第七二話 道草とロバモドキ 三
前話の三章 第七一話は11月30日に投稿後、12月26日に大幅に加筆しています。未読の方は第七一話から読んでいただくようお願いします。
緊急大運動会から辞去し、狂騒の届かぬ静かな所までくるとラムサスが盛大に溜め息を衝く。
「あれほど『穏便に』って言ったのに」
「暴力を行使せず、かつ角の立たない別れ方をした」
「分かってないなあ……」
演技がかった頭の振り方は、私に対する精一杯の皮肉だ。
「それで……さっきのはドミネートで馬を暴れさせた?」
ドミネートを駆使したのは間違いない。しかしながら、ラムサスは私が馬を直接操作したと勘違いしている。
「違う。“判定試験”の時にやったやつと同じだ」
「わあ、痛そう。ああ、かわいそう。あの馬は悪いことをなーんもしていないのに」
「罪をこじつけるならば……。そうだな。欲深い主人に使役されている。それがあの馬の罪だ」
「こじつけにしてもひどい。評定理不尽アンデッド。ただちに控訴する。馬と和解せよ」
ラムサスの空想裁判は混沌としすぎていて何がなにやら分からない。私は被告人なのだろうか。それとも裁判官なのだろうか。
ラムサスが控訴するのであれば、彼女の頭の中で自身は検察官ということになるが、求刑する立場の人間が和解を促してどうする。由々しき腐敗だ。
私は情報魔法使いの希望に沿い、誰にも怪我させずに場を切り抜けた。それなのにラムサスは腐敗検察官になってまで私を詰る。それも、愉快、痛快とばかりに笑いながら難詰するのだ。まったくもって度し難い。
それに暴れている馬にしたって単に『痛い』だけで何も負傷していない。痛くて暴れすぎて結果的に怪我する可能性は無きにしもあらずだが、隊長らが必死になって、しかも思ったよりずっと的確に対応していたから大丈夫だろう。
突如、ラムサスの笑いが途絶える。
「暴れっぱなしだと、発狂したものと判断されてそれこそ処分されてしまうかもしれない」
「それは心配ないだろう。私とて、そこまで考えなしには行動しない。ちゃんと短時間で効果が自然消失するものを使った」
馬の体表に塗布した発痛物質はわざわざ魔法で失活させずとも小一時間もせずに自然と効果が切れる。
この発痛物質、元はひどく扱いにくかった。そのまま体内に注入すると極めて長時間、効果が持続して対象に痛みを与えるばかりか、活性が失われても痛みはしつこく残って長期間対象を苦しめる。
ほんの少し扱いを誤ると対象ではなく自分が苦しむことになるのは自明、毒として常用するには厄介な代物だ。
私にこの物質モロイドトキシンを教えてくれた……と言っても、私が勝手に覗き見て学んだだけだが、とにかく学習機会を与えてくれたグレイブレイダーのフォニアもモロイドトキシンに複雑な修飾を施し、扱いやすいように特性を変化させて用いていたようだ。
限られた覗き見の機会では加工の詳細までは突き止められなかったため、後に私は独自の加工法をいくつか編み出した。そうして出来上がったのが、それなりに実用性を見いだせそうな試作品数種で、そのひとつがついさっき輓馬に使った発痛物質である。
使い方や組み合わせ次第で刺された痛み、打たれた痛み、灼かれた痛み、皮を剥がれた痛み、多種多様な痛みを再現できる。
とはいえ発痛物質は使う機会が限定される。いや、限定されるどころか、実用機会にはついぞ巡りあえないのではないかと元物質の存在を知った時には思ったものだが、意外や意外、活躍の場はそこかしこにあった。
判定試験しかり、今しかり、発痛物質は有用性を遺憾なく発揮している。
いやはや何事も軽率に低く価値付けずに学んでおくものだ。
「嘘つき」
「嘘? 嘘などどこにもない。モロイドトキシンは加工によって作用時間が短縮し――」
「いいかげん察しが悪すぎる。そこが嘘とは言っていない」
私の眼識の低さを嗤う情報魔法使いの流眄たるや、なんとまあ嫌味なことか。
[*流眄――ながし目に見ること]
「なら、あなたに気付きを与える誘導問題をひとつ。最も新しいノエルの軽率な行動はなんでしょう」
視線が嫌味に斜めなら口から飛び出す嫌味の切り口もまた斜めだ。
臨時同行者の子供たちがそばに居るというのに、今日のラムサスはよく喋る。
……訂正しよう。『今日の』ではなく、『今日も』ラムサスはよく喋る。
ロギシーンで溜まりに溜まった不満が無駄口で解消できるのであれば安いものだが、それでも子供たちと別れるまでは我慢してもらいたい。そう時間はかからないのだから。
昨日の移動時と同じく子供たちはパーティーのやや前方、そして我々はやや後方にいて、互いの距離はそれなりに遠い。こちらの声はそうそうあちらまで届かない。しかも二人は輓馬の暴れっぷりに当てられて興奮おさらまず、少ない語彙を目一杯活用して先程の光景に受けた衝撃の大きさを何遍も何遍もクローシェに語っている。話すのに夢中で後方への意識は全く無い。
とはいえ、風の流れなど何かの拍子に我々の話し声が向こうまで届かないという絶対の保証は無い。余計な不安を減らすという意味でもしばらくの間、自重してもらいたいところなのだが、どうやら今のラムサスにそれは無理な願いらしい。
鬱憤という名の濁り水を満杯まで溜めて決壊寸前になったラムサス貯水槽はロギシーンを発った日から緊急放水態勢に突入している。一定量を放水するまで水門は閉じること能わない。
