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第三三話 氷の翼 ルドスクシュ 三

「ここがシュロハジョニ峡谷か」

「大森林が近いだけあって、それなりの雰囲気がありますね」


 アーチボルクを発つこと六日、ようやく目的地に辿り着いた。崖の上に立ち、峡谷を見回す。谷底が幅広で平野部を持ち、峡谷ではなく渓谷という名称のほうが適切に思える。古く昔は峡谷だったのだろう。崖の上も谷底も植物がよく生い茂っているのに対し、崖部分は急峻で、そこには植物があまり生えていない。一帯の空はどんよりと曇っている。今日はたまたまそういう天候なのか、年がら年中このような天候なのか。


「遠目に鳥の影がいくつも見えるんだが、あれが全部ルドスクシュじゃねぇだろうな」


 シェルドンが怯えた声で尋ねてくる。


イーグル(ワシ)の一種だろう。ルドスクシュの成鳥ほどの大きさには見えない」


 シェルドンは、近くで見たら超大物ではなかろうか、という不安に駆られている。大森林が近付くにつれて棲息する魔物がどんどん強力になってきているから、彼の気持ちはよく分かる。エヴァがいなければ、ポーター二人は道中で命を落としていただろう。シェルドンとルヴェールは全く弱くない。シルバークラスのハンターに見劣りしない戦闘力を有している。そんな二人でも、この辺りの魔物相手だと、自衛すらままならない。


 私は、自分の身を守るだけで一杯一杯に近く、他人を完全に守り切る余裕がない。攻撃的な魔物が複数体同時に出現すると、二人の命はまさにエヴァ頼みになる。以前、手配師が、エヴァのスティレットの突きは重鎧を貫く、と言っていた。強い魔物へのエヴァの一撃を見ることで、実際に重鎧で試さずともそれが真実だと分かった。エヴァは強すぎる。


 次から次へと魔物を突き倒すエヴァが如何に頼もしかろうと、魔物が怖いことには変わりない。シェルドンだけでなく、ルヴェールも不安の面持ちを隠せずにいる。


 最初の二日ほど、ルヴェールは暇さえあれば道具のメンテナンスをしていて、夜もあまり寝ていないようだった。ようやく一通りのメンテンナンスが終わった頃には、出現する敵が非常に強力になっている。心も身体も十分な休息が取れていない。それでも四日目、五日目と次第に顔色が良くなってはきていたのだが、目的地に到着して、また少し血の気が引いているように見える。


 ポーター二人だけでなく、私もそれなりに疲れている。疲労の内訳は、戦闘疲れが占める割合よりも、質の悪い休息による回復不足の割合が大きい。ベッドで身体を弛緩させて眠るのと、平らな部分のない、寝心地の悪い場所に身体を預けて浅い睡眠を取るのとでは、疲労回復度が段違いである。


 野営の眠りから目覚めた時に感じるのは疲労回復の爽快感ではなく、節々の痛みとまとわりつくような眠気だ。浅い眠りとはいっても、夜に私が眠るときは、代わりにエヴァが起きているおかげで、ハントの野営にしては比較的深い睡眠を得られている。ソロで野営を繰り返すことを考えれば、エヴァがいる今の状況は体力管理が段違いに易しい。


 戦闘面に関しては、アーチボルク付近でエヴァに引っ張りまわされていた時の方が無茶をさせられた、と言えるかもしれない。魔物が強いこの場所では、エヴァから無茶な狩り方の下知がない。




「さて、目標個体がどこにいるか、だな。あそこにイーグルが飛んでいるってことは、あの辺りにはいないんじゃないか。彼らだってルドスクシュの周りをウロチョロしたくないだろう」

「そうですね。橋も架けられていない峡谷ですから移動は大変です。一日にそう何度も峡谷を下りたり登ったりはできません。どこを探索するかは、よく考えて決めましょう」


 視力を考えるとこういう場所でこそ、遠くまでよく見える鳥を飛ばしたい。しかし、猛禽の多いこの場所では、迂闊に鳥を飛ばすと傀儡が狩られてしまうかもしれない。


「準備はしてきたが、崖の上り下りは怖ぇよ。途中で魔物に襲われないか分かったもんじゃねぇ」

「一番危険な先頭は私が行きます。途中と下にいる敵は全部倒しておきます。空から襲ってくる魔物はアルバート君がなんとかしてくれると信じていますよ。崖の途中にボルトをいくつか打ち込んでおきますから、ルヴェール、シェルドンの順番に下りてきてください」

「あ、ああ」

「承知した」


 起伏の激しい崖上よりも、平野部を持つ谷底のほうが移動しやすい。崖上の敵を十分に排除して安全な空間を作り、そこから下降を開始する。役回りとしては一番リスクを負うのがエヴァだ。実力を考えるとそう不安なものではない。四人全員が下降し終えるまでにかなりの時間がかかることを考えると、崖上に新しい魔物が姿を見せる可能性は否定できない。実力と魔物の強さのバランスという意味では、最後まで崖上に残る形になる私が、最も危険を負うのではないだろうか。


