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第五〇話 ベネンソンと歩くジバクマの迷宮 一

「それで我々はどこに向かっているんだ」


 越境地点に戻る最短経路は、川に沿って東へ進むことだ。しかし、湖畔の宿を出たベネンソンは、南東の方角に伸びる街道を歩いていく。


 街道は、これからピークを迎えるエゾロスパークを一目見ようと、ブライヴィツ湖に向かう人間が列をなして歩いている。逆を行く我々は、バッチリと彼らの目に入ってしまっている。


「このまま帰っても楽しくないだろう? 特にエルキンスは」

「期日があるのだ。可能な限り早く帰りたい。そういう気遣いは今に限り不要だ」


 イオスにとって、今回のジバクマ行におけるエゾロスパークの調査は、あくまで付随物(おまけ)である。本来の目的が何か別にあるのは、私も分かっている。そこに私のことを言い訳に使わないでほしい。


「今向かっているのはフヴォントだ」

「フヴォントって、あのフヴォント?」


 ベネンソンは頷く。


 まさかダンジョンに向かっているとは。フヴォントと言えば、迷宮と名高いジバクマ屈指のダンジョンではないか。


「ここから近いのか」

「明日には着く」


 フヴォントが、そんな国境近くにあるとは知らなかった。


「中には……入るんだよな?」

「どうした? 怖気づいたのか?」

「違う。入り口付近を見るだけ見て、そのまま素通りする気じゃないだろうな、と思ったのだ」

「エルキンスが入りたくないなら、それでもいいぞ」

「中を探索することには興味がある。先程も言ったとおり、私は所要日数を不安視している」


 現世でダンジョンに入ったことはない。前世で入った墳墓の記憶は、あまり戻っていない。この感じだと、多分実際に墳墓に足を踏みれるまで思い出せない。


 前世の記憶ではなく、アーチボルクのハンターの常識に基づいて言うならば、墳墓の構造は難しくなく、構造変化のスピードは遅い。墳墓のダンジョンとしての難度を上げているのは、迷宮性ではなく、出現する魔物(アンデッド)の強さだ。


 だが、フヴォントは違う。フヴォントに出現する魔物の強さは、他のダンジョンと比較すると“並”で、フヴォントを難しくしているのは、迷宮性である。元々の構造が迷宮のように入り組んでいる上に、構造変化のスピードが非常に早い。


 中に入ったが最後、魔物と渡り合える実力があっても、延々ダンジョン内を彷徨(さまよ)い続けるハンターがいるとかいないとか。


「そこは先頭を歩くエルキンスの判断次第だ」

「期日に間に合って戻れなかったらどうするんだ? 私もベネンソンも、所属した初月に大学を追放されるぞ」

「私は請われただけで、大学に特別な思い入れはないからね」

「引き受けたからには責任というものがあるだろう」

「ならばエルキンスの責任は更に重大ということになる」


 期日を気にしているのは私だけ。私が拒めばイオスはフヴォント行きを諦める。


 そんな訳にはいかないだろう。イオスはフヴォントに来たくてジバクマに密入国したのだ。借りを返すためにイオスに同伴している私が、行きたくない、と駄々をこねるなど、言語道断である。


「ダンジョン内に入る時、ポーターなどを雇うのか?」

「ペアのままだ。戦闘風景を人に見られることの危険性が分かっていないようだな」

「まさか。あくまで確認のために聞いただけだ。それで戦利品はどうする」

「ダンジョン近くにゲダリングという都市がある。そこに持ち込んで売り払い、それから帰還する」

「売れるのか?」

「問題ない」


 ベネンソンは余裕たっぷりに悪そうな顔で笑う。


 フヴォントはハンターにとって人気のダンジョン。人気がある、ということは金銭効率が良いことを意味している。少額であればまだしも、高額の取引は危険がつきものだ。密入国者という立場を考えると危険性は膨れ上がる。


 ベネンソンにどれだけ自信があっても、身の安全が担保されているとは限らない。ここは外国なのだ。担保も保証も何もない。ダンジョン内だけでなく、悪意ある人間がいくらでもいる都市部においても、常時の自重が不可欠だ。