幸か不幸か街道に魔物の気配はなく、イグナがシシュたちに警告していた野盗も姿を見せる様子はない。危機の不在をいいことにパーティーは前でも後ろでも賑やかにしながらゆっくりとした速度で歩いていく。
すると向こうからやってくるのは新しい集団だ。
よしよし、いいところに現れた。これで情報魔法使いの意地悪問題に頭を悩ませずとも済む。
「お喋りは終わりだ。次の候補者たちが見えてきた」
接触に備えてパーティーの人員配置を整える。パーティー最先頭がアンデッドたちだと会話には不適当だ。声でアンデッドだとバレてしまう。
今度こそ子供を預けるに足る好ましい集団であってほしいものだ。これでもし、また不適格だったらどうやって離脱しよう。二回続けて輓獣に張り切ってもらうわけにもいくまい。カヤとシシュが怪しむ。
いっそ二人とも眠らせておくか? いやいや、それだと交渉成立して受け渡そうとしたときに面倒が生じかねない。
良い別れの手口を閃かぬうちに集団は目の前に現れる。ここは素通りさせるか。いや、次があると悠長に構える愚者は好機を永遠に逃す。
なるようになるさ。取り敢えず話し掛けておけ。
私は笑顔を作って集団に接触する。
今度の集団は構成人数が先程の隊よりも少ない。集団全体の戦闘力は概ね先程と同等だ。集団の性格としては、兼業ハンターをしている者たちが護衛を務める準公的な輸送隊で、荷物は大切だがソリゴルイスクへ届ける期日はそこまで差し迫っておらず……。
なんだ。さっきの連中とほとんど同じような集まりだな。隊長格の人間の中身まで似ていないといいのだが……。
一抹の不安が私の胸をよぎる。
すると、ほんの僅かな空気の変化を感じ取ったのか、クローシェと対話する隊の牽引役オーザムが「何か困り事か?」と尋ねてきた。欲深さを感じさせない、温かみのある口調だ。
とはいえ、上辺はいくらでも繕える。そして、我々は安手の仕立てを容易に剥ぎ取る能力がある。
剥ぎ取り屋の反応を待っていると、『問題なし』の合図が出される。
これは期待が持てる流れだ。私は依頼にあたって最も重要な質問を思いきってオーザムにぶつけてみる。
「隊にチェンムヴィツェという土地をご存じの方はいらっしゃいますか」
「チェンムヴィツェ? 俺、知ってるよ」
私の質問に少し怪訝な顔となったオーザムが何を言うより早く、話し合いの輪の外にいる人物から答えが返ってきた。それまでその男はクローシェとオーザムの遣り取りを気にする素振りなくぼんやりと立っていただけだったが、聞いていないようでいて実は抜け目なく会話を聞いていたのだ。
答えた男がこちらへ来て会話に加わる。
「チェンムヴィツェを知っているとのことですが、あなたはそこに行ったことがありますか」
「そりゃあね、へへへ」
男はなぜかもじもじと笑う。
私は男の奇妙な表情から慎重に腹を読もうと試みるものの、見えてくるのは謎の羞恥心ばかりで悪意の類は出てこない。
「あー、ロッペンは確かに行きそうだよなあ」
ロッペンという男の照れ笑いに引き寄せられたかのように他の隊員たちまで数名、話に参入する。
「違うって。そういうんじゃないんだって。俺はただ尊敬してやまない『砕かれた氷』イオスの出身地の近くだから、後学のために――」
「ロッペン。言い訳にしてもそれはちょっと苦しくないか。行くなら『近く』じゃなくて『出身地』に行けよ」
「本当は祭りに加わりたかった。そうなんでしょ?」
「だから違うんだって」
「別に悪いことをしたんじゃないんだ。どうせ最後には全部喋らされる。最初から素直に話したほうが、互いに面倒がないと俺は思うぞ」
「そうだ、ロッペン。吐いて楽になりなよ」
四方八方から追求されて観念したロッペンがガクンと肩を落とす。
「……そうだよ。祭りの時期に行ったんだよ」
「ほらー!」
我々を置いてけぼりにしたまま、輸送隊は身内で勝手に盛り上がり始めた。
隊の雰囲気が良好なのは子供を託すにあたって悪くない。仲が良いのは全く問題ないのだが、彼らの発言には気になる点がいくつかある。
まず『砕かれた氷』だ。おそらく、数あるイオスの二つ名のひとつなのだろう。有名な人物ほど二つ名は多い。ただ、私はそんな名前、初めて聞いた。
もっと気になるのはロッペンがイオスの出身地を『チェンムヴィツェの近く』と主張している点だ。
私は知っている。イオスの出身地はソリゴルイスクだ。
しかし、ここで矛盾が生じる。
おそらくこいつらはソリゴルイスクに何度も出入りしていて、なおかつ全員がチェンムヴィツェを知っている。もしかしたら全員、この近辺の出身なのかもしれない。とにかく、この辺りに詳しい人間たちだ。それなのにソリゴルイスクを指して『チェンムヴィツェの近く』などという、いかにもマディオフ南西部に縁遠い人間がしそうな表現をするものだろうか。いや、しない。
つまり、こいつらはイオスの出身地を『ソリゴルイスクでもチェンムヴィツェでもない、しかしながらチェンムヴィツェにはかなり近い場所』と認識している。そうでなければ、ロッペンの言い回しには説明がつかない。
はて、これはどういうことだ。イオス・ヒューラー以外にもイオスという名の有名人がいるのだろうか。
それから祭りが何なのかも分からん。危険なものではなさそうだが、かといって世評芳しいものとも思えん。
一度に全ては尋ねられない。分かりやすいところから潰していこう。
「聞いてもいいですか。『砕かれた氷』とはイオス・ヒューラー教授を指したものでしょうか」
