第七四話 前哨戦 一
ナジェーヤ訪問に緊急駆虫、それから当座をしのぐための小銭を作り、宿を押さえて……と忙しくしているうちに日が落ちる。
夜は夜でやることがある。いいだけ夜が更けたら検問所へ行き、先日納められなかった入都税を納めて帳尻を合わせておく。
今日はこれで終わりだ。本当にやるべきことを何ひとつ終わらせられぬまま一日の終りを迎える虚しさよ。
翌日、我々は寄せ場に向かう。
道中、ラムサスは頼まれもしないのに「興味がありますぞ。絶対ですぞ」とニカウのモノマネを始める。よほど気に入ったらしい。似ているには似ているのだが、昨日とは何か違うぞ。
ニカウはどうでもいい。今、用事があるのはテベスだ。昨日会えなかったテベスに今日こそ会いたいものだ。
しかし、どれだけ強く願ったところでそこは相手あっての話、手足を総動員しても居ないものは見つけ出しようがない。
探せど探せど目当ての人物は見つけられず、貴重な朝の時間が二日連続、傍観しただけで終わってしまう。
二日も続けてテベスが寄せ場に姿すら見せないとは妙だ。あの男の身に何かあったのだろうか。
ある意味、我々の導き手たるテベスの最新事情を知るべく、寄せ場から飯場に移動する手配師をひとり捕まえる。
「あ? また、お前か」
鼻柱のほくろが目立つ手配師はこちらの顔を見るなり不快感を示した。私は意図せず昨日と同じ奴に話し掛けてしまった。もっとまともに取り合ってくれそうな人物を見定めるべきだったというのに、私はよく考えず手近な奴を選んでしまった。
「今日もテベス探しか」
「ええ、まあ」
「あいつは最近あまり寄せ場に来ていない。おそらくは明日も来ない」
手配師は無愛想ながら、私の求めている情報を私から問われる前に教えてくれた。
「体調でも崩したのですか」
「違うな。忙しくて寄せ場で周旋するどころじゃないんだろ。具体的に何を取り捌いているかまでは俺も知らん」
不要な情報一切を削ぎ落とした簡潔な回答、仔細を把握していないこいつなりにできる満点の答え方だ。
機知を示して去ろうとする手配師を私は今一度、呼び止める。
「まだ何かあるのか。俺も忙しいんだ」
我々はこれからの動き方を決めるために情報を求め、信頼に足る情報源としてテベスを必要としている。
では、是が非でもテベスを探し出すべきだろうか。いや、それは賢明ではあるまい。
今、この国では有能な人物の誰もが忙しい。暇しているのは無能だけだ。寄せ場に来られないほど多忙なテベスが我々に時間を割くとは思えん。
これでテベスを訪ねるのが大学時代の私であれば話はまた違うだろうが、今の我々はテベスに数回しか会ったことのない、取るに足りないワーカーパーティーだ。そして多忙を極めているのはテベス以外の腕が立つ手配師も同じだ。
腕がそれなりでも立場的にそこまで忙しくない手配師がこの国にもしも存在するとして、私の心当たりは唯ひとり。
「“テンゼル”という手配師はご存じですか。もし知っていたら、その人の居そうな場所を教えていただきたいです」
「テベスがダメで、どうしてあいつに……」
ほくろの手配師は首を左右に振ったかと思うと、途中で何かに気付いた様子でピタと止まる。
眼光がそれまでになく鋭い。仕事をする手配師の目だ。
「お前たちが何者で何の用があいつにあるのかは知らんが一応、言っておく。テンゼルはやめておけ」
「善意からの忠告に感謝します。それでも私はテンゼルに会いたいです」
割り切れる人間は忠告を二度しない。金さえ払って貰えれば顧客が望むものを渡す。仮にそれが片道の通行券になると分かっていても。
◇◇
テンゼルがスワバという名前の酒場を根城にしていると聞きつけた我々は生前、馴染みのないキファリー地区を歩く。
