第三〇話 二人目のポーター
サバスたちとの話し合いの翌日、いつものように寄せ場を訪れ、先に寄せ場に来ていたエヴァに話し掛ける。
「おはよう」
「おはようございます、アルバート君」
それにしてもエヴァはいつまでたっても私のことを「アール」と呼ばない。長い名前はハントフィールドで無用の長物。そう呼べ、と何度か言ったのに、略さないばかりか、敬称まで外さない。街中での会話内容にしても、エヴァは人間関係の距離の詰め方を間違っている。
「昨日は大変だったようですね」
エヴァは昨日のサバスとの一件を、もう知っているらしい。耳が早いことである。
「なんだ、知ってるの?」
「君が倒したサバスという男は、この街のハンター間では評判のよくない人間です。彼が捕まったという話で昨夜も今朝も持ち切りですよ」
アーチボルクという街に限れば私のほうが古参のはずなのに、今ではエヴァのほうが事情通だ。エヴァが情報強者というよりも、私があまりに情報弱者なのかもしれない。今、これといって得たい情報はないが、日頃からもっと情報収集に時間を割くべきだろうか。情報は時として命を救うし、情報欠如は避け得る悲劇への一本道になりかねない。
「エヴァはそういう情報をどこで仕入れてくるんだ」
「あらら、アルバート君もそういうのが気になりますか。お年頃の男性ですものね」
まるで睦語りで情報を得たとでも言わんばかりだ。そんな都合よく情報が仕入れられるものでもないだろう。エヴァは情報源を私に教える気がなさそうだ。
エヴァの言い種を参考にすると、私は毎晩情報収集用の女にお勤めを果たさなければいけないことになる。時間と体力の無駄でしかない。もっと一般的な情報交換の場といえば寄せ場や飯場、酒場のイメージだ。
「教える気が無いならいい。私もたまには酒場に顔を出してみようかな」
「時間とお金ばかりかかって、そう旨い話が転がっているものではありませんよ」
それには私も同意である。しかし、朝の寄せ場以外に情報交換の場を持たない私が機会を増やそうとすると、それ位しか思い浮かばない。手配師だったら飯場、商人は取引場所が情報交換の場所だ。職業や立場毎に、情報を得やすい場所と時間は異なっている。
「そんなことよりサバスは強かったですか」
「ハンターとしては比較的優秀な部類なのかもしれないけれど、あれは対人戦の経験が無さすぎる。評価対象外」
「アルバート君は対人戦の経験が豊富なんですか?」
「分かっているだろうに聞かないでくれよ。闘衣を使った対人戦の経験なんて無いよ」
「おやおや、街中で闘衣まで使ったんですね。それはいけません。でも最近のハントで身についたものが活きたようですね」
エヴァはどこまで知ってるのだろう。サバスたちとやり取りしている最中、あいつら三人以外の視線は特に感じなかった。しかし、私の視線感知を逃れて現場を見ていた人間がいやしまいか?
「そういえばエヴァもあいつに絡まれていたんだよな」
「絡まれる、というほどのものではないです。何度かパーティーに誘われただけで。ただ、『何度か』と言うには回数が多かったかもしれません」
「こうなるのが分かっていたから私を毎日送ってくれてたんだろ?」
「違います」
エヴァは急に真面目な顔を作り始めた。
「帰り道、一緒に歩きたかっただけです」
こんなに分かりやすい嘘もない。
「それで、いい金策のほうは見つかったのか?」
「目星は既につけていて詳細を確認中です。今日はさしあたってジュヴォーパンサーを倒しに行きましょう」
ジュヴォーパンサーか。あれは、まだ討伐したことがなかった。前に行った時は、剣が折れたためにオグロムストプだけ狩って終わりになってしまった。
オグロムストプとジュヴォーパンサーのいる狩場……あの頃からだ。エヴァがスパルタな一面を見せ始めたのは。
「今日はラナックさんにポーターを頼んでいます。少し時間をください」
私の了承を得ることもなく、エヴァは勝手にパーティーのことを決めてしまう。メンバーが来ると言うなら、黙って待つしかないだろう。
しばらく寄せ場で喧騒を眺めていると、見知らぬ男が近寄ってきて、エヴァに話しかける。
「あんたがエヴァだな。俺はシェルドン。ラナックの紹介で来た」
「初めまして、シェルドン。こっちはアルバート。しばらくの間よろしくお願いします」
