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第七一話 道草とロバモドキ 二

 日が落ちて辺りが暗くなり、満腹となった子供二人が眠りに落ちる。幼い身体に蓄積された疲労が(いざな)う眠りは尋常ならざる深さで、多少の刺激で目を覚ますおそれはない。


 二人の身体を形なき夜具が包み、容易には目覚めぬ深い眠りを決して目覚めぬ確実な眠りに変えていく。


 瘴気は幼体に安眠を、そして私には安心をもたらしてくれる。


 心の平穏は作業の安定と時間効率の向上に寄与する。


 土魔法で石棺を二つ作り上げ、そこへ子供を(とこ)ごと納める。納棺したら駕籠(かご)に棺を二段重ねて担ぎ上げる。


 日中の鈍行分を取り戻す夜間急行いざ出発だ。


 駕籠舁(かごか)きをパーティーの後方に配置して夜の道なき道を行く。


 歩みの妨げとなっていた枷は外れた。夜の景色が後方へ流れる勢いは普段にまして速い。


 うむうむ、やはり移動は夜が(はかど)る。闇涼(あんりょう)がいつもよりも心地よく感じられる。


 気分良く歩みを進める私にラムサスが話し掛けてくる。


「慎重なのは大いに結構。でも、あそこまでする必要があるのか疑問に思う」


 ラムサスは睡瘴気(スリープエーテル)で満たされた石棺にちらりと目をやる。


「不意に目を覚まさないか気を揉まずに高速で移動しようと思ったら欠かせない処置でしょう」

「急いでいるのやらいないのやら……。ノエルはその処置を低くない頻度で使うけれど、子供にも安全に使えるという確信はある?」


 大人の薬を安易に子供に飲ませるな、とは治癒師や薬師ならずとも知っている有名な(おし)えだ。


 子供は、小さな大人ではない。大人の身体を癒やす薬が時に子供の身体に有害に作用し、場合によっては命を奪う。大人の半分の体重だから薬も半分に減らせば子供も飲めるわけではないのである。どれだけ少量でも死ぬときは死ぬ。


 そして、その訓えは癒やし手たちが作りだす薬物のみならず、私の作る瘴気にも当てはまるのではないか、とラムサスは言っている。


「直ちに影響はないでしょう」

「呆れた返答」


 わざとらしい溜め息がラムサスの口から漏れる。


「それで……昼間の続きを教えてよ」

「聞いても気分が悪くなるだけだと思いますよ」

「中途半端に終わらされるのも、それはそれで気分が悪い」

「不快の質が全く違うと思いますが、かといって隠すべきものというわけでもありません。いいでしょう」


 私は、片手で持てる大きさの土魔法の像をひとつ造る。像が模すは、とある生物だ。土魔法の技術だけだと足りない造形は変装魔法(ディスガイズ)で補い、厚手の布と共にラムサスへ渡す。


 暗視の苦手なラムサスは厚手の布で半球状の覆いを作り、像と一緒に上半身を覆いの中へ潜り込ませる。


 マジックライトで照らされた覆いの中で像を眺めるラムサスがムムムとうめく。


「あなたは日中『知らない』と言いましたが、どうです? 見たことくらいはあるでしょう」

生憎(あいにく)と一度もない。こんな生き物は初めて見る」


 ロバモドキという言葉を聞いたことがないのは分かるが、見たこともないとは思わなんだ。どうやらジバクマではマディオフよりも()()が徹底できているらしい。


「なるほど、あなたの故郷では生下時に全て殺処分しているようですね」


 私の発言が予想外に不穏だったためか、ラムサスが勢いよく覆いの中から上半身を抜き出す。


「殺処分しているから故郷では見かけない……。それじゃあロバモドキって――」

「察しのとおりです。ロバモドキとは特定の障害を持って生まれてきたロバを指す言葉です」




 獣医という職業がある。


 獣医とは何をする職業か尋ねられたとき、病魔や外傷に苦しむ人間以外の生物を癒やす仕事、といった趣旨で回答する者がほとんどではないだろうか。


 部外者なら、その理解で概ね問題ない。しかしながら、関係者からしてみれば、やや苦しい回答、もう少し言うと耳の痛い回答ではなかろうか。


 現代における獣医の最大の役割、それは患畜を癒やすことではない。殺すべき患畜を見極めることだ。


 イヌ、ネコ、トロピカルバードなどの愛玩動物を癒やすだけで生計が成り立つ獣医はあまり居ない。圧倒的大多数の獣医は愛玩動物以外の経済動物……例えばブタだったり、例えばウマだったり、そういった畜主に金をもたらす生き物に対して処置を行い、暮らしていくための報酬を得ている。