足を踏み入れた感想としてキファリーはフィラーガ地区に少し似た雰囲気があるものの、あそこほど治安は悪くないように見受ける。もっとも全域の治安が悪化に悪化している今の王都で地域柄の多少の良し悪しを論じても大して意味はないだろう。
街角のあちらこちらに、まるでアンデッドのように当て所なく立つ薬物中毒者を見て私はぼんやりと思う。
こういう手合いは有事だろうと平時だろうと常に金が無い。明日食う金にも事欠いていながら、それでもどうにかして金をかき集めて快楽を貪るための薬を買い、己の手で状況を更に悪化させる。
薬物中毒者は時間感覚を喪失しがちだ。金があれば薬を買い、薬があれば朝も夜もなく乱用する。そして薬と金が完全に尽きたときだけ日銭を求めて現実社会の最末端にひっそりと顔を出し、すぐに暗い穴ぐらに戻って腐る。この繰り返しだ。
程度の差はあれグレンも……ヤバイバーも似たようなものだった。あの男は今も荒れ狂う銀閃で変わらぬ生活を送っているのだろうか。
「ここですね」
考え事をしているうちに目的の酒場が見つかり、少し手前から建物全体を眺める。
「看板も無いのによく見つけられる。私には酒場かどうか以前に、ここが客商売を営む店かどうかすら分からない」
言われてみるとスワバは一見しただけだと店なのか事業所なのか住居なのか分からない、無味乾燥な外観だ。私は最初からそういうものだと思って傀儡を積極的に走らせていたので見つけられた。そうでもなければラムサス同様、臭いが流れてくるまでここに酒場があるとは気付かなかっただろう。
少し気取った店は隠れ家のような雰囲気を売りにするべく敢えて店っぽさを出さないこともあるが、こういう安い店の外観が不親切なのは営業意欲の低さが顕れているに過ぎない。
「そういうものです。私も探す気が無ければ見落としていました。何はさておき、中に入るとしましょう」
営業時間がどうのと言いかけたラムサスに構わず扉に手をかける。ここが比較的安全な場所ならばルカと……ではなくクローシェとラムサスだけを建物内に入れるところだが、飯場とはわけが違う。全員で入店するのが無難だ。
傷みの目立つ扉に力を入れると、錆びきった蝶番が耳障りな音でドアノッカー代わりに来客を告げる。
入り口から見える範囲に人の姿はない。客は勿論としてカウンターにも店員がいない。
掃除が満足に行き届いておらず、卓上に放置された使用済みの皿や杯から不快な臭いが漂っている。アルコールの臭気はそれほど混じっていない。
カウンターの奥からは皿を洗う音が響く。蝶番の呼び声は皿洗いの音に負けない大きさだったはずなのに、店員は一向にこちらへ顔を出そうとしない。
店員から無視されていると悟ったラムサスが接客意欲の低さを嘆く。店員教育の行き届いた店ばかり利用する人間の感想だ。私としては、こちらが求めたとき以外は基本、客を放っておいてくれる店のほうが好きだ。
今は正に用があるときなので、カウンターの前まで行って大きめに声を掛ける。すると、奥から店員がのんびりと現れる。
涙袋の下にもうひとつ立派な涙袋を持つ、ひどく寝不足かのような見た目の壮年の女だ。
「はいはい、御用はなんでしょう」
呼び出してみると店員の愛想は案外、悪くない。しかしながら、酒場の店員らしからぬ応対だ。もう少し行儀が良い地区の雑貨屋店員だったら、こういう切り出し方でもしっくりくる。
「レクテフィコヴァネを瓶のままひとつ頂けますか。グラスは要りません。蝋封もそのままでいいです」
「うわあ、朝からご注文だねえ。一階はご覧の有様なんで、二階で待っててもらえるかい。洗い物がいち段落したら持ってくから」
そのまま出して渡せばいいだけなのに、どうして客の注文ではなく先に自分の用事を済ませようとする。愛想が悪くない、という評価は取り下げだ。
