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第七〇話 道草とロバモドキ 一

リリーバー構成員一覧


ノエル

 解説省略。


ヴィゾーク

 アンデッドの手足の一本。上背があり、中年から老年の痩せた男性に扮している。高い魔力と幅広い魔法適性があるパーティー最強の魔法使い。理知にも優れており、書物を読解する目としても機能する。ゴキブリやネズミを飼育するための生命球を持っている。アンデッドの手足にしては珍しく生者ならではの紛擾に対する判断力を有している節がある。


シーワ

 アンデッドの手足の一本。身体は厚く、腕は太く、背はヴィゾークに次いで高い。豊満な中年女性に扮している。巨躯と高魔力を活かした強力な剣を撃つ。ジャイアントアイスオーガから入手した剣を主兵装としている。生者傷害効果を持つ単純型瘴気の展開役を担うことが多い。


イデナ

 アンデッドの手足の一本。中年女性に扮している。各種魔法への適性はヴィゾークに次いで高い。生命球持ち。移動時はラムサスの運搬役を担うことが多い。


フルル

 アンデッドの手足の一本。中年男性に扮している。戦闘時は前衛担当。魔剣クシャヴィトロを主兵装としている。


ニグン

 アンデッドの手足の一本。中年男性に扮している。“貸し出し”をやめて以降、戦闘時はもっぱら前衛を担っている。


クローシェ・フランシス

 生者の手足の一本。

 ゴルティア軍から派遣され、ユニティ次将として活動していた。秘密組織アウェルの一員としての顔を隠し持っている。

 フランシスは父系名であり、本国での本名はクローシェ・ラソーダ。

 剣戦闘能力と解呪能力が高い。刺突剣などの比較的軽量な武器を好んで扱う。


ウルド

 生者の手足の一本。

 ドラゴンブレス曝露により身体機能を著しく失っている。正体はアルバート・ネイゲルの実父ウリトラス・ネイゲル。

 固有魔法ナパーマクラスターを操る火魔法使い。

 毒壺最下層で没したアンデッドの手足と直接の関係はない。




リリーバー臨時協力者


サナ

 ブラッククラスのハンター、クフィア・ドロギスニグの娘。本名はラムサス・ドロギスニグ。

 二体の小妖精、ソボフトゥルとポジェムニバダンを召喚できる情報魔法使い。攻撃魔法は水属性と風属性を習得している。

 サナとはマディオフ入国後につけた偽名オクサーナの愛称。

自巡上がり(オショングニ)


 ラムサスが上がりを宣言し、札山から新しく引いた一枚と手持ちの札一三枚を場に広げる。


 私は上がり役その他から点数を算出してラムサスの持ち点には加算、座に着いたラムサス以外の三人からは持ち点を減算する。


「……ああ。あなたの勝ちです。もうウルド(ウリトラス)は持ち点がありません」


 私が負けを認めるとラムサスは無感動に言う。


「もう一戦(いっせん)?」


 私は首を横に振る。


「感想戦は?」

「今日は無しです。検討に値する戦型すら作れなかったので」

「そう。なら、私はもう休むね」


 ラムサスは喜ぶ素振り無しにすくと立ち上がる。


「おやすみ、ノエル。おやすみ、ウルド」


 私とウリトラスに挨拶したラムサスはくるりと反転し、その場に静止する。


「……おやすみ、クローシェ」


 背中で迷いを物語ったのはものの数秒、彼女は己に打ち克ち、クローシェにも言葉を残して床へ向かった。




 残された三人の札を場に全て広げ、銘々が持っていた札と作ろうとしていた役を小声で読み上げていく。


 勝者ラムサスを抜いた、ひとり感想戦ならぬ三人感想戦だ。


 三人とは私、クローシェ、ウリトラスを指している。


 はたして私の行動にどれほどの意味があるのだろうか……。


 徒労を感じながら、それでも、きっと意味があるはずだ、と己に言い聞かせ、何にともなく祈る思いで私は感想戦を続ける。




 このカード遊戯は元々、娯楽のない旅に連れ回されるラムサスの慰安という明確な目的があって定着させた習慣だ。


 西へ東へと移動が激しかった時期は一日(いちにち)一回(いっかい)試合(しあ)うかどうかだったが、ロギシーンに入ってからは連日、相当な回数、試合った。


 思いがけず行うことになった集中戦によりラムサスの札力は飛躍的向上を遂げ、私と彼女の力関係は完全に逆転した。


 こういった遊戯は勝ち過ぎても負け過ぎても心から楽しめない。


 もちろん勝敗には運が絡むから私がラムサスに勝つ試合も一定数あるが、参加者がたった二人ではどうしても運の要素が薄れてしまう。読み合いも少ない。


 そこで私は単調だったカード遊戯に変化を加えた。ルカとラムサスだけで行う二人札から四人で行う四人札への変化だ。


 四人で行うのがこのカード遊戯の本来の形なので、ラムサスにとっては変化でも、一般的観点からしてみれば原点回帰である。


 さて、当時も今も私の手足の中に主体的に動ける者はいない。しかも、ルカ以外は手先があまり利かない。そのため、ラムサスの相手役として座にはルカ、ウリトラス、クルーヴァが着き、札を捨てるも拾うもルカが三人分全てを行う。


