第八二話 イオスの憂鬱 三 空虚な冢中
第二次特別討伐隊。
国の特命で編成されたその部隊は主として軍人、衛兵、ハンター、修道士、そして治癒師から構成されている。
第二次があるなら無論、第一次もまたあるわけだが、両者の比較には注意を要する。決して最新の二隊を比べてはならない。
なぜなら第一次特別討伐隊は既に編成当初とは別物になっている。人員が初期よりも大幅に減り、役回りはガラリと変化している。
比べるならば現時点ではなく、それぞれの最初期、編成時点での二隊を並べて照らし合わせるのが適当だ。
第一次と第二次で異なる点は多数あり、なかでも目立つのは、絶対的な人員数の減少、とりわけハンター勢の大幅な減少、人員追加及び入れ替えによる軍人勢の強化、修道士と治癒師に期待される働き、そして忘れてはならないのが隊の究極目標だろう。
第二次となってハンター人員は激減したが、それでもなおハンターが部隊主力の一角を担っているのは、当のハンターにとっては皮肉な話かもしれない。
本来ならばハンターは誰にも仕えずに生きられる職業である。狩猟にまつわるいくつかの法律や地域ごとの約束事さえ遵守すれば、あとは自由だ。
仲間や自分の力量と相談したうえで、どこへ行き何を狩ってもいい。狩猟機会に恵まれなかったり、気分が乗らなかったりすればフィールドの景色を眺めるだけ眺め、それに飽きたら空手で帰ったっていい。他にやりたいことがある日はフィールドに行きすらしなくていい。
自由の代償として安全面においても金銭面においても保障という概念とは無縁だ。国や自治体からこれといって保護も優遇もされない。収獲がなくとも各種の名目できっちり税がかかり、収獲があったらあったでまた別途ごっそり税として持っていかれる。さらに公益労務と称して寸志程度の報酬しか貰えない魔物処理の義務まで課される。
自由な反面、不安定で、しかも他職種と大差がない程度に搾取される。それがハンターである。
そんなハンターたちの手元にある日いきなり届いたのが一通の令状だ。
薄っぺらい紙切れによってなけなしの自由を奪われたハンターたちは以後、己の意思で国家と王家に忠誠を捧げた軍人や衛兵らと同等に国の駒として使役される。
多忙極まるのも無理からぬ話で、なにせ討伐隊の標的は数が多い。異常に多い。震源が大森林だったせいとはいえ、打ち寄せるのは 大発生 を伴わない大氾濫とは思えないほどの魔物の大波だ。
数が異常なら強さも異常で、それが否応なしに押し寄せてくる。自分の力量を超えていても背を向けて逃げるのは許されない。
戦わなければ待つのは死だ。それも自分より先に別の誰かが死ぬ。
戦おうと戦うまいとハンターは最後に死ぬ。
なぜなら、軍人たちが先を争うようにして死んでいく。
噂に違わず死を恐れない軍人たちは慣れない魔物と対峙して次々に命を落とす。
不慣れがゆえに魔物を討つ剣にはなれない軍人でも、ハンターを守る盾にならなれる。
ハンターさえ生き残れば魔物を討伐できる。だから彼らは身を挺してハンターを守り、散っていく。国を守るために軍人がハンターを守る。
だからハンターは逃げられない。
懸かっているのが自分の命だけなら、きっと逃げられた。
しかし、このフィールドでは、それができない。
自分の命を守るために他者が死ぬ。
自分が逃げれば軍人が死に、衛兵が死に、国が死に、皆死ぬ。
自分が戦えば僅かなりとも他者の死が減る。
だからハンターは逃げられない。いや、逃げない。局所的には逃げたとしても大局からは逃げない。
人としての矜持が、自分の心が逃げることを許さない。
自分本位な発想は、大氾濫と特別討伐隊がぶつかり混じり合って醸成された特別な空気が消し去った。
あたかもそういう呪いでもかかったかのように隊員たちは奮闘し、狩って狩って狩り続けた。
最初の召集地点たるリブレン周囲には魔物が薄く、大森林から見て西のホレメリアに厚いと分かれば西へ走り、そこで始まった抵抗戦は徐々に舞台を東へ移す。
波を東へ押し返したというよりは、波のほうが自分で東へ動いたかたちではあるが、いずれにしても波と衝突する位置が東へ移るのは国にとって好ましい。
波には四柱と恐れられるネームドモンスターがいた。
部隊を率いる能力の欠如した無能指揮官の方針により隊が戦力を二分していたこともあり、ネームドモンスターの撃破は困難と思われたが、予想していなかった加勢が得られたために一柱ビェルデュマの討伐に成功した。
予想外は以後も続き、戦いは波に耐える抵抗戦から、次第に積極的に波を消す殲滅戦へと様相が変わっていく。
“アバンテ”を主力とする部隊は四柱が一、ジャイアントアイスオーガが姿を消した後の混乱冷めやらぬアイスオーガとブルーウォーウルフの群に大打撃を与えた。
分離していた隊は合流後にナフツェマフへ到達する。
四柱中最凶とされる魔物バズィリシェクに占拠されていたはずのナフツェマフはもぬけの殻で、魔物はおろかハンターの姿も見当たらない。
