第七八話 ワイルドハント 二
えっと……この場合の『負け』はどういう意味で解釈するのが適当だろう。
話が長引くあまりに私自身、焦点がずれてきているように感じる。
こういう場合は基本に立ち返るといい。
今、行っているのは『我々リリーバーが札遊技中に不正していたかどうか』の判定作業だ。
我々は『不正無し』の判定を得たい。
逆にジャックは『不正有り』の判定を得たい。
本来こういった判定作業は事実や根拠を丁寧に列挙したうえで慎重に検討するべきものだというのに、ジャックは暗黙の了解を破って強引に『不正有り』の判定を得ようとした。
力ずくを選んだジャックに我々は力と機知の両方で応じてジャックの友情票を消し飛ばした。
まだ遊技場に残っているジャックの友人たちも、よもやこの状況で手は挙げまい。
我々の不正疑惑が晴れるのは確定的となった。
ジャックも我々も『二度目の挙手を行うまでもなく、判定結果は明らかだ』と思っている。
つまり、ジャックは『不正無し』をやっと認めたのだ。
それをそのまま言えばいいだけなのに、勝っただの負けただの、語弊のある言い回しをするから無用の混乱を招く。
「確認します、ジャックさん。あなたの言う『負け』とは、『我々リリーバーが不正していないと認める』という意味で間違いないでしょうか」
「ああ」
「然様ですか……。では、長くかかりましたがやっと話を先へ進められます。改めまして、あなたへ与える罰の内容……具体的には何点の罰点にするか決めましょう」
「要らん。俺の負けだと言っただろう」
ん? ん? ん?
なんで要らないの?
どういうこと?
……ひょっとして、ジャックの言う『負け』とは『我々にかけた嫌疑の判定云々』ではなく『札遊技の投了』を意味しているのだろうか。
まさかとは思うが……ジャックから漂う悲壮な雰囲気からして、そのまさかな気がする。
なんだかなあ……。
勝つために打つ手が強引なら、諦め方も随分とまた独り善がりで分かりにくい。
そもそも、この札遊技に投了という終わり方は存在しない。
ドボン制を採用している対局で誰かの持ち点が負の値になった場合の途中終了が認められている程度で、基本的に途中降参という概念がない。
例外的に投了を認めたとしても、確定するのはジャックとクローシェ間の勝敗だけで、テンゼルとクローシェ間の勝敗はまだ着いていない。
「……それも確認させてください。あなたはこの対局で私に負けたと認める。そういうことでいいですね」
「ああ」
「では、後は私とテンゼル間の決着をつけるだけですので、札遊技に戻って続きを――」
「そんなもん、今更やるかよ」
ジャックとクローシェの遣り取りを見守っていたテンゼルが大げさに参ったの姿勢を作る。
「テンゼル。体よく勝ち逃げしようという肚ではないでしょうね」
「ばーか。負けだ、負け。ジャックも、俺も、お前たちに負けたと言っている」
テンゼルまで投了してしまい、なし崩し的に決着がついてしまう。
こうなると私としても、もう途方に暮れるしかない。
ジャックに勝ち、テンゼルにも勝った。しかし、私にとって二人に勝つのは当たり前の大前提でしかない。
ジャックが矮石化蛇を喚んだせいで付随して発生したその他いくつもの“勝利条件”がまるで達成できないまま対局が終わってしまったのだ。私でなくとも途方に暮れるだろう。
どいつもこいつも狙いすましたかのように私の配慮を台無しにしてくれてからに……。
……。
こんなことに憤慨していても得られるものはない。時計の針を進めよう。
「遊技に学びに脱着可能なヒトの四肢にと、とても見所の多い、愉しい時間でした。ここから先、同席が許可されるのは関係者に限られます。それ以外の方はどうぞお引き取りください。愉しい時間の後には魔が潜むと言われています。くれぐれも、お気をつけて」
我々は極めて分かりやすく退室を促したというのに、どういうわけか誰も遊技場から出ていこうとしない。
