第八七話 呪いへの道程 一〇
事態の深刻さに言葉を失っているのか、はたまた戦闘の疲れからくる眠気に急に襲われでもしたのか、イオスは瞬目を忘れて虚空を見つめる。
惚けたイオスの様子が重苦しかった空気を間延びさせる。
イオスはこの一年弱で急激に老け込んだ。バズィリシェクアンデッドに撃ち込んだ魔法を見るに腕は錆びていないが、外見的な老化は私が大学に在籍していた四年分以上に進んでいる。特別討伐隊の任務が老骨には堪えたのだろう。
真に嘆かわしいのはイオスの老化そのものではなく、半隠居ハンターのイオスや、メイソンをはじめとした退役軍人たちに頼らなければバズィリシェクアンデッド一柱すら満足に討伐できないマディオフの国内事情のほうだ。
老体をフィールドに送り込んで酷使し、代わりに王都はネイド・カーターらを配置して守りを厚くしていたはずだ……が、そういえば、そのネイドもイオスやウリトラスに負けず劣らずの老兵だったことを思い出す。
物理戦闘力は魔法戦闘力に比べ、加齢により低下しやすいものではあるが、ネイドが日々の鍛錬中に大怪我を負ったという噂も大病を患ったという話も聞こえてこない。大火傷で戦闘力が激減してしまったウリトラスと比べたら、まだネイドのほうが力を維持しているのではないかと私は予想する。
瞬目を思い出し、幾ばくかの潤いを瞳に取り戻したイオスが乾いた声で言う。
「王都で一体どんな異変が……」
「天災、内乱、予期せぬ病による王の崩御など、可能性だけならいくらでも思いつく。ただ、我々が最も疑っているのはワイルドハントの暴虐だ」
老いたなりに戦力を維持しているであろうネイドの守る王都を攻め落とすには、それなりにまとまった戦力が要る。ロギシーンのユニティであれば王都ジェゾラヴェルカを落とせるかもしれないが、ユニティはそうでなくともロギシーンの管理だけで手一杯だった。
マディオフ軍の鎮圧部隊との戦闘が無くなったとはいえ、クローシェ他、戦闘力の高い人員を相当数失っている。仮にゴルティアから人材の補充があったとしても、西伐軍の本格的応援までは得られないはずだ。そんな万全とは言い難い状況でスターシャやアッシュたちが部下に王都侵攻を命じるとは、私には思えない。
「ワイルドハント……。たしか、獣人が主体の、南方からやって来たとかいう一団か」
“ギブリ”を名乗るそのワイルドハントはアーチボルク急襲後、ダンジョンにでも潜ったのか行方を晦ました。
本当にダンジョンに潜ったのなら当分そのまま引き籠っていてもらたいところではあるが、彼の連中もいずれはダンジョンでのハントに飽きるだろう。地上に這い出したギブリが次に狙う場所として、王都は極めて有力な候補のひとつである。
「ワイルドハントについて、どの程度ご存じでしょう。ヒューラー教授」
口調を変え、耳をトントンと叩いて簡易な手信号を出してやると、それだけでイオスは速やかに状況の変化を察する。こういうときイオスは察しが良いから話が楽だ。
イオスは横幕越しに外の気配を探る。
我々のいる野戦治癒所の音声隔離など、あってないようなものだ。しかも、治癒所外の雰囲気は経時的に悪化している。
外部の聴衆を意識しながら我々は情報交換を進める。
こちらが有しているワイルドハントの情報はテンゼルから教えてもらった分が少々と、あとはほとんどがアーチボルクでラムサスに調べてもらった分だ。つまり、いずれも一次情報ではなく、一旦は手配師を経由した二次情報である。
特別討伐隊に身を置いているイオスであれば手配師を経由しない、我々にとって新規性のある情報を持っているのではないかと期待して情報交換を始めたわけだが、話を進めていくうちにイオスは我々よりもワイルドハントについて無知であることが明らかになっていく。
ほとんど何も知らないイオスと、それなりに知っている我々が対話しても情報交換にはならず、なるのは一方的な情報提供である。それでも、先々を考えると、この機会に絶対に情報提供しておくべきだ。情報提供すると益がある、というよりむしろ、しておかないととんでもない不利益に繋がりかねない。