ただし、戦闘の痕跡は確かにあり、それが様々な憶測を呼ぶ。
この頃にもなると、軍人や衛兵たちの中からも魔物を討つ剣としての才覚を発揮する者が現れ始める。大氾濫という試練が眠っていた才能を目覚めさせたことになる。
ヒトの領域に復帰したナフツェマフは特別討伐隊の新たな拠点となり、隊の活動は次の段階へ移行する。
もはやナフツェマフ以西に大波は存在しない。特別討伐隊が消した。だが、大森林産の魔物を掃討したとは言い難い。生き残りはまだまだいくらでもいる。
ナフツェマフの南から南東方面にかけては未だ手付かずにちかい。
新拠点たるナフツェマフもあまり守りの手を疎かにすると小さな波に再び飲み込まれてしまいかねず、いくらかは戦力を残すのが妥当だろう。
つまり今後の活動は薄く広くやっていくことになる。
さて、根本に立ち返ると、特別討伐隊に所属するハンター勢はマディオフ全国から召集された腕利きたちだ。特別討伐隊の活動が長期化すると、隊の活動範囲の外、即ちほとんど全国に悪影響が出るのは言うまでもあるまい。
僅かな悪影響は事前に想定されていた。ところが、現実に起こる出来事は想定以上に悪い。
優秀なハンターが一時的な不在になっただけでは、どうやっても説明がつけられない、深刻度の高い魔物被害が各地で続出した。
立て続けに国を襲う試練に隊員たちは恐れ、怒り、嘆き、悲しむ。感情が一巡すると冷静に物事を見つめられるようになる。
『大森林を起点とした災厄』にだけ向き合い、思考停止していられたのはかつての話だ。
単発の出来事が偶然いくつも重なったのではなく、世界そのものが変化の刻を迎えた。そう考えると腑に落ちる
ドラゴンの降臨も、それに引き続いて起こった大氾濫も、そして至る所で発生する魔物被害も巨大なうねりの一部を見ているにすぎない。
世界の変遷はじきに落ち着くかもしれないし、逆に加速するかもしれない。
矮小なヒトに未来を見通す力はなく、ましてや変化を食い止め、元に戻すなどできるわけがない。
模索すべきは変化した世界をどうこうする手段ではなく、変化に順応する方法だ。
大氾濫とは云わば新たな環境への魔物なりの順応過程であり、特別討伐隊はそれに対応するために結成された部隊だ。
結成初期に掲げられた、ともすると達成困難と思われた目標は概ね達成した。マディオフはこの先も特別討伐隊の力を必要としているが、戦力配置には検討の余地がある。
大きすぎる部隊は小回りが利かず、どうしても即応性に欠ける。この組織が最終的には国に帰属しているという点も行動を鈍重にする要因のひとつだ。
各々、思うところはあれど行動に移せる者は限られている。その限られた者たちの中で最も早く動いたのがアバンテである。
現在のマディオフで最優秀ハンターパーティーであるアバンテは、大森林の最後の一柱ツェルヴォネコートが討伐目前で消えたのを機に特別討伐隊から脱退し、主たる活動場所をソリゴルイスク方面に移した。
その他、いくつものハンターパーティーがアバンテに呼応するかたちで特別討伐隊から去っていく。
残された者たちは必ずしもハンター多数の離脱を悲観しない。非ハンター勢の台頭は著しく、大波が消えた今なら残留人員だけでも十分に有効な活動を継続できる。
規模を縮小した特別討伐隊の主力はアーチボルクからナフツェマフに戻り、軸足を少し変化させて活動を再開した。
老境に差し掛かっていたイオス・ヒューラーは隊残留者の筆頭とも呼ぶべき人物である。
体力は少々衰えていても魔力や魔法には些かの翳りも無い。
『砕かれた氷』という失礼千万な新しい二つ名を返上せんばかりの目覚ましい活躍で、アバンテ離脱後の特別討伐隊を力強く牽引した。
大氾濫が生じてから、そろそろ季節が一巡りしそうだ、という頃になり、イオスは王都に召喚される。
特別討伐隊に召集された時が突然なら、王都への召喚もまた突然である。
ナフツェマフを拠点とした活動がそれなりに安定しているとはいえ、完全に盤石というわけでも、隊としての活動に終わりが見えてきたほど一帯が安全になったわけでもない。
ならば王都で待っているのが論功行賞とは考えにくい。
国から新たな厄介事を押し付けられるのだろうとイオスは覚悟して王都に向かう。
およそ一年ぶりに王都入りしたイオスは疲れた身体を癒やす時間もそこそこに、すぐに次の任務へと駆り出される。
新しい厄介事の中身とは王都に迫る一柱のアンデッド、それも石化能力を有する極めて危険度の高い魔物、識別名称“バティン”の対処である。
バティンは正確な発祥地不明ながら、広い範囲を渡り歩くやや異色のアンデッドだ。移動方向は一定せず、あちらへ行ってはこちらへ行き、そうかと思えば来た道を戻りとフラフラ動く、行動予測の難しい魔物だ。
遠くは東の果てアウギュスト周辺まで行き、そこで何があったのか、人が変わった、いや、魔物が変わったように一路、西へ進み始めた。
