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第二九話 廃楼台のゴミとクズと不良 ニ

 剣を構えた大男が闘衣で身体を覆い始める。こうなってしまうと軽い剣のお遊戯では終わらない。社会勉強なんて生易しいものではない。彼らは最初から私を殺すつもりだったのだろうか。もしも生け捕りにできたら是非大男の口から確かめたい。しかし、今考えるべきは生け捕りにすることではなく、勝ちを拾うことだ。どんな条件を達成できれば私の勝利となるか。それはこの大男の力量によって変わってくる。


 大男は無遠慮にずかずかと歩いて距離を詰めてくる。慎重な間合い管理意識の欠如。男は明らかに私を格下と見做している。これは私を有利にする因子。男が緊張や萎縮をしていない、というのは私にとって不利な因子。


 対応力の観察をしつつ牽制するためにクレイスパイクなどの攻撃魔法を一発放ってみたいところなのだが、生憎とエヴァのしごきのせいで魔力残量が豊富とは言えない。無駄遣いすると、いざというときに魔力不足に泣かされることになる。必要最小限の魔法使用でいこう。


 大男は自らの間合いまで近付くと、小さく振りかぶり剣を振り下ろしてきた。素人のような間合いの詰め方には似つかわしくない、綺麗な斬撃だ。


 大男の一撃を剣先でいなす。身体が大きいだけあり、小さな予備動作から重い斬撃を撃ってくる。


 斬撃をいなされても大男は動じず、二撃目を撃つ。重量のある攻撃を捌き躱すには、身体の周囲をよく見ておかなければならない。回避空間(スペース)がない所に立ち位置を取ったり、障害物に足を取られたりしないように気をつけなければ。


 少しずつ位置を変えながら、二合、三合と剣を受ける。


「いっちょ前にいい剣を持っているじゃないか。俺が使ってやろう」


 聞き捨てならない発言だ。ヴィツォファリアはエヴァからの借り物。転貸(てんたい)は一般にご法度。それに慣習が許しても私は許さない。こいつが今使っている剣も、他の誰かから奪ったのか!


 ……熱くなってはいけない。冷静さを保てないと、こいつの相手は難しい。相手の力量を冷静に見極めるのだ。剣を数手交わし、体格差そのままに素の筋力は大男の方が私よりずっと上であることは理解した。魔力量は全快時の私と同じくらいある。


「弱くはないみたいだが、どうせもう成長の限界なんだろ。お前にはこの剣もエヴァも分不相応だ」

「抜かせ」


 大男は剣を横へと振り回す。振り回された剣を受け流しつつ、建物の奥へとジリジリ下がる。


 一見力任せの振り回しのように見えても、剣術の範囲として制御が効いている。何も考えずにパリィしにいこうものなら、逆に私が大男の術中に嵌まることになる。愚鈍そうな見た目と発言とは裏腹に、剣の扱いはそれなりだ。


「ほらほら、どうした。押されているぞ」


 剣を受けながら後ろへ下がり続ける私を大男が煽る。その言葉の中に、侮辱ではなく挑発の意図が垣間見える。私を逃さないために努めて軽侮している。


 今の所逃げるつもりはない。私としてはいつでも逃げられるし、形勢不利になったらもちろんそうするつもりだ。その必要に迫られるまでは、勝つ方法を探し続ける。ここで逃げたところで、また別の機会に絡まれることになる。せっかくお誂え向きの場所に連れ込んだのだ。私としても大男とはここで白黒つけておきたい。


 理想的なのは、圧倒的な実力差を見せつけた上で生け捕りにすること。しかし、私と大男の間には、圧倒的な実力差など存在しない。だからといって僅差勝ちしては、せっかく戦う意味がなくなる。


 大男の闘衣のオンオフ、スイッチング技術は上手くない。時間をかけてチマチマ戦うだけで、大男のほうが先に魔力切れになる。これがやってはいけない僅差勝ちの一つだ。殺さないのであれば精神的に屈服させる必要がある。負けた大男が後日、より卑怯な作戦を練って報復に訪れる、などというのは最低の結果だ。そんな結果を生み出すくらいであれば、人目の無いこの場所で命を奪ったほうがいい。


