第七五話 前哨戦 二
ジャックの招集によりスワバに続々と人が集まる。そろそろ昼時がちかいとはいえ今日は平日の午前、こんな時間から酒場に来られるのがどういう輩か、見るまでもなく想像がつく。
予想に違わず、集まったのはいずれも見るからにまともな生き方をしていない、したくともできない社会の溢れ者たちだ。
こいつらは遊技の参加者ではなく見物客、料理の付け合わせや一張羅を引き立たせる装飾品と同列の、鉄火場の彩りだ。
客が増えに増えて、いよいよ遊技場が狭く感じられ始めた頃に異物がひとつ現れる。
落伍者とは明らかに様相が違う、狩る側の目をした人間だ。身体にはただならぬ魔力を湛え、腰には不吉な靄を纏う剣を佩いている。
こいつ……強い。
魔力量、体格、装備から推測するに、マディオフ軍のリディア・カーターやゴルティア軍のレヴィ・グレファスに匹敵する戦闘力があってもおかしくない。
まさか、いきなりこれほどの実力者を呼ぶとはな。どうやら闇競売の一件は私の想定以上に大きな影響をこの国の裏社会に与えたようだ。
こいつは面倒なことになった。
異物が遊技場に現れた瞬間ジャックは飛び上がるようにして席を立ち、媚びた笑みを作る。
「こんな時間からすみませんね。サイラス先生」
サイラスと呼ばれた男は諂うジャックを一瞥すらせず、「おう」とだけ言って我々に視線を注ぐ。
「今日はワイルドハントと少し遊ぼうかと思いまして、へへへ。楽しんでいただけるかは分かりませんが珍事には違いありませんので、お忙しいところ声をお掛けいたしました」
阿るジャックに小妖精が反応する。どれだけ回りくどい言い方をしようとポジェムニバダンの前では意味をなさない。
情報魔法に頼るまでもなく分かりきったことではあるが、ジャックがサイラスを呼んだのは決して娯楽を提供するためではない。ジャックはサイラスの暴力に期待し、勝負に立ち会わせるため、この場へ呼んだ。
本音をそのまま言うのが憚られるから建前を使う。反社会勢力であっても本音と建前を常識的な範疇で使い分ける。法や常識から外れた連中が常識に沿って立ち振る舞うのは、改めて考えてみると興味深い。
建前は広い意味で一種の嘘に該当する。ラムサスからの合図を見るに、ジャックは単にサイラスの機嫌を損ねぬよう嘘をついているだけでなく、他にもなんらかの隠し事があるようだ。しかも、それはサイラスに対して隠しているのではなく、我々に対して隠している。
サイラスほどの人間を呼び出した時点でそれ以上何も判断材料がなかろうと、どういった類の隠し事なのか大体は見当がつく。
「ワイルドハント?」
「ええ。少し前にオルシネーヴァ人を殺して回った連中です。比較的最近の話題だと、大森林産の商品の輸送やオクで矮石化蛇に何かとお世話になっている、あの……」
「……そうか」
それきりサイラスは黙り込み、遊技場内を見回す。ジャックから席を勧められても関心を示さず、自分で居心地の良さそうな場所を見繕い、そこに凝立する。
ジャックはサイラスに怖気づいたのか、もう何も話し掛けない。テンゼルと雑談もしない。
黙らされたのは手配師と金貸しだけではない。それまで騒がしくしていた溢れ者たちまで完全に静まり返っている。サイラスは、ただここにいるだけで遊技場の雰囲気をガラリと変えてしまった。変わらないのは二階に上がらず、一階でうるさくしている奴らだけだ。
それからまた少し経つとスワバに特異な集団が現れる。その者たちの大半は、サイラスほどではないものの一見して高い戦闘力があり、出で立ちは反社会性を前面に押し出している。
集団は明確な意図を持った隊形を作り、中心にひとりの人物を抱え込む。隊に守られたそいつは品のない豪奢な服を着込み、場を睥睨している。
おそらく奴は矮石化蛇の骨座に着いた人間、敷衍して言えば幹部だ。
ジャックが再度立ち上がり、サイラスが現れた時と同じか、それ以上に緊張した様子で挨拶する。
「お疲れさまです。ヴォルフの旦那」
