第四六話 剣の到達者
シェルドンの伝手を頼って、学園都市に部屋を借りた。休息を取ることと、物を保管するだけの場所ではあるが、最低ランクの部屋ではなく、それなりの立地と作りが望ましいと判断し、家賃は惜しまないことにした。安さに目が眩んだ挙句、結果としてトラブルに巻き込まれ最終的に高くつく、というのはよくある話だ。特に不動産では。
家具は備え付けがあったため、新生活に必要な小物だけを数点買い揃え、夕方以降はイオスが言っていた同好会の様子を窺うこととする。学園都市に無数に存在する大学生御用達の売店には、片隅に無料の同好会の案内冊子が置かれており、剣を扱う同好会の紹介頁を通覧する。イオスの言った通り、確かにいくつも同じような会がある。各同好会の代表として、部長名だけは書いてあるが、部員一覧までは掲載されておらず、これではどの同好会にグレンが所属しているのか分からない。
取り敢えず、剣の同好会の中で、一番若い頁に書かれている会、「荒れ狂う銀閃」に顔を出すことにする。
学園都市を歩き、活動場所の建物の前に到着する。建物からは全くそれらしさを感じない。建築面積はそれなりにあり、一般住宅には見えない。外観的には鄙びた飲み屋という印象だ。
場所はここで合っているのだろうか。不安に思いながらも、一見客御歓迎という意識が感じられない、常連客専用の印象を与える扉を開けて、建物の中に入る。建物の中は、居酒屋というよりスナックという表現が相応しい内観が広がっていた。剣の同好会員らしき人物は見当たらず、スナックの客風の人間が数人、カウチに横になって本を読んでいる。
この場所は一体何なんだ。同好会は廃止や移転になって、スナックが新規開店でもしたのか。スナックっぽい、ということは店員やママがいてもよさそうだが、客側らしき人間はいても、店側らしき人物は見当たらない。
もう、この同好会は諦めて、このまま帰りたい、という気持ちを我慢し、本を読んでいる男性に話し掛ける。
「すみません、ここは『荒れ狂う銀閃』の活動場所で良かったでしょうか?」
「んー、あんた誰ー?」
「私は今年大学受験を予定しているもので、アルバートといいます。グレンさんに会いたくて、同好会を探しているのですが……」
「ああ、見学生さんね。ヤバイバーは……」
男は上半身だけムクリと起こし、フロアを見回した後、店の奥に向かって大声を出す。
「ねぇ、今日ヤバイバー見たー?」
男の大声に反応し、建物の奥から返事が聞こえる。
「今日はまだ来ていないよー」
「だってさ。そのうち来るっしょ。テキトーに座って待ってるといいよ」
そう言って男は再び横になり、本の頁をめくる。
ゆ、緩い。
この男も剣を嗜んでいるのだろうか。魔力は……シルバークラス。それなりである。剣の同好会の割には剣を持っていない。フロアで寛ぐ他の数人を見ても、室内を見回しても、どこにも剣など見当たらない。
所在なく、室内の隅に腰を下ろし、定まらない視線で観察を続ける。薄暗いフロアではあるが、汚れてはいない。寝転がっている奴らの周りにゴミが広がっているだけで、それ以外は綺麗に片付けられている。毎日誰かが掃除している、ということだ。
虫を飛ばして見てみると、室内には地下へ続く階段があった。先ほどの返事は、地下から聞こえてきたものと思われる。傀儡を地下に進めると、そこでは二人の人間が各自黙々と剣を振るっていた。
なるほど、地下室が本来の活動場所か。一階は同好会の休憩場所なのか、それとも一階は同好会の管轄外なのか。
地下まで含めた延床面積はそれなりであっても、壁が少ないために見通しが良く、全体構造の把握はすぐに終わってしまう。することも無くなり、若干の眠気に耐えながら時が過ぎるのを待っていると、一人の男が入り口から何も言わずに室内に入ってきた。
男の見た目は四十代。白髪がチラホラ混じる長い髪を後ろで纏め、軽装を身に着け剣を帯びている。魔力はサバスよりも多い。ハンター換算で、プラチナクラスからチタンクラス、と言ったところ。こいつがグレンかもしれない。
男は間抜けな顔で、棒状の物を食べている。
「お疲れー。ヤバイバーにまたお客さんだよー」
と、カウチの男が、来たばかりの人物に話し掛け、私の存在を教える。
やはりこいつがグレンのようだ。ヤバイバーとはなんだろう? グレンの家名だろうか?