 経済動物はまさに生きた商品であり、畜主の損失になってはならない。


 畜主は経済動物の健康を願う。それはひとえに健やかな生命が良貨に変わるからであり、慈愛の精神とは何の関係もない。けれども経済動物は生き物なのだから、当然、健康な個体ばかりではなく病気の個体や病弱な個体が一定の割合で生まれてくる。


 生後早期に死んでくれれば話は早い。そのまま磨り潰して飼料にするなり肥料にすれば後処置は終わる。


 厄介なのはある程度育ってから病気になった場合で、その時、畜主は選択に迫られる。


 金をかけて治すか、それともここまで育てるのに要した餌代などの費用その他諸々を損失として計上し、殺処分するか。大きく二つにひとつである。


 経済動物なのだから治療に費用はほとんどかけられない。具体的には、推定される治療費が、その個体が生み出すであろう利益よりも小さい場合に畜主は獣医に治療を依頼する。


 生かすか殺すかの判断に感情を挟む余地はない……はずなのだが、感情を挟んでしまう畜主が(まれ)にいる。


 ブタやウマに並びロバも代表的な経済動物である。適応できる気候の幅が広く、粗食に耐え、力が強く、気性はややおとなしめで、そこそこの馴致性(じゅんちせい)があり、イヌほど目立っては無駄吠えせず、肉は美味で乳も食用可と、経済動物として好適な特徴をいくつも備えている。


 身体が丈夫なのも見逃せない長所ではあるが、健康な個体同士をかけ合わせてもそこは生命の不思議、弱い個体が生まれてくる可能性がある。


 目が見えない、耳が聞こえない、肢が足りない、内臓が普通よりも多い、皮膚が張っていない、等など、稀なものも含めると、先天的な奇形の種類は数えきれないほど多い。


 頻度の高い先天性奇形のひとつに口唇口蓋裂(こうしんこうがいれつ)がある。正式な病名を言われても一般人だとピンとこないかもしれないが、「三つ口」や「欠唇(いぐち)」など公の場では用いられない俗語で表現すると分かってもらえることが多い。


 上唇あるいは上唇と上顎の両方が裂けている状態を口唇裂や口唇口蓋裂と言う。ヒトのみならず、イヌだろうとネコだろうとロバだろうと口唇口蓋裂は起こりうる。


 ロバモドキとは、専ら口唇口蓋裂を患うロバを指す言葉だ。




「普通は生下時に健康状態が一定の基準に満たない個体を処分するものです。ところが、気の迷いで成体まで育ててしまう畜主がたまにいます」


 話の流れが明らかに悪い方へ向かい始めても、ラムサスは無駄に大きな反応を示さない。


 聞き手の傾聴姿勢が崩れていないのを確認した私は、ひと呼吸置いてから続きを語る。




 見通しの甘い新人でもないかぎり、獣医の方からは畜主にロバモドキの治療を提案しない。


 病気のロバがかわいそう。治療した。成体まで育った。よかった。めでたしめでたし……とはならないと知っているからだ。


 口唇口蓋裂は薬をチョチョイと塗って治るものではない。獣医としての腕が確かでも治すにはそれなりの手間と工数がかかり、それはそのまま治療費に反映される。


 治療せずに育てる方法も無くはないが茨の道だ。


 口が裂けるべきではない箇所で裂けていると、まず栄養摂取からして難しい。哺乳しようとしても口の裂けた部分から空気が漏れて上手く乳を吸えない。顎まで裂けている個体だと吸った乳が鼻腔に入り込む。哺乳期を乗り越え固形物を摂取する時期になると今度は深刻な噛み合わせの問題にぶつかる。


 患う側には生にしがみつく気力が、育てる側には並々ならぬ献身が求められる。どちらが欠けても栄養問題は乗り越えられない。知恵を絞り工夫を凝らして栄養問題に一定の落とし所を見出すか、採算度外視で獣医に治療してもらっても、問題はまだまだいくらでもある。


 ロバモドキの健康不安は口周りに限らない。かなりの割合で他臓器の異常を合併している。それもひとつではなく、いくつもだ。それらの異常には大抵の場合、根本的な治療法がなく、騙しだましやっていくことになる。


