第四八話 入学試験と密出国
受験当日を迎え、夏のほどよく朝冷する空気の中、試験会場へ向かう。
会場で試験開始を待つ受験生たちの表情は様々だ。徹夜したのか腫れぼったい瞼の者、やる気がないのか眠そうな者、命でも狙われているかのように怯え切っている者。その他、多くの者は静かに集中力を高めようとしているようだった。
この受験一回で人生が大きく変わる者たちもいることだろう。私はどうだろうか。見た目で言うなら、やる気はあるが眠そうな者に分類されるだろう。カリナたちのせいで、あの後も何度か自分の願書の処理に「手入れ」させられることになった。
カリナが私の願書に悪さをしたのは、オープンキャンパスを除いて一回だけ。その後も気になってちょくちょく様子を窺うと、今度はカリナではなく他の者が手続きミスをいくつか起こしていた。意図的に私の願書を不受理にするための不正ではなく、おそらく単純なミス。そのミスが不受理に繋がるほどのものかはよく分からないが、見つけたミスは正しておかなければ気持ち悪い。手続きがひとつ進む度にミスがないか確認し、ミスがあれば正しく軌道修正しなければならないのだから、それは疲れるというものだ。
きっと私の願書だけでなく、他の者の願書も処理が進む中で沢山ミスが生じているのだろう。本人に落ち度がないにも関わらず受験できなくなった人間が、今まで何人いたことだろう。
お陰で願書の処理は、大学事務員として最初から最後まで全部私ひとりでこなせるようになった。全く不要な能力が身についた。試験開始前日の夜まで、自分の受験番号が会場に存在するかの確認に追われた結果が、今日の私の眠気である。
本来であれば無用の作業をここまでやらされて、これで試験に落ちたら怒りはどこにぶつけたらいいのだろう。合否判定も「手入れ」すべきだろうか。億劫な話だ。
睡眠不足の眠気と気分の高揚に挟まれた状態で初日の筆記試験に臨む。
◇◇
丸一日かかって試験が終わり、最終的な解答自体は真っ当なものに仕上がった……多分。睡眠不足が祟り、思考回路が普段の私と異なっていたため、問題文を読むだけで文章に対する無意味な突っ込みが頭の中で繰り広げられ、思考の妨げになった。ルドスクシュ討伐後を思い出しても、私は寝不足になると物事を否定的に捉えたり、細かいことに対して文句や不満を感じがちになるようだ。
専門問題はニールたちの事前予想通り、解答の糸口すら掴めない問題が幾つもあった。複数分野を幅広く勉強していたのでは解けない、その道の専門家が頭を捻らせる必要がありそうな問題だ。
諸専門家たちにとっては良問なのかもしれない。少なくとも大学を受験する人間の知識を試問するには不適当だ。無理に肯定的に捉えるならば、解き方が分からない問題に対するアプローチの姿勢を図る程度の意義はあるかもしれない。専門問題の得点率は、おそらく合否判定に直結しない。合否に重要な共通問題の方は、些細な減点さえされなければ満点も期待できるだろう。
初日の筆記試験を終えた後、翌日の実技試験前に再び私に手続きミスが生じていないか確かめる予定も忘れ、自宅で泥の様に眠る。
次の日に起きた時間がいつも通りだったのは、習慣に助けられた形である。
たっぷり眠って身体の疲労は取れていても、昨日丸一日筆記試験を行ったことと、「手入れ」という名の徒労による精神的な疲労がある。
二日目の試験は実技試験。イオスは、私の実力からして実技試験で落とされることなどありえない、と言っていた。気楽なものである。
精神的な疲労もあり、試験会場に居さえすれば受かる、くらいのどうでもいい気分で二日目の試験会場へ向かう。正規に魔法学の区域に入るのは、この日が初めてだった。
実技試験は受験番号順に試験を受ける時刻が決まっている。私の受験番号はかなり若いため、午前の早い時間に順番が割り振られている。広く何もない受験生待合室を出て、本番の試験会場に入ると、そこは船渠のように広大な空間が広がっていた。普段は学生が実際に魔法を行使するための演習棟として用いられる場所だ。
