第七九話 毒化
テンゼルの助言に従い、我々は進路を北東に取る。広い王都を走りに走り、やっと王都外縁が見えてくると同時に目に入ってくるのは往来を規制する衛兵たちの姿だ。
なぜ公権力が我々の進路を塞ぐ。まさか我々はテンゼルにまんまとハメられたのだろうか。
いや、そんなはずはない。よほど特殊な手段でも使わないかぎり、こんなに早く衛兵連中が先回りできるわけがない。
それに、衛兵たちにそこまで気負った様子は見られない。我々を捕らえる気で待ち構えているならば、もっと緊張感がないとおかしい。
つまり衛兵たちは我々の到来を事前に知らされずにあの場所に立っている。ついでに言うなら、石化の魔物と交戦するに足る覚悟もなさそうだ。
あれは緊急配置ではなく、有事以来もはや通常業務となっている、いつもの検問だ。
普段の我々であれば検問を回避するために夜を待つが、今、待ちの選択肢は無い。
衛兵たちに顔を覚えられぬよう、普段とは違う変装魔法を各手足に施して検問を強行突破し、さらに北東に進む。
このまま進み続けると行き着く先はナフツェマフだ。時短のために必要な迂回とはいえ、進めば進むほどアーチボルクまでの直線距離は長くなる。
くっ……。
どれくらい回り込めばいい。どれだけ迂回すれば最も早くアーチボルクに到着できる。
考えようとしても思考は靄でもかかったかのようにひどく霞んでいて、正解に伸びる道筋が一向に見えてこない。
それに、アーチボルクに着いたら着いたで、どう動くのが最善なのか分からない。
最も気がかりなのは家族の無事であり、ならば、まっすぐ実家に向かえばいいだけのはずなのだが、逆にそれは破滅への一直線のような気もする。
しかしながら、どうして破滅に繋がるのか理由が思い浮かばない。
ちょっと考えればすぐに見当がついてもよそうなものだというのに、頭の霞みはひどくなっていくばかりで、そもそも物事を適切に考えられない。
きっと焦っているせいだ。焦りと苛立ちが私から思考力を奪っている。
「ノエル」
焦る私にラムサスが話し掛けてきた。
重要局面では常に有意義な情報を私にもたらしてくれた情報魔法使いのこと、今回も値千金の提言があるに違いない。
思考力の低下した私に代わり、存分に頭脳として機能してもらいたい。
「あなたに、ひとつ聞きたいことがある」
「なんだ。質問ですか……」
わざわざマディオフまで来て私に協力してくれている人間に対して、なんと失礼な言い種だ、と後悔しても、口から出てしまった言葉はもう戻せない。
情報魔法使いは私の非礼に気分を害された様子もなく、逆に私に気を遣いながら話す。
「家族のことであなたの頭が一杯なのは分かっている。それでも必要だと思うから、私は聞く」
くどい前置きは、これからされる質問が気分良く聞いていられるものではない、性質の悪いものであることを暗に示している。
内容が悪ければ悪いほど早く聞いておくべきだ。
私は無言で首肯し、本題に入るようラムサスを促す。
「あなたは本当にバズィリシェクを倒したの?」
「倒したに決まっているではありませんか。あなたも横で――」
「私は見ていない」
あれっ? そうだっただろうか。
ジバクマを出て以来ずっと行動を共にしているのに、なぜラムサスは討伐場面を目撃していない。寝ていたのか?
「私が知っているのは、バズィリシェクと思しき魔物に向かってあなたが遠くから魔法を撃ったこと、その魔物を殺害する過程で全く別の危険を持たせてしまったらしいこと、あとは魔物の外観を再現した土魔法像を見せてもらったくらいのもの。ナフツェマフで何が行われたのか、それ以上は知らないし、実物とは接触を持っていない」
言われてみれば、そうだった気がする……が、それでも私はピンとこない。ラムサスが私に真に問いたいことは何なのだろう。
倒したか、と聞いてくるということは、つまりラムサスは私がバズィリシェクを倒していない、と思っている。
私は、バズィリシェクを討伐したと思い込んでいるだけで、実際は討ち損ねた?
