第五二話 ベネンソンと歩くゲダリング
ダンジョン入り口で高いのだか安いのだかよく分からない税金を納めた後、我々はゲダリングへ向かう。朝早くに第一セーフティーゾーンを出たため、納税査定の混雑に巻き込まれずに済んだ。
昨夜は遅く、今朝は早かったせいでベネンソンは眠そうである。状況的に、同じく眠いはずの私は眠気を感じていない。
どうも私はゲダリングを訪れることに心躍らせているらしい。表層意識は、それを自覚していない。不思議なものである。
フヴォントからゲダリングはそう遠くない。ベネンソンの前言通り、フヴォントを発ってしばらく歩くと、もう街が見えてくる。
ゲダリングはとても大きな街だった。人の多さは、マディオフの王都を彷彿とさせるほどである。
ベネンソン曰く、面積は王都のジェゾラヴェルカよりも狭いらしい。人口密度だけなら、王都と変わらないのではないだろうか。
同じくダンジョンを近郊に持つアーチボルクとは、街の活気が全く異なる。ダンジョンの売りがアンデッドか鉱物か、という違いは大きいようだ。フヴォントは異色の鉱山のようなもの。現役の鉱山は大きな金の流れを生み出し、金が流れるところは人が集まる。
商人が集まり、労働者が寝泊まりする。鉱山労働者は金を持っている上、商人よりも娯楽に対する金払いがいい。労働者の財布目当ての歓楽街が軒を争い、歓楽街があれば甘い蜜を吸いに、ならず者が現れる。悪人がいれば、それを取り締まる人間に需要が生じ……と、人が人を呼び、大きな社会を形成する。ゲダリングは、鉱山が作り出す人間社会の典型だろう。
墳墓のアンデッドから、もうちょっとましな一般素材を入手できれば、ハンターがもっと集まるだろうに。特に下位のアンデッドは、精石のような希少素材すら期待できないのだから、ハンターからしてみれば、どうしようもない場所だ。
ああ、しかし、価値あるドロップアイテムが手に入るようになった日には、金目当てのハンターと教会や信学校の連中との間で諍いが起きてしまうか。ハンターにとって魅力がない場所だからこそ、教会関係の人間は、いざこざとは無縁で浄罪訓練に励むことができる。
私が現世でアーチボルクのダンジョンに入ることがあるとも思えないから、いずれにしろ私には関係の無い話である。あそこに入るために教会の手下に成り下がりたくはない。
街に入り、フヴォントで獲得した戦利品を換金すると、ベネンソンは私にも分け前をくれた。経費分は引いてある、ということだった。
ジバクマの金を渡されたところで、それがどれくらいの金額なのか分からない。私が自分でジバクマの金を扱ったのは一回だけ。ブライヴィツ湖畔の飯屋において、ベネンソンから小遣いをもらい、一人で食事を取った時だけである。昼飯代にするには高めの額と思われる硬貨一枚を店員に差し出し、何も考えずに釣り銭を受け取ったので、いくらの物を食べ、いくら支払い、どれだけの釣り銭が返ってきたのか、何も分かっていない。
ジバクマの通貨があっても、一人では買い物もままならない。買いたい物がある私は、結局ベネンソンと一緒に歩くほかないのだ。
大きい街といえば露店である。ダンジョンに籠り続けていた反動か、少し寝不足故に浮ついているのか、食欲が止まらない。露店に並んだ屋台飯の物珍しさもあり、ひたすら買い食いし続けた。
ベネンソンは前半こそ私に付き合って食べていたが、私が後半戦に入る前に満腹を宣言し、手を引いていた。
「そんなに脂っこいものを食べて、後で胃がもたれてもしらないぞ」
一人食べ続ける私にベネンソンが呆れて忠告する。
私は胃がもたれた経験が無いので、胃もたれがどういう感覚なのか分からない。満腹感とはまた別の苦しさ、ということだけは知識として持っている。