 手札を見られるのは持ち手だけのはずなのに、私は三人操作している関係上、三人分の手札を見ることになる。


 それだとラムサスにあまりに不利になってしまうので、私は三人の役を作る際、互いの手札が見えていないことを前提に思考を組み立て、役を作っていく。


 また、どうせ座に着かせているのだから、ルカやウリトラスにもカードを楽しんでもらえると都合がいい。


 いや、都合がいいどころか、二人が楽しむのはラムサスの慰安に勝るとも劣らない重要課題だ。


 アンデッドと違い、生者は生きるために(かて)だけでなく活力を必要としている。


 私はそれを分かっているようで分かっていなかった。闇弱(あんじゃく)な自分に心底、辟易(へきえき)する。




 己の愚かさに気分がどんよりと沈むも、感想戦は遅滞なく続けていく。


 局ひとつ分の感想戦が終わり、場に広げた札を回収してはまた広げ、別の局を再現して次の感想戦へ取り掛かる。




 実戦でも感想戦でもルカは目が見えているから普通に札を目で見ればそれが何の札で、そこからどんな役を作るべきか自然に察せる。


 実戦で切る札や作る役に私が迷った際は、ドミネート越しに伝わってくるルカの思いを参考にして方針を決める。こうすることで、ルカはより一層、『自分がカードに参加している感』を得られる。


 ウリトラスの場合は目がよく見えないので、感想戦だと不要な一工夫(ひとくふう)が本試合において求められる。


 局の開始時、手元には札が一三枚集まる。まずはこの札内容をウリトラスに伝える。これを読み上げるのは愚中の愚、ラムサスにとってこれほど興醒(きょうざ)めな話はあるまい。


 そこで伝達には特製の簡易手信号を用いる。


 火傷の後遺症著しいウリトラスの手でも、己のどの指が曲がりどの指が伸びているか程度は知覚できる。


 左手が示すのは札の種類、数札なのか属性札なのか精霊札なのか左手の形ひとつで分かる。そして右手は純粋な数の伝達に用いる。


 例えば、左手で緑を意味する指文字を作り、右手で(2)を意味する指文字を示し、続けて(3)を意味する指文字を作ると『緑の二番を三枚持っている』といった具合だ。


 場に捨てられる札は全員から目視可能だから、ここはわざわざ手信号を使う必要がない。ウリトラス以外が札を捨てる際はめいめいが捨てる札を読み上げる。


 目があまり見えない、傀儡の使えないウリトラスはここまでされてやっと局の状況を理解できる。


 いかにもつぎはぎで不格好な体裁かもしれない。だが、ウリトラスの意識をカードに参加させるために、改良に改良を重ねてやっとの思いで整えた苦心策である。


 私の思いとは裏腹にウリトラスはカードをあまり楽しんでくれなかった。


 ウリトラスは元からカードのルールを知っている。別にこの遊びが嫌いというわけでもない。


 娯楽を満足に楽しめない理由など考えるまでもなく分かりそうなものだが、不明な私はよりウリトラスがカードに没入できるよう体裁の改良点探しに明け暮れ、そうこうしているうちにウリトラスの体調は徐々に、しかし、確実に悪化の一途を辿った。


 最初に私が気付いた異常は奇妙な味覚不全だ。そして、そこから始まった食欲低下は只でさえ低いウリトラスの体力を効率的に奪い、体力低下が火傷の後遺症悪化を引き起こしてウリトラスは大森林以来となる瀕死状態に陥った。


 ウリトラスが死の淵から戻ってこられたのは、ひとえに治癒師マルティナのおかげだ。


 私では治せない重体のウリトラスをマルティナは治し、火傷の後遺症もかなり軽減させてくれた。


 治せるものを治して、それでもなお体調の上がりきらないウリトラスを診てマルティナは察する。


 ウリトラスは抑うつ状態だった。だから食べる物の味がよく分からない。食欲が湧かない。


 私はウリトラスの深く沈んだ気分を、ただの感情の落ち込みとしか思っていなかった。食欲が湧かないのは胃腸に問題が起こっているからだとばかり思っていた。舌の粘膜は一見して異常がないのに、味覚不全がなぜ起こっているのか不思議に思うばかりで、ついぞ理由に思い至らなかった。


 ウリトラスの味覚不全は、決して単純な味覚喪失ではない。糖は甘いと感じる。塩は塩辛いと感じる。酸は()いと感じる。調味料を舐めれば味はちゃんとする。それなのに、いざ料理された物を口に含んでも、まるで砂を噛むような味気ない感覚しか得られない。


 気分は塞ぎ、食欲は落ち、そこそこ好きなはずのカード遊戯を楽しめない。


 人から指摘されれば、なるほど、ウリトラスは抑うつ状態以外の何ものでもない。


 死の淵から戻ってきたウリトラスを見てマルティナが即座に気付いた心の病みを、ドミネートで繋がっている私は最後まで見抜けなかった。


 私はいつもこうだ。


 もし私以外の人間が事に当たっていたら結果はもっと芳しかった。


 そう思わされたことがこれまでに何度あったか知れない。


 大樹の下で床に伏せるウリトラスを見つけたのが私ではなくマルティナだったら、ウリトラスの後遺症はもっと軽く済んでいた。


 エルザは私に家族のいる喜びを教えてくれたが、エルザの兄が私でさえなかったら、エルザはもっと幸福な人生を送れていた。


 ラムサスの風魔法と水魔法は文句のつけようがないほど著しい成長を見せているが、彼女に攻撃魔法を教えたのが私ではなくイオスやセルツァだったなら、今頃はもっともっと素晴らしい魔法使いになれていた。


