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第六九話 インターミッション 二

 エルザの解呪完了により私の中で呪破の重要度は大幅に低下した。それでも作業を途中で投げ出すわけにはいかない。やる気が伴わぬまま惰性で残る呪破対象を処理していく。


 残りものたる彼らはマディオフ軍やユニティにとってそれなりに価値のある人物なのかもしれないが、リディアを除き、私にとってはどうでもいい、価値のない存在だ。


 戦闘力はそこまで高くない。魔力はさほど多くない。そんな連中がどうして高価値と判定され、呪破順がエルザよりも後に設定されているのか。


 リディアの戦闘力が大きく下がっている今、単純に実力で昇順に並べるとエルザの順番は最後になる。ところが、ユニティは階級や役職、その他を考慮に入れたために順番は()くのごとくなった。


 エルザの地位は実力に比べて不当に低い。その原因のひとつが私にあると分かってはいるが、それでも不満なものは不満だ。


 私は不満を我慢する。エルザのために我慢する。『ウチの妹を今すぐ大将に据えろ! 前線に出すな! 丁重に扱え!』と軍に怒鳴り込みに行きたい気持ちは決して公にしない。


 もういっそ残りの連中を溜まった不満の()け口にしてやりたい。


 やり方は簡単だ。やつらにはまだ呪いがかかっているのだから、房の前に行って『よーし。これからお前の身体にかかった王族の呪い(ロイヤルカース)を解いちゃうぞー』と(うそぶ)くだけで、おそらく呪いは発動する。


 呪いの力で暴れ、傷つく彼らの姿を見れば多少は溜飲が下がるだろう。


 しかしながら、実際にそんなことをやった日には大顰蹙(だいひんしゅく)を買うのが目に見えている。ガラス細工のようなユニティとの信頼関係は一瞬で砕け散り、ラムサスからは連日連夜罵倒される。


 私が憂さ晴らしできるのは妄想の中だけ、現実には大学時代同様、他人の目に怯え、顔色を窺って過ごしている。なんとも惨めな存在ではないか。


 己の境遇を嘆きながら私はなおざりに呪いを解いていく。




 また一件(いっけん)解呪を済ませ、房を後にした段になって突如、不安に襲われる。


 私は今、本当に呪いを解いたのだろうか。呪破対象を眠らせ、体内に魔力の手を突っ込みグルグルと無秩序にかき回すばかりで、解呪など全くやっていなかったのではなかろうか。


 ……。


 別にいいか、どちらでも。


 急速に生じた不安は、これまた急速に消失する。我ながら感情の起伏が激しい。


 どうせ呪破の後はユニティの人間による事務的説明が待っている。万が一、呪いが解けていなければ説明によって呪いが発動するから、それが成否判定として機能する。


 何か言われるまで放っておこう。




 それからしばらく経ってもユニティからは何も問い合わせがない。多分ちゃんと解いてあったのだろう。


 以降も集中力散漫な解呪を続け、次なる大物リディアの番が巡ってくる。


 自分を激励するまでもなく自然と集中力が研ぎ澄まされる。ただし、集中力が向かう先は呪破にあらず。


 クローシェに任せておけば、操作者たる私は難しく考えなくても一連の工程は半ば自動的に終わるのが経験上明らかになっている。


 私の集中力もとい関心が向かっているのは成功するに決まっている呪破ではない。傷の具合だ。


 私が負わせてしまったリディアの利き腕の傷は薄闇の中で診た時よりも少しだけ良くなっていた。治療の痕跡から察するに、マルティナが私の拙い治療の後事(こうじ)を担ってくれたようだ。


 リディアはマディオフにとってもユニティにとっても最重要人物のひとりである。とはいえ、解呪前のリディアはユニティにとっていつ発火し、大火事を巻き起こしてもおかしくない危険度の高い可燃物のようなものだ。