いやいや、そんなまさか。
私はバズィリシェクを倒した。間違いなく倒した……が、改まって聞かれると俄に不安になる。
ここはひとつじっくりと振り返って考えてみるとしよう。
「サナ、少し時間をください。熟慮の後、先程の質問に再度、回答しようと思います」
ラムサスはこくりと頷き私に沈思黙考を許可する。
それにしても、質問があまりにも意表を突くものだったせいで、幾重にも折り重なって走っていた私の思考や感情といったものが瞬時に全て停止してしまった。
いずれも全て迷走気味だったから、停まって困るどころか、むしろ好都合だったかもしれない。
私は問題を一旦、全部棚上げし、倒したはずの大森林の旧四柱が一、バズィリシェクについて考える。
◇◇
我々の所持品の中にはバズィリシェクの精石がある。これは、大森林最強だった魔物ツェルヴォネコートから産出した精石に並ぶ貴重品だ。紛失したり破損したりしていないか、毎日とまではいかないものの折りに触れて無事を確かめている。ついこの間、荷物を総点検したときもちゃんとあった。
精石の存在に勝る討伐証明はないように思われるが、脳内検証をここで終わらせるのは早計だ。もう少し掘り下げてみよう。
我々が石化能力のある魔物から精石を得たのは確かな事実として、では討伐した個体が実は四柱に該当する強個体ではなく、同種の別個体だった可能性はないだろうか。あるいは世界にバズィリシェクとして認識されている魔物が実は一体ではなく複数体いた可能性はないだろうか。
どちらの場合も倒し漏れが出てしまうことになる。
しかしながら、そういった倒し漏れの際に問題になるのは生きているバズィリシェクであって、アンデッドがどうこういう話にはならない。寄せ場の噂によると、今、王都を脅かしているのは生きた魔物ではなくアンデッドの魔物だ。
手配師に教えてもらった情報と寄せ場で流れていた風説を一緒くたにするのは賢明とは言い難い。だが、今回に限っては噂にも一定の事実が含まれている。そんな謎の確信が私の中にはある。
目を閉じると、蠱惑的な輝きを放つバズィリシェクの精石が私の瞼の裏に浮かび上がる。これまでに手に入れたどの精石よりも私を惹き付ける奇妙な魅力があの精石にはある。
バズィリシェクの精石は、いずれ特別な魔道具を製作する時に材料として使うつもりでいる。この稀有な精石の真価を引き出す魔道具を作るだけの製作技術が私にはまだないため、実用はかなり先の話になるだろう。
絶対にありえないことではあるが、売却していたらかなりの額になったであろう。現在の我々が金銭的にここまで困窮することもなかったはずだ。
……前言撤回、金が入れば入った分だけ私は装備等の購入費用に充てていた。
精石を売ろうが売るまいが、どちらにしても金欠という現状は回避できなかった。
精石は置いておくとして、他の素材はどう捌いたのだったか。
矮石化蛇が主催したオークションでツェルヴォネコートから入手した素材各種の売却が決まった場面は今でもチラホラと思い出せる。
それなのに、どういうわけかバズィリシェクの素材を売った場面を全然、思い出せない。考えても考えても本当にひとっつも出てこない。
バズィリシェクの素材は精石以外も全部、売らずに取って置いただろうか。違うよなあ……。
精石以外、バズィリシェクから回収した素材は所持品の中に無い。
はて……。
私は素材を一体全体どこにやった。
丸々紛失した?
失敗続きの私といえど、そこまで酷くやらかすとは思えない。
闇オークションでは売却しておらず、それなのに所持品の中にも無い。マルティナやナラツィオの身体を介して行った売買や譲渡の記憶を探っても、バズィリシェクに関連した物品はどこにも出てこない。
……えぇー。こんなこと、ある?
あまりにも何も思い出せないので、もう一度、最初から念入りに流れを振り返る決意を固める。
経験上、記憶を局所的に思い出すのは難しい。ヒトの記憶は点での想起に向いていない。
点で無理ならどうするか。
そう、線で想起すればいい。
先日ラムサスが私にダサい二つ名を半強制的に思い出させた連想法の要領だ。
私は最初も最初、バズィリシェクを見つけ出そうとナフツェマフの外で悪戦苦闘していた場面を思い浮かべる。
あの日、私は石化の呪いを回避して、彼の魔物を倒すべく、空から蚤取り眼でナフツェマフの街中を観察していた。
標的を捜索する目であり、標的をおびき出す囮でもある傀儡のステラを私は操作し……。
ん、ステラを囮?