 私がマディオフとゴルティアの戦争に介入しなければ、両国には建設的な未来を模索する道が残されていた。


 私は様々な事態や事柄を悪い方向にばかり動かしている気さえしてくる。




 クローシェやウリトラスにとって振り返る価値の高い局の感想戦が一通(ひととお)り済み、私はカードを片付ける。


 二人とも就寝の頃合いだ。ウリトラスの体調が再び悪化せぬよう睡眠時間を確保するのは極めて大切だ。


“抗病因子”のあるクローシェは睡眠時間を削っても平気で活動継続できるが、睡眠不足の弊害はしっかりとある。


 私の傀儡となり十分な睡眠時間と食事量が確保されたクローシェは、判定試験で失った体力が回復するのは当然として、それが完了しても、そこから更に体力及び戦闘力の向上が続いている。それも、鈍足ではない、かなり著しい速度での成長だ。


 もちろんラムサスの魔法成長に比べてしまうと見劣りするが、クローシェの実年齢を考えると凄まじい成長速度であることに違いはなく、クローシェ本人も自らの成長に驚いている。


 手足の強化は私にとって極めて重要な目標であり、だからこそクローシェにはきっちりと睡眠時間を与える。


 そして、手足を操る私も十分な睡眠は欠かせない。ロギシーン連戦と同じ(てつ)は絶対に踏まん。


 生者たちを床に就かせた私は最後に睡眠態勢に入る。


 ロギシーンからマディオフへ移動の途にある私の肉体は入眠に適当な疲労具合だ。それなのに私はなかなか寝付けない。


 眠りに落ちたければ何も考えず頭を空っぽにすべきだ。分かっていても、私は急ぎ考える必要のないことや過去の過ちをあれやこれやと考えてしまう。




 マルティナの洞察力により遅ればせながらウリトラスの心の不調を理解した私は私なりにウリトラスを慰安する方法を考え、実践した。


 食事の際、何も言わずに料理を口に詰め込むのは良くない。一般に食事とは、目で見て楽しみ、香りを()いで楽しみ、それから舌で味わって楽しむものである。カード以上に心を癒やす娯楽になりうる食事を作業的に終わらせるなど言語道断だ。


 視力の低いウリトラスに目に代わって働かせてもらうのが耳なのは言うまでもない。


 できあがった料理をウリトラスの前に並べたら、まずは一品一品、匂いを嗅がせる。それと同時にクローシェに料理を解説させる。


 主菜が魚なら、何という魚なのか、脂の乗りはどうか、捌く前の魚鱗の色合いは如何様か、いつが旬で、いかなる調理法をしたのか、盛り付けはどんな具合になっているかウリトラスの目に浮かぶように、それでいて長ったらしくならぬよう簡潔に説明して、それからはじめて料理を口に運ぶ。


 地下に居ては私が傀儡で見たロギシーンの日中の景色を語る。ロギシーンとアーチボルクの街並みの違い、血の気が多い風変わりな商人連中、治癒院に通う人間たちの雑多な悩み、探せば話題は色々とある。


 就寝前にラムサスがウリトラスに挨拶したのは、私にそうするよう頼まれたからだ。


 特別意味のある内容でなくとも構わない。傍に居る者にほんのちょっと話しかけてもらえる、それだけでヒトは救われる。自分がそこに居て、生きていることを認めてもらえた実感が多少なりとも得られる。


 ラムサスは私の心からの頼みを『応とも、任せてくれたまえ』と自信満々に引き受けてくれた。


 そう言えばラムサスの口調がおかしくなったのは地上に出てからではないな。この時期からもう十分におかしかった。


 何はさておき、私に頼まれたラムサスは、『傀儡がドミネート下でも自我を保ち、喜んだり苦しんだりするのだ』というドミネート理解を一層、深める。


 人がいいラムサスは理解を現実の己の行動に反映させる。それがさっきの『おやすみ、クローシェ』だ。


 私がラムサスに頼んだのはウリトラスへの語り掛けだけ、クローシェに関しては一切頼んでいない。ルカを(あや)めたクローシェをラムサスは憎んでいるはずなのに、ラムサスは憎しみを押し殺してクローシェに語り掛けている。まだぎこちなさはあるが、それでも彼女の理性は驚異的と言う他あるまい。


 声掛けひとつひとつに大きな力はなくとも、それが毎日積み重なるとジワジワ効いてくる。ウリトラスにも、クローシェにも。これは予測というより私の願いかもしれない。いずれにしても声掛けに急激な効果は期待できない。


 そこで、小さな蓄積だけでなく大きな働きかけもする。その代表格たるものが将来に関する話だ。


『治る見込みのない障害を負った』


 そういう思いがウリトラスの気分に重い蓋をしている可能性は極めて高い。


 そこで私は、今すぐにではないけれども、いずれゴルティアに向かうつもりでいること、聖女の力さえ借りられれば低下した視力や拙劣な手指巧緻性、体温の維持や体液の保持をしきれない皮膚といった火傷の後遺症各種を完治させられること等々を説明した。


 聖女の欠損修復力に関する話は、他のマディオフ人にはできない、私だからこそできる、ただの逸話の範疇に留まらない正確かつ詳細な説明だ。


 ウリトラスの火傷はドラゴンブレスを浴びて生じたものだが、この原因を作ったのは誰か。


 私はロギシーンに来るまでこれをゴルティアの責と断定的に考えていた。だが、ロギシーンを訪れてクローシェの記憶を覗き、認識が変わった。


 ゴルティアは確かにウリトラスを調略し、引き抜きを図った。しかし、ドラゴンの調伏までは命じていない。


 ウリトラスを(そそのか)したのはゴルティアの戦略本部の意向ではなく、現場の女工作員セオドラの独断だったのだろうと私は暫定的に考えている。


 ウリトラスの体調が万全だったならば、一時的に薬で弱らせて小妖精で細かい部分、例えばウリトラスとセオドラの具体的な会話内容を確かめられるのだが、いつまた重篤になりかねないウリトラスにまさかそんな危険な真似はできない。