退室拒否の元凶は、椅子に座ったまま動こうとしない骨座ヴォルフだ。こいつが帰る素振りのひとつも見せないことには、矮石化蛇の配下たちはもとより、溢れ者たちも帰るに帰れない。
骨座が声を荒らげずに雰囲気だけで凄む。
「クローシェ。お前はそれで話が済むと思っているのか」
私の考えすぎかもしれないが、骨座は凄んでいる割にどこか億劫そうにも見える。
「俺たちの目の前でさんざん好き放題やって怪我人まで出して、無事に帰れるとでも思ってんのか」
「そういう目的で催された時間ではありませんが、せっかく時間と空間を共有したのです。皆さんを満足させられるものが見せられぬまま幕引きとなってしまい、我々としても残念に思います」
こちらが本心を吐露すると、ヴォルフは盛大に舌打ちして考え込む。
配下たちは骨座が態度を決めるのを待つのみ……のはずなのだが、一部、我々に対して嫌悪を顕にする者がいる。
上位者たる骨座が方針を示す前に下位者が個人的感情を出しているという事実に私は強烈な違和を感じる。
「サイラス」
遊技場に姿を見せてジャックと二言三言話して以降ずっと口を閉ざしたままのサイラスに骨座が問う。
「さっきの剣をどう思った」
骨座の質問に真っ先に反応したのが問われたサイラスではなく小妖精なのは、ある意味で見慣れた光景だ。
サイラスはクローシェを冷ややかに一瞥し、スンと鼻息を吐く。
「典型的な弱者の剣だ。いつでも倒せる」
サイラスの返答にも小妖精が反応を示す。
嘘を拾い上げるときとは微妙に様子が違う。少なくともサイラスは嘘をついていない。強がっているわけでもなさそうだ。
「そうか。俺と同感だな」
ヴォルフは大きく溜め息を衝いてから徐に立ち上がり、我々に背を向ける。
「おい」
はたして骨座が命じるのは殲滅か、それとも……。
遊技場の緊張度合いが一気に高まる。
「帰るぞ」
骨座が足早に歩き出し、配下たちもそれに続く。
どうやら衝突は避けられたようだ。
戦闘が起こらないと分かり、溢れ者たちの間に広がるのは概ねが安堵だ。しかしながら、去り行く矮石化蛇の背中に否定的な視線を向ける者が少数名いる。
「くそっ……。なんで今日はロイドが来てないんだよ……」
未練がましいバカはどこまでも失言を重ねる。
そうか。そういうことか。
だからサイラスは『いつでも倒せる』と言ったのだな。
どうする?
今ならまだ間に合う。
私は今だけでなく将来的にも矮石化蛇と事を構えるつもりはなかった。だが、もし衝突が不可避だとするならば、そのロイドとやらがいない今は絶好機とも言える。
サイラスの正確な戦闘力は不明ながら、他に強者はいない。
今なら戦って倒せる公算が大きい。
ただ、将来的な衝突可能性を私は量りかねている。
骨座は多分……。
「ヴォルフさん」
可能性を少しでも下げるべく、骨座の姿が見えなくなる前に一言添える。
「機会があれば、今日このような幕引きとなってしまった埋め合わせをしようと思います」
骨座はこちらこそ向かないものの、足を止めて首を左右に振る。
「どうも勘違いしているようだから言っておく。貸しは俺の好きな時に俺の好きな方法で取り立てる。お前らの方から進んでどうこうして丸く収められると思ったら大間違いだ」
それだけ言うと、骨座は階下へ消えていった。
骨座に対してはひとまずこれで十分だ。
あとは骨座以外の構成員にひとつだけ聞いておきたい。
「そこのあなた。あともう少しだけ時間をください」
最後尾を固める矮石化蛇の構成員は、クローシェの呼び止めを無視してその場から立ち去ろうとする。
しかし、階下から「遅れてもいいぞ」と許可の名を借りた事実上の指示が下り、不承不承といった様子で足を止める。
横目でこちらを睨みつける、外見年齢の比較的若い構成員に私は尋ねる。
「あなた。“二つの居館”や“水牢問題”は経験がありませんね」
その構成員は私の質問の意味が分からないようだ。視線に困惑の色がほんの僅かに混じっている。
