第三九話 転生説の破綻 三
ふと気が付くと、そこは暗い自室だった。ハントから帰った後、気付かぬうちに眠りに落ちていたらしい。変な姿勢で寝ていたせいか身体の節々が痛い。
寝ている間、悪夢に苛まれたような気もするし、何も夢を見なかった気もする。水でも飲もうと一階に下りるも、誰もいない。アナが夕食を作っている匂いもしないし、静かすぎてなにより
ヒ ト ノ ケ ハ イ ガ シ ナ イ
一瞬で頭がかっと熱くなる。一足飛びで階段を駆け上がり、母の部屋の扉に手をかける。
開かない。鍵がかかっている。
「お母様!! そこにいるのですか!! お母様!!」
乱暴にドアを叩きながらあらん限りの声で叫ぶ。
っ!!
中に人の気配がする。生きた誰かがいる!!
「お母様!! 大丈夫ですか!! お母様!!」
「静かにしなさい。今扉を開けます」
二回目の問いかけに少しだけ間を開けて返事が返ってくる。
良かった。母は生きている。
動転していた気がほんの少しだけ落ち着き、扉の前で待つこと数十秒、上着を纏った寝巻の母が扉を開けてゆっくりと姿を現した。
「お母様、大丈夫ですか。どこもお怪我はありませんか」
「どうかしているのはあなたです、アルバート。半月ぶりにハントから帰ってきたと思ったら挨拶もせず夕食にも顔を出さず、挙句の果てに未明のうちから騒ぎ立てて、一体何なのですか? 悪夢に泣きわめくような幼子でもあるまいに」
未明……? 悪夢……?
「どうしたの、お母様?」
横からこれまた寝巻のリラードが身体をポリポリとこすりながら現れる。その姿には緊張感が微塵も感じられない。
「奥様、どうかされましたか?」
階下からアナの声が聞こえる。
「何でもありません。アルバートが寝惚けていたようです」
「そうですか。承知いたしました」
「いつまでも寝惚けていないで早く戻りなさい。そんなに目を血走らせて、いい大人がみっともない」
そう言うと母は部屋の中に戻り、扉に鍵をかけた。
「ダサ……」
リラードも肩を震わせながら自分の部屋へと戻っていく。
日没後かと思ったら……日の出前だった……らしい。
幻惑魔法でもかけられた気分で自室へと戻っても、全く眠れるわけもなし。再び自室を抜け出し、静かに一階に下り、虚しさに堪えながら食べそびれた夕食の分まで朝食を摂る。
どうも丸半日眠りこけてしまったようだ。それは身体も痛いわけだ。
そういえば昨日、一昨日は大変だった。随分と恐ろしいことばかり考えてしまい、精神的に追い詰められていた。寝不足の頭が見せた悪い妄想である。
ループ説を真剣に考えていたが、目が冴えてみれば馬鹿馬鹿しい。もしループしているのなら、私には強い目的意識のひとつや二つがあっていいはずだ。誰かを助けたいとか、あるいは殺したいとか。
物心ついた時を思い返してみても、私の中には焦燥や憎悪のような負の感情は無かった。あったのは精々魔法の深淵への憧憬程度のものである。
仮に私の「前」が魔法の極致を目指した賢者だったとして、人生をやり直すためにループを引き起こすほどの時空間魔法に辿り着いたにしては、今の私は随分と魔法が下手だし、情熱も今ひとつだ。ループ説を否定しきれずに、私や家族の命を狙う者がいるのではないか、と恐怖に襲われたままで眠りについてしまったから、寝起きにあんな痴態を晒してしまった。
「ううぅ……恥ずかしい……」
テーブルに顔を伏し、小声で懊悩する。見られたのが家族だけなのがせめてもの救いだ。
日の出より大分早い時間に母が下りてきた。母が口を開く前に、私から母に謝罪する。
「お母様、先ほどは申し訳ありませんでした。ハントの疲れか、お母様に悪行をはたらく不届きものの夢を見てしまい、つい動転してしまいました」
「おかげで私もあれから眠れませんでした。まあ私も同じようなことをした経験があります。経緯は大分異なりますけどね」
そんな母のエピソードに、私は心当たりが全くない。私を産む前の、母が若い頃の話だろうか。
「そうなのですか。お母様もそんなことがあるのですね。さっきの私は危うく錠ごと扉を破壊して中に入るところでしたよ」
「何て野蛮な。次はありませんから、注意なさい」
「心得ています。あと、先ほどのこととは別にお話があるのですが……」
「何ですか?」
寄せ場に向かうのにも、リラードの稽古が始まるのにも早い時間だったことが幸いし、私は昨日疑問に思っていたことを確かめることにした。
「お父様も軍人として、よい年齢になります。この先お父様は、退役の予定などがあるのでしょうか?」
「実の父に対してなんてことを言うのです。あなたの父は軍の棟梁たりえる傑出した魔法使いです。今も輝かしい戦功を挙げ続けているというのに、夢半ばで一線を退くなどありえません」
