第六七話 呪いへの道程 六
ミロスワフを材料に用いて行った呪破の主たる目的は『実際に一度、経験すること』だ。これは紛うことなき実験であり、目的は正しく果たされたが、それはあくまでも私にとっての話、クローシェにとっては実験と呼べるほどの目新しさがほぼ無かった。
チッパー・リゾを材料に用いて行った実験第二弾の主目的は『呪破の後工程である呪い解除の所要時間短縮に繋がりそうな案をいくつか試すこと』であり、解釈によってはこちらが事実上の実験初回とも言える。
試みは予想以上に順調のまま終わった。
目論見が上手くいきすぎて興奮醒め遣らぬ頭を鎮静魔法と少しばかりの時間で醒まし、平常心を取り戻してから改めて手足を俯瞰する。
私もクローシェも疲労はほとんど無い。熱中や愉悦は時に疲れを忘れさせるが、私はもう落ち着いている。大丈夫だ。本当に疲れていない。
勢いそのままに前工程の呪い検出も時短していきたい。
私は次の目標を設定し、従者たちに用済みのチッパーを治療室から搬出させて新しい実験材料を搬入させる。
搬入作業も三度目ともなると従者たちはもう私の指示に一々反発しない。監視役から降りて自分の仕事に戻ったアッシュに確認を取りにも行くこともない。返事はしないしわざとらしいまでに分かりやすく不満顔を作ってはいるが、我々から与えられる指示を黙然とこなしていく。
彼らが胸に抱く負の感情は我々に対する敵対心が半分強、我々と手を組む決定を下したユニティ指導者たちに対する不服が半分弱といったところか。
やがてそこから生えてくるであろう不穏の芽はスターシャが勝手に摘んでくれる。私は不得手な人心掌握に拘泥せず、持てる力をとにかく呪破に注ぐ。
実験第三弾は開始と同時に王族の呪いの解除を被術者に宣言する。
案の定、呪いが発動して被術者は興奮状態になる。
被術者は身体が物理的に拘束されているだけでそれ以外はまだ何も小細工がされていない、無垢にちかい興奮状態だ。
無雑な被術者の身体をヴィゾークの劣後体内へ滲入する手で調べる。
呪いは潜み隠れているから検出が難しい。呪いが被術者の精神に強く干渉している真っ最中なら潜伏箇所は速やかに特定できるはずだ。事実、実験第二弾においてヴィゾークは笑ってしまうほど簡単に異常を検出した。
今回はクローシェの能力に頼らず、それ以外の手足の力だけで前から後まで全ての工程を完遂する。それが第三弾の理想目標だ。非現実的な夢ではなく実現可能性が十分にある目標、私はそう睨んでいる。
実験成功を半ば確信しつつ魔力の手で被術者の体内をまさぐる。
第二弾同様、第三弾でも被術者の体内では魔力がピッチピチに跳ね回っている。魔力の手は動的様相を呈する魔力網を容易に掴む。
口角が自然と上がるのを自覚しながら掴んだ魔力網を調べていく。
異常はすぐにでも見つけられるのではないか……と思っていたが、現実が理想と乖離する。
撫でど擦れど、どこが異常部のなのか全く分からない。
被術者の体内で呪いは確かに活動しているのだろう。ところが被術者本人の魔力も乱暴に、それこそ爆発的に動くものだから微妙な違いの検出どころではない。
太鼓の鼓面に砂粒を敷き詰め、そこに混じった砂と同色の亜麻種一粒を見つけるのは、太鼓が強く打たれていないからこそできる。微弱に打たれている程度なら、どのあたりに亜麻種があるか教えてもらえることでどうにか見つけられるだろう。
しかし今、太鼓は激烈に打たれ、砂粒も亜麻種も乱雑に跳ねている。亜麻種のおよその位置も教えてもらっていない。
贋作の魔力の手が指と指の隙間から滑り落ちていく砂と種の感触差を認識できるはずもなく、ひたすら混沌を私に伝達してくる。
やれやれ。どうやら新魔法を行使せざるをえないようだ。
これもまた想定の範囲内、無理なものには固執せず次の試みへ移ろう。
ドミネートで被術者の操作権を確保し、パララス・スウーンで昏睡させる。検出作業に最適な昏睡深度に調整したら魔力の手を再び動かして魔力網の異常部を探す。
これなら間違いなく上手くいく……はずだったのだが、現実は頑なに理想との一致を拒む。
贋作の魔力の手は『異常が潜んでいるかもしれない部分』を数箇所、挙げるのが限界で、『ここが絶対におかしい』と断言できるほどの確信を私に持たせない。