 縛り上げた二人から十分に離れたところまで大男を引き付けると、受けるだけではなく私も手を繰り出していく。


「くそっ小癪な……」


 奴は私が防御で手一杯だとでも思っていたのだろうか。私が攻勢に転じたことで、その表情にはわずかに狼狽の色が浮かんでいる。


 私より力が強いのは、あくまで素の状態の話だ。補助魔法込みでいえば筋力も俊敏性も私のほうが高い。見た目の派手さはなくとも攻撃魔法より確実な効果をもたらすのが補助魔法だ。自分より少し強い程度の相手なら、こうやって正面から押し返せるようになる。


 私に押し込まれることを嫌い、大男は一つ大きくバックステップすると、次の瞬間身体を覆う闘衣を一気に強力にした。


「少しはやるようだが、ここからは俺も本気を出すとしよう」


 スイッチングせずに闘衣を垂れ流しにして、大男は強者の余裕を見せつけるように、ゆったりと剣を構える。


 これが奴の本気? これはまずい。大男はおそらく格下としか闘衣を使っての対人戦の経験が無い。経験不足が祟り、私の望まない負け方に向かってひた走り始めてしまった。


 大男同様に私も闘衣での対人戦の経験がない。エヴァを見ながら常に想定を繰り返すだけ。エヴァが持っているスティレットは本来対魔物ではなく対人が主用途のはずだ。エヴァは人間を相手に戦ってこそ、実力を発揮する。


 イメージトレーニングを実戦に還元するよい機会かと思ったのに、こいつは戦闘開始直後の見立てよりも大したことがなさそうだ。となると、こいつとの戦いの中で私が試してみたかったあれやこれは諦めることになる。それでも、できれば隠しもっている奴の奥の手だけでも叩き潰したい。奥の手を出す前に負けたとなっては奴も消化不良だろう。どうすればその奥の手を引っ張り出せるか。




 本気を出す、と宣言した大男は今までよりも体重を乗せて剣を撃ってきた。対する私も全力でその剣を受ける。闘衣も力もこれが奴の全力だろう。


 こういうブン回しのような戦い方は本来カウンターを狙いやすい。しかし、闘衣でのぶつかり合いでは勝手が異なる。剣と剣がぶつかりあった直後に、重量とか運動量とはまた違う、闘衣による独特の硬直がお互いの身体に生じる。ほんの一瞬の硬直が、カウンターを十分不可能にするレベルのタイムラグを引き起こす。


 強い闘衣の乗った剣を何合も打ち合うと、大男の魔力が目に見えて減っていく。


 スイッチングしないとこんなにも早く魔力が無くなっていくのか。頼む、魔力切れになる前に奥の手を出してくれ。……いや、余裕が無くて奥の手を出せないのか。


 大男の意識が先ほどからチラチラと自分の右腰に結んだ小さい袋に行っている。おそらくあそこに奥の手を隠しているはずだ。


 大男が剣を上段に振りかぶる。


 これはいけそうだ。


 奴の大振りの一撃を受け流すと同時に、勢いに身体を持っていかれてバランスを崩したフリをする。隙を見せつけることで、大男への誘いとする。


「どあああっ!!」


 叫びとともに容赦のない蹴りが飛んできた。蹴りは私の脇腹に直撃し、蹴りの勢いで私の身体は、壁へと飛ばされる。


「ぐはあっ」


 壁に身体を強かに打ち付けられて私も声が漏れてしまう。ぶつかったのがゴミの山ではなくて壁で良かった。


 間合いができた大男は自らの右腰をまさぐって小袋から何かを取り出した。取り出した何かを口にくわえると、奴は床へ倒れこんだ私へ矢を飛ばしてきた。吹き矢だ。


 急いで飛び起き、すんでのところで矢を避ける。


「なっ、避けやがった……」


 私は大男に背を向ける状態でうずくまっていた。矢を撃つ様を見ていない私に、矢の必中を信じて疑っていなかった。それをいきなり避けられたのだから、動揺もして然るべきだ。