会場は何箇所かのブースに区切られ、何人もの受験生の試験が並行して行われている。呼び込まれたブースに入ると、二人の試験官が椅子に腰かけ、机上で何かを書いていた。
「そこでちょっと待ってて」
試験官二人が書いているのは……私の前に、このブースで試験を行った受験生の評価のようだ。この流れ作業で自分の番号や名前、評価が正しく書き込まれているか、後で確かめないといけない。
もう自分が何をやりに来たのか分からない。大学職員のお守りをしに来たのではないのだぞ……。
「はい、お待たせ。受験票を下さい」
言われて自分の受験票を差し出す。
「受験番号三六六のアルバート・ネイゲル君ね」
試験官が受験番号と名前を書類に書き写す。
「はい、そうです」
「ここでは魔法の才能を見せてもらう。君は何か魔法を使えるの?」
「ハントの経験がありますので、火魔法、水魔法、風魔法は披露できます。徴兵で学んだ魔法も一通り覚えました」
「攻撃魔法は三つね。あとは徴兵で一通り学んだ、って言っても、使えなきゃ意味ないんだよ。どれが使えるの?」
「攻撃魔法は四属性全て使えます。あとは補助魔法も、徴兵で学んだ強化系は全て使えます。他には幻惑魔法が二種類ですね」
「そうなんだ、凄いね……」
試験官は憐れむような目で私を見ている。
おかしい。こんなはずではなかった。私の発言はそんなに低レベルだっただろうか。
攻撃魔法を例に取れば、二属性をハントに実用的なレベルで使いこなせるだけで、それなりの使い手と見做される。四属性となると、使いこなせるどころか、全て発動させられるだけで、結構な希少だ。
四色の攻撃魔法だけでも高評価が得られる、とばかり思っていた。他の受験生たちは、上位魔法やオリジナル魔法でも披露したのだろうか。私だって、火の上位魔法ファイアーボールが使える。それを伝えれば……。
「じゃあさ、取り敢えずその四属性の攻撃魔法を順番に、何もないところに撃ってみてよ。もし的が必要なら、その案山子を使って。あとここでは徴兵で覚えた魔法を使っても大丈夫だから」
私がとっておきを使える、という事実を説明する前に、行うべき実技の内容を指示される。ここで口を挟むと心証を害してしまう。
口で売り込むことは諦め、基本の魔法を撃つために試験官が指差した先を見る。そこには、見るも無残に焼け焦げ、どこもかしこも破壊された案山子が立っていた。そこから少し離れたところに、更にボロボロの案山子と、予備と思われる綺麗な案山子がいくつか転がされていた。
ファイアーボールを撃ち込めば、こんな案山子など焼け焦げる前に炸裂力で木っ端微塵になる。つまり、私の前に試験を受けた受験生たちは上位魔法など披露していない。では何故私はあれほど蔑むような目で見られたのだろうか……。
「的は要りませんので地面に放ちます」
案山子を壊すと評価が下がるかもしれない。攻撃魔法の破壊力ではなく、受験生の節度を見たいのかもしれないのだから、両者に対応した、当たらず障らずの魔法の使い方を考えたほうがいい。
気配りができることをアピールした上で、案山子の横の空間に向けて風魔法を放つ。何もない所にそよ風が流れ、試験官二人は死んだ魚のような目でそれを見ている。その顔からは興味とか好奇心といった感情がこれっぽっちも読み取れない。
風魔法は派手さのない魔法だから仕方がないこととはいえ、また評価が下がってしまったかもしれない。はたしてここから挽回できるのだろうか。
試験開始前の気楽さなど無くなり、焦る気持ちで加点の方策を考える。
「続けていきます」
こぶし大のアイスボールを作り、案山子の横へ放つ。
威力重視であれば、大きなアイスボールを作るのが上策。しかし、試験官が見たいのは威力ではない。となると、照準の精密さは評価しやすい点のはずだ。先の展開を見据え、敢えて小さなアイスボールを作り、アイスボールが割れない様にだけ注意を払って優しく地面に落とす。
