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第四二話 エヴァとキョウリ

 母と弟との別れの余韻に浸る間もなく、寄せ場へと駆け足で向かう。昨日と違って今日は本物の遅刻だ。これから長距離移動だというのに、出足からして良くない。


 寄せ場につくといつも通りエヴァが待っている。


「おはようございます。アルバート君」

「おはよう。すまない、遅くなった」

「いつもの君と比べれば遅いですけれど、別に問題ないですよ。どうせまだ人を待っていることですし」

「人?」


 しばらく二人で待つと、「おーう、揃ってるなー」と、いい具合に脱力した声が聞こえてきた。


「おはようございます、シェルドン」

「えぇ……。シェルドンも一緒に行くの?」

「お前、せっかく来てやったポーター様に何て口の利き方だ。こりゃちっとばかし痛い目を見せてやる必要があるな……」


 シェルドンが左の手掌に右の手拳を力強く打ち付ける。完全にルドスクシュ討伐前のシェルドンに戻っている。


「アルバート君。アーチボルクと王都を繋ぐ街道は、マディオフの主要街道の一つであり、国内を貫く大動脈です。このような重要な行路の安全を確保することもまた、ワーカーや―ハンターにとって重要な任務といっていいでしょう。ですから我々は街道から少し逸れた脇道を通って王都へ向かいつつ、通りの魔物を一掃します。価格重量比に優れる素材や精石だけを回収して持っていこうと思いますが、何分長距離ですから量はどんどん増えるのでポーターが必要なのです」


 ハンターに課せられた有償の公益労務というやつだ。今年成人になった私にも協力義務があるはずだ。エヴァに言われたことで、大事な義務を思い出す。首を縦に振って了承し、移動しながら会話を続ける。


「私は広域狩猟者名目で税を納めてますからちゃんと王都で清算できますよ、安心ですね」

「そういえばこのまま移住するんなら、向こうでも狩猟税を納めないといけないのか。二重納税だ。今年の私は優良納税者だな。あれ、そういえば納税は大学と王都だと同じ扱いなのか、別なのか分からないな」


 狩猟税を納め、低報酬の労務を課せられ、ハンターというのもしっかりと国に搾取される職業だ。


「大学のある学園都市は確か別都市として扱われているはずです。今年から広域狩猟者名目に切り替えたほうがいいですよ。今までアーチボルクではどうしていたんですか?」

「代筆屋に全部頼んだ」

「大丈夫ですか? 実は報酬だけとられてちゃんと納税されていないかもしれませんよ」


 実にありそうな話である。代筆屋が払っていると思い安心しきっていたら、ある日いきなり謂れなき課税逃れを指摘され、無申告加算税や延滞税といった、いわゆる追徴税を課せられる。税金納付のために支払った金は代筆屋の懐に丸々入り、そんな契約は存在しない、と代筆屋は突っぱねる。


「父の紹介の代筆屋でそんなことをされたら信用も何もあったもんじゃないな」


 身内から紹介された人間に詐欺をはたらかれるとなると、防ぐのはかなり難しい。かといって、そこまで疑い始めると、社会生活は何も営めなくなってしまう。


「親の紹介かよ、ボンボンめが」

「費用は最終的に全部自分で出したぞ」

「いーや、信用できる人間を探す苦労から皆始まるんだよ!! それを経験していないアル坊は素人同然だ」


 手持ちの力や人脈、道具を十全に活かすのも、また一つの能力である。親の力を借りずに、全部自分一人で達成したい、などという無意味な拘りは持ち合わせていない。


「王都か学園都市に代筆屋の知り合いはいないか?」

「代筆屋の知り合いはいねぇが王都には友達が何人かいる。着いたら聞いてみてやるよ」

「助かる」


 私に絡むシェルドンを無視してエヴァに聞いたつもりだったのに、なぜかシェルドンが答えてくれた。苦労させたいのだか面倒見がいいのだか分からない。


「優しいんですね、シェルドン」

「優しさが荷物背負って歩いているような人間だぞ、俺は」


 優しさ、ではなくて、テキトーさ、である。


「王都っていうからには人が多いんだろうな」

「王都に行ったことないんですか?」

「言わなかったか?」

「初耳です。大学に行くのは初めて、とは聞きましたが」

「金を持ってる連中は月イチで行ってるイメージだったぜ。考えを変えんとな」


 母やエルザ達も、年に一、二回のものだったはずだ。月に一回も行ったりしない。王都に行っても、特に楽しんでいる様子はない。母の実家、つまり本家に顔を出してペコペコ頭を下げ、親戚回りをして、パーティーに出席して挨拶、挨拶、社交辞令に阿諛のち、また挨拶……。そのストレス解消に買い物して帰ってくるだけだ。往復の日数だって馬鹿にならないし、母も実家が王都になければ、年に一度も行かないのではないかと思う。


