第三八話 転生説の破綻 ニ
闇夜の閑に耳を傾けながら夜を徹して沈思しても、自分が転生者なのかループに囚われているのか結論が出せない。転生にしてもループにしても、論理的な説明のつきにくい矛盾が出てくる。
そもそも信頼に足る絶対的、客観的な事実、というのが無い。全ては私の頭の中だ。記憶の一つにつけても、一体どれが「前」に由来し、どれが「今」獲得したものなのか判然としないのだから、考察が混迷を極めるのも然りである。
転生にしてもループにしても、誰が何の目的で引き起こしたのであろう。
小説作品などと同じであれば、ループの場合何らかの変えたい出来事があるはずだ。その変えたい出来事、覆したい運命というのは自分ないし自分の大切な人の死、ということが多い。
自分以外で私にとって最も大切な人間といえば……妹のエルザか。父も母も、家族にしては濃厚な接触に欠ける。乳母のナタリーが殺されでもしたら、両親が殺害されるよりも、私はよほど心に傷を負いそうだ。弟のリラードだってそうだ。学校に通うようになったため、エルザと違ってリラードとは一年くらいしか遊んであげられなかった。生意気であっても可愛い、大切な弟には間違いないものの、エルザほどの愛着は感じていない。
リラードへの愛情が少ない理由を「今」基準で考えると、彼の僭上な性格と、愛着形成に最も重要な熟知性の原則における接触回数不足で説明できる。
[*熟知性の原則--相手の内面を知れば知るほど、相手に対して好感を持つようになる、という心理原則]
それに対し、ループ説の立場に基くと少し考え方は変わる。もし、「前」に弟が生まれていなかったとすれば、私がリラードに対して強い愛着を抱いていない理由を容易に説明可能だ。
家族以外に執着しうる対象を挙げるとすれば恋人だ。今のところ好きになったのはリディアだけ。そのリディアとも恋人になれたわけでもないし、誰かに殺されたりしたら悲しいが、ループの切っ掛けになるとは思えない。エヴァにも恋愛感情は抱いていない。
大切な相手ができるとしたら、むしろこれからか……。恋人もそうだし、この先子供ができて、その子供を殺されでもしたら、これ以上ない愁傷に違いない。これでは迂闊に人を好きになることもできない。
あとは、降りかかる事件が殺人だとして、犯人は誰か、というところも問題だ。今のところ恨みを買うようなことは積極的には……サバスがいたか。あれだけ心を尽くして話し合ってもまだ足りないと言うのか。やはりあいつらには安らかに眠ってもらったほうが良かったかもしれない。しかし、サバスが本気で私を殺しに来たところで負ける気はしない。不覚を取るとしたら、毒か不意打ちなどの暗殺の類か。それこそエヴァの警告した暗殺者そのものである。
サバスごときではなくエヴァが私を殺そうとした場合、実力差的に私はどうしようもない。もし私がエヴァと正面切って戦うことになったとして、私にできるのは精々エヴァのスティレットの初撃を防げるかどうか、という程度だ。何かのまぐれで初撃を防いだところで二撃目を防ぐことは無理だ。
これまでにエヴァから殺意を感じたことはないし、私を殺そうと目論んでいるのなら、私に戦い方を教えるのはおかしい。犯人がエヴァだとすれば、殺害動機が発生するのはこれからだ。
エヴァは結婚がどうとか言っていた。先の会話でエヴァの中では勝手に婚約が成立したことになっているかもしれない。後日私がそれを否定して、「婚約破棄だ!」とエヴァが怒り出したりしたら……
話は大学を卒業してから、ということだった。エヴァに殺されるのを回避するためにも、結婚云々の話題には一切触れず、大学卒業までにエヴァより強くなるしかない。
待てよ、それならむしろ、さっさとエヴァと結婚してしまえば……。いや、それもダメだ。そうすると、私の大切な人間はエヴァということになる。つまり、死ぬのはエヴァ……
あれ……? ループの特異点がエヴァ付近にある場合、私の努力でループを回避しようというのは、無理筋なのではないか?