「そうなのですね。私はお父様の夢を聞いたことがありませんし、功績を挙げた軍人はお父様位の年齢で栄転することがある、と聞いていたので」
夢半ば……。母の話しぶりからすると、夫婦の間では大した野心が語られているようだ。父は確かに強いのだろうが、人事が真っ当に運用されているのなら、父は決して軍の要職に就くことはない。仮に私が父と全く血のつながりのない人事担当者だったとしても、彼を要職には絶対に置かない。
今の母の発言は、あまりいい傾向ではない。どちらかと言うと、ループ説の信憑性を高めかねない危うさを内包している……。
「他所で決してこんな話をしてはいけませんよ。いいですね」
「もちろん承知しています、お母様。あと、また別の話なのですが、エルザは軍でどうしているでしょう。手紙のひとつでも来ていませんか」
「私には二回ほど手紙を送ってきています。大過なく過ごしているようです」
そんな簡潔に言われても、エルザの周りに危険人物が潜んでいないかどうかは分からない。エルザが母に宛てた手紙が、まさか文章一行分などということはないだろう。根掘り葉掘り人間関係を問い質したいところではあるが、手紙にそこまで詳しく書くはずもない。とりあえず無事を喜んでおくことにしよう。
「あと、ですね。厚かましいお願いをしたいと思います。リラードとの稽古前に一寸私にも打棍を振るわせて頂けませんか」
「アンデッド殲滅に勤しむわけでもないでしょうに何でまた? 悪夢の続きではないでしょうね」
「違います。レプシャクラーサのヴィンターから武器談義を聞きまして、非常に参考になりました。お母様の打棍もかなりの銘品と聞いたので、一度見てみたいのです」
「あなたの言う打棍はしまってあります。普段リラードに稽古をつける際に使っているのは、練習用の質の落ちる物です。そして練習用とはいえ、武具は滅多矢鱈に人に触らせるものではありません。……そうですね、エルザが前に使っていた打棍がありますから、それを試してみなさい」
母は一度自室に引き上げた後、二つの箱を持って帰ってきた。
「こちらは見せるだけです。手を触れてはなりません」
そう言って装飾から明らかに高級と分かる箱の鍵を開けていく。中からは怪しい靄に包まれた打棍が出てきた。
無意識に息を呑んでしまう。服の下に鳥肌が立っているのが分かる。
「お母様、この打棍は……」
「見たがっていた打棍です。私も浄罪で使ったことはありません」
浄罪……アンデッド殲滅のことか。
「この打棍、本当にあの店で買われたものですか?」
この靄はあの店に陳列されていたどの武具よりも濃密だ。もちろん、エヴァが私に買ったこの剣よりも。遠目で打棍の陳列棚を眺めた限り、打棍は剣の棚よりも全体的に靄が濃かったような覚えはある。しかし、ここまでの逸品は無かったと断言できる。
「これは王都でお爺様、私の父から買ってもらったものです。手入れだけこの街であの店の者にさせていました。たまにですけどね。最近はずっと箱にしまいっぱなしでした。今日はあとで自分で手入れします」
母は得意げな顔で説明すると、満足がいったのか箱の蓋を閉めていく。どうやら誰かに自慢したかったようだ。我が母ながら可愛い面がある。
微笑ましい母の一面を発見し、ふと、昔のことを思い出した。
私がまだ小さかった頃、母の気を引く為に、毎日ナタリーから「必殺、可愛いポーズ!!」を仕入れて母の前で披露したっけか。全然喜んでくれなかったなあ。確か二歳か三歳頃の話だ。
どんなものがあっただろうか。ええと……「大好きハグ」とか「構ってニャンニャン」だったっけか。今、あれをやったら、それはもう強烈なまでに母の気を引ける。ただし、悪い方にである。きっと、頭がおかしい、と思われることだろう。
何気ないことを切っ掛けに記憶が蘇る、という点は「前」の記憶だろうが「今」の記憶だろうが変わらない。
「素晴らしい一柄です。見せて頂いてありがとうございます。あっ、こちらの打棍は触ってもいいのですよね」
もうひとつの箱を指さすと、母は何も言わずに首だけで肯定する。
母の打棍の箱よりも簡素な留め具を外して蓋を開けると、使い込まれた打棍が出てきた。私の見たことがない打棍だ。私が徴兵で不在にしていた間、エルザはこれを使っていたのか。
エルザの魔力の残滓……は流石に残っていないが、この打棍もわずかに靄がかかっている。
「エルザは成人前からこんなにいい打棍を使っていたのですね」
「あの子は見込みがありましたからね。それでもまだ闘衣を使いこなせるようにはなりませんでした」