 そんなリディアをユニティはロギシーン最優の治癒師に診させた。これを英断と呼ばずしてなんと呼ぶ。


 きっとこれもスターシャの指示なのだろう。


 あの人間は実に俊英だ。暗愚な私とは違う。


 いつもそうだ。才能は常に私には無く、私の周りの者に有る。


 私は一番になれない。何者にもなれない。


 それでも私には憧れがあった。夢があった。努力だってした。しかし、私が最終的にやったのは……。


 光り輝く才気が私の陰に潜む過去の卑屈な感情を炙り出す。


 眠るリディアの腕の傷にもう一度目を落とす。


 マルティナが手を尽くしてなお完全には回復していない。私の想定よりは良くなっているから剣は撃てる。けれども、前には及ばない。


 まだ私は何も成し遂げられていないというのに、また目標がひとつ増えてしまった。




 うじうじと悔やんでばかりいても事態は好転しない。何はさておき呪破は完了した。ここロギシーンに呪破の対象は最早(もはや)ひとりもいない。


 後は呪いの解けたエルザたちが現状をどう思い、どう出るかによって、私がとるべき動きもまた変わる。


 ユニティに協力する道を選べば一定の条件付きで拘束は解かれるだろう。


 エルザにとって何が最善の選択かまでは分からないが、私としては現状、そうしてもらえると最も都合がいい。


 エルザとリディアの両名がユニティに加入したとしよう。そうすると、新たなユニティはアッシュがいて、エルザがいて、リディアがいて、他にもストライカーチームの人員が丸々いる。これだけ戦力が充実していればマディオフ軍はロギシーンに攻め込まない。


 私が不明な頭で考える分には交戦回避が当面の最善だ。


 ところが、呪破完了後、待てど暮らせど軍人たちは意思を明らかにしない。


 そして、そんな軍人たちをユニティが急かす様子もない。


 一日でも早く王都に向かいたい私は、彼らの悠長な姿勢に参ってしまう。


 アッシュたちは、選択を見届けてからロギシーンを発ちたい、という私の気持ちなど知らないし、知る由もない。何なら『呪破も済んだし、あいつらさっさと何処(どこ)かに行ってくんないかな。なにをグズグズしているんだろう』とでも思っているかもしれない。


 おっとり者たちを私が急かすのは一考にすら値しない下策だ。炯眼の士たるスターシャの前で下手に動くのは、こちらの弱みを晒す真似にちかい。


 焦れる私にラムサスは言う。ユニティが軍人たちに決断を迫らない理由が我々の存在にあるのではないか、と。


 そういうものだろうか。ラムサスが言うのだから、そうなのかもしれない。


 他に良案もないので私はロギシーンから一時、離れることに決める。


 事実上、我々を地下に軟禁し、監視している従者たちに一時外出を申請すると、どこへ行って何をする気なのかと彼奴らは問う。


 アッシュたちの従者に相応しくないスカスカの脳しか持っていないくせに許可なく私に質問するな。疑問があるなら壁の染みにでも問いかけていろ。


 心の中で悪態をつきつつ可もなく不可もない返答でその場を穏便にやり過ごす。


 私は愚か者だが、従者たちは明らかに私以下、愚者と愚者が語らっても不幸の生産にしかならない。


 従者との会話が虚無なら、許可が降りるまでの待機時間もまた虚無だ。


 虚無に耐えていると我慢が限界を迎える前に許可は降りた。


 我々は晴れて旧精神治癒院タムケトヴィエールから出て、従者たちに街の外へ移送される。




 窓の締め切られた移送馬車の中、傀儡の目でロギシーンが誇る農業地帯の様子を眺める。


 早いもので、我々がロギシーンに来たのは冬の寒いさかりだったというのに、暦の上ではもう春が終わり、夏のはじめに突入している。


 作付けの早い区画は青々とした麦が力強い草姿で日の光を浴びている。モルデイン麦は極早生(ごくわせ)作物、青い期間はすぐに過ぎ去る。出穂し、茶色くなったと思ったら、そこから黒くなるのはそれこそ瞬く間だ。


 この麦の由来を知っているがゆえに私は圃場(ほじょう)を眺めて穏やかならざる気持ちになってしまう。


 たっぷりと時間をかけて広い農地を越え、到達したフィールドとの境界部で馬車から降ろされて我々は歩く。


 馬車は我々がフィールドに消えるのも待たずに帰っていった。


 ああ、邪魔な奴らがいなくなって少しだけ気分が良くなった。


 少し進んで、前に後ろに念入りに気配を探る。


 我々を見張る視線は感じられない。


 天気は生憎の曇天……と言っても、ロギシーンではこれが平常だ。曇り空でも、地下とは比較にならないほど明るい。風は自然に流れ、揺れる梢がさえずり、そして何より己の足で土を踏みしめられる。