クローシェを介して駆け足でイオスに説明する私に、不利益を回避するための新しい案をラムサスがひとつ提示する。
提案の内容は『アーチボルクを出て以来、我々がせっせと作り溜めておいた物をイオスたちに譲れ』というものだ。
無聊の慰めに作ったのではなく必要に迫られて作った物を手放せと言われて私は戸惑う。しかし、よく考えてみると譲るだけの合理性はありそうだ。
我々は手放したとしても後で再作製できる。イオスたちも作ろうと思えば作れるだろうが、本当に必要になってから購入難度に気付き慌てて作成に着手したのでは遅い。
片やワイルドハントについて語り、片やラムサスの提案の妥当性について吟味して、とやっているうちに、治癒所外の気配はますます悪くなっていく。険悪な外の空気に背中を押されるようにして我々はそれをイオスに渡し、使い方を細かく指示する。
合理を再重視した我々の指示にイオスは難色を示す。イオスの立場を考えれば我々の指示を守るのは難しい。しかしながら、私はイオス以外には託せない。ゆえに難しいと分かったうえで敢えて指示している。
納得までにかなり時間を要しそうなイオスの反論を封殺するかのように、討伐隊の隊員たち複数名が治癒所に侵入する。
侵入者の筆頭は副隊長のエドヴァルドだ。ただし、エドヴァルドは自ら進んで入り込んできたわけではなく、治癒所外の過激派たちの爆発を未然に防ぐ除圧の必要性に迫られ、やむを得ず入ってきている。
隊長が責任を持って監視する空間に副隊長が入室許可も無く入ってきたらどうなるか。結果は考えるまでもない。
パララス・スウーンの浅い昏睡から脱して意識を取り戻した隊長カツペルが騒音源となっているエドヴァルドの方へ目をやる。
カツペルの状況理解促進を目的として私はエドヴァルドに話し掛ける。
「おやおや、どうなさったのでしょう。ヘディン隊長が直々に監督してくださっている治癒所内へ挨拶もなく踏み入るとは、それほど火急の用事でしょうか。もし、差し迫った用件ではなく不安を募らせての行動でしたら、我々が一旦お預かりしましょう。ご安心ください。然るべき頃合いに責任を持って隊長へ報告いたします」
「それには及びません。小官が直接、隊長に報告いたします」
『報告する』と言っておきながら、エドヴァルドは用件を切り出さそうとしない。切り出したくとも切り出せないのだ。なぜなら、エドヴァルドはカツペルから発言許可を得られていない。許可が下りるまで下位の軍人は上位の軍人に物を申せない。こういう部分は軍人や衛兵連中の悪習だ。
一方、カツペルは我々から丁寧に説明されたことで自分の状況を徐々に思い出し、そして思い出す以上の勢いで怒り出してはエドヴァルドを叱りつける。
『どうして許可なく入ってきたのか! 俺に恥をかかせる気か!』
私の狙ったとおりの展開ではあるが、こういう感情的な指揮官の率いる部隊にエルザが所属していると考えると思いは複雑だ。
カツペルに指揮官適性は無い。ただ、私にとっては誘導が極めて容易な人物で、その点では、かなり助かっている。私は剣も魔法も口も上手くないが、カツペルのような無能な人間を操るのはまあまあ上手いと最近は思う。
哀れなエドヴァルドは猛る隊員たちと怒れる隊長の緩衝材として、与えられた役割を全うする。
叱責劇は長引きそうだ。我々は怒るカツペルと怒られるエドヴァルドを横目に次の対象を搬入して治療に取り掛かる。
王族の呪いを解かなくてもよくなったため、特別討伐隊の治療にかかる時間は事前予想よりもだいぶ少なく済みそうだが、今度は過激派たちが円滑な治療の妨げになっている。
過激派の中心にいるのがエルザなのはなんたる皮肉か。
ロギシーンで我々から治療を受けた時のエルザはパララス・スウーンの影響下、それもかなり深い昏睡状態にあった。治療の直接的な記憶はエルザには残っていない。ただし、それが己の身を冒す呪いの解除作業であったことは後からユニティの人員に教えられたはずであり、我々リリーバーに対してそこまで否定的感情を抱く動機は無いはずである。ところが現実にエルザは過激派の先頭に立ち、我々から行動の自由を奪うべきと高らかに主張して隊員たちを扇動している。かわいいだけあって扇動力も高い。