一点でアイスボールが静止するのを待ち、そこに目掛けてクレイスパイクを放つ。アイスボールを綺麗に砕いたクレイスパイクはそのまま鋭角に地面に刺さる。
次の魔法を溜めしながら試験官の表情を横目で盗み見る。二人とも目の色が変わっている。ふふふ、興味を持ったと見える。
やはり大事なのは、威力ではなく照準。実力者のエヴァですら、私の魔法を『凄い精密照準だ』と褒めてくれた。あれは通り一遍の褒め言葉ではなく本心のはず。
自分の立ち位置からアイスボールの落下地点までの距離であれば、これくらいの狙いをつけるのは簡単だ。
気分を良くしつつ、突き刺さったクレイスパイク目掛けてファイアボルトを撃つ。ファイアボルトは土柱の上端に綺麗に命中し、小さな火柱が上がる。
「いかがでしょうか」
芸を披露した気分で試験官に向き直る。
「えー、本当に四属性使えるんだ。すごいよ、君! てっきり受験生にありがちな誇大アピールかと思ったじゃーん。嘘じゃないよ、本当だよ、って先に言ってよー!! 溜めがどれも早いし、照準なんか抜群にいい。ねえ、先生」
子供のような笑顔で眼鏡の試験官は隣の中性的な試験官に話しかける。
「威力以外は、いずれも使いこなしている、というレベルのように思われますね。四つの中ではどれが一番得意なの?」
答える試験官は声まで中性的だった。正直おじさんなのかおばさんなのか分からない。
『威力以外は』という発言が私の心に引っ掛かる。試験の意図を読んで威力を抑えたはずが、下策だったか? ならばここはファイアーボールを……。
「クレイスパイクかファイアーボールですね」
「ええっ!? 君、十八歳でしょ?」
「四属性使えるだけじゃなくて、ファイアーボールまで使えるの?」
試験官が二人ともに大きく目を見開く。なんだ、最初からファイアーボールの話を持ち出していれば良かったのか。
「はい。では、そこに撃ってみますね」
「ちょ、ちょ、ちょ、チョット待って。周りのブースに迷惑がかかるし、それに、このブースの中にいる私たちも危ないから、ファイアーボールはやめよっか。ね?」
中性的な試験官に窘められた。これはまずい。調子に乗って、節度の評価点を下げるような発言をしてしまった。
「僕が防御魔法を展開すれば、安全にファイアーボールを使えるはずだよ」
「何言ってるんですか、教授!?」
眼鏡の試験官が、私のファイアーボール使用を支持することを言い出し、中性的なほうが驚いている。
二人の試験官の意見が異なる。
どうする? どちらの意見に従えばいい? そういう部分を見るための試験なのか? 無難なのは、人に迷惑をかけないスタンスを貫くことだ。
「周りの皆さんの邪魔になってはいけませんし、クレイスパイクとファイアボルトを少し強めに撃つ、というのはどうでしょうか?」
「あ、うん。それ、それがいいよ。いいですよね、教授?」
「えー、そうなの? うーん、ま、いっか」
中性的な試験官が、教授たる眼鏡の試験官から了承を取り付ける。
「では強めに撃ってみます」
八割ほどの力でクレイスパイクの溜めを行い、私の右手の前に土の柱が形成されていく。思えば二年前に比べ、随分太い土柱を作れるようになったものだ。
こうやって加減して練り上げても、ルドスクシュのアイススピアーの径にもひけをとらない。ルドスクシュのアイススピアーと違って数は一本だけだが、一本に籠められた魔力が違う。
アイススピアーは上位攻撃魔法。しかし、ルドスクシュの数を重視したアイススピアーよりも、質を重視した私のクレイスパイクのほうが、一撃の威力、一点貫通力は高い。上位攻撃魔法を使える、即ち優秀、と短絡的に考えるのは滑稽至極だ。
大切なのは使い方、使用場面を見極めることだ。自分の実力を披露するためであっても、この試験会場でファイアーボールを使用するのが正解ではないように、クレイスパイクだってアイススピアーだって、適当な使い方というものがある。私はこの場で最適なクレイスパイクを放てばいい。
