第三四話 氷の翼 ルドスクシュ 四
「さあ、今日も張り切って探索しましょう」
エヴァがパーティーを鼓舞するため、明るい声でハントの開始を告げる。
「ちょっといいか?」
「どうぞ、アルバート君」
「今日はよっぽどそれらしい物を見かけない限り、峡谷をまっすぐ戻らないか?」
「それはまたどうして? 今日でちゃんとした探索は最後になるかもしれないんですよ」
「……あたりを付けている場所がある」
「そっ、それはどこら辺なんだ」
シェルドンが大きな声を上げる。そこに秘められている感情は、期待ではなく拒絶だ。苦しい気持ちに僅かなりと同情はするが、ハントの目的は現在もルドスクシュを討伐することである。パーティーの調和を保つためにも、否定的な感情を示す際は、冗長ならざるも迂遠さを忘れない表現に努めたほうがいい。
「私が初日に『あの辺りにはルドスクシュはいない』と指した場所だ」
「あぁ、そういうことですか」
「ど、どこがどういうことですか」
シェルドンの焦りが伝播したのか、ルヴェールまで言葉遣いがおかしくなっている。
「あの地点にはイーグル大の鳥が多数旋回飛行していた。ルドスクシュが居るのであれば、周りに鳥がたくさん飛んでいるのはおかしい、とあの時は判断した。だが、もしかしたら逆なのかもしれない。ルドスクシュが狩った獲物の残骸とか、あるいは死んだルドスクシュそのものに群がってあそこに鳥がたくさんいた、と考えることもできる」
「ルドスクシュが死んでるんなら願ってもねえ」
「死んでいたら価値は激減します。精石が取れるかどうかも怪しい」
「光沢を持つタイプの精石だと、食事がてら、鳥に持っていかれてしまうかもしれない。それにまだ死んでいると決まったわけじゃない。生きているなら、なるべく午前中にアタックしたいだろ?」
「だから真っすぐ戻りたいんですね。寄り道しなければ、私達が初日に峡谷に入った場所近くまで一日とかからないでしょう」
今日中に狙いを定めたポイントの付近まで接近しておく。そうすれば明日の午前中に目標のポイントにアタックできる。
「そういうことだ。もちろん、読みが外れて今日の道中で出くわす分には一向に構わないけれど」
「読みが外れても構わない、と言う割には自信があるように見えます」
「結果なんて分からないさ」
「ルドスクシュ抜きでも、出てくる魔物は十分やべぇんだから今日も気を抜かないでくれよ」
明日の脅威に目を向けるあまり、今日足元の石に蹴躓くことがないようにするのは、言うに及ばずだ。それに、ルドスクシュ討伐の成否によらず、帰還時に通る道中の魔物だって、この三日間峡谷で戦ってきた魔物よりも強いのだ。どういう選択をしても、気を抜く余裕などない。
今のシェルドンは発言こそ気弱でも、昨日エヴァが『探索はあと一日』と言った時よりも、また少し顔に生気が戻っている。今日の探索でルドスクシュに出くわす可能性が少ないと分かったことも影響している、と見える。油断しないように言っておきながら、自分は過緊張を脱している。悚然とされることを考えたら、今のほうが好ましい。
推測の的中を信じ込んで集中力を切らすあまり、本来であれば見つけられたはずの標的の気配を察知し損ね、横を通り過ぎる、などという愚昧盲進は避けるべきである。これまでの三日にまして集中しながら索敵を続け、来た道を戻る。一度通過したばかりの道であり、魔物は多くない。
ここ最近、ドミネートでの索敵に少し細工を加えた。虫を飛ばして辺りを見回す、というのが私の基本的な索敵のスタイルだ。能力を周囲に隠している手前、エヴァのような鋭いパーティーメンバーがいる状況では、遠方観測にこれ以上ない力を発揮する鳥類を傀儡にすることができない。