 パーティーは大儀極まりないものである。挨拶される側に回ると、知らない人間の顔と名前を覚えなければいけなくて大変である。親子で挨拶に来られたところで、親からしてまず初対面なのに、娘が年頃で、趣味がどうだとか言われても覚えてられるか、という話だ。挨拶の順番待ちに行列ができているのを見るだけで目眩と吐き気がする。


 挨拶する側だって大変だ。相手に良い印象を与えつつ、顔と名前を覚えてもらわなければならない。こちらから矢継ぎ早に喋ることもダメだ。二言三言の簡潔な言葉だけで、自分が手掛ける事業の素晴らしさと互いに交流を持つメリットを相手に直感的に想起させなければならない。……あれ、これパーティーの話ではないな。会議終了後の懇親会の話だ。


 ああ、これも「今」ではなく、「前」の記憶だ。どこから記憶が混線したか、自分でも分からない。エルザが王都に行ったのは、「今」の話……だよな?


「街道の整備がどんどん進んで、移動にかかる日数は短縮の一途です」

「魔物も盗賊も主要街道からは排除されているしな」

「その主要街道は今回通らずに脇を進むんだから、結局日数がかかるだろ」

「早く移動することだけが正義じゃありませんよ」


 そう言われると、逆に街道を外れてもどれだけ早く移動できるか挑戦したくなる。


「エヴァちゃんにはずっとアーチボルクにいて欲しかったんだがなぁ」

「身軽さが身上ですからね。周りの村にあまり行かなかったのに、アーチボルクに一年近くいたことを考えると、私の転地間隔からすれば、かなりの長居です」


 エヴァも移動の時期か。エヴァも王都に移って、かつ金銭重視のハントに切り替えてくれるのであれば、私は借金を返しやすい。


「なら一層、時間をかけて見ていってもいいんだぜ」

「王都に行くのはいい機会ですから、このまま移動します。同じ場所にずっと居ると、根が生えてしまいます」

「どっしりと根を下ろしたっていいんだぜ。ちょうど俺も家を建てていい頃合いかな、と思ってたんだ」

「ルヴェールが羨ましくなったんですね。分かります。いい家を建ててください。私は次にナフツェマフに行く、ともう決めています」


 ナフツェマフ……大森林の西南西側に位置する中規模都市だ。国土北東部においては最大の都市でもある。


「そこを拠点に大森林でハントをする腹積もりか」

「大森林も行ってみたいですが、あそこは一人だと厳しいんですよね。現地で組めるパーティー次第になります」


 私ももっと強くなったら、大森林に行ってみたいものである。特殊に過ぎる"火山"という場所を除けば、地上最難関のハントフィールドが大森林である。大森林には、今の私だと手も足もでない怪物が闊歩している。最難関、という言葉の響きが、挑戦意欲をくすぐってやまない。


 エヴァの移動先が王都ではなくナフツェマフ、ということは、このパーティーが近日解散となることを意味している。いつの間にか、このままずっとエヴァとハントを続ける気になっていたが、もうそれも終わりである。


「大森林に行くことを考えられる強さが羨ましいよ」

「アルバート君なら三、四年もすれば大森林に通い詰められるだけの強さは十分得られますよ」

「むしろ大学に行ったら、三、四年で腕が鈍りそうだ」

「いいえ、きっと君は強くなります。強くなれる機会や場が王都にはゴロゴロあるんですよ」


と、エヴァは意味ありげに笑う。


 在学期間に魔法が上手くなる、というなら分かるが、強くなるイメージは湧かない。王都や学園都市に魔物が蔓延っている訳でもあるまいに。かといってエヴァがそういう嘘をつくタイプにも思えないし、エヴァの言葉が何を指しているのやら。