「あ、ごめん。話の腰を折ってしまって。そうそう、そうだよ。昔ながらの言い方を借りるなら『氷の魔術師』のイオス大兄のことだ。『砕かれた氷』ってのは今、一番熱い呼び名さ」
魔物の討伐中に落命したか大怪我でも負ったかのような不穏な呼び名だが、ロッペンの口ぶりからするにイオスは今も元気に活動継続しているものと思われる。
「そうでしたか。ヒューラー教授の出身地はソリゴルイスクと記憶しておりましたので、不思議に思って尋ねた次第です」
「だろうね。イオス大兄に詳しくない人は大抵そう勘違いしてる」
勘違いも何も私はイオス本人からソリゴルイスク出身と聞いた。覚え間違えているのは私ではなくロッペンだ。
[*一章第四八話参照]
……いや、そうとも限らないか。
専業ハンター時代のイオスは各地を飛び回っていた。マディオフ全国では飽き足らず、たまに国境を越えたり越えなかったりしていたようだが、それは今は置いておくとして、色々な場所に行けば色々な人間に出会うのが常、個人情報をあれこれ尋ねられる機会はさぞかし多かったはずだ。
訪れた土地の人間に『出身は?』と聞かれたイオスが『チェンムヴィツェの近くにある名もなき集落だ』と答え、『チェンムヴィツェが分からん』と言われて『ソリゴルイスクの近くだ』とまた答える。
数限りなく繰り返される二度手間、三度手間にうんざりして最初から出身地をソリゴルイスクと答えるようになる。
有名人かつ諸国漫遊の民たるイオスならばなるほど、あってもおかしくなさそうな背景だ。私もイオスに『出身地はソリゴルイスクのどこなのか』とまでは深堀りしなかったから、私とロッペン、双方の記憶が正しい可能性は大いにある。
「またひとつものを知りました。教えていただきありがとうございます」
「感謝されるほどのことじゃないって。本題に戻るとして、クロアさんはチェンムヴィツェに何か用が?」
「実は……」
私は彼らに子供たちの事情をかいつまんで説明する。
「なるほどなあ。事情は分かった。でも、チェンムヴィツェに行くとなると結構な遠回りになるから……」
ロッペンは我々に色好い返事ができなくて気まずいらしく、言葉が尻すぼみだ。
協力はしたいが輸送品の納期の都合で請け負えない。そんなところだろう。おそらくチェンムヴィツェは険路を通るなり大回りするなりしないと辿り着けない面倒な場所にある。
数時間の寄り道では済まず何日もかかるようであれば、金銭的な問題も必然、生じる。
「多くはありませんが、謝礼ならいくらか差し上げられ……れ……れれれ?」
謝礼という言葉を口にした途端、私は不安になり、「申し訳ありませんが、少々お待ちをば」と会話を一時中断して銭袋の中を覗き込む。
……。
ぐああ、やっぱりだ。手持ちがあまりない。いや、これはもう全然ないと言っていい。それくらいない。やらかした。
多額の金を持ち歩くのが好きではない私ではあるが、それにしたって金が少なすぎる。なぜこんなに少ない。
最後に大きく金を使ったのは……借家の家具を買い揃えた時……ではなくて王都入出の臨時税を納めた時でもなくて……。
そうだ! 万屋セルツァでパーッと使った時だ!
久しぶりに良い買い物ができる機会だったから、金が許すかぎり欲しい物を買って、その後は金の出入りがほぼ無い。
そうだよ、そうだよ。ロギシーンでは何を買っても減るのはナラツィオ・トルカルトの小遣いばかりだった。
忙しかったり寝不足だったりして他人の金と自分の金を混同し、その悪影響が今の今まで続いていたのだなあ。
己の失敗をしみじみと振り返り、そういえば目の前の人間を待たせていたことを思い出す。
「取り敢えず、これは全て差し上げます」
手始めにクローシェの手に持った銭袋をオーザムに押し付ける。
オーザムが銭袋の口を開くと、遠慮を知らない隊員たちが頭を寄せてきて皆で中を覗き、そしてすぐに一勢に顔を上げる。
オーザムが申し訳無さそうに「これは……確かに多くはないね」と感想を述べる。
我々を見る輸送隊の目は一様だ。私はこの目を知っている。金欠が窮まったときのグレンやミレイリを見る部員たちと同じ目だ。
「それだと謝礼にはあまりにも少ないと思うのでこちらも、あとはこれも差し上げます」
我々はそれなりに金になる物を持っている。だから、そういう目で見るでない。
ロギシーンに行って帰ってきた道中で出くわした魔物の精石、換金性がまずまず高い薬草や香草の中途加工品、謝礼の代わりとして渡すのに相応しい値打ち物を荷物から引っ張り出しては彼らにひとつ、またひとつと持たせていく。
「お手数ですが、街でそれらを全て売却して、必要な分だけ謝礼として受け取ってください。残りは子供たちの生活費として向こうで保護者となる人物に渡してもらえると助かります」
「お手数って……俺たちはともかく、これだとあなたたちが困るだろう。親切は余裕のある範囲でやらないと身の破滅だ」
「何を仰います。我々はハンター、必要なものはいくらでも己の力で手に入れられます。この街道はマディオフの幹線道路だけあって魔物にめっきり出会しませんが、少し道を外れてごらんなさい。金になる魔物が大量に息衝く素晴らしいフィールドがどこまでも広がっています」
「それを狩れる実力があるなら、こんなに寂しい銭袋にはならない。違うか?」
「精石を渡したではありませんか。それが実力の証明です」
