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第三五話 氷の翼 ルドスクシュ 五

「撤退?」


 空に浮かぶルドスクシュの影が小さく遠ざかっていく中、エヴァの言葉の意味が分からずにオウム返しをしてしまう。


 ルドスクシュの魔力は強い。正直エヴァと同等かそれ以上かもしれない。だが賢さが売りの魔物ではない。エヴァ単独でも倒せないことはないだろうし、私も支援すれば、討伐成功率は決して低くない。


「私のたった今の攻撃は、これで大勢を決する位の気勢で放ったものです。予想よりも大きい個体でしたから、ほんのわずかに迷いがありましたが、それも一瞬です。私の全力は、あまり効いたようには見えません。このまま続けても、この大個体は倒せません」


 効いていない? そんな訳がない。


 エヴァの先ほどの攻撃は、目に見えてルドスクシュの魔力を削ぎ落とした。雄大なルドスクシュの全魔力からすれば一部に過ぎなくとも、どのみち短期戦ではなく持久戦を覚悟していたのだから、戦闘時間が想定よりも長引くだけだ。


「図体がでかくて鈍いだけだ。ダメージの無効化などできていない。他の魔物だって大物ならあんな反応だろ」


 自分に強化魔法を施しながらエヴァに答える。


 小さくなったルドスクシュの影が旋回し、こちらに向かって来るのが見える。


「こっちに来ます。林に逃げ込んでください。木々の中にまでは突進してこないはずです」


 攻撃姿勢を顕にして迫りくるルドスクシュの圧力は凄まじい。正直今までにない恐怖に身が竦んでいる。逃げてもいいんだ、という安堵と、討伐可能な戦力を有している状態で、一撃も入れることなく逃走したくない、という感情が(せめ)ぎ合う。


「アルバート君!!」


 エヴァが大声を上げる。


 退くしかないのか。


 後ろ目にルドスクシュを見ながら、林の方向へと駆け出す。


 エヴァは私に続き、ルドスクシュのほうを向いたまま、後じさるには速く、背走というには遅い移動を開始する。


 ルドスクシュは急速にこちらへ近づいてくる。この速度だと林まで逃げ込む時間は無い。このまま無防備な背中を襲われてはたまらない。翻ってルドスクシュに向き直った瞬間、ルドスクシュは私ではなくエヴァに向かって突っ込んできた。


 エヴァの身を掴もうと襲いかかる大きな(あしゆび)と爪を、エヴァは鮮やかに避ける。


 爪での攻撃が空振りに終わると、速度を落とすことなく空の足で地面を蹴り、ルドスクシュは再び上空へと舞い上がる。さきほどの離陸よりも空へと上がる速度はとても速い。


 爪を躱したエヴァは、横腹を見せて通り過ぎるルドスクシュに再び鋭い突きを浴びせる。エヴァの攻撃は間違いなくドスクシュの魔力を削っている。しかし、ルドスクシュがあまりにも反応を見せないため、物理的なダメージをどれだけ与えられているのか分からない。


 肉体的な損傷が軽微であったとしても、魔力を削りきれば勝敗は決する。ルドスクシュの攻撃を回避しながらカウンターを繰り返すだけでも十分倒せるように思える。


「何を立ち止まっているのです、早く林の中に入ってください!!」


 私の予断とは裏腹にエヴァの撤退の意思は変わらない。


 私が林の中に数歩入ったところで、ルドスクシュがエヴァに二回目の降下攻撃を行う。エヴァはこれも躱し、都合三度目の攻撃を浴びせる。見える魔力を大凡の数値に置き換えて考えると、ルドスクシュはエヴァの攻撃三回で全魔力の一割強を失っている。


 対するエヴァも魔力を消耗しているが、ルドスクシュほどではない。体力さえもてば、魔力残量的には十分討伐できる。それなのに何故……。




 ルドスクシュが三度空高く上がり、エヴァも林の中に入ってきた。


「さあ、東側に逃げますよ」


 西側に逃げるとシェルドンとルヴェールがいる。その更に西側はガダトリーヴァイーグルの巣窟だ。林の伸びる東側はクリアリングしていない。林の中とはいえ、ルドスクシュの領域なのだから、他に大物がいないことを願うばかりだ。