ここまでくると冷静になったようでなりきれていなかった私の頭も冷え、現実を直視できるようになる。
どうやら私は興奮のあまり現実認識も先の見通しも大甘になっていたようだ。これでは自己評価が異常に高い緩々クローシェと同類だ。
反省、反省である。
反省はしても私はめげない。冷たく冴えた頭で列挙した複数の候補を念入りに再調査する。しかしながら、興が乗っていようと醒めていようと、分からないものは何度やっても分からない。時間はかけた分に等しくダラダラと流れていく。
必ずできる。
そう確信していたがために私は諦め悪く長い時間を費やしてしまう。
実験第二弾で呪い検出に費やした分の倍ちかい時間が経過したところで、それでもまだ私の感情は諦めがつかないもの、強靭な意志の力で方針変更を決定する。
ヴィゾークの手を引き、横で身体鍛錬をやらせていたクローシェに後を継がせる。クローシェの手が入ったこの時点をもって実験第三弾の理想目的は達成不能が確定した。
がっかりだ。
贋作ではなく本物にやらせても検出作業はすぐに終わらない。あれほど高かった気分はすっかり沈んでいる。もう呪破など放り出し、枕に頭を埋めて、わああ、と大声で意味なく喚き、そのままふて寝したい。
それでも理性に従い調べて調べてようやっと異常部を特定し、そこで私は強い疲労を自覚する。
調査者をクローシェに交代後、かけた時間は実験第一弾や第二弾と比べると少しだけ短かった。そうだというのに、操者の私が感じる疲労は第一弾や第二弾の比ではなく強く濃厚でねっとりとしている。
実験に失敗はつきものであり、失敗を過剰に恐れてはいけない。場合によっては失敗したときにどう捌くかが科学者の腕の見せどころにもなる。成功への足がかりを作るなり、次の実験への手掛かりを見つけるなりできれば、失敗は『悪い失敗』ではなく『良い失敗』になる。
とはいえ実験第三弾開始前の私は成功を半ば確信していて、心は笑う準備すらしていた。それでいてこの様なのだから落胆は然もありなん。挫折感は体感上の疲れを二倍にも三倍にも増幅する。
疲れるとたちどころに伸びてくるのが怠け心だ。
クローシェを後始末の任から解き、残る後工程を別の手足にこなさせる。
前工程がひどい失敗に終わったとしても、後工程は後工程で試すべき案がある。ところが私の理性は怠け心にすっかり巻きつかれてしまっていて、時短試みの命令をちっとも発さない。
失敗からスパっと気持ちを切り替えるのもまた実験において大切な心構えなのだが、大きすぎた期待の反動か、ついつい引きずってしまい、生産性に乏しい怠惰な単純作業に手を染める。
◇◇
集中力散漫だと呪い検出がいつまでも終わらずとも不思議はない。しかしながら、呪い解除はダラダラやっても、キビキビやったときより少し長引く程度で完了する。
用済みとなった第三の実験材料を搬出させ、次材料が準備されるまでの間、私は小思案する。
クローシェ本人が呪い検出する場合、呪いが発動していようと、発動していなかろうと所要時間は大きく変動しない。これはクローシェの記憶から分かっていたことだ。だが、私の操作下では必ずしも同じ結果にならないのではないか、という楽観的な予想に基づいて行ったのが先の実験第三弾である。
実験は、えてして成功よりも失敗のほうが多い。特に初期ともなると失敗の連続だ。研究の分野によっては十や百どころではなく、千も万もの失敗の先にようやっとひとつ手掛かりを掴むなどザラだという。
私程度が行う魔法実験など、真の研究者たちからしてみれば成功の出目が笑えるほど多い、易しい賽に違いない。
実験材料は潤沢にある。試してみたい案もまだまだある。挑戦機会には事欠かない。いつまでもふてくされていないで意欲的に実験に取り組もう。特に時間浪費は禁物だ。腐らないだけでなく、実験効率も意識しなければならない。
試行の先に存在する成功を直感できたとしても、そこに至るまでの時間が極めて長いと予想される場合、なるべく早い段階で見切りをつけ、より早く成果を挙げられそうな道へ進路を切り替える必要がある。
第二弾の最中に私は『この分だと前工程もすんなり時短できそうだ』と思った。しかし、第三弾を終えた今、見通しはがらりと変わって『前工程の時短はかなり手こずりそうだ』と思っている。