遍く人を苦しませる症状であり、症状を回避する方法も広く知られている。胃もたれを避けるのは簡単であり、食べ過ぎない、もたれやすいものを避ける、夜寝る直前に食べない、という至極単純なことである。
簡単に回避できるのに、それでも繰り返し胃もたれに苦しむ人が出るのだから、そこまで辛い症状ではないはずなのだ。本当に辛い症状であれば、何度も胃もたれを繰り返す愚か者がいるはずなどない。
ベネンソンに聞いてみる。
「胃もたれってそんなに辛いのか」
「ひどいときは、いっそ殺してくれ、と思うほどだ」
ベネンソンは顔を皺くちゃにして、苦悶の表情を作る。
これは大きな矛盾を孕んでいる。
ベネンソンは胃もたれが辛いものであることを理解しているから、食べ過ぎない様にしている。だが、また別の者たちは、何度胃もたれを経験しても、回避行動を取らず、食で過ちを繰り返し、再び胃もたれになる。
なぜだ。
胃もたれする者としない者がいる、という体質の違いは理解可能だ。だが、胃もたれを経験した後、食行動が変わる者と変わらない者がいる、という部分は理解し難い。
もちろん胃もたれにも程度があるのは容易に推測できる。胃もたれを起こした者は、消化薬を飲んだり、苦痛を和らげるために医院にかかったりする。放っておいても時間経過で治るものに金と時間を費やして治療する、ということは、やはりそれだけ苦しい、ということになる。
では、なぜそれだけ苦しい思いをしておきながら、それでも暴飲暴食を繰り返すのか。
食中毒だと、この傾向は減る。人でも魔物でも、一旦食中毒を起こすと、以後、食中毒の原因となった食物を、かなり強く忌避するようになる。辛い思い、苦い経験をしたものには近寄らない。これは、生命維持のために正常の反応である。
胃もたれを繰り返す人間は、失敗から学ぶ、という正常な学習過程を踏めていない。学習を阻害する要因、あるいは、学習を上回る強い暴飲暴食衝動があるのだ。
酒精でも、似たような現象が生じる。深酩酊に至り、転倒して大怪我を負ったり、犯罪行為に至ってしまったり、と、大きな失敗のエピソードを作ることは、嗜好性向精神薬では珍しくない。通常の感覚であれば、失敗に懲り、ドラッグの摂取を断つ。ただし、一部の人間は、ドラッグ依存から抜け出せず、再摂取する。
止めたくても止められないのが、依存症の恐ろしいところである。『俺は止めたいと思ってない。止めようと思えば、いつでも止められる』などと、言い訳をする人間がいる。生活を破綻させず、娯楽の一つとして問題なく楽しめているのであれば、その言葉は真実かもしれない。しかし、そう発言する人間は、一般に止めなければならない状況に置かれている。止めるべき状況であっても止める気が起きない。これも依存症の典型例である。
胃もたれしやすい食べ物といえば、脂っこいものが真っ先に思い浮かぶ、脂そのもの、または脂の中に含まれことの多い何らかの物質が、精神依存を引き起こしているのかもしれない。
胃もたれは依存症に起因する、という新説を作り上げながら、私は屋台メシを食べ続ける。ベネンソンはそんな私を見て、既に胃もたれしたような顔になっている。
「私は胃もたれしない体質だから大丈夫だ」
「私もエルキンスくらいの年齢の頃は何をいくら食べても平気だったんだ。どれだけ食べても腹が膨れるだけで、もたれるなんてことはなかった。二十代半ばを過ぎた頃から一気に来るぞ、気を付けろ」
消化器の老化か。平均寿命を過ぎてなお平気で酒や脂を胃に流し込み、それでも腹の不調を全く訴えない輩がいるから、これもやはり体質や家系が関係している。
父や母の飲酒量は度数の低いものをグラス一杯、つまり嗜む程度しか飲まない。食事だって重いものは食卓に出ないから、二人の消化能力の限界は未知数だ。家にいた頃を思い出しても、私が将来的に胃もたれするかどうかは分からない。
ベネンソンに渋い顔をされながら買い物を続けた成果として、何となく金銭価値が理解できてきた。
