第四五話 転生説の破綻 六
墳墓。言わずと知れたアーチボルクの西に位置するダンジョン。その中で死んでいったハンターや修道士の卵達の数以上に、アンデッドが次々と湧いてくる不思議な場所。教会と信学校の人間にとって、良い修行場だ。
あのダンジョンは、国内のダンジョンでも特別な位置付けとなっている。ハンターであのダンジョンに潜るのは教会とズブズブの関係の者達だけだ。教会と契約関係にない限り、金銭的な実入りが全くと言っていいほど無いからだ。
前世の私は墳墓で命を落とした、ということか。
「わた……セリカはお二人とパーティーを組んでいたんですか?」
「違うよ。私達は、墳墓の中で偶然彼女を見かけたんだ。私達の戦う姿に驚いたのか、彼女はダンジョンの奥に逃げ出した。逃げていく彼女の周りに、パーティーメンバーの姿は見えなかった。これは別のハンターか手配師から聞いた話なんだが、当時の彼女は、とあるハントで仲間達の命を失って一人になってしまっていた。一人になってからの彼女は、まるで自分を死地に追い込むような無茶なハントを繰り返していたらしい。私に勝負を挑んできたのも、そういう壮絶な精神状態にあったからなんだろう、今思えばね」
「セリカとはダンジョン内で戦ったんですか?」
「それはまた別の日の話だ。彼女と勝負したのは墳墓で見かけるよりも何日か前、場所はダンジョンの外、街外れだ」
穏やかだったイオスの魔力が、ワイングラスを傾けたときのように、彼の体内でゆらりと動く。
「私とアッシュは当時、墳墓に湧いたエルダーリッチの討伐を依頼されて何回かダンジョンへ潜っていたんだ。潜ってもなかなか件のエルダーリッチを見つけられなくてね。そんなある日、ダンジョン探索を切り上げてアーチボルクに戻ったところで、街中でセリカにいきなり絡まれて、街外れで戦って。それが彼女との出会いだ」
イオスの目は今日この日に焦点を合わせず、在りし日のアーチボルクと墳墓を映し出している。
「戦いは私が勝ち、その後は特に何があるでも無かったんだが、その数日後に、私とアッシュでダンジョンに潜ってアンデッドと戦っていた時に、遠目に一人ぽつねんとこちらを見つめるセリカの事を見つけたんだ。彼女は私の視線に気付くと、ダンジョンの奥へ走っていった。その頃には私とアッシュは彼女の事情を知るようになっていたから、彼女の身を案じて追いかけたんだが、なかなか追い付けず、そのうちにエルダーリッチと遭遇して交戦状態になってしまった。私達がセリカを追い始めた地点からエルダーリッチがいた場所までは一本道だったはずなのに、エルダーリッチを倒した後、いくら探しても彼女の行方は杳として知れず、亡骸も見つからなかった。まあ、私達にとって墳墓は通い慣れたダンジョンでもないし、ダンジョンには脇道がいくらでもある。うまく逃げたんだ、と信じることにして、その場を諦めた。彼女とはそれきりだ。最終的に彼女がどうなったかは分からないんだ」
言われてみると、アッシュとイオスに追われて必死に逃げた記憶がある。「気配遮断を上手く使えば、アッシュとイオスを撒くなんて、わけはない」という、非常にどうでもいい思考だけは思い出すことができた。そんなことよりも、何故そのときアッシュとイオスから逃げたのかが気になる。勝負を挑んで負けたばかりだった手前、顔を合わせるのが気まずかったのだろうか。これはいくら首を捻っても思い出せないパターンだ。
でも、イオスの話と私の記憶を組み合わせると、セリカは墳墓で死んでいないことになる。もしかすると前世の私は今でも生きていていたりしてな。ははは、そんなわけないか。
……
待てよ、そういう話に覚えがある。実話ではなく、創作系の小説のストーリー。その小説を読んだのは現世ではなく、多分前世だ。
とある所に、出で立ちから立ち振る舞いまで瓜二つの母と娘がいた。母と娘が似ていた理由は、血の繋がりだけではなかった。母と娘は、同じ精神を有していた。転生は時間も場所も選ばない。肉体が没した後、精神は次に宿る肉体を探す。精神が向かう先は、未来だけではない。過去に戻って転生することすらある。