自分の腕よりも太く練りあがった土柱をしばし眺めた後、前方に向かって放つ。土柱が地面に突き立つのを確認し、さらにその土柱に向けて、これまた八割ほどのファイアボルトを溜めし、放つ。
土柱に着弾したファイアボルトは、人の背丈を優に超える大きな火柱を上げる。火柱から放たれる煌々とした光は、受験勉強している間に魔法の実力が衰えていないことを私に教えてくれた。
「おぉー、凄い凄ーい。しかもこれだけの威力を片手で放ってる!!」
教授は裏声を上げ、子供の様に手を叩いて私の魔法を賞賛する。
「これなら補助魔法も凄そうだ。ねえねえ、一通り使えるって言ったよね」
「ええ」
「じゃあ僕に筋力強化魔法をかけてよ」
筋力強化などかけてどうするのだろうか。そう思いながら試験官に歩み寄り、身体強化を施す。
「おおお、確かに力が強くなったような気がする」
教授は椅子から飛びあがって案山子に走りより、いきなり案山子の根元をつかんで振り回し始めた。
「見てみて、案山子が軽々持てるよ」
そんなに重たい案山子なのだろうか。教授の元の筋力が如何ほどか分からない。案山子を振り回せることが、彼にとってどれだけ凄いことなのか計りかねる。
「教授、それくらいのリーンフォースパワーを使える魔法使いは珍しくありません。あまりはしゃいでいると時間がどんどん押していきますよ」
「えぇー!! ちょっとぐらいは……。うーん、でもそっかー、そうだね」
教授しょんぼりと力落ちしながら案山子を元に戻すと、トボトボと机に帰ってきた。
試験官二人の意見が異なる、というより、真面目に受験生を評価しているのは中性的な試験官だけのようだ。この試験官は評価の傍ら、試験官の本分を忘れがちな教授の手綱を握ることにも気を揉まされている。試験の時間配分だって、この試験官が配慮している。面倒な役回りである。
「もっと魔法を見せてもらいたくて残念なんだけど、試験はこれで終わり」
教授は心の底から残念そうだ。お菓子を買ってもらえなかった子供のような顔をしている。
「あちらの出口からお帰りください。日程はこれで終了です。お疲れさまでした」
私と教授の気が乗ってきたところで試験は終わってしまった。肩透かしである。
イオスに言われた闘衣に至っては披露するどころか話題にすら上がっていない。イオスは闘衣を合格確定ラインのような話し方をしていたから、それを披露しないうちに試験が終わってしまうと不安を覚えてやまない。
しかし、終わったものはどうしようもない。呆気なく二日間の試験日程が終わってしまい、気が抜けてしまう。
ボンヤリと他のブースを眺めつつ試験会場を後にする。徴兵で学べる魔法以外の魔法を披露しているブースがいくつもあった。普通は自分の一番得意な魔法を披露するだろうから自然な光景である。軍人とハンター以外は日頃攻撃魔法など使わない。薬師や錬金術なら変性魔法を使うだろう。鍛冶師も変性魔法。治癒師なら回復魔法だ。
傀儡で少し他の受験生が使う魔法を観察していこうか、とふと思う。鳥を試験会場に忍び込ませるのは骨な上、バレると厄介なことになる。鳥ではなく虫であれば忍び込ませるのは容易でバレにくいが、今度は魔法の観察には向かない。
あまり妙案が思い浮かばない。せっかく早い時間帯に解放されたのだから、大人しく帰って短時間でもワーカーとして働くことにしよう。
受験生から労働者として気持ちを切り替えて会場の外を歩いていると、横から私に声を掛ける者がいた。
「試験は終わったようだな」
「受験中にこの会話は拙いと思いますよ」
話し掛けてきたのはイオスだった。彼を見ずに前を向いたままで答える。
「実技試験が終わった後なら問題ない。ちゃんと確かめた」
「そんなこと言って、カリナが見ているかもしれません。そう言えばカリナのことは何とかする、って言ってませんでしたか? 私が大学に提出した願書はしてやられていましたよ」
「大丈夫だ。彼女は大学を追放されて、もういない」
寝耳に水である。