「いやいや、運が良ければ精石は行き倒れた魔物からでも手に入る。魔物を討伐して精石を集める力があるなら普通は精石以外の戦利品をもっと大量に持っている。それなのに、あなた方の荷物から出てくるのは採集品とその加工品が大半だ」
価値の低い部分を放り置いた弊害が、まさかこのようなかたちで顕れるとは思わなんだ。
世情を受けて相場が変動をきたしているにせよ、それでも私が彼らに渡した物品の総売却価格は謝礼として十分なはず。こちらの内部事情など詮索せずに黙って受け取ればいいものを、つべこべつべこべと……。
正論を装う誤った推理が商談を妨げ、私を苛立たせる。
大森林の四柱の遺物を提示すればハンターとしての実力を即座に納得させられるだろうが、そうすると今度は別の波乱を招いてしまう。
「まあいいじゃないか。頼まれてやろうぜ」
隊員がひとり、オーザムの肩に手を置いて言う。
「クロアさんたちもいい大人だ。賢明そうな老体たちも後ろに控えている。大の大人が自分たちは大丈夫だって言うんだから大丈夫なんだろう」
ひとりが言うと、他の隊員たちも加勢する。
「ちゃんと有償の案件だしねー」
何気ない一言の裏に潜む暗い感情を私は感じ取る。
オーザムらは準公的な輸送隊として働いていて、それは取りも直さず役人たちとの浅からぬ因縁発生を意味する。自尊心が過剰肥大した役人たちは何やかんやと理屈をつけて自分の仕事を出入り業者に無償でやらせようとしてくるものだ。
一度、心に差した影は瞬く間に長く伸びていく。
オーザムの隊にも先程の隊にも宰領はいなかった。だが、本当は配置されているのに職務を放棄し、衛兵詰所裏あたりで色と怠惰に耽溺しているだけだとしたら……。
景気の後退局面では、そうでなくとも娼館に落ちる金が減る。しかも、娼館の上顧客たる衛兵たちは多忙の極みで詰所裏どころか詰所に戻る暇もない。
娼婦は客ではなく茶を引く時間が増えるうえに、職にあぶれて苦界に落ちる商売敵は激増する。少ない客を奪い合い、普段ならばありえない過剰なまでの接待と熾烈な割引合戦が始まるのは想像に容易だ。
そこへ現れたるは暇と小銭を掴んだ新参の小役人ども、平時よりずっと少ない支払いで、まるでかつての貴族かのように遇してもらえる。
堕落を覚えてしまった彼らは娼館から梃子でも動かなくなってしまう。局所だけは動き続けているかもしれんがな……。
贓吏と化した役人は娼館に蟠踞する一方で、やらねばならぬ仕事を輸送隊に押し付け頤使する。
[*贓吏――不正の財を貪る役人]
[**蟠踞――根を張って動かないこと]
[***頤使――人を軽んじて使うこと]
この推測は、私がよく犯しがちな“真実探し”のひとつなのかもしれないが、何から何まで当たっていたとしてもまるで不思議はない。
私の内心を知らず、隊員たちは柔和に語らう。
「少なくとも難しい案件ではないよなあ」
「そうそう。ロッペンだって久しぶりにチェンムヴィツェに行けて嬉しいんじゃねえか」
「だから、俺はもうそういう期待はしてないって。でも、依頼は受けてあげていいと思う」
そういう期待がどういった類の期待なのか私には分かりかねるが、隊員たちは受注で気持ちが固まりつつある。
最終判断を求める隊員たちの視線がオーザムに集中する。
「うむぅ……。だけどな、行くにしてもまずは先約を果たし、それからになる」
「我々も出会ってからまだ一日しか経っていませんが、子供たちにはそれくらい待てるだけの分別が備わっていると思います」
「そうか。子供ねえ……。年の頃は一〇歳前後……。取り敢えず、子供たちに会わせてくれないか」
「恩に着ます」
「気が早いって。まだ請け負うとまでは言っていない」
交渉が半ば成立し、大人の遣り取りを遠巻きに見守っていたカヤとシシュを正式に輸送隊の面々に紹介する。
子供の相手に慣れた隊員がいてくれたおかげで、二人は我々と会った時よりも遙かに円滑に隊員たちに馴染んでいく。
分別はまずまず足りていても礼儀が足りていないんだよなあ。馴染みすぎて失礼が無いようにしてくれよ……。
私の不安を他所に、オーザムは二人を見て依頼を正式に受諾してくれた。
◇◇
荷物が減り、心も身体も軽くなった状態でぼんやり考え事をしていると、それまで思い出せなかったことが突然思い出せるようになる。
「あー、そうでした。ロゴヴィツェでした」
「唐突になんの話?」
適切な前置きなく発してしまった私の一言にラムサスが説明を求める。
「いえね。チェンムヴィツェは、名前だけはどこかで聞いた気がすると最初から思っていたのですが、かつて私が聞いたのはチェンムヴィツェではなくロゴヴィツェだった、という事実を今、思い出しました」
「何を今更……と責めるのは酷か。思い出さなきゃ、と焦ると全然、思い出せなくて、事が終わってほっとした途端に思い出す。そういう経験、私もあるかも」
「ロゴヴィツェにチェンムヴィツェ。古代語と照らし合わせみると――」
「『ヴィツェ』は村や集落を意味しているから、それぞれ『ロゴ村』と『チェンム村』になる」
「ええ、そうですね」
名前の前半分を更に現代語訳しようとしてもロゴの意味がパッと思い浮かばない。土地の訛りがあると仮定して『ロゴ』ではなく『ルク』と考えると『角笛村』になる。地名としては、いたって普通だ。
チェンム村のほうはロゴ村よりも解釈が難しい。
ラムサスも私と同じく際どい解釈に悩まされているようで、困惑気味に言う。
「チェンムヴィツェは今風に言うと『暗い村』?」