かわいいのみならず賢いエルザのこと、王族の呪いが解けてなおアンデッドとの融和を頑なに拒んでいるのには、相応の理由があるに決まっている。
軍人であるエルザの主張が熱を過剰に帯び始めたときに諫めるべきは同じ軍人である。ところが、最も強い抑止力を保有する隊長と副隊長は手が塞がっていてエルザの癇癪に対応できない。
もうひとりの副隊長グラジナがエルザに矛を収めさせるべく、優しく包み込もうとするが、矛から熱を奪うには熱伝導率の低い覆布では不適当である。
軍人模様を見かねてイオスが過激派たちの前に進み出る。
これには過激派先鋒のエルザも少しばかり勢いが落ちる。
エルザが優秀な魔法使いなのは誰もが認めるところではあるが、実力的にまだイオスと同程度の高みには至れていない。
バズィリシェクアンデッドに与えた損害の大きさを振り返れば一目瞭然だろう。
エルザの合成魔法はバズィリシェクアンデッドを苦しめるだけ苦しめたものの成果はそれ止まりで、最後まで偽りの命を消すことはおろか身体機能を大きく奪うことすらできなかった。
それに対しイオスは一撃でバズィリシェクアンデッドの外構造を機能不全に至らしめた。
対アンデッドの属性相性を考慮してもイオスとエルザでは力量差が歴然である。
イオスに出てこられただけでエルザの勢いに多少翳りが見えるのは、魔法使いとしての格の違いを他ならぬエルザ本人が意識しているためであろう。
ただし、エルザはなにも己の主張を撤回したわけではない。あくまでも語気から荒々しさがほんのちょっと減っただけだ。
「どれだけ犠牲を払ってもアンデッドと吸血種を徹底的に排除すべき」とエルザは主張し、イオスは「最優先すべきは人命であり、たとえ目の前にいる相手がアンデッドやドレーナであったとしても、救える命が増えるのであれば一時的に手を結ぶべき」と主張する。
マディオフにおける平時の常識と照らし合わせるならば、エルザの主張のほうが圧倒的に正しい。我々リリーバーと協力した場合、短期的には助かる命が確実に増える。しかし、中長期では分からないのが現実だ。
マディオフの国内法ではドレーナと知りながら関係を持つのを固く禁じている。法律を犯すと待っているのはほぼ確実に極刑、よくて両腕離断である。
我々のパーティー内に純粋なドレーナは誰もいないが、マディオフの裁判官に証拠主義や適切な法解釈を期待しても無駄だ。裁判官に人並みの知性か倫理観のどちらかでもあったならば、私はそもそも有罪にならなかった。
こう考えるとマディオフという国を存続させる努力にはたしてどれだけ意味があるのか分からなくなってしまうが、かといって今まさに国に加わっている大きな力を放りおくのも賢明とは言えまい。
過激派の占める割合は討伐隊全体からすれば半数以下である。しかしながら、強硬論を振りかざすまではいかないにしても、大多数の隊員が我々に対して否定的感情を抱いている様子だ。
特にハンター勢はバズィリシェクをアンデッド化させた我々の責任をかなり重く捉えている。過激派に回っていないのはひとえに『討伐隊の現存戦力では目の前の集団を力で制圧できない』と冷静に状況を認識できているためだ。
討伐隊の刃で我々に届きうるのはイオスの水魔法のみ。その肝心要のイオスは穏健派であり、イオス以外の討伐隊全員に一致団結されたところで我々にとっては脅威たりえない。
もしエルザが完全復調し、かつ合成魔法の技量が大幅に向上すればまた話は変わるが、少なくとも今は心配無用だ。
合成魔法を少し掘り下げると、ロギシーンで交戦した際、エルザは我々に火魔法しか使わず、聖魔法も合成魔法も撃ってこなかった。
それが今になって合成魔法を使用したのだ。ロギシーンでの交戦後に習得したと考えるのが自然だろう。合成魔法の完成度の低さも、練習期間の短さを考えれば、むしろ、よくここまで仕上げた、と評価が一変する。
それにしても、エルザはどうしてここにいるのだろう。ユニティに捕らえられ、抑留生活を送っているはずのエルザが、なぜ。
