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第二五話 エヴァと歩く東の森

「まずハントの計画を立てよう。ここでは何だから場所を変えないか?」

「そうですね」

「東側に少し歩けば静かな場所があるよ」


 また手配師が下らないことを言っている。手配師が言っている場所は宿屋街だ。


「宿ならここの上だってそうだろう」

「飯場の上は日中でも人がいるし、何より清潔感とか高級感に欠けるじゃない。夏でも冬でもジメジメしてるし」

「あいにくと寝泊まりする場所は間に合ってる。邪魔したな。金は後日払う」


 私をからかうエヴァの相手をするより、同性の手配師の下世話を流すほうが何倍も楽だ。


「ありがとう、ラナックさん」


 エヴァが手配師に感謝を述べるのを聞き、そういえばあの手配師がそういう名前だったことを思い出す。今まで十回以上彼の名前を聞いているが、どうせまた忘れる。それに、私から彼の名前を呼ぶことはないだろうからどうでもいい。手配師で十分だ。




 飯場の喧騒を離れ、静かな場所まで歩いてハントの相談を始める。


「私は徴兵前、東の森を中心にハントをしていた。エヴァはアーチボルクに来てから、どこを狩場にしていたんだ?」

「私はここで三つのパーティーにお邪魔しました。いずれのパーティーも狩場は南の森でした。正直あそこは好きではありません。ハントの勉強というよりは、アーチボルクのハンターグループのパワーバランスを勉強しに行っているようなものでしかありません」


 ダナも似たようなことを言っていた。人間関係がギスギスしていて、それが嫌でパーティーを抜けたんだったか。人間関係とはパーティー内のメンバーのことではなくて、狩場で出くわす他パーティーのことを指していたのかもしれない。


「南の森は金銭効率に優れているらしいからな。エヴァはお金に困っていない、と言っていたから関係ないか。私は私で今日借金ができてしまったから金銭効率を無視できない。しかし、ハントにブランクもあることだし、できれば今日は狩り慣れた東の森に行きたいと思う。あそこはゴブリンが多く出て強い魔物は出ない。小物ばかりで密度もそう高くないからエヴァには物足りないかもしれないが、足馴らしという意味では悪くない。私のブランクという面でも、新パーティーの初日という面でも。どう思う?」

「いいと思います」


 エヴァは嫣然(えんぜん)を崩さずに承諾する。絵面はいいが、ずっと笑顔だから本心が分からない。


「よし、じゃあ私は準備があるから一旦解散だ。三十分後に寄せ場に集合しよう」

「私は準備できています。寄せ場で待っていますね」

「そうか、申し訳ない。なるべく早く戻る。今日は開始が遅くなってしまったからポーターは不要だろう」


 エヴァと別れて、大急ぎで家へと戻る。家の前にはカールが立っていた。カールがいる、ということは、もうリラードを学校へ送って帰ってきたことになる。今朝は相当時間を食ってしまった。


 カールにエヴァのことを伝え、行き先を告げておく。


「分かっておいでとは思いますが、くれぐれもお気を付けください」


 カールに念を押された。分かっている。


 だが、もしエヴァが悪意を持った人物だった場合、私程度ではどうすることもできない。仮にカールを連れて行ったとしても、二人とも生きては帰れないだろう。それくらい隔絶した実力の差を感じる。


 どのみちハンターをやっていれば、いつ何時(なんどき)命を落としても不思議はない。せめて死に場所と、その時横にいた人間だけは家族に伝えておきたい。そんな気持ちが働いたから、行き先とエヴァのことを教えに来たのだ。特に装備やアイテムが足りなくて家に戻って来たわけではない。必要なことだけ告げると、私は寄せ場へとんぼ返りした。