「最も一般的な解釈ではそうなります。他の解釈候補を挙げると『無知な村』とか『あいまいな村』それから――」
「実は『いかがわしい村』という意味で、そういう奇祭が執り行われているのであれば、ロッペンが妙に照れたり、仲間からイジられたりしていたのも腑に落ちる」
祭事と称して一時的に性的な規範を忘れ、乱交騒ぎに興じる地域は、とりわけ地方においてしばしば見られる。
具体的な証拠も無しに我々は野放図に推理を展開していく。祭りの真相がどうであれ我々に直接の害はないから推理は気楽なものだ。
しかしながら、怪しい祭りを本当に現代になっても続けていたとして、そんな村に子供を疎開させる親がいるものだろうか。頼れる親類が他にいなければ、それもやむなしかもしれないが、昨夜切り捨てた仮説は再考の余地がありそうだ。
「引き返してチェンムヴィツェまで二人を送り届けたくなった?」
「まさか。心配していないとは言いませんが、あなたが思っているほど私は二人に感情移入していません」
「その割にはあれこれと案じているように見える。自分を客観視するのって案外、難しいよ」
勝手に内心を分かった気になったラムサスは諭すように言う。
「私たちはこの先、二人に似た境遇の人たちにいくらでも出会う。悩めるものを救いたいという欲求のままに動いていると、いつまで経っても本当の目的は達成できない」
「随分とこちらの庇護欲求を大きく見積もったものです」
「実際そうとしか思えない行動を何度も取っている」
道で見かけた子供二人をあやし、手土産を持たせてやった程度で随分な評価だ。
私は支援に値する個体と値しない個体を分けて考えている。シシュとカヤは二人とも支援するに足る、将来性をそれなりに感じさせる個体だった。だから少々手を貸した。それだけのことでしかないのだ……が、言われてみると、それは結果論のような気がする。
「あなたは――」
行動批評に熱を帯び始めたラムサスを手で制する。
「すみません。少し考える時間をください」
雑音を消し、振り返りに適した環境を作って私は問題の場面を振り返る。
昨日、夢のおかげで久しぶりに爽やかな朝を迎えた私は気分良くフィールドを進んでいた。
空の目で前方を確認していたら街道を見つけたので目を凝らしてみると、そこにゴブリン大の何かがいた。更によく観察してみたらそれは小さなヒトだった。
この時点で私は何を考えていた? 助けたいとか様子を見に行きたいとか思っていたか?
……いや、違う。ヒトの幼体が道端にいるな、としか思っていない。毒にも薬にも食用にもならない、有用性のないキノコが視界に入り込んだときと同程度しか心が動いていない。
そこへ察しのいいラムサスが話し掛けてきたので、私は包み隠さず前方の状況を説明した。そして、その場に様子を見に行ってもいいものかどうか自称軍略コンサルタントに意見を求めた。
おや、もうこの時点で思料がおかしいぞ。
発見時は『助けたい』とも『様子を見に行きたい』とも思っていなかったのに、なぜかラムサスに説明し終えたら『早く子供を助けねば』と考えている。
理屈では説明できない意思の挿入……いや、意思の置換が起こっている。
話している間についつい気分が盛り上がってしまったのだろうか。まさか、そんなはずはない。
望ましくない己の感情増幅を避けられる点が、傀儡を他者との会話口に用いる長所のひとつと私は考えている。事実、その特徴に私は何度も助けられてきた。
では、なぜ今回このような異常が起きたのだろうか。原因を突き止めないと、いずれ必ず同じことを繰りかえ……。
思案に耽りながら何気なく傀儡の視線を動かしていると、目の前にデンといる存在が正にその原因なのではないかとハタと気付く。
間違いない。こいつだ。こいつが原因だ。そうとしか考えられない。
謎を解かんと意気込んだ瞬間に謎が溶けてしまい、肩透かしを食った私は遣る方無い思いと共に非難の念を原因に送っておく。
しかし、所詮はただの念、原因たるクローシェは念に気付きもせず、呵責に苛まれるでもなくボケーっとしている。
これはドミネートの小さからぬ欠点だ。
知覚した情報でも、胸に湧き上がる想いでも、あるいは行ったことでも、それが傀儡側の事象なのか本体の私側の事象なのか注意していないとたまに区別が付かなくなる。特に疲れたときや操作が忙しいときにその傾向が顕著になるのは前々から分かっていた。
だが、疲れてもいない、忙しくもない真っ昼間のフィールドでここまで派手に誤認するとは思わなんだ。しかも、私はラムサスに指摘されるまで誤認に気付きすらしていなかった。
肯定的に捉えるならば、王都入りするまえに危険性の認識を新たにできて良かったとも言える。切羽詰まって思考が正常に働かない状況で同じことが初めて起こった場合、無残な転帰となったに違いない。
今後は更に注意せねばなるまい。音も影も無くこちらの思考を置換……いや、汚染する“博愛因子”に。
「失礼しました。あなたの指摘はもっともです。おかげで問題の根本を突き止められました。おそらく今後は対策可能と考えます」
「無機質な言い回しを選んでも心の問題は簡単に解決しない」
心は心でも私ではなくクローシェの心、更に元を辿ると悪さをしているのは“因子”だ。“因子”の働きを自在に制御できるかどうかは未知数だが、それがならずとも油断さえしなければ思考汚染の回避は難しくない。
「カヤちゃんさ、別れ際に『バイバーイ、クロちゃーん! ネチョネチョクッキー、また食べさせてねー!』っていつまでもこっちに手を振ってくれたよね」