ヤバイバーと言われた男が、私の近くへ来て口を開く。
「ふぉんふぃひふぁ」
男の口の中から食べ物が飛び散る。汚いやつだ。
「こんにちは。食べ終わってから喋ってくださると助かります」
男は小刻みに首を何度も縦に振り、急いで咀嚼して口の中の物を飲み込む。
「すまん、すまん。汚いものを飛ばしてしまった。それで、あんたはどこの誰なんだい? 俺と試合に来たんだろ?」
食べ物を飲み込んだ男が、普通に喋りだす。
「私は今年大学受験を予定しているもので、アルバートと申します。イオスさんからグレンさんの高名を伺って、見学のために同好会を探しています。あなたがグレンさんですか?」
「ああ、俺がグレンだ。大学ではヤバイバーと呼ばれている。アルバートも好きに呼ぶといい。それに敬語じゃなくていいぞ、同好会だからな」
「そうか、ではそうしよう。私もアールでいい。ところでヤバイバーというのは家名なのか?」
「えっ? ヤバイバー知らないの!?」
後ろで話を聞いていたカウチの男が、突如立ち上がって驚きの声を上げる。
「ヤバイバーが食ってるのがヤバイバーだよ!!」
ちょっと何言ってるのか分からない。
「すまん、意味が分からない……」
「一銅貨」
「え?」
「一銅貨出して」
グレンがいきなり一銅貨を要求し、掌を上にして手を伸ばしてきた。一銅貨はマディオフで二番目に安い硬貨だ。
銭袋から一銅貨を出し、グレンの掌の上に置くと、グレンは銅貨を受け取ったその手で私の手に何かを握りこませてきた。
ん、今よく見てなかったが、グレンはどこから物を出したんだ? 無手にしか見えなかった。今のが毒を塗った暗器であれば、私は死んでいた。
油断を戒めながら自分の手に握りこまされた何かを見てみる。
麩菓子……か?
そういえばグレンは何やら棒状の物を食べていた。
「食え」
グレンが棒状の麩菓子を食べるように要求する。
とても怪しい。口にする前に麩菓子に毒が仕込まれていないか確認したい。毒感知のアクセサリーが無いのが悔やまれる。
カウチの男とグレンは、興味津々と言った目で私を見つめている。とても断りがたい空気がある。
覚悟を決め、渡された麩菓子を一口かじる。固……くはない。それなりにしっかりしたサクサク感が歯に伝わる。口の中に入った麩菓子を舌の上に乗せるとほんのりとした塩気と油、そして振りかかっている粉末から謎の旨味が広がって……
「なんだこれは? 旨いじゃないか!」
「でしょでしょ? それがヤバイバーだよ。初めて食べたの、君?」
カウチの男が興奮気味に尋ねてくる。グレンは自慢顔で黙ってこちらを見ている。
「ああ、初めて食べた。こういう食べ物があったんだな。しかも一銅貨とは安いものだ」
「違うよ、一銅貨じゃないよ。一銅貨だとどこの駄菓子屋でもヤバイバーは二本買える。ヤバイバーからヤバイバーを買うと、一本一銅貨なんだ」
グレンが半銅貨分だけ利鞘を乗せてヤバイバーを売り歩いている、ということを男は説明する。
「でも美味しそうに食べているし、匂いも少し漂ってくるから、ついついヤバイバーから買っちゃうんだよねー。いつ見てもヤバイバーを食ってるから、あだ名がヤバイバー。分かってくれたかい」
常時駄菓子を食べている、とは、奇妙な大人がいたものだ。
「いいものを教えてもらった。ありがとう」