 寄せ場に戻るとエヴァは男数人に絡まれていた。エヴァは駆け寄ってくる私を見つけ、男を適当にあしらいこちらへと歩いてくる。


「今の男たちは知り合いじゃないのか?」

「ここで何度か見かけたことはありますが、特に知り合いという訳ではありません。私とお話したかっただけのようですよ」

「そうか」


 男たちはハンターに見えたから、真面目な情報交換でもしているのかと思っていた。美人でいるのも利点ばかりではなさそうだ。




 再合流してからは、特に無駄口を叩くこともなく二人で東の森へと向かう。エヴァを気遣うことなく普段の自分のペースで進む私に、エヴァは遅れることもなければ、疲れた素振りを見せることもなかった。


 森の入り口に到着し、静音行動を開始してハンターとして森の中へ歩みを進める。


 私に合わせ、エヴァも音を消す。気配もかなり殺している。カールの下手な静音行動とは段違いだ。ダナやグロッグと比べても上手い。これはエヴァもスキルを有しているということだろう。森や山をハンターとして歩くなら必須のスキルを、エヴァはちゃんと持っている。


 強さだけではないハンター能力の一端に触れながら、久しぶりの東の森を進む。街道を離れると、帰ってきた私を歓迎するようにゴブリンの集団が現れる。何回かゴブリンのグループに遭遇し、殲滅するうちに日は高く昇り、小休止を取る。


「時間が短かったとはいえ、午前はゴブリンばっかりで獲物に遭遇できなかった。昔よりゴブリンの密度が高い気がする」

「そうなんですか。アルバート君がいなくなった二年間でゴブリンが増えたのかもしれませんね」


 前の二年、確かに大量にゴブリンを狩った。それでも、我々(ひと)パーティーで狩れるゴブリンなんて、高が知れている。我々がいたことで減ったのではなく、この二年で増えたとするならば、爆発的繁殖をしたことになる。


「ゴブリンの繁殖速度は非常に速いというが、そんなものだろうか。我々のパーティーが狩ったゴブリンの数は、所詮(ひと)パーティー分に過ぎない」

「アルバート君はゴブリンを見つけると、回避することは全く考えずにゴブリンに向かっていきましたよね。それを見て思ったんです。ゴブリンは縄張り争いや移動が絶えない魔物です。全体の数は大きく変動しなくても、分布の問題でこの辺りの密度が上下することはあり得る話でしょう。考えてもみてください。彼らは曲がりなりにも知能があります。そんな彼らがゴブリンを手当たり次第狩る恐ろしいハンターの闊歩する二年前のこの地域に住みたがると思いますか?」

「手当たり次第って訳ではない。……でも、()(この)んではいなくとも、エヴァの言う通り、目にしたゴブリンは略々潰していた。ゴブリンがいると、こっちの獲物が減るからな」


 私の答えに、エヴァは正鵠を射た、という満足げな表情で頷く。


「ハンターの皆が皆、ゴブリンを見かけたら必ず倒すわけではありません。手間や危険を考えたら、避けられる争いを避けるのが人間というものです」

「南の森ではそうであっても、東の森ではそうはいかない。目に入ったゴブリンは始末しておかないと、後々挟撃の憂き目に遭うかもしれない。ここでは、気付いたら別のパーティーがゴブリンを倒していた、なんて可能性は低いのだから」

「アルバート君の意見は正しいですが、やはり君の存在そのものがゴブリンの強い抑制圧になっていたようですね」


 私が喋れば喋るほど、エヴァは自分の意見の正しさを確信していく。


「まだ午前の数時間狩っただけじゃないか。たまたま通り道にゴブリンが多かっただけかも……」

「きっと午後もゴブリンをたくさん狩れますよ」


 そう言ってエヴァは意味ありげに笑った。




 私の反論も虚しく、午後もエヴァの言う通り、ゴブリン蹂躙劇が続いた。獲物と出くわし仕留めた回数よりも、圧倒的にゴブリンと遭遇する回数が多かった。


 思えば四年前、私が東の森でハントを開始したばかりの頃は、これくらいゴブリンが多かった気がする。一年狩り、二年狩っているうちにゴブリンとの遭遇率は次第に下がっていったのだ。毎日続けて狩っている時は全く気付かなかった。私のパーティーの行動は森の生態に影響を与えていたらしい。


