第四〇話 エヴァと精石と不良の末路
いつもよりずっと早く目が覚めたというのに、なんやかんやで時間がかかった。小走りで寄せ場に着くと、既にエヴァが私を待っていた。
「おはようございます、アルバート君。今日もまた早いんですね」
「おはよう。いつも通りの時間だろ?」
「今日の集合は、周旋が終わった後って言いましたよね」
そうだった。清算の続きがあるから、今日はハントに行かないのだった。
骨肉店に行くにしても、時間的にまだ早過ぎる。私とエヴァは時間を潰すため、何をするでもなく寄せ場に留まることになった。
今日の寄せ場は、我々に集まる視線が今までより多いような気がする。それも好意的なものではなく、悪意を孕んだ刺さるような視線だ。ルドスクシュ効果だろうか。自分では生涯狩ることの能わない大物を仕留めたことに対する嫉妬や羨望と言ったところだろう。
大量の視線を浴びせられるのは好まない。危険な人間がいやしまいか、顔を覚えるために私もグルリと周囲を見回す。誰も彼も私と目が合うと、すぐに顔ごと視線を逸らす。魔力が強い者もそんなにいないし、危険度は高くなさそうな奴らばかりだ。
視線を発する者の中に一人、ゴールドクラスの魔力を持つ人間がいる。これは誰か、と顔を見ると、学校と徴兵の同期のスヴェンだった。スヴェンとは一瞬目が合ったが、すぐに人ごみに紛れ、彼の姿は見えなくなった。
「では骨肉店に行きましょう」
朝の口入れが終わり、寄せ場から粗方人がはける。久しぶりに見かけたスヴェンの姿は、もうどこにもなかった。用事こそないものの、彼とは一言二言お喋りしたかった。少し残念だ。
私とエヴァは街外れの骨肉店へと向かった。
徴兵前は毎日のように通っていた骨肉店も、徴兵後に足を運んだのはオグロムストプを狩った一回だけである。骨肉店を訪れるのは夕以降ばかりであり、朝のこの時間に来るのは初めてだ。骨肉店にはハンターではなく、商人と思しき人種が顔を並べていた。寄せ場に続いてここでも視線が集まる。我々に、ではなくエヴァに、である。エヴァが進むと人垣が勝手に割れていくから歩きやすい。
エヴァが骨肉店のスタッフに話しかけると、スタッフは奥で話をしていた店長を連れ出してきた。店長と呼ばれた男は、よく言えば男らしい、悪く言えばムサ苦しい見た目をしている。
「来な」
店長は挨拶もせずに一言だけ言い放つと、私達二人を顎でしゃくり、店の二階へと誘導した。エヴァが小声で「ここの店長のブロットさんです」と教えてくれる。ここでも新参者のエヴァの方が私よりも詳しい。自分の情報弱者ぶりに情けなくなる。
招かれた部屋の椅子にそれぞれ腰を掛けるとブロットが口を開いた。
「ブツを出しな」
「これがそうです」
エヴァが携行袋からルドスクシュの精石を取り出し、三人の間、机の上に置く。ブロットはぶっきらぼうに精石を取り上げると、まじまじと見ながらつぶやいた。
「きったねぇ石だな」
「宝石を持ち込みに来たわけじゃないんですから、素人みたいな感想を聞かせないでくださいよ」
「見たまんまを言っただけだ。精石なんだから必ずしも美醜で値が決まるわけじゃねぇ。分かってんだろ」
精石の価値を決定づける最大の要素は結晶構造と魔力量、産出源の魔物の種類だ。しかし、私が母から貰ったペンダントはその例外に当たるだろう。ペンダントトップに奢られている精石は宝石のように美しい。精石としての価値と宝石としての価値を両有する場合、魔道具への用い方が大きく変わってくるため、価格は跳ね上がる。
ブロットはそれきり口を閉ざしたまま、心奪われたように精石に見入っている。そこへ、三人の男がドヤドヤと部屋に入ってきた。
男達は私とエヴァには目もくれずに騒がしく精石の審美を始める。
「おい、ブロット、お前さんが触っていると精石を壊しかねない。私に貸せ、早く見せろ」
と、話すのは、ブロットに輪をかけたようなブ男だ。
「ルドスクシュの精石にしては大ぶりだ」
もう一人の口ひげの男が、ブ男の横から精石を眺めて感想を述べる。
「……」
一人何も喋らない痩せた男だけは精石に釘付けになっていなかった。精石を見るふりをして、エヴァをチラチラと見ている。私も偶にやるから気持ちは分からないでもないが、同性といえども透けて見える男の下心とは不快なものである。