娘の精神は、肉体が死んだ後、時間を遡って自分の母の肉体に宿り、転生を果たした。転生した直後は、本人も「自分の母親に生まれ変わった」と気付かない。転生者であることを別段意識せずに凡庸な人生を過ごす中で、夫を持ち、やむを得ぬ事情で転居し、子供が生まれ、と、次第に過去生の記憶と重なる事象が続き、自分が母親に生まれ変わったことに思い至る。彼女は自分が産んだ娘が、自分自身であることを理解する。彼女は娘を愛し、娘も彼女を慕う。幸福な状況のはずなのに、彼女は思う。
前世の自分が慕った母親は、自分自身であり、前世の自分が信じていた「本当の母親」は全世界、あらゆる時間軸のどこにも存在しない。自分が信じていた世界が足元から崩れていく感覚。彼女は悩みを誰にも打ち明けられないまま、転生前の自分を育てているうちに、少しずつ心を病んでいく、というのが大まかな粗筋だ。
昔の自分を育てるという時間の矛盾。『転生が時間を遡ることができる』というのが、創作小説の独創的なギミックではなく、実話を基にしたものだとすれば、前世の私がまだ生きていたとしてもおかしくはない、ということになる。しかも、実話参考物のストーリーで性質が悪いのは、一部を改変している点にある。
セリカがまだ生きているとして、小説の母と娘の様に、私とセリカが出会って何事も無ければいいのだが、実際は何らかの因果律が働いて、私とセリカのどちらか、ないし両方が突然命を落とす、とか、私の精神がセリカの側に吸収される、なんてことがありはしないだろうか。そんなことがあったら恐ろしすぎる。
セリカは逃げ出した後、どこに行ったのだろう? まあ、アーチボルクにいた事すら覚えていなかったのに、行き先なぞ思い出せるわけがない。思い出すには、また別の切っ掛けが必要だ。
「あの人は生きているかもしれない、か。それだけ分かれば十分です」
「君は全てを知っている訳ではない、と言っていたね。つまり、知っている部分がある、ということだ。分かるところだけでもいいから教えてくれよ」
「そうですね……。私は剣より魔法のほうが得意です。ですが、イオスさんには魔法では歯が立たないので、戦うとしたら剣を……それも小剣を持って虚をつく戦い方をしますが、剣も通じずに負けてしまうでしょう。という風に、イオスさんとその人の勝負を再現するつもりでした」
母との戦闘の記憶が曖昧な割に、イオスと戦った時の記憶はそれなりに思い出せる。なぜだろうか。
「私自身、今の今までセリカとの戦いがどんなだったかも忘れていたよ。君に言われて、当時の光景が甦ってきた。セリカは魔法使い然とした防具を装備していたのに、補助魔法を自分にかけた後、魔法攻撃はせずに、剣で向かってきた。驚かされたものだ。しかも、あの細腕で大した膂力だった。君は戦いの様子をセリカ本人から聞いたのかい?」
「私はその人に会った記憶がありません。私が知っている情報はそのくらいのものです。あとは、私はキーラという女性を実母だと思っていましたが、イオスさんの話を聞いて、その人が私の実母かもしれないな、と今は思っています。私も真実は分かりません」
「秘密ではなくて呪いのようなもの……か。言いえて妙かもしれないな、人の出生をそう表現するのは。セリカは不思議な人だったよ。初対面なのに、いきなり私の子供が欲しい、と言ってきて面食らわされた。結婚詐欺の類だとばかり思い返答に窮する私に、今度は戦いを挑んでくる。どんな人間なのか、全く理解が追いつかなかった」
ああああぁぁぁぁ。
何をやっているんだ、セリカは。前世のことながら頭がおかしい。確かにそんなことを喋った記憶がある。思い出したくなかった。忘れたままでいたかった。セリカは何を考えて、そんなことを言ったのだ。思い出すだけで、私の心が抉られるように深い傷を負う。
セリカが私だ、とイオスにばれた暁には、恥ずかしくて生きていけない。セリカが私の前世ではなく、実の母親だったとしても、顔から火の出るような恥ずかしい過去には変わりない。