「大学の周りに、訓練に都合の良いダンジョンでもあるのか?」

「それは、アルバート君自身が確かめてください」


 思わせぶりな発言だけして、詳細は口をつぐむ。エヴァのお決まりのパターンだ。


「俺も若い頃に金さえあったら大学に行ったんだがな」


 大学以前に、シェルドンはそもそも学校に行っていない。シェルドンは、学校に行った風の設定で思い出話を語ることもあるが、彼の述懐から総合的に判断すると、学校には行っていない、という判断のほうが優勢である。素面なのに酔っ払いみたいなことしか言わないやつだから、プライベートの発言に関しては全く信用できない。


 ハントから離れると、発言内容がおかしくなる人間には、エヴァも含まれる。酔った状態ではグロッグもその中に加えていい。ハンターとは、非ハント時に頭がおかしくなりやすい職業なのかもしれない。


「あ、ゴブリンだ」

「街道近くにゴブリンがいるなんて由々しき事態です。通った甲斐がありました。しっかり討伐しないと」


 エヴァの語る正論を、なんだかわざとらしく感じてしまう。ゴブリンがいることすら仕込みのように思ってしまう、私の心の擦れよう。


 だめだ、この場の緩い雰囲気に呑まれている。シュロハジョニ峡谷後のギャップに気を抜きすぎて、下手をうたないようにしないといけない。




 ゴブリンしかり、様々な魔物を討伐しながら道なき道を進んで、王都へひた走る。


 毒感知装備を失ったため、前に比較して魔物よりも毒のある植物に気を揉むことになった。あのイヤリングを使ったのは、徴兵後の数ヶ月間だけなのに、どっぷりと依存するようになってしまっていた。


 装備依存から脱却を図りつつ、見知らぬ土地をそれなりの速度で踏破していく。あまり装備に頼り過ぎるのもよくないとはいえ、毒感知装備はいずれ再入手したいところである。今は経験と割り切ろう。


 やはりというべきか、エヴァには動きの違いを見抜かれて


「緊張しているんですか? 峡谷に向かうときですらしていなかったのに」


と言われた。エヴァは随分と私の索敵能力を買っているから、些細な違いが目に付くようだ。


 なんだかんだ緩みまくっていたのは最初だけで、一度魔物と遭遇してからは、それなりに気が引き締まる。主要街道沿いだけあって、強力な魔物が出現することはなく、街道を行き交う人々にとって有害になりえる魔物だけを処理して移動を続けた。




 アーチボルクから王都までの直線距離は、シュロハジョニ峡谷までと大体同じくらいである。それが魔物の弱さと少なさ故か、六日とかからず王都に辿り着く。街道を早馬で駆ければ、それこそ三日以内だろう。魔物に強いられる緊張、という意味では中身がスカスカだった分、かかった実日数以上にあっさりと着いた感覚だ。峡谷の時と違って復路が無い、ということもあっさり感を強めている。


 大物がいないとはいえ、数日かけて狩り続けた成果は塵も積もれば、と言ったところだ。回収したゴブリンの耳の数なんかは、それこそ売るだけある。街道周囲の魔物の討伐報酬としてエヴァが受け取った額を見て、国が負担する街道の維持費用も馬鹿にならないものだ、と驚かされた。魔物や盗賊の排除だけではなく、道そのものだって補修管理しなければならない。国を運営するのも大変である。




 宿を確保し汗を流した後、夕食はシェルドン一押しのレストランへ向かうことになった。ドレスコードがある店だったせいで既製品の一張羅を買わされる。突然の出費、増える荷物……と否定的には考えず、大学に入ればいずれは買うことになる、時期の問題だ、と肯定的に捉えておく。


 服は服屋の店員ではなく、エヴァが見立ててくれた。エヴァはやはり母親ポジションの人間だ。


 シェルドンもエヴァも服が無いだろう、と思いこんでいたら、二人とも、抜かりなく持参していた。エヴァの小さくパックされた荷物のどこに嵩張る服が入っていたのか疑問だ。


 エヴァのドレスはよく似合っている。美人にドレスは、よく映える。もう少しフォーマル寄りのものにすれば、大学の入学式の付添人になれそうだ。とても母親ないし人妻感がある。