 どうにか成体まで育て上げても身体は弱いままなので健康なロバ一頭分(いっとうぶん)の仕事はさせられない。良くて半頭分、体調次第ではそもそも全く使役できない。そしてどれだけ大事に扱っても最終的には健康個体より早く死ぬ。


 問題がロバモドキと畜主、それと獣医からなる小さな輪の中で完結すれば話はこれだけで済む。ところがどっこい現実には問題が膨れ上がるおそれを秘めている。それも、とんでもなく大きく。


 ラムサスはロバを知っているのに像を見てもそれがロバとは認識できなかった。口唇口蓋裂は程度が重いとそれくらい外見が健康個体から離れてしまう。


 私は分かりやすくするために敢えて症状の重いロバモドキ像を作り、それがかえってラムサスを混乱させてしまったわけだが、中等症のロバモドキ像を見せていたら結果は違っていたかもしれない。少なくとも普通のマディオフ人であればすぐにそれと気付く。気付いてしまう。


 ロバモドキが生まれてくる頻度はそれなりでも畜主が気の迷いを起こして育てようと思うのは稀で、しかも育てる側にやる気があっても肝心のロバモドキのほうがなかなか成獣齢まで生きられないため、現存するロバモドキの個体数は決して多くない。


 売れているのは名前ばかりで実際にはそこまで頻繁に見かけない。それがロバモドキだ。ゆえにロバモドキを見かけた者は必ず人に話す。


『あそこの家でロバモドキを飼っている』


 噂はすぐに拡散する。仮に、精神を患った者を屋敷牢に幽閉するように、生下時からずっと人目に触れない場所でロバモドキを育てたとしても()()あれば獣医から情報が広がる。


 これは獣医としてあるまじき情報漏洩(ろうえい)だろうか。いや、公益性の観点からは必ずしもそうとは言えない。


 先天的な口唇口蓋裂は栄養不足や各種の感染症によって発生率が微増する。あくまでも微増、主たる原因は未だに不明だ。


 実は、成体ロバにはこれといって症状を呈さない未発見の伝染病があって、その隠れ伝染病のせいで生まれてくる仔に口唇口蓋裂が生じるのかもしれないが、それも“仮説”のひとつに過ぎない。


 未知は憶測を呼び、憶測は恐怖を(あお)り、そして有事に恐怖は発火する。


 ロバを飼っている家数軒で偶然、何頭か立て続けにロバモドキが生まれてきたとしよう。仔ロバの誕生を楽しみにしていた家の人間たちは他家との集いで、生まれてきたばかりの仔を絞める悲しみを共有し互いを慰める。


 ところが、もし近所に前々からロバモドキを飼育している家が存在すると、慰める会は行き場のない怒りや憎しみを増幅させる会に変化する。


『オレたちの家にロバモドキが生まれてきたのは、ロバモドキを絞めずに飼っている奴が近くにいたせいじゃないか』『きっとそうだ。そうに決まっている』


 単なる偶然が科学的検証を経ずに犯人のいる事件へ昇華し、怒れる農家はまず獣医に文句を言いに行く。


『どうしてあいつの家のロバモドキを殺さなかった』


 予想どおりの展開に獣医は型の如く答える。


『私は絞めるべきだと助言した。しかし、彼は情に従った』

『やっぱりだ! あいつは獣医の忠告を無視して、この村に病気を撒き散らした!』


 犯人と断定された家が、その後、飼っているロバモドキを処分するよう要求されるだけで済むか、賠償金を請求されるか、家屋から農具から壊され、袋叩きにされて共同体から追い出されるか、あるいは患畜、畜主一切を()()されるかは時と場合によりけりだ。


 奇形の生じる原因が未知の伝染病というのはどこまでも説のひとつに過ぎない。だが、ロバモドキが不健康なのは紛れもない事実である。病弱な個体は時に本当に疫病の起点になる。疫病を未然に防ぐため、そういった不健康な個体を早め早めに処分しておく、という考え方は、公益性や公衆衛生の観点からすると一概に間違っているとは言えない。


 下手に治療すると、その時はよくとも後々重大問題に発展しかねない。ゆえに経験ある獣医は口唇口蓋裂に限らず、どんな傷病でも患畜の治療適否を慎重に判断して畜主に方針を提案する。安易に『治せそうだから治しましょう』とは言わない。


 治せなければ殺す。治せそうでも後の憂いになるなら殺す。治していいものか判断に迷ったら取り敢えず殺す。これが人間を診る治癒師、薬師らと人間以外を診る獣医らの決定的な違いだ。