名乗るシェルドンは、背がエヴァよりも少し低く、小太りである。顔にはヒゲの剃り跡が青々と目立つ。シェルドンに手を挙げ、私の挨拶に替える。ラナックはさん付け、私は君付け、今会ったばかりのシェルドンは呼び捨て。エヴァの判断基準がよく分からない。それはいいとして、『しばらくの間』ということは、当面彼をポーターとして雇い続ける、ということだ。試用期間を経ずに、そんな契約を結ぶとは、チタンクラスのハンターらしからぬ疎漏だ。それともチタンクラスだからこその勇決か……。
「あんたみたいな女とご相伴に預かれるなんて、俺も運が回ってきたぜ」
シェルドンの視線がエヴァを嘗め回すように動く。気分の悪い光景だ。
「面子が揃ったのならば、出発しよう。この間の岩場でいいんだろう?」
「ええ。シェルドンは準備が要りますか?」
「二泊以上の遠出じゃなかったらどこへでも行けるよう準備はしてるぜ」
エヴァへの態度は気にくわないが、ラナックの紹介だけあって段取りは良さそうだ。魔力もそこそこ。
「へへへ、兄ちゃんもよろしくな」
「ああ、よろしく頼む」
大きなバックパックを背負ったシェルドンを加え、我々は東の森へと向かう。
道中倒すゴブリンの処理を見る限り、シェルドンの仕事はグロッグ同様に素早い。全く違うのは口数だ。シェルドンは敵がいなくなるとすぐにお喋りを始める。口が動いても手は止まっていないから、許容範囲ではある。
サクサクとゴブリンを蹴散らし、さして時間もかからずに岩場へ着いた。
「今日はシェルドンがいるからたくさん毛皮を持ち帰れそうだ」
「やる気がありますね。でも、往路はオグロムストプを無視してまっすぐ北側へと抜けましょう。ジュヴォーパンサーを見つけた場合のみ狩ります」
エヴァの意図するところがよく分からない。メインがジュヴォーパンサーだからって、オグロムストプを無視してジュヴォーパンサーだけを探すと、金銭効率は上がるどころか下がってしまうように思う。
「なぜオグロムストプを無視するんだ。この北に何かあるのか?」
「あると言えばありますが、今日はまだ用事がありません。私もまだ確認中なのです」
ぼかして喋られると何を言いたいのか分からない。
「じゃあジュヴォーパンサーにのみ注意を払って進めばいいんだな」
「そうですね。オグロムストプは我々に気付けば勝手に隠れてくれますし、静かに駆け抜けられるでしょう」
先頭で気を払うのは私だというのに、いつも通り気軽に言ってくれる。
「私がジュヴォーパンサーを見逃してしまって背後からシェルドンが襲われた、となっても知らんぞ」
「私が最後尾になります。左右どちらから敵がきてもシェルドンは守ります。安心してください」
「守られるならケツの青い兄ちゃんよりもエヴァちゃんのほうがいいねえ」
私としては真面目にリスクチェックを行っているのに、シェルドンは抜けた発言だ。あまり軽口を叩かれると私まで雑なクリアリングをしてしまいそうだ。
この前は結局ジュヴォーパンサーを狩る前に帰ったから、私の索敵や視線感知でジュヴォーパンサーを見つけられるか未知数である。シェルドンの身の安全はエヴァが何とかする、と言ってることだし、最悪自分の身の安全を守ることだけ考えたほうが良さそうだ。
隊列を考えても、先頭の私がいきなり襲い掛かられたときにエヴァのヘルプが来るまではタイムラグが生じる。他人の心配よりも、先ずは自分の身を守ることだ。魔物だって襲う相手を選ぶ。我々の三人の中で狙われる可能性が一番高いのがシェルドン。私を無視してジュヴォーパンサーがシェルドンに突っ込んでいった場合、それを何とかしようとしても私に無理が生じるだけ。無理はせず、エヴァに任せるのが一番安全で確実。
「ではここからは少し速度を落として進もう」
断りを入れて岩場を進んでいく。特に探すでもなく、すぐに見つかる回転草、もといオグロムストプは無視して、北へ進行を続ける。我々を見つけると彼らは瞬く間に身を潜めるから静かなものである。
オグロムストプが呑気に餌を食べている場所の付近にジュヴォーパンサーはいないはずであり、そういう場所だけは普通に駆け抜ける。オグロムストプの気配がない所はジュヴォーパンサーがいる恐れあり、だ。速度を落として周囲への警戒度を上げながら足を進める。岩場は森の中と違ってせっかく視界が開けているのだから、虫ではなくて鳥を飛ばして視界のひとつにしたい。しかし、虫と違って鳥は目立つ。エヴァの目が気になって、そんな大物にはドミネートが使えない。