「いてて……」


 奴の蹴りで思ったよりダメージを受けてしまった。矢を避ける際に、蹴られた脇腹に痛みが走り、思わず痛む部分に手が伸びてしまう。


 大男は、脇腹を(さす)る私に追い打ちをかけるでもなく、吹き矢に次の一本を込めている。背を向けて寝転がっていた私に当てられなかったのに、矢を装填し直したところで当てられっこない、という考えに至らない。思った以上に気が動転していると見える。


「期待をもたせた割につまらない奥の手だ」


 つかつかと奴へ近寄っていく。


 大男は慌てて吹き矢を手から取り零し、下していた剣を握り直す。大男はまだダメージの一つも負っていない、剣で負けた訳でもないのに、構えが目に見えて不安定になっている。


 奥の手、というのは怖いものだ。戦況をひっくり返す可能性を秘める反面、失敗すると精神的に自分を追い詰めてしまうことになる。ここまで焦りの感情が意識に幅を利かせてしまうと、深呼吸を一つついたくらいでは落ち着きを取り戻せない。こんなときこそ鎮静魔法(コーム)をかけてくれる後衛(なかま)が必要だ。


 ……それは私も同じか。たとえコームを習得していても、自分自身が恐慌状態に陥ってしまうとコームも他の魔法も溜められなくなってしまう。ソロで行動するなら恐慌から立ち直る魔法ではなく、恐慌を防ぐ魔法が欲しいところだ。


「くそっ、これで決める!!」


 流石に闘衣を切らすほどには集中力を欠いておらず、先ほどよりは弱々しい闘衣を纏って斬りかかってくる。


 腰が引けて足を踏ん張れない故に身体に勢いが無く、斬撃は鈍重。心の迷いが剣の軌道のブレとして表れてしまっている。もう斬り結ぶ価値はない。


 斬撃を迎え撃つ形でバッシュを放つと、大男の剣は乾いた音を立てて根本付近から折れた。闘衣は攻防を兼ねた便利なスキルだが、瞬間的な攻撃力であればバッシュやピアースなどの単発スキルのほうが強い。大男自身が認めているように、奴の剣と私の剣では最初から武器の性能差がある。闘衣まで弱まったことで大男の剣は私の剣に比べて脆弱となった。そこを魔力を込めたスキルで打ち払うことで武器破壊に成功したのだ。


「ま、ま、待ってくれ。俺が悪かった。謝るよ。お前さんは強い。エヴァとパー……」


 全てを喋りきらせずに転がっていた角材で殴りつける。本当は先ほどのお返しに蹴り返したいところだったが、あまり舐めてかかって反撃されるのも愚かな話だ。


 打たれた部分を押さえながら悶絶してゴロゴロと地面を転がる大男にコームの魔法を強めにかける。ドミネートはシルバークラス以上ともなってくると抵抗(レジスト)される可能性が高い。それに比べてコームは強い相手であっても有効だ。元々補助するための魔法なのだから、レジストという概念からは縁遠い。


 痛みが引いた訳でもないのに身悶えをやめた大男を、落ちていた縄ではなく自分で携行していた痛んでいない縄で縛りあげる。少し勿体ないが万が一にも抜けられると厄介だ。大男を縛り上げると、担ぎ上げてリアナとダッツの元に戻り、緊急対応として簡易に結んだだけの二人の縄をきつく縛り直した。




 捕らえた三人をどうするか考える。


 最終的な処罰は衛兵と司法に委ねたい。ただ、こいつらは裏から手を回してお咎め無しになるかもしれない。衛兵に突き出す前に、私自ら話し合う必要がある。


 こういう奴らは優しく注意されたくらいだと、自分の何が悪かったのかを理解できない。こいつらにも理解できる()()()()()で懇切丁寧に説明し、意識改革を促す。こいつらの後ろ盾(ケツモチ)や私を襲った真の理由を隠し持っていないかも聞き出さなければならない。