 ロバモドキの諸事情を知ったラムサスは何も言わず、静かに怒りを(こら)える。


 ラムサスは正義の人、奇形のロバが蔑称で呼ばれ、それに手を差し伸べる畜主、ある意味では篤志家(とくしか)が肩身の狭い思いをしているマディオフの現状に怒らぬはずがない。


 では己の身に立ち返りジバクマはどうなのかと言うとマディオフよりもっとひどい。奇形のロバに確立された呼び名は無いが、そもそも生きる道が存在しない。


 マディオフとジバクマ、どちらの国がより非人道的か考え、その結果、怒りの声を上げられなくなっている。


 ただ、私としては、奇形のロバを稀に生かすからマディオフがジバクマよりもロバを道義的に扱っているとは必ずしも言えないと思う。


「ロバモドキがどういう存在なのかは理解した。でも、分からない。ロバモドキは使役に不向きなのに、どうしてシシュたちの両親は駄載獣にロバモドキを選んだ」

「単純に金が無かったのでしょう」


 カヤとシシュが連れていたロバモドキの裂蹄騒ぎ、あれはおそらく使用人イグナの()()()であって偶発的な出来事ではないだろう。身体が丈夫で、ウマに比べて蹄の悩みが生じにくいロバがいきなり裂蹄で苦しみ始めると不自然でも、身体の弱いロバモドキとなると話は変わる。誰も不審には思わず、『ロバモドキだもんな。仕方ない』で片付けられる。


 ロバモドキは不吉で扱いづらい。ゆえに平時は売ろうとしても値がつかない。非常時たる現在はそれなりの価格で取り引きされている可能性が考えられなくもないが、だからといってロバモドキを大事な子供の荷物持ちにさせたがる親はいまい。


「つまりソレッキ家の懐事情は目も当てられないくらい苦しい」

「苦しいで済んでいればまだマシな方です。私の予想だと……」


 シシュたちによればイグナはソレッキ家に仕えて長い。そのイグナが計画的に新生活の資糧ほとんど全てを持ち去ったのだ。


 それくらいひどい見限られ方をしたのだから、かの家の困窮具合は(じか)に見ずとも想像がつく。


「ソレッキ家はもうありません。二人が暮らした家は人の手に渡っているものと考えます」

「そっか……。確かにそうかもね。だからあなたは王都にまっすぐ向かわない」


 ラムサスはゆっくりと頷いてポンポンとイデナを叩く。


「いいとこあるじゃん」


 こいつは隙あらばおかしな喋り方を挟む。


 納得がいったラムサスは覆い布をたたみ、顔に風を浴びながら今一度ロバモドキ像を眺める。


 私としては経済的な理由以外にもいくつか考えていることあるのだが、おそらくいずれも外れている。せっかく満足したラムサスを殊更(ことさら)に不快にさせてまで言うほどのものではない。


 私もラムサスも、二人の両親にとってイグナの裏切りは予想外だったという前提で物事を考えている。しかし、もしも両親が裏切りを予見していたとしたら? あるいは行動全てが指示に基づいていたとしたら?


 この場合、王都に連れ帰っても幸福な結末は待っていない。チェンムヴィツェにも受け入れ先があるかどうか怪しいものだ。


 二人の言動や衣服、その他、諸々を勘案するとこちらの仮説が合っている可能性は決して高くない。ただ、どちらにしても私は答えを求めていない。答えを必要としているのはあの二人であって我々ではない。ゆえに私はチェンムヴィツェを仮に知っていたとしても、そこまでは届けない。お人好しな誰かを見つけて、そいつに押し付けてしまえば人助けをした充足感が申し分なく得られる。


 現実に即した私の思考が見抜かれていないか少し不安になり、ラムサスの様子をちらりと見やる。


 何が面白いのか、彼女はまだロバモドキ像を見ている。


 目の暗順応が完了していたところで所詮はヒトの目、マジックライトが消えた暗闇の中でしげしげと眺めても分かるのは像の輪郭程度が精々だろう。


 大したものは見えていないはずなのに、なぜかラムサスは笑う。不吉の像を眺めて笑う。


 不可解な笑みがロバモドキ以上の不吉を暗示しているかのようで、私の背筋を冷たいものが駆け抜けた。




    ◇◇    




 翌日、朝と呼ぶには遅い時間に子供二人が意識を取り戻す。


「ふああ、よく寝た……」


 大欠伸(おおあくび)しながら身体を伸ばす二人の様子からは心身の不調が見受けられない。睡瘴気(スリープエーテル)の悪影響は少なくとも現時点では出ていないものと思われる。