あの収容所は旧精神治癒院タムケトヴィエールを改修した建物だ。監視も徹底している。あの場所からエルザが自力で脱走したとは考えにくい。脱走ではない。解放されたのだ。
誰からどういう条件を出されればユニティは……いや、スターシャはエルザを手放す。
エルザやマディオフ軍からしてみればタムケトヴィエールは収容施設かもしれないが、私からしてみれば保護施設だ。
アッシュやスターシャの管理下に置いておけばエルザの身の安全が保たれると私は踏んでいた。私は妹を良識ある人物に託したつもりだった。まさかユニティがこんな暴挙に出るとは思いもよらなかった。
どういう条件や取り引きがあったにせよ、エルザ解放はユニティにとってかなり危険な賭けだ。
誰がいつ私の妹を賭けに使っていいと言った。丁重に扱え、丁重に。次に会ったときは覚えていろよ、スターシャ・ダニェク。
考えても考えても腹が立つばかりで、納得のいくエルザ解放理由がまるで見えてこない。
蓄積された怒りの許容限界がちかづき、決壊寸前となったところで状況に変化が生じる。
長く続いたカツペルのエドヴァルド叱責がようやく終わり、また、それとほぼ同時に外傷性昏睡からツェザリが目覚めた。
念入りに治療しておいた詮があり、ツェザリは目覚めから間を置かずに活動を再開する。
身元のはっきりしている治癒師が治療を開始すると、もう我々の治療を受けたがる者は誰もおらず、結果、傀儡の手が空く。
解呪及び負傷者の治療完了まで先は長い。討伐隊の癒し手の人数に対し、要治療者の数が多すぎる。だが、緊急度の高い処置は既に我々が粗方済ませてある。
残りは討伐隊の癒し手たちに任せるとしよう。ちょうどよい足止めになる。
ここが潮時と考えた私は治癒道具一式を大急ぎで撤収し、直ちにその場を後にする。
脱兎の如く走る我々に過激派たちから撃たれる矢と魔法が雨となって降りかかる。歩みを阻むほどではない、弱い雨だ。
本気で我々の足を止めたければ馬を駆って追いかけてくるべきだが、そこまでする者は誰もいない。
我々を止めようと思って攻撃しているのではなく、逃げる我々の背に攻撃を加えた、という事実を作っておきたいのが彼らの本音ではないだろうか。
少し走ると雨は止み、静かにフィールドを進めるようになる。
これから目指す王都が、まだ人の住める土地であってほしいと切実に願いながら、我々は北へ走る。
◇◇
空の目で王都を観察した私は、想定が全くの間違いだったと悟る。
異変は、ワイルドハントの仕業ではなかった。ギブリの襲撃を受けたにしては街に傷痕が無さすぎると言っていいほどに無い。
確かに王都全体が混乱した様子ではあるが、破壊の痕が顕著なのは王城とその周辺に限られる。
王城で起こったのは外部からの敵襲ではなく、内乱の類なのだろうか。
王族の呪いを使える王族の暮らす王城で内乱など有り得ないように思われるが、術者が王族ではなく別にいるとすれば内乱説も一概には否定できない。
遠方から観測しているだけでは埒が明かず、我々は吸い寄せられるようにして王城に近付く。
すると王城が、ワイルドハントではない、しかしながら、ワイルドハントと同じか、ある意味ではそれ以上に質の悪い連中に占拠されていることが判明する。
場内を闊歩していたのは独特かつ陰鬱な雰囲気の連中である。
異変の中心にいたのはマディオフ最古の反社会勢力、矮石化蛇であった。
我々は検問跡を通過して入都する。検問が敷かれていないということは行政機能も防衛機能も停止しているということを意味する。
城を見て分かるとおり、王都は本当に矮石化蛇によって陥落してしまったのだ。
家族の安否確認のために我々が王都を経ったのはつい先日で、あれから半月と経っていない。ほんの短期間、不在にしただけでこの有様だ。矮石化蛇はかなり入念に襲撃計画を練っていたのだろう。
『このクソ忙しい時に呼び出される身にもなってみろよ』
矮石化蛇の骨座ヴォルフがジャックに吐いた台詞が脳裏に蘇る。
『忙しい』とは、必ずしも事実を反映する表現ではない。時に自分が負担させられる業務を少しでも減らすための涙ぐましい努力であり、時に無能な上役の人間が部下に威張るための枕詞として使われる、用途の広い言い回しだ。