 沈黙を強いられる地下生活から、たとえ一時的であっても解放されて、さぞかし喜んでいるだろうと思いラムサスを見る。


 けれども、ラムサスは落ち着き無く辺りを窺うばかりで、空の下に出られる喜びを味わう素振りが見られない。


 何かを探しているかのようなラムサスの不穏の理由を私は尋ねる。


 すると、ラムサスは「戦いの傷痕があるかと思って」と素っ気なく答える。


 どうしてこの人間は塗炭を舐めるような行為に走る。


 降車地点も我々が進む道も戦闘があった地点からは距離がある。


 目を凝らしても戦闘の痕は見えてこない。ゴブリンの波が通った跡が精々である。


「この近辺を探っても、少なくとも我々が戦闘した痕跡は見つかりません。戦いがあったのは、ここから少し離れた場所です」


 私が知るのは己が戦った場所だけ、オレツノから帰還してきたストライカーチームが鎮圧部隊と衝突した地点までは把握していない。


 何の気無しに歩いていると思いがけず我々のものではない戦闘区域に差し掛かってしまうかもしれないが、私はフィールドを進むとき基本的に傀儡を先行させる。眠くて朦朧とでもしていないかぎり望まぬ邂逅を果たしてしまうおそれはない。


「……そっか」


 せっかく久しぶりに外へ出たのだ。ただ漫然と歩くだけでもそれなりに命の洗濯にはなるだろう。だが、より積極的に時間を使いたいものだ。


 もし、ラムサスがルカやフルードの埋葬地を訪ねたいと言いだしたら、そうしよう。


 私から『墓参りに行こう』と言い出すのは無思慮かと思われたため、どこか行きたい所がないかそれとなくラムサスに尋ねる。


 するとラムサスは少し考えてから「イウォナの祠へ行こう」と言う。


 軍略コンサルタントとして至極真っ当な提案、良い時間の使い方だ。


 だがしかし、私はそういう提案を求めていたのではない。小妖精がいながら、ラムサスは絶妙に私の狙いを外す。




    ◇◇    




 調査において資料を集めるのは重要だ。それも、できれば現地に足を運ぶ前に集められるだけの資料を集めておいたほうがいい。事前に適切な資料を揃え、適切に頭を働かせることで、現地調査の効率を何倍にも増大できる。


 しかしながら、悲しいことに一〇〇の資料から導き出した推測がたった一度の現地調査で打ち砕かれることは稀ならずある。


 では、イゥオナの祠はどうだろう。いずれ来たいと思っていた場所だが、今、来るとは思っていなかった。行動も制限されていたため、伝承以上の見識を私は有していない。


 ロギシーンの民はドラゴンにまつわる言い伝えを信じ、グイツァを封じた祠の手入れを抜かりなく行っていたとされている。


 実際に私が現地を見て思うに、なるほど確かに手入れはしてあったのだろう。ただ、その行為にどれだけの意味があったのかは分かりかねる。もしかしたらロギシーン人の知識継承には重大な不首尾があった可能性がある。


 学校に通う年頃の子供ですら知っているロギシーン人に馴染み深いこの祠は大きな窪地(くぼち)の中心に位置している。窪地なのだから周囲と比べて落ち窪んでいるわけなのだが、窪み方が生半可ではない。


 縁の内壁は急峻で、底の面積は広い。これだけ立派な窪地を破壊魔法でどこか別の場所に再現しようと思ったら、私が威力全振りで構築するベネリカッターの倍ではきかない大きさの魔法弾を用意する必要がある。


 それくらい特徴的な窪地に位置していながら、この祠が窪地の真ん中にある、という情報が伝承には全く含まれていない。これはどうにも妙だ。


 現場に転がる他の情報を見回しながら、私は想像を膨らませる。


 崖のごとき内壁を下って底の中心へ行くと、そこには「イウォナの祠」の名が示すとおりの小さな建築物……だった物が見つかる。


 祠は見るも無残に壊れていた。これはクローシェの記憶のとおりである。クローシェの記憶といっても、クローシェは己の目で見たのではなく、ミレイリから聞かされて知った。


 ゴブリン討伐のハンターたちに追い立てられた野生のゴブリンキングが破茶滅茶に暴れた結果、祠が壊れた、とクローシェの記憶の中のミレイリは語る。


 しかしながら、私は少々疑問に思う。ミレイリの認識は正しいのだろうか、と。


 王成りしたクルーヴァを操った感想として、ゴブリンキングは相当に知性の高い魔物だ。考えなしに暴れたあおりを受けて祠が壊れた、という解釈に私は諸手を挙げて同意できない。


 ゴブリンキングは祠を壊すと何らの良からぬことが起こると直感し、混乱を起こして生存の目を作るために意図して壊したのではなかろうか。


 祠が壊される場面に居合わせたミレイリの解釈を上書きできるほどの説ではないが、ゴブリンを操った経験のある者として、私は偶発的破壊説ではなく故意破壊説を提唱したい。


 さて、ゴブリンの行動学から祠へ視点を戻そう。


 祠の残骸は古代の遺物に相応しくない新しさがある。これは何度も建て替えられた証拠であろう。そして、この祠はあくまでも()()、封印には直接関与していない、保護殻のようなものと推測される。