 シェルドンのほうは一端の商人っぽく見える。金をしこたま貯め込んでいそうだ。


 めかしこんだシェルドンとエヴァが並ぶと、成功を収めた商人とそのトロフィーワイフという組み合わせに見えなくもない。それを言うと、シェルドンはともかくエヴァに嫌われそうなので、心の中に留めて口には出さない。




 メニューはコースでシェルドンとウェイターに勧められるがまま決めていく。私が食事に求めるものは腹を壊さない安全性と、健康な身体を作る栄養だけ。美味しさには別段興味がない。きっと「前」も、そうだったのだろう。


 メニューに並んだ料理の名前には全く馴染みがない。興味だけでなく、ロクな食事の機会も無かったようだ。その割にテーブルマナーは覚えているのが不思議である。


 食べているとシェルドンがちょいちょい私のテーブルマナーを正してくれる。


「その作法も正しくはあるんだが、王都ではこうしたほうが浮かないぜ」


と、ここでも面倒見がいい。食べることに関しては、知識と経験を有している。


「アルバート君のはネイゲル家流のマナーなんですか?」


と、エヴァが尋ねてきた。口調は普通だったが、目の奥に一瞬怪しい光が見えた気がした。


 家ではあまりマナーを意識したことがないので判然としない。父や母とそうは違わないはずだ。ただ、指摘されてみれば、シェルドンの作法は母の作法に近い気もする。父と違って母は実家関係の誘いで今でも王都で食事する機会があるからだろうか。


 あれ? 母の育ちはどこだろう。母の家元であるネイゲルの本家は王都に居を構えている。修道士なのだから、十四歳からはアーチボルクの信学校に行ったのだと思うけれど、その二年以外どこでどう過ごしたのかは知らない。どうせそれもエルザやリラードは知っていて、知らないのは私だけなんだろう。


「完全に親の見よう見まねだから、そういうことになるな。私は下の兄弟達と違って社交の場に出たことはないから、王都でのマナーはよく知らない」


 親を真似しているのではなく、「前」にやっていたことを、そのままやっているだけである。「前」がループではなく前世なのであれば、前世というのはある意味、親のようなものだろう。


「アル坊は長男なんだろ? 普通は兄とか姉とか、早く生まれたほうがそういう役回りだと思うが、お前の家も色々事情があるみてぇだな」


 気を遣われてしまった。残念ながら、その色々な事情は私もよく知らない。知っている人がいたら教えてほしい。


「色々ありがとう、シェルドン。食事処でも武具店でも、良い処を利用しようと思うと勉強が必要だな」

「ああ、だが面倒くさいって思っちゃいけねぇぜ。テーブルマナーってのは、食べる人間を苦しめるためにあるんじゃねぇ。食事の場ってのは時として文化や生い立ちが異なる人間が会することがある。そんなときにお互いが気分を害することなく食事と会話を楽しめるように、共通のルールを作っておいてそいつを守ろうや、ってだけの話だ。アル坊が元々していた作法は十分合格点だ。あれで文句を言ってくるやつがいたら、そいつがひねくれてるだけだ。俺は文句をつけたかったんじゃなくて、お節介かもしんねぇけど、王都民っぽく振舞えるような、いわば通を唸らせる小技を教えてやりたかっただけよ」


 ハントに関すること以外はテキトー人間だと思っていたが、食に関しては真摯である。実際塩釜焼は美味しかったし、実在が懸念されたウイングという店も確かに存在して、私達を楽しませてくれている。この店の味は本物だ。店名がウィングというだけあって手羽先は最高だったし、シェルドンがべた褒めしていたビーフシチューもとろける味わいである。主菜に相応しい素晴らしい満足感だ。口に運ぶ前は、肉料理に肉料理を重ねていく采配はどうだろう、とも思ったが、全て美味しく完食できたから、もはや何も問題はない。


 私が美食に興味を抱いていなかったのは、個人的な嗜好の問題というよりも、本当に美味しいものに巡り合ったことのない、経験の乏しさに起因するのではないか、と思わされてしまった。


「いやあ、シェルドンが言うことだから、ウィングなんて店は存在しないんじゃないかと思ったけれどとんでもない。素晴らしい店だ」

「王都には私が知らない美味しいお店がまだまだたくさんあるようです。勉強になりました」

「高い店は雰囲気料ばかりで、味はてんでダメな所がいくらでもある。俺が認めるのは味にこそ価値のある店よ!! もっと手を出しやすい値段のところもたくさん知っているぜ!! 何なら今日は晩飯のはしごといくか!?」