「それでどうやってダンジョンに入るんだ」

「どうやって、とは意味が分からない。普通に入口を通るだけだ」

「通してくれるのか?」

「入場料を払うだけでフヴォントには誰でも入れる。後は、ダンジョンを出る時に持ち出し品一覧の課税審査がある。税金を納めた素材は、ゲダリングで正規に買い取ってもらえる。密売でもすると思ったか」


 企んでいそうな表情を見れば、普通はそう考えるだろう。


「持ち込んだ装備が、出る時になって課税対象にならないだろうな」

「ならない。持ち出す時に納税していない物品は、ゲダリングでやや売りづらい、というだけだ。あくまで素材に課税するのが目的の審査で、多分装備は納税していなくても買い叩かれない」


 フヴォントの金銭効率が良いのは、魔物から取れる鉱物の影響である。ジバクマの鉱山と言っても差し支えないダンジョンだ。


 採掘事業は国家の大切な産業だ。それを守るために、納税証明が無いダンジョンの産出品は、ゲダリングの正規の取引所で取り扱わない、という取り決めでもなされているのだろう。


「一稼ぎできたら、ゲダリングで何か装備を新調したいな」

「大分乗り気になってきたようだな」

「何を言っている。不安は山積みだ。さっさと終わらせて帰るぞ」


 返事とは裏腹に、どうしても口元が緩んでしまう。


 期待に浮かれる顔を見られるのも癪だ。ベネンソンに顔を見られぬように斜め前を歩いたが、会話に応じる私の声は少し上ずっていて、無駄な努力だったかもしれない。




 湖畔の村を離れ、早足で歩くこと、丸一日と少し。我々はフヴォントに到着した。


 ダンジョンの入り口は特に変哲のない、ごく小さい丘にぽっかりと空いた穴だ。穴の前には簡易な建屋が続き、建屋の中で入退場の手続きが行われていた。


 建屋の前には更に店が立ち並ぶ。携帯し忘れた消耗品(アイテム)を調達するハンターが目当ての店だ。こういうのは街で買うよりも割高と相場が決まっている。ジバクマの物価がよく分からないから、如何ほど割高なのかは分からない。


 その店からベネンソンが水と糧食を買い、私にも分配してくれた。多少割高であっても、消費するのは所詮ジバクマの貨幣。しかも、ダンジョンの戦利品ですぐに回収できる。


 建屋の入場手続きは二人分の入場料を払うだけで、長時間は要さない。それとは対照的に、持ち出し素材の納税額の査定に時間が掛かる退場側は長い行列をなしている。


 私たちも出る時は、あの行列に並ぶことになるのかと思うと憂鬱だ。墳墓は出入り自由だから楽だった。


 ……ああ、これは前世の記憶か。思い出そうとすると思い出せないくせに、意識しないと自然に浮かび上がる。不便なものだ。




 ダンジョンの入り口を(くぐ)り、奥へ続く道を進む。入場する“行き”のハンターが我々以外にもたくさんいて、退場する“帰り”のハンターと通りすがることも頻繁であり、最初は魔物に出くわすことなく歩いていける。


 三叉路にぶつかると、“行き”のハンターの数は半分に減る。四叉路にぶつかると、三分の一に減る。分岐をいくつか越える頃には、私とベネンソン以外の人間の気配を近くに感じなくなった。


「やっと人間がいなくなった。さて、どこまで(もぐ)るんだ」

「上層に用はない。出現する魔物にも恐ろしい特徴は無いし、中層までさっさと駆け抜ける」

「道が分からないぞ」

「このダンジョンのマップを完璧に把握しているハンターなどいない。通い慣れれば変化し続ける構造にも、ある一定の法則を見出せるらしいが、その法則もしばらくすると変わるということだよ。出会い頭に魔物と間違って人間を攻撃しないようにだけ気を付けてくれ」

「それが無害なハンターであればな」


 ダンジョン内は虫が豊富で私は視界に困らない。よほどゴブリンそっくりのハンターでもいない限り、魔物と見間違って私が人間を攻撃する可能性は低い。こちらが人間を誤射するよりも、向こうから誤射を受ける方が可能性としては高い。