 これは少し時間がかかりそうだ。しかし、話し合いに成功すればこいつらは私に殺されずに済むのだから、これもまた篤行である。面倒くさいとは思わずに、こいつらを救済する位の意識で事に当たろう。今の私は聖人、今の私は聖人……




 縛られて床に転がる大男に名前を尋ねる。大男は意識があるのに私の質問に答えようとしない。黙秘するつもりだ。好都合である。


 大男に少しずつ自分の立場を分からせるため、私はまずダッツの顔面を蹴り飛ばす。ダッツの鼻が曲がり、歯は折れ、鼻と口の両方から血が流れる。大男は視線を動かしダッツを見ても、表情までは変えない。


 大男に年齢を尋ねる。大男は答えない。頑なな大男の心を溶かすため、私は心を込めてリアナの顔面を蹴り飛ばす。リアナの顔面もダッツと同じく歪む。


「て、てめえ。何てことするんだ」


 大男はやっと口を開いた。しかし、私の聞きたいことを答えない。


「俺が怖いからって、そいつらに手を出すのか」


 大男は頭の回転が遅い。私が何のためにこんな事をしているのか分かっていない。それにまさか、自分はリアナやダッツと同じ目に遭わされないとでも思っているのだろうか? 馬鹿、逆だ。これからお前が一番悲惨な目に遭うんだよ。


 大男が大切にしているものがないか尋ねる。「クソが!」と、大男が汚い単語を発する。大男には想像力が必要だ。想像力を掻き立てるにはどうするか。そんなのは簡単である。少しだけ恐怖をあおってやるだけでいい。


 大男の身体を検めると、大腿外側のホルスターにナイフを一本刺している。私は男のナイフをホルスターから抜き、リアナの前に立つ。


「おいおいおい……まさか……」


 大男はまだ寝惚けた事を言っている。大男の頭があまり悪いと、リアナとダッツの肉体はどんどん健常から遠ざかってしまう。元から人間未満の知性しか有していないのだから、知性と同等の身体状態になるだけか。かえってバランスが取れるというものかもしれない。


「サバスだ! そいつの名前はサバスだ!」


 血を垂れ流す口でダッツが叫ぶ。歯が折れ、唇がザックリと切れているせいで滑舌は悪いが、耳を澄ませばちゃんと聞き取れる。私の行動方針をいち早く理解してくれたダッツは大男を見限り、私に心を開いてくれた。これなら少なくともダッツは救済できそうだ。話し合いは順調である。信用できる情報源を手に入れた私は、三人に質問を重ねていく。




 私に協力姿勢を見せてくれたダッツと、遅れて私に媚び始めたリアナの二人を中心に、情報を引き出していく。


 まず今回三人が私を襲ってきた事は、誰かに依頼をうけてのモノではないらしい。始まりは大男のサバスがエヴァに目を付けたことだ。アーチボルクに来てからいくつかのパーティーに顔を出しているエヴァと組むために、何度かサバスがエヴァに誘い(アプローチ)をかけたがいずれも素気無く断られた。


 そんな折、私がエヴァの前に現れる。私が現れたことで、エヴァは私とパーティーを組むようになってハントを続ける。いつものようにすぐパーティーが変わると思いきや、エヴァは私とのペアをなかなか解消しない。


 諦めきれずに、ハントが終わって私と別れた後のエヴァを狙い、再びパーティーへ勧誘するものの、またしても振られる。三回誘っても、四回誘ってもまるで気のある返事が得られない。


 エヴァ側から攻めてもダメ、と判断し、私に脅しをかけることでペアを解消させようと考えた。しかし、サバスの不穏な動きを察してか、エヴァはハント後、私を家の近くまで送り届けるようになった。そのせいで私だけに接触するチャンスがサバスに訪れない。サバスは朝が弱いため、早朝に一人で寄せ場へと向かう私を狙う作戦は思いつかないし、ダッツから提案されても実行できない。