幹部級の人間が本当に多忙な組織も一定割合存在するが、矮石化蛇は違う。骨座の主たる役割は統率力を発揮して、己の担当部門を効率よく稼働させることだ。骨座本人があくせく働くのではなく、暴力と恐怖を適切に活用して、下々の構成員をキリキリと働かせるのが本来の在り方である。
ヴォルフが言い放った『忙しい』も方便に決まっていると私は思いこんでいた。しかし、こうやって王城が矮石化蛇の手に落ちているところを見るに、ヴォルフたちは真実、襲撃準備に追われて忙しかったに違いない。
やらなければいけないことがありながら、なぜ我々とジャックたちのくだらない賭札に顔を出したのか、ほとほと理解しかねる。ヴォルフの非理性的な優先順方式に呆れるという、我ながら誰の味方なのかよく分からない不平不満がグルグルと頭の中を巡る。少し混乱すると脳内が無用な思考に占拠されがちなのは私の悪い癖だ。
雑念をかき消し思考を整理する意味を兼ねて、空の情報をラムサスに共有する。
ラムサスは納得した顔で小さく頷く。
「亡国の危機に瀕していながらマディオフ軍が妙に戦力を王都に集中させていた理由がようやく分かった。でも、本気で対策したかったらマディオフは矮石化蛇の勢力が王城を落とせるほど拡大する前に手を打っておくべきだった」
ラムサスの正論に私は異を唱える。
「矮石化蛇の木っ端構成員として犯罪に加担する側、そして矮石化蛇の犯罪に苦しめられる側、どちらも経験した身として言わせてもらうと、矮石化蛇は国家権力が正攻法で簡単に潰せる組織ではありません」
ラムサスが私を非難の目で睨む。私の発言は、ともすれば反社会勢力の擁護にも、反社会勢力の排除に手を尽くさなかった国の擁護にも聞こえる。正義の人ラムサスから反感を買って当然だ。
「簡単ではないからこそ国が――」
「申し訳ないのですが非生産的な問答は、今はやめておきましょう」
泥沼の言い争いに発展しかねないラムサスの発言を遮り、私は城内の観察により集中する。
それというのも、城内が俄に慌ただしくなってきたからだ。
王城を俯瞰しながら、私は自分が取るべき行動を考える。
私は、時期や優先順位は未定ながら、いずれ王族を調査しようと思っていた。
王族の呪いは危険な技術だ。エルザにかかっている呪いは一応解除したものの、成り行き次第で再び呪いをかけられる可能性は全く否定できない。
王族の呪いの秘密も、呪い以外に王族が国民に隠している秘密も、とにかくエルザの安全を脅かしかねないものは全て徹底的に調べ上げ、的確に対処する。そう心に決めていた。
場合によっては弑害すら辞さないつもりでいたが、だからといって、王座を矮石化蛇に明け渡してよいとは断じて思っていない。
国家運営能力の無い、理知の対極にある反社会勢力に国を任せてエルザの安全が確保されるか。
否だ。
エルザのいる特別討伐隊は、まだ当分、王都に戻ってこない。だが、やがて創痍の一次治療も解呪も終わり、王都に帰還する。
王城が矮石化蛇に占領されていると気づいたとき、特別討伐隊はどう動くだろう。
特別討伐隊の隊長もまた理知の対極にある無能な人物だ。作戦成功率を考慮するどころか、まともに作戦すら立てずに王城突入を部隊に命じるに決まっている。
つまり特別討伐隊が戻ってくる前に我々の手で矮石化蛇を排除しなければならない。
酒場スワバでの一幕が思い出される。
骨座ヴォルフに問われ、その場にいた最強の構成員サイラスは我々を評してこう言った。
『いつでも倒せる』
動もすれば自信過剰とも捉えられるサイラス評にヴォルフは同意した。
これが末端構成員から下された評価であれば無視しても構わなかったが、骨座と骨座の信頼する戦闘要員の意見が一致しているのだ。全くの的外れではなく、それなりの妥当性があると私は見ている。
勿論、奴らも『サイラスひとりで我々全員を倒せる』とまでは思い上がっていない。我々が矮石化蛇に決定的な敵対姿勢を示さなかったのもはたらき、奴らは我々と武力衝突を経ることなくスワバから撤収した。