「なんでまた?」
「だから、君の願書を破棄した件で、だ。大学に言って、彼女には監視をつけさせていたんだ。提出された願書を勝手に抜き取って細断するところを見つけて、それで彼女は終わりさ。君はそれを見越して願書を二通出していたんだろ? 彼女の犯行の翌日、細断されたはずの君の願書はちゃんとあった、ということだからな」
私が忍び込んだのは無駄足だった、ということか。その後に生じたミスは日付の記入漏れとか、番号ズレとか些細なものだったから、放っておいても申し込み不成立とまではいかなかっただろう。
「あとは復讐に来ないことを祈るばかりですよ」
「あの年齢で、しかも魔盲となると再就職は難しい。自暴自棄にならないといいが……」
「イオスさんは優しいですね。カリナは自分の行為のツケを払う時が来ただけなのに」
「悲惨な行く末しか想像できないからさ。優しいのとは違う」
カリナの態度のでかさや、大学職員として働いていたことを踏まえるに、カリナの親はおそらく金も地位もあるはずだ。食うに困ることはないだろう。この先社会との接点が得られなくなったところで死にはしない。
「ところで今日は何用ですか? 合格発表の日に掲示板前で会う約束でしたよね」
「一日でも早く出発したいからね。合格発表を待たずに捕まえに来たんだ」
イオスは試験直後の私を確保して、すぐさまハントの長旅に出発したいようだ。
「それだと合否も確認できなければ入学手続きもできないじゃないですか」
「大丈夫。信頼できる代筆屋に全て依頼してある。君の入学金や学費も代納してくれる。君は後払いするだけでいい」
それこそ不正はないのだろうか? 私の個人情報を知っていることといい、実技試験の終了時刻を把握していることといい、大学内から情報を得ないことにはできない仕込みだ。どれだけハントが待ちきれないんだ。
「落ちても受かっても私とハントに行くことに変わりはないんだ。準備が遅れれば遅れるほど楽しみの時間が減る。今日中に出発するつもりで」
目を合わせないようにしていたイオスを本日初めて直視する。彼は、そのまま真っすぐハントにいけるよう装備を固めてあった。本当にすぐにハントに行きたいのだ。優秀なハンターはせっかちである。
「じゃあこのまま家に行きますか。準備はすぐに済むんで」
「おお、そうこなくては」
受験会場から自宅へ直帰し、簡単に荷物を纏めて戸締りを確認する。大学受験終了から数時間も経たないうちに、私は学園都市から旅立つことになった。
「さて、私たちが国境を越えることは誰にも知られてはならない」
「そうですね」
「そこで、ここからはジバクマ入りするまで食べ物から水に至るまで全て現地調達とする。街で補給を一切行わない」
「えぇ……」
「国境近くの街や村で私たちを見かけた、という証言が挙がっても困るからね。街道は使わずに脇道だけを突き進むぞ」
強いハンターは揃って頭がおかしい。
大学から王都までは街道を使い、そこから先は脇道と言う名の街道を外れた道なき道をひたすら南下することになった。
イオス……ここはつい最近エヴァと通ったばかりなんだ。そういう打ち合わせをしていたのではあるまいな。
街に寄らない、ということで目に映るほとんどの魔物を無視しながら、南へ南へ、とひた走る。ほんの数時間前まで大学受験をしていた、というのに自分は何をやっているのか。
多くを語らないイオスの魔力を自分の背中に感じながら、ジバクマ目指して南へ進む。今日初めてパーティーを組む、というのに、何の打ち合わせもなく、こいつも私にパーティーの先頭を走らせる。強いハンターは他人に先頭を押し付ける。
魔物との戦闘を回避に回避したおかげで、エヴァと共にアーチボルクから王都へ移動したときよりも一日短い五日間でアーチボルク付近まで辿り着く。
イオスは街に寄らない、と宣言していたが、もしかしたらタイミングよくエルザがいるかもしれない。顔を出すだけでもいいから寄っていきたい……。一年目の軍人が家に帰って来ているわけがない、と知りつつも、そんなことを思ってしまう。