 私も獲物を狩るし、ゴブリンも獲物を狩る。だが量が違う。私のパーティーが毎日狩りをしたところで、森から減る獲物の量は微々たるもの。ゴブリンの多集団が狩る獲物の量は私たちよりもずっと多い。


 そのゴブリンの数が減れば、他の獲物が増えることになる。私たちがいなくなるとゴブリンが増え、ゴブリンが狙う大きな獲物の生息数は減る。そして私にとってもゴブリンにとっても魅力があまりない、リスなどの小さな獲物は、大物がいなくなることで逆に増える、といったところか。


 足馴しをしつつ気持ちよくハントをするつもりが、エヴァの指摘を受けることで色々と考えさせられてしまう。




 大した獲物は狩れずに街に戻り、その日の清算を済ませて、一応翌日もエヴァとハントをする約束をして別れた。


 翌日は予定通りエヴァと二人でハントをした。ゴブリンを無数に狩り、少し獲物を仕留めた。その翌日も二人でハントをした。ゴブリンを大量に狩り、その日も獲物は少しだけだった。数日でゴブリンの数が減る訳もなく、予想通り獲物の数はそこまで増えなかったため、ポーターは雇わずに二人だけで狩った。


 ゴブリン蹂躙には数日でいい加減うんざりし、四日目はそれまで避けていた地域へ狩り場を移すことにした。父から強い魔物が出る、と聞いて昔は避けていた場所だ。カールがもう少し強ければ二年前でも挑戦できた場所、私とカールがかなり強くても挑戦は難しかった場所、未探索領域なんてのは何箇所でもある。


 今日考えている狩場は、今の私の実力なら一人でもギリギリなんとかなりそうな場所である。私よりも強いエヴァがいることだし、ペアならキツすぎることもないだろう。ゴブリンやタイニーベア程度ではエヴァの実力を見ることができない。ハントの感覚は十分に思い出した。適正難度の狩場に行っても良い頃合いだ。


 たった三日しかペア狩りをしていないのに、エヴァと二人でハントに行くことに不安は全く無くなっていた。不安どころか、新しい狩場に行くのが楽しみで仕方なかった。


 街中でエヴァと会話をすると、こちらをからかう発言が多くて受け流すのが面倒である。一転、ハントに出ると軽口は鳴りを潜める。そういう所はちゃんとハンターだ。魔物の気配が無い場所や小休止中は、雑多な知識を私に披露してくれる。周辺地理というローカルな知識を除けばグロッグ以上に博識で、話が非常に分かりやすい。


 話題となる事象に対し、意見や見解が私と異なる場合でも、決して真っ向から否定することはしない。私の意見を一旦受け入れたうえで「こういう視点に立つと、こんな見え方をしますよ」と、私がエヴァの意見を受け入れやすいように話を持っていく。話が一方向ではなく、双方向なのだ。聞き上手だし教え上手で、ハントの場だと言うのに、ハントそっちのけで会話を続けたくなるくらい、エヴァと会話するのが楽しい。


 会話が面白いというのは、今までのハントでは無かった状況だ。ダナやカールは総じて無口だし、グロッグも酒が入らない限りお喋りを楽しむ人間ではなかった。酔ったグロッグとの会話は、グロッグにとっては楽しくても、私にとっては楽しくない。


 ゴブリンを狩り、獲物を狩り、辺りに何の気配も感じられなくなると色々と話しながら進み、興が乗ってくるころには何らかの魔物が姿を現す。それは大抵ゴブリンだが、退屈することなくいくらでもハントが続けられる。そんな三日間だったのだ。




