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第五三話 転生説の破綻 七

 私とベネンソンは、揃って轟音の発せられた方角を振り向く。建物が連なっていて、地上からでは音の発生源が見えない。


 鳥の目で見てみると、発生源はどうも大きな建物のようだ。塔のように高さだけが際立っている建物ではなく、建築面積の広い宗教施設らしさのある建物だ。


 音の発生源は北側のあの建物でいいとして、街の様子が最初におかしくなったのは北側ではない。西側だ。西側から煙が上がっている。


 西と北、同時多発的に何かが起こっている。


「まずいな。何か事件が起これば街道が封鎖されるかもしれない。急いで街を離れよう」


 ベネンソンは南側へ向かって早足で歩き始める。


 どちらに向かうのが正解だ?


 北側は事の中心地だ。そして、ベネンソンにとって未知の情報として、西側でも何かが起こっている。これだけ見れば、避難するのに適した方角は東か南、ということになる。もしこれが戦争によるものだとしたら……


 ジバクマは東の大国と戦争中である。戦線があるのは東の彼方。長さでいえば、マディオフ本領の東西直線距離と同じくらいあるだろう。戦線から見て、このゲダリングという都市は西の果てにある。東の大国の戦力がジバクマに潜入したとして、それがいきなりこんな西の果てに現れるなど、瞬間移動でも使わない限り不可能だ。


 となると戦争という観点でこの土地に手を伸ばしうるのは、オルシネーヴァかマディオフということになる。


 マディオフがジバクマに攻め込む話が挙がっているなど、聞いたことはない。国家規模が大きくなるほど、戦争戦略というのは国民に伏せられがちであり、我々マディオフ国民の知らない新たな開戦案が水面下で動いていた可能性は否定できない。


 マディオフによる破壊活動だとすれば、下手をすると私は自分の国の兵士に殺されるかもしれない、ということだ。洒落にもならない話である。


 マディオフから見て戦力を最も配置し辛いのが、ゲダリングの街の南側だ。配置しやすいのは、北側、次いで街の東側だろう。西にはフヴォントがあるおかげで、人の行き来が盛ん。比較的戦力を隠しにくい方角である。


 我々が国境を越えてマディオフに戻るためには、最終的に北上しなければならない。まず考えるべきは、事件の中心地であるゲダリングの街から離れることだ。


 ただし、敵が何者かは知っておく必要がある。オルシネーヴァが攻めてきた場合と、マディオフが攻めてきた場合とでは、我々が取るべき逃走経路は全く変わってくる。


 続けざまに轟音が北の建物から鳴り響く。


「ベネンソン、東側へ行こう」

「なぜだ」

「戦争だとしたら、相手はマディオフではなく、オルシネーヴァだからだ」

「確証があるのか?」

「そんなものはない」

「では私の言う通りにしろ。南側へ抜けるのが最も確実で安全だ」


 ベネンソンはこの街のことを知っている。おそらくその判断は正しいのだろう。


 ここにきて、ベネンソンが私の能力と意図を理解していない弊害が顕になる。ベネンソンは一人でも大丈夫だ。独力でマディオフまで帰り着ける。私は私のやりたいようにやらせてもらう。


「ではベネンソン、運が良ければ筏のあの場所で落ち合おう。五日以内に会えなければ先に戻っていてくれ」

「おい、待て。エルキンス、エルキンス!!」


 静止を求めるベネンソンの声を背中に受けながら、私は北の建物を中心に反時計回りに街の東側へ走り始めた。




 街中をジバクマ人が逃げ惑っている。人の流れは東と南の二つの方角へ向かっている。


 時折ジバクマの衛兵か軍人か、装備を纏った戦闘員を見かける。彼ら戦闘員は、逃げ惑う民衆の流れに逆らい西へ向かう。


 西へ走る傍ら、北の轟音にも気をかけている。それでも北に向かう者はおらず、どの戦闘員もまっすぐ西へ向かう。彼らには、西の何かの対応に当たるよう、指令が下りているに違いない。


 ゲダリングの西側で、まず最初の何かが起こり、それに続くように北の建物で二番目の何かが起こった。街の治安維持に当たっている衛兵や軍人には、最初の西側の件に対する命令しか下っていない。だから、北側で新しい事件が起こっていることが分かっても、命令を訂正できる人間が現場にいない限り、稼働した戦闘員は全て西側に向かう。


 人の波をかきわけて進んでいくと、北の建物まで射線の通った場所へと出た。轟音は今も続いている。音源に近付いたこの場所で轟音の正体が何なのか考える。


 最初、爆発音かと思われたこの轟音、この場所で聞く限りだと、何か大きな物体が、より大きな物体に激突して生じる音。そんな印象を受ける。


 魔法やスキル使用によって生み出された現象に伴う音なのではないだろうか。その証拠として、北の建物からは、魔力が時折垣間見える。


 あの建物はなんだ? 傀儡ではなく、自分の目で見ても宗教施設に見える。マディオフよりも色彩感覚に富んだジバクマの建物だから、案外役所の類、公共施設なのかもしれない。


 危険なことは火を見るよりも明らかだというのに、その建物へ行きたい、という強い渇望が自分の中に湧き起こる。


 逃げたほうがいい。逃げるべき。


 しかし、私が求めている"何か"が、あの場所に存在している気がする。イオスを始めて大学で見つけたときと同じ。私が探し求めていたものに、手が届きそうな感覚がある。


 抗うことのできない欲望が、私を突き動かす。あの場所に行かなくてはならない。


 私は、逃げ惑う人間達が作り出す流れに逆らい、建物に向かって走り始めた。




 大通りは歩くも走るもままならないが、込み入った通り、小さな通りはマディオフの裏通りと変わらず人があまりいない。このような状況でも逃げようとしない人間とはいるもので、そういう変わり者は、大通りではなく裏通りにいるものである。