母の発言は、エルザと誰かを比較している。母の興味が私に向いていない以上、私が比較対象に挙がる可能性はないのだから、リラードということになる。リラードは確かに弱い。しかし、そういう子供を比べるような話を、自分の子供の前でするべきではない。
気を取り直して打棍を手に取ってみる。闘衣を流してみると、私の剣ほどではないが自然に馴染んでいくのが分かる。打棍を振るうイメージは……。
「家の中で振り回すつもりではないでしょうね。続きは外でなさい」
また母から怒られてしまった。振り回しかけていた手前、気恥ずかしさを感じる。母の言葉に従い、日の出間近の薄暗い外に出る。
庭に立ち、朝というには早すぎる涼やかな空気を肺に含む。改めて打棍を握り直し、闘衣を流しつつ打棍を振るう。自然と打棍の技が脳裏に浮かぶ。
そういえば短槍で行う準備運動は、母とエルザの準備運動を真似たものだった。十四歳になる少し前に母の試験を受けた時には、エルザの型を真似た。いずれも、こういう風に打棍のイメージが湧くことはなかった。あの時は握っていたのが短槍だったからか。リーチは似ていても、やはり槍と打棍は違う武器なのだ。
しばらく無意識に任せ、打棍を振るいながら思う。今私が振るっている型はエルザや母の打棍の型と少し違うような気がする。
うん、そうだ。違う型だ。思い出してきた。
母とリラードの動きを実際に見てより深く了解を得たいところではあるが、そこまでしているとエヴァを寄せ場でたっぷりと待たせることになってしまう。もはや確認するまでもなく、記憶の中の母やエルザの型と私の型は間違いなく違う。
仮にループだったとしても、「前」に打棍を私に教えたのは母ではなさそうだ。この土地の信学校や教会での型は、今私が振るっている型と同じなのだろうか。それとも違うだろうか。やや気になる部分ではあるものの、すぐに確かめられるものではない。まさか母に私の型を見せて、出所を聞くわけにもいくまいし。
白んできた空に時間を悟り、打棍を振り回すのは終わりにする。私は家の中に戻り、打棍を箱に収めて母へ礼を述べた後、寄せ場へ向かおうとした。
「待ちなさい、アルバート」
「何でしょう、お母様」
母は何も言わず、開大した手掌二つ分ほどの大きさの化粧箱を私の目の前に差し出す。煌びやかな装飾こそ無いものの落ち着いた色合いで、母の打棍を収めていた箱にどことなく似た雰囲気を持つ、こちらもみるからに高そうな箱だった。
箱を受け取って蓋を開けると、中から魔力が零れ出す。鎮座していたのは魔法付与されたペンダントだ。ペンダントトップの中心には宝石のように美しく透き通った薄紅の精石が奢られている。
「お母様、これは……?」
「成人のお祝いです」
「ありがとうございます。これはどのような効果があるのですか?」
プレゼントだと言う割に、母の顔には物苦しさがある。苦渋の表情、と言ってもいいかもしれない。このペンダントは見るからに良品。私にくれてやるのが惜しくなったのだろうか。
そんな厳しい顔つきの母が、私の質問を聞き、更に少し眉間に皺を寄せる。気に障ったとしても、魔道具であれば効果は知っておきたい。
「これもお爺様から、私が信学校に進む時に貰ったものです。着用者の周囲にアンデッドが近づいた時、着用者の能力を高めてくれます」
祖父は娘を盲愛してやまなかったと見える。高価な品を複数買い与えている。
「そんな素晴らしいアクセサリー、私が頂いてもいいのでしょうか。信学校に進むリラードのほうが、手に取る資格があるように思います」
「それはあなたが案ずる必要はありません。ハンターとして生きていくのであれば、力を発揮することもあるでしょう。あなたはもう大人なのですから、大学に行くにしろ行かないにしろ、独り立ちの時期です。支度金が必要であればそれをお金にかえてもいいでしょう。それはあなたの自由です」
成人祝と独立支援の名を借りただけの、言ってしまえば手切れ金ということらしい。長男なのにこれだけ貰って財産分与からは蚊帳の外か。それでもこの身体を除けば、母から贈られた唯一の品だ。
「売り払うなんてとんでもない。お母様と思い、常に肌身離さぬようにいたします」
失くさない様にしないといけない。この分だと早晩私の部屋も無くなりそうだ。身に着けておくのが一番だろう。
ペンダントを箱から取り出し、チェーンを首に回す。チェーンを留めるのに四苦八苦していると、見かねた母が後ろに回り留めてくれた。
「ありがとうございます。人を待たせているので、もう出かけますね。失礼します」
慌てて家を出ようとすると、背中に感情の籠もった視線を感じる。振り返ると、切なげな目で私を打守る母の姿があった。