イオスの顔を見られずに俯いていると、救いの手を差し伸べるかのようにタイミングよく注文した料理が運ばれてきた。
「たくさん注文していただけあって、何皿も運ばれてきたな。とてもいい匂いだ。夜はあまり食べないようにしていたが、昼食抜きの空きっ腹に酒だけ流し込んでも食欲を満たしきれない。私も少しもらっていいかな」
「ええ、もちろん……」
イオスもセリカについて、それ以上の事を知らなかったため、前世の事にこだわらず、イオスのその後の事などを中心に話を聞く。アッシュとどこに行っただの、アッシュが結婚してペアを解消したあと、ソロで苦労したことだの、四十歳を過ぎた頃から熱心になってきた大学の勧誘に対する気持ちの移り変わりだの、だ。
酒が入っていたおかげか、それとも普段からそうなのか、年の離れた私に対して、イオスは気さくに話してくれた。冷たそうな見た目と違って、とても話しやすい。「氷の魔術師」という二つ名や、美しい容姿によって、前世から現世に至るまで私が先入観を抱いていたことを理解する。
取り敢えず話をまとめてみよう。
前世の私の名前はセリカという女性。剣も使うが魔法が主体。アーチボルク付近でハントをしていたある日、パーティーメンバーを失ってしまった。その後、ソロで無茶なハントを繰り返していた折に、エルダーリッチ討伐のために墳墓に出入りしていたアッシュとイオスに、街の中で出くわした。女性の熱視線を集める二人を見て興味を持った私は、イオスに無茶苦茶な話題で声を掛けて、手合わせを申し出て、結果惨敗した。それが契機となり、アッシュとイオスは私に興味を持ってくれて、人伝で当時のセリカの事情を知るに至った。
その数日後、セリカはダンジョン内でアッシュとイオスにばったり出くわした。謎の理由でセリカは二人の前から逃げ出し、アッシュとイオスは心配してセリカを追いかけてくれた。しかし、追いかける道の先にはエルダーリッチがいて、セリカの事を見失った。その後のセリカの行方は、二人は分からないし、私も覚えていない、と。
まさか、そのエルダーリッチの正体が私、とかいうオチではないだろうか? それも違うな……エルダーリッチが私よりもずっと強そうで、肝を冷やしながら気配遮断でこそこそ隠れてやり過ごしたはずだ。んー、その後どうなったのだったか? 思い出せない……
イオスの話は一貫していて、特におかしな点は無い。おかしい点を挙げるとすれば、いずれもセリカの言動ばかりである。しかし、イオスが語るセリカの言動は、私の記憶と合致するから、イオスは真実を述べている。なぜ前世の私はこんなに奇天烈な行動を取っていたのだろう。現在の私が取っている行動も、他人の目には奇異に映っているのだろうか。
「そういえば君は闘衣を使えるんだったな」
「ハントで最近使い始めたばかりで、まだまだ不慣れです」
「さっき私と一緒にいた女性、カリナさんに手をかけようとするとはね……」
あれは前後を顧みないとんでもない行動だった。カリナには見えていなかったからいいとして、イオスにも酔ってそのまま忘れてもらいたいところだ。イオスの雰囲気を見る限り、酒を飲んで記憶を失くすタイプではなさそうだから、期待薄である。
「あの時はどうやってイオスさんを戦いの場に引き摺り出すかばかり考えていて、それを遮られたせいで頭に血が上っていました。彼女はほぼ悪いことはしていなかったのに」
「ほぼ、ね。彼女の悪事、というのは、君の相談を遮ったことではなく、オープンキャンパスからの排除のことを言っているな? 君は若い。二十歳前後か、徴兵明けの新成人に見える。カリナさんの睨んだ通り、大学のオープンキャンパスのために学園都市に来た人間の一人ではないのかい? 少し心配だな……」
「見立ての通りですよ。しかし、ご安心ください。自分で何とかしてみせます」
「暴力沙汰は駄目だぞ」
私は傀儡が使えるから暴力なんて必要ない。不正に処理された書類を元通りにするだけでいい。
「誰も損しませんよ。カリナさんのストレスが溜まる程度のものでしょう」