 人間と出会わなくなると、入れ替わるように魔物と出遭うようになる。上層だけあり、魔物はてんで弱い。


 ダンジョンは一般的に四層構造。出入り口に繋がる最初の(レイヤー)が上層、そこから深くに潜るごとに中層、下層と変わっていく。深く潜るほどに自然魔力(マナ)は濃く、魔物は強くなっていく。


 最下層にあるのはボス部屋。ダンジョンボスの支配領域である最下層は、階層(フロア)が丸々ひとつ、ボス部屋ということもある。


 我々が今いるフヴォント上層にいるのは、枝で払うだけで落ちるような吸血モス()とスライム、あとはダンジョンだろうがフィールドだろうがどこにでも出現するネズミくらいのものである。


 フヴォントの特徴だけあってスライムは体内に金属を含有している。残念ながら、上層のスライムからは換金性の高い金属があまり回収できないらしい。上層では相手をするだけ時間の無駄だ。下層で出会いたい魔物であるスライムは、深く潜ると出現率が格段に落ちる。そういったフヴォントの知識を、道すがらイオスの話を聞くことで増やしていく。




 進路の邪魔になる魔物だけを薙ぎ払い、ひたすら道を進んでいく。


 岐路で、どの道に進むべきか、ベネンソンに意見を尋ねても、特に有効な返答が返ってこない。二人とも道を知らないのだから、考えたり話し合ったりするだけ時間の無駄と判断し、岐路は私の感覚だけで折れ曲がりながら進むことにする。


 東も西も分からないまま登ったり下ったりしながら、おそらく総じて下っているのだろう、という推測の下に上層を行く。すると、次第にいくつもの道がひとつに合流し始め、道幅が広くなってきた。


「セーフティーゾーンが近そうだな」

「ああ」

「ここのセーフティーゾーンはどんな様子なんだ」


 ダンジョンの層と層の間に(またが)る特殊な空白地帯。道中と比較して格段に魔物との遭遇率の低いこの空間を、我々ハンターは安全地帯(セーフティーゾーン)と呼んでいる。


 休憩ポイントにしやすいことから、ハントに疲れたハンターが(こぞ)って集まる場所だ。ダンジョンで野営するときは、セーフティーゾーンを探すのが一番である。


 前世の記憶では、墳墓のセーフティーゾーンでなぜか人間と顔を合せなかったような気がする。


「ハンターがたくさんいるから、盗難には注意だ。あとは設営時のマナーに気をつけないといけない。それ以外は、特に危険なことのない安全なセーフティーゾーンさ」


 セーフティーゾーンが近づくにつれ、道の奥から多数の人間の気配が漂ってくる。それも、とてもリラックスした気配だ。




 地中とは思えないほど開けた空間に辿り着く。ハンターが多数野営をしているポイントは、明りが無数に灯っていて、ここは安全だ、と主張しているかのようだ。


「もう時間は遅い。手早く食事を済ませて休息を取ろう」


 ベネンソンは懐中時計で時間を確認する。年寄りは夜が早い。夜更かしが辛そうだ。


 私たちは、まだ日が高いうちにダンジョンに入り、その後かなり長時間ダンジョンを歩き回った。もう夜も遅いはずである。空腹は、はっきり分かるのに対し、気持ちが昂っているせいか眠気はあまり感じない。そういうときほど身体は疲れているものだ。


 乱立するテントの空き間に我々用のキャンプを設営し、翌日に備えて休みを取った。眠気を感じていなかった割には、自分の休息時間を迎えて横になると、何も考えることなく眠りに落ちてしまった。




 翌日、朝食を済ませ、キャンプを回収し、中層探索を開始する。


 昨日、ダンジョン上層に足を踏み入れた時と異なり、身体が緊張しているのが分かる。中層そのものが持つ尖った雰囲気を感じ取っているのか、それとも何か過去の記憶が警告を発しているのか……。


「中層で気を付けることは?」

「中層上部で注意しなければならないのはドライモーフという魔物だ。出現頻度は低いが、他の魔物とは別次元の強さだぞ」

「ベネンソンは戦ったことがあるのか」

「ああ、苦戦はしなかったがな。砂粒状の魔物で、魔法には弱い。それなりの魔法使いからすれば、必ずしも苦労する魔物ではない。一転、魔法を使えないパーティーだと討伐難度が跳ね上がる。中層上部で全滅するとすれば、まずこいつが原因だろう」