「ヤバイバーを知らない人っているんだな。今日はいいことをした気分だ。気持ち良く本が読める」
「あなたは同好会のメンバーではないのか」
「俺も部員だよ。一流は戦う時を選ぶ、ってだけさ」
剣の同好会に所属しておきながら、ごろごろと本を読む言い訳をし始める。
「ニールは自分と同じくらいの強さか、教えを請う相手としかやらないから」
今はちょうどいい練習相手がいないから、横になって本を読んでいるようだ。
「ニールさんもあだ名ですか?」
「うんにゃ、ニールは本名だ。俺も敬語は要らない。研究室じゃないんだし、気楽にやってよ」
「そうか、ではよろしく頼む」
「それでアールは見学だけでいいのか。俺と試合がしたいんじゃないのか」
「ヤバイバーと戦いたいやつは、ちょいちょい来るもんなー」
挑戦者がしばしば訪れる、ということは、グレンの名前はかなり広く知れ渡っている、と見える。その挑戦者達は、全員イオスに焚きつけられている、という話はないだろうか。
「そうだな、手合わせはしてみたい。あと学生以外でも同好会に参加できるなら、できれば全体の練習風景も見学もしていきたい」
「アールは大学生じゃないのー?」
「さっきも言ったけど、受験を予定しているだけ。一応オープンキャンパスには申し込んである。大学を気に入ったら受験するよ」
「普通はこの時期サークルとか同好会の見学なんかしなくて勉強するだろ? 学科試験には自信があるか……もしかしてなにかコネでもあるのー?」
そんなに必死に勉強しないと受からない狭き門なのだろうか。受験倍率とか合格率などというものは知らないし、受験生の心構えなど分からない。
「コネなんて無い無い。勉強はもちろんする。しかし、ひたすら勉強漬けで、弱くなり続けるのがいやなだけだ」
「いい心がけだ。同好会は大学生じゃなくても参加可能だし、見学も歓迎だ。もちろん俺との手合わせもな」
「ではヤバイバー、早速だがどうだ?」
「ダメダメー。ちょっと待ってー」
なぜかニールが手合わせに待ったをかける。
「まだ人もあんまり来ていない。もうちょっとお喋りでもしてようぜ」
「人がいないと何か不都合でも?」
「だって、新しい人とヤバイバーの試合って誰でも見てみたいじゃん……。この同好会はそれが楽しみな面もあるし」
ニールは目線を逸して嘯く。本当の理由は何だ。同好会の楽しみ、そういえば彼らは大学生……。ああ、賭けの対象ということか。
「ニールの中ではオッズはどうなってる?」
「そりゃヤバイバーの1.1倍に決まってるよー。って、言ったっけ、賭けるって……」
「何となく想像はついた」
「おやぁ、アールもお仲間かな。今度カードでもやんない? 日中は四人集まることが少なくてあんまりカードゲームができないんだ」
ニールは日中からここにいるのか。講義や研究室には行かないのだろうか。
「日中はそれこそやることがある。学費を捻出するためにワーカーとして働かなければならない」
「上等そうな剣を持っているから、いいところの出かと思ったが、俺達と同じ苦学生なんだな」
「ん、ああ。この剣は少し経緯があってな。自分じゃとても買えない」
「どうだ、ニール達の賭けとは別に俺とも賭けないか。俺が勝ったらその剣は俺の物。アールが勝ったら……何が欲しい?」
グレンからの賭けの提案。私の欲しい物……。金か?