 エヴァと二人、林を東へ東へ、と進む。無警戒に全速力で駆け抜けることもできないため、大雑把ながら索敵しつつの、速度の上がりきらない東方への逃走である。


 我々が林の中に入っても、ルドスクシュは追跡を諦める気配がない。森と言えるほどに樹木が茂り立っていないせいで、枝葉の隙間から我々を捕捉し続けている。それでも樹木は、ルドスクシュの地上への降下攻撃を妨げる程度には、障害物として役割を果たしてくれている。


 ルドスクシュは樹木を嫌ってそのまま我々への攻撃を諦めてくれればいいものを、上空での旋回速度を緩めたかと思ったら、今度は翼に魔力を集中させ始めた。


「エヴァ」

「何です」

「撃ってくるぞ」


 エヴァに警告し終えるや否や、楔形をした幾条もの氷がこちらに向かって飛んでくる。その太さたるや、男の二の腕ほどもある。木々の枝葉はもちろん、細い幹すら貫く威力を備えた質、量ともに申し分のない暴力だ。


 慌てて剣を抜き、真正面の氷だけを薙ぎ払う。残りの氷は地面に直撃し、深々と土を抉って、刺さり立っている。


 危なかった。咄嗟に真正面の氷を防ぐことができたのは、運が良かっただけだ。視界が悪いせいで飛来する氷の全てを見通すことはできない。氷を切り払いきれずに避けようとしても、どちらに避ければ弾幕が薄いか分からない。何度も同じ攻撃をされると防ぎきれずに、いずれ被弾する。


 エヴァを見ると、無傷でこそあれ、その表情は固く険しい。


「もっと遠くまで逃げましょう」

「その前に二撃目が来る」


 西方向から撃ってきた初撃から変わり、今度はその直角たる南側上空でルドスクシュは構えを取っている。傀儡の目がないエヴァには、ルドスクシュのいる方角を常時追いきれていない。


「あちらから来るぞ」


 ルドスクシュのいる南方向に私が向き直ると、エヴァも林越しに同じ空を睨む。


 ルドスクシュが放つ水魔法、アイススピアーを防ぐのに苦労するのは私だけではない。傀儡がある私よりもずっと悪条件の視界の中で、エヴァはアイススピアーを撃ち落とさなければならない。林の中を逃げるのは彼女にとって不利のはずだ。それに、スティレットは、もはや襲い来る氷の柱とも言うべきアイススピアーを防ぐには適さない武器だ。


 こちらの事情などお構いなしに飛来する二撃目のアイススピアーに合わせ、クレイスパイクを放って迎撃を試みる。アイススピアーはルドスクシュの左右両翼の部分から放たれる。ルドスクシュ本体の中央からは飛んでこず、左と右から少しずつ角度をつけて飛来する。左右からの攻撃を同時に捌くのは至難だ。どちらか片方の氷の数だけでも減らしたい。そんな思いでクレイスパイクは右側に撃ち、剣は左へと向ける。私は右利きだから、左からの攻撃のほうが剣で払いやすい。


 些細(ささい)なあがきのつもりだったが、思いの外有効だった。右から飛来する氷のうち、私に直撃する角度のものは全てクレイスパイクが撃ち落としてくれたため、左から襲い来る氷を切り払うだけで済んだ。どちらかというと、武器の都合上、薙ぎ払いができずに左右両方向の氷を突き落とさないといけないエヴァのほうが大変そうだ。


 思えば私の攻撃魔法は中及び遠距離から放つことが多く、威力を抑えて照準に意識を割いてきた。今放った魔法(クレイスパイク)は、そもそも迎撃すべき氷の位置が正確に見えているわけではないから、照準合わせなどせず、大体の方向に見当をつけてぶっ放しただけのものだ。私自身経験のない威力偏重のクレイスパイクは、自分でも驚いてしまうほど強力だった。ルドスクシュのアイススピアーに全く力負けしていない。巧緻繊細さを犠牲にすれば、今の私でも土魔法でここまで威力を出せるのか。まさか氷柱をこれほど何本も迎撃してくれる、とまでは思っていなかった。これならば、林間を逃げる分には、私は苦労しない。