 瓦礫の下に傀儡を走らせると、祠の新しさとは一転、長い時の流れを感じさせる劣化した残骸をちらほら見つける。


 ここが窪地で、窪地の内側壁に植物があまり生えていないことから考えるに、そもそも祠が建っていたのは窪地ではなく平地で、祠の下には地下堂のようなグイツァを閉じ込めるに足る広い空間が存在していたのだろう。


 ゴブリンキングによる破壊、それからグイツァが封印から逃れる際の破壊、二つの暴力によって堂の天井が崩落し、平地が窪地となった。


 そういうことではなかろうか。


 祠だったものを今一度調べてみる。木材ではなく石材が用いられていて、参拝した気分を存分に味わえる厳かな装飾がふんだんに奢られている。しかしながら、魔力的な細工はこれといって感じられない。


 瓦礫の下から回収した小さな残骸を観察してみる。私が日頃、(いじ)り回している魔道具の回路や部品にどことなくちかい印象を受ける。


 ただし、劣化があまりにも著しい。瓦礫を全て掘り返し、残骸を余さず回収したとしても、本当にそれが封印を担っていたのか、封印が具体的にどのような機構や設計によって成立していたのか調べるのは困難と思われる。


 劣化程度だけを考えると、つい先日までドラゴンを封印できていたのが信じられないほどだ。


 自壊寸前のギリギリの状態で、それでもなおドラゴンを封じ込めていたが、強い外力を受けたことで蓄積していた年月が一気に流れた。年代物ながら力強さのある美しさを保っていた乾燥花(ドライフラワー)が何かに接触した瞬間、粉々に砕け散ってしまうように。


 各種の状況と証拠から、私は斯様に推測した。




 雑感と共に調査内容を簡単に私が述べると、「あまり気を落としなさんな」とラムサスは言う。


 長い地下生活の反動か、珍妙な喋り方だ。


 大方、場を和ませようとでも目論んだのだろうが残念、私は和むどころか若干イラっとさせられた。


 ただ、心意気まで無下にするつもりはない。苛立ちは心にしまっておこう。


 それにしても……そうか、そうか。つまりラムサスには私が悄然(しょうぜん)としているように見えているわけだ。


 最近の出来事が私を悩ませているのは事実ながら、少なくとも祠の調査において私は何も気落ちしていない。


 私は封印関連の技能も知見も一切、有していないので、イウォナの祠を調査して封印技術の一端に触れられたらありがたいとは思っていた。


 しかし、貨幣の真贋鑑定器から魔力指紋法を習得したように、祠から手軽に技術を入手できるとまでは楽観していなかった。


 敢えて残念な点をひとつ挙げるとすれば、ロギシーン人が封印を覆う殻を手入れするばかりで封印実質を保全していなかったことか。


 とはいえ、封印の保全は容易ならざる作業に違いない。グイツァを抑えつける力を維持しつつ、封印の要となっている器具を修理ないし新しい物に交換するとなると困難に決まっている。困難どころか不可能かもしれない。


 封印に精通していない、そもそも崩壊前の祠を見ていない私でも、保全作業の難しさはなんとなく想像がつく。


「大きな収穫があったと言えないのは事実ですが、落胆はしていません。私は調査にまずまず満足しています」


 私の返事をきちんと聞いているのかいないのか、ラムサスは大げさなまでにウンウンと(うなず)く。


 演技じみたラムサスの所作になんとも言い難い虚しさを覚えつつ、本日これからの行動について思案する。


 せっかく久しぶりの外、魔法も剣も少し強度の高い訓練をラムサスに施したい。


 それが終わったらひと狩り行きたいところなのだが、この地は狩り(がい)のある魔物に乏しい。ハントで一定の満足感を得ようと思ったら、数が狩れて集団戦の良い模擬になり、さらに個としてもそれなりに強いゴブリンキングあたりが取り巻きを引き連れて現れてくれると都合が……。


 あれ?


 食塊が食道の半ばで(つか)えたような苦しさが、なぜか唐突に生じる。


 居るはずのない魔物について考えるのはやめておけ、という深層意識からの忠告だろうか。


「どうしたの? また具合が悪い?」


 ラムサスが下から覗き込むように私を見る。


 横から見ようと下から見ようとラムサスに見えるのは変装魔法(ディスガイズ)で作った老人の顔、魔法が切れていたとしても死面(デスマスク)が見えるばかりで魔法と仮面の下にある私の顔は見えない。


「いえ……。失礼しました。少し考え事をしていただけです」

「そっか。色々と考えてしまうよね」


 ラムサスは、何もかもお見通しですよ、とでも言いたげにまたわざとらしく頷く。


 胸苦しさとはまた違う、冷たい何かが私の背筋を走り抜ける。


 私はゴブリンキングについて考えたことで確かに気が重くなり、一瞬だけ体調に不良を感じた。


 とはいえ感じた体調不良を挙措には出していない。では、どうしてラムサスは私の異常に気付いた。


 当てずっぽう?