 当事者が前にいて、そして我々は情報系の能力があるというのに、専らウリトラスの体調が不安定なせいで事実関係を確定させられずにいる。


 毒婦だと思いきや、その実、知恵が不足していただけのクローシェとは異なり、セオドラは真の害悪に違いない。


 ウリトラスに代わって私が必ずやこの世紀の悪女を探し出し、奸計をめぐらせて渡り歩いた醜い生涯を大海の淵よりも深く後悔させてから(ほふ)る。


 私は毎日のようにウリトラスに仇敵誅滅の誓いを捧げるのだが、私に誓われてもウリトラスは深く嘆き悲しむばかりで少しも喜ばない。


 きっとウリトラスは私に代理復讐してもらうのではなく自分の手でセオドラを苦しめ、屠りたいのだろう。


 もちろん状況さえ許せば私もそうさせてやりたいが、なかなかそう上手く事が運ぶとは考えがたい。だからこその代理復讐であり、だからこその誓いである。


 ウリトラスの心が復讐委任を受け入れられる日が来ると信じ、私は明日も誓いを新たにする所存だ。




    ◇◇    




 前向きな気持ちで入眠したおかげか、素晴らしい吉夢を見て私は目覚める。夢の内容は、捕らえたセオドラに串を打ち、即死してしまわない程度の火加減でじっくり串焼きにする、というものだ。


 実際のセオドラの顔も声も私は知らないが、夢の中で苦悶に歪む奴の顔、奴の喉が奏でる(うめ)き声、肉の焦げる匂い、串を回転させるための取っ手(ハンドル)を手回しする感覚、全てが鮮明に私の記憶に残っている。


 ああ、今日はなんと爽やかな朝なのだろう。


 ただの夢で終わらせずに正夢とできるか否かはこれからの私次第だ。夢に奮い立たされ、マディオフへ向かう足は自然に速くなる。


 ロギシーンからマディオフへ一直線(いっちょくせん)に向かおうとすると途中でダンジョンにぶつかる。ダンジョンと街を往還するハンターから近況を聞いておくのもひとつの手ではあるが、この国家情勢でダンジョンに入り浸るハンターが王都の最新事情に敏いとは、私にはどうにも思えない。


 情報源として役に立たないのにハンターたちと交差しがちなダンジョンや、その付近の道を好んで歩む理由はないだろう。


 私はダンジョン並びにダンジョンへ繋がる街道を北に迂回するかたちで進路を取る。


 とはいえ、ありとあらゆる街道を全て避けるのは不可能で、必ず街道をいくつか横切ることになる。


 道なき道を進むうちにまたひとつ新しい街道に接近した我々は、そこを歩む者や、はたまた魔物がいないか空から観察する。


 すると見えてきたのは動きの少ない小物が二つ、大きさや格好からするにおそらくはゴブリン……。


 ん……いや、違うか……?


 よく見るためにステラを対象に近付ける。


「何かいた?」


 私の雰囲気の変化に気が付いたラムサスは私に情報共有を求めてきた。


「どうやら進路前方の街道にヒトの子供が二人いるようです」

「なんだ、子供か。それで、周りに大人はいるの?」

「私も探しているのですが、見当たらないんですよね……」

「ええ、何それ」


 不自然な状況に、ラムサスが重ねて私にいくつも問うてくる。


 近くに街はあるのか、子供の年齢はどれくらいか、ヒトの子供に擬態する魔物が近辺に生息していないか。


 私はそれにひとつひとつ答えていく。


 二人とも座り込んでいるため背丈ははっきりしないが、おそらく十歳前後、近くに地図に載る規模の大きな街はなく、ステラの目で確認した限りだと村落も見当たらない。木々に隠れてしまう背の低い一軒家はさすがにステラでも見当なしに探して見つけるのは難しい。私が知る限りでは、この地域に変装魔法(ディスガイズ)を使う魔物は生息していない。


 話せば話すほど事の異常さが浮き彫りになる。


 では、あの二人に我々が干渉したとして何か得られるものはあるだろうか。


 これで二人が王家の人間であれば王族の呪い(ロイヤルカース)の秘密を解き明かす手掛かりになってくれるかもしれないが、そうそう都合のいい話は転がっていない。


 ステラに妙な言葉を教えた野生の王族など現実には存在しないのである。残念。


「もしかしたら面倒に巻き込まれて王都に到着するのが遅くなってしまうかもしれませんが――」

御託(ごたく)はいいから早く子供の所に行こう」


 ラムサスは私に(みな)まで言わせず行動を促す。


 情報魔法使いならではの即妙の答えのようだが、孤児院ナジェーヤの件を考えても彼女は単純に子供が好きなのだろう。


 それでいて私に対しては『子供が好きではない』と見え見えの嘘をつくのだから面白い。人に隠すのが当然の恥ずかしい好みでは全くないというのに、ヒトの羞恥心は時に不思議な働き方をする。