涙袋女が鈍重な動きで奥に引っ込んでいく。
何も注文せずに店を利用するのが気兼ねしたから頼んだだけで酒そのものを欲していたわけではない。それでも物を受け取ってから二階へ行くつもりだったから肩透かしを食った感が否めない。
腑に落ちないまま我々は階段へ向かう。
「今、注文したのって濾過蒸留酒の一種?」
「そうです。醸造所によりけりですが、最も度数が高いものだと九〇度を超える強いアルコールです」
「ニオイを嗅ぐだけで酔ってしまいそう」
普通はそのままではなく割って飲む。その他、家庭用の果実酒、香草酒作りに用いたり、環境浄化や消臭に使ったり、人によっては調香に用いたりする。私は錬金化学作業時に溶剤として使うつもりでいる。
遊技場となっている二階に着き、全体を見回す。
札遊技卓、球撞き卓、投矢盤などが並び、壁脇にある短脚卓に添えられた寝長椅子二つには、それぞれ一名ずつが横臥している。
横たわる二人に小妖精が旺盛に反応する。
私は少し離れた場所から声を掛ける。
「おはようございます。テンゼルさん」
それなりに声を張り上げたというのに、二人とも一切反応を見せない。
さて、この嘘つき二人にどう対応しよう。まさかいつまでも寝たふりを続けられるとは思っていまい。
ラムサスからの合図でどちらがテンゼルなのかほぼ確定している。より多く嘘をついているほうがテンゼルに違いない。
顔合わせすら拒み寝たふりを決め込む二人には今すぐにでも強い態度に出てやってもいいのだが、ここは遊技場だ。そういう趣向もあるだろう。
どれ、もう少しだけお遊びに付き合ってやるか。
青年期中盤ほどの若い容貌をした、魔力が強い方の身体をニグンで優しく揺する。
何度か揺すると男は緩慢に瞼を開く。演技と分かっていると実に滑稽だ。
「あなたがテンゼルさんですね」
「ふあぁ……。お前は?」
男は半目で私の質問に質問を返す。
思ったほど呼気からアルコール臭がしない。いや、思ったほどどころか全くしない。こいつは素面だ。
つまり遊技場に薄っすらと漂うアルコールの臭気は未だ瞑目するもうひとりから放たれている。
私はそのまま素面の男に自己紹介を試みるも、クロアと名乗り終わらぬうちに男の瞼が落ちていく。
「おお、そうか……。もうちょっとだけ寝かせてくれ……」
我々を楽しませてくれるのであれば遊びにもう少し付き合ってやってもよかったが、どうにもつまらん。ここから面白くなるとも思えない。そろそろ潮時だ。
「牙をへし折られたくなければ下らん芝居は即刻やめろ。ドレーナ」
もう今にも完全に閉じそうだった男の目がカッと見開かれる。隣で我関せずを決め込んでいたもうひとりの男もムクリと起き上がる。
「もう一度聞く。お前がテンゼルだな」
「ちっ。だったらどうだって言うんだよ」
テンゼルが身体を起こしコキコキと首を鳴らす。
「いきなりご挨拶な奴だ」
「何を言うのです。あなたが礼節を守っていれば、我々もまた終始礼節を保っていたでしょう」
「さっきの一言は礼を失するとか、そういう次元じゃねえだろが。もし、こいつが何も知らなかったら、どうする気だったんだ」
テンゼルが親指の先でもうひとりの男を指差す。
「そちらのあなた。お名前を伺ってもよろしいでしょうか」
濁った目をした男は吐き捨てるように答える。
「……ジャックだ」
「ご回答ありがとうございます。さて、ジャックさん。あなたはいきなりテンゼルに身の安全を脅かされているわけですが、どう思います?」
ジャックの眉間に深く皺が寄る。
「ドレーナと知りながらあなたはテンゼルを通報していません。ご存じとは思いますが一応教えておくと、吸血種の隠匿は犯罪です。基本的に極刑を免れません」