 すれ違う私を見ても、彼らは興味を示さず、ボンヤリとしていたり、何か意味不明のことに打ち込んでいたりする。存在価値を問う意義の無い彼らには意識を割かず、上空からルートを確かめ、袋道に迷い込まないように、大通りを横切らないようにしつつ、目的の建物へ向かっていく。


 走りながら考える。この騒動は、やはり戦争なのだろうか。今日初めて訪れたゲダリングを地上と上空から観察した感想として、この街は防衛に全く向いていない。戦争やテロ行為に備えた街の作りには、なっていないのだ。そういう概念で街作りがなされていない。国境沿いに位置する街とは到底思えない。


 それもこれも、ジバクマとオルシネーヴァの関係が長年良好だったせいだ。外国のこととはいえ、国家間の関係が良好であることは、本来喜ばしいことである。それが、一旦戦争が開始してしまうと仇になる。こんな備えの無い所をいきなり襲撃されては、防衛のしようがない。


 ゲダリングは、オルシネーヴァともマディオフとも近接した都市なのだから、もっと防衛に向いた街作りをするべきだったのだ。……と、ゲダリングに来て数時間の人間ながら、ジバクマ目線で物事を考える。




 しばらく走り、通りを挟んで建物の真ん前に出た。建物の外には人が何人か倒れている。戦闘用の装備のない、見るからに一般人である。戦って倒されたのではなく、逃げる最中に攻撃を受けたようだ。


 何人かは、まだ息がある。私がここに来た目的は、怪我人の救助ではない。話し掛ける理由を探すとするならば、情報収集。背中に怪我を負った彼らのことだ。おそらく有益な情報は持っていない。運が良ければジバクマ人が彼らを助けてくれることだろう。


 さて、どこからこの建物に入ろうか。正面や裏手の大きな出入口は、開口面積に比例した大きな危険度を持つ侵入経路に思われる。


 今、私に向けられる視線はなく、ざっと見回した限りでは、外からこの建物を監視している人間もいなさそうである。私ならではの侵入口(アクセスポイント)を使うことにしよう。


 私は通りを横切り、建物の横手に回り込む。側面の外壁にも、見事なまでに浮彫が施されている。美しい芸術作品が壁を登る難易度を劇的に下げてくれる。私に限っては必要のない浮彫を取っ手(ホールド)にして側壁を登り、二階の開け放たれた窓から建物内へ侵入する。いつの間にか、あの轟音は鳴りを潜めている。


 この建物はさながら聖堂だ。空の傀儡からスリガラス越しに見ると、大がかりな儀式や大集会に使えそうな立派な広間が建物の中心からやや北側奥にあるようだ。色鮮やかなスリガラスが壁の代わりに側面一杯に広がっているところを見ると、この部分は主祭壇。魔力が漏れてきていたのは、その主祭壇らしきところからだった。おそらく主祭壇で大きな戦闘があったに違いない。誰と誰が戦っていたのであろう。


 慎重に気配を探りながら建物の奥に進み、主祭壇を目指す。主祭壇に繋がる翼廊部が近付くにつれ、通路に倒れている人間が増えてきた。


 死体の振りをして伏している人間が、私を攻撃してくるかもしれない。倒れている人間からは距離を取り、少しずつ廊下を進むと、大きな扉と、その扉をこじ開けようとする二人組が見えてきた。扉は戦闘の衝撃のためか、歪んで開けにくくなっているようだ。


 私が二人組を見つけるのに数呼吸遅れ、一人が私の存在に気付いた。遮蔽物の無い廊下を歩いているのだ。どう気を付けても見つかってしまう。


 その者は、私を見るなり、アイススピアーを放ってきた。かなり溜め(チャージ)が早い。急速に練り上げた割に、魔力だって申し分ない。一撃で十分に人を死に至らしめる強さの魔力が込められている。


 アイススピアーを躱しながら、こちらも魔力を溜める。


 魔法を練り上げて放つ直前、もう一度だけ建材を確かめる。


 先程見た通り、大丈夫だ。この建物は、ゲダリングには珍しい石造建築。燃えるような素材ではない。


 私は、やや威力を抑えたファイアーボールを二人組に向かって放った。


 構造上、扉を開けた先に身を隠さない限り、二人組には逃げ場がない。


 二人は着弾点から横に飛び退くことで、ファイアーボールの直撃こそ免れたものの、奥の壁に当たって弾けたファイアーボールの子弾までは避けきれずにいた。


 この範囲攻撃力がファイアーボールの長所である。物を燃やす、という性質上、その範囲攻撃こそが使いづらい点にもなるのだが、難燃性の建材を用いたこの建物ならば、延焼に気を囚われずに済む。火魔法が得意な私にとってありがたい戦闘環境といえる。


 ファイアーボールの子弾を身に浴びた二人は、すぐに倒れずに、身体を燃やしながら、その場で踊り狂っていて、なかなか焼け死なない。


 身体に纏っている闘衣が関係しているのかもしれない。火勢に即したダメージが彼らに入ってるようには見えない。


 取り敢えず距離を取ったまま、クレイスパイクで追撃を行い、一人を撃ち倒す。


 残ったもう一人を観察していると、次第に身体にまとわりついた炎が消えていくではないか。私のファイアーボールは、燃えない石に撃ったところで、こんな短時間に自然鎮火することはない。やはり闘衣があるとダメージが少ないだけでなく、効果消失も早いのだ。覚えておく必要がある。


 先日、ルドスクシュにファイアーボールを撃った際、ルドスクシュの羽根があまり燃えていなかったのも、羽根が燃えにくい性質を持っていたというよりは、ルドスクシュの魔力にかき消されて焼失を免れていた、と考えるほうが自然だろう。


 私は急いで残った一人に近付くと、水魔法で手足を絡めとりつつ、身を焦がす炎を消した。


 ドライモーフのコアを捕らえておくためにフヴォントで咄嗟に使い、ベネンソンに、『氷縛魔法(フロストホールド)』と呼ばれた魔法だ。時間をかけて氷を大きくすれば、かなり頑丈な枷になる。