 隙を見せないエヴァだったが、今日は珍しく私を家まで送り届けなかった。サバスはこれを千載一遇の機会と判断し、帰宅途中の私に絡んできた。


 また、リアナは普段から彼らとパーティーを組んでいる訳ではなく、私の能力を調べるためにダッツが話を聞きに行っただけ。話してみると、リアナは以前私に不当にこき使われたことを恨んでいる上、不思議とサバスに好意を抱いている。サバスにお近付きになりつつ、サバスに便乗して私から金を巻き上げられる、と目論んだリアナは、テンポラリーなパーティーを組んだ。


 サバスの目的は私を殺すことではなく、ちょっと脅かして怯えさせ、エヴァから手を引かせることだけ。


 サバスもダッツも、独立したハンターであり、正道からは外れていても、犯罪組織には属していない。いわゆる只の不良ハンター。朝に弱くて時間が守れず、仕事も雑、ということでサバスのハンタークラスはゴールド止まり。強さだけならプラチナクラスになれるのに、ワーカーとして信用されていないから、ゴールドクラスとしての仕事も回してもらえない。


 リアナは不良ハンターですらない、器用貧乏な攻撃魔法使い。この一年は彼氏が途切れている。男にするなら強い奴がいい。だからサバスに近付いた。




 分かった事といえばこの位だ。規模の大きな犯罪組織の下っ端ではなくて助かった。相手が巨大だと、三人にはお別れを告げることになっていた。これならこのまま平和裏に解決へ導くことができる。


 私がしていることは、衛兵でいうところの調書作成である。調書作成に最も協力してくれたダッツを労わなければならない。サバスに対する日頃の不満がないかを聞き出すと、ダッツはいくつも不満を抱えている。例えばダッツの顔の火傷痕。タバコの火を押し付けられたような火傷痕が、顔だけでなく両腕に何箇所もつけられている。それらは全てサバスにつけられたものだ。小間使いにされたり、金を強請られたり、不遇な扱いを受けている。


 今日は折角の機会だ。ダッツの拘束を解除し、ダッツが抱えた不満を、サバスの肉体にぶつけさせる。人間関係は一方的ではダメで、たまにはストレスを解消し、(わだかま)りをなくす機会が必要だ。これはサバスとダッツの関係を正常化させるための、いわば通過儀礼のようなものである。


 サバスら三人のせいで、今の私はすこぶる気分が悪いこと。気分が晴れるような面白いものを見たいことをダッツへ告げる。ダッツは覚悟を決めた表情でサバスの顔面を蹴り飛ばした。サバスの頭部が振動し、鼻から血が流れる。


 ダッツは迷いが消えたようでいて、まだサバスに対する遠慮が見られる。それだと真の相互理解には至れない。お前はそれで十分なのか、と私はダッツに問い掛ける。それを聞いたダッツは、今度は助走をつけてサバスの頭部を蹴り飛ばす。蹴りの勢いの凄まじさたるや、根が生えたように太い首でがっしりと固定されたサバスの頭部がボールのように激しく揺れたほどだ。


 その後もダッツに、満足がいったか、十分だと思うのか問い掛け続ける。ダッツは肉体の拘束を解かれただけでなく、心までも解き放たれ、サバスに平易な言語で思いを伝え続けた。サバスはダッツに前歯を全て折られ、腫れ上がった瞼で前が見えなくなり、腹をしこたま蹴られ、背中を木材で執拗に打たれ、しまいには利き手の母指を失った。


 私はダッツに母指切断など指示していない。私は単にダッツの足元にサバスのナイフを投げ、ついでに、「小指を切り落とすことなど望んでいない」と呟いただけ。そうしたら、ダッツは勝手にサバスの母指を切り落とした。対立指である母指を失うと、物を握るという行為が極端に難しくなる。ダッツとサバスの間の問題の根深さを語る一幕である。


