第四四話 転生説の破綻 五
イオスとカリナが別れたのが夕方。別れて後、カリナを監視して判明したのは、私のオープンキャンパスへの申込用紙が不正に排除されたこと、大学事務棟におけるカリナのデスクの位置、の二点だ。これだけ分かれば、オープンキャンパスについては何も問題がない。
問題は、監視にかまけているうちに、すっかり日が沈んでしまった、ということだ。イオスはもうスタンレーに着いていることだろう。地図を見ながらスタンレーのある地点に向かって全力疾走する。見知らぬ街を到着初日に全力疾走するとは、いい大人の取る行動とは思えない。
イオスは、私がスタンレーで待っていないことに立腹し、帰ってしまってはいないだろうか。焦る心に急かされつつ、道行く人に酒場の場所を尋ねる事三回、やっと目的地を見つけて入り口の扉をくぐる。
入ってみると、中はかなり広い。学園都市に構えている店だけあり、客層は若い人間が中心である。壮年後期のイオスが酒を楽しむ場所には、ついぞ思えない。ここは本当にイオスが待ち合わせに指定した場所に間違いないのだろうか?
店内を見回すと、カウンターに一際目立つ魔力を持った男の背中が見える。あそこに座っているのがイオスだろう。もし、これであの人物がイオスでなかったならば、イオスに匹敵する魔力量の人間が、この都市に何人もいる、ということになる。考えたくない話だ。
「すみません、イオスさん、遅れてしまって……」
謝罪しながらイオスの横の席に座ると、イオスは恨めしそうに目だけをこちらに向ける。
「君のために来た、というのに、なんで私が待たされるんだ」
カリナと別れて真っ直ぐここに来たのであれば、イオスは一時間以上この場所で待っていたことになる。イオスに大変申し訳ない。
不機嫌そうに語るイオスの吐息に、アルコール臭が混じる。
既に酒が回っている。イオスの前に置かれた大ぶりのジョッキには液体が半分ほどしか残っていない。この酒臭さからするに、大ジョッキ半分どころではなく、イオスは私が来るまでに、この大ジョッキを何杯か空にしているはずだ。
「言い訳のしようもありません。今日は私に奢らせてください。あと、場所を変えませんか? ここまで人が多い所で話せる内容ではありませんので……」
「奢りね……まあいいさ」
イオスはジョッキをあおり、残り少ない酒を飲み干す。遅刻した私を待ってくれていたこと、チタンクラスのハンターからしてみればありがたみもないであろう酒の奢りを受けてくれること、私の人探しに協力してくれること、イオスは見た目よりもずっと人が良い。
「しかし、店を変える必要はない。ちょうどいい場所を取ってもらってある」
イオスはウェイターに合図を出すと、席から立ち上がり店の奥に進んでいく。イオスに続いていくと、そこには客が十人は入れそうな部屋が整えられていた。木造のこの建物には、部屋を隔てたくらいでは防音に期待できないが、壁の向こう側がうるさい分、ここで普通に喋るだけであれば内容を誰に聞かれる心配はなさそうだ。
「学生達が使う大衆居酒屋に見えましたが、こういう部屋もあるんですね」
「たまたま団体客がここから出てくるのを見かけて知っただけで、私もこの部屋を使うのは初めてだ。そもそも、この店に来るのだってまだ数回目さ。取り敢えず、君も何か注文したらどうだ?」
イオスが落ち着いた様子で、ウェイターに追加の酒を注文する。そういえば昼を食べていなかったことを思い出し、私も食べ物を中心に注文を出す。
「君は酒を飲まないのか?」
「初めて訪れた場所で酔っぱらおうとは思えませんよ」
「初めて来た場所だからこそ、酔わないとやっていられない、という人はたくさんいるぞ」
「知りませんでしたよ、イオスさんがそういうタイプだなんて」
私がそう言うと、イオスはわざとらしくジョッキをあおる。
「普段は私も酒を飲まない。今日は何となくそういう気分なんだ」
手合わせしてくれ、と言っておいたのに、普段酒を飲まないイオスが、「そういう気分」を主張し、酔っている。ということは、イオスは今日手合わせに応じるつもりがない、ということだ。私は手合わせではなく、会話の中から何か有用な情報を引き出せないか考える。
「アルバート君は私の事を知っているんだよな。私達はどこかで会ったことがあるのか?」