アウギュストから西へ向かった先にはリクヴァスがあり、時期的にはヴェギエリ砦から退却するゴルティア軍が西進を始めたバティンと接触した可能性がある。
ゴルティア軍がバティンと交戦したのか、はたまた悪運が強く接触を回避できたのか定かではないが、いずれにしてもゴルティア軍がバティンを討伐していないのは確かで、だからこそバティンはリクヴァスを越えて更に西進した。
危険な魔物ではあるが幸いにもバティンの移動経路は主要な街を貫いておらず、大氾濫を思えばバティンが出した人的被害はそこまで大きくなく済んでいた。
しかしながら、アーチボルク北を掠めるように横切ってからの進路が最悪で、そこからバティンは北西方向、つまり王都に向かって進んでいる。
真の目的地が王都なのか、あるいは王都より更に先なのかを推し量る材料は残念ながら無い。まさかロギシーンを目指しているわけではないだろうが相手は魔物、真相は不明だ。
何はともあれバティンが王都に向かって進んでいるのは事実でマディオフがこれを放置する道理はない。
蛇行を繰り返さずに概ね真っ直ぐ進んでいる点は対策立案という観点からするとありがたい。しかも、アンデッドなら比較的容易に現在位置を捕捉できる。
移動方向と移動速度からどの地点をどの日時に通るか簡単に割り出せる。
マディオフは万全の態勢でバティンを迎え撃ち、王都を防衛する。戦略部の考えは概ねそんなところなのだろうとイオスは推測した。
悲しいかな、軍人の考える万全とイオスの考える万全は違う。
王都防衛にはアバンテの力が絶対に要る。
それがイオスの考えで、イオスは上に何度もそう主張した。
しかし、上からはそれに同調する返答が得られない。曰く『アバンテにはアバンテの、やってもらわなければならない重要な任務がある』そうだ。
全くの嘘ではないのだろう。だが、王都が機能喪失する危険を冒してでも優先させるべき任務なのか、情報が十分に手元にないイオスには判断不能だ。アバンテ以外の点においてもイオスの要求はほとんど通らず、ただ苛立ちばかりが募っていく。
準備万端だろうと、そうでなかろうと、魔物はお構いなしにやってくる。
イオスの思い描く理想とは程遠い防衛体制が敷かれた王都南東に魔物が現れ、イオスは呪い除けの魔道具が問題なく呪いを跳ね除けてくれているのを感じながら魔物の姿を眺める。
陽光に照らされて視認性は良好だ。それなのに魔物の外見を簡潔明瞭に表現できない。
二脚で直立移動する型ではなく地を這って移動する魔物なのは見て取れるが、羽毛様の体毛に覆われているせいで肢の数は四脚と推定するのが精一杯だ。六脚や八脚、あるいはそれ以上の可能性も残る。
そして、何より難しいのが頭部だ。前二脚の間から生えているのが首で、その先端にあるのが頭部のはずなのだが、頭部の所見からバティンの素体となった魔物をまるで想起できない。
これまでイオスが戦った魔物の中にバティンのような頭部を持った魔物はいなかった。バティンの頭部は捉えどころがない。なにせ目も鼻も口も無い。
唯一、眼球だったのかもしれない球体がぶら下がっているのは確認できるものの、たったそれだけの情報から生前の顔貌を再構築するのは困難を極める。
大きさこそ違うものの、鶏の頭ならば少しだけ似ているかもしれない。鶏の頭部を石の台の上に固定し上から鎚で叩き潰すとバティンの頭部にまずまずちかい状態になる……のではなかろうかとイオスは考える。
外見情報単体から正体を特定するのは困難、とはいえ周辺情報から事前に正体は推定されていた。そして、それを覆す新たな情報はこうやって防衛部隊として実際に件の魔物と相対しても出てこない。
推定は当たっていたのだろう。そして、それは単なる起源予想に留まらない、二歩も三歩も踏み込んだイオスの悪い予想が的中している可能性をグンと押し上げた。
悪夢のような現実を突きつけられても動じずにイオスは戦う。
魔物に対する最適化が不完全な防衛部隊の中心として奮戦し、苦心惨憺の末にどうにか難敵を退ける。
幸か不幸かバティンには適度な知性があり、無理せず退くことを心得ていた。
おかげで防衛部隊は壊滅的被害を受けずに戦闘終了を迎えられたものの、代わりに効果的打撃を標的に与えることもできなかった。
バティンはまるで本気ではなかった。
『目的地に向かって歩いていたら進路を阻む障害物があり、試しに小突いてみたところ針が飛び出てきた。危険を感じたため、怪我する前に退いた』
標的目線からしてみれば、そんな程度の出来事にすぎなかったのではなかろうか。
標的を追い払ったはいいものの、イオスの憂慮は一段と深くなった。
その後、しばらくの間を空けてバティンは王都接近を繰り返す。
二度、退けても、三度、退けても、バティンはしばらくすると再びやってくる。回を重ねると南側から回り込もうとしたり東側から回り込もうとしたりと、若干の工夫を見せるものの、王都狙いは一貫していて諦める様子は一向に見られない。