「あぁ……すごく眠った実感があるのに、まだ眠たいなあ。昨日すんごく走ったからかな」


 シシュはまるで己の脚で走ったかのように昨日を振り返り、眠気の原因を考える。


「チェンムヴィツェまであとどのくらいだろうね、お兄ちゃん」

「分かんない。でも、これだけ走ったんだ。もう大分(だいぶ)近いんじゃないかな」


 位置情報を共有するため、私は土魔法の板を作ってその上にサラサラと図を描き記していく。つい昨日までチェンムヴィツェとは無縁の道に放置されていた哀れな子供たちは即席地図の完成を待たずに板を(のぞ)き込む。


 せっかくなので描く傍ら、記号の意味を説明する。


「そちらの記号は王都でこちらの記号がソリゴルイスクです。そして我々のおよその現在位置は……」


 私も正確な現在地は分からないので、おそらくはこの辺だろうと思われる地点を大きめの丸で囲む。


「この辺りだと思います」

「やった!」


 シシュが握り込んだ両の拳で喜びを表現する。


「もうチェンムヴィツェのすぐそばまで来てるよ」

「シシュ君はチェンムヴィツェの位置が分かるのですか」

「王都を出る前に父さんとイグナが地図を見ながら話し合っててさ、僕もチラっとだけ地図を見たんだ。()()()()()の地図とはかなり描き方が違ってたから単純には比べられないけど……」


 シシュは地図の上に腕を伸ばし、王都からソリゴルイスクに三分の二ほど進んだ地点を指でグルグルと指し示す。


「チェンムヴィツェはたしかここいら辺だったよ」

「わーい」


 もう目的地に着いたかのようにカヤが喜び、シシュは自分の力で偉業を成し遂げたかのように誇らしげだ。


 なんだかなあ……。出会った時の繰り返しではあるが、二人とも一〇歳にしては言動が幼いように思う。昨夕、拝命した『クロちゃん』という愛称にしても、心の距離の詰め方が早すぎる。


 二人の体格は確かに一〇歳前後で申告年齢には矛盾しないが、身体の成長に中身が追いついていない印象だ。


 学校に通う一〇歳の子供がどのようだったか、私は(ほこり)を被っていた記憶を引っ張り出す。


 すると、浮かんできたのは幼き日のスヴェ(*)だった。




[*スヴェン――一章(いっしょう)第二二話、二章第三九話、二章第四〇話などに登場。主人公の同級生]




 スヴェンは子供ながらに実に礼儀正しい。愛想が良いとは言えない私にも友好的で、風魔法が上手く……。


 ……ん、魔法? なんだかおかしいぞ。


 私は蘇った己の記憶にふと疑問を抱く。


 よく考えてみよう。私は学校時代、スヴェンと同じ学級に所属していた。それは確かだ。けれども当時、私はスヴェンと接点らしき接点が無かった。


 スヴェンの素晴らしい人間性と風魔法の才能を私が覚知したのは徴兵中期に入ってからだ。


 つまり、私が今しがた思い浮かべた小さく利発なスヴェンは、思春期のスヴェンの記憶を基に捏造した偽物であって、真の幼少期のスヴェンではない。


 贋作(がんさく)スヴェンは不適当な倒され方をしたドメスカのように実体を失い、モヤモヤと揺れて消えていく。


 スヴェンはダメだ。私の記憶に一〇歳の頃のスヴェンは残っていない。スヴェン以外の子供を思い出そう。


 他の同級生は……。


 頭の中にまたひとりの子供が浮かび上がる。子供らしからぬ体格の良い男児だ。何やら女児とじゃれ合っている。


 はて、こいつはどういう奴だったかな。あまり頭は良くなかったように思うが……。私が救いの手を差し伸べた相手だったような気もする。


 本筋からは外れてしまうが、もう少しこいつのことを思い出してみるか。


 男児の記憶を掘り起こそうと試みると、男児の姿が消えてまたひとり新たな女児が思い浮かぶ。男児とじゃれ合っていたさっきの女児とは別の人物だ。


 その新しい女児は誰もいない教室にひとり入ってきて、教室の後方にある荷物置き場をまさぐる。そして取り出したるは男児の弁当だ。


 女児は弁当の蓋を開け……。


 えぇ、こいつは何をやっている。一体、弁当になんの用が……って、あ……あーっ!


 捨てた!


 弁当捨てた!