やはりと言うべきか、アンデッドたちは呪破に関心が無く、それがとても痛い。『興味は上達の最大要素』との格言は、言い換えると『興味がないと習得も上達も著しく難化する』ことを意味する。
呪い検出は掛け値なしに難しい。チッパーの例では変性魔法に好適性のヴィゾークのみならず他の手足も異常をすんなり認識できたが、改めて振り返ってみると手足そのものが異常を認識していたのではなく、解答を知っている操者の私が『分かった気になった』だけ、つまりは高揚した感情が見せた一種の幻なのかもしれない。
再検証の必要はあるし、当然やる……が、多分、無理だろうな。別種の工夫を施し、よほど上げ底してやらないかぎり、私のアンデッドたちが呪いを検出するのは……。
失敗を前提に考えるのも時に実験では良くないのだが、前工程の時短を狙う場合、第三弾とは全く違う方角から臨んだほうが好ましい結果を得られそうな気がする。
私が今、思い描いている『違う方角からの試み』が実を結ぶには、かなりの結果集積が必要になる。ただし、手間自体はそれほど増えない。また別の試みをやりたいようにやっていれば必要な結果は勝手に集まる。量が要るからといって気構えは無用だ。
第四弾ではクローシェ以外の手足が前工程を担えないかもう一度検証する。否定的な結果が得られた場合、当面の方針は決まる。
魔法練習の際にうるさいほど言われる金言だ。
短所を伸ばすのではなく長所を伸ばす。
呪破におけるクローシェの最大の長所は呪い解除ではなく呪い検出にある。しかも、現状だと呪い検出を確実にできるのはクローシェひとりだけ、それを後工程に縛り付けておく必要性はない。
後工程は他の手足に一任して、クローシェは呪い検出に専念させる。クローシェの習熟度が上がればそれが結果的に前工程の時短となる。
アンデッドでも呪い解除はできると既に判明している。まだ一度成功しただけだから、こちらも再検証の必要はあるが、多分大丈夫だろう。……多分。
私の脳内に蓄えた試してみたい案は大半が後工程に関連したものだ。全部が全部上手くいくはずはないにせよ、いくつかは実を結ぶ。後工程の所要時間は短縮させられる。……多分。
ああ、自分でもびっくりするほど弱気になっている。我ながら先が思いやられる。
◇◇
謎の強気から急転直下し、弱気になって落ち着いた実験は、それでも大きな躓きなく着々と進んでいく。
実験回数が十を数えるまでは一回いっかいに長く時間がかかり、クローシェ本人がこれまでに単独でやっていた平均時間を優に超過していたが、少なくとも後工程は純粋な技量が向上していたため、十を超えた頃から徐々に時間が短縮し始める。
試したいことを一通り一度はやった頃にもなると、実験回数は数十に達していた。
それだけ数をこなすと試行回数と技量に単純な正比例の関係がなくなり、技量向上速度はめっきり落ちる。しかしながら、今度は種々の試行が結実し始めて工程の小さな改善がいくつも進み、全体としては時短の勢いが落ちるどころか、むしろ増す。
では後工程がこのまま順調に時短できれば、単位時間あたりに完了させられる呪破の件数が増やせるかというと、話はそう上手くいかない。
なぜなら後工程がどれだけ早く終わったところで、前工程一件の完了に要する時間は変化しない。極論、後工程を一瞬で終わらせたとしても、前工程が一件新たに終わるまでアンデッドたちは手を遊ばせるしかない。
実際には呪破以外にやることがいくらでもあるから真の意味での手持ち無沙汰にはならないものの、全員の呪破完了までの予想日数が大きく短縮できていないという痛恨の事実に変わりはない。
挑戦は理想の到達点から程遠い。それでも、最初期とは比較にならないほど速くなっているのもまた事実であり、これだけ速くなると治療室と材料の調達地との距離が馬鹿にならなくなる。
放っておくと余計なことをやりだしかねない従者たちの手を塞ぐ、という意味はあるかもしれないが、それを目的としてこちらの効率を落としては主客の取り違えも甚だしい。
そこで私はユニティに治療場所の変更を提案する。移転先はもちろん調達地その場所だ。そこが手狭ならば、その真横でもいいし、我々自ら上に拡張してもいい。