「美味しいものはお腹が好いているからこそ、なのです。それはまたの機会にしましょう」

「私も今日はいい。後で場所と名前だけ教えてくれ」

「そ、そうか……」




 食事の後は夜の王都の街並みを眺めながら宿に帰る。途中でシェルドンは、遊び足りない、と言って繁華街へと消えていった。豪遊するものだ。私はエヴァと寄り道することなく真っ直ぐ宿に向かう。




 翌日、いつもより落ち着いた雰囲気のシェルドンに顔繋ぎをしてもらい、何人か人間を紹介してもらってから彼と別れた。シェルドンは明日、商隊に帯同してアーチボルクへ帰るらしい。


 今日は広い王都を回って人に会うだけで一日がほぼ終わってしまった。付き添ったエヴァはさぞかし退屈だったことであろう。ということで、国立公園になっている湖に足を伸ばす。湖岸から眺める雄大かつ自然魔力(マナ)の豊富な湖は、思いがけず素晴らしいものだった。エヴァに楽しんでもらうために湖に来た、というのに、私のほうが見とれてしまっていた。


 湖から宿へ帰る道すがら、エヴァが「観光したい場所がないか?」と、私に聞く。王都のことは何も知らないし、私は特別観光に興味が無い。知りたいのは、魔法を練習できる場所や、知識を習得できる場所、金を稼げる場所である。エヴァが挙げていく観光名所に、それなりに気を持って返事をしたつもりなのに、興味がないことをあっさり気取られてしまい、エヴァは私と観光に回ることを諦め、明日王都を発つことを決めていた。


 エヴァの性格を考えると、自分が行きたいのであれば、無理にでも私を連れて行くはずだ。つまり、エヴァも観光には興味がない、ということになる。エヴァの王都発が決まったことで、ここ数か月毎日顔を会わせていたエヴァと過ごす時間が今日明日で最後になることが決定した。




 夜、私の部屋に来る、ということで、手持ち無沙汰に魔力循環をして待っていると、コンコンコンと三度、部屋の扉をノックする音が響く。


「鍵は開いてるよ、どうぞ」


 入室を促すと、エヴァは「お邪魔します」と中に入ってくる。


「王都の人混みに疲れていませんか」


 空けておいた椅子にエヴァが腰をかける。


「人混みは好きではないが、別に疲れてはいない。今日は何人か会ったのと散歩しただけだからな」

「君の雰囲気を見て、王都で悪い遊びを覚えたりはしなさそうなので安心しました」


 悪い遊び、か。


 エヴァの言葉で「前」の記憶が揺さぶられる。仕事でも遊びでも、私は無茶苦茶なほどに悪行を積み重ねている。遊びに限っても、おそらくエヴァが懸念している以上に悪質なことを何度となく行っている。


「そういうのに手を出す奴は、アーチボルクで既に染まってるさ。あの街でもいくらでもそういう機会はある」


 思い出したからといって、「前」と同じ行為に走る気にはなれない。捕まると家族に迷惑がかかるし、全く同じループを繰り返すことになりかねない。


「環境が変わると気持ちが舞い上がって、普段は目をくれないものに魅力を感じることも珍しくありません」

「それは昨日、今日の食事にも当てはまるかもしれない。この二日食べたものは、全て素晴らしく美味しく感じた。シェルドンが良い店を教えてくれた、というだけでなく、気分が高揚して実際の味以上に感じているだけなのかも。同じ味の物でも、食べ慣れた場所、家の中で食べるより、綺麗な公園で日差しの中食べるとか、調和のとれた落ち着いた店で食べると美味しく感じるように」


 後は、一緒に食事を取る人間に対して抱いている感情が重要だ。シェルドンと会ったばかりのタイミングでホットウィングに連れて行かれたら、料理をあそこまで美味しいと思わなかっただろう。


「王都は大学からすぐ近くです。これからも誘惑に負けることなく本分に邁進してください。それで、君の明日からの予定はちゃんと決まっているんでしょうね」

「ああ。エヴァを見送ったらそのまま大学に行って、取り敢えずオープンキャンパスに参加登録をする。あとは学園都市に当面の住居を確保して役所巡りをして、それで一日終了だ」