「気を付けておこう」

「あとはディナルアントだな。ちゃんとした防具が無いと、足を噛み切られても不思議はない。足を伸ばす先はしっかり見ておけ。中層下部にはたくさんいる。上部だと遭遇頻度が少なく、逆に注意が疎かになりかねない。とにかく足元注意ということだ」


 防具に言及されてギクリとする。


 ベネンソンの武具は重装備でこそないが、防具にも(もや)がかかっていて、一級品だと見て取れる。華美な装飾のない落ち着いた高級感が、そこはかとなく漂っている。


 私の装備には防御の観点が欠けている。上半身の中量鎧(ミドルアーマー)に至っては、闘衣非対応は当然として、アジャスター付き。こういうギミックは耐久性を低くする一因になる。


 まあ、アジャスターが付いているからこそ成長期の数年を経てなお使えているし、アジャスターが壊れていない、ということは強い衝撃を鎧に肩代わりさせていない、ということだ。鎧が活躍する場面など作らない立ち回りをするに越したことはない。


 いずれにしろディナルアントに足を噛まれたら終わりだと思ったほうがいい。足を失うと戦闘力が格段に落ちてしまう。


 マディオフに戻り大金を積んでも、回復魔法の苦手な紅炎教の治癒師に欠損修復の使い手はいないはずだから、義肢生活は避けられない。


 ジバクマやゼトラケインの事情までは知らないが、そんな凄腕の治癒師がいたら噂は流れてくるだろう。つまり近隣諸国を含めても、マディオフ周辺では完治が望めないということだ。


 正直ベネンソンに先頭を譲る、というか押し付けたい気持ちになる。そこを、ぐっと押し(こら)え、今までと変わらぬ素振りで先頭を進む。


 強い魔物であっても退ける。油断はしない。そんな意気込みで行けども行けども、出現するのは上層より少しだけ強くなった吸血モス()と中型のリザード類ばかり。あまり戦い応えはない。


 テイルリザードはそれなりに耐久力があり、カールと戦わせたら熱戦を繰り広げてくれそうだ。つまり、所詮はその程度であり、今の私からすれば雑魚もいいところである。


 剣の鞘で簡単に打ち払える吸血モス()は、苦手魔法の練習のため、風魔法(ガスト)で地面に落として踏み潰すことで退屈しのぎになってもらう。


 敵は強くない、罠も無い、人ともあまり出会わない。これは下部まであっという間だ、と早速お気楽思考が顔を覗かせる。


 しかし、フヴォントの脅威は魔物の強さではない。それを忘れた私にダンジョンの構造が恐ろしさの片鱗を見せ始める。


 上層では岐路といえば三叉路が主だった。この中層上部では、四叉路、五叉路が平然と出てくる。岐路の後、行き止まりというのが無い。どの道を進んでもその先に再び岐路がある。到底曲がり順は覚えきれない。


 覚えたところで、このダンジョンは構造変化が早いから無駄だろう、と、進路選択に頭を使うことを放棄する。


 方向感覚に優れた者であれば、進路を見失わないのかもしれないが、厄介なのが道中に挟まれる戦闘だ。似たような構造の中で魔物と戦って、右向き、左向き、とやっていると、戦闘終了後に、「はて、我々はどちらから来て、どちらへ向かっていたのだったか」と、分からなくなることがある。上層では起こらなかった現象だ。


 これで足を踏み入れた先が大量の魔物蔓延(はびこ)るモンスターハウスで、後退しながらの戦闘になった日には、完全に道が分からなくなるだろう。


 罠を踏み抜き地面が崩落し、落ちた先がセンチピード(  ムカデ  )のような毒虫だらけだったら……。


 身の毛がよだつ。自爆覚悟で火魔法を乱射してしまうかもしれない。




 どうして悪いことを考えてしまうのだろう。それは上手くいっていないからだ。事が上手く運ばないとき、人は得てしてネガティブ思考に囚われるものである。


 くだらない考えを振り払うように道を進み、魔物と戦い、分岐で曲がって、また進む。


 そうして私たちは一日かけて中層上部を進み続け、朝に後にしたばかりのセーフティーゾーンに戻ってきてしまった。


 大学の新年度開始まで、あと四十二日……。

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