 許さん……。なぜ弁当を捨てたのかは知らんが許さんぞ。私が丹精込めて作った弁当を……。


 ……ん、これも違うか?


 弁当の中身は凝っているけれども、あれは私の作ではない。そもそも当時の私は己の分すら弁当を作っていない。アナが作ってくれたカナプカ(サンドイッチ)と果物をひとつか二つ、それが私の昼食だった。


 見当違いに抱いてしまった感情の訂正に気を取られていたせいか記憶の再生がそこで停止してしまい、それ以上、うんともすんとも言わなくなる。


 こうなってしまうと、もういつもの私の不便(ふべん)な記憶で、思い出そうとどう頑張ってみても全く思い出せない。


 断片的な記憶に私は戸惑う。


 今の記憶は、さっきの贋作スヴェンとは違って捏造された記憶ではない。正しい記憶だと断言できる。私の中には驚きばかりではなく、『ああ、そういえばこんな出来事もあったなあ』というしみじみした思いが混在している。


 他に何か思い出せないか。


 名前は……思い出せないが、あの男児の渾名(あだな)はバディだ。仲間とか相棒という意味だな。それから“オメガ個体”に関連した人物だったような気がするが、これほど身体の大きな奴がいじめられるはずはない。むしろ、いじめる側のほうがしっくりくる。


 そうだ、思い出してきた。バディは同級生に暴力を振るって学級の頂点に立つ“アルファ個体”だった。


“アルファ個体”で暴力的で頭はあまり良くないものの、バディの名で同級生から親しまれ女児たちからの人気も高かった……。


 では、なぜ弁当を捨てられた? どうして私は救いの手など必要ないはずの“アルファ個体”を助けた?


 記憶の掘り返しは諦めて、既に判明している事実を基に推理を展開してみる。


 バディは人気者、彼に思いを寄せる女児は多い。積極的にバディに話し掛けて自分を売り込める子ばかりではなく、自分からは話し掛けられない引っ込み思案な子もいる。


 奥手な女児は自分以外の女児と友好を育むバディに嫉妬し、恋愛感情のもつれとして弁当を捨てた。私はその一部始終を傀儡で見ていて、空腹を抱えたバディを哀れに思い弁当を分けてあげた。


 おお、これなら辻褄(つじつま)は合っている。


 他人に自分の弁当を施し与えた記憶は全然ないが、同級生の皆から一品ずつ食べ物の寄付を募るなどして、施与(せよ)の真似事でもしたのだろう。


 いいとこあるじゃん、私。


「ねえ、クロちゃん。私たちがクロちゃんと会ったのは地図だとどの辺り?」


 カヤの質問が私の巧みな記憶復元作業を強制中断させる。


 この質問、単純ながらも危さを秘めている。回答は慎重にせねば。


「進路を明確には設定せず、なんとなく王都方面に向かいながら魔物を狩っていたので、私たちも正確な位置を覚えていません」

「なんとなくの位置でいいから知りたいの。ね? ね? 教えて、クロちゃん」


 記憶の再生に問題があったため私の同級生との比較はできていないが、やはりカヤの馴れ馴れしさは正常範囲から逸脱している。昔からの知り合いならいざ知らず、会って二日目の大人にとる態度ではない。


 これはルカから引き継いでクローシェに装着させている、効いているのだか効いていないのだかハッキリしない交渉力向上の魔道具の効果なのだろうか。


 一〇歳の子供にしては二人とも魔力はまずまず多いが、それでも魔法抵抗が一般の大人より高いとは考えにくい。もしかしたら魔道具が顕著に作用した結果として、こうも狎昵(こうじつ)なのかもしれない。


 睡瘴気(スリープエーテル)の影響は考慮不要だろう。二人の態度は昨夕からそう変わっていない。


「なんとなくですか……」


 迂闊(うかつ)に正しい遭遇地点を指せない私はどう答えるべきか少々悩む。なぜなら二人は未だにイグナを信じている。


 イグナは回り道するかたちでチェンムヴィツェを目指していると二人に嘘をついていたから、嘘の暴露に繋がらぬよう、当たり障りのなさそうな地点を大雑把に指差し、カヤへの回答にする。