ん、ヴォルフ? どこかで聞いたことがあるような……。
「今」の記憶か、はたまた「前」の記憶か。
「こんな時間から勝負とは、励んでいるじゃないか。ジャック、テンゼル」
ヴォルフの口調は嫌味がかっていて聞く者に傲慢な印象を与え、それがジャックの緊張を更に増大させる。
一方のテンゼルはジャックとは違って落ち着き払っている。現れた骨座に取り立てて接遇姿勢を示そうとしない。
テンゼルが何も言わない以上、ジャックが引き続き骨座に応対するしかない。
「今日はお運びいただき――」
「どうして俺の店でやらせない。このクソ忙しい時に呼び出される身にもなってみろよ。これで面白いもんが見られなかったら、ただじゃおかねえぞ」
ヴォルフに凄まれてジャックがゴクリと唾を飲む。
「旦那のお力を借り、全力で勝負に臨む所存です」
「ん、なんだ? やるのはお前か?」
サイラス然り、ヴォルフ然り、集まった連中は、誰が誰と、どういう目的で何を賭けて勝負するのかちゃんと分かっていないようだ。
『忙しい』と言っておきながら詳細不明の招集に応じるヴォルフたちの行動原理が私には理解できない。
「金貸しが自分で博打を打とうってんだから、焼きが回ったとしか思えんな」
くつくつと笑うヴォルフをジャックは愛想笑いすらせずに表情固く見守る。
ヴォルフが静かになると、ジャックがその場を仕切りだす。揃うべき人間が揃ったということだろう。
「さて、立会人にも来ていただいたところで何のゲームをやるか決めるとしよう」
ジャックが意気込むほど私は意気沮喪となる。
ああ、面倒だ。しかし、ここで横着すると後になって苦労するのは自分だ。
奇を衒わず、私は私に期待された役割を粛々とこなす。結局はそれが最も楽で面倒がないだろう。
自分に活を入れて役に入り込む。
「ふふふ。随分と先走るものです。我々はまだ『やる』とも言っていないのに」
「あぁ!? お前が持ち掛けた勝負だろうが! 客もこんなに集まってるんだ。『やっぱり勝負から下ります』が通ると思ってんのか。責任取れんのか」
普段であれば、気色ばみ捲し立てるジャックの道化っぷりを存分に楽しめたのだろうが、今はこれっぽっちも楽しくない。
楽しませる側に回ったせいで楽しいはずのものを楽しめなくなる。なんとも皮肉なこの世の理だ。
「大変ですね。責任のない我々と違ってジャックさんは責任ある身。あなたがどうやって責任を取るのか見届けるのも一興かもしれません」
「言わせておけば……」
見物客を呼んだのはジャックで立会人を呼んだのもまたジャック、ならば場が成立しなかったときに責任を問われるのもまたジャックだ。
これで我々が遊技場荒らしを覚えたばかりの世渡りを知らない若輩者の集まりであれば、勝負不成立の責任を一方的な論理で押し付けられてジャックと矮石化蛇に何もかも奪われただろう。しかしながら、そういう展開は奪う側と奪われる側の保有する暴力に隔絶された差があるときにしか起こらない。
矮石化蛇がスワバに集めた戦力は明らかに我々以下で、ジャックも魔力量から察するに民間人に毛が生えた程度の戦闘力しかなさそうだ。
純粋な武力の面で唯一、警戒すべきはサイラスの剣くらいのものだろう。ただ、嵌め込みの型すら満足に作れていない現段階でジャックに加勢するとは考えにくい。
矮石化蛇はマディオフ人にとって理不尽の代名詞のような存在だ。しかしながら、矮石化蛇にも奪ってもよい基準や流れというものがあり、段取りが整ったと判断できるまで実力行使にはうつらない。
短期的にはそれなりに安全が確保できている我々とは対称的に、ジャックは崖っぷちに立たされているも同然だ。
今にも崩れそうな危険な足場の上で転落しまいと必死に平衡を保とうとして流汗淋漓のジャックを我々が横から棒で小突く。
棒に加える力は繊細な加減が求められる。力加減を誤るとジャックは即座に落下し、低みで待つ腹を空かせた捕食者たちに貪られて死ぬ。
ジャックに死なれては元も子もない。小突くのはここらへんにしておこう。