私が満腹となった後でも、ベネンソンから貰った高額貨幣は全く手つかずである。露店に並んでいる食べ物の値段、というのはおそらくジバクマとマディオフで大きな違いはないはずであり、そこから分かるのは……
今回ダンジョンに潜ったことで、私はかなり大金を手にしている、ということだった。ミスリルクラスのハンターとハントをすると、こんなに金が貯まるのか。
「ベネンソン、武器屋に行きたい」
「武具店か。武器でも破損したか」
武器は破損していない。この異国の地でヴィツォファリアが折れたら、それこそ泣けてくる。
あとは帰るだけであり、魔法だけでもおそらく何とかなるとはいえ、武器が無いことには非常に心細い。特に、闘衣対応装備が無いと、前衛としての戦闘力が激減してしまう。
武具は、いつ寿命を迎えるか分からない。ヴィツォファリアを手に入れてからは、この一振りに頼り切りだった。闘衣対応装備が無いことなど、もう考えられない。
だからこそ、ヴィツォファリアが無事なうちに、予備の一振りを買っておかなければならない。エヴァの言いつけでもある。
「予備の武器が欲しい。ここゲダリングなら良い武器がありそうだ」
ゲダリングには、すぐ近くにダンジョンがあり、ハンターが集まっている。ハンターが居れば、ハンター目当ての武具店が必ずある。
「本当にいい装備は入手方法が限られる。エルキンスの持っている金額では、そういう良いレベルの装備には手が届かない。君の予備武器程度ならギリギリ、と言ったところかな」
我々が密入国者ではなく本当のジバクマ人で、ポーターを連れてフヴォントに潜っていたならば、ベネンソンの言う良いレベルの装備にも手が届いたかもしれない。
「そういえばベネンソンが持っているその杖、かなりの上物なんだろ?」
ベネンソンは旅程の中で、中層下部でのみ、魔法杖を活用していた。それ以外の場面では、魔法杖を必要とすることがなかったからである。
今も魔法杖には偽装のために薄汚いボロ布が巻かれている。その下には、美しい魔法杖の本性が隠れている。ただの道具でしかないのにも関わらず、気を許すと傅いてしまいそうな気品を有していて、魔性的な魅力がある、と言ってもいい。武器を象る霊石が醸し出す靄は、ただ量が多いだけでなく、統率の取れた軍隊のような安定感がある。
ベネンソンが魔法杖を使ったのは、中層下部の戦闘中だけ。だから、私はその様を傀儡越しにしか見ていない。機会があれば、ベネンソンが魔法杖を使って魔法を放つ様を、自分の目でしっかりと見てみたい。
ミスリルクラスのハンターが愛用しているくらいだ。見た目にも凄みがある。あの魔法杖はおそらく固有名持ち武器というやつだろう。
「性能的にはそうだろう。ただし、発掘品だから名前も値段もついていないがな」
確かに、発掘時に焼印の押された桐箱にでも収納されていない限り、名前を有している魔法杖かどうか判別できない。剣や槍では、剣身や槍身に銘が切られていることは珍しくない。魔法杖を所有したことがない私には、魔法杖にもそういう慣習があるのかどうか知らない。イメージ的には銘が切られていなさそうである。
「発掘? どこの話だ」
「また機会があれば話す」
私に隠したいのではなく、公然の場で話したがらない。つまり、入手場所は、この国ではなさそうである。
国境の通用しないベネンソンのことだ。自国マディオフでもなく、ゼトラケインやオルシネーヴァで入手したのかもしれない。
大学で再会する前とは彼に対する認識が変わった。アッシュとイオスの外面や表面的な行動を見比べると、アッシュのほうが奔放そうに思える。しかし、そのアッシュと長年一緒にやっていけたのだから、イオスもそういう気質が少なからずあるはずだ。
強く、縛られず、様々なことに挑戦する。彼らはまさしく冒険者と呼ぶにふさわしい。