「今日は私もまだ行ったことがない場所に行こうと思う。主な獲物はオグロムストプとジュヴォーパンサーだ。狩ったことがあるか?」

「ジュヴォーパンサーを含め、ネコ科の魔物は固有名持ち(ネームドモンスター)とレッドキャット以外の一通りを狩りました。オグロムストプの名前は知っていますし、狩り方も聞いたことがあります。ただ、生きている姿を見たことはありませんね。十分対応できると思いますけど」


 オグロムストプは、サル系の大きな魔物だ。身体はタイニーベアより大きいが、攻撃力がクマ系の魔物よりもずっと低いためシルバークラスでも狩れる、とされている。


 問題はジュヴォーパンサーだ。群れを作らずに単独行動を取る肉食の魔物であり、同じ場所に棲息するオグロムストプを楽々仕留める、と聞く。その攻撃が人間に向けば、重鎧か闘衣が無い限りおそらく一撃で命を奪うはずだ。プラチナクラス以上のハンターにしか討伐依頼のこない難敵である。こういう捕食者(プレデター)は、全ての個体が気配遮断を使えると思ったほうがいい。奇襲を受けないためにも、こちらも気配遮断と気配察知を徹底する必要がある。ゴブリンにしか通用しない半端な気配遮断では論外だ。


「この狩場で注意すべきはジュヴォーパンサーだけだろう。何かアドバイスは、先輩?」

「そうですね……。ジュヴォーパンサーは木登りが得意な魔物です。勝てなくて怖くなっても木の上に逃げてはいけません。彼らが樹上に登るのは食事の時と、遠方を見渡す時であり、木の上から飛びかかって来ることはないと思います。ただ、念の為、樹上もクリアリングしたほうがいいでしょう。こんなところですね」

「そうか。では行くとしよう」


 簡単な打ち合わせをして本日の狩場を決める。二人だと話が楽でいい。ここ数日では一番の遠出となるため、狩場を目指して足早に移動する。




 森を進み、木々の連なりが途絶えた所で、目的地に着いたことに気付く。


「ここか。木の生え方が違うな」


 土が痩せているのか、植物の生え方が(まば)らだ。点在する木々の背は低く、葉の密度は低めである。むき出しの岩がちらほらと見え、地面はゴツゴツと起伏が激しく、植物の少なさの割に視界が悪い。


「サルなのにこんな木の少ないところが生息地なのか」

「大型のサルは小型のサルほど樹上生活に馴染まないですからね」


 オグロムストプはジュヴォーパンサーからどうやって身を守ってるんだろうな……。辺りを一見しても、サルもヒョウも見当たらない。森の中とはまた違う歩き辛さを踏みしめながら、初めての狩場を進んでいく。


 ふと、遠目に見える低地でゴミが動いたような気がした。何故こんな場所にゴミがたくさん落ちているのだろう、とよく目を凝らしてみると、無数のゴミが動いている。ゴミと言うと語弊がある。具体的には、薄汚れた干草の山のようなものが、モゾモゾと蠢いている。


「あれがオグロムストプなのか……」

「そうみたいですね。毛皮を見るのとは違って、生きたオグロムストプは気持ちが悪いです」


 オグロムストプは毛の長さで知られている。


 毛皮として加工される前の生きたオグロムストプは、思わず顔を(うず)めたくなるようなフワフワに膨らんだモコモコの毛に包まれた魔物なのだろう、と想像していた。そんな私の想像を、妄想だ、とあざ笑うかのように、実物は気色悪いものだった。


 手入れを怠った長髪よろしく、毛はボサボサになり、先端だけが力なく垂れている。触手と見紛う腕を動かし、地面に生えている短い草を頭部へと運んでいく姿は、エヴァで無くとも見ていて気持ちのよいものではない。