目眩がしてきた。エヴァ方面は、詰みの分岐が多すぎる。一旦エヴァの話から離れよう。
私ではなくエルザの人間関係はどうだろう。エルザに魔手を伸ばす凶徒がいやしないだろうか。学校時代にエルザの周囲の人間なんて注意して見たことはないが、エルザだぞ? あの可愛く人懐っこい妹を憎んだり殺そうとしたりする人間が、この世に存在していいはずがない。仮定の話なのに業腹極まりない。
落ち着け。冷静に考えないと、エルザを守れない。エルザに手を伸ばそうとする人間を先んじて殺せない。誰を殺せばいいか、落ち着いて考えろ。
エルザは素晴らしい人間だ。逆に人間性や容姿、能力に秀でているからこそ嫉妬する人間がいてもおかしくない。エルザを守るためにも、エルザの周囲で邪な考えを抱くものは、有無を言わさず消さなければならない。
探さなければ……エルザの周りに潜む危険人物を探さなければ。だが、エルザは軍人となってしまった。周囲の人間を知る術は限られる。限られる、というか父に聞くしかない。民間人である私には軍人の人間関係を調べる手段などない。
拙い、拙いぞ。エルザを救うことも高難度だ。
あとは両親との関係か。
父の怖ろしい側面を知るというのはどういう状況だろう。私が軍隊に入って父の直属の部下になったときか? 正規軍人になっても、そういう展開は考えにくい。民間企業と違い、軍隊で親子を上下に配置することは基本的にない。
父もいい歳だから、退役した上でどこかの団体に再就職して、その団体に同じく私が所属することになったら……。この展開はありそうだ。それこそ、その団体が大学だったりすれば猶更である。父が引退を考えていないかどうか、家に帰ったら母に聞いておこう。
母と戦った記憶についての説明付けは簡単なようで難しい。私が教会、信学校に進路を選ぶループがあれば、多分母は私に打棍の訓練をするはずだ。そうだ。私は聖魔法を習得できずに悔しい思いをした記憶がある。父の意向に背き、教会の道を選んで……。「今」からは想像できないが、母が精神を病まないループでは、そういう展開になるものなのかもしれない。
聖魔法を習得しようとした、ということは、打棍を練習したこともあるはずだ。「今」の私は打棍の扱い方を覚えていないが、真相はまだ分からない。私は剣を握るまで、剣の扱いを思い出すことはなかった。
家に帰ったら打棍を握らせてもらおう。手に取れば思い出すはずだ。打棍を「前」に使ったかどうか。
ループ説の矛盾点を挙げるとすれば、「前」に母と戦ったときに私が剣を使っていたような気がすることだ。ただ、それもはっきりとはしない。今となってはそれすら勘違いだった気もする。
私の記憶の中の母があまり強くないのは、転生説では、未熟な頃の母と戦ったからだ、と納得できるし、ループ説の立場で考えてみれば、老いて弱った母と戦ったから、と解釈できる。老いた肉親と戦うなんて、悲愴な展開だ。ループ説は基本、悲劇的な物語が待っているのだから、どうしようもない。
ループ説で納得いかないのは、アルバートという肉体の誕生時よりも古い時代の情報が記憶の中にある、という点。これが曲者だ。ただし、それらの記憶はいずれもアルバートとして生きていく中で、何らかの記録を読むとか、誰かから思い出話を聞く、などして得られるものの範疇に過ぎない。
もし、その時代に生きた当事者でなければ知り得ないような特別な記憶があればループ説を否定する根拠になるのだが、経験上、私の記憶は、それに適した場面にならないと想起に至らない。
ループ説に否定的なもう一つの要素としては、魔法適性が挙げられる。
詠唱しても全く発動させられないほどに適性外の魔法を、ループを繰り返す程度で習得できるだろうか。
詠唱すればなんとか発動はするが完全な習得には至らない。そんな魔法をループの過程で習得する、というならば理解できる。私は「前」の土魔法の訓練では、魔法発動に至らなかったはずだ。それなのに、「今」の土魔法は、火魔法に匹敵する潜在能力を有しているように思う。魔法に関しては、ループ説よりも転生説のほうが説明しやすい。肉体が変われば適性は大きく変わるはずだからである。
魔法に関して転生説に否定的な点は無きにしもあらずだ。転生前後で肉体と適性が変われば、転生前に使えたはずの魔法が、転生後全く使えない、ということもありそうなものである。しかし、幼少時の魔力不足の時期を除き、「前」に習得済みの魔法を使おうとして発動させられなかったことは、ただの一度もなかった。一旦習得してしまえば、行使において魔法適性はあまり関係ないものなのかどうか。これは誰か別の転生者に聞いてみないことには、確認が取れない。