 土魔法の可能性に気を良くした私は、次なるアイススピアーを求めて空を見上げる。そんな私の期待には応えず、ルドスクシュはグルグルと上空を旋回し始めた。どうやら、三回は連続してアイススピアーを放てないようだ。


 ルドスクシュの魔法攻撃が止んだことを受け、東への逃走を再開する。




 林を走りながらエヴァに尋ねる。


「なぜ戦わない。エヴァなら倒せるはずだ」

「逃げ切れたら話します」


 返事はそっけない。


 二撃目からは間をおいて、三撃目、そして四撃目のアイススピアーが我々に襲いくる。逃げては氷を避け、を何度も繰り返しているうちに、我々の進行方向に光が広がってきた。ルドスクシュを見つつ、林の中の魔物を探しつつで、地形を把握しきれていなかった。


「この先は崖になっているぞ」

「南に抜けましょう」


 そちらも少し行くと崖が待っている。私の苦々しい表情を察し、エヴァが意見を翻す。


「やはり北側にしましょう」


 私の返事を待たず、エヴァは北へと走り出す。


 そちらも……。


 氷柱を払いながら北へと走ると、再び光が見えてくる。


「こっちも崖ですか」


 文句を言いながらも速度を落として光へ向かう。林の先に崖は無く、しかして広がっているのは草地だった。


「さて、どうやって逃げたものやら……」


 東と南は崖があり、西はポーター二人の隠れ場所。二人から更に西に行くとガダトリーヴァイーグルの巣窟が待ち受け、その更に西はまたも崖。北側には身を隠す場所のない草地が広がり、北のずっと遠くにはゴツゴツとした走り辛そうな尾根が続くように見える。


 我々が今いる場所は、ルドスクシュが座していた窪地からそれなりに距離がある。たった二人の人間なんか、あの怪鳥からして見れば、そう魅力的な獲物でもないだろうに、随分としつこく追いかけてくるものだ。ルドスクシュというのは、そういう習性を持つ魔物なのだろうか。それとも執着心の強い珍しい個体なのか。ルドスクシュが多数棲息しているのは大森林から見て北西に位置する、北洋近くの森である。大森林南側の、この峡谷にいるだけでも珍しいというのに。そういえば、ルドスクシュが座していた下には……。


「エヴァ、逃げ切るのは無理だ」

「林にいる間は大丈夫です。なんとか方法を考えましょう」

「このしつこさ、多分彼女は巣に卵か雛を抱えているのだと思う」

「子持ちの魔物ですか。なるほど、それではそう易々と見逃してくれませんね」

「ここで倒そう」

「君では無理です」

「倒すのはエヴァだ」


 エヴァに身体強化の補助魔法をかける。ハントで他人に補助魔法をかけるのは、現世初である。


 補助魔法をかけ終わった直後にアイススピアーが降ってくる。迎撃のクレイスパイクは間に合わない。


 左右両方切り払わなければ。


 身構える私の眼前にエヴァが立ちはだかると、我々を狙う氷柱の全てを突き落とした。


 エヴァは自分にかけられた補助魔法の程度を確かめるように、手掌の把握と開大を繰り返す。


「あ、ありがとう……」

「四属性の攻撃魔法といい、補助魔法といい、随分器用に魔法を使いこなすものです。まさか補助魔法までこれほどとは。アルバート君、君は一体……」

「もう一撃来るぞ」


 私に言われるまでもなく油断などしていないエヴァは、次のアイススピアーも難なくひとりで捌ききる。


「林の中を走っている間、いい加減攻撃されっぱなしでしたからね。反撃するとしましょうか」


 エヴァは草地へと躍り出た。


 ようやく爪の届く場所へ出てきたエヴァを見つけ、ルドスクシュは勢いを付けるために一旦距離を取った後、嬉々として突進してきた。アイススピアーを放ち続けたせいか、ルドスクシュの魔力の目方はめっきりと減っている。


「間抜けに大口開けやがって」


 ルドスクシュが敵と見做しているのはエヴァのことだけ。私のことはエヴァの付属物程度にしか考えていないのだろう。なんせ私はここまでルドスクシュに一度も攻撃をしていない。エヴァにばかりいい恰好はさせられない。今のエヴァだと、ルドスクシュが数回突撃降下する間に仕留めてしまいかねない。