どうでもいいけれど、四人とも精石を落として壊さないでくれよ……
「さて、こいつはどうしたもんかね。同クラスとなるとエルダーリッチの精石だが、たまーに出てくるあっちと違ってこいつは取引実績が無い」
「三人でオークション形式でいいじゃないか」
「そうだな」
「いいでしょうか、お美しい方」
口ひげの男がエヴァに尋ねると、沈黙を守ったままの痩せた男はなぜか口ひげの男を睨みだす。むっつり男も意見があるなら何か言えばいいのに。
こいつら三人は精石購入希望者のようだが、どこの誰なのだろうか。店長のブロットとは顔見知りのようだし、四人からしてみれば、私とエヴァだけが部外者に当たるのだろう。
「どうも、私がエヴァ、こちらがアルバートです。私達がこの精石を持ち込みました。オークション形式は構いません。ただし、最低落札価格は決めさせてもらいますよ」
エヴァが最低落札価格を切り出したのをきっかけに、ブ男、口ひげは火を噴くように文句を言い始める。それにつられるようにむっつり男が口を開く。なぜかむっつり男は我々側の意見に賛同する。我々側というかエヴァ側か。むっつり男は声が高くて早口なのが印象的だった。
ブ男と口ひげの文句を一通り聞いたエヴァは、反論することなく最低落札価格を提示することで自分の意見が変わらないことを示す。最低落札価格のあまりの高さに、入札希望者三人が驚く以上に私が仰天してしまう。出品者である私がそれを顕にする訳にもいかず、漏らしそうになった驚きの声を飲み込み、挙措には出さぬように努めて平静を装う。相場が分からないことには、エヴァがボッているのかどうか分からない。エヴァは適正価格を提示しているのかもしれない。
二人の非難は益々勢いを増したが、
「納得できる価格で入札するつもりが無いようでしたら、私達としても、ここで売買を成立させなければならない理由はありませんし、王都に持ち込んでもいいんですよ」
と、エヴァが断じたところで三人は静かになった。
こう言われて黙る、ということは、エヴァの提示価格は妥当な額ないし、王都で取り引きされる額よりも割安、ということになる。私としても、大学という締切があるだけで、即金の必要性に迫られている訳でもなし。エヴァと四人のやり取りを黙って見守る。
ブ男と口ひげが渋々了承し、精石はオークション形式で価格が決まることになった。
場が落ち着いたところで三者の名前を伺う。ブ男の名前はジエンセン、口ひげの名前はギフノフ、二人とも魔道具商であり、ルドスクシュの精石が入った、という情報を得て、仕入れのために骨肉店を訪れた。
むっつりの名前はハンスで、彼は魔道具関係ではなく宝石商。精石や霊石も取り扱い品目ということになる。霊石は武具に用いられるくらいだから、場合によってはかなりの重量になる。重量物輸送は大変なんだよな、と出品者視点ではなく、ワーカー視点でハンスのことを考えてしまう。
我々、プロット、入札者三人の五者間で簡易なオークションの取り決めの書類にサインを交わし、淡々とオークションが始まる。
開始前は、ジエンセンとギフノフは入札しないのではないかと危惧したが、積極的に値段を上げていくハンスに対抗してちゃんと入札していた。ハンスが落札者になるのだろう、という私の中間予想は外れ、最終的にジエンセンが落札者となった。
この精石はこの街で魔道具になるわけだ。完成品が出来上がったら見てみたいものである。
昨日のルドスクシュの肉や各種素材が様々に分割され、小分けに代金が支払われたのに対し、精石は一括での決済となり、手に取ったことのない高額貨幣が出てきた。高額貨幣は真贋鑑定器にかけられ、本物であることが確かめられた後、エヴァの懐へと収められる。
高額貨幣は「前」を含めても見た経験すら限られていた。どうもそれが、精石と霊石の織り交ぜられた魔道具の一種らしいことが今日分かった。ついでに真贋鑑定器も魔道具だった。高額貨幣は絵で見るばかりで、もしかしたら実物を目にするのは初めてだったかもしれない。
骨肉店を後にして、エヴァと二人街を歩く。