「見えているオグロムストプだけで結構な数だ。近寄ったら一斉に襲い掛かってきたりはしないだろうか」

「それはないでしょう。大きい魔物ですから肉食でなくとも力はそれなりにあるはずです。数の暴力で襲い掛かってくるなんて性質があれば、シルバークラスのハンターは推奨になりません。ところが実際はシルバーが適正難度ですから、彼らに襲いかかるものが現れれば、皆一目散に逃げ出すと思います」

「今日のメインはオグロムストプではなくジュヴォーパンサーだ。だが、経験のために一度はオグロムストプも倒してみたい。図体のでかさを考えると、ポーターのいない我々では、数頭倒すだけで今日の狩りが終わりになってしまう……」

「いいじゃないですか。どうせ今日は初日なんです。私はバックアップとして後ろで観察しています。取り敢えず仕留めてみてください」


 あまりお近づきになりたくない見た目だったため、エヴァに先攻してもらいたかったのに、早々に後攻を宣言されてしまった。どのみち狩ることに変わりはないのだから、気を取り直す。


 気配遮断の精度を高め、オグロムストプの視界に入らないように障害物で身を隠しながら少しずつ近づいていく。視界に入らないように、とは言っても、そもそも彼らがどちらを向いて何を見ているのかよく分からない。食べ物を口に運んで初めて、どこが頭部でどこが口なのかが分かる。せっかく口を見つけても、彼らが少し身体を回転させると、途端にどちらが身体の前なのか見分けがつかなくなる。


 この辺り一帯にはたして何頭のオグロムストプがいるのだろう。前方の干し草の山を数えるだけで、十や二十ではきかない。どこを向いているのか分からない魔物が沢山いて、その全ての視線を避けながら近付く。これはかなり難しい。


 彼らに近付くために岩の陰を進んでいくと、案外難しくなさそうな気がしてくる。さっきは少し高い所から見下ろしたために、たくさんのオグロムストプが視界に入った。それが、実際にオグロムストプのいる低所まで下りれば、岩と地形がオグロムストプから私を隠してくれる。岩から岩へと移動する際に、私を視界に入れてしまいそうな個体は精々数頭のものだ。


 注意を払わなければならない個体たちに、虫を飛ばしてどちらが前方かマークを施す。頭部まで毛むくじゃらだから、そこまで視界が広いということはないはずだ。マークした個体の前方がこちらを向いているときは身を隠し、マークした個体の全てが向こうを向いた時に近付いていく。


 十分に距離を詰めたところでタイミングを計る。狙いをつけた一頭のオグロムストプが地面へと腕を伸ばし、草を掴むと、口へ運ぶために腕を上げる。


 腕が上がった瞬間に私は飛び出して剣の一撃を振るう。オグロムストプの耐久力が分からない。ここはバッシュによる全力の一撃だ。


 私の剣はオグロムストプの長い毛を切り裂き、厚い肉を越えて骨に届く……と、そこで刃が止まってしまう。刃が止まっても、振り下ろす自分の腕までは止められず、剣は先三分の二ほどをオグロムストプの身体に残したまま、小気味のよい音をたてて折れてしまった。まさかサルを相手に剣を折ることを想定していなかった私は少しバランスを崩してしまう。体勢を立て直しながら予備の小剣を抜き、オグロムストプに向き直る。


 オグロムストプが反撃してくるか、逃げ出すか、との思いで慎重に見据えるも、オグロムストプは私の攻撃を受けた姿勢のまま、その場からピクリとも動かない。魔力も見えなくなっている。どうやら倒したようだ。


 見た目が元々積まれた干草のようなものだから、生きているのか死んでいるのかも分かりにくい。周りにいたたくさんのオグロムストプは、蜘蛛の子を散らすように姿を隠している。


 遠くへと駆け去ったわけではなく、岩場の窪んだ場所に身を沈めているだけだ。だが、それだけで、パット見には土と岩の間から植物が生えているかのようになっている。彼らの長い毛は、餌を食べる時には巨大な回転草(タンブルウィード)に擬態するのに役立ち、こうやって隠れている時は、根出葉を伸ばしたまま立ち枯れるイネ科植物に擬態するのに役立つ。