「では、哀れなジャックさんのために我々から歩み寄ってあげましょう。我々が勝てば返済方法や期限、利率などの詳細全てを我々が決めていいのであれば勝負を考えます」
「それだといくらでもバックレられるじゃねえか。寝言は寝て言え」
「これだけ歩み寄ってまだ不満なのですか。あなたはとても我儘です。仕方ありません。特別にもう少しだけ譲歩してさしあげましょう」
身勝手極まるジャックと協調路線を堅持するクローシェ、好対照の二人が遊技の種目や融資契約の細部を一つひとつ検討し、確定させていく。
即興の寸劇を交えた条件出しがある程度、済んだら改めて遊技の場作りが始まる。
今回は用いない遊技卓など不要物各種が隅に寄せられ、勝負用の卓が遊技場の中心に据えられる。
鑑賞に最も適した位置に寝長椅子が配置されると、すぐにヴォルフがドカリと腰掛ける。
寛ぐヴォルフに矮石化蛇構成員のひとりが耳打ちする。
「あの女、ユニティのクローシェ・フランシスです」
矮石化蛇は反社会勢力ながらも長年、存続しているだけあって侮れない情報力がある。
ジャックは金貸し、情報力は一般人の比ではなく高いはずだ。そんなジャックですら知らなかったクローシェの顔を矮石化蛇の一構成員が知っている。つい先日までマディオフの西の果て、ロギシーンでしか活動していなかったクローシェの顔を把握している。それだけで矮石化蛇の情報力が昔と変わらずに維持されていると分かる。
ただ、どうやらクローシェを見てエヴァを想起する人物は居ないようだ。
スワバに集まったのはほとんどが男で女は少数だ。エヴァには特殊な変装能力があるから矮石化蛇に限らず男でエヴァの真の顔を知っている者はあまりいない。
私はたしか大学三回生の頃から幻惑魔法を見破る自作の魔道具を持っていたが、あれはエヴァの前だと無力だった。初めて製作した魔道具であり、絶対性能が低かったのは否めない。しかしながら、エヴァの能力がもっぱら人間の男にしか作用しなかった点を踏まえると、幻惑破りに失敗した最大の理由が純粋な性能の高低にはない可能性も十分に考えられる。
エヴァの見た目を変えていた技術が実は幻惑魔法とは全く系統の異なる能力だった場合、魔道具を単純に変装魔法を見破る方向で性能強化してもエヴァの真の顔は永遠に拝めない。
改良するなら変装魔法ではない、幻惑魔法ですらない、見た目を変化させる技術に幅広く対応させるべきで、そうでなければエヴァ対策としては不適当だ。
それから『人間の男』の定義も検討を要する。ヒトが『人間』なのは当然として、ドレーナも『人間』に含まれるかどうかは何とも言えない。もしエヴァの技術がドレーナをはじめとするヒト型吸血種全般に無効なのであれば、テンゼルがエヴァの真の顔を見たことがあっても不思議ではない。
こうやって振り返るとテンゼルたちの空眠りは話を無用にややこしくしている。
テンゼルは最初、薄目を開けてこちらの様子を窺った。あれでクローシェの顔をどれほど視認できていたかは不明だ。その後、テンゼルは私のドレーナ発言により眦を決した。その時点でクローシェを視認したのは確実だが、表情が完全に警戒心一色なのが全く以て都合が悪い。これでは奥底にある微妙な心情変化を推し量るどころではない。
ジャックを少しからかった後、テンゼルは話に応じる姿勢を見せた。あの時、テンゼルは我々の正体が分かっていない体だったが、クロアの正体をある程度、見抜き、そのうえで知らないフリを決め込んでいた可能性は否定できない。
小妖精の反応からすると、多分本当に分かっていなかったのだとは思うが、きちんと確かめておくべきだろう。ただし、口で問うのは考えものだ。矮石化蛇が全員引き上げてから能力を使って調べるのが最善だろう。
「おい、クローシェ・フランシス」
考え事で忙しい我々に、暇で仕方ないヴォルフが話し掛けてきた。
ヴォルフの口から飛び出したユニティ次将の名前に遊技場が騒然となる。世界の出来事に疎い彼ら溢れ者たちでも、ロギシーンで蜂起した武装集団を指導する者の名は聞き覚えがあるらしい。