「振っていましたね」
「あなたはその対策とやらが済んだら、あなたを慕ってくれているカヤちゃんたちの無事や健やかな成長を願わなくなる?」
あの菓子は子供の顎で咀嚼させるにはあまりにも堅いから蒸してモッチリと軟らかくしておいたというのに、それを『ネチョネチョ』とは子供の感想にしたってあんまりだ。成長していく中で、作り手を不要に傷つけない伝え方を身に付けるよう強く願う。
「願うに決まってるじゃないですか」
「でしょ? 難しいんだよ。人間の心って」
「はあ……」
論理がめちゃくちゃに破綻しているというのに、どうしてラムサスはこうも納得させた気になって自信満々でいられるのだろう。ほとほと理解に苦しむ。
「一応言っておくけど、私は愛他的行動の全てを否定はしていない。あなたにある程度は共感している」
強めの言葉で責めてから優しめの言葉で擦り寄り、良き理解者になりすまさんとするラムサス流懐柔術はなおも続く。
「あなたが二人のために価値のある物品をほいほい惜しげもなくオーザムにあげだしたときは、元スモークゴーレムに精石を贈った日のことを思い出した」
[*二章第五二話参照]
そういえばそんなこともあった。あの面白損傷ゴーレムと遭遇したのは、もう一年ちかく前なのか。
「あの時も今も提供した物品の金銭的価値はまずまずかもしれませんが、我々にとってはありがたみに乏しい物ばかりです。今回、オーザムたちには臨時収入となり、カヤとシシュには短期間、命綱のようなものとしてはたらき、そして我々は損失らしき損失なく自己満足が得られました。全員が得する、悪くない選択だったと考えます」
「なるほど、なるほど。ほいほいアンデッドは面白い考え方をする」
「はあ……。あなたは本当、しょうもないあだ名を際限なく思いつくものです」
「そういえばさ!」
悲しいかな、ランランと輝くラムサスの目は、言われたそばからまたしょうもないことを思いついた、と高らかに訴えている。
もう懐柔術は終わりか? はいはい、次は何だ。
「ロッペンは、イオスの最新式二つ名が『砕かれた氷』だと言っていた。その名前、あなたは知ってた?」
二つ名が興味深くてラムサスは興奮している? ハッ。そんな、まさか。
それはあくまでもただの導入、本筋は絶対にもっとくだらない。断言していい。
「初耳です。ミスリルクラスのハンターともなると勝手に色々と名前を付けられますから、最近まで認知度が低かっただけで昔からあったものかもしれません。勿論、特別討伐隊としてハンター活動を再開したがために最近付けられた名前でもおかしくはありません」
「どっちにしても一流のハンターならではって感じがするなあ。どんな経緯でつけられたのか想像するだけでも楽しい」
私との会話もおざなりにラムサスは妄想の世界に入り込んでいく。口がだらしなく開きかけたと思ったらすぐさま閉じ、変なことは何も考えていませんでしたよ、とばかりにゴホンと咳払いしてその場を取り繕う。
「……で、本題なんだけど、今みたいになる前はあなたもヒトのハンターとして広く認知されていた。そうだよね?」
話の雲行きが明らかに怪しい。私は猛烈に不安だ。
そのまま妄想に入り浸って本題を忘れてくれたら良かったのに。
「不本意ながら、そうだったようです」
「当時のあなたの二つ名を教えてよ。私の故郷に二つ名までは聞こえてこなかったから後学のために知っておきたい」
「えっ、絶対イヤです」
後学のためとか、ロッペンもびっくりしてしまうほど下手な嘘だ。興味本位以外に理由は考えられない。
「どうして隠そうとする。隠されると、より知りたくなる」
私が明確に拒絶の意思を示したのは話が長引くのを嫌気したからだが、どうやらそれは悪手だったらしい。ラムサスは俄然闘志を燃やしている。
「だって言いたくないですもん」
「あなたが絶対イヤでも私は絶対知りたい。“お願い”、教えてよ」
うわあ、でた。私の嫌がることを的確につくラムサスお得意の“お願い”がでたー。
「恥ずかしいからイヤです」
「心配ない。本人にとっては恥ずかしいものでも、他者からしてみれば一種の勲章。称賛と羨望が込められている」
ラムサスは分かっていない。世は人を褒めるより、愚弄する喜びをずっと強く求めている。
「日陰暮らしは長かったなぁ。辛かったなぁ。ここら辺で感謝のしるしとして名前を教えてもらえたら、王都に戻ってからまた頑張れそうなんだけどだなぁ」
感慨深げに腕を組んでロギシーンの方角を向いて両目を瞑り、時折チラリ、チラリとこちらを見る。
実にうざったい仕草だ。
さて、どうしたものか。強引にこの場を有耶無耶にしたとしても、後でまた聞いてくるのは確実だ。それにラムサスに過剰なほどの負担をかけてしまったのは紛れもない事実で、適当な見返りを与えられていないもまた事実である。
名前を教えると少なからず害が生じる。まず、師弟関係にあるべき敬意が失われる。ただでさえ残り少ないのに……。
しかし、強さをどこまでも貪欲に求めるラムサスの性格を考えると、敬意が消失したところで魔法成長に及ぼす悪影響は無いか、有っても極めて軽微で終わる可能性が高い。
となると、実質的な害は私がひたすら惨めな気分になることくらいか……。
はあ……。祭りの参加を白状させられたロッペンは今の私のような気分だったに違いない。
「いいでしょう。教えてあげます。ただし、笑ったら今日の夕飯は二割増量します」