「この辺かもしれません」


 私のちっぽけな偽装工作に小妖精が反応を示す。


 ラムサスは敢えて告げられるまでもなく私の嘘を承知しているというのに、小妖精はそういった事情などお構いなしにこうやって何にでも反応して召喚主へ報告する。


 召喚主は告げ口を聞き、子供の相手に難儀する私を小さく鼻で笑う。


 ラムサスにつられたわけではないだろうが、カヤもまた満更でもない顔で喜ぶ。


「お兄ちゃん。私たち、もうかなり惜しい所まで来てたんだね」

「だな。あとは、はぐれたイグナが実はチェンムヴィツェに先に着いているといいんだけど……」


 多分いないとは思うが、万が一イグナがチェンムヴィツェにいたらさぞかし面倒なことになるだろう。二人とも、せっかく拾った命を失うやもしれぬ。


 真に二人の未来を案じるのであれば、まずは二人からより深く信頼を勝ち取り、心の底から信頼してもらったうえでイグナの罪について説明すべきだ。ただし、私はそこまでの手間をかけるつもりはない。


 ならば、イグナを(おとし)める発言はこのまま控えておくのが無難だ。


 私は何も言わずに二人の背中を撫でておく。




    ◇◇    




 さて、遅めの朝食を済ませたら移動だ。


 空から見回してもチェンムヴィツェと思しき村里はまだ見えない。二人は喜んでいたが、おそらくチェンムヴィツェはまだすぐそこと言えるほど近くない。近からず遠からずの距離なのだと思う。そして、それは我々にとって都合がいい。


 我々が探すべきは王都とソリゴルイスクを繋ぐ太い街道、そしてそこを通る民間の集団だ。それならばチェンムヴィツェそのものを探すよりもずっと簡単に見つけられるはずだ。


 本日の方針を簡単に設定した私は移動を開始する。


 子供二人に緊張する様子はない。背負子の上ですっかり(くつろ)いでいる。気を遣ってこちらから雑談をふる必要はなさそうだ。


 それにしても私は大学時代、ソリゴルイスク出身のイオスと何度も行動を共にしていたというのに、こちら方面の土地鑑が無いのだから因果なものよ。


 しかし、それは仕方のない話で、どういうわけか、イオスは地元近辺に行くのを異様に嫌がっていた。私がソリゴルイスク方面に不案内なのはイオスのせいだ。


 地元の人間に不義理をはたらいて合わせる顔がないとか、昔フラれた女に絶対に会いたくないとか、世には様々な理由で帰郷したがらない人間が少なからずいる。


 その理由とやらは大抵、客観的につまらないものでしかないが、本人にとっては極めて重大な問題だ。帰郷を拒否する理由の適不適を他人が不用意に論ずるべきではない。


 大学時代の私だって一度も実家を訪れなかった。己の罪は当時もう自覚していた以上、ペンダントを奪還してから、などと言い訳になっていない言い訳はせずに、すぐにでも母の元へ行き、何度罵倒されようと何度でも謝るべきだった。


 やましいところのある私だから、人が後ろめたさを抱えて生きているのも自然と理解できる。理解ある私はイオスに帰郷を厭う理由を深くは尋ねなかった。


 そして、今の今まで自覚は無かったが、どうやら私はイオスと全く別行動しているときでも無意識にイオスに気を遣っていたらしく、ソリゴルイスクに大きく近付く依頼をあまり受けないまま在学期間を過ごし、結果、脳内マディオフ地図の南西部分が極めて完成度の低い現在の私ができあがった。


 もしイオスが地元嫌いでなかったら私はチェンムヴィツェを知っていたかもしれない。そして知識に応じ、二人の扱い方もまた変わっていたかもしれない。


 何はともあれ、私はチェンムヴィツェには行かない。二人は人に任せる。それも、可及的速やかに。


 私はまずまず高い意欲を持って後任候補が歩いているであろう大街道を探す。




 街道は(ほど)なく見つかり、そこを歩く人間もすぐに見つかる。


 我々は、シシュたちと出会ったときと同じ要領で街道を進む集団と平和的に接触する。


 幸いにも、その集団には一行を率いる隊長格の人物が存在したので、我々は隊長に偽名を名乗ってハンターとして不自然ではない範囲の情報交換を持ちかける。もちろん情報交換とは建前で、話す傍らで集団全体の情報を収集する。


 魔力から察するに集団全体の戦闘力はまずまずだ。体格はそこそこに良く武装も整っている。おそらく何人かは闘衣を使える。これなら道中、小勢の野盗やちょっとした魔物に出くわしても易易とやられる心配はない。