 ハーネスと命綱をつけたエヴァがするすると崖を下りていく。時々躓いたりルートを変えたりしながらも、総じて順調に下りていく。垂壁や前傾壁ではなく、岩壁の状態も比較的良いから、難しい壁ではないにしろ、登りよりも難易度の高い下りであることを踏まえると、エヴァはそれなりに登攀、崖移動が上手いと言っていい。


 スネイク系の魔物を何体か処理しながら、あっという間にエヴァは下まで到達した。二番手、三番手のルヴェールとシェルドンは、先頭のエヴァと違って下降中に魔物もおらず、さらに通常の懸垂下降だからスムーズにはスムーズなのだが、いかんせん荷物を別に下ろさないといけないため時間がかかる。


 エヴァが下りていくときは比較的集中して周囲を見張っていた私も、ルヴェール、シェルドンと長丁場になるにつれて、次第に雑念が混じるようになっていた。


 峡谷には時折女の慟哭のような鳥の鳴き声が響き渡る。反響のせいで声の発生源がどこなのかよく分からない。この独特の鳴き声が峡谷の名前の由来だったはずだ。あのイーグル系の魔物の鳴き声だろうか。


 土地によっては人の声を真似て危険地形に人間を誘い出す厄介な鳥がいるらしい。この峡谷に響く鳴き声は、悲哀の念でも籠もっているように聞こえるばかりで、言語のように情報を乗せている印象は受けない。ここにそんな魔物がいる、という話も聞かない。勿論、ハンターが多い場所ではないから、単にその存在が知られていないだけかもしれない。「助けてくれ」とか「こっちに来い」なんて声が聞こえ始めたら、それがパーティーメンバーではなく魔物の声真似ではないか注意することにしよう。


「あるばーとくーん、はやくおりてきてくださーい!!」


 叫び声でふと我に返る。狩場では、あるまじき呆け具合だった。下りてこい? まさか、この声、エヴァではなく魔物の声なのでは……!?


 崖下を覗くと口に両手を当てて大声を張り上げる小さなエヴァの姿が見える。どうやら下にはヒト型の魔物しかいない。強引にパーティーに入り込んで、新人ハンターを死地に追い込む危険な魔物だ。クワバラクワバラ。


 念のため、もう一度周囲を見回して危険が迫っていないことを確かめてから崖を下りる。魔物が襲ってくる様子は全くなく、荷物の少ない私はすぐに谷底に到着し、ロープの回収に移る。


 思えばロープワークは色々ある。径の小さい紐を含め、結び目の作り方は用途によって千差万別だ。料理、裁縫、農業、漁、猟、荷造り、崖登り、捕縛。全部結び方が違う。崖登りのロープワークも、ハントのロープワークと軍でのロープワークでは異なるし、捕縛もそうだ。


 徴兵時に一度だけあった捕縛の訓練。そこで教官に教えられた結び方は、既に私が知っているものだった。


 先日、私はサバス達三人に襲い掛かられたときに、リアナとダッツを急いで縛り上げた。あの縛り方は軍の捕縛とは違う。軍の捕縛術は、かなりしっかりと縛り上げる代償に、結ぶのに時間がかかる。私はあの時、何も意識せずに自然に早く作れる結び目を拵えた。あれはどこで覚えたんだ? 人を縛る場面なんて限られている。軍ではなく衛兵式の捕縄術だろうか?




 考え事をしている間に回収が終わり、再び移動を開始する。私にとっては煩いだけの鳥の鳴き声がシェルドンの精神を磨り減らしていく。たまにエヴァがシェルドンに話しかけてやっても、あまり慰めにはなっていないようだ。渋いおっさんから、挙動不審なおっさんになった。ルドスクシュを見ても恐慌状態に陥らないでもらいたい。


 シェルドンの戦慄(わなな)きなどお構いなしに魔物は幾度となく襲ってくる。ただ、峡谷までの道中に比べると現れる魔物が小粒だ。この峡谷では、大物はルドスクシュに狩られてしまうからだろうか。


 今一度空を見上げる。


 この峡谷ではどこで空を見ても猛禽が飛んでいる。新顔たる我々を見つけた彼らは、たまに襲い掛かってくる。魔法で迎撃すると、彼らはすぐにこちらへの攻撃を諦める。我々を簡単に狩れるサルの一種だとでも思って、ちょっかいをかけようとしているだけなのだろう。反撃の姿勢を見せられるとすぐに身を引くのは、頂点種にあるまじき行動だ。


 頂点種というのは勝ち癖がついている。勝利を得るか、自分の気が済むまで攻撃の手を緩めない。頂点種としての行動を取らないのだから、我が物顔で飛び回っているイーグル以外に、何らかの強い鳥類がこの峡谷にいるのは間違いない。それなのに、目的の個体どころか、ルドスクシュという種自体を一向に見かけない。