「明後日以降、オープンキャンパスまでは?」

「知らない街だし、手配師からハント系の依頼でも受けるか、ハント以外でも学園都市という土地を覚えられそうなワーカー業務を受けるかしてお金を貯めるよ」

「うんうん、いいですね。では今日のうちに、ここまで済ませていなかった分の清算をしましょう。はい、これが君の取り分です」


 エヴァはそう言って、小さな銭袋を私の目の前に差し出す。小さくとも貨幣が詰まっていて、見た目以上にずしりと重みがあり、薄っすらと(もや)が見える。嫌な予感とともに袋の口を開いて中を確認すると、高額貨幣ばかりが詰め込まれている。


「駄目だ、エヴァ。これは受け取れない」

「無理です。もう渡しちゃいました。異議、返却は受け付けません。ちゃんと均等に分けたんですよ。私の取り分はこっちの袋。重さは大体同じくらいです」


 エヴァは靄の全く見えない銭袋を振って見せる。


「ヴィツォファリアの代金もまだ支払っていないのに」

「まだその剣の事を気にしているんですか。ここは王都ですよ。それよりもずっといい物がいくらでも置いてあります。まあ買うどころか、入店にすら資格が必要だったりしますけどね。そうですね。在学中、どんなに遅くとも二年以内にそれを超える剣の一振りくらいは手に入れてください。もちろんその前に、小剣でもいいですから予備の一振りを買うべきですけど」

「簡単に言ってくれるなよ……」

「確かに簡単な話ではありません。が、それは一般人にとっての話です。君はもう並の存在ではありません。ハンターとして、一流に手が届き始めています。ゴールドクラス以上のハンターとして活動し続けるなら、闘衣対応装備の更新は必須です。君の強さで、その剣が初めての一振りというのがそもそもおかしいんです。王都も大学も人がたくさんいます。人がいるところには必ず大きなお金の動きがあります。今まで以上に君にはお金が集まることでしょう。お金は上手く動かしてあげてください。社会的にも必要なことですよ。そしてお金が動くと、悪い大人が君から絡めとろうと蠢き始めること必定です。それにも注意してください」


 エヴァは滔々(とうとう)と王都、大学の生活指南を続ける。これを言いたくて言いたくて我慢していた、とでも言わんばかりだ。


「本当は最初、この辺りのことをもっと色々と教えてあげようと思っていたんですが、気が変わりました」

「それはなぜだ?」

「アルバート君はもっと手探りで情報を入手すべきです。君は確かに強いし、偏りは見られますが専門的な知識もあります。でも、人と関わる中で得られる物にも目を向けてほしいです。それは顔を繋ぐ、という意味でもそうですけど、なんて言ったらいいか、君は強さとか専門知識ばかりに目が行き過ぎているんですよ」


 エヴァの表情からは普段の笑顔が鳴りを潜め、真面目な顔つきになっている。私も真剣に言葉に耳を傾ける。


「ラナックさんは知っていますよね。君に相当入れ込んでいる手配師の彼ですよ。彼は非常に勉強熱心で、あの若さで大層有能な手配師です。君は寄せ場と飯場にいる彼しか見ていないと思いますが、彼は色々な場所に顔をだして、彼より能力もないのに威張り腐った大人達の間を泳ぎながら、人を覚え仕事を覚え、情報を誰よりも仕入れています。彼はそうですね、ハンターに置き換えて考えればその有能さはプラチナクラスはあるんじゃないですか? 少なくとも私の見立てではそうです。あの若さでですよ。君と同じくらい凄いです。でもアルバート君はそんな彼の事を、私と会う日まで名前すら覚えていませんでした。そうですよね」

「いや、私も彼の有能さは買っていた……」

「そこですよ、問題は。アルバート君は強さとか手腕とかばかりで、人そのものを見ていないんですよ。徴兵前の二年間だって、ラナックさんはずっと君の味方になって便宜を図ってくれていたらしいのに、当の本人はそれに気づきもしない。今日だってそうです。シェルドンから友人を紹介してもらった、というのに、君は彼らの名前と職業くらいしか覚えていないんじゃないですか。シェルドンが彼らと昔話を始めたときに君の目は虚空を見つめていましたよね。シェルドンが昔を懐かしがって思い出話を始めた? ええ、それもあるでしょうけど、君が今後彼らと会話に困らないようにその糸口を提供しようとしてくれていたんじゃないですか。なんでそこでぼーっと突っ立ってるんですか。強そうじゃないから、一緒にハントに行くわけじゃないからどうでもいいんですか?」