 聞くと、彼らは民間の輸送隊だということだが、『積み荷の性質上、準公的な意味合いを持つ部隊なんだぞ』と言葉の端々に匂わせてくる。分かりやすい権威主義者の隊長だ。


 国家戦略物資を輸送しているならば彼らを監督する宰領(さいりょう)のひとりくらいは居てもよさそうなものだが、それらしき人物は見当たらない。宰領を配置するだけの人的余裕がマディオフには無いのだろう。これは我々にとって都合がいい。


 積み荷が大事なのは事実なのだろうが、こうやって足を止めて我々に付き合っている以上、納期がギリギリまで差し迫っているものではない。これも我々にとって都合がいい。


 他に確かめておくべきこととしては、人並みの良識があるか、隊の中にチェンムヴィツェを知っている人間がいるかどうかなのだが、こちらが更に質問しようとしたところで隊長の眼差しが変化する。


()()()さんと言ったな。あんた、何か厄介事を抱えているんだろ? ああ、隠さなくっていい。俺はさ、こう見えても困っている人がいたら放っておけない性分でね。率直に言ってあんたの力になりたいと思っている。だから、思いきって悩みを言ってみてほしい」


 甘言とは対照的なギラギラと欲にまみれた目……。情報魔法使いの意見を尋ねるまでもない。こいつは不適格だ。


「いえいえ、それには及びません。有意義な情報交換ありがとうございました。お互い先を急ぐ身、そろそろお別れといたしましょう。あなた方の旅のご無事をお祈りします」

「おいおい寂しいことを言ってくれるな。ここで会ったのも何かの縁だ。遠慮は要らない」


 分かりやすく終わりを告げられても隊長はすんなり諦めずに食い下がる。


 優しく息を吹きかけてやる程度だとこいつの欲望の炎を消すには足りないどころか、むしろ一層燃え上がらせることになりかねない。吹き消せぬなら()()()()のも一案かも知らん。


 どの程度の痛みが気勢を削ぐのに適当か思案し始めた瞬間、ラムサスがヒソリと(つぶや)く。


「くれぐれも穏便に」


 まるでこちらの心を読んだかのように釘を刺すものだ。情報魔法使いならではの時宜をえた進言だが、おそらく今のは小妖精に依存しない純然たる洞察力の賜物、私の思考を先回りしたのだろう。


 ……それだと私が日頃から力押しばかりしているかのようではないか。なんと失礼な決めつけだ。


 しかし、実際に考えていた手前、反論はしにくい。


 心の中で言い訳させてもらうと、手段のひとつとして実力行使が頭をよぎっただけで、まだ行動に移そうとまではしていなかった。仮に移したとしても、命を奪いまではしなかった。


「本当にダメだからね」


 念を押されるとは信用がない。


 心配せずとも、私は十分に承知している。情報魔法使いの警告を無視すると散々な結果になるのは経験上、明らかだ。


 面倒だし億劫(おっくう)ではあるが意固地になっても損しかしない。警告にはありがたく従い穏便に別れるとしよう。


 是が非でも我々に依頼を発注させようとする隊長の売り文句を適当に受け流しながら、臨時に見繕った()()()に刺激を与える。


 刺激の効果は速やかに表れ、荷車の曳行(えいこう)を担う輓馬(ばんば)の一頭が大きく(いなな)く。


「おいおい、どうした。でかいアブに股でも食われたか。落ち着け落ち着け。わーお、わーお」


 いきなり騒ぎ始めた輓馬に隊員たちが一斉に反応し、右からはわーおわーお、左からはどうどうと(なだ)める。


 宥められても輓馬の興奮は落ち着くどころか激しさを増していく。思い切り身体を動かしては浮き脚で空を()る。


 馬と荷車の接続は解除していないから、馬に暴れられると過積載気味の車両がガタンガタンと揺れる。


「ボケっと悠長に口だけ動かしてるんじゃねえ。手を動かせ! 荷物を壊されちまう。俺が押さえているから外すんだよ。さっさと、金具を! ……あっ、馬鹿! そっちの金具じゃねえ。腕木との連結を外せって言ってるんだよ。頭使え、頭!」


 積み荷に被害が及びそうになり、隊長が馬の前に()せて綱をガッチリと引き指示を飛ばす。


 あんなのでも隊長は隊長、隊の誰よりも事の深刻さを察するのが早い。


 隊長の束縛から解放された我々は馬と戯れる輸送隊に恭しく別れを告げて、その場を後にする。

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― 新着の感想 ―
[一言] 人間も色盲とか色々ありますね 面白いのは鎌状赤血球症の様に役に立ったりすることがあるんですよね
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