たとえ矮石化蛇に加入してからの年数が短かったとしても、初耳の固有単語をたった二つ聞かされた程度で動揺を表に出すとは、矮石化蛇の構成員とは思えぬ失態だ。
「訳の分からない質問で足止めしてしまい申し訳ありません。他にあなたに聞きたいことはありませんので、もう行っても構いません」
若い構成員は腑に落ちない顔で足早にその場から去って行く。
矮石化蛇が遊技場から全員いなくなり、残った者たちにも退室を促す。
「さあ、皆さんも出ていってください。ただし、そこのあなただけは残ってください」
「え、俺ぇ!?」
単独指名されたのっぺりした顔の面長男は両手をブンブンと振って拒絶の意思を示す。
「そう言わずに。残って手を貸してくれたら、何かお礼があるかもしれませんよ」
「え、お礼ぇ!? もしかして、借金を減らしてもらえる?」
面長男はチラリとジャックの顔色を窺う。
こいつ……ジャックと懇意にしている人間かと思ったら、そうではなくてジャックから金を借りている債務者だったのか。
「ふふん。それならそうと最初から言ってくれよ」
誰からも何も確約されていないのに、面長男は勝手に期待を膨らませて遊技場に残ることを決めた。
バカはバカでも、扱いやすいバカで助かった。
こればかりは話してみないと分からないからな……。
不要者を排除して広くなった遊技場で我々はタージなる名前の男の治療に取り掛かる。
行うのは切断肢の接合術だ。
治療中に妙な気を起こされても面倒なため、氷縛魔法で予め身体を拘束しておき安全を確保する。
切断肢の合計が十数本程度であれば少々時間をかけてでも全部繋げるつもりでいたから、対象者がひとりだけ、かつ患肢が一本だけならなんてことは無い。
マルティナから学んだ技術を本当の意味で自分のものにするためにも気合を入れて取り組む。
治療を眺めるテンゼルが皮肉めいた調子で言う。
「その変装魔法を解いて、生者を治療するアンデッドの絵面を見せてやったほうが、骨座を愉しませる娯楽としてはよっぽど相応しかったんじゃないのかねえ」
やはりテンゼルは我々が何を目的として、あのような真似に出たのか分かっていた。
いや、テンゼルだけではない。おそらくは骨座も我々の狙いに気付いていた。
我々がヴォルフに与えた印象は多分そう悪いものではない。しかしながら、ヴォルフにも上に立つ者としての立場があり、だから、あの場ではああいう態度を取るしかなかった。
振り返って考えると、そういうことなのだと思う。
事前の想定ほど骨座への見世物として盛り上がらなかったのは、単純に私に興行師としての適性がなかったからだ。
最近の矮石化蛇が組織に入るための試験を大幅に緩和していた点も全くの予想外、完全なる誤算だった。若い構成員に限って言えば、「前」の私がいた頃とは別物、甘さの残る奴らが多いのだろう。
時代の流れというものを否応なしに感じさせる、印象深い一幕だった。
「そうかもしれません。しかし、過ぎた話です」
ぽつりぽつりと雑談しながら、骨を合わせて腱を繋ぎ、血管を吻合し、神経を縫合する。
運動神経と感覚神経、両方の機能を確かめて再び腕として使い物になることを確かめたら接合術は一応完了だ。
聖女の操る欠損修復と比較すると、治療後、時間が経ってからの完成度が格段に劣るのは間違いない。だが、治療から日が浅い時期における実用度の面では接合術に軍配が上がるだろう。
氷縛魔法から解放されたタージは、冷えた身体を温めるより先に、繋がった腕の具合を確かめるべく、あれこれと腕を動かす。
「治療はあくまでも一応の完了であって完全な完了ではありません。あまり焦って動かしても患部には良くありませんので、気長に考えてください」
忠告されてもタージは繋がったばかりの手をしきりに動かす。腕を取り戻した喜びを隠しきれずにいるタージの様子に、私は一定の満足感を得る。
喜んでいると言ってもタージは別に我々に感謝などしていない。我々が斬って、我々が繋げたのだから感謝しないのは当然だ。