虫の目を頼りに進み続けるうちに岩場の北端まで辿り着いた。ジュヴォーパンサーとは出くわさなかったから、このままだと午前のハント成果はゼロということになる。
「折り返して岩場をもう少し探索しようか」
「いえ、このまま北上を続けます」
「は? 今日はジュヴォーパンサーを狩りに来たんだろ?」
「この先の峡谷にもジュヴォーパンサーは出ますよ。オグロムストプはいなくなる代わりに他の魔物が出ますけどね」
ジュヴォーパンサーハントが目的であれば、エヴァの発言は必ずしもおかしくない。しかし、エヴァは何か隠していることがある。
「今日ここに来た本当の目的は何なんだ? そろそろ教えてくれよ」
「隠さなければならない明確な理由はありませんが、後の楽しみにするため、あえて秘密にしておきましょう。いずれ分かります。もしどーーしても知りたいのであれば、街に帰ってから教えてあげます」
思わせぶりな話である。そう言われて尚聞こうとすると、まるで私のほうが意固地になっているかのような印象になる。
「じゃあこのまま峡谷沿いに進むんだな」
「ええ、崖から落ちないように気を付けてください」
目的を聞き出すことを諦め、先ほどの岩場以上に魔物の気配がしない峡谷を進んでいく。見つかるのは、手に平に収まりそうなサイズのトカゲなど、ハントの対象にならないものばかり。予感通り、午前中は何も狩らないままに日が高く昇る。
昼の休憩を取りながらエヴァを問い詰める。
「午後はどうするんだ? まだ北上を続けるつもりじゃないだろうな。野営するつもりはないぞ」
「私としては泊まりでもいいんですが……」
「俺は泊まりでも構わんぞ」
シェルドンは日跨ぎハントにやる気満々だ。こいつはエヴァに唯々諾々と従い続けるつもりなのだろう。
「アルバート君が不満そうなので、午後はアーチボルクに向けて歩きましょう。岩場まで戻ったら、往路とは少しルートを変えて魔物を探しましょうかね」
私の言葉には耳を傾けず、北上を宣言するかと思いきやの進路変更。エヴァの目的は既に達せられたのだろうか。
エヴァは『詳細を確認』と言っていたし、この辺はエヴァも疎いのだった。後日目指す場所が更に北にあり、今日は道のりの確認に来たのかもしれない。
ここから北は魔物の強さがまた更に上がる。私だけだと挑戦は厳しい難易度のフィールドだ。余裕を持って狩れるとすれば、チタンクラスのハンターが組むペア以上の人数のパーティー。ソロであればそれこそミスリルクラスのハンターでないと余裕などないだろう。
「アルバート君の希望通り、南進することにしたのに、まだ思うところがあるようですね」
「エヴァの考えが読めないからな」
「難しく考えすぎじゃないですか。私は別に捻ったことなんて考えていませんよ」
「それはどうだか……」
休憩を終え、崖沿いに峡谷を戻っていく。やはり往路と同じくハントの対象になる魔物と出くわすことはなかった。
岩場まで戻った所で、どの経路を選ぶか思案する。先ほどはどの地点からも、森の切れ目が目視できる森沿いのルートを通った。岩場は相当な面積があり、森沿い以外にもルートをいくらでも作れる。森からちょっと離れたところを歩くだけで、もう往路とは別のルートだ。
「帰りが遅くならない範囲でできる限り大回りしましょうか」
「そのほうがジュヴォーパンサーがいるのか?」
「少なくとも森沿いにはいなかった訳ですからね。心配しなくてもアルバート君の方向感覚は正確ですし、私もそれなりに自信があるから迷ったりしませんよ」
見知らぬ土地だと方向感覚なんてものは天候や地形に大きく左右されるから、「正確な方向感覚」なんてものは定義からして怪しいし、そもそも心配はそこではない。
「今日は雲が少ない。そうは迷わないさ」
道ではなく、心の迷いを打ち消すように言って、新ルートを踏み出していく。
前方の気配を午前よりも丁寧に探りながら進む。後ろでは小さい声でシェルドンとエヴァが何やら話している。内容はところどころしか聞き取れないが、シェルドンはとても楽しそうだ。
何がアーチボルクの七つの謎だ。私が学校で聞いたのとは少し違う。これでは八つの謎だ。ハント中だというのに呑気なものである。寄せ場での初対面の感じからして、シェルドンは“超有名人”の私のことを知らない風だった。今日出会ったばかりの私の索敵能力をそこまで信頼し、気を抜いたままフィールドを歩いて本当にいいのか?