防衛部隊はバティンの工夫に弄ばれるように転戦を強いられ、次第に追い詰められていく。
対峙回数が増えれば経験は増し、バティンから繰り出される各種の攻撃にも一つひとつ対策が講じられていく。
ところが対策が進まないどころか、悪化する一方のものがある。
それが石化の呪いだ。
防衛部隊は初接触時から調達できるかぎりの良い呪い除けの魔道具を備え、隊員に配っていた。バティンとの戦闘範囲で活動する全隊員に魔道具を装備させられたわけではないが、それでもある物は惜しまず配布しており、それ以上はどうやっても用意しようが無かった。
魔道具にはそれぞれ品質に差があり、効果のほどは不均一だ。軍人数名の年俸を合わせても買えないような高価かつ高性能な魔道具もあれば、無いよりはマシ程度の低い性能の物もあり、それらが隊員の重要度に応じて配布されていた。
イオスは元々保有していた物があったために支給は受けずに対バティン戦に臨み、実際に呪いを免れたが、他の隊員たちは違う。
初回は有効だった魔道具も、回を経るごとに性能の低いものから効かなくなっていく。
呪いは効果が発動してから石化完了までに若干の猶予があり、呪いを受けてもそのまま致死的とはならない
バティンを退けた後、治癒師に解呪してもらえば戦線に復帰できる。解呪難易度もそこまで高くないようで、呪いによる犠牲者はここまでひとりも出ていない。
ただし、それも解く側の手が足りているときに限定して成立する話だ。
解呪能力者は一朝一夕に増やせない。呪いを被る者の数が増えていくと、いずれ必ずどこかで解く側の数が足りなくなる。
犠牲者を出さずに防衛戦を乗り切る手段は限られる。
まず魔道具の再配備だ。軍人や衛兵としての階級は高いが、防衛戦での貢献度が低い者にまだ有効な魔道具を持たせても意味はない。
一旦、全ての配給魔道具を回収し、社会的地位ではなく純粋に防衛戦における重要度が高い順に高性能な魔道具を持たせる。
呪い除けの魔道具は持たせられないが、それでも戦闘に参加してほしい隊員には、その身が呪いに冒されるという前提で戦場に立ってもらい、戦後に治癒師から解呪を受けてもらう。
この一時的犠牲者とでも呼ぶべき人員は総数が治癒師の治しきれる人数以下に限定される。
それ以外の全員はバティンの呪いの射程より遠くでしか行動できない。
しかし、そうやって一時を糊塗したところで有効な魔道具はこの先もおそらく減る一方で、いずれイオス以外、誰も戦場に立てなくなる日が来たとしてもおかしくない。
部隊の中で最も優れた魔道具を持ち、最も強力な魔法を操るイオスといえど、単独ではバティンに対抗できない。
現状はイオス以外の中核人員も戦闘に参加できるので、次にまたバティンが王都に攻めてきても防衛は成功できる。その次もだ。
だが、破綻は目に見えている。
あってないような魔道具の追加支給も、形式的な増員も、どちらも要らない。要るのは決定的な戦力増強だ。
より具体的に言って軍人は要らない。衛兵も要らない。治癒師もプラチナクラスのハンターも要らない。
チタンクラス上位からミスリルクラスのハンター、つまりはバティン初交戦前にした要求の繰り返し、理想を言うならばアバンテの力を喉から手が出るほど欲している。
バンガン・ベイガーがいればバティンはまず間違いなく倒せる。安心して前衛を任せられるラオグリフでもいい。アバンテ所属ではないがロブレンでもいい。
とはいえ、応援に駆けつけられるなら、とっくに来ている。
国土全域が魔物の被害に喘いでいる。狩っても狩っても際限なく湧く魔物が有能なハンターを土地に縛り付ける。
王都ジェゾラヴェルカの防衛も、三大都市の中で唯一、王都との接続が保たれているソリゴルイスクの維持も、どちらもマディオフにとって必須であり、選択は不可能だ。
ゆえにイオスは最後まで現存戦力でバティンと戦わねばならない。
持久戦は難敵とのハントにおける常套手段のひとつではあるが、こと相手がアンデッドとなると効果は著しく落ちる。
戦って疲弊するのは生者ばかりで、アンデッドは有効打を与えないかぎり精々、魔力消耗しかしない。
見えている終わりが命に届くその日までの時間稼ぎ。
それが、イオスと防衛部隊がやっている事の本質である。
徐々に、しかし、確実に強くなっていくバティンの呪力に脅えながら繰り広げられる防衛戦の日々はイオスの予想を遙かに超過して長引き、ある日、前触れ無く終わる。
退けたバティンが次に襲来するのは二日後か三日後かと待ち構え、束の間の準備期間を過ごす防衛隊の下にひとつの意外な情報が舞い込む。
それは、間断なくバティンの行動と現在位置を把握していた斥候部隊から寄越されたものだった。
曰く、バティンは完全に転進した。もう王都を顧みる気配がない。
これには皆、喜びを忘れてただ驚く。