 考え事をして聞いていなかった、などということはないが、エヴァの言う通り、彼らが喋っていた家族構成や近況などを全部は覚えていない。


「彼らは言わば、君の未来の恩人達です。その恩人達も、将来何かしら問題を抱えることがあるでしょう。恩人達にいつか恩を返したい、とは思いませんか。彼ら本人が困らなくたって、その奥さんが困ったら、子供がトラブルを抱えたら? 助けになってあげたいとは考えませんか? 奥さんの話も子供の話も、興味を持って聞かないことには右の耳から左の耳に抜けていくだけです。ちょっと例え話をしましょうか」


 もう私はエヴァが何を言わんとしているのか痛いほど分かっている。そんな私に追い打ちをかけるようにエヴァの小咄が始まる。


「あるとき一人の手練れのハンターが、とある村人に助けられました。数年が経ち、その村人の奥さんが病気になりました。病気を治すのには特別な薬草が必要です。その薬草は、手練れのハンターにしか取ってこられない森の奥にだけ生えています。村人が、昔助けたハンターに協力を求めたところ、ハンターは、『お前に奥さんがいたなんて初耳だ。え、昔話したことがある? そんなことは忘れたよ。それに今は卒論があって忙しいから無理だ』と答えました。病気の奥さんはそのまま亡くなってしまい、村人は悲嘆にくれました。おしまいおしまい」


 私の道徳心を(さいな)むためだけの小咄は、サックリと終わりを告げる。


「今のがただの例え話だと思ったら大間違いです。同じような過ちを君が犯したら、シェルドンが責めなくたって、私が地の果てからでも君をぶん殴りに来ますからね。アルバート君は前に私が情報をどこから入手するのか聞いてきたことがありましたね。情報は本にも書いてあるでしょうし、道端の落書きからでも手に入ります。でも一番の活きた情報は人が持ってるんですよ。君が情報に疎いのは当然です。関心が無いからですよ、人間に。だから情報も君には回ってこない」


 もう私も穏やかな面持ちではいられないし、それこそエヴァの顔を見るのも辛くて仕方がない。


 エヴァは大息を一つ()く。


「先輩風を吹かせてお説教が過ぎました。でも私はもっと君に人を好きになってもらいたい。人って、女性だけを指している訳ではないですよ。世の中、嘘つき、狡い奴、悪い奴がたくさんいます。でもそれ以上にいい人もたくさんいるんです。君が好きになって、心をもうちょっと開くに値する人達がたくさんいるんです。ああ、ちょうどいい問題が浮かんだので彼には犠牲になってもらいましょう」


 エヴァは誰かを犠牲にして例え話の第二弾を始めようとする。


「シェルドンの夢って知ってますか?」


 犠牲になったのはシェルドンだった。


「色々あるだろ、美味しいものを食べることをはじめとして、料理人とかハンターとか、教師とか画家とか俳優とか、数えきれないくらい言ってたじゃないか」

「はい、その解答は三十点です。百点満点中のですね。ちなみに合格点は六十点です。もし普通の人がその答えを言ったなら、五十点くらいはあげてもいいですけど、君は駄目です。そうですね、ヒントをあげましょうか。どうしてシェルドンは君に知り合いを紹介してくれたんだと思いますか? 知り合いの方々、それなりに立場のある人ばかりでしたよね」