「武具店に行っても、あまり目立つ物を選ぶなよ。買うならば、エルキンスが今持っている剣のように、どこにでも持っていけるプレーンな形状のものにしておけ」
確かに、ジバクマ固有の構造や刻印が刻まれていると、マディオフに持ち帰ったときに取り回しに苦労する。どこの国でも共通する、規格化された量産品の闘衣対応装備があれば、そういう物を購入したい。さすがにそんな商品はない、か。
量産品の良いところは、口コミによって品質の情報を得やすいところだ。一点物になると、信頼の置ける店の信頼できる店員から買うか、もしくは目利きができないことには、不良品を高値掴みさせられることになる。
ベネンソンがいたところで、彼の本職は魔法使い。剣の鑑定力が如何ほどかは分からない。自分でしっかり見極めなければ。
マディオフとは雰囲気の異なる街並みに目を奪われながら、人に道を尋ねて武器屋を目指す。
ジバクマの風韻を感じながら考える。建物はマディオフと何が違うのだろうか、と。
大きい建物の色合いは寒色系が主流だ。逆に、露店の覆布は鮮やかな暖色系が多い。建材、建築様式、どれもマディオフとは違う。
こういう感想が出てくるのは、オープンキャンパスで、つまらない建築の講義を一回受講したからだ。あんなダメ講義であっても、何も聞いていなければ、今こうしてジバクマの街中を歩いても、「異国情緒があるな」という程度の感想しか抱かなかっただろう。
才能がある者には世界の見え方が違う、とは、よく言われることである。才能だけでなく、知識もまたその通りである。ほんの少し知識が増えるだけで、世界が今までよりもずっと広く見えてくる。物事を知っていれば、新しい知見に触れた時に、より多く、より深く吸収できる。
「おっ、あれがそうじゃないか」
「ん、何の話だ?」
「だから武具店だ」
「どこだ?」
「お前が見ているその建物だ」
おお、本当だ。武具店は、私が見ていた建物そのものだった。建物の特徴を捉えることに気を取られ、何の店なのか見えていなかった。ベネンソンがいなかったら素通りしてしまうところだった。
「寝不足なのは私だけかと思っていたよ。エルキンスもしっかりとボンヤリしている」
「考え事をしていただけだ」
「それを人はボンヤリしている、と言う」
不毛なやり取りに肩を竦める。
「分かった分かった、悪かったよ。さあ、店へ入ろう」
「お前が行きたい、と言い出したんだからな。都合のいいやつだ」
武具店に行きたがった私が店を探していなかったことで、ベネンソンはご機嫌斜めになってしまった。申し訳ない。これで、店の中で武器選びに長々時間をかけると、さらにヘソを曲げてしまうことだろう。
買い物にはあまり長い時間を掛けない。そう決めて、店の扉を押す手に力を込めた。
レプシャクラーサよりは庶民的な内装の店内に足を踏み入れる。店員はカウンターの奥に座ったまま動こうともせず、我々を値踏みするような目だけをこちらに向けた。
入り口からざっと見回した感じでは、このフロアに闘衣対応装備は無い。
カウンターの前を横切って店の奥へ入ると、開かれた扉の奥に上下に続く階段が見える。
「この階においてあるものよりもいい剣を求めている。どちらに行けばいい?」
愛想の無い店員に話しかけると、店員は無言のまま、頬杖をつく手とは逆の手で下を指さした。接客も販売促進もやる気がなさそうに見える。しかし、こういう奴は何も見ていないようでいて、意外と自分が見た客の事を覚えている。
エヴァに言われて、人の事を少し見るようになってから気づいたことだ。
ここはジバクマなのだ。人の記憶に残るような言動は慎まなければならない
店員が指で示した通りに地下階に降りると、そこにはお目当ての装備がひしめき合っていた。商品として陳列されている、というより、取り敢えず大雑把にだけ分類して保管している、という乱雑さだ。