 力を込めるのには、適切な肢位というものがある。強く屈曲ないし伸展した状態、関節を()められた状態では、どれだけ筋力が強い者であっても、あまり強い力を発揮できない。こうやって適当な肢位で体幹と四肢を抑えてしまえば、力ずくで氷の枷を破壊して脱するのは無理である。こいつ程度の魔力では、魔力ずくの脱出も不可能だ。


 一先ずの安全を確保した上で、この二人が何者なのか考える。こいつらは、私と交戦する前から傷を負っていた。扉の前に死体がいくつも転がっていることを踏まえると、この二人は私が現れる前に、扉の前で相当戦っていたようだ。


 二人の出で立ちはハンター然としていて、衛兵や軍人らしくは見えない。


「おい、お前はジバクマの人間なのか?」


 氷の枷から突き出た顔に質問を行う。


 こんがりと焦げた顔では、人相がよく分からない。体格的には男に見える。男は返事をしない。


「ではオルシネーヴァの人間か?」


 男はやはり答えない。ヒューヒューと、聞いていて不安になるような音を立てて規則的に呼吸をするばかりである。喉が焼けていたとしても、それくらいは答えられるはずだ。ジバクマの人間であれば出身を隠す必要はないはずだ。おそらくこいつは、非ジバクマ人。


 二人が、この建物を防衛する人物ではなさそうなことが分かり、少しホッとする。襲撃者からこの扉を守らんとするジバクマの人間だった場合だけが危惧されたからだ。


 こちらを見つけた瞬間に攻撃魔法を撃ちこんでくる者が、この建物の守護者とは思えない。普通は敵か味方かを見定めるタイムラグがあるはずなのに、こいつらにはそれが無かった。


 目に映るものは全て敵、という認識だからこそ、思考時間零で攻撃ができる。つまりジバクマ側の人間ではない。


 情報を引き出そうにも、口が堅そうだし、ゆっくりと話し合っていられる状況でもないことだ。


 後ろから斬られることのないよう、男を完全に氷の中に閉じ込める。熱傷の苦しみを、その氷の中で時間を掛けて癒やすといい。ものの数分で痛みは何も感じなくなる。


 慈悲の魔法を男にかけ、二人が開けようとしていた扉に目を移す。ファイアーボールの衝撃で扉の歪みが強くなり、隙間が出来ている。隙間に身体を押し込むことで通り抜けられそうだ。


 安全を確かめるため、扉の奥に虫を飛ばして様子を窺う。


 動くもの、生きた人間は一人だけ……こちらを攻撃してきそうには思えない。


 私は熱せられた扉を冷ますと、隙間を通って広間の中へと身を躍らせた。




 広間の中に入り、内観に目通しする。先程の轟音を納得させるだけの暴力の跡が、床、壁、柱のいたる箇所に深く刻み込まれている。上方を仰ぐと、破壊を免れた採光用の高窓部と、吸い込まれるようなアーチ状の天井が見える。この場所はやはり聖堂なのだろう。


 私が立つ高さ(レベル)は、どこもかしこも血で赤く染め上げられ、床には、元は人間だった肉塊が幾つも幾つも転がっている。厳かなはずの、この空間を彩るのは、色鮮やかなステンドグラスでも、規則正しく彫り込まれた浮彫像でも、主祭壇に静かに佇む偶像でも、立ち並ぶ装飾豊かな常明灯でもなく、禍々しいまでに赤く溜まる血と、人であった頃の名前など失ってしまったカス肉と、そのカス肉達が生きた証として刻み込んだ破壊の跡だった。


 鏖殺と呼ぶに相応しい惨状が広がるこの建物は、全体を支える構造に致命的な破壊を受けている。建物そのものが既に死んでいる。崩落の時を待つばかりだ。


 私を除き、この場所で息をするものはたった一つ。


 主祭壇の前で片膝をつき、杖代わりに剣に体重を預け、早く浅く肩で呼吸をしている。その者が纏う鎧は、一部破損して尚、元の触れられざる優美さを私に想起させる。


 鎧に守られた身体に秘める魔力が、目に見えて急速に減っていく。この者は深い傷を負っているのだ。


 この人間が、この場所で生じた轟音と鏖殺の中心人物に違いない。身体は見たこともないほどに大きい。


 私では手が届かないほどの、それこそエヴァを超えるほどの強さがあったのではなかろうか。


 瀕死に見えても油断は禁物。唐突に攻撃してきたとしても回避できるよう、腰を低く落として身構えながら、鎧の者へにじり寄っていく。


「お前は誰だ」


 鎧の者が声を発した。逞しい肉体には似つかわしくない、か細く弱い男の声である。


「通りすがりのワーカーだ。激しい戦闘の顛末(てんまつ)を確かめずにはいられず、ここを訪れた」

「火事場泥棒か。お前が抜けてきた扉の前には敵がいたはずだ……」

「扉の前にいた二人なら私が倒した。敵は、一体どこの勢力の者なんだ」

「奴らはオルシネーヴァの軍人だ。条約を破ったんだ」


 ゲダリングを襲撃したのはオルシネーヴァ軍。この男が指す条約とは、ジバクマとオルシネーヴァ、友好国間で結ばれたものであろう。内容的にはおそらく相互不可侵とかそういったところ。


 条約破棄の原因は、ジバクマと東の大国との開戦だ、と察しがつく。お互いが万全の状態であるうちは、争いが生じない。それが、一方が弱った途端、もう一方が牙を剥く。よくある話である。


 オルシネーヴァは東の大国に脅されて仕方なくジバクマを攻撃したのか、それとも(そそのか)されて喜び勇んで攻めてきたのか知らないが、所詮は外国。特に領土を接する隣国は、決して信用できるものではない。