「じゃあ、お前も死刑だな」
ジャックは忌々しげに頭をバリバリと掻く。
「お前らはテンゼルに用事があってここへ来た。正体には気付いたが、少なくとも用事が済むまでは衛兵に突き出さない。おめでとう。それだけでお前らも階段を登る日を待つ死刑囚だ」
「あはは。死刑に一番ちかい人は言うことが違いますね」
付き合う価値の低い戯れ言ではあるが、ジャックが王道の道化っぷりを晒してくれるものだから、つい楽しくなって付き合ってしまう。
私の発言の意味にピンときていない道化に、己の置かれた状況を優しく、易しく説明する。
「衛兵や軍人に捕まるグズが死刑になるのです。マディオフの軍人がどうやってテンゼルを捕まえます。衛兵がどうやって我々を倒します。できないものは、どう背伸びしたってできません。衛兵や軍人が最初に標的にするのは最も手軽に捕まえられる者、つまり、あなたが真っ先に捕まります」
「てめえ……」
心臓を小突かれていると気付いたジャックの濁った目から酩酊感が急激に失われ、代わりに鋭さが増していく。
視線はクローシェから横に滑り、両脇に控える他の手足たちを素早く観察する。
「その辺にしとけよ」
テンゼルがうんざりした声で過熱気味の場に水を差した。
「喧嘩を売りに来たんでも、お忙しい軍人さんの仕事を増やしに来たんでもないだろ。話は聞いてやるから、そうキャンキャン騒ぐな」
テンゼルは卓の上のグラスを掴み、中が空であることを確かめて、また卓の上に置く。
するとジャックが首だけ動かし、階下に向かって叫ぶ。
「おい、ソーシア!」
……。
階下からは何も返事がない。
しかし、そのまましばらく待つと、さっきの寝不足女がちんたら上に登ってくる。
客に呼ばれても口ですぐに返事しない。しばらく待たないと来ない。ソーシアと呼ばれた女店員は一見の我々だけではなく、馴染みであろうジャックたちに対しても随分なやる気の無さだ。
「何、ジャック。今日はもうご飯食べるの? あ、これお客さんのお酒ね」
ソーシアは入店時に注文したヴォトカの瓶をクローシェに差し出す。
もしジャックがソーシアを呼ばなければヴォトカがまだこちらの手元に届いていなかったのかと思うと、何とも言えない気分だ。
「食い物は要らねえ。代わりに水をくれ」
ジャックは注文しながら手を空でモゾモゾと動かす。傍目には何も意味がないただの手遊び、しかし小妖精は手の動きに反応を示す。
ジャックはソーシアに何らかの合図を出している。二人はただの客と店員ではない。
「はいよ。テンゼルは何か要る? それとも、もう出掛ける?」
「ソクポミドロヴェを頼む。あ、スクイーザーは持ってくるなよ。搾ってから持ってこい」
「テンゼル~。ウチじゃあ、そういうサービスやってないんだよね。手前でよろしく」
ソーシアの無茶苦茶な受け答えにテンゼルが盛大に溜め息を衝く。
「スクイーザーは分厚い皮のある柑橘用だろうが。薄皮しかねえポミドールをスクイーザーで搾ったらどうなるか分かんねえのか」
「だってほら、私のメインってば料理だし」
「なおのこと分からなきゃダメだろうが」
「それからそれから、ここじゃあソクポミドロヴェを頼む人ってあんまりいないしー。まあでも作ってあげよう。タルカを使うから、ちょい時間かかるよ。他は注文ある~?」
ソーシアは我々を含めてぐるりと見回してから階下へ降りていく。
最後まで悪びれなかったソーシアの姿が消え、テンゼルが椅子に座り直して背中を丸め、疲れた声で言う。
「何年バーキーパーやっても成長しねぇ……」
ジャックが遠い目でテンゼルに相槌を打つ。
「『ウチじゃあ』だとさ。とんだ勘違いだ」
哀愁漂う二人の遣り取りに、不覚にも私は少し共感してしまう。