それでも、こうやって喜んでいる姿を見ると、接合を念頭に置き、後で繋げやすいように繊細な斬り方をした詮があったと思う。
「さあ、もうお帰りなさい、タージさん。帰宅後に飲む薬を渡しておくので服用を忘れないようにしてください。これが化膿を防ぐ飲む消毒薬で、こっちは繋いだ腕の壊死を防ぐ薬、それでこれが増血剤で、ついでに痛み止めと胃薬も出しておきましょう。薬だけでなく食事も普段以上にしっかり摂らないと治りが悪くなりますから注意してください」
薬の効能や用法など細かい部分を説明しながら、適度な大きさのずた袋に全てを詰め、アホ面で立つ面長男に渡す。
「えっ? 俺が持つの?」
「あなたを残したのはタージさんを家まで安全に送り届けさせるためなのですから、当然でしょう」
「要らん。ひとりで帰れる」
タージは、これ以上の誰の世話にもならん、と言って颯爽と立ち去ろうとするものの、血をそれなりの量失っているうえに身体が冷えに冷えているから、すぐにフラついてその場に蹲ってしまう。
「ほうら、見たことですか。強がるのは体力が十分に戻ってからにしなさいな」
面長男がしゃがむ男の傍に寄り、二言三言交わしてから背中を貸す。
背負った瞬間、タージの身体があまりにも冷たくて面長男が「ひゃううぅん!」と女のような声を上げたのがなんとも私を不快な気分にする。
「うひー、冷たい……。でも、俺が責任を持って送り届ける! ……で、それが終わったら、俺はここに戻ってくればいいんだよな?」
愚かな面長男は我々から礼があると思っているらしい。
めでたい奴だ。いつ我々がお前に礼をすると言った。
もし礼があるとすれば、それはタージからあるのであって、我々からは無い。
そんなに礼が欲しいなら、自分でタージに請求してくれ。
「あなたがここに戻ってきたら、我々はあなたの四肢を斬り落とします。タージさんと違って、あなたの四肢を繋ぎ直す気はありませんので、覚悟しておきなさい」
面長男は「よくも騙してくれたな! 覚えてろよ!」とお手本のような捨て台詞を吐きながらも、ちゃんとタージとずた袋を背負ってスワバを後にした。
正真正銘、部外者が全員いなくなって、さあ、仕事の話をしようと思ったところで、ジャックが言う。
「大森林の四柱すら狩れて、噂に違わぬ治癒師の能力があって、それでどうして金策紛いの賭け遊技なんて持ちかけるかね、このワイルドハントは……」
ジャックが浮かべる乾いた笑いがこちらに伝えるのは、金欠の我々に対する嘲りではなく、そういう情けない我々に金を貸そうとして大損したことへの自嘲だ。
「ヴォルフの台詞になぞらえるわけではないが、薬九層倍のつもりでタージの腕を治したり色々と渡してやったりしたのだとしたら甚だ甘い考えだ。矮石化蛇の覚えは原価分すらも良くはならん」
[薬九層倍――薬の値は原価に比べて非常に高いこと。また暴利をむさぼることのたとえ]
この期に及んでジャックはまだ我々の行動の真意を理解していない。
ヴォルフやテンゼルが気付いているくらいだ。金貸しの世界で生き残り、矮石化蛇の骨座を呼び出せるくらい存在感を発揮しているジャックが、真意に気付けぬ道理はない。
平常時のジャックはまず間違いなく常人より遙かに高い洞察力がある。ところが賭けの当事者になったせいでジャックの目は曇りに曇ってしまい、しかも、賭けが終わった今もまだ、曇りが晴れていない。
これが勝負事の恐ろしさだ。
「ご心配なく。そんな期待は全くしていません」
私が“話し合い”を選んだ理由、タージの腕を治した理由、いずれもジャックのためだ。もちろん、長い目で見れば因果が巡り巡って私に好ましい結果をもたらすと睨んだうえでの行動ではあるが、ごく短期的視点で物事を考えた場合、特に“話し合い”はジャックの身の安全を守る要と言って差し支えない。
サイラスがスワバに姿を見せた時から、私はどうやってジャックの安全を確保したものか、ずっと考えていた。