クローシェの名に反応するのは、なにも溢れ者たちばかりとは限らない。テンゼルとジャックもクローシェという名前に表情を動かすかもしれない。
私は注意深く二人を観察する。
しかし、二人に動じる様子はない。
「軍隊ごっこをやめてワイルドハントの一員になるとは思いきった転職だ。どう心境が変化すればそんな大胆な身の振り方ができるのか教えてくれないか。ええ?」
退屈しのぎのヴォルフの軽口に真摯に向き合う価値はない。だが、だんまりを決め込むのも良い対応とは言えまい。
なんと答えたものか考えていると、クローシェが何を言う前に観客たちが薄汚く笑う。
「俺、分かっちゃったかも。多分、人を殺す悦びに目覚めて、より伸び伸び殺れるワイルドハントに鞍替えしたんだ。なあ、そうだろ? クローシェ」
「黙ってないで、違うなら違うって言えよ」
「あっれぇ~? 怖くて何も言えなくなっちゃいましたか~?」
「負けたら一生、矮石化蛇の慰み者だ。将来自分をかわいがってくれるご主人さまに睨まれたら、そりゃあビビらあな」
聞くに堪えない度を越した愚かな発言に場がヒリつく。
こいつらは矮石化蛇の嵌め込みの型をイマイチ理解していない。こういう連中の知性の低さを考えると、知ってはいるが配慮できていないだけの可能性もあるが、いずれにしても己の首を絞める大失言だ。
愚物どもは空気の変化に気付かず、なおも続ける。
「一回だけでいいから俺にも楽しませてもらえねえかなあ」
「物は試し。後の方でいいから回してもらえないか頼んでみようぜ」
当初、私は接待試合するつもりだった。接戦を演じた末に我々が僅差で勝つ。そうすればテンゼルもジャックも負けたなりに我々に好感を抱き、友好的に情報を提供してくれる。一度、良い関係を築いておけば、次はもっと円滑に情報が得られる。
テベス以外の情報源確立は先を見据えた足場作りの一環だったというのに、ジャックが矮石化蛇を……それも骨座を呼んだせいで私は大幅な手の組み換えを強いられた。
打つ手を間違えると我々が食われる。かと言って強すぎる手も打てない。そして観客は想像を絶するバカの集まりで言動が予測不能ときた。
もういっそのことテンゼルから情報を得るのは諦め、ジャックが処されるのを傍観したい。
しかし、なぜだか分からないが、私は必ず遊技に興じなければならない気がする。それも特別な目的意識を持って。
……。
私は本当に己が胸に抱くこの謎の使命感の正体が分からないのだろうか。よく考えてみろ。
使命感……まさか、また“因子”が悪さしているのでは……。
ハッとしてクローシェに意識を集中させる。
……違う。クローシェではない。この新参の手足の皮裏を丹念に浚っても、見つかるのは品性下劣な者どもへの哀れみと、そういう連中に対して自分を矢面に立たせる私への軽蔑くらいのものだ。心を駆り立てる強い衝動はどこにもない。
出処が私自身でもクローシェでもないならば、この使命感は一体どこから出てきた。
まさか……。いや、そのまさかだ。使命感の発信源はヴィゾークだ。
まただ。この魔法の得意な手足は前にも何度か同じような意志を抱いたことがある。ただ、意志と表現するには起伏も鮮やかさも熱も無い。
平坦で、地味な収縮色で、冷冷としていて、だからこそ“因子”さながらに私の表層意識に気付かれずに私の思考を変化させられる。まるで目立たないのに、それでいて思考を捻じ曲げるだけの力がヴィゾークの意志にはある。
ヴィゾークはアンデッド、生者の悶着には興味がないはずだ。いや、『はず』ではなく実際に関心はない。では、なぜ関心がないのに確信めいた結論だけはある。どういう思路を経れば“因子保有者”のクローシェですら辿り着いていない、融和を重んじた結論に至る。
「さあ、転がすぞ」
ヴォルフに返事するどころか、訳の分からない手足の謎に翻弄されているうちに準備が大方整っていた。