それではどの虫を傀儡に選ぶか、ということになってくる。吹けば飛ぶような小虫はいらない。有用なのはトンボや大型の蜂のような巡航能力の高い虫だ。彼ら狩る側の虫は、虫の中でも遠方視や立体視の能力が比較的優れている。狩られる側の虫は視野や色覚に優れていても、遠方視や立体視には劣るから、私としては使いにくい。
巡航能力と遠方視力以外に役に立つ能力は何か。それは吸血虫や寄生虫が持つ能力だ。彼らは、より大型の生き物が放つ体温や呼吸、臭いを感じ取る能力がある。
蚊がいい例だ。蚊は風上側の吸血対象の存在を鋭敏に知覚できる。飛行速度が遅いこと、少し風が強くそよぐだけで飛行が覚束なくなるのが玉に瑕なのだが、そこは使う側の工夫次第である。
ドミネートしたトンボで、同じくドミネートした蚊を掴ませて飛ぶ。こうすればトンボの巡航能力と視力、蚊の生体感知能力が組み合わさることになる。生体の呼吸を探るために一々止まる必要があるが、トンボや蜂は空中で一点に留まる停止飛行もお手の物だ。トンボに掴まれることで蚊が猛烈な死の恐怖に襲われる点と、トンボに割くドミネートの集中力を切らすとトンボが蚊を食べ始めてしまう点はご愛嬌である。
ドミネートの課題を挙げるとすれば、有効距離である。一歳の頃から使い続けているのに有効距離はわずかしか伸びていない。何らかのブレイクスルーを起こすことで、有効距離を一気に延伸することができるかもしれないし、魔法の特性上の距離限界がこんなものなのかもしれない。そこはもう少し多角的な検証が必要になる。限界ギリギリまで遠くに傀儡を派遣し、傀儡喪失を繰り返したところで、必ずしも有効距離は伸びていかない。
人目を憚る検証作業は別の機会に行うことにして、今回の遠征で虫の分業体制を一つ構築し、索敵の精度がまた一段階上がった。必要に迫られることや、目的意識を持つことは、成長を促す重要な因子である。
傀儡による索敵で捕捉した敵は、自分の目で見つける前になるべく気配を探るようにしている。気配察知や視線感知で敵を見つけた場合も、目で見る前に傀儡を飛ばし、相互にフィードバックを繰り返す。勉強でいえば、間違った問題の復習をしているのに近い。気配察知も虫での索敵も共に精度向上の兆しを見せている。
この調子で全天候に対応できるような索敵の手法を構築したいところだ。パーティーメンバーがいて鳥を飛ばせない状況。雨の日、夜間。トンボや蜂が飛んでいるのは不自然な屋内。そして冬。冬は辛い。虫があまりいない。虫がいない、ということは、私の索敵能力がガタ落ちする、ということである。ドミネート一つ取ってみても課題は山積みだ。
改良を加えた新しい索敵方式で効率的に魔物を見つけ、サクサクと倒しながら谷底を南へ下り、朝一番のブリーフィングで予定した通りの場所まで到達した。四日目の道中もルドスクシュを見かけることや痕跡を発見することはなかった。
現在の目標ポイントの、鳥の影が集まっていたあの場所は、本日の野営地点からすぐそこである。地形を把握していて、かつ夜目が効くのであれば、鳥の動きが鈍くなる夜間にアタックする、というのも一つの選択肢である。現状を考えると、我々はこの場所に不案内で、しかも目標地点は未探索領域。ルドスクシュを除いても、少なくともイーグル大の鳥型の魔物が多数棲息している。パーティーの誰も暗視能力を強化する魔法を習得していない。夜間に仕掛ける理由はないのだ。
今回のルドスクシュハントに使うかどうかは別としても、暗視能力強化の手法はいずれ手に入れたい。暗視能力を強化する魔道具と魔法は聞いたことがある。スキルに関しては、そういう役割を果たすものが存在するのかどうか知らない。選べるならばやはり魔法がいい。