失敗に終わる日を待つばかりとなっていた防衛戦が、いきなり完了してしまえば驚きもするだろう。
ただし、手放しで喜べる朗報ではないのも事実で、問題はバティンが次に向かう先だ。
最後の防衛部隊との衝突の後、いつもどおり王都から少し距離を取ったバティンはなぜか最初、北東へ進んだ。
その方角はナフツェマフがあり、そのまま進まれると国としては大迷惑なのだが、進路を変えられたら変えられたで、また困る。
バティンはまるで右回りに弧を描くように移動し、最終的には南南東に進路を固めた。
これでゼトラケイン王国のある東北東にでも進路を取ってくれればマディオフにとって実に都合が良かったのだが、話はそう上手くいかない。
バティンの現在の進路上にはアーチボルクがある。王都を執拗に狙い、やっと諦めたら今度はアーチボルクを狙うのだから、マディオフになんらかの憎しみがあって全ての行動を選択しているとしか思えない悪質さだ。
バティンがマディオフに迷惑をかけ続ける理由がなんにせよ、国として看過せぬ由々しき事態が続いていることに変わりはない。
望外に防衛成功したイオスたちへ下った新たな沙汰が追撃戦なのは然もありなん。それもヒトに害を出さない方角への誘導でも構わぬ微温い追撃ではなく、完全討伐を目標とする過酷な追撃だ。
ヒトが相手の戦争と魔物を相手にする戦闘を一概には比較できないが、防衛用に構築された拠点での防衛戦よりも野戦の方が圧倒的に難しい点は概ね同じと考えて差し支えないだろう。
イオスたちは防衛戦でバティンを倒しきれなかった。追撃戦とはいえ、野戦でそれを倒そうとは過ぎた楽観だ。
ただし、それはあくまでも双方の戦力に変化が生じていない場合の話である。
野戦でバティンを討伐するには、防衛部隊をそのまま行かせたのでは無理で、防衛時になされなかった決定的な戦力増強が今度こそ要る。マディオフの中枢部も、その程度は理解しているらしかった。
防衛部隊は新戦力をずっと待っていた。待って待って待ち焦がれていた。しかしながら、追加予定の戦力詳細を知った者たちは落胆すると同時に大いに驚く。
立場上、感情を表に出すのが憚られるイオスは周囲にこれといって感想を漏らさなかったものの、胸中は誰よりも複雑だった。
斯くして疑惑の戦力追加により防衛部隊は第二次特別討伐隊へと新生を果たし、王都防衛時とは異なる不安に包まれながら王都を進発する。
◇◇
マディオフならではとも言える優れたアンデッド捕捉力は、防衛戦のみならず追撃戦においても貢献度が抜群に高い。
アンデッド感知の魔道具を持つ斥候から切れ目なく本隊へ伝えられる正確かつ最新のバティン位置情報を基に第二次特別討伐隊は追跡計画を立てる。
前々から分かっていたとおり、バティンの移動速度はそこまで速くない。しかも、狙いをアーチボルクに定まる前の弧を描くような動きによって防衛部隊と交戦していた初期位置よりもむしろアーチボルクから遠ざかっている。
バティンがアーチボルクへ侵入する前に追いつきたい第二次特別討伐隊としてはありがたい遠回りだ。これでバティンに王都からアーチボルクへ一直線に向かわれていたら大変だった。無理に追いつこうと思ったら、それこそ殺人的な連続長時間移動が不可欠で、そんなことをして追いついたとしても交戦時には全員、疲労困憊で戦うどころではない。
遠回りのおかげで第二次特別討伐隊は適宜、休息を挟みつつ、最大速度ではなく持続可能な速度でバティンを追える。それで十分に間に合い、アーチボルクに近すぎない、適当な地点で追いつき交戦に持ち込める。
追いついた後に挑む戦いでは余裕など無いだろうが、少なくとも追跡には時間的余裕がある。予想外がいくらか起こったとしてもそれに対応し、計画を修正できる余力がある。
むしろ予想外が起こってほしいくらいのものだ。このまま何事も起こらずに追いついたとしても、一度の交戦ですんなり討伐とはならないだろう。討伐隊の人間でそんな甘い見込みを立てているのはおそらく隊長のカツペル・ヘディン唯一人だ。
マディオフを更に苦境へ追いやる試練の類ではなく、バティンに負荷を与え制約を課す類の予想外であれば歓迎だ。
嬉しい予想外の発生に淡く期待しながら討伐隊はバティンを追う。
すると、実際に変化を告げる新しい情報が斥候から届く。
情報の仔細が討伐隊にとって好ましいものか否か、そして追跡計画に修正を施す必要があるのか、隊の中心人物たちは本隊から少し離れた位置に集まり、帷帳など無い上も横も開けた場所で、馬の背に揺られながら話し合う。いつもどおり隊長カツペル抜きで最初に行われる会議、云わば裏評定だ。
裏評定の終了後にカツペルの参加する本評定も開かれるには開かれるが、そちらで行われるのは裏評定で決定した方針へカツペルをどうにかして誘導するという、なんとも不毛な作業だ。
なにはともあれ大切なのは裏評定だ。イオスら集まった者たちは真剣な面持ちで斥候の言葉に耳を傾ける。