サイラスの少し後に現れた骨座は案の定『面白いものが見られなかったら、ただではおかない』と脅迫めいた言葉を発した。
この発言はもちろんジャックに向けられたものではあるが、真の意味で困らされたのはジャックではなく私だ。
私がジャックに勝利するのは、どうあっても譲れない絶対条件である以上、私はジャックを負かし、かつ骨座の鑑賞に堪える見世物を甘味付きで披露しなければならない。
私が見世物の中で発した『ジャックがいかにして責任を取るのか見届けるのも一興かもしれん』という言葉は、それなりに私の本音を含んでいる。
一切合切を放り投げ、矮石化蛇から詰められるジャックを穏やかな心持ちで眺めていたい。
そういう願望が少なからず私の思考を占有していたのは偽らざる事実だ。
状況さえ許してくれたなら、テンゼルのように、私も思い切り溜め息を衝きたい気分だった。
怠け心に鞭を打ち、前向きな心をかき集めて話を進めようと試みると、ジャックは概ね私の期待に沿った言動をしてくれる。しかしながら、溢れ者たちが、あってはならない失言と失敗を繰り返してイチイチ私を冷や冷やさせる。
元より賢さに期待していなかったとはいえ、度を越す失敗をされるのはまずい。せっかく考えた私の計画が台無しになってしまう。
ラムサスはラムサスで発揮しなくていい負けず嫌いな性格をこれでもかと言わんばかりに発揮して私を困らせる。
ただ、常識外れの札力を遺憾なく発揮するラムサスによって卓が完全に支配されても、骨座は苛立つ様子も退屈する様子も見せなかった。
表情豊かな人物ではないのかもしれないが、札遊技が始まる前の言動から考えても、怒りや苛立ちといった陰性感情を表に出さずにじっと辛抱する性質ではないのは明らかだ。
骨座を楽しませるという目的からすると、私が最初に思い描いていた『抜きつ抜かれつの手に汗握る接戦』ではなく『ラムサス蹂躙劇』を披露したのは、結果的に良かったのかもしれない。
タージの腕を斬り落としたのも、劇の一場面に過ぎない。四肢離断によりジャックの我々に対する感情は一時的に著しく悪化するだろうが、劇の終了後に治しておけば、完全とまではいかずとも、ある程度は確実に悪感情が緩和する。
溢れ者たちはどこまでもジャックの友人であって、矮石化蛇にとっては何でもない、どうでもいい存在だ。
そういう、どうでもいい存在の四肢を何本、斬り落とそうが、事後に繋げようが、矮石化蛇の我々に対する評価はそう大きく上下動しない。
これでもし我々が矮石化蛇の構成員に手を出した日にはとんでもないことになっていただろう。停戦が絶対にありえない、どちらかが完全に滅びるまで続く不毛な争いの幕開けだ。
何はともあれ争いは回避できた。現時点での総括として、私の披露した劇は骨座やテンゼルにとって茶番だったかもしれない。しかしながら、矮石化蛇の意識をジャックからこちらに向けさせることには間違いなく成功した。今日明日ジャックが矮石化蛇からどうこうされる心配はせずに済む。
我々はテンゼルの友人たるジャックを守り、テンゼルとの関係構築に向けた足掛かりを作った。
テベス不在時に頼る手配師としてテンゼルを絶対視すべき確たる理由は無い。けれども、テンゼルが矮石化蛇の連中に一度も媚びる姿勢を見せなかったことから考えても、テンゼルがこの世界においてそれなりに強固な立ち位置を確保しているのは明白だ。
テンゼルと良い関係を持っておいて損はない。
もっとも、テンゼルの立ち位置が手配師として築いたものかどうかは何とも言えないため、そのあたりは今後明らかにすべき課題である。
「邪魔者がようやく失せ、場は整いました。しようと思えばいくらでもできてしまう雑談はこれくらいにして本題に入りましょう。テンゼル。我々はあなたに契約の履行を望みます」
テンゼルは仕事の話を切り出されても居住まいを正すでもなく、それどころか寝長椅子に身を投げ出す。仕事に取り組む手配師のあるべき姿からはかけ離れているが、これがテンゼルなりの手配師業への向き合い方なのだろうと自分を納得させる。