見たところ、グレンが持っている剣も闘衣対応装備。靄の量からしてヴィツォファリアよりも優れた業物には見えない。特に魅力を感じない。グレンは、剣の他には金目の物を持っていなさそうだ。賭けに乗る価値がない。
「この剣は駄目だ。金銭的な価値は別に大切にしているんだ。それにお金以外にそれほど欲しているものがない」
「若いのに無欲だねー。でも受験の過去問は欲しいんじゃない?」
むっ、そんなものがあるのか。私の思いつかなかった賞品だ。
「確かにそういう物を賭けるのもありだな。今まで俺のところに殴りこんでくるやつに受験生はいなかったから、思い浮かばなかった」
「ヤバイバー、過去問なんか持ってるの? それに持ってても何年前の過去問か分かったもんじゃないから使えないっしょ」
「家のどこかにあるはずだ。見つけられれば渡せる。それに共通問題はどうせ数年間隔で同じ内容を使いまわしているだろうから、役に立つかもしれないぞ」
「厄介なのは講師達が作る専門問題だよなー。あんなの事前にどれだけ勉強したところで、その分野毎の最新情報に精通してなきゃ解けっこない。専門問題はそういう難問の割合が多すぎだよ。それを学ぶために大学に通うんじゃないんですかー? それを受験問題に出してどうするんですかー? と、問題を作ったやつに文句を言いたい」
「あれは問題を作った講師が自分の知識を披露する機会も兼ねているから仕方ない。要は教授に対するアピールだな。人気分野を専攻したいんじゃない限り、専門問題はおまけみたいなものであって、結局は共通問題をどれだけ解けるか、だ」
ニールとグレンが怪情報を語り合う。どれだけ信憑性があるものやら。
「二人は何を専攻しているんだ?」
「俺は法学だしー」
ニールは法学生だった。
「俺は農学だ」
「ヤバイバーは剣と女だろ。退学に片足突っ込んでるくせに」
「休学と言え、休学と! 今は学費を貯めているんだ」
「金が入ると、すぐに飲み屋に通って綺麗なねーちゃんに全部吸い取られるくせに。毎年学費を納められないやつが何言ってるんだ」
グレンは農学部の休学生。学費を貯める、という名分で金を稼いでは、水商売の女と懇親を深める日々、と。とんだ剣士がいたものだ。
「まあまあ二人とも。落ち着いてくれよ」
グレンの素行はヤバそうだ。本当に剣は強いのだろうか。
「こんなのいつもの事だよ。そういやアールは何を専攻したいの?」
「私は魔法だ」
「魔法ー!!??」
ニールが目を丸くする。魔法専攻の学生は、他分野の学生数に比べて少ないとはいえ、五人や十人ではない。そんなに驚くようなことだろうか。
「魔法を専攻している奴はウチの同好会にはいないぞ。別に制限があるわけじゃないがな」
「ほんっと珍しいよ。あいつらお高く留まってて、全学の同好会とかサークルには滅多に所属しないんだ。魔法専攻の学生にしか入会資格のない限定サークルがいくつかあって、何が楽しいのかその限定サークルで身内ばかりで固まってる。それに、魔法を専攻する連中は、軍人でもない限り武術は熱心じゃないからなあ」
専攻分野によって作られる溝を、グレンとニールが説明してくれる。そう言われると私が特別に情熱を持っているかのようだ。そこまで熱い気持ちを持っていないことに申し訳なくなってしまう。
「いや、なんだ、その。小さい頃からせっかく剣を練習したことだし、それを続けよう、というだけだ。過剰に期待されないように言っておくと、別に剣を愛してやまない訳じゃない」
「それでも入ってくれたら嬉しいよー。アール、絶対大学合格してくれよ。他の同好会の奴に自慢するから。うちの同好会に魔法専攻の奴がいるんだぜってさ」
ヤバイバーもニールに同意し、うんうん、と頷いている。
こういうのは内部の者にしか分からない諸事情だ。学部別同好会がある、とか、全学の同好会と見えない確執がある、とか。
「俺の過去問はタダで全部アールにあげるよ。今度部室に持ってくる。次はいつこれる?」
同好会なのに部室というのか。そういえば、同好会案内冊子の紙面においても、代表の役職は"会長"ではなく"部長"と表記されていた。そういう慣習なのだろう。
「いや、まだ入ると決めたわけじゃ……」
「ええー!! そんな悲しいこと言うなよ、何か気に入らないことでもあったのか?」
