表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/214

第二話 魔法を再び

 私が大人の話す言葉を理解できるようになるまでは、生後数ヶ月を要した。現世の言語が前世と異なる、ということではなく、耳から入る音を言語として処理して内容を理解するには、それだけの時間、脳と耳の成長を待たなければならなかった、ということである。生まれた直後から周囲の会話が聞き取れていれば、もしかしたらそのころの記憶もあったかもしれない。


 目や耳などの五感が情報器官として機能しだすと、今度は身体が前世のようには上手く動かせないという問題に直面した。麻痺があるとか、欠損があるとかそういうことではなく、赤ん坊の筋力は弱く、巧緻性は低く、外部からのちょっとした刺激で意思とは異なる動作が飛び出し、まるで自分の身体では無いような不自由さがあるのだ。


 上手く動かないのは手足に限った話ではなく、喋ることもそうである。舌の動き、口の形、のどの力み、腹の力。言葉一つ喋るにしても、狙った音程にならず、「あ」も「い」も喋り分けれない、丁度良く声を区切れない。呂律も回らずに素っ頓狂な高い声を連続的に出すことしかできない、ということだ。大人からすればそれが可愛くて喜んでくれるのだが、意思伝達手段として用をなさないとこっちは困る。


 それでも使えば使っただけ、急速に身体は私の精神に馴染み、できる動作、発音できる単語は増えていった。


 いつだったかナタリーが


「アール様は、どんどん新しい単語を覚えていきますね」


と私に語りかけた。それは正確ではない。語彙量が増えているのではなくて、既知の単語の中で、ナタリーに聞き取ってもらえるレベルにまで発音が上達したものの数が増えているのだ。


 言葉を取り戻し、動作を習得し、次に踏み出す段階としては魔法である。魔法は言葉よりもずっと難易度が高かった。


 前世では私にとって最重要事項だったはずの魔法を、この身体では一切行使できない。そもそも転生したこの世界が「魔法という概念、法則の存在しない世界」では無いかと考えたこともあったが、周りの人間たちは私の将来について「魔法使い」だの「勇者」だの言っているから、それはないだろう。


 魔法が使えないのは、単に自分の有する魔力量が少なすぎることが原因だと結論付けた。できることと言えば、魔法使いの基礎、魔力の流れを感じ、魔力量上昇に役立つとされる"魔力循環"のみ。体内を揺蕩う魔力を制御しつつ躍動的に動かす単調な訓練をひたすら繰り返すことだけだった。


 最初は魔力循環のために自分の中の魔力を知覚することさえできなかったのだから、魔法が存在しない世界と勘違いしたのも無理はない。魔力の増加速度は身体の成長速度に比べるととてものんびりとしたもので、生後半年を過ぎてようやく魔力循環を行えるようになった。最低レベルの魔法ですら使えるようになるのはまだまだ先の話であった。




 日々を動作の獲得と食事、睡眠に費やし、一歳の誕生日を迎える少し前にようやっと二本の足で立てるようになった。


 ナタリーが


「私の一番下の弟が立てるようになったのも、アール様と同じくらいの頃でしたよ」


と言っていたから、前世の記憶の有無は、両足立ちの習得時期とは直接関係ないらしい。




 立てるようになった数日後、非常に程度の低い微弱な魔法を行使できるようになった。


 魔法の一、リーンフォースパワーでの筋力増強は、短時間しか立っていられない私にとって魅力的な選択肢に思われた。だが、実際に使ってみると元の筋力が弱すぎるところに矮小な魔法をかけたところで誤差程度の効果しか得られず、実用性は皆無であった。貴重な魔力の使途からは早々に外れた。


 最大魔力量の少ない私に最も有益な魔法がドミネートであった。ドミネートは、任意の対象の行動の支配権を奪い、魔法行使者の思い通りに動かし、また、対象の五感を行使者側から一方的に共有できるという魔法である。


 魔法抵抗の大きい対象にドミネートを成功させることは難しいが、魔法抵抗が皆無と言って差し支えないような小バエ程度の虫であれば、十分に成功させることができる。更には、いったん成功すると支配状態を維持するのに要する魔力量が非常に少なく、効果を永続させやすい、というのも特筆すべき長所であろう。


 体力的に動き回れる範囲の非常に限られた一歳の子供と違い、ハエであればあっという間に遠くまで飛んでいける。ドミネートの効果範囲は中距離、といったところで、ハエの身体で一分ほど一直線に飛び続けて私本体から遠ざかるとドミネートは解除されてしまう。今のところそんなに遠くに用はないので何も問題はない。


 ハエを飛ばすことは、魔法の練習であり、家の構造を把握するための情報収集にもなった。ハエから得られる視覚や聴覚の情報は、人間の感覚器官で得るそれとは全く毛色が異なり、理解するために私自身の脳の処理能力を大分割く必要があったが、脳の成長へのよい刺激になるものと期待された。


 ハエで丹念に周囲の様子を調べ、露払いされた安全な道を歩むのである。この二本の足で。ただ、自分一人で動き回れるのは、脅威や危険といったものとは無縁な、ナタリーによって綺麗に片づけられている子供部屋の中だけであり、そもそも露払いなどは不要なのであった。


 まだ私は子供部屋のドアノブに手が届かず、ハエではドアノブに到達したところでノブを回すことはできないため、子供部屋を一人で抜け出すことなど夢のまた夢だった。


 あと何度夢を見ればドアノブに手が届くようになるだろうか。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