見た感じ、一品一品の質は、レプシャクラーサに取り揃えられていた武具に比べて劣っている。靄の具合からしても、ここにある武具の大半は、ミスリル以外の霊石が用いられている。色々な霊石を使っているようだと、一定の品質という概念とは縁遠い。ますます目利きが重要になる。
さて、どう選んだものか……。命を預ける以上、劣悪なものを掴まされることのないようにしたい。かといって、じっくり見ようとすると、決意に反し時間を要することになる。
「ベネンソン、武器の目利きはできるか?」
ベネンソンは小声で答える。
「地元でならば、防具についてはある程度分かる。ただし、それもブランドの特徴を少し知っている、というだけで、本質的な良し悪しは分からない。刀剣のほうは、実際に切れ味をみるまではさっぱりだ」
ベネンソンは武具の審美眼が無いことを自覚して、ブランド買いに頼っているようだ。ここではベネンソンに頼れない。
この中から自分で安くていい品を探すとしよう。値段は……高いものをセレクトしなければ多分買えるはずだ。足が出ないかどうかは、ベネンソンに聞いて確かめよう。
自分の感覚を頼りに、ピンとくるものがないか、剣のコーナーを漁っていく。曲刀やソードブレイカーが平然と長剣に混じっていて、選別に時間がかかる。
選別の第一過程として、予備として携えるに相応しい、長剣にしては少し短め、重さは少し軽めの一振りを見つけたら値札を確認する。買えそうであれば購入候補扱いにして、陳列棚から外し、目立つ場所に立てかけておく。
選別基準が甘いせいか、漁っていくうちに候補の本数が結構な数に上っていく。これだけ候補を選出したのだ。陳列された商品全部に目を通さなくてもいいだろう。少しでも時間短縮だ。
集めた候補の中から、今度は最も私にフィーリングの合う靄を出す一振りを選り分ける作業に取り掛かる。
……
好みといわれても、どれもこれも靄が僅かすぎて判別は難しい。安さを選別基準にしただけあって、霊石の比率が低すぎるのだろう。候補としてここに並べた剣、全部ダメなのではないだろうか?
ここまで、かなりスピーディーに選別をしてきたつもりだ。それでも、これだけの数の剣に目を通したのだ。入店してからそれなりに時間が経過していることだろう。
ベネンソンの機嫌がますます悪化していないか、彼の様子をちらりと窺う。
ベネンソンは無表情のまま、フロアの片隅で魔法杖を見ている。買う気もなしに商品を眺める時、人は大抵無表情である。ベネンソンが待ちくたびれていないかどうか、表情を見ただけでは分からない。
ベネンソンが今見ている杖は、彼の実力には相応しくない低品質の魔法杖だ。
……何だ、あれは?
ベネンソンがいる場所は杖の区画である。それなのに、ベネンソンの横、床に置かれた樽に刺さっているのは、剣のように見える。
候補の剣達をその場に置いて、ベネンソンの横に行く。
「おっ、何を買うか決まったか?」
「選別は難航している。少しこの樽の剣を見てみようと思ってね」
樽の中には剣が、これでもか、とばかりに何振りも押し詰められている。このフロアで最も雑に扱われている武具と言っていいだろう。そんな不憫な剣の中から、取り出しやすく突き出ている一振りを抜き出す。
やはり紛うことなき剣である。なぜ魔法杖のコーナーに配置されているのだろう。物理戦闘対応の魔法杖があるように、魔法に対応している剣でもあるのだろうか。そんな物、聞いたことがない。
剣を鞘から抜いて刀身を眺める。予備にするには少し長いが、長剣の中では短いほうだ。靄の量は、先ほどの候補達よりも少し多い。
しかも、靄だけでなく、魔力の残滓がある。我々が入店する前に、誰かがこの剣に闘衣を流し込んだのだろうか……
闘衣の残滓とは何となく違う気がする。……製作過程で流れ込んだ剣匠の魔力?
