第二〇話 妹と弟の進路
アーチボルクへと帰り清算を済ませた後、家へと帰る。家を空けていたのは十日足らずでしかないのに、久しぶりに家に帰ってきた、という感じがする。
次に父がいつ帰ってくるか聞かなければ。ナタリー……はリラードが就学したことで、お勤めを終えてしまったから、アナに聞こう。
「アナ、いないのか。アナ」
厨房へ顔を出すと、しかめっ面のアナがこちらを見る。私が汚れた外着のままで入ってきたと思ったのだろう。既に着替えを済ませていた私の姿を確認したアナは、とぼけた表情へと切り替える。
「ちゃんと着替えているから、小言はいらないよ」
「お帰りなさいませ、アール様。私は何も申し上げていませんよ」
「それならいい。実はだね、お父様が次にいつ帰ってくるかを教えて欲しいんだ。アナは知ってる?」
準備中の夕食をつまみ食いしながら尋ねる。
「いつもいつもアール様は本当にお行儀が悪い。旦那様に叱られますよ」
「その旦那様と大事なお話があるんだ」
「もう……旦那様は一昨日お戻りになられて、今朝またベイリッシュへと発たれましたよ。次のご帰宅の予定は立っていません」
なんて間が悪い。久しぶりに戻ってきたかと思ったら、私がハントに出ている間に再び出てしまうとは。ベイリッシュか。いつものことながら、これは当分戻ってこないな。
「そうか、有難うアナ」
父とは話せないか。苦手意識を払拭してからというもの、母よりも父のほうが話しやすいのだが、これは母に話を聞き出すしかあるまい。浮かぬ気持ちに重しが追加された心地だ。
夕食の後、おそるおそる母に話を切り出す。
「お母様、お話があるのですが……」
「徴兵についてですか」
まるで話しかけられることを予期していたかのような素早い切り返しに少し驚かされる。
「それもあるのですが、その後の私の進路についてです。お父様とお母様は、私の進路をどのように考えているのでしょうか?」
「もし徴兵後に正規軍人として登用されたいのであれば、お父様にお願いしてみなさい。大学に行きたいのであれば、学費は自分で用立てなさい。もうワーカーとしての収入があるのでしょうから」
えっ? それだけ? いくらなんでも冷たくないか。……いや、自由を奪われるよりもずっと良い。
「それは私の自由にしてよい、という事でしょうか」
「そうではありません。進路の希望があるのであれば、必ず私達に確認をとりなさい」
大学ね。進路の候補の一つではある。魔法について見識を深めたいのであれば、最有力候補だ。二年前の私はそう考えていた。だが、最近になってよく考えてみると、最良の選択肢ではないような気がする。
私は魔法が上手くなりたい。それは間違いない。しかし、単に生活に役立つ魔法が上手くなるとか、使える魔法の種類が増えるだけではだめで、魔法の上達によって戦闘力が上がることも期待したい。
私は強くなりたい。強くならなければならない。何のために強くなりたいのか、は自分でもハッキリしない。おそらくこれも前世の記憶。
とにかく、戦闘力の向上を伴う魔法の上達が最優先事項だ。そうなると大学が最適な場所なのかは疑問が残る。
国防にも関わることだから、軍事的な利用価値の高い魔法技術や重要な事柄は軍や国に首ねっこを抑えられている。つまり、大学に行ったとして、魔法的な成長を遂げつつ強くなれるかどうかは分からないのだ。大学では、どの程度自治の権限が働いているのだろう。
「私は魔法に興味がありますので、大学は一度見学に行きたいと考えていました。仮に大学が私の望む成長を助けてくれる場所でなければ、このままワーカーとして働きたいと思います」
「そうですか。ではそうしなさい」
母は表情一つ変えることなく淡々と話す。無関心ここに極まれり、といったところだ。
エルザは? エルザはどうなのだろう? 私の将来はともかく、エルザの将来については考えているはずだ。
「ところでお母様、エルザはどうされるのです。来年エルザは十四歳です。信学校へと進ませるのですか?」
「それは私達とエルザとの間の話です。あなたは関知無用です」
それはないだろう。兄なんだから関知もする。どこまで除け者にする気だ。
「兄の私にも教えて頂けないのですね。分かりました」
形式的に礼だけして、母の目の前から逃げだした。
「エルザ、いいかい?」
エルザの部屋の扉をノックして話しかける。
「どうぞ、お兄様」
促されて部屋へと入る。エルザの部屋に入るのは何年ぶりだろう。
「学校とヒルハウスの授業のかけもちで疲れているだろうに悪いね」
「別にいつものことだから」
机の上の勉強道具を片付けながらエルザが答える。
「私の部屋にお兄様が来るなんて珍しいね、どうしたの?」
「ああ、進路のことでね……」
進路の相談を妹とする。そういえば二年前も、エルザが私の進路を尋ねてきたのが切っ掛けとなってハンターを目指したのだった。エルザのほうがキーラよりも母親としての役割を果たしているような……
「お兄様ももう徴兵だもんね」
「いや、私の事じゃなくてエルザの話さ。エルザの進路について、お父様とお母様はなんておっしゃっているのか気になっているんだ。教えてくれないか」
「私の進路のことか。私はこのまま学校に通い続けて……」
学校に通い続ける? 信学校へは進まないのか?