今回は、スワバの時とは訳が違う。占領したばかりの場所とはいえ、矮石化蛇にとって王城はもう自分たちの領域だ。自領に断りなく踏み込んできたものに容赦はしまい。しかも、サイラス以外にも腕の立つ構成員がいるはずだ。
矮石化蛇がいつまで王城に居座る気なのか推し量る材料はない。もし王城を本拠地にする気だった場合、これを排除しようと思ったら、時機を見計らう必要がある。
では、その時機とはいつか。
矮石化蛇が王城を占領してからまだ日が浅い。管理不徹底による問題続発は想像に難くない。
城内で提供される食事を誰に担当させるかで揉めている程度の問題では我々が付け入る隙としては小さすぎるが、もっと大きな問題、例えば城内の隠し部屋で息を潜めていた王族派の人間が反撃に打って出てきたとしたら……。
「直ちに城内へ突入しようと思います」
簡潔に提示された私の方針にラムサスが拒否反応を示す。
「矮石化蛇構成員がひしめく城内に、どうして今、行こうとする。日は高い、作戦目標を明確化させられていない、内部情報を得ていない、退却経路を用意できていない。前準備がまるでできていない。家族を守りたい気持ちは理解できるけれども、焦っても結果には結びつかない。時機を見て――」
「その時機が今なのではないかと思っているからです」
空の目を持ってしても城内で起きている問題の詳細は掴めていない。
ただ、構成員たちの慌てふためき様は相当で、問題が生半可なものではないことを如実に表している。戦闘態勢を整えなければならないほどの緊迫した事態に城内は陥っている。
国内最強の騎士と謳われたネイド・カーターが剣を取り奮戦しているのかもしれないし、矮石化蛇内で仲間割れしているのかもしれない。
今を逃すと、これ以上の好機はそうそう得られまい。王城ポクルィヴァは湖を背にした典型的な湖城だ。我々にとって城壁や断崖は侵入難度の高い障壁ではないが、水城は違う。
我々は水上を高速移動する手段を持っていない。のんびり船を漕いでみろ。遠距離攻撃で狙い撃ちにされる。
よほど相手方が油断していないかぎり、水城は我々も正面から乗り込むしかない。そして、その正面の守りが限りなく薄くなっている。
私は目の前に転がっている機会がどれほど得難いものなのか懇切丁寧にラムサスに説明する。
軍略コンサルタントは若干、心を揺さぶられた様子だが、それでもまだ快く首を縦に振ろうとしない。
ラムサスは、我々では城内の凶徒を実力で排除不能と主張する。
王都の守備をネイド、リディア、エルザの実力者三名が担っていた時は、矮石化蛇は実力行使に出なかった。
リディアとエルザが王都を離れてから矮石化蛇は行動を開始し、ネイドの守りを打ち破って城を攻め落とした。
勿論、矮石化蛇が力ではなく知恵、つまり作戦で城を落とした可能性も考えられるが、情報不足でそこにはこれ以上、言及できない。
思考を単純化し、力押しによる矮石化蛇の排除を考えるなら、最低でもネイド、リディア、エルザの三名分と同程度の戦力が欲しい。
しかしながら、我々リリーバーにそこまでの力は無い。
半端な戦力でノコノコ城内に立ち入ると、内部問題の中身次第では即、全滅となる。
ラムサスはまだまだ述べたい正論があるようだが、私は悠長に聞いていられる時間が無いものと判断し、再び彼女の話を遮る。
「無謀な行動であることは十分に理解しました。ですので――」
「自分たちだけで行くって?」
ラムサスは先回りして私の言葉を奪い、ぴんと立てた示指の先を左右に振って言う。
「もういい加減その論法は飽きた。私が飽きているくらいだから、あなたも私の返答を聞き飽きているはず」
ラムサスは実にラムサスらしい言い回しで自分もついていくと主張する。散々、突入の危険性を訴えておきながら結局、同行するのは彼女の言うとおり、飽きるほど見た展開だ。
危険性を理解してなお付いてこようというのだから、見方によってはラムサスのほうがよほど怖いもの知らずと言えよう。
時間が惜しい私はそれ以上何も言わず、王城の正面へ向かう。
◇◇
城の管理や軍学に疎い私から言わせてもらうと、緊急時は何か明確な目的か理由が無いかぎり、城の門は閉じておくべきではないかと思う。