そんな私の向っ腹が、一瞬誰かに見透かされたような感覚が走る。
錯覚? ……見透かされた、って誰に? エヴァに、か?
違う、そうじゃない。一瞬だけ視線を感じて、見失う。これはどこかに敵がいる。そのはずだ。
先ほどの視線……あれがジュヴォーパンサーの視線か。人間が向けてくるものとはかなり違う。これを思えばゴブリンの視線は人間の視線によく似ている。
どこだ。どこにいる。
剣を鞘から抜き、速度を緩める。
ハンドシグナルを送るよりも先に、後ろの二人は私の変化に気付く。エヴァだけでなく、シェルドンも気配がしっかりとハンターのものになっている。敵を探すのはともかく、警戒心として気配を露出してしまうと、ジュヴォーパンサーに逃げられてしまうかもしれないから、身構えすぎないでもらいたい。いや、もう逃げているのだろうか。
敵の視線を感じたのは先刻の転瞬に過ぎず、あれからどれだけ探っても視線を見つけられない。敵の気配遮断能力が私の視線感知能力を上回っているのか、私ではなく後ろの二人を見ているのか、それとも漏れ出す警戒心やエヴァという強者を嫌気して逃げ出したか。
敵がいない、という前提で探すのは良くない。
絶対にどこかに潜んでいる。そういうつもりで探さないと見つからない。間違い探しと同じだ。あれは「間違いがある」と分かっているから見つけられる。
多分敵は岩場の景観によく紛れ込む保護色をしている。身を伏せて気配を殺し、ひっそりと待ち構えている、となると虫で見つけるのが難しい。逆に虫で見つけられない、ということは、走って逃げた可能性は低い。虫の目は動いているものを見極めるのが得意だ。
ネコ科の魔物を見つけるのは、色といい存在感といい自己主張の激しいクマを見つけるのとは訳が違う難しさだ。やはり空から見下ろす鳥の目が欲しいところである。
いつの間にか手にびっしょりと汗をかいている。ジュヴォーパンサーを見つけられていない以上、今は私が狙われる側。狙う側と違って、狙われる側というのは気を抜けるタイミングが無い。
視線を感じてから、慎重に索敵したまま、ジリジリと岩場を進み続ける。かなりの距離を移動しても、ジュヴォーパンサーの姿はどこにも見えてこない。まさか、敵のいる位置を通り過ぎてしまったのだろうか?
念のために後ろを振り返る。私の視線がシェルドン、エヴァの二人の視線と交叉する。その瞬間、私に向けられる視線がひとつ増える。
敵は私の進行方向、真っ直ぐ前にいた。私がずっとそちらを向いているせいで、敵も動くに動けなかった。私が後ろを振り向き、隙を見せたことで、捕食者として動き出したのだ。
一歩を踏み出せば後は急速だ。敵は私に一直線に猛加速を始めた。敵が狙うのは……。
静止を止めたことで、虫の目に見えやすくなった敵の動きを完全に捉える。私に飛び掛かるタイミングに合わせ、振り返りざまにバッシュを撃つ。
直前まで私の首があった場所に、大きな牙を生やした口が突っ込んできた。もうそこに私の首は無い。ジュヴォーパンサーの噛み付きを下へと躱しながら、逆にジュヴォーパンサーの首を狙ってのカウンターだ。体勢が悪く力はあまり入っていないが、魔力は十分に乗っている。
押し倒すはずだった私に避けられて、敵は突進の勢いそのままに血飛沫を撒き散らしながら後方の二人側へと滑り込んでいく。バッシュの手応えはあったため一撃で仕留めたかと思ったが、敵は滑り込んだ先から首を上げた。
手応えよりも浅かったのか、はたまた狙いが急所からずれたか。傀儡の目だけで目測を立てて攻撃するのにも慣れておいたほうが良さそうだ。私を睨み返すその顔が間違いなくネコ科の魔物であることを確認し、とどめの一撃を、と思ったところで後ろから銀閃が伸びる。
エヴァが放ったスティレットの一撃はジュヴォーパンサーの頭部を音もなく貫き、ジュヴォーパンサーは声を上げることもなく首をダラリと垂らし、それきり動かなくなった。
「んー、惜しかったですね。振り返りざまでなければ一撃で決められたでしょうに。でも、視界の外から攻撃されたとは思えない、素晴らしい反応でした」
フィールドという気負いもなければ、敵を倒したばかりの興奮も見られないエヴァは、何てこともないように私の動きを評価する。
こちらも、ふーっ、とひとつ溜めていた息を吐き出す。