「エヴァの前でいい格好をしたかったから……」


 私がそう答えると、エヴァは噴き出した。


「君ねえ……この状況で、結構言うじゃないですか。もちろんそれもあるんでしょうけど、多分理由の一割くらいだと思いますよ」

「ではなぜ……」

「君のことが好きだからですよ。あ、変な意味じゃないですよ」


 そう語るエヴァの目はとても優しい。この目……いつかどこかで、エヴァ以外の誰かが見せてくれたことがある気がする……


「ポーターとして知り合ってまだ一か月も経ってないのに、そんなことは……」

「嫌いな人、信用できない人に、大事な友人を紹介したりするでしょうか? そんなこと、考えなくてもわかります。彼はこの一か月弱、私達の後ろでずっと見ていたんです。私ではありません。君の事をです。私のこともチラチラ盗み見ていましたが、それは光栄なことに女性としてですね。でも君の事は違います。憧れの存在として見ていたんです。今は君より私のほうが強いかもしれませんが、私も彼も君の将来を見ています。全ハンターの憧れるミスリルクラス、ひいてはブラッククラスにすらなれるかもしれない。自分がなることのできなかった最強のハンターになれる逸材。彼は嫉妬もあったはずなのにそれを押し隠して、君に好意や善意でもてなしてくれたんです」

「最強のハンターがシェルドンの夢? 確かにそれを夢見るハンターは無数にいるかもしれないが、シェルドンはそんなこと一度だって言っていなかった」

「言えないんですよ、本当に焦がれた夢だから。数時間夢想した程度の夢は他人に喋れても、今も諦めきれない夢は口にできないんです。諦めきれていないから彼はポーターをやっているんです、ハントの一線から退きたくないんです。自分がなれなくても、代わりになれる人を見つけたくて、そうして会えたのが君なんです。問い質した訳ではありませんが、私はそう思っています」


 そうなんだろうか? エヴァの考えすぎではないだろうか……。それでも……


「彼と知り合いには悪いことをしてしまった」

「今日は顔を会わせただけじゃないですか。お互いの評価が定まっていくのはこれからです。これは私の勝手な願望ですが、君には強くなるだけじゃなくて、人の心を持ち合わせてほしいです。それを望むべくもない人もいることはいますが、ダッツに手を差し伸べた君は、そういう人でなしでは決してないはずです。人を嫌いになるだけじゃなくて、好きになって、喜んだり傷ついたりして心を磨いてほしい。色んな人にこの先出会うでしょう。もちろん悪い人もいます。相手は選ばなければいけませんが、君はもう身を守る術をある程度身に着けています。君がほんの少し心を開くだけで、君に好意を差し向けてくれる人がたくさんいます。シェルドンもそうですし、私もその一人のつもりです。もし好意が信じられなければ、打算だと思ってくれてもいいですよ。君の将来性への投資です。君は義理堅いでしょうから、将来私よりも強くなって、私にせっせと利子という名の恩を返してくれると信じています」


 説教に満足したエヴァの顔が、やわらかさを取り戻していく。エヴァの説教で揺り起こされた記憶が、私に、とある感情を呼び起こす。荒れ狂うような感情を挙措に出さないようにだけ、必死に抑える。


「今日は柄にもない話をしてしまいました。もうこの話は終わりです。言いたいことは言い終えました。君も、もうそんな顔をしないでください。あのルドスクシュを前に怯まずに戦った人と同一人物とは思えませんよ」


 抑えきれなかった感情の一部が、歪んだ表情として私の顔に表れていた。


「郷里を離れたからかな……。それにルドスクシュよりもエヴァのほうが」

「強い、とか怖いって言ったら許しません」


 そう言ってやっとエヴァはいつもの笑顔を見せた。


「私も明日いなくなりますが、そのうち遊びに来ます。長期休暇には必ず。また一緒にハントに行きましょう? ああ、でも私が来るのが遅かったら、手配師から依頼を受けてハントに行っちゃってください。手配師から調べて、後から追いかけます。ぼやぼやしてると長期休暇はあっという間に逃げて行ってしまうんですよ、知ってました?」

「私も五年前まで学校に通ってたんだぞ? 休暇の逃げ足の速さは知っているさ」

「さて、もう休みましょうか。私は明日からまた長距離移動なのです。今晩はしっかり休息時間をいただかないと」

「ありがとう、エヴァ。今日話してくれて」


 本当に……


「いえいえ、ではおやすみなさい」


 そう言って、笑顔のエヴァは部屋を出ていった。エヴァと出会うこと数ヶ月、今日になってやっと本当のエヴァを少しだけ理解できた気がした。

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― 新着の感想 ―
[一言] おいどんはシェルドンが嫌いじゃねえ
[良い点] 人物描写が生き生きしていていいですね。
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