私が素朴な疑問を呈すると、ラムサスも概ね私の意見に賛成する。
しかしながら、そういう当たり前を求めてもよいのは、管理者が城門管理に慣れている場合だろう。
開け放たれた門を守っていたのは矮石化蛇の末端構成員ですらない、見るからに臨時に雇われた使えなさそうな人間が二人であった。
二人からは不審者の通過を阻もうという気概がまるで感じられない。
『城内で騒ぎが起こっているようだが、自分ではどう動いたらよいか分からず、しかも誰からも何も指示を貰えないから、騒ぎが起こる前に指示された場所でなんとなく待機を続けている』
二人が門に立っている理由は、そんなところなのではなかろうか。
自分で考え、自分で動ける人材は貴重だ。そう簡単には雇えない。二人は門を閉めるつもりなどないし、多分、門の正規の開閉方法も知らない
少々不安そうな面持ちで門を守る二人に安らぎを与え、我々は城内に侵入する。
空から眺めるだけだと見えてこない建物内の情報を可及的速やかに集めるべく、侵入と同時に傀儡を大量に展開する。
傀儡を走らせると現在位置付近の地図を描くのはそう難しくない。どの位置にどれだけ人がいるかも把握できる。
そこで会話が繰り広げられていれば、誰と誰がどういった内容で衝突しているのかも、ある程度分かる……が、分かっても分からないものが世界に存在することを私は思い出す。
ほんの短時間、傀儡を走らせただけで問題箇所がゴロゴロ見つかる。もし、違う成り行きで我々が城内に足を踏み込んでいたら、はたして私はどこから手を付けただろうかと、少しばかり無意味なことを考えてしまう。
退屈を持て余しているならいざ知らず、時間が限られている時に、有り得ない仮定に没頭しても仕方がない。
私はごちゃごちゃと考えずに、分かりやすく騒動が起きている大広間に押し入る。
人集りを瘴気で強制的にかき分けると見えてくるのは対立だ。
我々から見て奥にいるのはヴォルフをはじめとした生粋の矮石化蛇の集団だ。私は現代の矮石化蛇構成員をほとんど知らないが、雰囲気だけで分かる。ここには骨座が何人もいる。
サイラスも当然ながらいる。立ち位置はヴォルフの横だ。
そして、やはりと言うべきか、サイラス以外にも実力者がいる。サイラスに見劣りしない、濃密な魔力を湛えた若い剣士がひとり。この剣士が例のロイドなのかもしれない。
手前側にいるのはグレイブレイダーだ。クリフォード・グワートは我々に背を向けたまま振り返ろうともしない。
クリフォード以外のグレイブレイダーの人員、セルツァとフォニアは一瞬だけこちらを見る。
その仕草だけで、矮石化蛇とグレイブレイダーが一触即発の状態にあることが分かる。
ヴォルフは視点の中心をクリフォードに置いたまま、視界の端で我々を捉えて言う。
「思ったより随分早く帰ってきたな、ワイルドハント」
骨座のひとりと思しき目つきの悪い女がヴォルフに続いて言う。
「重なるねえ……。面倒事ってのはさ」
するとヴォルフは鼻で笑う。
「扱い方次第では、そうとも限らん」
ヴォルフは自分の前をサイラスに守らせ、真っ直ぐに我々を見る。
「おい、ワイルドハント。お前たちにこの間の貸しを返す機会をくれてやろう」
「……具体的には、どうやって返させようと言うのです」
「グレイブレイダーを倒せ。クリフォード・グワートを殺せば完了する、簡単な話だ」
ヴォルフが我々に借りの返し方を説明し終えるより早く、セルツァも我々に要求する。
「矮石化蛇ではなく私たちに力を貸して、リリーバー」
リリーバーというパーティーの現在の会話口を務めているクローシェ・フランシスは、ヴォルフらと面識はあってもグレイブレイダーとはない。
セルツァの記憶力が良ければシーワやヴィゾークは見覚えがあるだろうが、それにしたってセルツァはかなり思い切った要求をしているように思う。
さて、どうしたものか。
最善手を選ぶためにも両者から詳しく事情を聴取し、十分な情報を得たうえでラムサスと検討を重ね、それから最終判断を下したいところではあるが、それが許される状況ではないだろう。
私は溜め息代わりに死仮面の下で口を尖らせて思案する。