 剣にもたれかかり立膝をついていた男は、床に崩れ落ちて天を仰いだ。


 露わになった彼の鎧、脇腹の部分はひどく破れ、内臓の一部が顔を出し、トクリトクリと脈動とともに血が吹きこぼれている。


 ああ、これは治せない。


 少なくとも欠損修復以上の回復魔法を使える者がいなければどうしようもない。


 間違いない。


 彼はもうじき死ぬ。


 そう確信した瞬間、私は"ある事"を思い出した。それと同時に私は自分がどれほど深い罪の中で蠢いているのかを理解した。




 そうだ。足りなかったのだ。人の死が。


 私はアルバートとして生きて二十年弱、人の死に接したことがなかった。この年齢になれば、親族の一人や二人を亡くしていてもおかしくないはずなのだが、一人の人間に「死」というものを教えてくれる可能性の高い私の尊属達、例えば祖父母などは、生きているのか死んでしまったのか、すら知らない。エルザやリラードは祖父母について知っているのかもしれないが、私は会ったことがなく、名前だって分からない。


 剣も棍も、自分の手で握るまで使い方を思い出せなかった。死についても、単に想起するのではなく、実際に目の当たりにする必要があった、ということだ。それが自分の死でなかったのは幸運というべきか……


 私は警戒を解いて、臨死の男に歩み寄った。


「残念ながら、あなたに残された時間は残り少ない。名前と、言い残すことがあれば聞いておこう」

「ど……ドノヴァンだ。最期はこんな、泥棒風情に看取られることになるとは……」


 余力が無い割には悪態をつく……。何が最後の言葉になるか分からないというのに。


「盗まれる前に、その剣をお前にくれてやる。その代わりに……一つ頼まれてはくれないか……」


 そう言って、倒れた際に彼の手を離れた剣を指さした。


「何だ。言ってみろ」

「俺はライゼン卿の子供……次代の担い手達を守り、育てていた」

「ジェダ・ドロギスニグとかいう奴か」


 湖畔の村でそんなことを喋っている奴がいた。ライゼンの二つ名を与えられた諸国最強のブラッククラスのハンター、クフィア・ドロギスニグの子供が、親に引けを取らない稀有な資質を秘めている、と。


「オルシネーヴァからの刺客が、子供を狙ってここにやってきた。子供は逃がし、聖堂に入ってきた輩は俺が全員倒した。ただし、聖堂に入ってきた者が刺客の全てではないはず。子供には追手がかかっている……」


 このドノヴァンという男は強い。刺客は、クフィアの子供だけではなく、ドノヴァンの命も狙っていたはずだ。だからこそ、子供が逃げた後の聖堂内外で、これだけの人間が死んでいる。オルシネーヴァ軍は、ドノヴァンを倒すためにそれなりの被害が出ることを最初から見越していたのだ。


「倒した者達以外にも、オルシネーヴァにはまだ手練れがいる。俺の部下だけでは守りきれない。剣の見返りに、子供が無事に逃げ延びられるよう手助けをしてやってほしい。お前は……それなりに腕が立ちそうだからな」

「そのジェダはどこに逃げたんだ」

「東の……うう、気持ちが悪い……」


 聞き取れたのはそこまでだった。それを最後にドノヴァンは苦しみ始め、意味の分からぬうわ言を口にし始める。


 これ以上の会話は無理だ。できることなら、もう少し情報を聞き出したかった。残念ながら、ここまでのようだな……




    ◇◇    




 ドノヴァンが人事不省に陥ってから、しばらくの時間が流れ、守る者を失った鎧が痛々しい姿でその場に残された。鎧の下には出血の凄まじさを物語る血溜まりができている。


 私は、オルシネーヴァの人間を殺しに殺した剣を手に取った。柄を握る手に自然と力が籠もる。一つでも多くオルシネーヴァ人の死体を積み重ねるため、聖堂の出口を探した。




 聖堂から外に出るやいなや、街の西側から煙が上がり始めた。これがまさしく戦火というやつだ。


 ゲダリングでの勝敗など既に決している。街に火など放って何になろう。オルシネーヴァの軍勢は何を意図してこんなことをする。それとも、部下に歯止めをかけられずに起こったことなのか? いずれにしろ、これでは国軍などではなく、暴徒や群盗と変わらないではないか。


 火焔を上げずに燃える義憤がジリジリと心を焦がす。これは本当に私の感情なのか。それとも……


 いずれにしろ、ここでグズグズしていては私の命だって危ない。ゲダリングに居続ける理由はない。


 ドノヴァンは東と言っていた。


 近くの手頃な高さの建物を探し、その屋上に昇る。煙が上がった方向とは逆の東側に目を凝らす。東側では大規模な戦闘は起こっていないようで、魔力の高まりはどこにも見て取れない。


 ドノヴァンの部下はどこへ逃げた? ジバクマの至宝とも言うべき大切な子供を抱えての逃走だ。大きな街道は避けるはず。それが自然な考えだ。


 傀儡を高く飛ばし、より上空から見渡して逃走経路を推測する。


 私ならあの辺りを通るだろうか……


 ふと、視線を感じた。非常に攻撃的な視線だ。視線感知から間をおかずに、矢が幾条も飛んでくる。


 ゲダリングはもはや戦場。市街戦の真っ最中に、無闇に高い所に登ったり、同じ場所に長く留まったりするべきではないな。


 矢の軌道を避けて落ちるように地上へ下り、気配を殺しつつ、傀儡で目星をつけた東の地点へ駆けだした。




 異常事態を察してか、周囲に鳥が全くいない。武具店に入る前に傀儡を作っておいて正解だった。


 今、ゲダリングの街中を彷徨(うろつ)いている人間は、残らず敵だと思ったほうがいい。私はマディオフからの密入国者なのだ。それがジバクマの衛兵だろうが、オルシネーヴァの軍人だろうが、一様に私の敵である。障害となりうる人間がいる地点を避け、東へ東へ、とひた走る。