曰く、バティンがまた進路を変え始めた。進行方向が少しずつ西へ曲がっていく、例の弧を描く動きである。ただし、この弧はおそらく真円にも楕円にもならない。角速度は低下の一途を辿っており、そこから推測される最終的な進行方向は西南西である。
斥候は最後にこう付け加える。
「我々が標的を追っているように、標的もまた何らかの動体を追跡しているのでは?」
言うべきことを言うと斥候は裏評定から抜けて、本来の任務である偵察へ戻っていく。
残された者たちのひとりが言う。
「バティンは何を追っているのでしょう」
視線がイオスに集中する。
イオスは表情を変えぬよう細心の注意を払いつつ無言で首を横に振る。
すると参加者たちの目は次にツェザリ・ゼブロフに向く。
討伐隊は怪我を癒やす回復能力、石化を防ぐ解呪能力、そしてできればアンデッドに著効する聖属性攻撃能力を必要としている関係で、教会からも人を出してもらっている。教会勢の代表とも呼ぶべき人物がツェザリである。
ツェザリは寄せられた期待を裏切るのが怖いのか、教会に所属する人間として知っている限りのアンデッドの執着について語る。しかし、結論的にバティンが何に執着しているのかは情報が不足していて分からない、ということだった。
バティンが何を目標として萍水さながらに彷徨っているのか、討伐隊としては是非、知っておきたい。バティンは一定の知性を有する魔物、ならばその執着は生者でもある程度、了解可能なはずだ。
[萍水――浮草と水]
目標さえ突き止められれば次にバティンが目標とする地点を読んで先回りしたり待ち伏せしたりできるかもしれない。積極的な選択肢が一気に広がる可能性を秘めている。
とは言え、分からないものは分からない。
新情報は討伐隊にとって好ましいものではあったが、今後を劇的に有利にするものでもなかった。
民衆や街への被害をこれまでより更に考慮しなくてもよくなった。それだけだ。バティン討伐の可能性は別段、上昇していない。
討伐隊の計画に大きな修正はない。部隊の進行方向を微調整し、新しい接敵場所と時間を計算し直して終わりだ。
地図を広げて図上戦をするまでもなく明らかなのは、接敵が当初の想定よりもだいぶ早くなるということだ。
部隊の構成人員たちは防衛戦で何度となくバティンと戦った。けれども追撃戦は防衛戦とは別物、これまでの戦いとは全く異なるものになる。
あったはずの時間的猶予が急減し、代わって緊張度が急激に増す。
◇◇
裏評定が済み、本評定という名のカツペル説得時間にイオスは考える。
これまで数え切れないほど何度も考えたバティン転化の経緯、バティンの目的、そして過去にした選択の後悔だ。
石化の魔物と聞いたとき、この国の人間は一番か、遅くとも二番にバズィリシェクを思い浮かべる。
大森林に棲む恐怖の象徴ではあるが、生涯の大半を街の中で過ごすほとんどの国民にとっては無縁の存在だった。大氾濫が起きるまでは。
大氾濫とは大森林に起こった魔物の世界の地殻変動であり、大森林の四柱も例外なくそのあおりを受けた。
四柱が一であるバズィリシェクはナフツェマフに姿を現して噂の石化能力を真実と証明し、そこに暮らしていた人間に特別な恐怖を刻んで土地を奪い取った。
第一次特別討伐隊は、この大森林最凶の魔物の討伐も当たり前のように期待されていた。しかし、残念ながらそれは最後まで達成できなかった。
なにせ倒せる倒せないの前に標的を発見すらできていない。第一次特別討伐隊には、どうしようもなかった。
無論、捜索には全力を尽くした。どこかに隠れていたら事だ。顔を現した途端、大惨事になる。
生きたバズィリシェクではなく死体でもいい。とにかく何とかして見つけたい。バズィリシェクの現在情報が明らかにならないと、いつまで経ってもナフツェマフの安全が完全なものにならない。
一帯をくまなく、それこそ病的なまでに念入りに探したものの、どれだけ探してもバズィリシェク本体は見つからず、代わりに見つかったのが街に刻まれた戦闘痕と、その近辺で発見された多少の羽毛だった。
建物に残る破壊の痕は直線上に繋がっていて、貫通力の著しく高い何らかの攻撃が行使されたものと思われる。しかも驚くべきことにその攻撃が実行されたのはおそらく複数回ではなく、ただの一回だけ、その一回で何棟もの建物に被害を与えたものと推測される。
また、その攻撃はかなりの高所から放たれている。破壊箇所を繋ぐ線をどこまで伸ばしても高層建築物は存在しない。ゆえに発射点は空中か、一時的に建てられた高楼ということになる。
仮に攻撃が地上高から放たれたとすると、発射点と弾着点の距離があまりにも遠くなってしまうため非現実的だ。
羽毛の方は、一部がルドスクシュに由来するものと判明している。残りが何の羽毛なのか、イオス含めて誰も同定できない。ハンターでも同定できない羽毛となれば、やはり考えやすいのはバズィリシェクなのだろうと消去法的に結論づけた。