「ひどっ。……分かった。頑張って食べる」
増量分を食べるなら笑い放題という意味では言っていない。情報魔法使いにあるまじきひねくれた解釈をするな。
もういいよ。笑わば笑え。
「ミスリルクラスとして分類されるようになってから最初に私が知った名前は『奇矯のミスリル』です」
「……何それ。なんかバカにしてない?」
全く予想外のラムサスの反応に私は戸惑うしかない。
「私に怒られても――」
「私はね、あなたに怒っているんじゃなくて、その名前を考えた人間と、何よりそういう呼び方を許容するこの国の人たちに怒っている!」
「……」
「強いハンターは国の宝。それを、こんな感謝や尊敬の感じられない呼び方で愚弄するなんて許せない!」
私は不覚にも胸にこみ上げるものを感じてしまい、何も言えなくなる。
自分以外の誰かが私に代わって私につけられた名前に腹を立ててくれた。怒りの声を上げてくれた。
それがこんなにも心の慰めになるとは……。
そうか、そうだったのか。私は自覚している以上に傷ついていたのだ。
それはそうだろう。ミスリルクラスになりたかったわけでも、英雄に憧れていたわけでもなかったが、それでも蔑称まがいの二つ名をつけられて嬉しいはずはない。イオスの二つ名は格好良くていいなあ、と何度も思った。
「他には?」
「他に……と言うと?」
「二つ名はそのありえない名前以外にいくらでもあったはず」
「自分の呼ばれ方にそこまで関心が無かったので、あまり思い出せません」
「ううん、思い出せる。連想してみて。……例えば、イオスの『氷の魔術師』みたいに能力が反映された名前はなかった?」
私は土魔法を得意としているが、土魔法使いとしての純粋な実力は今でも然程高くない。しかも、この国には本物の土魔法使いバンガン・ベイガーがいる。バンガンとは比べるべくもない私が土魔法に関連した名前で呼ばれるはずが……。
いや、あったわ。それっぽいのが。
「ちょうどあなたの要望に合致する名前がひとつありました」
私の名前はどれもこれも蔑称に足の先どころか腰の高さくらいまでどっぷり浸かっている。もちろんたった今、思い出したこの名前もその例に漏れない。ラムサスはきっとこちらの名前にも腹を立て、私の代わりに怒ってくれるだろう。
他者に傷口を舐めてもらう心地良さを知ってしまった私は色めき立って次の傷をひけらかす。
「足場バカ一代」
「へ……? 足場……?」
「バカ一代」
奇矯のミスリルとは別方向にひどい名前にラムサスは絶句する。
早く慰めてほしい私は、良くないと分かっていつつもラムサスの背中を押す。
「さっきのやつ以上にひどい名前だと思いません?」
「ふあ……ふあぁ……」
噴嚏でもするのかのような予備動作から突如ラムサスは腹を抱え、「ファーッハッハッハ」と高らかに笑う。その声量たるや、天を衝く大きさだ。
……。
なんで?
さっきは怒ってくれたのに、どうして今度は笑うの?
もう反応が予測不能すぎて、私としても嘆いたものやら呆れたものやら感情が迷子になってしまっている。
ラムサスが壊れた笑いを晒すのはマディオフとジバクマの間を流れるグルーン川でカニを釣った時以来だ。今度の壊れっぷりは、あの時を明らかに超えている。
散々笑い、笑い疲れたラムサスが目の縁に溜まった涙を拭いなから問う。
「どういうハントを……ヒッ……していれば、そんな面白すぎる二つ名を……ヒグッ……頂戴する」
「正直ハントは関係ないと思います」
霧の大地ムグワズレフでサンサンドワームを釣った時やイェジェシュチェン台地でボガスアリクイを焼いた時など、確かに私はハントで足場を使った。
ただし、使ったのはあくまでもソロハント限定で、パーティーで行動するときに土魔法を足場として大っぴらに用いた記憶はない。
私がマディオフの人前で土魔法の足場を使ったのは建設現場作業などの非ハンター業務に従事しているときに限られる。
つまり『足場バカ一代』とは私のハンターとしての特徴を表した名前ではなく、非ハント時のワーカーとしての特徴を落とし込んだものだ。
そう考えると、名前の成り立ちはイオスの『氷の魔術師』にどことなく似ている。あの名前はイオスの魔法攻撃力の高さを評価したものではなく、氷像魔法で作り上げる高度かつ精緻な造形を讃えたものと私は考えている。
成り立ちは共通点があるのに、イオスの渾名は格好良くて私のは物笑いの種、師と弟子でひどく扱いが違う。
思い切り笑われたせいで感情静止気味の私は淡々とラムサスに『足場バカ一代』がこの世に生み出された経緯を説明する。
説明を聞くはラムサスばかりではない。小妖精も横で勝手に聞いては反応し、召喚主に何かを報告する。
説明と報告、二つを噛み締めラムサスが所感を述べる。
「悲しい名前の誕生秘話は理解した。私からはもう言わないし、笑わない」
あたかも巨大問題をひとつ完全解決したかのように晴れやかな表情でラムサスが東の空を見る。
「さあて、道草を食った遅れを取り戻さないと。先を急ごう」
情報魔法使いは颯爽とイデナの背後に立ち、そこでやっと私は失いかけた感情を取り戻す。
露骨に褒美をせびっては私をバカにして笑い、散々笑って自分ひとり満足したら、今度は露骨に背負子を要求か。
優しく背負ってもらえると思ったら大間違いだ。
「あなたは今晩いつもより多く食事を摂るのです。いつもより多く身体を動かしておくべきでしょう」
