある。
「君がマラカイで、あちらのもう一人の怪我人がリッキーだな。無理を強いて悪いが、隊の中盤、両翼を担ってもらう。頼んだぞ」
浅くない怪我を追っている分、逆にマラカイは覚悟ができている。目に力もあることだ。敵の追撃から逃れさえすれば、怪我を押しての移動であっても、むしろ命が助かる可能性は高いはずだ。
言い合いで時間を無駄にしてしまった。先を急がねば。
◇◇
新造のパーティーでジバクマの林を進む。オルシネーヴァの伏兵と魔物の気配の察知は、先頭に立つ私が行う。有毒植物や路面のコンディションの確認など、道そのものの選定はマールに行わせる。
その後ろに子供と民間人らしき女性達が続き、左右を負傷者のマラカイとリッキーが守る。
最後尾を担うのはベネンソンだ。後方に追手が迫っていないか警戒しつつ、十数人分の足跡の隠蔽に追われている。
獣道のようにあやふやで頼りない小径は、既に途絶えている。道のない林間を、山歩きに慣れていない人間を率いて進んでいるのだから、パーティーの移動速度は上がらない。太陽が落ちて闇が広がるにつれ、ただでさえ遅いパーティーの移動速度が更に落ちていく。
先頭でクリアリングを行う私の速度が落ちる以上に、女子供に疲労の色が強い。これで、誰かに倒れられでもすると、また更に移動速度が落ちることになる。
「マール」
「なんだ」
私に応えるマールの声色は、とても攻撃的である。すっかり嫌われてしまった。息も絶え絶えに返事をされるよりもマシ、と判断しよう。
「しばらく先頭を頼む。速度は落ちても構わないから、歩みを止めるな」
「お前はどうするんだ」
私に対して、何という口の利き方だ。……ああ、別におかしくはないか。
それに、私だってベネンソンに対して敬語を使っていない。公的な場所でもなければ、敬語は基本的に無用の長物だ。
「私は一人でもう少し先を見てくる」
「何っ!?」
私を嫌うあまり、マールは余計な心配をしている。先の言い回しが少しひどすぎたことを反省する。
「心配するな。この先に私の仲間が隠れていて、お前達を殺す算段を立てに行く、などという話はない。雁首並べるまでもなく、私一人で今のお前達を十分殺せる」
「最低の言い種だ。いいだろう、行ってこい」
前後左右、パーティーに迫る脅威が無いことを確かめた後、私はパーティーから距離を取る。傀儡の視界が限界を迎えていたためだ。
傀儡の中で最も大切な鳥を回収すると、夜も空を羽ばたくことのできるコウモリを傀儡にする。より望ましいのは、フクロウやヨダカ。しかし、見つからないことには捕まえることも利用することもできない。
コウモリの環境把握能力は、鳥とは全く違う。暗視に頼った環境把握ではなく、人間の顔を見分けることはできないため、不便には不便。それも操作者の使いようである。地形の把握や生き物を見つけるには十分に役立つ。コウモリが見つけた未知の生ある存在は全て私の敵。そう判断すれば何も問題はない。
傀儡の補充を完了した私はマールの下に戻る。
「もう少し進んだところに窪地がある。そこで休憩にしよう」
「ああ、そうしてくれ。子供達はもう限界だ」
休憩の提案に対し、マールは素直に安堵の表情を見せる。
ルーヴァンと戦った地点を出発し、もう何時間歩き続けたことだろう。子供の足では、大人以上に辛かっただろうに、よく文句も言わずについてきた。
「このまま真っ直ぐ行けば、窪地の場所はすぐに分かるはずだ。私はもう少し辺りを回ってくる」
マールに簡単に指示を出し、ベネンソンのいるパーティー後方へ回り込む。
「ベネンソン、大丈夫か」
「魔力や思考力はともかく、体力的なことを要求されると、もう若くないんだな、と痛感するよ」
「馬鹿、体調の話じゃない。後方の安全のことだ」
「分かっているさ、冗談だ。後ろから特に気配はしない」
さしものベネンソンも敵を感知する能力は私に劣る。ベネンソンの言葉を鵜呑みにせず、私も後方に注意を払う。
怪しい魔力は見当たらない。コウモリの反響定位にも敵らしきものが感知されないことを確認して後方を離れる。