「だから、今日はまず見学をだな……」
「アールは自分より強い相手を探している系? それとも同じレベルの好敵手を探している系? もしかして、自分よりも弱い相手を……」
「前二つだ」
「最初の一つはまずクリアだな」
私の実力を見る前にそう判断するとは、グレンはそこまで強いのか。イオス一押しなだけある。
「あとはアールの腕がどれくらいか次第だけど、人数はそれなりにいる。きっと同じくらいの強さの部員がいるよ」
「期待している。それからニールはどれくらいの腕前なんだ?」
「俺は地元の子供の中では一番強かった。二歳年上にだって負けたことがなかった。でも、徴兵では同期相手にたまに負けてた。んでもって同好会の中では真ん中くらい。大学に来る前は、『自分の剣の腕は結構いい線いってる』って思ってたんだけど、同好会に入って現実を思い知らされたよ。大人になっても剣を続けている奴らは、やっぱ皆強いんだよ。村にいるうちはともかく、人間が多い所に来ると、強い奴はいくらでもいるんだよねー」
徴兵新兵に訓練をつける教育隊の教官は、新兵からすれば歯が立たない雲の上の強さだ。その教官ですら、正規軍人の中では、"それなりの強さ"でしかない。強い人間の中に入ると、一気に霞んでしまう。同じような現象が、大学の同好会でも発生していた。
「じゃあニールのほうが私より強そうだ。私は地元にいた頃、年下の子供相手にすら負けていた」
「そんなもんだよ。一番になれるのは一人だけ。ヤバイバーの試合が終わったら俺とも試合しようぜ。賭けはなしで」
「ああ、望むところだ」
そのあとも三人で雑談をしながらギャラリーが十分に集まるのを待った。
グレンの武勇伝を聞くことで、剣の実力は間違いないほどにヤバいことが、より決定的になる。同時に、大学生活と私生活も悪い意味でヤバいことが分かった。
年齢は見た目通り四十を過ぎているのに一向に大学を卒業する気が無い。矯正不能な素行の乱れがあるから、このままずっと休学をしていそうだ。二十歳そこそこのニールや他の部員と全く同じ口調で会話をしていて、この場によく馴染み、雰囲気だけは若い。ただし、将来は察せられるものがある。
話しているうちに徐々に部室には人が増え、ニールは賭けを仕切るために雑談から抜ける。私とグレンは準備運動のために地下へ向かった。
準備が整い、試合の始まりを待っているとニールが現れた。
「二人とも準備はいいかーい?」
「ああ、いつでも問題ない」
「私もだ」
「じゃあ試合形式は二本先取、木剣使用、防具着用、いいのを寸止めされたら一本にカウントするから。降参ありで、降参するか戦闘不能になったら試合は終了ね」
寸止めを一本にカウントという珍しい試合規則だ。グレンは寸止めの達人なのか。
「ああ、それでいい」
グレンも頷く。
「はい、じゃあ試合開始」
えっ? 何この始まり方……
人が集まるまで待った割に、盛り上げる口上を述べる、とか、それっぽい間をとる、などはせず、締まりのない試合開始が告げられる。
いけない、今は目の前の相手に集中しないと。気を取り直し、兜越しにグレンを見る。グレンは癖のない正眼に剣を構えている。
さて、どう攻めるか、と思った瞬間にグレンのほうから剣を繰り出してくる。早いでもなく、力が籠っているでもなく、様子見の剣だ。
初対面の挨拶のような、形式的に振るわれるグレンの剣に軽く応じると、グレンはまるで確認するかのように、二手、三手と次々と剣を繰り出してくる。一手、また一手と私が応じる毎に、グレンの剣は速さと重さを増し、徐々に荒々しさの目立つ振り方になっていく。
グレンのこの剣の撃ち方が「荒れ狂う銀閃」という名前の由来だろうか……などと考えられたのは最初のうちだけで、剣の速さは上限知らずにみるみる増していく。なんだ、この剣の速さは。
速くなるほど剣の軌道は暴れそうなものだというのに、グレンの剣は速くなるほど洗練されて無駄が無くなり、荒々しいのに美しい、不思議な剣の結界を作り上げていく。
あまりの連撃に堪らなくなり、距離を取ろうと試みるが、グレンの剣先は私を完全に捉えて逃さない。遮二無二強く払っても、全くスピードが落ちずに切り返しを撃たれ、力を使った分だけ自分がきつくなる結果しか生まない。
試合開始から何秒たった? 十秒か? 二十秒か?