「私が一方的にイオスさんの事を知っているだけですよ」
「そうか……。人を探している、と言っていたな。それは男性? それとも女性かい?」
「それは……」
それは私にも分からない。
「名前どころか、そこから秘密なのか」
「秘密、というよりも、そういう呪いのようなものだと思ってもらえれば分かりやすいかと」
実際、私が転生している理由や転生の機序は、私自身も知らない。純粋な転生ではなくて、本当に呪いの類かもしれない。
「イオスさんは魔物ではなく人と戦ったことがありますか?」
「ハンターをやっていれば、それは何度となくあるさ。狩場で下らない争いに巻き込まれることや、野盗に出くわすことも数知れずだ」
「そうではなくて、例えば手合わせとか一騎打ちとか、ですね」
「さっきも君は手合わせがどうとか言っていたな。手合わせか……。私がもっと武術に秀でていれば、アッシュの相手が務まったかもしれないがな……」
アッシュはイオスのパートナーで、ミスリルクラスの剣士だ。
「そういえばアッシュさんはどうしたんですか?」
「あいつは十年前に結婚して専業ハンターは辞めたよ。ロギシーンで暮らしているはずだ。ここ何年かは会っていない」
「そうですか。イオスさんに弟子とかはいないんですか?」
「いないよ、いたこともない。……ただ、君みたいにいきなり手合わせというか勝負を挑んできた人はいたな。もう何十年も前の話になる」
「そ、その人の名前は?」
思ったよりもずっと早く私の得たい情報に近づき、つい逸る気持ちが抑えられなくなってしまう。
テーブルに身を乗り出す私に、イオスは若干引き気味だ。
「なんて名前だったかな……。昔の話だから……ああ、そうだ。セリカという名前だった。確かそうだ」
セリカ。
そうだ。間違いない。私の名前だ。ついに取り戻したぞ、私の名前を……
自分の精神の欠損が大きく回復していくのを感じる。私の前世は女だったのか。男のような気も、女のような気もしたが、何となく男なんだろうな、と最近では思っていたのに。
「それで、イオスさんは勝負した時に、その人を……殺したんですか?」
「殺した? 人聞きの悪いことを言わないでくれよ。いがみ合いの末の戦闘でも、野盗との戦いでもないのに殺したりするわけがないじゃないか。勝負はしたけれど、私はちゃんと手加減した。彼女だって大きな怪我は負わなかった。もしかして君が探している人物というのが、セリカなのか」
何と答えるべきか、回答を準備していなかった。都合のよい言葉が思い浮かばずに黙っていると、イオスは勝手に何かを察したのか、テーブルの上をじっと見つめ始めた。
「君はセリカの息子さんなのか?」
イオスの思いがけない質問が、私に混乱をもたらす。
セリカは私の前世ではなく、私の母親なのか? 私の実の母親は、キーラではないのか?
……私の実母はセリカで、実はネイゲル家に養子として迎えられた……? 私の「前」の記憶は、前世ではなく、母親から引き継いだものなのか?
キーラの別名がセリカ、という考え方もできるかもしれない。私とセリカの関係性を考える前に、イオスとセリカがどういう関係なのかハッキリさせておかないと考察が進まない。まさか、イオスは私の父親だとか言い出さないだろうか……
酔ってもいないのに訳が分からなくなり、回復しつつあった精神の欠損が再び音もなく崩れていく。
「私の母親の名前はキーラ、ということになっています。私も全てを知っている訳ではありません。探している人物は、私にとって重要な人なのです」
「私も数回会っただけの女性だ。今はどこでどうしているのだろうか……」
セリカがまだ生きている? ますます訳が分からない。
「その人は死んだのではないのですか? 生きているんですか?」
「それが私にも分からないんだよ。彼女がどうなったのかを見届けたわけではないんだ。私もアッシュもなんとか助けようとしたんだが……彼女は逃げ出して……」
「お二人が見届けたセリカの最後の姿、それはどこでどんな状況だったのでしょうか?」
私がそう尋ねると、イオスは口を閉ざした。口を開きかけては閉じ、何かを閃いたかのように顔を上げたかと思えば下を向き、長考の後、ようやく話し始めた。
「最後に見たのはアーチボルクのダンジョン、"墳墓"の中層だ」