 小妖精に頼り切りにせず、不用意に接近するものを絡め取る危険な罠が無いか警戒しながら我々は二人に近寄っていく。




 かなり念入りに傀儡を走らせても二人の近辺に危険は見当たらず、一先(ひとま)ずの安全が確認できた我々は、いざ子供の前に姿を見せる。


 フィールドの(がわ)から現れると意味なく子供の恐怖を煽りかねない。


 そこで、少し離れた場所で街道に出て、街道に沿って歩いていたら偶然出会った(てい)を装う。


 路傍に転がる、座るにちょうどよい大きさの石に腰掛けていた二人が我々に気付いて立ち上がる。


 二人の顔に浮かぶ感情は人に出会えた喜びが一割(いちわり)二割(にわり)で、あとは全て不安だ。


 やはり二人がここに居るのは、二人の望みではなく、なんらかの事故や不幸だ。


 これでもし二人が幼い盗人で表情が完全な演技だとしたら、壇に上げて客から金を取れる高水準の演じ手だ。


 それに二人とも思ったよりも……。


 つまらぬことを色々と考えながら、怯える二つの幼体に私は声を掛ける。


「あれま僕ちゃん、嬢ちゃん。どうしてこんな所にいるのでしょうか」


 おかしなことを考えていたせいか、我ながらなんともおかしな語り掛けをしてしまった。


 これだと我々は(まが)うことなき不審人物だ。


 それ見たことか、二人はますます動揺している。


「我々は通りすがりのつまらぬ旅人どもです。怖がる必要がどこにございましょう。どうか安心してください。こんな道端にいて、もしやお二人、喉は渇いていませんか。そうら、お水を出してあげましょう」


 普通に喋らなければ、と変に気負ったせいか、私の語りはかえって悪化した。


「いきなり変なことを言われるとビックリしてしまうよね。でも安心して。私もそっちのお姉ちゃんも悪い人ではないよ」


 やらかし続ける私に我慢しきれなくなったのか、ラムサスが助け舟を出してくれた。


 ラムサスの話し掛け方はまずまずだったと思うのだが、二人のうちの一人、男児の方は完全に硬直している。いや、それだけだと表現が足りていないか。


 男児はラムサスの顔を見て(おのの)いている。


「本当に悪い人じゃない?」


 男児よりも年下と思われる女児の方は男児ほど怖がっていない。それでも恐る恐るといった様子で返事してくれた。


「本当だよ。あ、そうだ。アレ、やってみせてあげて」


 ラムサスはそう言い、こちらをちらりと見て小さな仕草を出す。私に、とある行為をやれ、と要求している。


 ああ、はいはい。アレね。


 子供騙(こどもだま)しではあるが相手は本物の子供、緊張を(ほぐ)す程度の働きはしてくれるかもしれない。


「さてさて取り出しますは種も仕掛けもない普通のカード。しかし、枚数が少しばかり足りていません」


 私はカードの山を取り出し、土魔法で作る即席の机の上にぽんと置く。


「不足しているなら、こんな風にして……」


 十数枚の札を手掌側に隠し持ち、その手を口元まで持っていく。大口を開け、隠した札を下方向へするりと展開し、続け様に上へ下へとさらに長く展開してやる。


「口から出したカードを足してあげましょう」

「わあ、凄い」


 女児の方には思いの外、ウケた。


 ウケるともっと喜ばせたいと思うのはヒトの(さが)だ。


「あれ、まだ足りませんね。もう少し出しましょう」


 私はもう一度同じ技を繰り返す。すると、女児はまたきゃあきゃあと喜ぶ。


「どうやって口の中にカードをしまってたの。ねえねえ、どうやるの」


 さっきまでの警戒心はどこへやら。


 女児は机の上に身を乗り出し、芸を披露したクローシェに解説をせがむ。


 男児の方は、芸も気になるが、それよりもラムサスの顔が気になるようで、クローシェとラムサスを交互に見ている。


 男児が浮かべているのと同じ表情を私は見たことがある。


 広い王都には多様な人間がいて、出で立ちもまた多様だ。大半は身分や性別、財力や地位に見合った服装をしているが、中には明らかにそぐわない格好の者が自信満々で歩いているから面白い。


 年齢をかなり重ねた老女が場末の娼婦もしないようなキツい露出の服で歩いていると、大人はそれを見ないようにする。仮に見るとしても、向けるのは奇異の目なわけだが、子供は大人と違った反応を見せる。特に男童(おとこわらし)は女の異常に敏感で、『昼の王都で怪異を見たり』といった顔で固まる。そう、ちょうど我々の前で慄いている男児のような顔だ。


「口からカードだけではなく、他にも色々とできますよ」

「本当!? 見てみたーい!」

「じゃあ、こちらの椅子にかけてご覧なさい。空いた両のお手々には、さっきのお水をさあ持って。特等席に一番乗りしたあなたのお水には特別に甘くて美味しい火焔菜糖(ビートシュガー)を入れてあげましょう」