さて、少しばかりの安全は確認できた。今度は休息の準備である。これはコウモリ様々だ。再び一人でパーティーを離れ、行動を開始する。
◇◇
しばらく経過し窪地に戻ると、パーティーは全員窪地に無事辿り着き、腰を下ろして休んでいた。
「どこへ行ってたんだ」
私を見つけたマールがすぐに寄ってくる。
「食料にもなる水分を回収していたのだ」
袋に詰め込んだ果実類をマールへ渡す。
「私達の分はもう一袋ある。その袋に入った分は、好きに分けるんだな。ああ、ヒヤールは全部食べないほうがいいぞ。明日以降の貴重な水分になる」
「水なら沢が所々に……いや、だめか」
「上流側には街道がある。人が通った場所から流れてくる水は全て汚染されていると思ったほうがいい」
「そうだな……」
「毒の果実があったら教えてくれ、私達まで倒れてしまう」
毒という単語に反応し、慌ててマールは袋の中身を検める。
「問題ない。どれも食べられる実だよ」
「そうか。それを聞いて安心した。補給を済ませたら、移動を再開して深夜までまた歩きっぱなしになる。マールも休んでおけ」
休憩が短時間で終わるのがショックだったのか、マールは袋を持つ腕をダラリと落とした。
窪地の縁から頭を出して周囲を観察しつつ、青臭い果実を口の中に放り込む。
横に座るベネンソンが口を開く。
「さっき私に話しかけてきたときにはエルキンスは何も持っていなかった。あれからこの実を集めてきたんだろう? この短時間でよくこれだけの量を集めたな」
「よくも何も、そこら中の木にたわわに結実している」
「この暗がりでは木の実なんて全く分からないし、上のほうになっていれば取るのも大変だろう」
フルーツバットの能力があるため、闇の中でも果実探しは至極容易である。ベネンソンの指摘通り、傀儡なしだと私には闇の中で果実を見つけることができない。
疲れてくると、自分で見たこと行ったことなのか、傀儡でやったことなのか、区別がつかなくなってくる。
それと、訓練を積んでいない人間は木登りが苦手だ。私は木登りに苦労することがない。前に、木登りが上手い、とエヴァに褒められたものである。
この時間帯、果実を見つけることも回収することも人間には困難であり、だからこそ私一人で実を集めに行ったのだ。考えていたのはそこまでであり、能力を秘匿するための言い訳を何も考えていなかった。
「どうってことはない」
言い訳を何も思いつかないので、内容に触れずに返事をする。
「そうか」
ベネンソンは追及せずに、口の端で笑う。
「ずっと気を張り詰めているのも疲れるだろう。見張りは私がするから、エルキンスも少し休んだらどうだ」
「ベネンソンよりも私のほうが索敵能力は高い。起きている間は私が見張るのが一番安全だ。もう少し移動したら私も少し眠る。その時に見張りを頼む」
「まだ移動するのか」
「こういうのは最初の数日が一番重要だ。最初の数日さえ逃げ切ってしまえば、それ以上山狩りの範囲を広げることはできない。我々が最後にオルシネーヴァ人に目撃されたのは、あのルーヴァンという男と戦った地点だ。あの場所からは、まだ数時間しか歩いていないんだぞ。軍を挙げれば容易に周囲一帯しらみ潰しにできる範囲内だ」
ベネンソンは難しい顔をして、手の上で果実を転がす。
「それに、マールがベネンソンの正体に気付いているくらいだ。ルーヴァンとオルシネーヴァ軍だって、ベネンソンの正体を看破しているはずだ。次に我々に迫る軍勢は、お前を殺せるほどの戦力を備えていることだろう。もうここにいる全員が命懸けなのだ。悠長に休息を取っている暇はない。本当は意識の続く限り何日でも走り続けるべきだ」
ベネンソンが手の上で遊んでいた果実を強く握りしめ、闇を鋭く睨む。
「ハントとは全く違う感覚だ。久しく忘れていたよ。軍隊行動でいえば、エルキンスのほうがよほど新鮮な経験を持っているんだったな」
「そもそもベネンソンが私と同じくらいの年の頃、国は既に成立していたんだったか? たしか建国年は……」
「そこまで高齢ではない!」
私のちょっとした冗談を、ベネンソンはわざとらしい怒り方で否定する。その顔は少しだけ笑っていた。