 いやいや、まさか。


 でも、そういえばラムサスは……。


 謎の洞察力について考えるうち、ラムサスが何か隠し事があったことを私は思い出す。


 ラムサスは云わばずっと私の監視下にあるようなもので、ラムサスが見たもの聞いたものは全て私も見て聞いている。


 それなのに、どういうわけか、ラムサスは私に知られたくない、なんらかの後ろめたい情報を入手した。


 はたしてそれは小妖精の力によって得たのだろうか? それとも聡い頭脳が導き出した推理の類だろうか?


 情報を掴んだ経緯が不明であれば、掴んだ内容もまた不明だ。


 一応、私の弱みに関する何かしらなのではないかと私は考えている。私ですら自覚できていない弱みをラムサスが掴んだと言うならば、嘘の下手なラムサスのこと、バツが悪くて挙動不審になったとしても納得できる。


 幸い、ここに聞き耳を立てる邪魔者はいない。今、聞かずしていつ聞く。


「サナ。あなたに聞きたいことがあります」

「言ってみたまえ」


 相談役を気取るラムサスは胸を張ってドンと叩く。


「私に隠している事がありますよね。それを教えてください」

「っ……」


 さっきから続いていたラムサスの妙な芝居が瞬時に閉幕する。


 目はしぱしぱと(まばた)き、口はぽかんと開いている。


 ラムサスは私の疑惑を確信に変えるのに十分なだけの動揺を晒してから、ようやっと言葉を(ひね)り出す。


「無いっ!」


 どうやら時間をかけて考えてもよい言い訳が思い浮かばなかったようだ。力業で否定しようとしている。


 見て悲しい、聞いて苦しい次の力業がラムサスから飛び出す前に、こちらから二の矢三の矢を放つ。


「あなたが隠しているのは私の弱点に関する内容ではないか、と私は考えています。弱点を完全に消すのは不可能にしても、知っておくことで対策を講じられるかもしれません」


 私がそこまで言うと、ラムサスから張り詰めた空気がぷしゅうと音を立てて抜けていく。


 緊張感がすっかり抜け去ったラムサスはしばし完全虚脱となり、それから思い出したように難しい顔でムムムと考え込む。


 顔で遊んでいるとしか思えないくらい、感情が表に漏れ出ている。


 少しは隠す努力をしろ。いや、していてこれなのか。分からない……。


 どちらにしても、これは参った。


 ラムサスの反応は私の想定よりも悪い。


 隠し事はひとつではない。多分……いや、絶対に複数だ。


 それ、全部私が聞き出さなきゃいけないの? いけないよな。代わりに聞き出してくれる人物などいないのだから。


 ああ、面倒だ……。


 私は己を鼓舞し、あの手この手で秘密を吐かせようと試みる。けれども、“話し合い”以外に効果的な交渉術を持たない私にラムサスが折れることはなく、時間だけが過ぎていく。


 根負けした私は当初の予定に立ち返る。


 まずは高強度の訓練だ。


 追及を切り上げて場所を変え、いざ訓練に臨む。


 ラムサスは文句ひとつつけずに私の訓練をこなす。


 訓練の中で見えてくるラムサスの剣の実力は想定された成長曲線にほぼ重なっている。


 魔法の方は、私が嫉妬してしまうくらい伸びている。対鎮圧部隊戦と対ユニティ戦で見せた実力がまぐれなどではなかったと力強く証明している。あの軟禁にちかい生活でどうしてこれほど魔法的に成長できるのか不思議でならない。これがドロギスニグの血がなせる業か……。


 充実した訓練の後、もうラムサスの意向は尋ねずにルカたちの墓へ参る。


 死者を悼む空気がラムサスの秘密を暴くのに一役買うのではないかとの下心で墓に来たわけだが、いざ白状させるためにラムサスの背中を押そうとした時、思わぬものが私を阻む。


 私は特別な理由がないかぎり、傀儡で話す。ルカの存命時はルカで話し、ルカが亡き今はクローシェを介してラムサスと話している。


 沈痛な面持ちで亡き人を想うラムサスにクローシェで話しかけようとした瞬間、クローシェから強烈な不快感が……もっと言うならば私を侮辱する感情がドミネート越しに伝わる。