それにしても鳥はなぜ夜間あまり動かなくなるのだろう。別に暗いと目が見えなくなる訳でもないのに。ドミネートで感覚共有して確かめても、鳥は夜でもちゃんと視力がある。それなのに身体がうまく動かせない。麻痺もしていないのに、身体を動かすのにとんでもない抵抗がある。
フクロウやヨタカといった夜行性の鳥だとどうなのだろう。これらの種もそういう抵抗を感じながら飛び回っているのだろうか。これも機会があったら確かめてみたい。
結果がどうなるにしろ、ルドスクシュハントでやるべきこと、ハントの終わりの両方がもう見えている。ハントと無関係なことを様々考えてしまう。既に散々話し尽くしたルドスクシュと出くわした際の対応を一回振り返ると、パーティー内での会話が途絶える。会話がなければ雑多なことを考えるのが自然だ。緊張感と戦い再び口数が減っているシェルドンに合わせ、エヴァもお喋りを慎んでいる。静かな夜は、思考に暮れるに限る。
なんだかカールやダナ達とパーティーを組んでいた時を思い出す。ああ、でもあの時は会話がなくてももう少し柔らかい空気だった。同じ行動をとっても、その行動を誰が取るかで、出来上がる雰囲気や、受ける印象は変わるものである。
翌日、払暁のうちに行動を開始する。準備しておいた糧食をしたため、野営を回収し、日の出前に目標ポイントへ接近を開始する。
日の出の数十分前にもなると鳥は活動を始めている。四日前にいくつものイーグルの影を見いだした空には、あの日と違い、まだ、けたたましい鳴き声も、飛び回る影もない。朝の活動開始を今か今かと待ちわびる魔物の気配がそこかしこに存在するだけだ。
「実際にこの場所まで来てみると、なんで探索地域から外したか分からないくらいやばい気配がビンビン漂ってるぜ……」
シェルドンが如何にも、な雰囲気で緊張を吐露している。彼は気配察知などできるのだろうか。
音を探るのに重要なのは耳、光であれば目。では気配を探るのには何が重要か。気配探知という行動は、自身に生えた体毛を用いて行う。つまり、試みること自体は万人が可能なスキルである。ただし、その精度は百人百様だ。
私の知る人間の範囲では、おそらく母が一番高い気配察知能力を持っている。あれは異常だ。私を産む前からあれほど能力が高かったのだろうか。先天的なものだとすれば、エルザやリラードも気配察知に優れているのかもしれない。私の気配察知や視線感知は、転生による引継ぎだとばかり思っていたが、こう考えると案外血筋の線も捨てきれない。
「あの崖を登った奥が気になる。少し離れた地点から崖を登って、それから奥にアプローチしてみよう」
崖登り中に戦闘突入したくはない。少し離れた安全な地点から、まず崖上の高台まで登り切り、それから大物が身を潜めていそうな地点を探索する。
崖を登っている間に日が山間から顔を出し、峡谷五日目の朝を迎える。ハントはこれからが本番だ。
目標ポイントに定めていた高台の林に入った頃には、既に四日前と同じように空を鳥が飛び交っていた。木々の合間から、鳥の影が落ちる。初日の目測通り、それなりに大型のイーグルだ。決してルドスクシュほどの大型の鳥ではない。
女の叫び声にしか聞こえなかった鳥の声が、これくらいの距離だと何やら意味のある言葉、さしずめ鳥語でも怒鳴り合っているように聞こえる。どうやらここにいる鳥は、お喋りできる鳥の一種、ガダトリーヴァイーグルのようだ。身体が大きいだけでなく、魔力もそれなりに強い。しかし、この程度なら一羽ずつであればシェルドンやルヴェールでもなんとか倒せそうだ。
問題は数だ。視界が限られた林の中から見上げるだけでも十羽以上が空を舞っているのが見える。なぜこの場所に、こんなに密集して暮らしている。近くにいい餌場があるのか?