私の雰囲気をイオスが察し、慰めるような口調で話し掛けてくる。
「もう学園都市が恋しくなったのか?」
「違います。実家が近いんですよ」
「ああ、アーチボルクが出身だったか。今家に立ち寄ったら出戻りと思われるな」
抑えるようにイオスがククッと鼻を鳴らして笑う。
「そういえばイオスさんの出身はどこなんですか?」
イオスはそれを聞くと少し表情を険しくして、口に人差し指を当てた。
「この先、ジバクマに入るまでお互いの名前を言うのは止めよう」
「ジバクマに入ってからはいいんですか?」
「そこからは偽名を使う」
「なんて名前を使うんです?」
「その名前を口にするのはジバクマ内だけだ。ここでは言わない」
思ったより徹底している。確かに用心に越したことはない。
「出身の話だったな。私はソリゴルイスクだ」
「ソリゴルイスクですか」
王都の南東にあるのがアーチボルクで、王都の南西に位置するのがソリゴルイスクだ。どちらもマディオフ三大都市のひとつである。アーチボルクから南に向かうとジバクマ共和国があり、ソリゴルイスクの南にはオルシネーヴァ王国がある。
「ああ、そういえばロゴヴィツェという村は知っていますか?」
「ロゴヴィツェ? 近くにそんな名前の小さい村があったな。私は行ったことがない。それに、その村はだいぶ前に廃村になったはずだ。それがどうかしたのか?」
「いえ、知り合いがそこの出身と言っていたので、単に知っているかな、と思っただけです」
「そうか」
ロゴヴィツェという村はどうやら実在したらしい。手配師から聞いた話だし、架空の村ではないのが確実になった。
「あと、ヤバイバーと試合をしましたよ」
「ヤバイバーと試合? どういう意味だ」
ついあだ名を喋ってしまった。イオスはグレンのあだ名までは知らなかったようだ。私が駄菓子と戦う図でも思い浮かべたのだろう。
「この間教えてもらったグレンさんのあだ名ですよ、ヤバイバー」
「ヤバイバーって……。ひどいあだ名を持っている」
イオスが肩をゆすってひとしきり笑う。
「強かっただろ」
「ええ、物凄く。あなたよりも強いんじゃないですか?」
「物理戦闘に限れば私に勝ち目は無い。元相方でも条件次第では厳しいかもしれない。ルール無しの何でもありならば、間違いなく相方が勝つがね」
「そんなに実力差があるんですか?」
「剣の技量の差、というよりも、相手を倒すこと、殺すことに長けた強力無比なスキルがあるからね。固有名持ち武器を入手してからは、それこそ向かうところ敵なしだ。人間に防げるようなものじゃない。グレンはとても強いが、やはり彼は剣士なんだよ。怪物狩りは門外漢だ。相方を正攻法で倒そうと思ったら……そうだな、ミスリルクラスのハンターを連れてこないとだめだ」
元相方のアッシュを怪物扱い。ミスリルクラスの凄さが滲み出る言い回しだ。
これから教授になるイオスが、マディオフ最後のミスリルクラスのハンターであり、イオスがハンターを引退すると、マディオフはミスリルクラスのハンター不在の、冬の時代が到来する。
ミスリルクラスのハンターの力を要するなど、そうあることではないとはいえ、何かあったときに頼める、という状況と、どんな魔物が現れてもチタンクラスのハンターしかいない、とう状況では、安心感が違う。
ハンター以外でミスリルクラスの物理戦闘力を持つ人間となると、ネイド・カーターくらいしか思い浮かばない。
ネイドに関する記憶は「前」と「今」に獲得したものが混在している。
今でもネイドはマディオフ最強の騎士なのだろうか。騎士と剣士であれば、響きだけなら騎士の勝ちかな。
「ミスリルクラスのハンターなんて、マディオフにはいないじゃないですか」