それきり会話は無くなった。
青臭さばかり強く、甘さや美味しさを伴わない果実を無理やり飲み込んだ後、ジェダの前へ向かった。
「身体はあまり休まっていないと思うが、再び移動だ。今度数時間歩いたら、そこから日の出までは仮眠をとる。気力を絞れ」
ジェダは何も言わずに頷く。深刻な顔も悲壮な顔もしておらず、むしろ薄く笑っている。年端のいかない子供だというのに、私のほうが試されているような感覚を抱く。これがジェダ・ドロギスニグ……。ともかく、こうやって聞き分けて従ってくれるのだ。するべきは、余計なことを考えることではなく、一にも二にも移動である。
女子供に持久力強化魔法をかけた後、私は先頭に立って歩き始めた。持久力強化の魔法とは言っても、どこからともなく体力を生み出しているのではなく、自分が有している体力を強制的に先取りしているだけに過ぎない。使い続ければ、身体は消耗に堪えられなくなる。
私も使い始めて二年前後のこの魔法。この年齢の子供に使った場合、身体がどれほど耐えられるものなのか理解していない。徴兵真っ最中の十六、七歳の頃の自分に対しては、日中ずっと使用していても問題なかった。ただし、あの時は粗末ながら食事をとれていた。今は水分代わりの果実だけ。塩と滋養をどれだけ含んでいるか知れたものではない。
子供の心配ばかりもしていられない。緊張、興奮した状態だと、自分自身の疲労度を把握しにくい。彼らより先に自分が倒れないように気を付けなければ。
夜の林の中、パーティーを進める。私はちょくちょく先頭を離れては、体力のない者達に何度もリーンフォースエンデュランスをかけ直す。リーンフォースエンデュランスは魔力消費の少ない魔法であり、自分にかける分にはどれだけ無駄打ちしても魔力の消耗を感じたことがない。そんな低燃費の魔法でも、さすがに何人にもかけ続けていると、ジワジワと負担になってくる。この消耗がこの先もずっと続くと、魔力不足による戦闘力の低下は避けられない。見通しに難あり、だ。
自分の疲労度ではなくベネンソンの懐中時計で移動を続ける時間を決め、その時間を目標にパーティーを移動させる。
歩くこと数時間、時刻は真夜中となり、パーティーの移動を終了して、まともな休息を取ることとする。私とベネンソンは交代で眠る。ベネンソンが最初に眠り、休息時間が半分経過したら、次に私が眠る予定である。
地面に横になったベネンソンの隣で、周囲に注意を払う。
警戒がてら、ジバクマの連中を観察する。女子供は全員休んでいる。部下達は、私とベネンソンのように交代で仮眠を取っている。
マールだけは座って休まずに、立ち上がって巡回をしている。マール達の索敵能力に信用が置けないことは、藪に消えた男の件で明白になっている。魔物も追手も私が見つけなければいけない。
私は座って休息を取ったままでも、傀儡に索敵させることができる。マールも形だけの見張りなどしていないで、戦闘力を維持するためにしっかりと休んでもらいたいところである。
頼れるのは自分だけ。たった一人、不安と戦いながら見えない敵を探し続け、ベネンソンから借りた懐中時計の針が仮眠の交代時間まで回ったところでベネンソンを起こす。
ベネンソンがしっかりと目を覚ましてから、今度は私が腕を枕に横になる。
……
緊張故か、なかなか寝入ることができない。早く眠りに就かないと睡眠時間がどんどん削られていく。向きが悪いのか、と寝返りを一つ打ったところでベネンソンが話し掛けてきた。
「エルキンス、起きろ……」
私は慌てて身体を起こす。
「何だ、敵か?」
「敵はいない。起きる時間だ」
ベネンソンが懐中時計を私に見せる。確かに私の仮眠時間は終わっていた。
寝付けない、と十数分苦悶していたつもりが、その実、二時間経過していた。時間を消し飛ばされたような感覚である。私は、"寝付けない夢"でも見ていただけなのだろうか。
夢も現も分からぬままに、重い瞼を気力でこじ開ける。黒一色だった空の闇に、東の方角から濃青色が染み渡り始めていた。