木の陰に身を隠しながら、周辺を窺う。
「彼女らは単にここら辺をねぐらにしているだけみたいです。餌となるような大きな死体が転がったりはしていませんね」
「そうらしい。乾いた糞の臭いが少しするだけで特に腐臭も漂っていない」
「谷側から離れて、もう少し高台奥を探ってみましょう」
高台の手前谷側がガダトリーヴァイーグルのねぐらで、奥側の上空にはガダトリーヴァイーグルの姿は見えない。その場所こそが私の本命である。
高台を進むと、前方に窪地が見えてきた。窪地は丈の低い草ばかりで木々は生えておらず、中心にこんもりとした黒い塊が鎮座している。
ああ、あの黒い塊こそが我々の討伐目標に違いない。窪地も黒い塊もまだ傀儡の視界にしか入っていない。私からもパーティーメンバーからも窪地は見えていない。逆に目標からもこの場所は視線が通らない、比較的安全な場所ということになる。
ここから先は慎重を期したほうがいい。パーティーに声を掛ける。
「どうやら当たりらしい」
窪地の風下側に回り込み、より安全性の高そうな、森ほどの木々の密集地点に腰を落ち着ける。鳥の活動が穏やかになる昼近くまで時間を潰した後、シェルドンとルヴェールはそこに待機させて、私とエヴァだけで行動を開始する。
私とエヴァは、シェルドン達から少し離れた場所へ更に回り込み、作戦を確認する。
「ルドスクシュは目視しましたか?」
「見えてはいない。気配で分かる。かなり大きな魔物がいる」
分かっているのは黒い大きなモコモコした物が窪地の中央にある、ということだけだ。自分の目では見ていないから、魔力の多寡までは分からない。
「ルドスクシュが他の鳥と同じようにこの時間、大人しくなってくれていることを願う」
「お昼寝していたところでどのみち一撃では倒せません。淡い期待です。接敵する前に、もう一回、ざっと確認しておきましょう。降下からの鉤爪に完全に捕まってしまうと、私も抜け出すことはできないと思うので、その時は私に構わず逃げてください。距離を取っていても、アイススピアーを飛ばしてきますからそれにも注意です」
「ルドスクシュが離れたら私達もお互い距離を取り、近寄ってくる素振りを見せたら私達も近づき、そこから降下にあわせて急速離脱。事前の打ち合わせ通りだな」
「ええ、それでは行きましょう」
一歩一歩、慎重に窪地へと近づいていく。私達の身体を隠してくれる木々が生えない場所まで来たら、草に身を伏せるようにしてにじり寄っていく。
少しずつ、黒い塊の天辺が実見できるようになる。天辺部分はルドスクシュの背中だ。
植物のように動かなかった黒い塊から、不意にヒョイと首が持ち上がる。巨大でこそあれ、その動きは間違いなく鳥そのものだった。背中よりも高く上がった首は、私の目にもエヴァの目にもはっきりと映っている。ルドスクシュのような猛禽類は、目が頭部の正面についている。その目が私からは見えていないのだから、今我々が見ているのはルドスクシュの後頭部だ。その頭部がグルリと回り、二つの目が私達を捉える。
猛禽に相応しい鋭い眼差しをしているというのに、真正面から見る顔は奇妙な愛嬌がある。そう思えたのは一瞬だった。
ルドスクシュは悠然と立ち上がると、両翼を広げて羽ばたき始めた。体高は我々の優に倍はある。翼はどこまでも続くのではないかと思われるほど横に長い。怪鳥、という言葉が脳裏に浮かんだ。こんな恐ろしく鴻大な生き物が本当に飛べるのだろうか。しかも助走をつけない垂直離陸。
初めて見るルドスクシュの威容に呆気に取られる私とは対照的に、エヴァは即座に行動を開始する。低い体勢から一気に駆け寄ると、まだ剣が届く高さで羽ばたくルドスクシュに対し連続で突きを繰り出す。スラストの速度も爆発的に膨れ上がる闘衣も、今まで見せていたエヴァの力とは比べ物にならない。これがチタンクラスのハンター!!
スラストは左の羽の付け根付近に完全に入ったように見えたが、ルドスクシュは意にも介さず、そのまま空高く舞い上がっていく。
「アルバート君……」
高度を得たルドスクシュが谷方向へと離れて行く。小さくなっていく鳥影を見つめるエヴァが、私に背を向けたまま話し掛ける。その声はいつもより頼りない。
「これは撤退したほうがよさそうです」