いくらでも補充の利く虫の傀儡ではないのだ。そんな使い方をするはずがない。そもそもあの時、ステラはパーティーに居ただろうか。
……居たな。ステラが我々と合流したのはイオスと会った時だ。バズィリシェク討伐時、ステラは確実にパーティーに居た。
バズィリシェクを探すために空に浮かべる目はバズィリシェクから呪いを食らう危険性がある。つまり空の目は捨て駒が前提となる。
私はステラを手元に置き、ステラの代わりになる空の目を探し求めた。
バズィリシェクは、討伐対象としてはかなりの大物、それを釣り出すには囮にもそれなりの大きさが求められる。あの辺りに生息していて、かつ手頃な大きさの飛行する魔物となると氷の翼が候補に挙がる。
できればルドスクシュを生け捕りにして生者の状態で使いたい。ところが、捕らえる過程で負わせてしまう損傷を再飛行可能な程度に抑えるのが私の技量では難しい。そこで、やむを得ず捕らえた個体をアンデッド化してから用いた。
ルドスクシュアンデッドをいざ空に浮かべて私は思案する。
捨て駒前提で確保したとはいえ、これだけ入手に苦労したのだ。単回の使用で失うのは惜しい。ここは先手必勝、バズィリシェクから呪いをかけられる前にこちらから攻撃し、傀儡を失う前に討伐したい。
ところが残念、ルドスクシュアンデッドはバズィリシェクに見つかり呆気なく先手を取られてしまう。
アンデッド化から間もないがゆえに魔法抵抗があまり高くないせいか、ルドスクシュアンデッドはバズィリシェクに魅了魔法をかけられて街の中へ引き寄せられる。
支配魔法の強制力は魅了魔法を上回るため、抗おうと思えば抗える。だが、元より囮にする目的で飛ばしている傀儡だ。吝嗇から討伐失敗でもしてみろ。怒涛の後悔に襲われるのは必至だ。
私は手足に加わったばかりの傀儡に心中で決別を告げる。
魅了魔法に従うかたちでルドスクシュアンデッドを更に街に近付けるとまたひとつ新たな力が作用し、まるで疲れ果てた生者かのようにルドスクシュアンデッドの身体が重くなる。
疲れを知らないアンデッドの肉体には起こるはずのない、この謎の身体の重さは石化の呪いによって引き起こされたものだ。こちらはまだバズィリシェクを見つけられてすらいないのに、バズィリシェクはこちらにいくつも手を繰り出している。
魅了魔法と呪い、二つの力で身体の自由がかなり奪われたルドスクシュアンデッドは墜落さながらの危険な着地でナフツェマフに降りる。
すると、ようやくバズィリシェクが姿を見せる。建物と完全に一体化していた彼の魔物は鮮やかに体毛の色調を変化させながら身動きの取れない獲物に接近し、バックリと開けた口から伸びる舌を荒々しく突き立てる。おそらくは神経毒を撃ち込んだのだろう。
魔法、呪い、毒。
三重の拘束により動けなくなった哀れな獲物をバズィリシェクが体内に取り込み始める。大きく開いた口でルドスクシュアンデッドをぐいぐいと飲み込んでいく……が、大きさが大きさだけに完全に飲み込むにはかなり時間がかかりそうだ。
ルドスクシュアンデッドの身体には事前に毒の担ぎ手を仕込んである。担体役を務めるのは何でもできるいつもの便利屋、光り油虫だ。
シフィエトカラルフはバズィリシェクの消化管奥深くを目指して自ら進み、毒と一緒に消化、吸収されていく。
小さな運び手たちに託したのは植物毒、鉱毒、化学毒の大きく三種類で、それらのどれか、あるいはいくつか、又は全てが見事に奏効し、バズィリシェクは嚥下半ばにして建物の屋根上に強張った身体を晒す。
バズィリシェクは毒の影響で自由に身動きが取れない。では、その状態だと魔法や呪い等の特殊能力を絶対に行使できないかと問われると私は返答に窮する。
慎重を期した止めの刺し方ときたらベネリカッターによる長距離狙撃にかぎる。
ジャイアントアイスオーガ戦での失敗を教訓に、私はミニベネリの威力を慎重に調整する。
威力が強すぎるとジャイアントアイスオーガと同様、素材の回収が難しくなる。街の構造物に与えてしまう被害も最小限に抑えたい。かといって『一撃で仕留められなければ、二度でも三度でも撃てばいい』という悠長な姿勢でやっていると、いつバズィリシェクが毒から回復するとも分からない。