 おそらく、今日一日の言動から、私がラムサスに何を言わんとしているのか察したのだと思う。


 感情からクローシェの思考を読み解くならば、『無粋は()せ』と言ったところか。


 傀儡の心を気にしすぎて操者が操縦を過るなどあってはならないことだが、傀儡によって得た気付きを無視して失敗するのもまた愚かだ。


 初心に立ち返ろう。


 墓参の目的は尋問にあらず。墓参は傷心を慰撫するためのもの。それなのに下種(げす)根性を発揮し、感情を逆撫でしてどうする。


 無理に聞き出しても後で散々恨まれる。ラムサスの機嫌を損ねたら、直すのに尋常ならざる苦労を要する。


 ここは素直に諦めるとしよう。




 穏便に済んだ墓参の後、ラムサスをチラリと見やる。瞳には久々に意志の炎が宿っている。


 口下手な私からあれこれ慰めの言葉をかけられずとも、この人間は勝手に色々と乗り越え、勝手に強くなっていく。


 埋葬地で尋問を諦めたのはやや消極的な選択かと思ったが、実は正方向の結果を生む最善手だったのかもしれない。


 私はクローシェが道理に暗い奴とばかり思っていたが、こういった情緒的な判断に関しては私よりも優れているらしい。


 助かったには助かった……が、こいつは屈辱だ。


 私はあのクローシェよりも配慮ができないバカなのか。考え始めると、もう悔しくて悔しくて仕方がない。


 あああ、屈辱、屈辱、屈辱、屈辱……。




    ◇◇    




 それなりに有意義なものとなった一時外出から帰ると、捕虜軍人たちは各々決断を下し終えていた。


 捕虜の人数は決して少なくないというのに、その大半がこの短い空白期間に己の歩む道を決めたのだ。それを誘導したユニティもといスターシャの手腕は見事と評さざるをえない。


 ユニティへの協力を決めたのは武の筆頭たるリディア・カーターをはじめとする捕虜全体のおよそ三割、これを多いと見るか少ないと見るか。我々が介入する前の傾向と単純に比較すると、三割という数字は少ない。


 ただし、介入前よりも低成果と判断するのは些か安易ではなかろうか。“真実探し”に走りがちな私だから確信を持っては言えないが、スターシャの何らかの思惑が作用した結果、この数字に落ち着いたのではないかと私は(にら)んでいる。


 肝心のエルザはユニティへの協力を拒み、房に抑留される生活の継続を選んだ。


 マディオフ軍人にとって難しい選択とはいえ、そこはユニティの手を取ってもらいたかった。


 ただ、決して快適とは言えない房内ではあるものの、命令次第でいくらでも危険地帯へ派遣させられる軍人生活を思えば、ある意味では意外な安全地帯とも言える。ロギシーンという土地を考慮すると、たとえ捕虜の身でも飢餓に(さら)されるおそれは低い。


 私がマディオフ全土の安全水準を一定の域に引き上げるまでの間、エルザに虜囚として過ごしてもらうのも考えようによっては悪くない。


 勿論、懸念だって十分にある。スターシャという切れ者がいるからこその、とんでもない懸念が……。


 とはいえ、私は迂闊にエルザたちの決断に干渉できない。迂闊な干渉、浅慮な行動は墓穴掘りにしかならない。


 掘っているのが私の墓ならまだいい。絶対に避けなければならないのはエルザの墓を掘ることだ。


 要は、妹の無事を願うならば、私は泰然とエルザら軍人たちの決断を聞き流すべきなのである。


 エルザの下した決断が今回もまた素晴らしい幸運を呼び込むものであることを祈ろう。




 大切な妹の当面の安全を確認した我々はやっとロギシーンからの離脱を決定する。まさかこの西の果てに小半年も逗留する羽目になるとは考えてもいなかった。


 予想よりも長くかかった分、内容があったにはあったが、新しい謎がいくつも生まれた。心残りも無数にある。


 エルザの安全や将来については勿論として、リディアに負わせてしまった怪我、スターシャの思い描く未来図、アッシュがグイツァを討伐した具体的手法、それからゴブリンキング対応から戻ってきたハンター連中がドメスカロジツェを駆除した手口も気になる。


 あの非実体型の魔物を生け捕りにできるとは驚きだ。


 私は二体同時に撃破すれば滅びるのではないかと考えて何度もドメスカロジツェを倒したが、その方法は全く意味を成さなかった。


 捕らえる手口が謎なら、捕らえた後に滅ぼす方法も謎、私には全く想像がつかない。


 ハンター家系が秘匿する先祖伝来の術とは、いかなるものなのだろう。そもそも非実体型の魔物を生け捕りにしようと考える時点で、昔のロギシーン人は発想からしてぶっ飛んでいる。