「我々が求めている情報のひとつはマディオフの近況です。食料事情、経済動向、魔物の分布変化など覚えておくべきフィールドの変化、ハンターの配置、軍の戦略から作戦まで、あなたの知る、ありとあらゆる情報を提供してください。他、マディオフの王族や王族が秘する能力関連の情報、ゴルティアを含めた諸外国の動き、天体の知識なども、知っているならば、是非教えてください」
「随分と欲張って聞くもんだ」
「これでもかなり厳選しています。ああ、それから我々は人も探しているのでした」
「ふははっ」
当然のように同席しているジャックが嫌味に笑う。
「探されたほうは堪まったもんじゃねえな。誰がお前らなんかと好き好んで会いたいと思う」
「我々にとって必要だから会うのです。先方の意思は関係ありません」
「おーおー、このワイルドハント様は大層、自分本位なこって」
律儀に相手しているとジャックはどこまでも噛みついてきそうだ。
ジャックの悪態には付き合うのもそこそこに、テンゼルへの質問に戻る。
「ムルーシュという人物に心当たりはありませんか」
「……」
テンゼルは即答せずに沈黙を守る。
横のジャックは、我々に見られているわけでもないのにほんの少し目を泳がせる。
この反応……二人ともムルーシュを知っている。
これでクローシェやシーワが分かりやすくジャックの表情を観察していればジャックも視線を泳がせなかったのだろうが、あいにく私はそういう分かりやすい目ばかりでなく、視線感知の技能持ちにも気付かれずに視覚情報を得られる、他者から気付かれにくい微小な目を持っている。
ジャックの視線がブレたのは、誰にも見られていないと思って油断したからこそだ。
「大量の質問に答える前に、情報料についてちゃんと決めておこうや」
勿体を付けるテンゼルに小妖精が反応する。
ラムサスからの合図を待たず、私は私なりに小妖精が何に反応したのか推測する。
嘘を感知した反応とは違うように思う。テンゼルがやっているのは時間稼ぎ……いや、違うな。
……誰かと何かを最終確認しようとしている?
テンゼル視点からすると、この場に確認を取る相手はジャックしかいない。
ん? それなら、つまり……。
「そんだけ聞いて、後になって『やっぱり払えません』は無しだぞ」
「もちろん承知しています」
答えを早く知りたくて気も漫ろな私は、形式張るばかりで中身の乏しい情報料の確認に、はい、はい、と生返事を繰り返す。
有事前の金銭感覚が抜けきっていない身からすると信じがたいほどの高額ではあるが、現在の金銭価値に照らし合わせると妥当だ。適正価格の提示はテンゼルの手配師としての実力をある程度、証明している。
どれかを聞いてどれかを諦めるという選択肢は我々には無い。聞けるものは全て聞く。額は高いが、金の工面に専念する期間を少し設ければ十分に返済可能だ。
昨日、今日とテベスがいない寄せ場に参詣したのも案外、無駄になっていない。あのお参りがなければ現在のワーカーやハンターが獲得できる報酬が分からず、テンゼルへの返答に迷うところだった。
「金に糸目をつけるつもりはありません。繰り返します。あなたが知るかぎりの情報を全て教えてください」
「そうかい。じゃあ、最初に何を教えようか」
テンゼルは思案顔で頬杖をつき、空いたもう片方の手で妙な形を作る。
手掌を上方へ向けて母指から環視までの四指を丸め、なぜか小指だけがピンと伸びている。
小指が伸びる先にいるのは……。
ああ、やはりか。
「あなたがムルーシュさんだったのですね……」
ジャックとテンゼルは、してやったりとばかりにケタケタと笑う。
ムルーシュが古代語で意味するのは『霜』や『厳しい冷え込み』だ。
ジャック・ムルーシュ……ふざけた名前だ。童話やお伽噺に出てくる具象化された冬季の寒冷、『冬将軍』とか現代風に言うなら『ジャック・フロスト』のことではないか。