「十六になったら入軍しなさい、って言われてる。私もそうするつもり」
「入軍? 打棍を教えているから信学校へ進むとばかり考えていたのに、お母様は何を考えているんだろう」
「私も最終的には教会に行くことになるんだろうな、って考えてたよ。お母様に軍の話を聞いたのは二年くらい前かな。お兄様がハンターになって少ししてからのこと」
「リラードは? リラードはどうするのか聞いてる?」
「それも二年前にお母様が言ってたけど、リラードは信学校に進ませるみたい。お兄様、なんでそんなことも知らないの」
「誰も言わないし、お母様は聞いても教えてくれない……」
何がどうなってる? 父と母は何を考えているんだろう。父がいたら、聞けばきっと教えてくれたのに。しかし、おそらく徴兵前に父に会うのは無理だろうな。
父が家を空ける期間は年々長くなっている。戦況が芳しいからこその、この状況とはいえ、真の戦況は一市民の知るところではない。前線にいる者か、総指揮を執っている連中にしか分からない。私の父こそがその前線にいる者のはずだが、会えたところで戦況までは教えてくれないだろう。家族とはいえ情報漏洩だ。
エルザが軍人になる、ってことはプロテクトは私……じゃなくてリラードに充てられる、と考えるのが自然だ。徴兵時に前線での任務を免れることのできるプロテクト。一家の子供の中で一人だけプロテクトを充てることができる。あの母が私を選ぶわけがない。エルザを選ぶとばかり思っていたらエルザを軍人にする気だったなんて。
リラードは教会か。エリートコースに乗って、将来は司祭にでもなるんだろう。母はもしかして男の子供が嫌いなんじゃないかと思ったが、母はエルザ同様、リラードには優しく接している。
リラードが生まれた一年後から私は学校に行き始めた。だから私はリラードとあまり関わっていない。リラードもエルザと同じく家庭教師についてもらっている。エルザと違ってリラードの授業風景を虫で覗いたことがないから、リラードがどんな様子で授業を受けているかは分からない。
「最近のリラードは学校で上手くやってるんだろうか」
「私やお兄様と違って勉強は苦手みたい。運動は……人並み、普通かな。そろそろ武術を習い始めるって話になってお母様が『打棍を教えよう』ってリラードに言ったら、リラードが『剣を習いたい』って言い始めてお母様と大喧嘩してたよ」
「剣を習いたがるのは、三兄弟全員が通る道だったか……それってどうなったの?」
「喧嘩が始まったのがつい最近の話。今もお母様とリラードの間で火花が散ってる。お母様は剣を習わせること自体を嫌がっている訳じゃないんだけど、教会に行くことを考えたら、自分で教えることのできる打棍を絶対覚えてもらいたいみたい」
そこはやはり親心というやつか。対アンデッドを考えたら剣よりも打棍だろうし、今の話を聞くに、リラードに剣と打棍の両方を同時に修める余裕はなさそうだ。
「リラードはリラードで大変だ」
「そう思うんなら、リラードにちゃんと兄として接してあげたら? リラードはお兄様の凄さを知らないからお兄様のこと舐めてるよ。剣の話をしだしたときも、『僕が剣を習ったらアルバートになんか負けない』とか言ってたし」
そんな一幕があったのか。その場面、見たかったな。私やエルザの弟なんだからきっとリラードも強くなれるはずだ。
私と違ってリラードは多分引継いだスキルが無い。口の利き方は生意気で憎ったらしいが、それでも可愛い弟だから少しくらいならスキルを分けてあげたいくらいだ。
「徴兵が始まるまでの間、リラードに剣を教えてやろうかな……いや、勝手にそんなことをしたらお母様の不興を買うだけか」
自由に動けない以上、強く生きろ、としか言えない。自分が舐めている相手にそんなことを言われても、心に響くどころか腹が立つだけだろうから、心の中だけでリラードへと語りかける。
「ねえ、お兄様はどうなの? 徴兵を終えた後もワーカーを続けるの?」
「まだ考え中。ハンターはハンターで楽しいから、続けるのはありだと思ってる。ただ大学がどんなところかは気になる。徴兵が終わったら一度見学に行ってみるよ。オープンキャンパスってやつだね。魔法を探求するのに都合よければ大学に行くことになるかもしれない。そのためには学費も自分で捻出しなきゃ、なんだよなあ」
「いいなあ、お兄様はもう魔法を使えるんだもんね。私はまだ魔力循環しかさせてもらえない。しかも在学のままだから、早くても二年後まで魔法を教えてもらえないんだよ、ひどくない?」