「人から物を貰っちゃダメだ、カヤ」


 それまでクローシェとラムサスの間を目で行ったり来たりするばかりだった男児が突然、女児カヤの安易な行動を(とが)める。


「えー。だって、悪い人たちじゃなさそうだよ。お兄ちゃん」

「そんなの、会ってすぐに分かるもんか。ほら、返せよ」

「いやだ! 私、喉乾いたもん。お兄ちゃんだって喉が渇いたって言ってたじゃん!」


 兄と呼ばれた男児は口で言っても聞かない妹から糖入り水の入った容器を奪い取ろうとする。


 いやはや、一〇歳前後の子供の喋り方はここまで幼いものだっただろうか。頭脳は大人なのに喋り方のおかしな私が言えた立場ではないが……。


 あっ、私の喋り方がおかしくなった理由が分かった。考え事をしていたからではない。このところ変な喋り方するラムサスの悪癖が伝染(うつ)ったのだ。


 そうだ。そうに決まっている。許せん! 許せん……が、ラムサスの責任を追及するのは後だ。今は二人に対応しよう。


「なるほど、確かに出会ったばかりの我々を信用しろ、とは無理な話です。かわいい妹さんを守ろうとするお兄さんの気持ち、ようく分かります」


 我々に褒められた兄は、がっちりと身体で容器を守る妹に向けた手を止めてクローシェを(にら)む。


「しかし、水を飲まねば人間、死んでしまうのもまた事実です。妹さんを大切に想うならばこそ、井戸から()んだとも川の流れを集めたともつかぬ安危不明のこのお水、あなたが先に飲んで安全を確かめてあげるのが兄としての務めなのではないでしょうか」


 揺さぶりひとつで、厳しいばかりだった兄の目に迷いが差す。


 よし、もう一息だ。


「安全を示すために、水筒から分けた水を我々が目の前で飲んで差し上げましょう」


 不審な水の出処たる大本の水筒を私は再度、取り出す。さらに土魔法で新たに小さな杯を三つ作り、それぞれに水筒の水を注いで八分目まで満たす。


 クローシェとラムサスで杯三つのうち二つを手に取る。


 ラムサスは水をぐいと一息で飲み干した。


 クローシェは器の半分ほどを飲み、莞爾(かんじ)として笑って二人に(うなず)く。


「ささ、お兄さんの番ですよ」


 机の上に鎮座する最後の杯をつつと滑らせ、兄の手が届く所まで押してやる。


 杯の中で揺らめく水面を見下ろして兄の喉がごくりと鳴る。


 兄の腕は動かない。しかし、腕の先に伸びる手はわきわきと半分握っては開き、握っては開きを繰り返している。


『水を飲みたい。でも、飲んではいけない』


 兄の葛藤が手に取るように分かる。


 渇きに苦しむ幼体に水を与える、言ってしまえばそれだけのことでしかないのに、それでも、心の最後の一線を割らせる作業というものは私にゾクゾクと不思議な悦びを与えてくれる。


 悦びは私にいたずら心を萌芽(ほうが)させる。


「もしかして君は……」


 クローシェの唇を濡らす水を指先で()(ぬぐ)う。


「私の飲みさしのほうが飲みたいのかな」


 半分だけ残ったクローシェの杯を差し出してやると、兄は大げさなまでに首を横に振る。


「違わい!」


 兄は顔を真っ赤にして、クローシェに差し出された杯ではなく己の手元にあった杯をムンズと掴み、目をぎゅうと(つむ)ったまま飲み干した。


 ははは。幼くとも男は男、からかい(がい)がある。


 私はふとジバクマのラシードを思い出す。彼も、ルカで少しからかってやると期待どおりの反応を見せてくれた。


 生前のルカやマルティナの目を通して見た限りでは、ルカほどではないものの、クローシェも十分に見られる顔をしていた。


 男はどうあがいても美人に逆らえない。悲しいこの世の理だ。私もエヴァには散々、(もてあそ)ばれた。


「それだけではとても足りないでしょう。さあ、もう一杯お飲みなさい。妹思いの優しいお兄さんにも火焔菜糖を入れてあげましょうね」


 甘みを足した水を差し出してやる。


 兄はもう抵抗せずに杯を受け取り、ちびりちびりと水を飲む。


 火焔菜から抽出した糖が凝り固まっていた兄の心を優しく溶かす。液状になった恐怖が涙となって二つの目から(あふ)れ出てきた。


「たった二人、こんな場所に取り残されてさぞ怖かったでしょう。もう心配は要りません」


 兄の頭を撫でてやると、兄は声を押し殺して泣き始めた。


 自分の水を守ることしか考えていなかった妹は、兄の泣く姿を見て途端にオロオロと狼狽(うろた)える。


「カヤさんもよく頑張りました。お兄さんは安心してしまっただけです。不安に思わなくても大丈夫、すぐにいつもの優しいお兄さんに戻ります」


 私の発言はカヤを落ち着かせるためのものだったのに、兄への感応のほうが勝ったのか、カヤまで泣き始めてしまった。


 怖がってみたり、笑ってみたり、泣いてみたり、まったく子供は忙しい。




    ◇◇    




 泣き疲れ、水を満足するまで飲んでやっと平静になった二人に手短に自己紹介してから、どうしてここに子供二人で居たのか経緯を尋ねる。


 クシシュトフ、愛称シシュで呼ばれる兄は年齢一一(11)歳、妹カヤは年齢九歳、二人は元々マディオフの王都ジェゾラヴェルカに暮らしていた。


 家はどんな様子か我々に尋ねられても、兄妹は「いたって普通」としか答えない。世間をよく知らない子供にとっては、たとえそれがどんな家でも自分の家こそが普通であって、他と比べて裕福なのか貧乏なのか、正常なのか異常なのかなかなか分からないものである。


 私が見たところ、二人の着ている物はそれなりの値段がつきそうだ。少しだけ汚れ、ほんの少しだけ着古した風はあるが、道端にいた時間がそこそこ長かったからの汚れであって、魔物に追われてフィールドを命からがら駆けずり回ったほどの汚れ方ではない。着古したといっても、四人、五人と着回したほどの古さでもない。


 旧貴族や富豪とまではいかないものの、まあまあに裕福な家庭の出、そんなところなのだと思う。


 家族は幸せに暮らしていたが、大森林の大氾濫(スタンピード)に始まった災厄の連続により王都の治安は悪化の一途を辿り、大人にとっても安全が保証された場所ではなくなってしまった。