賽が二つ卓の上を転がって誰がどの席に座るか決まり、また何度か賽が転がって初局の親が決まる。
遊技卓を囲むのはジャック、テンゼル、クローシェ、ラムサスだ。この四人で札遊技を行う。親が四人を二巡し終えた後の各参加者の点数で勝敗が決まる。また、誰かの持ち点が零を下回り負の値になっても遊技は終了だ。
大事なのはジャックとクローシェの点数差、そしてテンゼルとクローシェの点数差で、ラムサスの点数は直接勝敗に関与しない。
我々にとって勝利とはクローシェの点数がジャックとテンゼル、両方の点数を上回ることだ。ジャックより高い点数は取れたがテンゼルよりは低かった場合や、その逆のテンゼルよりは高かったがジャックよりは低かった場合は勝ったと言えない。事実上の敗北だ。二人の点数を下回ってしまうと言うまでもなく最低最悪の負け方だ。
順位を気にせず札を打てるラムサスの存在があるからクローシェが有利かと言うと、必ずしもそう単純ではない。
我々以外、この場の誰もクローシェの勝利を望んでいない。つまり遊技場の全員がジャックとテンゼルの支援に回る可能性が高い。観客たちにできる支援とは不正な情報供与、イカサマだ。
参加者の誰も点数が負の値にならなくとも親は最短、八局で二巡する。流れによっては、あっという間に決着がつく。悠長に相手の出方を窺う余裕は互いに無い。
展開としてはラムサス以外の全員が最初から全力で点を取りにいく、防御意識の低い殴り合いが予想される。
いつの間にやら場の進行役を務めていた矮石化蛇の構成員の男が試合の規則と融資契約について最後にもう一度、確認する。
脇では観戦をより楽しむための飲食物が階下から運びこまれたり、古道具が音もなく卓の横に置かれたり、壁に華やかな飾り付けがなされたりと、見世物としての準備が並行して進み、これまたいつの間にやら完了する。
クローシェがテンゼルとジャックの両方に勝てば、クローシェはジャックから借金せず、ツケでテンゼルから情報を得られる。
テンゼルに負けた場合、ツケ払いは許されない。ジャックから借金するなり、他から用立てるなり、とにかく金を払うまで情報は得られない。
ジャックに負けた場合、クローシェは本人の意向に関係なく強制的に借金を負わされる。しかも、借金の返済方法はジャックに決定権がある。つまりクローシェはジャックの奴隷になったも同然だ。そしてジャックはおそらく新しく手に入れた奴隷を矮石化蛇に譲り渡す。
その他、細かな部分まで決め事を総浚いした後、その遵守を我々とジャックら、双方が誓い、最初の局が始まる。
親のクローシェと子の三人が規定の枚数、札を引く。
ラムサスは札を身体に目一杯寄せて一度だけ表柄を確認し、すぐに伏せる。
普通に手元に持っていては後ろの観客たちから丸見えだ。観客たちは見えた内容をジャックとテンゼルに流す。ラムサスはオチオチ自分の手札を見られない。
かくいうクローシェは、と言うと……。
「おい、クロア。いや、クローシェ。早く自分の手札を見たらどうだ」
いつまで経っても表柄を上に向けないクローシェの行動を不審に思ってか、ジャックが苛立った声で促してきた。
あまり小細工に頼りたくはないのだが、ここまで短期決戦となるとそうも言っていられない。
「その必要はありません」
「……なんだと?」
表柄を下方へ向けたままクローシェの示指を札の下に滑り込ませ、指の腹で札を撫でる。
「注意深く触れれば、それがなんの札か分かります。目視は要りません」
クローシェは札の表柄を見ずに試合を進める。それは即ち、観客たちが誰もクローシェの手札を覗けないことを意味する。
クローシェの宣言に場が一気に騒がしくなる。
「どんだけ手先の感覚が繊細なんだ」
「バカ。嘘に決まってるだろ。あの女、カード配置を全部暗記してやがる」
「マジかよ。それこそ嘘だろ……」
たとえルカでも指先の感覚だけで札の柄を当てるのは無理だ。それに、一〇〇枚を軽く越す札の位置を全て覚える記憶力も私にはない。覚えの良いラムサスでも全札の位置は把握できないだろう。