ループ説よりも転生説のほうが信憑性は高い。ただし、危険度が高いのは寸毫の疑いなくループ説。そこから目を背けたままループの特異点に到達すると、また赤子からやり直しである。しかも記憶の持ち越しは不完全。
どれだけ考えたところで、手持ちの情報だけではこれ以上先が見えてこない。できるのは、今までにまして周囲を警戒することと、家に帰ってから何点か確認をとることくらいのものである。一秒でも早く確かめたい、という思いと、何もかもを捨てて逃げ出したい、という弱気が混在している。
朝を迎え、明らかに寝不足な私を見ても、エヴァは薄く笑うだけで何も言わない。
エヴァの笑みは、私が寝不足な理由を勘違いしているのか、それとも何もかもを見抜いた上で嘲笑しているのか。エヴァは私の守るべき人間なのか、それとも絶対に排除すべき敵なのか……
もう、エヴァが今までのエヴァには見えない。
私以外の三人が半月振りに街に戻れることの喜びを露わにして歩き続ける中、私は一人敵地へと赴く感覚である。実際街に入っても、道行く人間が、全て敵に見え始め、気が休まるどころではない。
清算は手配師が入念に手回し済みだったらしく、ハントの金銭処理で今まで目にしたことのない大きな金額が事も無げに次々と動き、あっさりと終わった。精石だけはエヴァが預かりのまま、シェルドンとルヴェールにはエヴァが既定の報酬を支払い、私とエヴァ間の残りの清算は後日となった。
「長々かかりましたが、これで今回のハントは終了です。皆さんお疲れさまでした」
「今回は稼がせてもらったぜ。またよろしくな、エヴァちゃん」
「また力を借りたいときは宜しくお願いします、シェルドン。ルヴェールも突然の事だったのにありがとうございます」
「俺も久しぶりに、達成感のあるいい仕事ができた。こちらこそありがとう」
「いい家庭を築いてくださいね」
シェルドンは無言でルヴェールに向かって拳を掲げ、ルヴェールはそれに応えて自分の拳を軽くシェルドンの拳にぶつけた。いつの間にか昔からの親友みたいになっている。元サヤに納まったのか、今回のハントで友情が深まったのか……
「それでは家までお気をつけて」
シェルドンはエヴァにやかましく別れを告げ、ルヴェールは無言で手を挙げて挨拶に代え、二人とも去って行く。
二人の後ろ姿を見送ったところでエヴァが話し掛けてきた。
「今日も家まで送ってあげますよ」
「ああ、頼む」
エヴァが一緒にいれば、少なくともエヴァ以外の犯人が私を殺害することは難しくなる。少しでも殺される可能性は下げたい。
「おや、いつもはなんだかんだ抵抗する素振りを見せるのに今日は随分と素直ですね」
「……金を持っているからな」
「だから随分と周囲を警戒しているんですか。危ない目つきをしている今の君に面と向かって突っかかってくる輩はいません。そういうことをしそうな人達の中ではこの街で一番強かったのがサバスらしいですよ。サバスにはこの間、丁寧に挨拶を済ませたじゃないですか。でも慎重なのはいいことです」
エヴァと二人で帰宅といっても、無論周囲への警戒を怠ることはしない。いずれはエヴァも警戒しないといけないが、私がもっと強くならないことには、今の時点でエヴァを警戒しても無駄な足掻きである。
「大金を持っているから、というよりは寝不足でおかしな精神状態になっているみたいですね。今日は帰ったら訓練とか余計なことは考えずに早く休んでくださいよ。明日はいつもより少し遅め、周旋が終わるくらいの時間に集合して、ハントではなく清算の続きに行きます。いいですね」
「ああ」
[*周旋--売買・雇用などで、仲に入って世話をすること。ここでは手配師による口入れ・人夫出しの意味]
明日は精石の処理だ。エヴァは、骨肉店に直接持って行って交渉する、と言っていた。羽毛や肉は手配師に引き渡したとはいえ、結局は骨肉店を一回経由することになるはずだ。エヴァが手配師とどういう契約を交わしたのかよく分からない。精石だけ引き渡し対象から外した契約を結んでいたのだろうか。
エヴァから投げかけられる会話には上の空で返事をしながら、あっという間に家に辿り着く。別れ際に背中から一突きにされないかと身を固くしたが、普段とまるで変わりなくエヴァは去っていった。
家に入り、すぐにでも疑問を払拭すべく、旅塵も払わぬままに母の部屋を訪ねるも、母の部屋の扉が開くことはなかった。アナに尋ねると、出かけていて不在ということだった。仕方なしに自室に戻り、ハントの片づけをして母の帰宅を待った。