 商売をやっている関係上、父も母も王都から離れられない。けれども、せめて仕事という束縛のない子供たちだけでも安全な場所に避難してもらいたい。


 王都から見て南西にはマディオフ三大都市がひとつ、ソリゴルイスクがある。そして王都からソリゴルイスクへ向かう道を少し逸れた場所にはチェンムヴィツェという街があり、そこに親類が住んでいる。カヤとシシュはしばらくそこに行くべし。王都の治安が回復したら、また家族で一緒に暮らそう。


 両親は二人にそう言い聞かせ、家から送り出した。


 もちろん子供二人きりの旅ではない。使用人筆頭イグナツィが責任を持って送り届ける。


 旅の始めは順調だった。


 家の中で機転が利くイグナは家の外でも頭が回る。


『治安悪化は王都に限った話ではありません。馬車の通れる大街道には野盗が潜み、小さすぎる道には魔物が出没します。ならば大きすぎず小さすぎず、知る人ぞ知る中くらいの道を行きましょう』


 イグナに先導され、二人は野盗にも魔物にも出くわさずに初めて歩く道を進む。


 旅は決して短くない。イグナと駄載獣(ださいじゅう*)のロバモドキ一頭で負いきれない荷は子供二人も負って歩く。重いとは言えない荷も、長く背負っているとずしりと重く感じる。




[駄載獣--ださいじゅう。荷を背に載せて運搬する使役動物。駄獣(だじゅう)とも]




 靴は擦れて痛いし、夜は家の床で寝るほどよく眠れない。


 それでも二人は弱音を吐かない。幼いとはいえ二人とも一〇歳前後、これがただの旅ではなく疎開であることは分かっている。それくらいの分別はつく。


 幼子二人が弱音を吐かずとも、獣はそうはいかない。


 分配してなお重い荷が祟ったのか、道半ばにしてロバモドキが苦しみ始めた。


 容態を診たイグナが言う。


『どうやら裂蹄(れってい)しかかり、脚が痛むようです』


 何でもできるイグナは簡単な装蹄(そうてい)もできると言う。しかし、装蹄は音が出るから、少し離れた場所で行う。


 二人は街道の横に身を隠し、イグナとロバモドキが戻るまで待っていてほしい。フィールドに入ると魔物の出現頻度が上がるから、イグナたちの戻りが遅くとも決して探しに来てはいけない。


 そう言い残してイグナは苦しむロバモドキを引っ張り、道から外れてフィールドに入り込み、そしてそのまま戻ってこなかった。




 兄と妹の述懐を聞き、私はなんとなく事のあらましを察する。


 どうやらイグナは子供二人を道横に置き去りにし、ロバモドキ諸共、荷を持ち去ったようだ。


 それと言うのも、そもそも裂蹄治療にそこまでうるさい音はしないからだ。ロバモドキの気性が荒ければ少し話は違うが、シシュたちが言うには、脚を痛めてなおロバモドキはそこまで大きな鳴き声を出さなかったらしいから、騒音を理由に遠ざかる必要はない。


 それに、本当に脚を痛めたのであればロバモドキから一旦荷を下ろすはずだ。それなのにイグナは荷を載せたままロバモドキを連れて行っている。これは典型的な拐帯(かいたい)の手口だ。それも、道中で芽生えた出来心ではなく、最初から考えていたものだ。


 ソリゴルイスクは王都の南西にある。いくら主要街道を避けるためとはいえ、王都北北西のこんな道を歩いているのは明らかにおかしい。


 しかしながら、哀れなシシュたちは今もイグナを信じている。ロバモドキ共々、魔物に襲われたものと思い込み、それでも二人は方向感覚が無いから自分たちだけだと動くに動けず、この場所で助けを待っていた。


 手持ちの水とわずかな携行食で渇きと飢えをしのぎ、それが無くなると草露を舐めて口を湿らせていた。


 そこに初めて通りかかったのが我々だ。助けを求めるに相応しい常識的な人物か子供たちなりに目を光らせていると私が妙なことを口走り、しかもそれを(いさ)めるラムサスが怪異同然の衝撃的な顔をしているものだから、シシュの頭の中ではかつてないほどの危険信号がけたたましく鳴り響いたらしい。




「あいにく我々はソリゴルイスク方面に向かう予定がありません」

「正確にはソリゴルイスクじゃなくてチェンムヴィツェね」

「そうでしたね。我々はチェンムヴィツェの場所が分からないので、行きたくとも行けません」


 私は本当にチェンムヴィツェという村を知らない。名前を聞いたことはあるような気がする、その程度の理解だ。


 では、二人を生家に送り返せば問題は解決するだろうか。いやいや、その過程でより面倒なことになりそうに思う。


 もう十分、面倒に自ら首を突っ込んでいるのだが、ここから最大限、面倒を避けて問題解決を図るならば、思いつく手はひとつだ。


「王都とソリゴルイスクの往来は世情の乱れた今もそれなりにあるはずです。道を行き交う人々の中から信用できそうで、かつチェンムヴィツェなる村の近くを通る一行を見つけるところまでは我々が手伝いましょう。我々とはそこでお別れ、二人はまだ見ぬその一行にチェンムヴィツェへ連れて行ってもらうといいでしょう」