「気配はこの一体しか感じなかったが、念のためもう少し周囲をクリアリングしよう」
「それはいい心がけです」
時間を惜しまずに辺りの安全を確認した後、ジュヴォーパンサーの死体を眺めながら先ほどの場面を反芻する。さっきは虫の視点がなかったら死んでいたかもしれない。背中を晒したとはいえ後方への警戒は全く解いていなかったから、比較的簡単にカウンターを入れられた。これでもし背後から完全な不意打ちを受けていたら……。今回は何とかジュヴォーパンサーの視線を感知できたが、次に出会う個体は今の個体よりもずっと気配遮断が上手いかもしれない。今回のように視線を感じてから悠々抜剣できるとは限らない。
視線に気付いておらず、抜剣もしていない状態で同じように襲われたらはたしてどうなるだろうか。少なくともカウンターを合わせるのは無理だ。
では避けるだけであればできるだろうか。私が避けられたのは、獲物の首を狙う、というネコ科の習性を知っていたのも理由として大きい。ネコが襲ってくるとばかり思い込み、実際に現れたのがボアだったら? ヘビだったら? 人間だったら? いずれもおそらく避けられないだろう。
悪い状況が重なれば、の話ではあるが、想定しておいて損は無い。この剣がなかったら、パーティーメンバーがいなかったら、敵が複数だったら。色々な状況を考えると、キリがないものだ。
「難しい顔をして、怖くなったんですか」
「エヴァとハントに行くようになってから怖い思いには事欠かないよ」
「あれ? 以前ここに来よう、って言い始めたのはアルバート君ですよね。あの日、岩場でもし最初に出くわしたのがオグロムストプじゃなくてジュヴォーパンサーだったら、今よりもっと怖い思いをしていたかもしれません。それは私の責任ではないと思います」
あの時もしジュヴォーパンサーと戦っていたら勝てただろうか。
剣が壊れない前提で、尚且つ完全な不意打ちを受けない限り、そうは負けないだろう。だが歯車がひとつか二つ狂ってしまうと、もう勝てない。逆に今であれば、二つか三つ不運が続いたり、ミスをしたりしても、何とかひっくり返せるはずだ。
「分かっていたなら止めればいいのに」
「君がよほど酷いやられ方をしない限り、助けられますもん。それに、あの時は今ほどアルバート君の実力が分かっていませんでした」
白々しい言葉だ。当時も今も、一体どこまで私の能力を見抜いていることやら。私自身思い出せていない前世のスキルなんかを、先に見抜いている、などということはないだろうか?
「取り敢えず、こいつは素材を持って帰る、でいいんだな? 捌いて一頭分を担ぐだけなら訳はねぇ」
「ジュヴォーパンサーはその一頭しか狩りません。恭しく我々の糧にいたしましょう。後はオグロムストプのお替りを数頭分の予定です」
「もうジュヴォーパンサーは狩らないのか?」
エヴァは、ジュヴォーパンサーを狩ろう、と言って今日ここに来たはずなのに、一頭狩ったっきりで主菜を終わりにするつもりだ。
「あまり繁殖力の高い魔物ではありません。乱獲しないほうがいいでしょう。オグロムストプはあれで繁殖力が高いらしいですから、多めに狩っても大丈夫のはずです」
「南の森ではそんな気遣いしている連中はいないだろうに……」
「南の森は自然魔力の濃さがそれなりで、他にも色々と繁殖環境が整っています。逆風はハンターの多さ位のものです」
「これでマナが濃密だったら……」
「そしたら大森林以上に危険な魔境になるな。一流のハンターどころか、人間を辞めてるブラッククラスのハンターだって立ち入り困難になっちまう。強力な魔物が高密度で闊歩して、ミスリルクラスのハンターが狩っても狩っても、それ以上の速度で繁殖する。おお、怖え」
大森林は隣国ゼトラケインとの国境北側をなす地域だ。大森林は魔物が強すぎてあまり領土争いの中心地にならないから、前世では森林が途切れた南側の平原が国境争いの中心地だった。現世ではマディオフが押している影響で、南側の国境は随分東に移動しているが、大森林がマディオフとゼトラケインの国境であることだけは変わらない。
「あまりグズグズしていると日が暮れてしまいます。処理が終わったらすぐにハントを再開しましょう」
エヴァの一言で無駄話は終了となり、シェルドンはジュヴォーパンサーの処理に集中し、すぐに完了した。お喋りしても、しなくても、シェルドンの仕事は速かった。