 走っても走っても街が広がっている。


 ここ(ゲダリング)は、本当に大きい街だ。東西方向の長さはアーチボルクの倍近くはありそうだ。


 普段よりも速いペースで走ることに疲れ、一つ好ましくない説が思い浮かぶ。


 子供を守っているドノヴァンの部下とやらは、馬に乗って逃げてはいないだろうか。


 補助魔法を使っているとはいえ、私の足では馬の駈歩(かけあし)に追いつくことはできない。速歩(はやあし)であれば何とか、というところだろう。


 不安になってきたところでようやく街の東端(おわり)が見えてきた。


 ここに住むのはおそらくゲダリングの最下層民。並んだ粗末な小屋(バラック)の住人達は、避難する様子もなく、無気力に彼らなりの普段の生活を続けている。バラックの更に東には雑木林が広がっている。


 この雑木林には小径(こみち)が東に伸びている。バラックを走り抜け、傀儡から得られる俯瞰の絵を頼りに小径を見つけ、そこへ入っていく。


 小径の地面には、新鮮な足跡がいくつもついている。多数の足跡に混じり、やや深い大きな足跡が見える。これは金属靴(メタルブーツ)の跡だ。


 オルシネーヴァの追手の装備が重鎧(ヘビーアーマー)だと具合が悪い。闘衣対応の重鎧は、私の剣だと両断できない。


 よく考えてみよう。追手はおそらく戦争が始まる前からジバクマに潜入していたはず。そんな人間が重鎧を着込み、逃げる標的を走って追いかけるだろうか。それは不自然な考え方だ。


 潜入地点で用意できるのは、布鎧(クロースアーマー)革鎧(レザーアーマー)のような軽鎧(ライトアーマー)か、頑張ってスプリントアーマーのような中量鎧(ミドルアーマー)と相場が決まっている。重鎧など着ていては、目立って仕方がないし、街中からここまで走り続けるだけで疲弊してしまう。


 私の剣が通る中量鎧程度の装備と強さであってくれよ……


 (いだ)きかけた弱気心を溜め息とともに大きく吐き出し、覚悟を新たにして、小径の奥に足を進める。




    ◇◇    




 小径に入ってから、どれだけ走っただろうか。ゲダリングで増えた二本の剣の重量負担を、両脚が声高に主張している。


 足跡は途絶えることなく小径の奥へと続いている。彼らは私のどれほど前方を走っているのだろう。ドノヴァンが言っていた子供とは、何才くらいなのだろうか。湖畔の村人からも、子供の年齢までは聞いていない。


 ドノヴァンの部下が抱きかかえて走っているのか。それとも部下に励まされながら、子供自身の二本の足で走っているのか。


 木々に遮られ、鳥の目にも小径を走る人の姿は映らない。南側の大きな街道には、木の背が低い箇所だけ、列をなして避難する群衆の姿が見える。


 子供と部下が人ごみに混じっていると、私では見つけることができないし、追手から守るなど夢のまた夢だ。


 彼らが人ごみに完全に紛れ込めていれば、私が手助けしなくとも逃げ切れるときは逃げ切れる。逆に、一般民衆ごと皆殺しにする一網打尽の策を用意されていればそれまでだ。私が彼らに干渉できるのは、この小径を走って逃げている場合に限る。


 ……ああ、腹が減ったな。


 考え事をすることで、自らの空腹に気が付く。


 そう言えば私は今日、昼飯を食べていない。……違うか。露店で少し食べた。……少しではなかった。手当たり次第に食べまくった。


 思考力の低下を実感する。空腹のみならず、ダンジョンから出たばかりで寝不足の身体でもあった。


 疲労に空腹、睡眠不足がパフォーマンスの低下という形で表れている。


 だが、ここは戦地で今は戦時下だ。寝不足も空腹も、何の言い訳にもならない。敵を喜ばせるだけである。


 果たして次に食事がとれるのはいつになるだろうか。


 魔物も現れない、後ろから敵も追ってこない、目標だって見えてこない。そんな中で集中力が切れ始め、気の抜けたことを考え始めたところで、進路の前方から魔力の高まりを感じた。


 前方で戦闘が始まったのか!?


 鳥をドミネートの射程ギリギリまで前方に飛ばす。


 向かった先、林の中には人間が多数いる。


 幼児というほど小さくはない、おそらく十歳前後の子供とそれを囲む女達。そしてそれを守るのは部下達だ。


 その集団に対して魔法を放っているのは三人だ。


 子供側が私の守るべき対象で、この三人が倒すべきオルシネーヴァの追手達だ。


 戦争で出された追手にしては、三人という人数は少ない。ドノヴァンや部下達が三人まで減らしてくれたのだろう。


 懸念された重鎧は着こんでいないから、私の攻撃は通るはずだ。厄介なのは、近距離に三人固まっていることだ。


 一般的な正規軍人の強さは、ハンター換算でシルバークラス。追手として出された彼らが一般水準の強さしか持ち合わせていないはずはなく、押し並べてゴールドクラスか、それ以上の強さがあると考えるべきだ。ゴールドクラスの軍人三人に集中攻撃されると、私では太刀打ちできない。


 私に気付いている様子はないから、奇襲して三人のうち一人は無力化したい。小径を離れ、植物の陰から気配を殺して三人へにじり寄る。


 三人のうち一人は時折周囲を見回すものの、クリアリングは非常に雑だ。魔法の撃ち合いが気になって仕方ないと見える。せっかく後方索敵の役割を与えられているのに、私のことに全く気付いていない。いいぞ、そのまま盆暗(ぼんくら)のままでいろ。


 距離が詰まり、傀儡ではなく私の目にも三人が見えるようになってきた。


 参った。こいつらかなり強い。


 私から見て手前二人はプラチナクラス。私から見て奥側、ジバクマ勢から見ると最前列で上機嫌に魔法を放っている奴は、チタンクラスの強さがありそうだ。


 ドノヴァンの部下達ジバクマ勢といえば、強そうなのはプラチナクラス二人に、負傷した様子のゴールドクラスが一人だ。子供を守りながらの撤退戦。放っておくとジバクマ勢は全滅する。


 私一人だと、上手い作戦でも考えつかないことには、追手三人を倒すことなどできない。


 見捨てて逃げるのなら、すぐに逃げるべき。子供を守るのであれば、ドノヴァンの部下がこれ以上減る前に加勢に入るべきだ。


 しかし、加勢すると言ったって、どうすればいい? 後方から三人に魔法を撃ちこむか?