一撃で確実に生命を刈り取る最小限の威力で魔法を撃つ。
我ながら割り切りや取捨選択ができていない、欲張った目標設定だ。
もう少し強く……やはり弱く……と迷いに迷った末に放ったミニベネリは教会の屋根と後方の建物何棟かに被害を与えながらも、バズィリシェクの頭部の大半を消し飛ばして目的を達成する。
首から先を喪失した程度だと即死しない生物はいる。しかし、バズィリシェクは確実に死んだ。
アンデッドの目は生命の弁別力が高い。バズィリシェクの身体からは間違いなく生命の火が消えている。
バズィリシェクが体毛色変化による迷彩能力のみならず偽装魔法まで使いこなす技巧派の魔物で、グレータのように死を偽装していたのなら話は別として、そうでもないかぎり私が対象の生死を誤認するとは考えにくい。
[*グレータ――スターシャがクローシェに貸し出していた従者。主人公とはロギシーンで交戦]
バズィリシェクの死を確かめた私は後作業に着手する。
毒を放置すると周辺環境が汚染される。また、死んでいようと生きていようと毒はしばらく筋肉に作用し続ける。
生きた傀儡に後作業を担当させるのは毒の被曝及び作業継続性の面から無理があるため、あらかじめ捕らえてアンデッド化しておいたゴブリンたちを作業に当たらせる。ただでさえヒトに比べて手指巧緻性の低いゴブリン、しかもアンデッド化しているものだから巧緻性は更に下がっている。加えてバズィリシェクの身体は毒で硬くなっていて動かしにくい。
作業効率が上がらずとも、それでもどうにかこうにか無毒化処理と解体作業を並行して進めていく。
解体作業において何を差し置いても優先すべきは精石の回収だ。
身体を大きく切り開いて引っ張り出した精石は怪しい輝きを放ち、傀儡の瞳越しに私を魅する。
しばし精石の美しさを堪能した私はさらに他の素材も回収しようと試みるが、ここで邪魔が入る。
スヴィンボアの大物ビェルデュマ討伐後に別れた特別討伐隊が遅れてこの地にやってきたのだ。
視認できるのは斥候だけだが付近に特別討伐隊の歩みを妨げる脅威は存在しない。つまり本隊はすぐにナフツェマフまで辿り着く。
ぎりぎりまで粘って素材を回収するのも手ではあるが、欲をかいて損するのは自分だ。
私は精石以外の回収を諦め、解体半ばのバズィリシェクの死体を大急ぎで地中に埋めて、ナフツェマフを後にした。
◇◇
こうやって振り返ってみて思うに、やはりバズィリシェクは確実に討伐した。しかしながら、考え漏らしていた点がいくつもある。
これは参ったな……。
己の不始末を苦々しく思いながら、長らく待たせてしまったラムサスに私は回答する。
「我々はバズィリシェクに完全な死を与えました。しかし……」
説明を助けるバズィリシェク像を二つ土魔法で作ってラムサスに渡す。
「完璧な討伐はできていませんでした」
像のひとつは以前、ラムサスがバズィリシェクを見たがった際に作ってやったのと同じものだ。被毒していない、魔法攻撃も受けていない、無傷のバズィリシェクである。
そして、もうひとつは中途半端に解体した、地中に埋める直前のバズィリシェクだ。
ラムサスは初めて見る像を見て困惑しながら言う。
「どうしてこんな……。頭部が完全に離断されていない。一部がまだ首と繋がっている。これだとまだ生きていても不思議はない」
バズィリシェクの頭部損傷に限って考えると、それだけで致死的と言えるかどうか微妙なところだ。
上顎や鼻部、眼球の片方は魔法で消し飛んだ。もう片方の眼は眼窩から脱転してブラリと垂れ下がっているものの、破裂はせずに眼球としての形状を留めている。眼球より更に胴体側に位置する間脳や延髄はほぼ原型を留めているはずだ。
頭部外傷により脳を損傷しても脳幹が無事だと場合によっては短期間、生命を維持する個体がでてくる。外部からの補助が加わると、月や年の単位で生存した実例もある。
「繰り返しますがバズィリシェクは確実に死にました。ただし、死因が『頭部損傷による即死』ではなかった可能性があります」
頭部損傷によって即死したのであれば、それがそのまま申し分ないアンチアンデッド化処理になる。
ベネリカッターを当てた後にバズィリシェクの死亡を確認した私は『バズィリシェクの死因は頭部損傷である』と安易に判断し、それ以上は特に考察しなかった。