「不謹慎だが、どう事が転ぶか楽しみではある。何を隠そう、あの人に今日会ったばかりの私も、面倒くさい人だ、と感じた」
「新任教授の身辺調査の体で、結婚相手として品定めされてましたよね」
ルックス的にも能力的にもお頭の出来から言っても、カリナは身の程知らず、としか言い表しようがないと思う。頭が悪過ぎると、釣り合いというものを考えられないのだろう。
「君もやっぱりそう思うか……。って、私達の話をどこまで聞いていたんだ」
「さあ、通りすがりの人間が耳に挟むことのできる程度しか……。でも彼女は完全にイオスさんを捕捉していますね。身軽なハンターならともかく、鈍重な教授ではあの魔手から逃れるのは大変ですよ。それこそ、さっさと別のいい女性を見つけて結婚でもするしか……」
「はあ……気が重くなる話だ」
イオスはテーブルの上で組んだ両手に額を預けて俯いている。
「そういえばイオスさんは何で結婚しないんですか。独身主義ですか。それとも同性愛者なのでしょうか……」
「私は異性愛者だ。だが、元相方のアッシュとは違って、私は女性ウケが悪いらしくてね、縁が無かっただけだよ」
はあ? こいつは何を言っているんだ。
アッシュもイオスも、当時街を歩くだけで黄色い声がたくさん上がっていたではないか。確かに女性が群がるのは、フレンドリーなアッシュのほうばかりだった。しかし、イオスがもてていない訳ではなく、見た目がクールで気位が高そうだから、好意を抱いている女達はイオスに近寄れず、遠巻きに見ていただけである。イオスに憧れている女性は少なからずいて……そうだ、それで当時の私は興味を持ったんだ。
イオスに話し掛ける適当な話題もないから、つい「お前の子供が欲しい」と言ってしまったんだ。あぁ……要らない事を思い出した。思い出すたびに心が抉られていく。
「イオスさんは今も十分格好いいです。望めばすぐに相手が見つかると思いますよ」
もう十歳くらい若ければエルザに引き合わせてもいいくらいだ。私が気に入ったくらいだから、エルザも気に入ってくれるはずだ。しかし、さすがにこの年齢になってしまうと、エルザがちょっと可哀そうかな。
「みんな社交辞令でそう言ってくれるよ」
「じゃあ今日のお礼の一つとして、いい女性がいたらイオスさんに紹介しますよ」
イオスがふと真面目な顔をして考え込む。女性のことをそんなに悩んでいたんだろうか。理想がかなり高いのかもしれない。ならば、紹介する相手は慎重に選ばないといけない。
「日中、私に礼をしてくれる、と言ったな」
「何なりと」
食べ物を一杯口に頬張りながらサムズアップして力強く答える。
「君はこの大学に入るつもりなんだろう? しかも職業はハンター。受験が終わったら、新学期が始まるまで私のハントについてきてもらおう。長旅になるから、パートナー探しに困っていたんだ」
エヴァと別れたその日にチタンクラスのハンターと一時的のペア結成か。しかも、テンポラリーといっても、受験終わりから新学期開始まで、ということは二ヶ月前後ということになる。
ああ、そういえば今のイオスは、チタンクラスではなくてミスリルクラスだったな。……待て待て待て、より拙いではないか。ミスリルクラスのハントに付き合っていたら私の命が保たない。
「申し訳ないですが、イオスさんのハントの役に立てるほどの実力はありませんよ」
「強さに関しては闘衣が使えれば十分。魔法主体で闘衣を使えるってことは君もプラチナかチタンクラスのハンターと見た。今回求められるのは、強さはもとより、潤沢に時間がある、ということと……」
「あとは?」
「法にすら縛られない豪放さかな」
そう言ってイオスは泡ばかりのジョッキをあおる。壁越しに聞こえる酒場の喧騒の音量が、不意に上がった気がした。
「何か追加の飲み物を頼みますか。酒精を含まないものでも」
「ああ、そうしよう。ただ、酔った勢いで喋っている訳じゃない。前から考えていたことだし、パーティーメンバーがいなくても、どのみち一人で行っていた。誰かを傷つけるとか、誰かに損をさせる類の話じゃない」