「テンゼルとジャックさんはいつも連んでいるのでしょうか」
二人の関係性への問われたジャックが嫌悪感を顔に出す。
「なんだ、その気色の悪い表現は。たまたま行き付けの店が同じだった。その程度だ」
「そりゃそれで語弊がある説明だがな」
二人は二人にしか分からない説明と補足をしただけで納得し、部外者に分かるように話そうという気がない。
二人が色のある間柄だろうと、金や利害だけで繋がった仲だろうと、私にはどうだっていい。
私にとって重要なのは二人が共有する時間の長さだ。
私は、ロギシーンを発つ日にジャレットから託された伝言を思い出す。
『ワーカーパーティー、リリーバー。その者の前にムルーシュはいる』
我々は日雇い労働者でテンゼルは手配師……つまり我々が王都で『その者』の探索に本腰を入れれば高確率かつ短い日数でテンゼルに行き着く。
一方、あの場で我々と同様に伝言を聞いていた人間たちがロギシーンに身を置いたまま謎解きにどれだけ勤しんだとしても、テンゼルにはたどり着けない。
王都まで来て、思考回路をワーカーのものに切り替えなければ、うらぶれた場所で朝っぱらから飲んでいる……テンゼルはアルコールを摂取していないが、とにかくこんな手配師崩れは見つけようがない。
テンゼルが『その者』なのは、ほぼ確定している。ただし、完全確定とはまだ見做せない。現状、ユニティに急ぎの用事はないから、後日折を見て能力を使い最終確認しよう。
それにしても、ドレーナがユニティの仕込んだ密偵だったとは……。
スターシャたちはゼトラケインから独立したロレアルの人間で、ゼトラケインにはドレーナがいくらでもいるのだから、妙な話とまでは言えないが、それでも『テンゼル』という名前の由来や、『テンゼルがいつからマディオフで活動しているのか』等、気になる部分はいくらでもある。
推理に没頭しかけた私にジャックが、からかい半分に言う。
「……で、ワイルドハントが俺になんの用だ。俺をネズミの餌にでもしようって算段でもあるのか」
「いえ……。一応聞いておきましょう。ジャック・ムルーシュは本名ではないですよね。もしムルーシュの名を継ぐ方があなたの周りに何人もいらっしゃるのであれば教えてください」
「本名なわけねえだろ。ワイルドハントなりの冗談なのかもしれないが、まるで笑えねえ」
「では、今のところあなたに用はありません」
「はあ、なんだそりゃ? ほんっと、お前らは言うこと為すこと意味が分からん」
目印としての役割を終えたジャックの悪たれ口を背景音楽として我々は情報の続きをテンゼルに促す。
テンゼルは枝葉をばっさりと省いて要点を約やかに語る。
マディオフの短命なヒト種が忘れてしまった“月”にまつわる雑学を、ドレーナの目に映ったこの国の黎明期から現在までの歩みを、不確かなゴルティアの内情を、そして昨日、我々が夜の検問で垣間見た窮状と相違ない亡国の危機を。
全体的な情報量から察するに、テンゼルの手配師としての腕は悪くない。ただし、普通の手配師よりも裏稼業に重きを置いているだけあって、開示不能な情報が多いらしく、説明は所々、不自然さの拭いきれない欠落や誤りがある。
テンゼルは玉と石が入り混じった情報をなおも語る。
「アーチボルクがワイルドハントに荒らされて、考えようによってはロギシーンやナフツェマフ以上に、どうしようもない状態になっている。王都から救援を出そうにも、そのアーチボルクのある南東方面から石化能力のある魔物が王都に執拗に攻めてきているせいで、救援を出せねえ」
なんだ、それは……。
情報の錯綜があまりにもひどい。
時を少し前に遡り、大森林の最後の四柱ツェルヴォネコートを討伐して精算を済ませた後、我々は王都で石化の魔物の噂を耳にしてこんなことを考えた。
『石化の魔物とはドミネートで身体の自由を奪う我々の情報が誤って伝わったものか、あるいはバズィリシェクの幼体が大森林から人里に出てきて害をなしているのだろう』