「おいおい。いきなりテンゼルとジャックが不利になっちまったじゃねえか」
「こりゃあ勝負の行方は分からなくなってきやがった」
どうしてそう『持ち札の情報を裏で流している』と白状したも同然の不用意な発言ができるのだろうか。バカが近くにいると、それだけで疲れる。
頭の悪い観客たちに意外なかたちで疲弊させられながらも、手は滞りなく進めていく。
クローシェは札を常時伏せて手を進める。ラムサスは札を引く一瞬だけ表柄を見て、後はずっと伏せておく。普通に札を持つのはテンゼルとジャックだけ。通常の札遊技ではありえない光景だ。
観客たちはイカサマに加担しにくくなっただけでなく、観戦の楽しみを最初から半分奪われたようなものだ。
「三同札」
ラムサスが場に捨てられた札を拾い、己の手札に加えた。
「三同札」
またラムサスが札を拾い、誰よりも早く役を組み上げていく。
それまでクローシェに集まっていた視線の一部が躍動するラムサスに移る。
「あの化け物面、なんか知らんが張り切ってんな」
「どういう勝負なのか本当に分かってんのか」
「顔だけじゃなく頭の中も腐ってるんだろ」
格好の玩具を見つけた観客たちは嬉々として本能を露にする。
「きっと醜さを苦にワイルドハント落ちしたんだ」
「だろうなあ。ああもひどくっちゃあ、他には見世物小屋くらいしか生きてく道がねえよ」
「見世物小屋って言ったらオクシェキ団だ。門を叩いてみたらどうだ。人外のご同類がきっと温かく迎え入れてくれるぜ」
「違いねえ」
下等な遊技場では奏でられる背景音楽も相応に下卑ている。演奏するは、ヒト社会から不適合の烙印を押された者たちだ。
不適合者といえどもヒトはヒト、血に刻み込まれた社会性動物の本能までは失っていない。原始的欲求が彼らを駆り立てる。標的とするのに適当な、劣った同種を探し、虐めぬいて排除しろと囁く。
血の命令に従い彼らが見つけたラムサスは目下、札遊技中だ。抵抗のおそれは限りなく低い。
無抵抗の相手に集団で暴行を加える悦びは何ものにも代えがたい。
辛うじてヒト種に分類されているだけの知性も品性もない奴らの前に魔法で醜く変えられたラムサスを晒せば、こんな反応になって当然だ。
これは予想の範疇の出来事、しかも誰に責任があるか考えたとき、それは間違いなく私にある。
それでも私は不愉快だ。
顔を重視して抱く女の狙いを定めているはずのバカ代表クリフォード・グワートはかつて我々と接触した時、性交対象になりえないラムサスを一度も悪し様に言わなかった。
遊技場に集結したマディオフ屈指のバカどもがバカっぷりを惜しげもなく見せつけてくるせいで、ゼトラケインの生んだ異常性欲者が相対的に紳士に思えてくる。
「それ」
ラムサスはバカどもの痴態など気にもとめず、テンゼルがまた新たに一枚、卓に捨てた札を短い一言と凍てつく視線で突き刺し、展開を止めた。
「拾い上がり」
伏せられていたラムサスの手札が卓に広げられ、上がり役が参加者、観客たちの全員に公開される。
「うおっ! あいつ、マジで上がりやがった」
「でも、よく見てみろよ。とんだ安役だ」
「なんだよ。ビビって損したわ」
「早いだけで全然、役作りが分かってねえ。この構成ならもっと高い役をいくらでも狙える。それをこんな早上がりしちゃあ、自分でカード運を捨ててるも同然だ」
札遊技をやらせたらラムサスは緩急も硬軟も自在だ。状況を無視し、とにかく捨札を拾って早く上がることだけを意識した単純な戦い方は決してしない。
「所詮、早手は安手だ」
「しかもクローシェの一回目の親番が終わった。テンゼルの点数が減ったとはいえ、クローシェの親番は運が悪きゃ残り一回だ。こっから先、一度でも点を失うと巻き返すのはキツいぜ、おい」
観客たちは分かった気になってラムサスの上がり方を好き勝手に批評し、展望を語る。