 私の使える魔法の中で、威力最強はファイアーボール。しかし、林の中で火魔法を放つわけにはいかない。そうするとクレイスパイクか。


 私のクレイスパイクだと、敵の一人も倒しきれないかもしれない。命中しさえすれば、プラチナクラスの一人は倒せるはず。避けられた際の対応が難しい。


 ファイアーボールであれば、本体を避けられても子弾が襲いかかる。ギリギリで避けたところで、子弾を全弾回避することはできない。


 これでクレイスパイクだと、土柱を避けられれば、それで終わりだ。三人のヘイトが全て私に向けられることになるかもしれない。三人を引きつけている間に、子供達を逃がす、などという自己犠牲の作戦を遂行する精神は持ち合わせていない。


 魔法では最強の一手を打てない以上、ここは剣の一撃を叩き込むのが確実だ。




 更に三人との距離を詰めて機を窺っていると、チタンクラスの者が腰の剣を抜いた。魔法戦はやめて、剣で仕留めるつもりらしい。


 追手のプラチナクラス一名も剣を抜く。


 追手の残りの一人は抜剣する気配がない。周囲に注意を向けているのがこいつだ。魔法特化の後方支援型の能力者かもしれない。


 剣を抜いた二人がズンズンとジバクマ勢に詰め寄っていく中、最後の一人だけは距離を取ったままだ。都合がよい。


 チタンの者は、ジバクマ勢の近く、おそらく奴の剣の間合いから少しだけ離れた地点まで歩き寄ると、何事かを喋り始めた。ジバクマ勢は律儀に魔法を撃つ手を止めている。


 声の主は男で、後ろ向きということもあり、全てを聞き取ることはできないが、「ドロギスニグの子供を差し出せば他の者達の命は助ける」という内容のことを喋っている。戦争なのだから、善も悪もないとはいえ、なんとも分かりやすい悪役の台詞だ。


「信じられるか、そんなもの!!」


 ジバクマ勢のプラチナクラスの者が、チタンの男の提案を拒絶する。ジバクマ勢は私側を向いていて、更に大声ということもあり、言葉がはっきりと聞こえる。


 当然のように交渉らしきものは決裂し、チタンの男は剣を振りかぶった。剣を抜いたもう一人の追手も、遅れずにジバクマ勢に襲い掛かった。


 仲間二人がジバクマ勢と剣戦闘をする様を、追手の最後の一人は固唾を飲んで見守っている。後方に対する注意力が更に落ちている。


 やるならここしかない!


 ヴィツォファリアに闘衣を纏わせ、私は孤立した一名へ背後から飛びかかった。その者は最期まで私に全く気付くことなく、なんの抵抗もせずに私の刃を受け容れた。


 闘衣の通わぬ頸部保護の喉輪にヴィツォファリアを食い込ませ、そのまま刃を流し切る。


 首の三分の二を剣が通り、後に残るは、三分の一の筋と皮。


 頸髄が断たれれば、身体に力は入らず。気管を断たれれば声は出せない。


 すすき花火のように血液を吹き出すだけの胴体が、バタりと倒れぬように片手で掴む。胴体から筋と皮でプラプラと垂れ下がる頭部は、得も言われぬ感がある。


 重く弛緩した胴体を、なるだけ音を立てずにソロリと地に伏せさせる。


 一振りで完全に、叫び声さえ上げさせずに仕留められたのは、期待以上の出来である。


 ドノヴァンの部下達は……まだ全員生きている。仕留められるか分からないチタンの男は後回しだ。


 果敢に剣を振るうプラチナクラスの追手に対し、俯角をつけてクレイスパイクを放つ。万が一避けられて、ジバクマ勢に当たったら形勢逆転は不可能になってしまう。できる限り大きな角度をつけて放つ。


 クレイスパイクの風切り音に反応し、追手はその場を飛び退いて私の魔法を避け、クレイスパイクはそのまま地面に突き刺さった。


 素晴らしい反応で魔法を躱した追手ではあったが、無理な姿勢で避けたために体勢を崩し、そこにジバクマの一名から剣の追い打ちを受ける。


 いいぞ、今の一撃は即死の傷だ。残りはチタンの男一人……


 最後に残った追手を見た瞬間、チタンの男の剣がジバクマのプラチナ一名の身体に届いた。叫び声を上げてジバクマ人がその場に倒れる。もう一人残ったジバクマ人、負傷しているゴールドクラスでは、チタンの男の剣を数合と防げない。