 もちろん、しっかりと見ればそれが葉ではなく毛であることは分かるのだが、もし私が何も知らずにこの場所を通りすがったら、オグロムストプが隠れている、なんて考えすらしないだろう。


「オグロムストプ初討伐、おめでとうございます」


と言いながら、ゆっくりとエヴァがこちらへ歩いてくる。


「エヴァも一頭狩ったらどうだ。そこいら中に隠れているぞ」

「ええ、見ていたのでよくわかります。身体の大きさの割に隠れるのが随分上手いようで。聞いていた通りです」

「隠れていると分かってしまえば、見つけるのは簡単だ。動かないのだから、そのままスティレットで一突きするだけで簡単に倒せるだろう」

「倒すのは簡単ですが、動かなくなったオグロムストプの身体を潜んでいる場所から引きずり出すのは大変な労力を要するらしいですよ」

「そうなのか?」

「試しにほら、そこの穴から見えている毛、引っ張ってみたらどうです?」


 エヴァが指さす先の地面には、一束のオグロムストプの毛がたなびいている。言われた通りにその毛を両手で掴み、力を入れて思い切り引っ張る。すると、毛は驚くほど抵抗なくブチブチと途中から千切れた。根本から抜けたのではなく、途中で切れたのである。


 さきほどバッシュで切った際には他の魔物と遜色のない、厚さ、毛深さに比例した防御力のある毛であった。それなのになぜこの毛束はここまで引張強度が低いのか。まるで長い時を経て風化が進んでしまったかのようだ。


「もう分かったでしょう。毛をいくら引っ張ったところで全く無意味です。この地面を掘り返さないといけません。アルバート君、折れた剣で穴掘りをしたいですか?」

「まさか。御免(こうむ)るよ」


 オグロムストプの巨体が入れる穴が最初から開いていたはずはないから、この短時間で身を潜める穴を掘りあげ、そこに自分の身をギュウギュウに押し込んだのだろう。そういう掘削系のスキルでも有しているのかもしれない。


「取り敢えず仕留めた一頭を処理しよう」

「そうしましょう」


 毛皮を持ち帰るため、生きている時とあまり変わりなく、座るように佇む一頭の毛皮を剥いでいく。先ほど毛を引き千切った感触が手から消えず、売り物である毛皮の剥ぎ取り作業をおっかなびっくり進めていく。私の反対方向から毛皮を剥いでいくエヴァは、恐れ知らずにもスイスイと毛皮を剥いでいく。


 エヴァの作業の滑らかさを不思議に思い、恐る恐る手に触れた毛を引っ張ってみると、さっきと違ってしっかりとした引張強度がある。全然千切れないため、グイグイ力を入れても、全く切れる気配がない。一般的な魔物の毛よりも丈夫かもしれない。


 そんな私を見て、エヴァは小さく声を出して笑う。


「オグロムストプの毛の千切れやすさは生きている間、オグロムストプが『そうすることが必要だ』と思った時に生じる変化です。防御に必要なときは耐久性がありますし、オグロムストプが穴に潜り込む前に仕留めれば、死後はちゃんと耐久性があります」


 心を読んだかのようにエヴァが教えてくれる。


「初めて見る割には詳しいな」

「アルバート君、私が何年ワーカーをやっていると思ってるんです?」

「知らないよ。手配師は『頭角を現したのは、この五年』と言っていた。実際は何年ワーカーをやっているんだ?」

「内緒です」


 では、なぜ聞いた……。


「普段からあれだけ脆い毛だと毛皮としては使途が限られてしまいます。ご存知、市場に出回る毛皮は暖かくて丈夫です。さっきの君のように、鮮やかに倒されたオグロムストプたちが、日々、人々を暖めてくれるんですねえ」