その後の帰りの道中ではジュヴォーパンサーを見かけず、オグロムストプを数頭だけ狩り、全員が戦利品を抱えた状態で街へと帰った。
街へ帰ると、獲物は骨肉店で買い取ってもらうのではなく、手配師のラナックに引き渡して報酬を得た。おかげで清算時間は私の心積もりよりもずっと短縮された。
「今日のハントはいい収入になった」
「手配師から依頼を受けるのも悪くはないでしょう?」
「清算が早く済む、というのが一番のメリットだ」
「特別いい個体を狩れた、とか事情がない限り、事前に決めた価格でサッサと計算できるからな」
「エヴァは残念なんじゃないのか? 自分で直接卸したほうが高く売りさばける」
「お金には執着していないといったはずですよ。それに、あまり融通してもらうのも心が痛みます」
本心からそう思っているのだろうか? エヴァが金に執着していないのは真実でも、贔屓してもらうことに関しては、感覚が麻痺して罪悪感など抱かなさそうなものだ。
街に帰り着いた時刻は普段よりも遅かったのに、清算が早く済んだおかげで最終的な解散時刻は普段と同じくらいになった。かかる時間はいつも通りで、収入は昔よりも微増。効率的には悪くない。けれども、この数か月間、収入を度外視したハントに明け暮れていたことを考えると、今の収入が続いても取り返せるほどのものではない。
「いい収入って言ってた割には浮かない顔ですね」
「そんなことは……なくはないが」
「大丈夫ですよ。私もちゃんと考えています。任せて任せて」
エヴァはそう言って力こぶを作る素振りで二の腕を叩く。例の目星とやらか。私まであんまり当てにしていると、外れた時に深く落胆することになる。ダメで元々の精神を忘れないようにしよう。
そうなると一年超、ハンターをしながらの浪人生活を送ることになる。仮に浪人になったとしても、どのみち大学卒業後に再びハンター生活に舞い戻る可能性もある訳で、在学時期がずれるだけ、と考えればそう悲観したものでもない。
「それなりに期待しているよ。じゃあまた明日」
「ええ、また明日」
「明日も同じ時間に寄せ場でいいんだな」
「ええ、ありがとう。シェルドン」
今日も見送りは無し。
一人、家に向かって歩き出したところでエヴァが横に並んでくる。
「今日も見送りが無くて寂しいですか?」
エヴァの指摘は、あたかも心を読んだかのようだ。まるで母親である。実際に寂しさを感じていただけに、少しばかり意地を張りたくなり、肯定はせずに話を先へ進める。
「サバス以外に私を襲撃してくる可能性のあるやつがいるのか?」
「私をパーティーに誘いたがっている人たちが他に大勢いるにしても、彼のようになりふり構わない人は心当たりないですね。少なくともこの街には」
他の街の含みを残されると、かえって不安が強くなる。その他の街の奴がエヴァを求めてアーチボルクまで追いかけてくる可能性だってありそうなものだ。特にエヴァは恋愛関係がそれなりにあるらしいから、痴情のもつれは片方が終わらせたつもりでも、もう片方からしてみればちっとも終わっていない、諦めていないことだってある。他の街まで追いかけてくる、というのも突飛すぎる考えではない。
「前の街の人とはちゃんと関係を清算してますから、大丈夫ですって」
私の不安をまた読み取ったのか、危険性がないことを重ねて訴える。ハンターとしての実力や強さとこういう話はまた別だ。エヴァの私生活については手配師から聞いた話以外何も知らない。信用に足るものなどはっきり言って何もない。前の街のこともそうだし、アーチボルクで何人男を作って、現在何股しているのか、なんて本人以外に分かりっこない話だ。自由恋愛大いに結構。だが、それが原因でパーティーメンバーの私に迷惑がかかることはないようにして欲しいと、真に願う。
「襲い掛かってくるのが昨夜のサバスのように、私より弱い相手であることを願い、気を抜かないで帰るしかない」
「そんなに心配なら今日も一緒に帰ってあげますよ」
「別にいいよ」
「いいから、いいから。あれ、照れてます?」
エヴァは薄笑いを浮かべ、下から私の顔を覗き込んでくる。ますます照れくさくなるから止めてもらいたい。
結局今日も家まで楽しく送ってもらった。