 どこにいるのだろう。この広い峡谷を我々が虱潰(しらみつぶ)しに探すのは無理だから、向こうに見つけてもらえると話が早い。


 緩やかに流れる川の横を上流側へと(さかのぼ)り、結局ルドスクシュに遭遇することなく、シュロハジョニ峡谷初日の終了を迎えた。




 次の日も、その次の日も、ルドスクシュの痕跡すら見つけることなく、日数だけが過ぎていく。谷底の平野部を歩き、地を歩く魔物を退け、しばしば崖上に登って付近を見回し、それらしき影が飛んでいないことを確認すると、また谷底へ下りて歩き回る。見つからないまでも、巨大な羽根を発見するとか、大きな影を目にするとか、巨鳥の鳴き声を聞くとか、何らかの手がかりが掴めないことには、徒労感が拭えない。


 三日目の探索を終えて夕食を取った後、エヴァが今後の予定を話し始める。


「これ以上の北進は、大森林に近付きすぎることになります。あそこの魔物の強さは半端ではありません。ここら辺が探索の北限ですね」

「谷底の平野は足を棒にして探し回った。それなのに影も形も見当たらない。崖上は、相当怪しい場所しか登っていないから、未探索地点ばかりだ。崖上にもっとアプローチを繰り返すべきなのだろうか」

「なあ、もういいんじゃないか。ここいらの魔物も十分金になる。こいつらを積めるだけ積んで帰ろうぜ。より危険度の高い魔物を相手にしなくたっていいだろう」


 ルドスクシュ討伐はハント出発前から宣告されていたのに、精神消耗しているシェルドンはルドスクシュを接触無用の危険な魔物に位置づけ始めた。


「いずれは潮時を考えるにせよ、遭遇できない原因くらいは突き止めたいですね」

「もう狩られている、とか?」

「ハンターが狩ったのであれば成果が手配師の情報網から漏れるということは考えにくいです。ハンター以外に狩れるとすれば、軍隊くらいのものです。しかし、被害者の出ようがない、こんな人気のない所に軍が討伐に来ることはありません。討伐ではなく、病気や寿命の線を考えるにしても、目撃情報があがったのはごく最近です。気候の厳しい季節でもないのに、私達がハントに出た途端に体調を崩したり、急死したりするものでしょうか」


 エヴァは目標個体の生存を信じている。願望が籠もっていることは否めないが、合理思考を保っている。


 私が頷くきりで、ポーター二人は同調も反論もせず、沈黙が場を押し包む。


「何の目星もつけられないまま、(いたずら)に日数だけを費やすのは賢明とは言えません。もし、明日痕跡すら見つけることができなければ諦めることにしましょう」


 エヴァのその一言で三日目のブリーフィングは終わりとなる。シェルドンとルヴェールはようやく帰還日程が見えてきてことにより、心を取り戻したような表情をしていた。肉体的にも精神的にも二人にこの場所は辛過ぎたのだろう。もし私が将来的に大森林でハントをしようとしたら、ポーター探しに苦労しそうだ。


 今回の遠征のことだけでなく、将来のハントのことなどを考えながら、その日は眠りに就いた。




 ルドスクシュを見つけられずに帰還することになるかもしれない。そんな鬱憤が私を刺激し、夜番の交代で起こされるよりも早く目が覚めた。エヴァが眠りに就いた後、コウモリや夜行性の虫などをドミネートしながら野営地の周囲を回る。


 我々の探索の何が拙かったのだろう。この三日間何度も話し合ったことを反芻する。


 死んでいる可能性……か。


 わざわざここまで来て、ハント対象が死んでいる、なんてことがあってはならない。そんな感情が生み出す願望が、私とエヴァにルドスクシュの死を否定させる。


 大半の魔物は、ハンターに狩られることなく死んでいく。冬場に体調を崩しても、魔物は暖かい家の中に籠もることができない。食料の少ない季節に備えて食料を蓄える魔物は限られている。食料が無ければ飢えに耐えるだけ。水がなくても、井戸を掘ることはできない。身体が弱れば、それが十分回復可能な些細なものだったとしても、他の魔物に狙われることになる。自然の中で寿命を迎えることなどほとんどない。


 季節のことにしたって、死亡数が増えるのが冬場というだけで、春でも夏でも命を落とす個体はいくらでもいる。それが自然環境下というものだ。


 ……


 待てよ、もしかしたら。




「死」について考えるうちに、ある一つの説に思い至る。あまり好ましい説ではないのに、それまで我々がしてきたどの推測よりも説得力がある。


 私も疲れていて、早く帰りたいという気持ちがあるのかもしれない。私の説に対するエヴァの意見が聞きたい。寝ているエヴァを起こしたい、という傍迷惑な衝動をこらえながら、夜の峡谷に目を凝らして朝を待つ。峡谷四日目の夜明けは、いつもよりも遅く感じられた。

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