小妖精が私の台詞から何かを読み取り、主に報告する。
多分、私の失望と怒り、それから溢れんばかりの悪意を告げ口したのだ。いいぞ、どんどん言え。
するとラムサスが不快感を示す。
「何を言っている。私は罰を受ける過ちを犯していない」
「笑ったではありませんか。私の名前を」
「それはひとつめの名前を聞く時に限定して適応される罰則。二つ目には適応されない」
なんと自己中心的な契約解釈、こんな勝手が許されるだろうか。いや、断じて許されない。
「反省の態度が見られませんね。二割増やす程度では罰として不十分です」
「食べる側の同意を得ずに食事量を増やすのは調理係という立場を悪用した許されざる行為。横暴。横暴アンデッド。横暴アンデッドもどきぅ……」
三段活用を不自然に終わらせたラムサスが両手で口元を隠す。どうやら『アンデッドもどきは言い過ぎた』とでも思っているらしい。
彼女の中で辛口の冗談と辛辣な悪口の線引きはどうなっているのだろう。
色を失い黙りこくるラムサスを見ているうちに私は平常心を取り戻す。
かつて私は心無い渾名をつける輩のせいで心傷つき、傷口が閉じぬまま今日に至った。奥深くまで達しているその傷の見た目は浅く、今の今まで私が傷口の未閉鎖に気付けずにいたのはやむをえない。そして、開いた傷を認識したら閉じようと思うのは道理だ。しかしながら、それをラムサスに閉じさせようとは道理から外れている。
そもそもラムサスは現在、かつての輩たち全員をまとめても追いつかない、とんでもない勢いで私の蔑称を量産している、言ってみれば輩の頂点に立つ者なり。輩の第一人者たる彼女に、どこの誰ともつかぬ奴からつけられた渾名の件を慰めてもらおうとは、なんと浅はかで非現実的な思いつきよ。
他人に期待するからこうなる。誰がバカでも私さえバカでなければ避けられた悲劇だ。
ラムサスに反省を促す罰は必要か? いや、まさか。
ラムサスに必要なのは罰ではなく褒美だ。彼女に見返りを与えるべきと結論づけたのはほんのついさっきなのに、考えたそばから忘れるな。
とはいえ反省する彼女に突然、褒美を与えるのは不自然だ。不自然でなかったとしても、なんとなく癪だ。罰の体裁だけは残すとしよう。
「分かりました。沢山食べてもらうのは止めです。代わりに……」
ラムサスは顔を俯け、上目遣いでこちらを見る。
「沢山お仕事でもしてもらいましょうかね」
「何をさせようとしている」
「かなり暖かくはなってきましたが、都内の食料入手難易度は我々が先日まで滞在していた場所の比ではなく高いと思います。そこで――」
「持ち込み用の保存食を作る」
表情の曇りがパッと晴れたラムサスは私の言葉の続きを奪ってまくし立てる。
「それなら思い切りたっくさん作ろう。あなたが今、思い浮かべているよりも、ずっと沢山」
「そんなに作ってどうするのです。運んで……」
途中まで言いかけた言葉を私は飲み込む。
師弟揃って失言してどうする。大森林が育んだ優秀な駄載獣はラムサスにとってかわいい愛犬も同然、それを失った傷口に迂闊に触れるな。舐めようともするな。
「そこは心配ない」
ラムサスは皆まで言われずとも私が言わんとしたところを察し、そのうえで運搬問題には対応可能と余裕めかす。
「時に露店では食べられる容器に料理を盛って客へ渡す」
「食べられる容器?」
クッキーを大きな甕状に焼き上げて、その中に保存食を詰め込んだとしても稼げる積載量は知れている。
それ以外に食べられる容器となると……なんだろう。
私が示唆から正解を導き出せずにいると、新しい端緒が投下される。
「ノエルは以前、似たようなことを自分でやった。それもかなり派手な手口で」
「私が前にやった……。ああ、確かに運ぼうと思えば運べますね。ついでに量産のねらいにも見当がつきました」
「名案でしょ?」
保存食作りがラムサスへの罰に端を発したものであることを綺麗に忘れ去った大層な迷案だ。なんなら私の罰になっている。
とはいえ、せっかくラムサスがやりたいことを自分から言ってくれたのだ。それに私が乗らない手はない。
「私があの場所を苦手と知っていながらよく言ったものです」
「観察が好きで通っていたのは覚えている。対応力だって全然悪くない。あれ、それなのにどうして苦手意識を持っている」
「……あそこの責任者との相性が不良だからです」
「なら私が分からないわけだ。この間その人は居なかった。多分、次も居ないよ」
なんて無責任な発言だ。本当に苦手と分かったら普通は引き下がる。
ええい、やはり罰には罰要素を少しばかり盛り込むべきだ。
「では単に喫食可能というだけではなく、栄養価が高くて味も良い魔物を多数見つける必要があります。あなたの責任は重大ですよ」
「そこでどうして私に責任が生じる」
意気揚々から一転、不機嫌になったラムサスを私は仕草でやんわりと押し、パーティー先頭を歩くよう指示する。
突然の配置転換にラムサスは素直に歩き出さず、抵抗姿勢たっぷりの目をこちらに向ける。
「おや、納得できていないご様子。忘れてはいませんか。これは私を笑ったあなたへの罰なのです。さあ、分かったら歩く、歩く」
口の両脇あたりからムギギ、ムガモゴと反論になっていない異音を漏らし、肩を怒らせズンズンとラムサスが歩く。
あれだけ怒気を放っていてはフィールドに踏み入ってもしばらく魔物に接触できまい。
のっけから長引きそうな保存食作りに、私は王都が遠退いたように感じた。