「ルドスクシュみたいな大物の清算がたった二日で終わってよかったです。ラナックさんはやっぱり優秀です。いい仕事してくれましたね」
「私はまだ取り分を受け取っていない」
「これは然るべき時にお渡しします」
そう言ってエヴァは、意味ありげに笑みを浮かべる。ルドスクシュはエヴァ一人でも倒せただろうし、私は大した働きをしていない。肉と素材の代金は既に受け取っているし、精石分をエヴァが全取りしたところで私は別に不満など無い。あったところでどうにもできない。清算に付き合ったから、言ってみただけである。
「じゃあ用事は済んだところで、私は別の用があるから」
「どこに行くんです?」
「取り敢えず手配師のところだ」
そう言って寄せ場へと足を進める。この時間、手配師は寄せ場にいない。寄せ場近くの飯場に屯していないか、見に行こう。
「何か依頼でも受けにいくのですか?」
「違う。サバス達がどうなったか気になってな。多分手配師はそういうのも知っているだろう」
「なんでまた? 復讐が怖いんですか?」
「前」が云々の話をするわけにもいかないので、「何となくだ」とだけ答えておく。
エヴァは訝しむような表情を浮かべ、「私も一緒します」と言ってそのままついてきた。
案の定ラナックは飯場にいた。飯は食べ終わり、お茶代わりにだし汁を飲みながら、手配師仲間と情報交換に励んでいる。
会話に横入りし、サバス達の動向を尋ねる。
「サバスとリアナなら保釈金を払ってとっくに留置所を出たよ。ダッツは保釈金が払えないからまだ留置所だね」
「はぁ……そうか」
「そういや、アールの良くない噂が広まっているの、知ってた? アールがネイゲル家の威光で無実のサバス達に罪を着せて留置所に勾留させた、って話。どーせサバス達が、あることないこと言ってるんだろうね。元が元だから真に受けるワーカーは少ないけど、アールの事を奇異の目で見る連中や、めぐりめぐるうちに噂の出所が分からなくなって、アールに対する警戒心を抱くようになる奴も出てきているかもしれない。精々気を付けな」
今朝の寄せ場の視線は、サバスが流した噂が原因のようだ。サバスもサバスだが、衛兵め。衛兵がまるで仕事をしていないことが分かった。
サバス達の一件は、人間四人しか関わっていない、ちんけな事件だ。書類手続きが済めば刑はすぐに確定する。殺人未遂で起訴されたのなら保釈もこの時期の仮釈放もありえない。つまり、暴行と抜剣についての刑罰が与えられる、ということになる。サバスの今までの素行不良を刑罰に加算されない限り、刑期の無いすぐに終わる軽めの実刑か罰金刑が科されるべきところだ。
だが、手配師は罰金ではなく保釈金と言っていた。これは正式な保釈金ではないはずだ。刑罰の確定後、罰金が必要になることはあっても、保釈金が必要になることはない。おそらく衛兵はサバス達の一件を事件として処理せず、裏金を受け取って事件そのものを無かった事にしたのだろう。少なくともサバスとリアナについては。その裏金のことを符牒として保釈金と言っているのだ。
ダッツは裏金が払えなくて留置所生活か。衛兵が仕事をしていないあたりを考えると、ダッツは刑罰が確定することもなくそのまま留置所で、いわゆる「病死」するな。サバスは肉の絆で結ばれた自分の手下の分の保釈金を出してやる気概は無いのだろうか。人の心のないやつである。
リアナは自費で出たのか、サバスに出してもらったのか。
「留置所に行ってくる」
ラナックに礼を述べた後、エヴァにそう告げる。
「ダッツが気になるんですか?」
「そんなところ」
「留置所のダッツを煽りに行くとも思えませんし……あんまりお人好しが過ぎても、後々苦しむことになりますよ」
三日前までの私であれば留置所に行く気など一切起きなかったはずだ。しかし、ループ説が完全に否定できない以上、恨みを買うことは避けるべきである。既にサバスとリアナの逆恨みを十分買ってはいるのだが、ダッツがこのまま留置所で死ぬのと、生きて戻ってくるのでは積もる恨みが違ってくる。ダッツがどんな家族を残しているか知れたものではないし、その家族の恨みが将来的にどう働くかは読めないのだから。