 私は全力で走りながら、クレイスパイクをチタンの男に連続で放つ。一人無傷のジバクマのプラチナは、私の魔法の射線を遮らずにチタンの男へ攻撃を繰り出す。


 チタンの男を三人で挟み込む形となり、不利を悟ったのか、男はたまらず距離を取った。


 私は女子供を背中に守る形で、身体をチタンの男との合間に滑り込ませた。


「助力に感謝する。だが、その腰の剣はレイハ中佐の……」


 私の横に立つジバクマのプラチナが、チタンの男を真正面に見据えたまま、私に話し掛けてきた。


 レイハ中佐、か。ドノヴァンの家名と階級は、確かにそのようらしい。


 このドノヴァンの剣、人から悟られぬように隠すことを考えていなかった。密入国者にあってはならない疎漏である。


 私の手抜かりとはいえ、戦闘中にこの一瞬で上司の剣だと見抜くとは、なかなかに目ざとい。部下として可愛げがある、と見たほうがいいのか……


 この剣は、長さ故にローブの下に隠し辛い。でかくて目立つ剣など、こういった場所で持ち歩くものではないな。


「ドノヴァンはもういない。彼の意思を尊重して手助けに来ただけだ。過剰な期待はするな」

「中佐が……!? 聞きたいことは山ほどあるが、今はこいつをなんとかするのが先決だ。力を貸してくれ」

「ああ」


 上手く部下から共闘の申し入れを受けることができた。下手をすれば、オルシネーヴァの追手からも、ジバクマ人からも狙われることになっていたから、ここまではいい流れだ。


 さて、ではここからどうやってチタンの男を倒すか、だ。


 数の上では三対一で我々が有利。しかし、実力が違う。チタンの男は私や残ったプラチナの一人よりも明らかに強い。


 ヴィツォファリアを鞘に納め、ドノヴァンの剣を抜く。貸し与えてくれたエヴァには申し訳ないが、こちらの剣の方が強い。それも圧倒的に、だ。


 数的有利を作り、補助魔法をかけ、手持ちの最強の武器を抜いて……。果たして戦力差はどれだけ埋まったか、あるいは逆転しているのだろうか。


 チタンの男は、自分からは攻めてこず、我々が仕掛けてくるのを待っている。カウンター狙いかもしれない。


 時間をかけてはいられない。こうして睨み合いを続けていたとして、ゲダリングから 敵 (オルシネーヴァ)の増援が来ることはあっても、ジバクマの援軍が来ることはないだろう。


 それに、ジバクマから援軍が来たところで、部下やドロギスニグの子供にとっては味方であっても、私にとっては味方ではない。状況を悪化させる条件が追加される前に、この膠着状態を脱する必要がある。


 自分よりも強い者を前にすることで、後悔がちらつく。チタンクラスの強さと見たら、一目散に逃げ出すべきだったか……


「ルーヴァンがここまで強くなっているとは……。若輩者と侮れん!!」


 プラチナの者が、憎々しげに吐き捨てる。どうやらチタンの男の名前はルーヴァンというらしい。"元"友好国だけあり、顔見知りのようだ。


「ルーヴァンとやらに欠点はないのか」

「奴は剣よりも魔法が得意だ」


 つまり、欠点を前面に押し出して戦っていることになる。


「ルーヴァンは、剣を使って戦っているではないか」

「それはルーヴァンの得意魔法が火属性だからだ」


 得意な火魔法の使用が林の中で制限されるため、仕方なく不得意な剣を使って戦う。どこかで聞いたことがある特徴だ。


 確かにルーヴァンがさっき使っていた魔法は、彼の魔力量を考慮すると、決して褒められた威力ではなかった。それはつまり、ルーヴァンの目的が子供の殺害ではなく、生け捕りであることを意味している。


 殺すことが目的であれば、躊躇なく火魔法を使えるはずだ。


「では剣で戦う方が勝利の目がある、ということになるな」


 むしろ奴には、絶対に火魔法を使わせてはならない。ルーヴァンがファイアーボールを放って林に火の手が回ると、子供を抱えたこちらは逃げ切れない。


「私が正面でルーヴァンの剣を受ける。お前は横からサポートしてくれ。ルーヴァンが後退しても、私は積極的には前に踏み出さない。そのつもりで剣を出してくれるとありがたい」

「分かった」


 本当は挟み撃ちの形を作って戦いたいところである。こちらに守るものがある以上、一方を手薄にはできない。せめてさっき倒されたプラチナの一名が無事でさえあれば、その戦法が取れたものを……


 睨み合いに飽いたのか、ルーヴァンが剣を楽に構えてじりじりとこちらへ詰め寄り始める。慎重なのは足運びだけで、上半身は適度に脱力している。この気安さ、まるで教育隊で新兵を軽くあしらう上官のようだ。


 魔法よりも不得意なはずの剣を握り、それでもなお強さに自信があるのだ。


 初手は取らせたくない。初手を取られると、そのままルーヴァンのペースになってしまいそうだ。お互いの間合いに入ったら、ルーヴァンが動く前に私から手を出す。


 そう決めて慎重に間合いを図る。


 剣を握るグローブの下は手汗でずぶ濡れだ。ルーヴァンがにじり寄ってくるこの時間が、無限の長さに感じられる。


 風に吹かれて流れる木々のざわめきは、今は非現実的なもののように聞こえてくる。


 近付いて来るようで、いつまでも距離が縮まらないように錯覚していたが、気付けばルーヴァンはもうそこまで迫っている。あと少し、あと少しだけ……ここだ!!


 呼息を止めてルーヴァンに斬りかかり、闘衣を纏った剣と剣が激しくぶつかる。


 剣を合し、闘衣同士が衝突しても、お互いに硬直は生じない。"若輩者"のルーヴァンは絶を使いこなしている。絶に失敗したら、私は死ぬ、ということになる。


 しかし、確実に絶を使う、ということは、私と斬り結んだ瞬間に誰かが闘衣の一撃を当てれば、ルーヴァンの装備を破壊できるということになる。闘衣を纏わない闘衣対応装備は、防御力において闘衣非対応装備に劣る。


 シビアなタイミングの要求される連携攻撃をこの付け焼刃のパーティーで実行できるとも思えないが……勝機はある、ということだ。とにかく戦うしかない。




 ルーヴァンと私の撃ち合いが何合も続く。お互い絶に成功していても、基本的に動きの一つ一つはルーヴァンのほうが速い。ルーヴァンが三手繰り出す中で、私は二手半を繰り出し、そこにジバクマ勢二人の横槍が入ることで何とか辻褄を合わせている。


 双方が決め手に欠けている。ルーヴァンは三方に注意を払っていて、深く踏み込めていない。


 我々の力量はルーヴァンに劣る上、味方同士の動きと呼吸を計りかねている。


 私は、ルーヴァンの剣が見えているし、動きも読める。絶の精度だって私のほうが上だ。しかし、剣戦闘のイメージのずれ、そして身体能力の差のために、ルーヴァンの剣に追いつけない。


 搦手(からめて)として、傀儡でルーヴァンの邪魔をしたいところではあるが、私本体を動かすことで集中力は限界である。傀儡操作などに気を取られていては、私本体が瞬く間にルーヴァンの剣に絡め取られてしまう。


 傀儡は、視界を広げるのが精一杯だ。それで十分役に立っている。今のところ、どこからも後詰めが来る様子はない。


 ほんの少し私の意識が周囲に向いたことを察したのか、ルーヴァンが一際鋭い剣を撃ってくる。慌てて身を捻って躱すと、首元を轟音がすり抜けていく。


 剣尖だけは前に出しまま後じさり、ルーヴァンから距離を取る。


 ……!!