そして昨日、我々は寄せ場でまた石化の魔物の噂を聞いた。石化の呪いをかけてくるアンデッドの進路がうんたらかんたら、と。
アンデッドということはつまり我々のことになるわけだが、我々はツェルヴォネコート討伐以降、ほぼずっとロギシーンにいて、アーチボルク方面は訪れていない。
それに我々はアーチボルクという街そのものには迷惑をかけていない。実家に行って母キーラと戦闘はしたが、仮にキーラが我々から襲撃されたと周囲に吹聴したとしても、国を挙げて救援を出そうとか、そこまで話が大きく膨らむはずはない。
ドミネートを使った情報収集にドラゴン咆哮の余波、その他、大氾濫の残波などあらゆる凶事を一緒くたにした結果、テンゼルが今語ったような誤った物語ができあがったに違いない。
ただ、王都を執拗に狙う魔物とやらが我々とは別に存在しているのは確かなようだ。つまりそいつを我々が倒してしまえば王都とアーチボルクの交通は正常化できる。
私はテンゼルに細部を問う。
「救援の邪魔になっている魔物とやらは、王都へ迫る道すがら、アーチボルクをそんなに派手に荒らして回ったのでしょうか」
「違えって。被害を出したには出したが、さっきも言ったとおり、アーチボルクを混乱の渦に陥れたのはワイルドハントだ」
え?
それって……。
嫌な汗がブワリと身体中から吹き出す。
勘違いしているのは……情報の解釈を誤っているのは、もしかするとテンゼルではなく、私なのか……?
かつてクローシェが信じがたいほどに我々を誤解していたように、私も今、とんでもない勘違いをしているのだとして、では、アーチボルクが置かれている現状は……。
制御困難な七色の感情が世界の見え方を目まぐるしく変化させる。
「ワイルドハントがアーチボルクにどんな被害を与えたのです」
我々の情報力の欠如、あるいは誤解を確信したのか、テンゼルが邪悪に嗤う。
「直接的な被害はそこまで大きくない。ワイルドハントにとって魅力的な物品がある場所を襲撃して回って、すぐに居なくなった。襲われたのは財テク目的で高い品を収集している大商家や旧ダンスミュア邸、武具店に魔道具店。ああ、あとはカーター家やネイゲル家なんかもそうだな。大きな見方をすると、深刻なのは直接被害ではなく、ワイルドハントの置き土産による二次被害だ」
そうか、分かったぞ……。あの日、スターシャが探っていたその言葉とは……。
色鮮やかに変化を続けていた視界が今度は深い黒に沈んでいく。そのまま全ての意識を持っていかれぬよう、ギリギリのところで気力で耐える。
「そのワイルドハントは今どこにいます」
「俺も今この瞬間まで確信できなかったが、ようやく確信できた。お前たちがあいつらの居場所を知らねえってことは、つまりだ。マディオフの誰も、あのワイルドハントの現在位置を把握してねえ」
「……テンゼル。一方的で済まないが、契約履行に支払い、全ては一時凍結させてもらう。続きは後日、改めて行おう」
「誰がお前らの身勝手に付きあ――」
「やめとけ、ジャック」
安易に異論を差し挟もうとするジャックをテンゼルが制止する。
手配師の危険察知能力のおかげで命拾いしたな、金貸し。
「アーチボルクに行く気なんだろ。それも大急ぎで。なら、真っ直ぐは行くな。東から行くのも南から行くのもダメだ。石化の魔物と、そいつから王都を死守しようと頑張ってる奴らがいる。回り込むんなら一旦、南西か北東に出て、それからグルっと思いきり大回りしろ」
「情報に感謝する、手配師」
「礼は要らねえ。謝礼で示せ」
この手配師は、いつかどこかで私が思ったのと全く同じことを口にする。
「これも貸しだぜ、ワイルドハント……いや、リリーバー。まあ、俺は矮石化蛇と違って自分で取り立てはやらん。ちゃんと自分で返しに来い。もし、ワイルドハントとやり合って生き残れたらの話だがな」
「努力しよう」
不良手配師の洞察力と機転の評価を一段と高く改め、私は酒場スワバから直ちに出る。アーチボルクへ急行するために。