留置所に行くと、感じの悪い、まさに役人と言った衛兵が対応に出てきた。衛兵にダッツとの面会を要求してしばらく待つと、衛兵はダッツを伴わずに一人で戻ってきた。衛兵は、「ダッツは『会いたくない』と言っている」と、面会できないことを告げる。
ダッツが私なんぞに会いたくないのは本当だろうが、衛兵の言っていることが真実かは分からない。面会に連れてこられないほど具合が悪くなっている可能性もある。形式的に、ダッツと会ってから裏金を肩代わりするつもりだった、というのに、会えないのであれば手順を飛ばすしかない。
衛兵に保釈金の話を切り出す。懐を温める裏金に心躍らせた衛兵は、分かりやすく金額を吹っ掛けてきた。無駄に高い金をくれてやるつもりはない。事件をちゃんと処理していないことを指摘したところ、衛兵は怒り始めた。
エヴァが、「喧嘩をしにきた訳ではありません。もう少し安い金額で丸く収めませんか」と、取り成してくれたため、衛兵が最初に提示してきた半分ほどの額でダッツの身柄は解放されることになった。私が怒らせ、エヴァが宥める。こういう詐欺の手法、ないし交渉術がありそうだ。
何人詰め込まれているのか分からない程大人数が勾留された留置所の八人部屋に入ると、部屋の隅にゴミの様に横たえられたダッツの姿があった。パッと見では死体と区別がつかない。胸が上下していることから、一応まだ生きているらしい。貧民街で別れた時よりも、ずっとボロボロになっている。誰だ、こんな酷いことをした奴は。
臭くて汚くて、触れ合いたくないのだが、保釈金だけ払ってこのままここに置いておいてもダッツは死ぬ。仕方ない。
ハントに使うぼろ布でダッツを包み、背負子に負ぶって医院まで運ぶ。医院の薬師から治療を嫌がられるも、金を握らせて治療を頼み込み、なんとか首を縦に振らせる。
その後、再び手配師の所へ戻り、今度はダッツの家族の場所を聞く。ダッツには妻や恋人、子供などはおらず、実家に親と下の兄弟がいる、との情報を得る。
下流階級の住宅街にあるダッツの家に足を運ぶと、不在の親の代わりに弟達が出迎えてくれた。弟達はダッツと血が繋がっている割には利発そうだったため、ダッツを運んだ医院の場所、治療費は払込済みであることなどを伝えた上で、毎日顔を出すように説明した。
被害者の私がこれだけやったのだから人事を尽くしたといえるだろう。これでダッツが死んだら、これは精霊が定めた運命だ、と、精霊のせいにすることにした。
それにしても、もしダッツが留置所にいることを昨日の私が知っていたらどうなっていたことだろう。昨日の精神状態を考えると、ダッツの家族からの復讐を怖れて、ダッツの家族を皆殺しにしていたかもしれない。昨日は家に帰ってすぐに休んで正解だった。
「随分ダッツのために色々してあげましたね。そんなに罪悪感に苛まれたんですか?」
横に付きまとって今日の全てを見ていたエヴァが、私の行為の理由を尋ねてくる。軽い口調でループ説を唱えたら、冗談だとでも思ってくれるだろうか。真に受けられても困るし、本心を伝えることはできない。人に言えない隠し事がどんどん増えていく。
「ダッツは十分罰を受けた。死ぬほどの罪は犯していない。それに最も罰を受けるべきは親分のサバスであってダッツじゃないだろ」
「本当にそれだけですか? 何か事情があるように見えましたが……」
余計なところで勘を働かせないで欲しい。話題を変えることにしよう。
「あーあぁ……無駄に金を使ってしまった」
「男の人は、お金が入ると本当にすぐ使ってしまう人が多いです。アルバート君は違うんじゃないかと思っていたのに」
「金主にお金を返さなきゃいけなかったのになあ」
エヴァは私にヴィツォファリアの代金を返されることを望んでいない。この方面に話を持っていけば、すぐに話題は変わっていく。
「別にその話はしていないですよ。仕方ない人……。でも、これでアルバート君の用事は終わりましたね」
「ああ、一応な」
「では、アーチボルクに戻ったばかりですが、明日早速街を発ちましょう」
「は?」
エヴァは、然るべき前置きもなく、突然に訳の分からない話を切り出した。