「ここ最近ではな。私がミスリルとして扱われるようになったのを最後に、マディオフにはミスリルクラスのハンターが誕生していない。ただ、この数年、君をはじめとして若手の台頭が著しい。順調に実力を伸ばせば君たちの中からいずれミスリルが輩出されるはずさ。こういうのは年代に偏りがあるともいうし、そろそろ一気に三人も四人も誕生してもいい頃合いだ。私とアッシュだって一歳違い、ほぼ同年代だ。ミスリル扱いされるようになった時期は三年ほど離れているがね」
私がミスリルねえ。そういえば、エヴァもそんなことを言っていた。エヴァやイオスと私との間には、越えられない壁が二枚も三枚もある気がする。私の感覚と違い、彼らの目には、そう映っていないらしい。
「実現するとしても遠い未来の話のような気がします」
「君の話から描かれる成長曲線の先を見越せば、十年とかかる話じゃない。幼い頃、若い頃の一年は非常に長いかもしれないが、二十歳を過ぎるころには一年どころか、三年、四年もあっという間さ」
「そうですかねえ……」
「私が君の年齢の時は、今の君の強さは雲のまた上にしか思えなかったよ。闘衣も使えなかったし、剣も下手。水魔法と火魔法だけが取り柄の凡庸なルーキーハンターだった」
それが今では「氷の魔術師」の二つ名を持つまでになっているのだから、十代よりもむしろ二十歳以降に大きな成長幅があったということだろう。比較的遅咲きの才能ということだ。
徴兵時代の同期や、剣の同好会の部員から聞いた話によると、私の父ウリトラスは、かなり若い頃から才能を開花させていた。つまり私は家系的にみて早熟の可能性が高い。
そう考えると、十年どころか数年以内に能力的な完成形が見えてこないと、ミスリルへの到達は難しいのではなかろうか。
運動量や反射神経に強く依存する物理戦闘と違い、魔法能力は年老いても向上が見込めるのだから、若いうちは武術重視、二十半ば以降は魔法重視にする選択もある。しかし、それだとどっち付かずになる恐れがある。半端を避けるためにも、今のうちから魔法に集中していくか。
魔法に集中したくとも、少なくともイオスとハントしているうちは無理だな。
イオスは自分自身を、純魔に限りなく近い、などと申し開き、完全に後衛の立ち回りをしている。私はこのペアだと後衛の役回りができない。
『このペアだと』ではない。『このペアでも』だ。エヴァは純前衛でありながら、私に後衛役を担わせなかった。どいつもこいつも私に先頭や前衛をやらせる。忌々しい。
イオスは純魔の癖して、少なくとも前世の私であるセリカよりも剣が強い。現世ではイオスの魔法は勿論、剣捌きを見ていない。後衛専門の純魔を自称するイオスは、現世においても私より剣が強い可能性を残している。
取り敢えず純魔を名乗るイオスの動きを見て、後衛の動きを学ぼう。こいつとのハントは間違いなく勉強になる。イオスの使う水魔法は、氷ばかりだ。同じ固体同士、私の土魔法に転用しやすい。
それにしても、脇道とはいえ比較的街道近くを走ってばかりだから強い魔物と遭遇しない。ジバクマに入ってからはどうなるのだろうか。
ジバクマでのハントとは、一体何が目的なのだろう。強い魔物でも狩るのか、珍しい魔物を探すのか、欲しい素材でもあるのか。
早く知りたいところである。だがイオスはジバクマ入りするまで、ジバクマに向かう目的を話すつもりがないらしい。目的とは関係ないことしか返事を返してよこさない。
ではどうするか。さっさとジバクマに着けばいい。
「先を急ぎましょう」
「何か吹っ切れたのか。こんな早くから気負ってしまうと、途中で息切れしてしまうぞ。逸らず緩まず、一定の心持ちを保つようにしてくれ」
そんなものは知ったことか。どうせ行くなら楽しまないと損である。イオスは凄いハンターだが、多分馬鹿だ、いい意味で。そんな馬鹿が行きたがっているのだから、ジバクマにはイオスを楽しませる何かがあるに決まっている。
早くそこに辿り着こう。早くに着いて、イオスだけでなく私もそこそこに堪能し、入学に間に合うようにマディオフに帰るのだ。往路でちんたらしていては、入学開始日に遅れてしまう。
私は森を駆ける速度を上げた。