 夜だけでも街の中を動き回る自由があった頃ならハンターの記憶を覗いていくらでも調べられたというのに……口惜しい。


 とはいえ、やれるだけのことをやったのは間違いない。


 最後の最後にユニティから不興を買ってもつまらないので、きちんと罷る意思を告げてロギシーンから去るための許可が下りるのを待つ。ユニティが相手だと度々、許可待ちの時間が発生するから大儀だ。


 一時外出のときと同様、タムケトヴィエールではない、どこか別の場所で首脳陣による会議が行われ、そこで下された裁定が治癒院地下へ運び込まれる。


 呪破や移送絡みで飽きるほど見た従者連中からロギシーン退去許可を通達され、出て行く準備がとうにできていた我々は即座に動く。


「待て、ワイルドハント」


 用済みの地下室から出ようとする我々を従者のひとりが呼び止める。


 声の主、従者ジャレットを我々は振り返る。こいつは普段、スターシャに仕えている。他の従者に比べると格が落ちるらしくて小間使いさせられていることが多い。我々の監視役に当たる時間が最も長かった従者でもある。


 そんなジャレットが一体、何用だろう。


 言いたいことがあるならさっさと言ってほしいというのに、葛藤があるのかジャレットはなかなか用件を切り出そうとしない。


 他の従者たちがジャレットを見る目も心做(こころな)しか冷たい。


 ジャレットはその場の全員をたっぷりと焦らしてから、やっと続きを喋る。


「ワーカーパーティー、リリーバー。その者の前にムルーシュはいる」


 それだけ言ってジャレットはまた黙る。


 あまりにも進みの遅いジャレットの語りに、周りの従者たちが明らかに苛立ちを見せ始める。


 すると、剣呑な空気を察したジャレットが「以上だ」と付け加えてサッと顔を伏せる。


 いやいや、私にはまだ全く話が見えていない。そんな一方的に始めて一方的に終わらせないでくれ。


 ジャレットの発言が()せないのは従者たちも同様らしく「ムルーシュって誰か知ってる?」「分かんない」と(ささや)きあっている。


 謎発言を唯ひとり理解できるとしたら、それは当然、情報魔法使いのラムサスである。ラムサスは、さっさと出ろ、と小さく合図を出す。


 小妖精様様だ。おかげで、とても聡明そうには見えないジャレットと不毛な問答をせずに済んだ。




    ◇◇    




 従者たちに移送されて我々はロギシーンの外へ放逐される。これで最後だと思うと冷淡な従者たちの態度も少しだけ肯定的な気持ちで見ていられる。


 呪破を大量に行ったときはまあまあ協力したとはいえ、我々が仕出かした事の内容と彼らの心情を思えば、たったの数か月で打ち解けるほうがおかしい。従者たちは我々と最後まで適切な距離を保った、そう解釈して然るべきだろう。


 ロギシーン入りしてから街を離れるのはこれで都合三度目、今度こそ本当の本当にこの地を後にできる。


 エルザのことを考えると後ろ髪を引かれる思いだが、横にラムサスがいる手前、後ろを振り返っては格好がつかない。振り返りたいという強烈な衝動を私はひたすらに我慢して歩を前に進める。


 とはいえ理性で感情を抑え込むには限界がある。こういうときは他のことで気を紛らわせるにかぎる。


「サナ。さっきジャレットが言った意味を教えてもらえますか」

「すごい。ノエルがちゃんと分かっている」


 ラムサスはそう言って口元に両手を当てては驚いたふりをする。


 また始まったよ、ラムサスのよく分からない小芝居。これ……ラムサスは、いつ飽きるのだろう。


「いや、だからですね。分からなかったから教えてほしいと言っているのですけど……」


 私の請願にラムサスは目を輝かせる。


「あのノエルが従者の名前を覚えている。すごい。私、感動した」


 白々しい演技は私をバカにするためのものだった。


 師匠をからかう弟子、悪い弟子だ。


 けれども、私は怒ってはならない。


 ラムサスは喋るに喋れない期間が続いて久しい。


 大森林が誇る魔物の一柱ツェルヴォネコートの素材を売り払った後の反動を思い出してみよ。あの時のラムサスの喋りっぷりときたら、それはそれは凄かった。どこからそんなに喋ることが出てくるのだろう、と思うくらい、喋りまくっていた。