死体発見者がダイイングメッセージを見つけた時は、文字が持つ字面の意味以上に、死没者の思いを感じ取るものだろう。
この剣に残った魔力からも、作り手の野心のようなものを感じる。
これは、ただの私の錯覚かもしれないし、製作者ではなく、偶然この剣を手に取った客の一人や、店員の魔力かもしれない。
それでも私はこの剣を見ると、そこはかとなく感じる何かがある。
魔力は、荒々しいのに、どこか洗練された感じがある。この型に嵌まりきらずに力強く自由で伸びやかな感覚は、ヤバイバーの太刀筋を見たときに私が抱く感想と近いものだ。剣の良し悪しとは違う、私と好相性の剣なのかもしれない。
値札を見てみると、さっきの候補より数段値が落ちる。これならば私の手持ちで十分買える。最初に樽から抜いた剣以外に、私が更に気に入るものがあるかもしれない。樽に入った剣に一通り目を通す。
ざっと総覧してみて、どれに対しても同程度の好感を抱いた。素人目利きとして、この樽の中の剣の完成度は大体同程度。魔力の残滓は、多めに残っているもの、ごくごくわずかに残っているもの、ほぼ見えないもの、と色々ある。
同一人物由来の魔力かどうかまでは分からない。魔力ではなく靄のほうは、同じ特徴がある。ここにある剣に奢られた霊石は、いずれもミスリルでもチタンでもなさそうだ。おそらく、全てに同じ隕鉄が奢られている。
鉄が純度により、別の金属の如く性質を変えるように、隕鉄と一口にいっても、様々なものがある。特徴が多岐に渡りすぎていて、工業製品の素材にするには、製作者泣かせの物質だ。
ただし、一定品質の隕鉄の在庫を大量に抱えた工房で作る武具であれば、隕鉄を扱い慣れていない剣匠が作る武具と違い、面白い特徴を活用した一品に仕上がっているかもしれない。
樽から最初に抜いた一振りを持ち、店員の元へと行き話を聞いてみる。
「魔法杖の横にある樽に押し込められた武器達。あれはなんであそこに置いてあるんだ?」
「ああ、最近仕入れたんだ。仕入れた、っつーよりも、作ったやつが無理矢理置いていった、ってほうが正しいな。置き場所が無いから、あそこに置いといただけだ。別に意味なんてねえよ」
陳列棚を綺麗に整頓すれば、樽の剣を含め、どの武具もそれぞれのコーナーに納まるはずである。店頭を任されているのだから、展示と収納を両立させる技術を有していていたほうがいい。
「作り手は、名のある剣匠なのか」
「口だけは一端の無名の若手だ。ああ、もう若手って年齢でもないか」
店員の目が私から外れ、少し寂しそうな表情で樽の剣を見る。
「そこにある武器は低級な霊石しか使っていない。ミスリルもチタンも不使用だ。混ぜ込まれているのは、どれも隕鉄。一般的な闘衣対応装備とは特徴がかなり異なる。まず、闘衣を使った時の切れ味は、ミスリルやチタンに比べて劣る。闘衣非対応装備の中で、少し良いものと同じ程度しかない。代わりに、耐久性が圧倒的に高い。こいつが作る武具だけは記憶効果、っつー不思議な効果があって、闘衣を切ってもしばらくは頑丈なままだ。つまり、絶にミスっても、簡単には武具が壊れない。あとは、皮鉄が闘衣非対応装備と同じだから、慣れてる奴なら自分でも研ぎ直しができるのは、長所っていえば長所かもな」
自分で研ぎ直しできるのか。他国産の刀剣を他人に手入れさせる、というのは、ともすれば自分の首を絞めかねない行為である。そうせずに済むのであれば、それに越したことはない。
「研ぐときは普通の鋼の剣と思えばいいんだろ?」
「ああ。自分で研いだことはあるか?」
「何度もな」
「そうか。なら説明はいらないな」
これは私が買うのにうってつけの剣だ。もう、他の剣を見る必要はない。あとの問題は価格だ。
「それで、この剣はいくらで売ってくれるんだ?」
「その値札の通りだ。そっからは下がらねえよ」
「そうか、ところで話は変わるが……なんでもない。分かった。その値段でいい」
いざ、価格交渉へ! ……と、戦略を練っていたが、状況に変化がみられる。すぐに店を出たほうがよい。
方針転換し、さっさと会計を済ませることにする。少し慣れつつある少額貨幣と、まだ価値がよく分かっていない高額貨幣を、ベネンソンに聞きながら組み合わせて支払いを終わらせる。
実物と、購入特典のホルスターを店員から奪い取るように受け取り、ベネンソンを急かす。
「すぐに外に出るぞ、ベネンソン」
「どうしたんだ、そんなに急いで」
「街の様子がおかしい。ここから少し離れた場所で何かが起こっている。早く確かめるぞ」
眠気を含んでいたベネンソンの表情が、一瞬で変化する。
私とベネンソンが店外へ飛び出したのと同時だった。店の北側から轟音が響き渡ったのは。