たったそれだけの打ち合いで私の腕は重く辛くなってきている。呼吸も苦しい。
それに対し、グレンの呼吸は全く乱れていない。剣の速度増加は徐々に落ち着いてきているが、グレンの上限が近い、というよりは、私の限界を見切って速度を上げていないだけのように見える。本気を出せばグレンはもっと剣を速く撃てる。
活路を見出すどころではない。余裕たっぷりに撃たれるグレンの遊びの剣を防ぐのが精一杯だ。その防戦も、これ以上保ちそうにない。
呼吸が苦しくなるあまり、私の視界は、端の方から黒く霞んでいく。
意識が……飛ぶ……
視界があと少しで完全に暗転する。そう思った瞬間に、兜に軽やかな一撃を加えられる。
「一本~」
ニールからやる気のない一本奪取が宣告された。
頭部に走る軽快な衝撃が、私の意識を現実に留まらせる。
ああ、良かった。少し休める。
一本取られたことよりも、やっとまともに呼吸ができる、息が吸える、ということに安堵を感じてしまう。
最後の一本は、私を怪我させることのない完全に力の抜けた軽い一振りだった。実力差がありすぎて全く勝負になっていない。二本目をやる意味を感じず、降参しよう、と私が口を開く直前に、グレンが口を開く。
「二本目、真剣でやってみるか」
グレンは軽い口調で真剣を用いた一戦を提案する。木剣であろうと真剣であろうと、ここまで差があると勝負にならない。真剣を用いても、私に怪我を負わせずに勝つ自信がある、ということだ。
「闘衣ありでもいいぞ。その剣、闘衣対応装備なんだろ?」
「ああ。だが負けてもこの剣はやらんぞ」
「構わん構わん、それ、本気で来てみろ」
木剣を置き、ヴィツォファリアを抜くと、グレンも木剣ではなく、先ほど携えていた剣を抜き出す。正直私が真剣を使ったところで、グレンの木剣にすら敵わないような気さえする。胸を借りる立場なのだし、野暮なことは口にせず、グレンの意図に黙って応じることにする。
呼吸が整うのだけを待ってもらい、視界が元に戻ったところで闘衣を纏う。私の闘衣に反応し、観衆から「おぉ~」と歓声が上がる。
対するグレンは闘衣を纏っていない。いかに力量差があるとはいえ、闘衣を纏った剣を、闘衣なしの剣で受けることはできない。武器が破損してしまう。まさかグレンは私の剣を受けるどころか、全て避けきる自信でもあるのだろうか。それとも一合もせずに私を倒す手があるのか。
試合展開の予想図を全く描けないうちに、ニールから「二本目開始~」と合図が出される。
グレンの連撃は手が早すぎて、私には闘衣をスイッチングする余裕はない。だからこそ、こうして常時展開にしている。
一本目と異なり、グレンは二本目が始まっても自分から撃ってこない。別に私の魔力切れを狙っている、ということでもないはずだ。撃ってこい、ということか、カウンターでも狙っているのか。
何を考えているにせよ、私が格下の挑戦者であることには変わりない。私がどう撃ち込んだところで、グレンが怪我を負うこともないだろう。
息を吐き、今できる最速の上段からの振り下ろしをグレンに見舞う。グレンは身体捌きで避けることはせず、私の振り下ろしを剣で防ぐ。剣同士がぶつかる直前にグレンの剣と全身は、闘衣で覆われていた。