多分に推測が混じるものの、調査結果をまとめると、このナフツェマフで何者かがバズィリシェクと思しき魔物、及びルドスクシュと交戦して戦闘痕や羽毛などのいくつかの証拠を残した。何者かは貫通力の高い攻撃手段を有している。戦闘結果は不明なものの、何者かと魔物、両者いずれも街からいなくなった。
隊のおよそ半分ほどの人間が、何者かの被疑者筆頭として“リリーバー”を挙げる。
全員ではない理由はいくつかあり、最も大きいのが地域性だ。
実力はあるが協力はしない偏屈なハンターパーティーがこの土地には多数存在していると、少なくない隊員たちが見積もっている。
ナフツェマフ一帯はマディオフにおいて一種独特だ。大森林に接した危険地域という地理的条件に加え、社会的にも特殊な扱われ方をしている。名前ばかりが売れていて正確な場所はあまり知られていない村レキンは、その象徴とも言えよう。
この辺りは地続きの土地でありながら、まるで孤島かのように固有の文化が形成されている。
例に漏れずハンター勢は変わり者が多い。ハンターパーティー“イクリプス”はまだしも、ドラゴン降臨の報を間接的に国にもたらしてくれた“インディシジョン”の方などは、その一件がなければきっと未だに社会的認知度が限りなく零に等しかったに違いない。
イクリプスにしろインディシジョンにしろ、パーティーとしての性格はどうあれ、この地でフィールドに通年、入り浸っていられるだけの実力は間違いなくあるはずだが、かといって四柱の一に挑むほど血気盛んではない。
戦闘力は高い。そして戦闘力以上に危険回避力が高い。それらが合わせ持ってこその生存力の高さであり、そんな彼らが、国から協力を求められたところで返事は最初から決まっている。
『危ないから無理』
単純明快な理由で特別討伐隊への参加要請を拒んだ彼らが、まさか自ら進んでバズィリシェクに向かって行くとは考えにくい。
ただ、イクリプスとインディシジョン以外にも表に出て来ない実力者集団がまだまだ潜んでいてもまるで不思議ではない。
捜査線上に浮かんできていない、まだ見ぬ被疑者たちは必ずいる。
しかしながら、そうした隠れ被疑者たちにかかる疑いの度合いはリリーバーほど深くない。
なにせ、リリーバーの構成員のうち少なくとも一名は以前からイオスと間接的な繋がりがあると明らかになっている。さらにリリーバーはビェルデュマ討伐後にイオスと密談した。これも疑惑に拍車を掛けている。
そこから時が流れてバティンが王都を脅かすようになり、イオスを除くかつての第一次特別討伐隊所属者たちはこう考える。
『バズィリシェクはおそらくナフツェマフで討伐された。討ったのはリリーバーで、しかしながら、彼らはアンチアンデッド化処理を怠った』
密談の内容を知らぬ彼らからしてみれば、辻褄の合う推理だ。
ところが密談した当の本人たるイオスはもっと悪い予想を立てている。
リリーバーの構成員がひとり、ルカはかつてイオスに言った。
『このパーティーは大半がアンデッドで構成されている』
イオスのかつての弟子、何もかもが常規の外にあった不羈の才は両腕を断たれてなお驥足を展ばし、生と死の理の外に踏み込んでいた。
転生説は本人に否定されたものの、それにちかい未知の超常現象によってアルバート・ネイゲルはルカになった。そして、生者を装うアンデッドを引き連れてイオスの前に現れ、昔の師であるイオスを特別討伐隊から引き抜かんとする。
対ビェルデュマ戦において彼らリリーバーは特別討伐隊と共闘したものの、根本的に国とも討伐隊とも協力する姿勢が無かった。イオスを勧誘したのは、そうしたほうが彼ら自身の目的を達成するうえで効率が良かったからだ。
イオスに勧誘を断られたルカは最後に『いずれマディオフは自分たちと衝突し、滅びを迎える』なる旨の言葉を残し、イオスの前から去っていった。
去り行く彼らの背中に感じた計り知れない恐ろしさをイオスは鮮明に覚えている。
彼らの手を取ったらどうなっていたか、少なくともバティンに苦しめられる展開は防げたのではないかと、イオスは後悔しながら何度も何度も考えた。
イオスは大学に正式に所属する直前から、およそ四年間アルバートと何度となくハントに赴き、その間、ただの一度もアルバートがアンチアンデッド化に関して手抜かりを犯す場面を見かけなかった。
対スヴィンボア戦において、ルカは戦闘行為に直接関与する場面がなかったものの、戦闘後の慣れた仕切り具合からして、リリーバーで中心的役割を果たしているのは確実だ。あるいはパーティーの統率者なのかもしれない。
中身がアルバートであるルカを擁し、かつ多くの構成員がアンデッドであるリリーバーがアンチアンデッド化処理に関して不始末をしでかすとは考えにくい。あまりにも不自然だ。
バティンがこの世に現れた理由は怠慢でも不始末でも、ましてや偶然でもない。純粋な必然、彼らは明確な意図があってバズィリシェクをアンデッドに転化させ、剰え人や街を襲わせた。