呼ばれてやってきたウェイターに追加の注文を出しながら、イオスが何をしようとしているのか考える。
違法薬物の精製とか輸送であれば損、というより被害を受ける人間が出てくるだろうから違いそうだ。
長旅のハント。どこかのダンジョンにでも潜るのだろうか。法を犯して? マディオフには私の知らない禁制の敷かれたダンジョンがあるのかもしれない。
注文を取り終えたウェイターが部屋を出ていくと、イオスが続きを喋りだす。
「国境を越えるつもりだ」
密出入国を犯した上でのハントか。それはメンバー探しも難航する。
「そんな計画を今日会ったばかりの人間に話していいんですか? 私が誰に何を言うか分からないでしょう」
「それは心配していないさ。なにせ私は君の弱みを握っているんだよ。カリナさんを殺そうとしていたからね」
「彼女はそれに気づきすらしていませんでしたよ」
「カリナさんはおそらく魔盲なんだろうな。ただ、私がそう言い出せばきっと彼女もそれに同調するぞ? そうしたら君は殺人未遂で捕まってしまうな。嫌疑不十分で解放されたとしても、一度そういう疑いがかけられたら、君が私の事を犯罪者予備軍として告発したところで、誰も聞く耳をもたないさ」
見た目にそぐわず腹黒い事を考えている。ある程度は頭が働かなければハンターとして、いや、ハンター以外のどの分野においても、一流の世界に身を置き続けることはできないか。上に行けば行くほど、厄介事が降りかかってくるのが世の常なのだから。
「はぁ……。今日は非常に重要な話を聞かせてもらいましたからね。いいですよ、お付き合いしましょう」
イオスに借りがあるために、やむを得ず協力する、という体を装ってイオスの頼みを承諾する。
「それで、どこの国に行くんです? オルシネーヴァですか、ジバクマですか、まさかゴルティア?」
イオスはやれやれ、と首を竦めて苦笑いをする。
「オルシネーヴァは友好国だ。それなりに行く手段はある。向かうのはジバクマさ」
ジバクマか。マディオフの南に位置し、周辺国では唯一、ブラッククラスのハンターを擁する国。気候は温暖で、植生も棲息する魔物もマディオフとは毛色が異なる。
「ジバクマは行った事がありません。楽しみです」
「そもそも外国に行ったことのある人間なんて限られている。普通は行ったことがないんだよ。それにしても、不法に外国に行く、と告げられたとは思えないノリ気だ。若いってのはいい」
自分で言い出した癖をして、イオスは私が肯定的な態度を示していることに苦笑している。
イオスは何故、行き先を今、私に告げたのだろう。黙って目的地まで連れて行き、共犯者に仕立て上げてしまえば、マディオフを出る前に自分の身を危険に晒すことはないはずなのに。私を試しているのかもしれない。
「いずれにしろ入試が終わってからです。落ちたらいくらでも付き合えますが」
「君は受かる。そんな気がするよ。専攻の希望は魔法だろう?」
「ええ」
「では、より合格確実になった。闘衣を使える魔法使いを大学が落とすなんて考えられない。たとえどれだけ学科試験が不得意だったとしてもね」
「カリナが何らかの妨害を行うかもしれません」
「彼女はただの事務員だ。合否判定の権限など持っていない。できるとしたら君が提出する書類に不正を働く位だろう。そこは私に考えがある」
考え? もし私とイオスが考えていることが同じであれば……
あの女は無能さゆえに、逆に使い捨ての駒として利用価値がありそうだったが、イオスに嫌われているとなると、大学を去ることになるかもしれない。
魔盲というのは悲しいものだ。魔法を使えない輩は数いれど、魔力を感じることも魔法を見ることもできない魔盲レベルとなるとごく少数だ。先天性疾患であり、魔盲は生まれた瞬間から死ぬまでずっと魔盲である。
魔盲は仕事にも日常生活にも難をきたす。徴兵に召集されても魔盲と判明した時点ですぐに里に帰される。徴兵は国における社会的な通過儀礼でもあり、徴兵を満了していない以上、一端の大人と、それこそ真っ当な人間として見られることがなかった。