テンゼルとジャックは普段からソーシアに振り回されているのだろう。私も弟子の悪行にしばしば心がクタクタになるから、気持ちは分からんでもない。
「おい」
テンゼルが背を丸めたままクローシェに言う。
「クロアと言ったな。お前たちは何者だ」
「私たちはですね……」
我々は普段と同じように自己紹介する。
その途端、テンゼルとジャックの表情が険しさを増す。
「リリーバー……。また王都に戻ってきたのか」
我々は表社会のワーカーパーティーとしては目立った活動実績がない。ところが裏社会の人間には、それなりに名が売れている。
別に名を売るつもりはなかったが、一連の大氾濫で得た戦利品を売り捌いたのだ。目立ちたくなくとも目立ってしまう。
テンゼルは不良だろうと悪徳だろうと手配師の端くれ、我々のパーティー名に聞き覚えがあって当然だ。では、ジャックはどうなのだろう。
「ジャックさん。あなたも手配師なのですか」
「俺は違えよ」
「では、これから仕事の話になるのであなたは外してください。もし外していただけないのであれば、我々とテンゼルが移動します」
「ジャックが外す必要も、俺やお前たちが移動する必要もない」
テンゼルは空のグラスをコツン、コツンと指で彈きながら主張を続ける。
「ジャックも下のソーシアもペラペラとは喋んねえよ。少なくとも公権力にはな。もうちょっと言うと、俺たちの仕事は横の繋がりを重視する。最低限の秘密保持はするが、自分たちの情報を一切、他言しないでほしいってムシのいいことを考えてんなら他を当たんな。俺たちにゃあ無理だ」
「……いいでしょう。ジャックさんの同席を許可します」
理想とは程遠いものの案件発注の体裁が整い、我々が情報を欲して手配師を探していることをかいつまんで説明する。
「お前らの情報漁りはまあ分かる。……が、それでどうして俺の所へ来る。寄せ場にいくらでも手頃な奴らがいるだろう」
「そもそもお前らはテンゼルのことを誰から聞いた」
ジャックはただ同席するだけに留まらず、当たり前のように質問してきた。
「誰からって、フォニアさんからです。我々は手頃な情報源ではなく、信頼のおける情報源を探してここへ来ました」
「勝手に紹介も信頼もするな。どいつもこいつもロクなことしやがらねえ……」
テンゼルの頭がガクンと垂れ、しばらく懊悩してから顔を起こす。
「お前らが支払える分は教えてやる。聞くこと聞いたら、さっさと帰ってくれ」
「割り切っていただけて助かります。支払いについて相談なのですが、今は手持ちが悲しいくらいありません。後払いでなんとかなりませんか」
「素人かよ。勘弁してくれ……」
テンゼルがまたガクンと項垂れる。
こんな反応になるのも当然だろう。初対面で後払いの要求など非常識にも程がある。頼んでいる私としても正直、テンゼルに申し訳なく思う。後日、割増分を含めて報酬を支払うのは大前提として、それ以外にも何かテンゼルに見返りを与えたいところだ。
「あ、いいことを思いつきました」
クローシェで開手をひとつポンと打つ。
「せっかくここは遊技場なのです。遊技でツケの可否を決めませんか。あなたが勝てば我々はおとなしく引き下がりましょう。後日、負け分と情報料を持って参りますので、その時は改めて情報を提供してください。もしも我々が勝ったら後払いを認めてもらいます。今日この場で情報を提供してください」
「勝っても負けても俺は損しかしねえじゃねえか。そんな勝負、誰が受ける」
「うーん。そんなことはないと思うのですが……」
遊技の勝敗いかんによらず私は払うべきものを払う。踏み倒すつもりなど毛頭ない。だが、初対面のテンゼルに我々を信じろとは無理な願いだ。信じてもらうにはそれだけの支払い実績を積み重ねなければならない。