闘衣同士の衝突による一瞬の硬直が私の身体を襲う。グレンの身体も硬直するはずだ。問題は次にどう動くかだ。
一瞬の硬直の中、次の剣の撃ち方を考えようとするも、グレンは硬直していない。私の時間だけが止まっているかのようにグレンは体を動かし、流れるように私の胴へと横薙ぎを振るう。
グレンの動作がゆっくりと見える。私の身体はまだ動かない。まだ硬直が解けていない。この緩慢に流れる時間……これは私の身体が死の危機を感じているということか。
なんとか身体を動かして横薙ぎを避けるなり防ぐなりしようと力を込めるのだが、私の身体はやはり動かない。身体を動かそうと私の意識だけがもがき続ける中、グレンの剣はぬるりと私の脇腹に近づき、当たる直前でピタリと止まる。
私の時間だけでなく、グレンの時間も、そして世界の時間までも止まってしまったのだろうか?
「寸止め、一本~」
私の妄想を打ち払うかのように、やる気のないニールの宣言が世界の時間を再び動かし始める。
観衆たちがドッと沸き立つ。私の意識は、ゆっくりと時が流れる音のない世界から、いつもと同じように時が流れ音のある現実の世界に戻ってくる。
ニールが一本を宣言するまで、この地下室は本当に無音だったのか、それとも私の耳に届いていなかっただけなのか。
整っていたはずの息が、再び急速にはずみ、全身から汗が噴き出す。身体を動かした汗と、過緊張を脱した反動の汗との二つが混じりあい、肌着とともに私の身体にべったりと張り付く。
グレンは剣を納めると、勝ち誇った顔で私を見下ろしている。
「どうだ? 我らが同好会に入りたくなっただろう?」
「今は何も考えられない。臨死の畔から帰ってきたような気分だ」
「そんなに怖かったのか。別に殺気など出していなかったつもりだ」
グレンは動きからも表情からも常に余裕が見えていた。勝負でも試合でもない、剣の型を披露しただけ。それに私が勝手に恐怖していただけ。
「はい、二人ともお疲れさん。疲れてるのはアールだけかな。ってすごい汗だな。大丈夫かい、アール?」
「ああ、問題ない」
「一本目はそこそこ撃ち合ったもんなー。上で休んできたら? 横になれるし」
「本当に大丈夫だ。腕は疲れてまだ力が入りづらいが、呼吸は整ってきたし、汗をたくさんかいただけだ」
「そうかい。じゃあ適当にここで活動を見て行ってくれ。俺は払い戻しで時間がちょっとかかる。それが終わったら俺とも試合しようかー。あ、木剣の闘衣なしでな。俺、あれ使えないから」
「ああ、分かったよ」
一本目を見ても臆していないとは、ニールは私以上の手練れということらしい。
それにしても、二本目は全く予想外の負け方をした。剣の操作もそうなんだが、あの闘衣の使い方はなんだ? 魔力量は私と同等程度しかないのに、闘衣の扱いは私よりもずっと上手い。
打ち合った瞬間、グレンは間違いなく硬直が無かった。上達すると硬直無く動けるようになるのか? 剣がぶつかる直前まで闘衣を纏っていなかったことが関係しているのか?