そういう風潮も最近は変わりつつあるらしい。カリナが大学に就職できて、偉そうにしていられるのがその証拠だろう。「徴兵期間の満了」は大学の入学要件の一つであるのに、大学入学資格を持たない魔盲が大学の職員をやっているのだから、ある意味諧謔な話だ。
就職だけならば、親の権力でなんとでも潜り込ませることができるかもしれないが、結婚は、同じく魔盲の相手を見つけない限り困難だ。魔盲は高確率で子供に引き継がれる。イオスのように優秀な魔法使いの結婚相手には、絶対してはならない。
「着任が新年度から、とはいえ、イオスさんはもう大学の人間といって差し支えないでしょう。内部の規律はしっかりとお願いします」
「君もこれ以上問題を起こして、大学どころか牢獄に入らないようにしてくれよ。ハントのメンバー探し、本当に大変なんだから」
ジバクマから帰国後に、二人仲良く牢獄入りする可能性もあるのに、おかしな心配をする奴だ。
「あの時は特別です。バレるようなイタズラは、普段しません」
イオスはククッと鼻で笑う。
「君は何だか若い頃のアッシュに似ているな。あいつも相当な曲者だった」
「そうなんですか」
アッシュは見た目、気さくな剣士、爽やかお兄さんといった風貌だ。愛想だって悪くない。そんなに酷い裏の顔を持っていたのだろうか。だが、イオスも純真無垢という訳でもなし、似た者ペアである。
「今でも人には話せないようなエピソードをいくつも抱えてるよ。私もアッシュもよく今まで無事だったものだ」
内容を聞いてみたい気持ちが少しばかりある。しかし、聞いたが最後、告発しない限り、私も共犯になってしまいそうだ。
「それより君はオープンキャンパスまでどうして過ごすんだ?」
「ワーカーとして学園都市か王都で働きながら、街の事を覚えるつもりです。上京したばかりで、全く馴染みがないんですよ、学園都市にも王都にも」
「なるほどな。仕事の合間、時間があれば、同好会やサークルに顔を出してみたらどうだ。学生でなくとも参加できるものがある。魔法関係のサークルは学生でないと難しいが、武術関係は比較的門戸が開かれている。そうはお目にかかれない強者が何人もいるぞ」
「まだ着任していないのに、どうしてそんなことを知っているんですか?」
「ハンターとして渡り歩いていれば、強い者には何らかの形で接点ができるものだ。特に剣士には凄い奴がいる。グレンという名前で、剣の同好会に所属している。同好会だけでもいくつかあって、どの同好会に所属していたかまでは私も覚えていない。興味があったら探してみるといい」
対人剣か。サバスとの戦闘を除けば久しぶりだ。そこまで名が売れた奴ではなくても、私より対人剣の強い者はいくらでもいるだろう。対魔物の剣術だけでなく、対人剣ももう少し磨いておきたい。金を稼ぐ合間に探してみることにしよう。
「ありがとうございます、住む場所が決まったら探してみます」
「まだ家も決まってないのか。本当に受験生さながらだな」
「さながらではなく、受験生なんですよ」
何が面白いのか、再びイオスは鼻をならして笑うと、泡すらなくなったジョッキに手を伸ばした後、中身が入っていないことを思い出してがっかりとして、追加注文した飲み物が届くのを待っていた。
その後、深刻になるでもなく、イオスのハント談義などをしばらく聞いて会はお開きとなった。抜かした昼食の分を取り返す以上の勢いで飲み食いしても、学生街だけあって二人分の勘定は安い。毎日通っても問題ないレベルだ。これで栄養バランスが整っているとなお良い。
イオスと別れた後、宿を取っていなかったことを思い出す。地図があるため宿屋街に行くことも可能である。しかし、もう夜も遅い時間である。満室で断られて、何軒も巡り回った挙げ句、不衛生な宿に泊まることになって、ダニやタムシのような外部寄生虫を貰っても面白くない。時間と金、健康の浪費となることを厭い、手頃な見知らぬ高い建物を見つけ、屋上で夜を明かすことにした。