「私はあの時、毒を使ってバズィリシェクを行動不能にしました。もしかしたらそちらが真の死因になったのかもしれません」
「それがあなたの言っていた『全く別の危険』か……」
当時は『環境汚染』や『解体者を冒す脅威』という意味で放った言葉だが、皮肉にも今になって全く異なる意味を持っている。
今、思えば頭部の破壊は不十分だった。こうした場合、アンデッド化を防ぐ魔法バニシュを死体にかけるか、頭部を胴体から切り離しておく必要がある。
私はそのどちらもしなかった。地中に埋めたバズィリシェクがアンデッド化を果たして地上に這い出てきたとしてもなんら不思議はない。
解体途中で死体を埋めてしまったのがほとほと悔やまれる。死因が何であろうと、解体さえ完遂していれば、その過程で頭部は離断されるため、アンデッド化のおそれは自然に消滅していた。
特別討伐隊との間で面倒が起きるのを嫌って解体を諦めたのは理性的な判断だと当時は自賛していたが、理性的どころか、あまりにも愚かで怠惰な選択だった。
怠けた報いが今になって何倍いや、何十倍もの面倒になって返ってきた。
「我々が一時期モブバズィリシェクの名で呼んでいた謎の魔物、そして今、王都を脅かしている石化の魔物は十中八九、満足なアンチアンデッド化処理を受けていないバズィリシェクの死体が転化したもの、バズィリシェクアンデッドなのだと思います」
「そう……」
現場を見ず、安楽椅子に座したまま真相を究明して犯人を突き止めたラムサスは私の罪を糾弾せず、憮然として再び二つのバズィリシェク像に目を落とす。
アンデッドを起源に持つ私ではあるが、自分で記憶しているかぎり、アンチアンデッド化処理に関連した問題を起こしたことはただの一度もない。そんな私が初めて起こした問題がバズィリシェクアンデッドときた。この先どれだけ時間が経とうとも笑い話には決してできない、あるまじき失態だ。
「バズィリシェクアンデッドは私たちが倒さないといけない。他の誰か任せにはせず、必ず私たちが……」
おそらくラムサスは言外に『アーチボルクへ行くより先にバズィリシェクアンデッドを倒せ』と主張している。
主張はきっと正しい。情報魔法使いは大局的見地から常に正解を導きだし、私に教えてくれる。
けれども愚かな私は正解を選べない。分かっていながら間違える。何度も、何度も。
「あなたの主張に全面的に同意します。でも……どうか、それ以上は言わないでください」
私が大森林の四柱を討ったのはマディオフという国を存続させるためで、マディオフの存続を願ったのは家族を守るために他ならない。
国を守るため、家族を守るために駆けずり回った結果、逆に国を窮地に追い込むとは何たる皮肉……。
三大都市のひとつロギシーンがユニティに奪われ、ひとつアーチボルクが行き交い不能となってしまっては国が立ち行かなくなって当然だ。先日、夜の検問で閲覧した情報が想像を超えて悲惨だったのはバズィリシェクアンデッドのせいで、延いては我々のせいだ。
残る三大都市のひとつソリゴルイスクと王都の接続が保たれているのは自分の目で確認済みではあるが、ソリゴルイスクの内情は未確認だ。いずれはこちらも目を通さねばなるまい。
もう、腹立たしいやら情けないやら悔しいやらでグワングワンと目眩がする。
苦悩する私の横で、バズィリシェクアンデッドがいるであろう南の方角をラムサスが見遣る。
人の良いラムサスのこと、そこに私を責めたり責付いたりする意図はないだろう。
しかし、私に自責の念があるがゆえに、他意のないラムサスの行動一つひとつに脅えてしまう。
自分の不始末は自分で片付ける。バズィリシェクアンデッドはちかく必ず討つ。
だが、今ではない。バズィリシェクアンデッド討伐は喫緊の課題ではあるが、それ以上の焦眉の急が私にはある。
キーラの……母の無事さえ確かめられさえすれば心に一定の余裕が生まれる。焦りは消え、以後の目標達成率が大きく向上するのは間違いない。
だから、これは逃げではない。現実逃避ではなく、現実に向き合うために必要な準備期間だ。
苦言を飲み込み苦い顔を浮かべる軍略コンサルトに心の中で何度も言い訳しながら、私は直走る。