「提案ありがとう。でも、そもそも僕はまだクローシェさんたちを信用していない」


 我々から与えられた水を飲み、我々から与えられたモルデイン麦クッキーをパクついておきながらシシュは悪態をつく。実に説得力がない。


「そうですか。じゃあ、これは何だと思います」


 荷の中から、最近めっきり使っていなかった袋を引っ張り出し、中身をその場に広げる。


「分かんないよ、そんなの」

「私も分かんなーい」

「これらはある物の部品です。今から組み立てるので、出来上がる物が何か分かったら答えてください。早く正解した人にはご褒美をあげましょう」


 子供用に大きさを調整しながら私はそれを手早く組み立てる。


「は……早いっ……!」


 作業速度にシシュたちは素直な驚きを示す。


 ルカを使えばもっと早く組み立てられるが、そこまで器用ではなく、しかもまだまだ操り慣れたとは言えない私のクローシェ操作ではこの速度が限界だ。


「はい、完成です」

「えー、何これ。こんなの知らないよ」

「僕も分からない。狭いけど……椅子?」


 完成品を見ても二人は物品が何なのか理解しない。


「これは背負子と言うんですよ」

「背負子も分かんなーい」


 いくら都会っ子とはいえ背負子も知らないとは……。シシュたちの家、ソレッキ家は商いを行っているらしいのに、これでは商人の名が泣こう。


「では、実際に使ってみましょう。お水とクッキーは机に置いて立ってください」

「全部食べてからがいい」

「別に取り上げはしませんよ。さあさあ乗って」


 食い意地を諦めきれないカヤの身体をひょいと持ち上げ、積載を待ってしゃがむアンデッドの背に下ろす。


 子供はどんな拍子に背負子から転落するか分からないから、ラムサスを背負う時よりも厳重に安全紐で身体を結び止める。


 私にとっては安全装置でもカヤにとっては拘束にしか感じられないらしく、カヤは誘拐されるのではないかという恐怖に顔を引きつらせる。


「お水はそっちの手に持って、こっちの手に持つクッキーには……はい。美味しいソースを塗っておきました」


 クッキーに塗った液体調味料は油脂と塩を混ぜ、粘稠度を緩めに仕上げた物だ。作りが簡単なだけに万人受けする。味もそれほど強くないから子供でも食べやすいはずだ。


 カヤは不安な顔をしながらもクッキーを一口頬張り、後は「なるほど! なるほど!」と言いながら一心不乱に咀嚼する。どうやら好みの味だったようだ。


 ソースとクッキーの好相性に感動するカヤに気を取られて油断したシシュの身体をこれまたひょいと持ち上げる。


「わああああ! 放せええええ!!」


 叫ぶシシュの心に渦巻いているのはおそらく(さら)われる恐怖ではない。ただ単にクローシェに触れられるのが恥ずかしいのだ。身体にその証拠が(あらわ)れている。


 暴れるシシュを手早く背負子に結び止めて立ち上がる。


「はい。シシュ君も食べる」


 シシュは渡されたソース付きのクッキーを食べずに背負子の上でしばらく身体をモゾモゾさせるばかりだったが、少なくともそれ以上、抵抗する様子は無さそうだったので、我々はその場を撤収して移動を開始する。


 子供は乗り物酔いしやすいから、アリステル班を背負う時に増して背負子を揺らさぬよう注意する。


 また、不安を和らげるためにクローシェで当たり障りのない話を二人に順番に振っていく。


 はじめは街道に沿って進み、途中からは道を逸れて私の思い描く最短距離を行く。


 パーティー後方に位置する私の横にラムサスが来て、子供たちには聞こえない小さな声で話し掛けてくる。


「子供に甘々アンデッド」


 開口一番に私を罵倒……。ラムサスの私に対する評価は日に日に厳しさを増している。


「用件を言え。焼き菓子に塗る調味料をねだりに来たのではあるまい」

「どうしてシシュたちを王都に連れて行かない」

「逆に問おう。サナは理由をどう推測する」

「王都の出入りには検問があるから二人の存在は邪魔になる。でも、それは表向きの理由で、何らかの裏事情がありそうに思う。それが何か分からないから私は尋ねている」


 我々は検問を省略して王都に出入りする方法がある。我々にとっては正道でも、ヒトの常識に照らし合わせると邪道な手口だ。


 シシュとカヤを眠らせるなど訳のないことなのだから、二人がいても邪道を行く妨げには必ずしもならない。


「絶対の理由はない……が、敢えてひとつ挙げるならばロバモドキだ」

「そう言われても、私はその生き物の名前を初めて聞いた。そこから理由を導き出すのは難しい。ロバに似た別の生き物なのだろうけれど、もう少し情報が欲しい」

「ロバに似た別の生き物……か。仮にその一言だけを採点するとして、何点を与えるべきか、私にも分かりかねる」


 ボヤきの色を帯びた煮え切らない私の説明をラムサスは真剣な顔で聞く。

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[良い点] ロギシーン編に入ってからのウリトラスの体調悪化。 一体何があったのかと気になってましたが、そういうことでしたか。 ウリトラスの治療と引き換えにマルティナが何を得たのか、 いつか挿話か何かで…
[一言] リハビリという言葉が浮かびました。ロギシーンが長くその間リリーバーの個別メンバーの話が少なかったので、読者に新たな王都編へ向けての準備をさせている感じでしょうか。リリーバー内部での関係性が表…
[気になる点] 紹介のところで武器の持ち手が逆になっています。 シーワが魔剣クシャヴィトロ。フルルがジャイアントアイスオーガの剣。 後、 >固有魔法ナパーマクラスタ→ナパーマクラスター [一言] ウリ…
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