 そして間違いない。今回の反動はあの時を超える。


 はあ、仕方ない。


 褒賞を取らせると思って、その特大の反動を受け止めるのが私の努めであろう。


「非才の身を幾度となく補い、救っていただき、あなたには感謝してもしきれません」


 ラムサスは両腕を組み、「そうだろう、そうだろう」と得意気に笑っては何度も何度も頷く。


 調子に乗るラムサスを妨げず、私は耐え忍ぶ。




 喋って喋って喋り続けてようやく満足度が一定の水域に達したのか、湯でも浴びたかのように熱を帯びた顔のラムサスが私の待ち望んだ答えを開示する。


 迂遠と表現するには長過ぎる遠回りであった。ここまで耐えた自分を自分で褒めてあげたい。


「ジャレットはあの日……私たちがエルザさんの呪いを解いた日、スターシャにした質問の答えを持ってきてくれた」


 あの時、未回答の質問となると、ユニティが王都に放っているはずの密偵との接触方法だ。


「ジャレットは『ムルーシュ』と言っていましたね。これは暗号名でしょうか、それとも日常で使っている偽名でしょうか……」


 私の呟きにラムサスは首を横にふる。たとえ小妖精でもそういった細部は突き止められない。


「どちらにしても溢れるほど人がいる王都で名前ひとつを頼りに人探しするとなるとかなり骨です」

「それはどうかな」


 ラムサスは組んだ腕の手を片方だけ外し、人差し指を左右に振る。


「闇雲に探す必要はない。ノエルの過去探しに比べたらずっと楽」


 左右に往復運動していたラムサスの人差し指が静止し、天に向かってピンと立つ。


「思い出してみて。ジャレットは最初、なんて言って私たちを呼び止めた?」

「ええと……『待て、ワイルドハント』と言っていました」

「それから少し黙り込んで、その次は?」

「『ワーカーパーティー、リリーバー』と言いましたね」

「最初にワイルドハントと呼んでおきながら、次はワーカーパーティーと呼ぶ。これって不自然じゃない?」


 ラムサスが小出しにする推理誘導により、鈍い私もようやくピンとくる。


「ジャレットは伝言を託されていた……」

「そういうこと。それも、一言一句違えずに伝えるよう命じられていたんだと私は思う」


 ジャレットが我々を呼び止めた後に間を取ったのは、躊躇(ためら)っていたのでも葛藤していたのでもなく、伝言を誤らぬよう心の中で最終確認していたのだ。


「これはまた難解な(よすが)を与えてくれるものだ。どうせこれもスターシャの仕業だろう」

「でも、スターシャは意味のないことをしない」


 ラムサスは首を斜め後ろに傾けてロギシーンがある西方を見る。


 私もついつられてロギシーンを見そうになるが、我慢中だったことを思い出してギリギリのところでとどまる。


 後顧を禁ずる絶対の理由は言ってしまうと無いのだが、一度見たが最後、意志薄弱な私は何度も見てしまいそうだ。こういうのは最初を断つのが大事である。


「そうすべき何らかの事情がユニティにはあった。今の私たちにはその事情が分からないし、そもそも分かる必要すらないのかもしれない。でも、伝言の意味の方は必ず分かる。私たちなら考えれば分かるようにしてあるはず」


 考えてみると、アッシュとスターシャは未だに不仲の演技を続けている。彼ら二人にそうさせているのは、排除困難な内側の敵の存在に違いない。


「では、王都に着くまでに暗号を解いてお……いてください」

「ちょっと。人任せにしないであなたも考えて」

「非才の身を幾度となく補い、救っていただき、感謝しても――」

「あー、楽しようとした。アンデッドのくせに手を抜いた。謝辞の使いまわしは厳禁!」

「才無き我が身を将来的にまたしても救ってくださり、感謝を予約してもしきれません」

「微修正もダメ! 怠慢アンデッド! 罰金! 即金!」


 使う機会もないのにマディオフの金を貰って一体この情報魔法使いはどうしようというのか。


 たわいない徒言を終わり無く繰り返しながら、我々は王都へ直走(ひたはし)る。

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― 新着の感想 ―
[良い点] それぞれ一話になりそうないくつもの話を含みながら大きく展開し、一行はロギシーンを離れ王都に向かいました。犠牲も大きいながら得たものも大きいロギシーン編でした。 ジャレットを介したスターシャ…
[一言] 更新、有難う御座います。
[良い点] はいはい、弱点弱点。 この御仁もとい朴念仁には流石のラムサスもお手上げって感じですね。 [気になる点] ロギシーンで起きたあれやこれや、 どれもこれも気になることだらけなのに、そっくりその…
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