では、どうするか。
二人とも眠らせて身体に聞く手はあるが、それはそれで時間がかかる。我々が欲している情報の量を考えると、しばらくハントに時間を割いて金を作ったほうが最終的な所要時間は短く済みそうな気がする。
「くくく」
ジャックが唐突に笑い出した。こいつは単に横に居るだけでなく、完全に当事者を気取っている。
「面白そうだ。テンゼル。その勝負、受けてやれよ」
テンゼルは安請け合いせず、真意を量らんと冷ややかにジャックを打守る。
ジャックはそんなテンゼルを見てまたひとつ笑い、今度は我々に向かって言う。
「おい、ルカ。支払いは――」
「私はルカではありません。さっき名乗ったでしょう」
「見え透いた嘘をつくんじゃねえ。お前もドレーナだろうが。通報がどうたら、さっきは舐めたことを言いやがって」
想定外の言いがかりが私を少し驚かせる。
どうやらロギシーンでの出来事はまだ王都まで十分に伝わっていないらしい。
ルカがドレーナではなくヒトであることを知っている人物は限定されるにしても、ルカがロギシーンで死亡したことや、クローシェがこのパーティーに加わったこと、それからユニティを率いていたクローシェの顔を知る人間はそれなりにいる。しかし、ジャックはそういった事実をひとつも知らない側の人間で、だからこういう発言になる。
「ルカという人物はもう死んでいます。私が殺したので間違いありません」
「……現役構成員を殺せば加入できる仕組みか、お前のところは」
誤解させる意図は全くないのに、誤解が勝手に深まっていく。かといってイチイチ訂正するのも面倒だ。ひとつ説明すれば新たな疑問が一〇でも二〇でも湧いて切りがない。それに、どれだけ丁寧に説明しても齟齬は必ず生じる。
見よ、我々の惨状を。極めて高度な情報力があり、かつ常に私の傍にいる情報魔法使いですら私を正しく理解できていない。
ぬうう、考えていたら怒りが蘇ってきた。なんだよ、『歩く非常識』って。
私は融合を重ね、ドミネートで様々な視点から世界を見てきた結果、常人よりもずっと常識を持ち合わせている。勿論、合理性に欠けた常識は敢えて無視することもある。
常識は国や年代によって変化するから、ジバクマ人の若者たるラムサスからしてみれば、一見しただけだと腑に落ちない行動も多々取ってきただろう。
しかし、非常識呼ばわりされるほど不合理な行動を取った記憶はない。私が常識から逸脱する場合、了解可能な理由が必ず存在する。
『今日はもう帰るもん』などと、私がいつ言った。内容的に同等のことを口にしたのは認めるが、大人同士の長話に倦んで早く家に帰りたいとグズつく幼児のような言い回しは断じてしていない。
ラムサスはナジェーヤでの出来事を全体的に正しく記憶していながら、どういうわけか私の発言だけ選択的に歪めて覚えている。
それから『見て笑え』とはどういう了見だ。私は笑うなと言っただろうが。
ああああああ、考えれば考えるほど腹が立つ。
「ポーラだろうがルカだろうがクロアだろうが何だっていい。とにかく、テンゼルへの情報提供料は今日、払え」
ジャックは誤解したまま話を進める。
クローシェ関連の誤解が解けないのは別にいいとしても、金が無いのに支払えとはどういう意味だ。
「分かってない、って顔だな。俺が金を貸すと言っている。借金は俺が指定したとおりに返してもらう」
「なるほど。あなたの本業は金貸しでしたか」
こちらが興味を示すと、ジャックは再び階下のソーシアに向かって声を張り上げ、遊技の支度を命じる。
「少し待ってな。楽しいゲームを準備してやる。へ、へ、へ」
アルコールの濁りが薄まったジャックの目に欲望の滴が落ち、複雑怪奇な渦を描く。