 リアナには誤解を解きつつ、恩に着せることにした。四年前に魔法教師としてリアナを雇った日のことを、私とリアナで振り返る。私はリアナに恨まれるようなことなどしていない。勝手にリアナが契約を都合よく解釈していただけで、契約超過の業務の押しつけなどは存在していない。リアナは自分の仕事を全うした上で正規の報酬を獲得し、私は魔法を習得できた。お互いに損のない、いい契約だったことを二人で声に出して確認する。リアナはちゃんと理解してくれた。


 誤解が解けたら今度は恩を売る番だ。リアナが私を襲う計画に加担した理由の一つに、サバスへの恋心がある。せっかくなのでリアナには私とダッツが見ている前で想いを遂げてもらう。リアナの拘束を解き、事に臨ませるも、肝心のサバスが役に立たない。ダッツがサバスに負の感情を伝えすぎたせいである。ふと見回すと、こういう場面で役に立ちそうな、黒ずんだ廃油を溜めた金缶がちょうどよく転がっているではないか。それを使うことをリアナに提案する。タールのように黒く粘稠になった廃油を使い、リアナは時間を掛けて想いを成就させた。リアナは泣いて喜んでいた。


 ダッツとサバスを仲直りさせるため、リアナにはダッツの相手も務めてもらうことにした。私がそれを提案すると、ダッツは一瞬だけいやそうな顔をしたが、私の表情を見て、勝手に気を取り直していた。これまた少し時間が掛かったことを除けば、滞りなく二人の共同作業は終わった。これでダッツとサバス、リアナの三人は固い絆で結ばれた。兄弟家族のようなものである。


 リアナが私について知っていることと言えば、ファイアボルト、アイスボールの魔法が使える、ということだけだ。しかも私は今日、どちらの魔法も使っていない。リアナは今日、私の役にもサバスの役にも立っていない。こんな役立たずにさえ慈悲の手を差し伸べる私は、なんと心が美しいことだろう。心の美しさには価値など見出していなかったが、エヴァと行動を共にすることで自分の心が磨かれてきたことを否が応でも実感する。




 話し合いは目標に達したものと判断し、上がった成果を整理してみる。サバスは一対一の勝負で打ち負かした。奥の手を破った。三人が私を狙った理由は判明した。三人に凶悪なケツモチがいないことは理解した。リアナとサバスの縁結びの手助けをした。ダッツにはサバスとの(わだかま)りを解消させた。サバスの身には消えることのない友情の証が刻み込まれた。三人は新しい肉の絆で結ばれた。


 うん、まずまずの成果である。会話が通じなくても身体言語を利用すれば、こうやってコミュニケーションが取れる、という良い例である。しっかりと話し合ったのだから、私が彼らから逆恨みによる復讐をされる可能性は低いだろう。これ以上この三人と関わっても金になる話でもない、と判断し、リアナとダッツは建物の柱に括り付け、サバスだけを引き摺って衛兵のところへ直接突き出した。


 衛兵から長々と聴取を受けるかと思ったが、私がネイゲル家の人間と分かると話は簡単に終わった。家名の威光が役に立った。貧民街に置いてきたダッツとリアナは括り付けた場所だけ衛兵に伝え、扱いを一任し、私は家に帰る。


 道すがら、彼らにどんな裁きが下されるのか考える。三人が問われる罪状は、軽く見積もって暴行と市街地での抜剣の二点、重く見積もると殺人未遂といったところだろう。私としてはもうどうでも良いため、如何様に裁いてもらっても構わない。万が一、傷が癒えた後にこいつらが再び私を狙ったところで、次はもっと簡単にあしらうことができるだろう。


 そんなことより、早く帰って休む必要がある。せっかく早い時間にハントという名のエヴァのしごきが終わったのに、しっかりと日が暮れてから家に帰る羽目になってしまった。また明日、エヴァにどんな苦行を課せられるか分かったものではない。少しでも身体を休めなければ。

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