あの動きはエヴァもできるのだろうか。エヴァと手合わせをしたことはないが、多分できるのだろう。脳内で繰り広げた対エヴァ戦は、全く意味が無いものになってしまった。
少なくとも硬直問題について解決の糸口を掴まないことには、一つ上の次元には行くことができない。ここで学ぶことは多そうだ。
その後、ニールが戻ってきた後も少し待ってもらい、部室の練習風景を見学する。
まず全体的にアーチボルクで私が通っていた修練場よりもレベルが高い。あの修練場で最強だった男と同じくらいの力量の者が、ここには三人もいる。そして、それ以上の強さの者が、グレン以外にも二人いる。
剣の上手さと闘衣が使えるかどうかは必ずしも関係がない。闘衣無しを前提とすれば、ここには少なくとも私と同じかそれ以上の剣士が六人いるということになる。
しかも今日は部員が全員集合している訳ではない。同好会には完全な幽霊部員、年に数回顔を出す部員、飲み会専用部員、カード専用部員、練習参加部員など、色々な属性の人間がいて、練習参加部員に限って考えても、全員が集まる曜日というのは無いらしい。
修練場でも全員参加する日なんてなかった。つまり今日、この場にいる部員以外にも、強い部員がいる可能性は高い。
他にも学びはある。魔力量の多寡と剣の強さはまた別、ということを再認識させられた。常識であると同時に、忘れがちなことである。グレンはその最たる例だ。
グレンは魔力量でいえばプラチナクラスからチタンクラスだが、剣の上手さで言えばチタンクラスのエヴァと同程度か、あるいはもっと上手いかもしれない。剣の技巧の差が、魔力量でのクラス判断を大きく覆すまでに強さの決定的要因となる事は、今更ながらに私への戒めとなった。
今まで私と接する機会の多かった者は、魔力量と強さとの間に比較的よく相関がみられていた。そのことが、私に常識を忘れさせる原因となってしまっていた。
これは対人だけでなく対魔物でもそうかもしれない。ルドスクシュと戦った時に私はこう思った。ルドスクシュとエヴァの魔力量は同じくらいなのだから、こっちは二人いることだし、問題なく倒せるだろう、と。勝敗見通しどころか、愚考とすら呼べない単純反射だ。
エヴァはあのとき、撤退を考えていた。最終的にエヴァはルドスクシュを倒したが、私の見立てがエヴァの見立てよりも正しかったのだろうか。そうではない気がする。エヴァはあの時、私とは違う何かを危惧していた。
サバスを引き合いにだしてみても、グレンと魔力の量はそこまで変わらないのに、実力は全く違う。もしサバスがグレンくらい強ければ拙かった。私はあのとき、サバスに勝てなければ逃げ出す算段を立てていた。これで相手がサバスではなくグレンであれば、逃げるどころか今日の二戦目のように、あっさりカウンターを貰って死んでいてもおかしくなかった訳だ。
グレンに惨敗したことで、私とサバスの違いが、「強いか、弱いか」ではなく「弱いか、非常に弱いか」に変化した。私はサバスに勝てただけであり、強者からみれば弱者の一人に過ぎないのだ。
強者の仲間入りを果たすためにも、この同好会には入部でよさそうだ。ワーカーとして一仕事した後に活動に参加できるし、久しぶりにちゃんとした剣の訓練ができる。
「決めたよ、ニール。私はこの同好会に入る」
ニールに入部意思を表明する。
「おー、そうか。入部おめでとー。これからよろしくな」
「ああ」
私はニールとガッチリ手を組んだ。
入部を決めた私は見学を切り上げ、ニールとの試合に臨む。
◇◇
ニールにはあっさりと勝つことができた。ニールは自信満々だったのではなく、グレンが容易く私を負かしたせいで、私の実力がよく分からなかった、というだけだった。ニールの剣はカールよりも少し強い程度だ。徴兵新兵からすれば大分強く、日頃から剣を修練している人間の中でいえば、ごく普通の腕前だった。
ニールとの試合後の話によると、私のように一見でグレンに挑戦しに来た者の中には、グレンに勝つまでいかなくても、それなりにいい勝負をした人間がいままでに何人かいた、ということだった。同好会の外にも強い者はまだまだいる。恐ろしいものである。