「国のルールだから。エルザは凄い魔力を秘めているから、すぐに魔法を覚えられるさ」
これは世辞でも何でもない。操作技術は未知数ながら、同じ年齢で比較したときの魔力の絶対量は私よりエルザのほうが多い。エルザは優秀な魔法使いになれる素質がある。それも優秀の前に、超がつくレベルのだ。
「剣は習わせてもらえない、魔法はいつまでたってもお預け。私が我慢できなくなって、『私もハンターになる!』って言い出したらお母様はどんな反応をするかなあ」
「それは……恐ろしいことになりそうだ」
「私とお母様が喧嘩をしても、お兄様は助けてくれないんでしょ?」
「お母様は強くて怖い。普段から私の言うことに耳を傾けてくれないし」
「お兄様は昔から強かったけど、最近は更にメキメキと強くなってるってカールから聞いたよ。今ならお母様と戦っても勝てるんじゃない?」
「まだ無理」
母には闘衣がある。あれがある限り簡単にダメージを与えられない。本気を出した打棍を掻い潜れるのかどうか未知数、というか多分まだ無理だし、掻い潜っても闘衣の上からでは通常攻撃だとダメージを与えられない。となると、母にダメージを与えるにはスキルか魔法を使わざるを得ない。
母と手合わせしたあの日、母から感じた魔力は今の私よりもずっと強大だった。現状では母の命を奪うつもりで戦ったとしても、それでもなお勝機があるかどうかすら分からない。
「喧嘩になったら助けられないけど、お母様が許可してくれたら一緒にハントに行くのはいいよ」
「その可能性がないと思ってるから、そんなこと言うんでしょ。いいなー、ハンターは楽しそうで。お金も稼げるし」
「多分エルザが考えているほど稼いでない。ゴブリンばっかりでお金になる魔物に出会えない日なんてザラにあるし、お金が入っても、経費で消えていく上、家の警備員代も捻出しないといけない。財布はカツカツ。大学に行くための費用を貯められるか、って言うとかなり難しいよ」
カツカツというのは、嘘とも本当とも言い難い。ダナとグロッグが加入して以降、金の回りは悪くない。
狩場をランクアップさせると装備を更新する必要があるし、狩場はそのままでも武器も防具も手入れにお金がかかれば、破損して買い替えなければならないこともある。アイテムなんかの雑費もバカにならない。
今回のメタルタートルハントでは大きな黒字にすることができたが、これは運がよかっただけだ。メタルタートルに勝てなかった、巡り合えなかった、誰かに既に狩られていた、など、結局狩れずに終わる可能性は十分あるから、期待値はそこまで高いものではないだろうし、日数がかかることを計算に入れると通常の狩りよりも収支が格段に優れている、という見込みではそもそも無かった。幸運にも二頭いて、それを両方狩ることができたからこその特別収入である。
そういう景気の良い分だけを見て憧れを抱き、ワーカーの多くが一度はハンターになることを考えるらしい。だが、能力的にも金銭的にもハンターを続けられるものは少数だ。
ワーカー全体で数えるとハンターの割合は一割くらいだし、専業のハンターはさらにその一割程度だ。専業でやっていけるものはその位しかいない、ということだ。
チタンクラスやミスリルクラスのハンターだと相当羽振りがよくなるらしいが、それでもハントで命を落とすこともあれば怪我を負うリスクがあるのには変わりないし、年老いて続けるのは難しい。トップクラスのハンターは、その名声と人脈を活かして最終的に別の職業に落ち着くことが多いと聞く。
「でも楽しいんでしょ?」
「そりゃあね」
エルザを煽る形になってしまった。そう。楽しいのである。
なぜ兼業のハンターがいるのか。彼らの大半は、生活費を別のワーカー業務で賄っている。生活に必要な金を非ハンター業で稼いだ上で、趣味の一環としてハンターをやっているのだ。
大発生や大氾濫などで頼まれて、自分の希望とは別にハンター役を務めることがあるにせよ、ハント自体を楽しむ、というのは多くのハンターにあてはまる。
私もハンターをやる何だかんだの理由とは別個に、純粋にハントを楽しんでいる部分がある。他の色々な娯楽では決して代替できない特別な充足感が得られる。
「学校が休みの日、一緒にハントに行けたらいいのに」
「お母様が家庭教師の授業を休ませてくれないよ」
「それなんだよな……そうだ。ハントに行くのは無理でも……」
ダナとの会話の中で浮かんだ「思い出作り」という単語が脳裏に浮かび、私は一つの考えを思いついた。