 剣を鞘に収め、両手で魔法を溜める。これまでにない魔力を込めた火魔法が、自分の両手を(あぶ)り出す。


 この身体で初めて放つ上位攻撃魔法だ。篤と味わうがいい。今の私の魔力なら、前世の最高の一発を超える威力が出せるはず。


「行けっ!!」


 自分の身長を上回る大きさの火球、ファイアーボールを、エヴァに向かって飛び込んでくるルドスクシュへ放つ。


 アイススピアーを防ぐには邪魔だった木々が、今度はルドスクシュの目から私の魔法を隠してくれていた。奴の目からは突如、林の中から火球がすっ飛んできたように見えたはずだ。事実、ルドスクシュはファイアーボール被弾直前に顔を背けるのが精一杯で、避けることはできなかった。ルドスクシュの頭部に直撃した火球は炸裂し、その羽を焦がしていく。


 もし顔を背けていなければ、ファイアーボールはルドスクシュの口を焼き焦がしていた。流石にそこまで上手く事は運ばない。


 それでもルドスクシュは身体を焦がす火炎を嫌って苦しむ素振りを見せ、爪が地上に到達する直前に身を切り返した。


 よりにもよってエヴァの真ん前で減速して切り返しを行うとは愚かな。無論そうなるタイミングを見計らって魔法を撃ったのだ。


 もたらされた好機に、エヴァがスティレットで連撃(バラージュ)を叩き込む。私の撃ったファイアーボールが見た目の派手さの割にルドスクシュの魔力をあまり削れていないのとは対照的に、エヴァの攻撃はルドスクシュの魔力をみるみる減らしていく。


 ルドスクシュは懸命に羽ばたいて上空へ逃れようとするが、なかなか高度が稼げず、エヴァの攻撃を次々に身体に受けていく。その鈍った動きは、エヴァの攻撃で受けたダメージを如実に物語っている。


 ファイアーボールは炸裂した後、いくつもの子弾に分かれて羽根を燃やしている。全身に上がった小さな火の手を目がけ、クレイスパイクを放つ。ルドスクシュに追い打ちを与えつつ鎮火を図らなければ、せっかくの羽根がどんどん痛んでしまう。


 森を出て草地を走りながらクレイスパイクを連続的に打ち続ける。燃え移った全ての炎が消える頃になってようやくルドスクシュはエヴァの間合いから逃れたが、既に死に体だ。


 このまま飛び去られても面倒である。もう反撃してくるようにも見えないことだし、ここで決めよう。


 我々から遠ざかろうとするルドスクシュの左の翼だけを狙いクレイスパイクを連発する。的としては非常に大きく、魔法を躱す俊敏性などとうに失われている。照準は粗大に合わせ、威力だけに意識を注ぎ、強いクレイスパイクを練り上げては放ちを繰り返す。


 私のクレイスパイクなど万全のルドスクシュにとっては飛礫に過ぎないかもしれない。それでも、手負いの今であれば十分に飛行の妨げになる。左側を執拗に狙われ続け、次第に空中でのバランスを失い、まさしく墜落という形でルドスクシュは地に落ちた。




 落下地点へ二人で駆け寄る。


 私の魔法で、というよりは墜落時に痛めたのであろう。ルドスクシュの左の翼は力なくだらりと下がっている。上体を起こし、顔をこちらに向け、瞳だけは力強さを失わずに我々を見据えている。


 魔法ではなく剣でとどめをさそうか、と収めた剣の柄に手をかけたところで、エヴァが私を手で制して身を前に進める。


 ルドスクシュは毛を逆立てて威嚇の姿勢を見せている。綽然と近づいてくるエヴァに対してルドスクシュは首を引いたかと思ったら、次の瞬間嘴で攻撃してきた。


 危ない!!


 ギクリとして身を強張らせる私とは違い、エヴァは柳よりもしなやかに嘴を避ける。エヴァはただ躱すだけでなく、避けざまに深く鋭いスティレットの一撃を与えていた。側頭部に攻撃を受けたルドスクシュは全身の力が抜け、それきり動かなくなった。

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