かく言う私もラムサスの内心を量りきれているわけではない。ラムサスは、恵まれた初期札運から持ち込める高得点の役を捨ててでも第一局を早急に終わらせる価値があると踏み、早上がりした。私に分かるのはその程度だ。彼女が最終局の終わりまでいかなる勝ち筋を見据えているかはよく分からないのが本音だ。
逆にラムサスは私の思い描く勝ち筋を朧気ながらでも見通せているはずだ。私と毎晩のように試合っていながら、私がどんな試合運びをしたいと思っているか読み取れない情報魔法使いがどこの世界にいる。
では、私の思惑を見抜いたラムサスが私の意を汲んだ札の打ち方をしてくれそうかと問われると、悲しいかな、確信を持って答えられない。
上がられたテンゼルが上がったラムサスに点数を払い、次局に移行する。
第二局になってもラムサスの勢いは止まらない。
「三連札」
捨札を容赦なく拾い手札に組み入れる。役を組み上げる勢いたるや、テンゼルとジャックだけでなくクローシェすらも置き去りにせんばかりだ。
あまりの早さに私まで不安になる。
もしやラムサスはクローシェを……。
果敢に札を打つラムサスの真意を測るべく、私はクローシェに敢えて危険な札を捨てさせる。
「それ」
ラムサスが手札を卓上に広げる。
「拾い上がり」
「あっ!」
「あいつ、ついにやったぜ」
二局目も上がったのはラムサスだった。
ただし、ラムサスは敵であるジャックやテンゼルの捨札ではなくクローシェの捨札を拾って上がった。それも、先ほどより少し良い役での上がりだ。
これで二局が終了した。最短の試合展開だと残りは六局しかない。
現在の順位は一位がラムサスで、二位が少し離れてジャック、三位がテンゼルで、クローシェはテンゼルと僅差の四位だ。
「あの顔面凶器、マジでクローシェを仕留めにいってないか?」
「殺戮をこよなく愛するワイルドハントとはいえ同じ仲間だろうに……」
「仲が悪いんだろ。あれだけ見てくれが酷くっちゃあ、悪くもならあな」
観客たちは、上がり方を批評した次はパーティー内の関係を憶測で語る。
「新入りのクローシェと仲良くなろうとして怪物の方から歩み寄ったが、けんもほろろの対応をされて根に持ってるとかさ」
「おー、お前やっぱ頭いいわ。言われてみると、いかにもありそうだ」
「不仲の理由は何にしても、結末がいよいよ見えてきた」
「ひょっとすると八局保たずに終わっちまうかもな」
想定よりも早まりそうな決着への予感とその先にあるかもしれないおこぼれへの期待に遊技場がたちまち沸き立つ。
「仲間に背中を斬られて負けたなら、後でヴォルフの旦那からちっとは情けをかけてもらえるかもしれねえぞ。良かったなあ、クローシェ。きひひ」
「逆だろ。ワイルドハントの仲間にすら見放されるんだからよっぽどだ。それこそ容赦なく壊されるに決まってらあ」
ラムサスに渡す点数を持ち分から集めるクローシェは、低俗さを増す一方の背景音楽に刺激され、少し前からある想いを胸に抱いている。
自分が心無い言葉を少々浴びせられた程度だとクローシェの心は大きく動かない。そう簡単には傷つかない。
しかし、自分以外の誰かが悪意の的にされると話は変わる。それは“因子保有者”なら当たり前に生じる感情、有り体に言えば、クローシェはラムサスを守らんと義憤に燃えている。自分がラムサスのせいで最下位に落ちていることを忘れたかのように。
集めた点をクローシェが渡す一瞬、ラムサスの目を覗き込む。
双眸の奥には首位の座を固めつつある優越感も、勝利への貪欲な渇望も、カードを煩わしく思う厭戦感も、低劣な無頼どもへの嫌悪感も、クローシェに待ち受ける惨憺たる未来を回避しようという使命感も、何も浮かんでいない。
同じだ。毎夜、私とカード遊技に興じる時とほとんど同じ、ラムサスは己が設定した目標に向かって驀進している、脇目も振らず、しかし周りが見えていないわけではなく、あくまでも淡々と。
冷徹なまでの目標意識は少しだけ、本当に少しだけ、生者の生命を奪おうとするときのアンデッドに似ているかもしれない。
私は、自分の中である程度固まっていたラムサスの評価が激しく変動するのを感じた。