これがイオスの考える真相だ。ルカと対話したイオスだからこそ辿り着けた、イオス以外には誰も導き出せない危険な推論である。
アンデッド関連の無視できない事象はバティンの一件以外にもある。
それは、ヴェギエリ砦で起きた事件だ。
マディオフに攻め込んできたゴルティア軍はリクヴァスを防衛するマディオフ軍に対抗するため、リクヴァスの少し東に新拠点ヴェギエリ砦を築いた。
時期が冬だったこともあり、大きな武力衝突は起こらずに睨み合いがしばらく続いたものの、突然ドラゴンが介入したためにゴルティア軍に大量に死者が出て、結果、ゴルティア軍は敗走した。
砦に残された大量の死体は大量のアンデッドに転化し、それを処理するためにマディオフ軍はかなりの労力を割くハメになった。
ドラゴンと大量のアンデッド。
これらをリリーバーと結びつける直接的な証拠は無いものの、話にアンデッドが絡むとイオスはリリーバーとの関係を疑わずにはいられない。
何にしても、リリーバーがいかなる最終目標を掲げて行動しているかは不明だ。ルカの発言どおり、行き掛けの駄賃としてマディオフを滅亡させても不思議はない。ルカもといアルバートには、そうするだけの動機がある。
バティンを送り出したのがリリーバーなのはほぼ確定で、そのリリーバーがバティン討伐に手を貸してくれるわけはない。では、それ以外のハンターならばどうだろう。
特別討伐隊がアーチボルクでツェルヴォネコートと長期戦を繰り広げた際、討伐隊とは別に四柱最強の魔物を倒そうと蠢動している正体不明のハンターがいた。それも、ひとりではなく複数名で、おそらくは単一のパーティーと推測される。その残り香は明らかにリリーバーのものと違っていた。
特別討伐隊の前には決して姿を見せず、それでいて到底、好意的には解釈できない土産をフィールドに置いていく、いや、仕掛けていく。
特別討伐隊はツェルヴォネコートと、ハンターが仕掛けた対ハンター用の罠によって散々な目に遭った。
最終的にツェルヴォネコートを討伐したのは、この非友好的な闇の狩人たちと考えて間違いないだろう。
イクリプスでもない、インディシジョンでもない、リリーバーでもない、また新手の凄腕ハンター集団だ。しかも、ツェルヴォネコートと継続して交戦できている以上、そのパーティーにはミスリルクラスのハンターが複数名在籍しているか、さもなくばブラッククラスのハンターがいることになる。
次の世代が育ち、躍動しているのは老輩ハンターたるイオスにとって喜ばしい。しかしながら、非協力的なパーティーが割合的に多いのは実に嘆かわしい。
今、協力していないハンターの誰かが新たに討伐隊に加勢してくれるとは考えないほうがきっと賢明なのだろう。
カツペルの説得が完了すれば、そうはかからずにバティンとの野戦が始まる。
事態を好転させる嬉しい予想外は起こらないまま第二次特別討伐隊はバティンに挑む。
新戦力でバティンに通用する可能性があるのは事実上、一名だけだ。
イオスは、軍人たちの中でやや孤立気味の人物をちらりと見遣る。
バティン討伐の楔子として中央から期待を寄せられている新戦力の目玉であり、しかも、その人がイオスと浅からぬ縁があるときたら、イオスでなくともあれこれ想像を膨らませてしまうのも当然と言えよう。
王都近くで防衛戦を繰り広げていた期間、イオスはその人物に関連する、とある興味深い噂を耳にした。
国土北西に位置するロギシーンは、イオスの旧友アッシュ率いる反乱軍によって占領されていて、反乱を鎮圧するためにマディオフ軍は戦力を派遣していた。この鎮圧部隊が大問題だった。しかしながら、そこには責めるに責められぬ逼迫した国家事情がある。
ゴルティア軍は全面撤退したとはいえ、いつまた侵攻してくるか不明だ。対ゴルティア軍用の戦力は必ず東に配置しておかなければならない。
国内においては大氾濫の残波処理にバティンからの王都防衛、南からやってきた獣人を主体とするワイルドハントと問題が山積みで、それぞれに相応の人員が求められる。
国に人員の余裕などあるわけがなく、必然、ロギシーンへ派遣できる戦力は限られたものになる。
そうしたやむを得ない事情により半端な戦力でロギシーンに向かった鎮圧部隊は反乱軍によって壊滅させられ、多くの軍人が反乱軍に捕らえられた。
衝撃的なのは捕まった軍人の顔ぶれで、リディア・カーターやエルザ・ネイゲルら、鎮圧部隊どころか視野をマディオフ全軍へ広げても主力と呼ぶべき重要人員がことごとく含まれていると噂は語る。
軍人ならずとも正気では聞いていられない、絶望的な悲報だ。
ただ、噂はやはり噂で、どれだけ多くの人間に信じられていようと、それがそのまま信憑性の高さとはならない。
事実、噂の一部は外れている。
イオスの視線の先にあるのは噂との決定的な相違点、アルバートが愛してやまなかった妹エルザその人の姿だった。