「見た目は汚らしいけどな。でも売り物のオグロムストプの毛皮はもっと美しい毛並みと色艶をしていたような覚えがある。そんなに美しい個体でもいるのだろうか」

「確立された加工技術でもあるのかもしれませんよ。そこまでは私も知りません」


 エヴァと雑談しながら、ひとしきり時間をかけて毛皮を剥ぎ終える。


「ポーターがいれば数分で剥ぎ終えるんだろうに、我々だと二人がかりでも数十分か。あとは首を落として……」

「アルバート君はバニシュを使えませんか」


 バニシュは死体のアンデッド化を防ぐ魔法だ。使えるのは司祭や修道士の一部等、教会関係の人間に限られる。


「いや、使えない。今までも使ってないだろ? 何をいきなり言い出すんだ」

「ゴブリンと違ってオグロムストプの首を落とすのは大変だからです。どこが首か分かりますか?」


 言われてみて初めて気が付く。今の今まで毛皮に集中して身体のほうに意識が向いていなかった。毛皮の無い剥き出しのオグロムストプの身体はとても(いびつ)な構造をしていた。


 短い後脚の先にある足は足底が非常に大きく、立派な爪が生えている。この足で地面を掘るのだろう。普通は腕ないし前脚で掘りそうなものだ。オグロムストプの前脚は、草を掴み取れるだけあり、暴力的な後脚と違って一般的なサルの手と同じような構造をしている。そういえばオグロムストプは「大きな足」という意味だった。


 胴体の方はずんぐりとしていて、腕は脚に不釣り合いにぬるりと長い。不自然な腕を生やした両肩の間にはなだらかな高まりがある。これが頭部だ。頭は完全に身体に埋まる形になっていて、首と言えるものが見当たらない。これだと頭を切り離すのは一大作業だ。


「ね、バニシュがあると助かるでしょう? バニシュは人によってはかなり簡単に習得できるらしいです。私は魔法が不得意なので使えませんが。アルバート君は器用そうに見えるので、修道士から転職したハンターとパーティーを組む機会があれば、見て盗めるかもしれません。人目に付く場所で死者に使ったりしない限り、教会から睨まれたりはしませんよ」

「修道士崩れとパーティーを組む、か」


 悪意のある言葉遣いになってしまう。声色だけは普通に出せていただろうか。できたはずだ。


 私の心は言い表しようのない悲しみに満ちていた。


 またひとつ思い出した。私はバニシュを覚えることができなかったんだ。努力したんだけどなあ。聖魔法の才能が乏しかった。父の期待に背き、自分の夢を優先し、才能を見誤った結果があの体たらく。それからだったか、元々厳しかった父が、私を酷遇するようになったのは……。


「だ、大丈夫? アルバート君。バニシュに何か嫌な思い出でもありましたか?」


 私の様子がおかしいことに気付いたエヴァが顔を覗き込んでくる。今は顔を見られたくない。


「バニシュは普通人が死んだときに使う魔法だ。辛い思い出のひとつや二つあってもおかしくないだろ……」


 有体な言い訳だ。おそらく赤くなっているだろう目をこすりながら会話を続ける。


「バッシュで頭部を吹っ飛ばせるくらいの威力があれば楽なんだがな」

「主兵装を壊しておいて、そんなことを言わないでください。そちらの予備の剣も見たところ闘衣対応装備ではないでしょうに」


 耳慣れない単語をエヴァが口にする。


「闘衣対応装備?」

「知らないんですか」

「初耳だ」

「んん……成長に知識が追い付いていないようですね」


 口元に手を当ててしばらく考え込んだかと思うと再びエヴァは口を開いた。


「闘衣は分かるんですよね。自分で闘衣は使えますか?」

「使いこなす、という域には達していないが、使えることは使える」

「分かりました。このオグロムストプを処理したら今日はもう帰りましょう。アーチボルクでしたい話があります」

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