 先ほどの一撃は避けきれていなかった。


 私の顔を隠していたフードの端が切れ、首元から生温かい不快な感触がどろりと胸を伝って下へと流れていく。


 一気に心拍数が上がる。


 片手で出血する首元を抑えながら、ルーヴァンを睨む。


 大丈夫だ。


 血は噴き出していない。創は動脈に達していない。頭部の回旋に支障はない。胸鎖乳突筋だって切れていない。首の皮と表在静脈に浅く(かつ)が入っただけだ。この程度の出血で倒れたりはしない。


 恐慌に陥らぬよう、必死に自分に言い聞かせる。しかし、浅いとはいえ、攻撃を受けて流血したことで、無意識に足が後ろに下がってしまう。


 我々が下がれば、ルーヴァンは進む。ルーヴァンは、先ほどまで私が立っていた場所まで前進すると、対峙する私達がまるで存在しないかのように視線を完全に外し、腰を(かが)めて足元の何かをひょいと拾い上げた。


「何だこれ?」


 彼の動作はあまりにも突然だった。隙だらけの所作にも関わらず、戦闘中に行うにしては不自然すぎるほど自然な動作だったため、その隙をついて攻撃することができなかった。


 ……いや、そんなものは言い訳だ。恐怖のあまりに攻撃に転じることができなかっただけだ。どんな理由をつけても千載一遇の好機を逃したことに他ならない。


 恐怖を腹の底に押し込み、両手で剣を握り直す。


 なんとか戦意を立て直した私の前に、機を逃したことよりもずっと許せない光景が広がった。


「なかなか綺麗なアクセサリーじゃん。貰っとこう」


 ルーヴァンが拾い上げたのは、私が母から貰ったペンダントだった。先ほどの一撃でチェーンが切れてずり落ちたのだ。出血に気を取られて気付かなかった。奴にそれを渡すわけにはいかない。


 ルーヴァンは拾い上げたペンダントを無造作に懐にしまい込む。またしても、剣を構える我々を舐めきった振る舞いだ。


 奴の手は服の奥に伸びている。二度も続けて好機を逃してはならない。私は剣を小さく振りかぶり、ルーヴァンに切りかかった。


 ルーヴァンは剣もかざさずに後ろへ退きながら、足捌きと上体捌きだけで私の剣を避ける。


 奴に剣が届かない。


 もう一歩深く踏み込もうとした瞬間、いやな予感がしてギリギリで踏みとどまると、眼前を鋭い斬撃が薙いでいった。


 奴の手はとっくに空いていて、()いて踏み込む私を、今か今かと待ち構えていたのだ。まんまと罠にかかるところだった。


 こうして構えを取られると、私一人では攻めきれない。私の横にプラチナの一人が居並ぶのを待つ。




 こちら側二人は、力みがちに剣を正眼に構える。対するルーヴァンは表情も構えも余裕たっぷりである。


 今度は、ルーヴァンがだらりと剣を下げる。下段の構えではなく、単に弛緩しているだけだ。


 その姿勢からでも私の一撃を防げるという、傲慢なまでの自信だ。何しろ私一人の剣であれば、ルーヴァンは剣を使わずとも躱しきれるのだ。


 だからといって、わざと隙を見せる意味はない。これは頭に血が上った剣を撃たせるために、私を挑発しているのだ。


 奴も同じ展開が続くことを嫌い、打開策を探している。我々にもまだ機がある、ということだ。


 どうすればいい?


 虫を奴の後ろから回り込ませて、視界を塞ぐ形でぶつけるか……。だが、効果は一瞬。虫を払うために片手を使ったとしても、足捌きだけで私の剣を避けられるのだから、片目の視界だけ塞いでも効果は薄い。虫の操作に私の集中力がわずかに割かれることを考えると、有効な一撃を与えることは難しい。


 しかも、ルーヴァンはこちらの油断を見逃さない。ルーヴァンに虫をぶつけるために、私の集中力が落ちる一瞬に撃ってくるかもしれない。そうなると、攻撃するどころか、ルーヴァンの剣を防げるかどうか怪しくなってくる。


 傀儡の操作を完全に習熟したと思い込んでいたが、自分のことに極限まで集中すると、傀儡操作が疎かになるとは知らなかった。それだけ追い込まれることのない、ぬるま湯に浸かっていたということだ。


 数的有利を活かすなら、このプラチナの者を単騎で突っ込ませて、後ろから二人まとめてファイアーボールで焼き払うのは……


 当たったとしても、ファイアーボールでどれだけダメージが通るだろうか。即死することはないだろうし、命中させられるか分からない。


 ファイアーボールの溜め(チャージ)の間に、突っ込ませたプラチナが倒されてしまう可能性は十分あるし、こんな開けた場所だと直撃回避どころか、子弾すら全弾回避されてしまうかもしれない。


 ファイアーボールで倒すことから頭を切り離せ。延焼が起こるから、奴に火魔法を使わせないようにしていたのではないか。焦りのため、自分の思考に統一性が見られなくなっている。


 混乱する私に、傀儡からまた一つ凶報がもたらされる。


 ……まずい。南側から誰かこちらに近付いてきている。速度はあまり速くない。数は一人だけ、か……


 何者であったとしてもこの状況を好転させるとは思えない。悪化させる可能性であれば、いくらでも考えられる。


 干渉可能な距離まで近寄られる前に、ルーヴァンを片付けるしかない。ルーヴァンは近寄ってくる者にまだ気付いていない。もしかしたら途中でルーヴァンが、この闖入者に気を逸らされる、ということもあるかもしれない。それに期待するしかない。


 私は死中に活を求め、遮二無二ルーヴァンへ斬りかかった。

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