ユニティは提案を快諾しない。それもそのはず、彼らにとって我々は今もなお油断ならない存在であり、そして実験材料たる捕虜軍人もまた状況次第で容易に脅威へ逆戻りする危険がある。
ユニティにとって我々とマディオフ軍人は管理の都合上、混合無用だ。庁舎の地下で一人ひとり個別に特殊治療を行う場合にかぎり例外的に認容できる。
治療場所の移転はアッシュとスターシャの二人だけで決められる問題ではないらしく、ユニティは地元有力者たちを巻き込み内輪での検討会を繰り返し行う。
我々の移動を強力に制限したがる反対勢力の硬い頭を柔らかくするには我々が自ら検討会に参加するのが手っ取り早いと思い、打診してみるものの、アッシュとスターシャは何気ない私の提案を全力で拒絶する。
なぜだろう。
二人の反対に私は納得がいかない。
確かに私では真に賢い人物を弁舌さわやかに説き伏せられない。しかしながら、反対勢力は利害を正確に評価できず感情を優先する、どう肯定的に捉えても頭が良いとは思えない連中だ。こういった物分りの悪い手合との“話し合い”を私は比較的得意としている。
能力というものは何から何まで隠すのは考えもので、ここぞという場面で適宜、一定の質と量を披露すると時として真の総能力を上回る絶大な効果を発揮する。
加えて、スターシャから重要機密を引き出せなかったのは一種の我々の汚点だ。それを今回、反対勢力から譲歩を引き出せば、汚点の帳消しとまではいかずとも、武力以外の我々の価値を証明するまたとない機会になる。
そんな秘めたる思惑がこちらにはあったものの、我々を過小評価するアッシュたちの気が変わることは最後までなく、残念ながら機会は失われてしまう。
口惜しや。
我々の協力を拒んだ分、アッシュたちは無駄とも取れる苦労をすることになったが、移転許可は無事に降りて我々は正式に調達地へ向かう。
移送路では、かつてストライカーチームとしてゴブリンキング討伐に赴いたユニティの腕利き戦闘員たちが我々の周囲を固める。
それは我々の行動を高度に制限する囚人移送にちかい側面があれば、我々に否定的な連中と我々との無用な衝突を防ぐ護送としての側面もある。
ストライカーチームには元ロレアルの人間が多い。同胞を殺され、我々への復讐を願ってやまない者たちが我々を護り送り届ける。なんとも皮肉な話だ。彼らの胸中に渦巻いているであろう、割り切れぬ思い、というやつが察せられる。
不穏な一行は、そう長くかからず目的地に着く。
ロギシーン中心街から遠からず近からずの距離に位置する建物、以前はナラツィオ・トルカルトが入っていた施設シュピタルタムケトヴィエールだ。
元は精神治癒院だけあって、収容施設への転用はさぞかし容易だったろう。位置的にもユニティが本部として使っている庁舎から管理しやすく収容人数のほうも申し分ない。
ユニティから徴発されるまでタムケトヴィエールに入院していた患者の大半は、家族が見舞いに行きにくい、遠方の精神治癒院に移された。ナラツィオは例外的に経済事情その他に恵まれていたため自宅へ戻り屋敷牢に監禁された。
精神を病んだ者たちが快癒せぬまま自宅へ戻るのが、はたして特恵と言えるかは疑問が残るが、本人にとってはどうあれ私にとっては都合が良かった。
目が白く濁ってよく見えなかろうが、耳に届いた言葉を言語として正しく処理できなかろうが、家族を家族と認識できなかろうが、筋肉と関節が満足に機能すれば行動にさして支障はない。
ナラツィオは老体ながらも、そこらの若者より優れた身体能力があった。他地域に比べて血の気の多いロギシーンの一次産業従事者と長年、対等以上に渡り合ってきた、所謂『武闘派商人』だけのことはある。
役所とは異なる厳しさのタムケトヴィエール正面入り口から中へ入る。一歩足を踏み入れると途端に独特のニオイが鼻をツく。屋敷牢と同じ、排泄物のニオイだ。ヒトの身でこれだけ強く感じるのだから、フルードが生きてこの場所に来たら、中に入るどころか建物に近づいただけでさぞかし不快に感じただろう。
先導する戦闘員たちは我々をタムケトヴィエール地下階へ誘う。
外傷治癒院シュピタルウラゾエでも地下、庁舎でも地下、元精神治癒院タムケトヴィエールでも地下、ロギシーンに来てから地下生活がやたらと続く。
案内された一室は、庁舎地下の治療室と同等以上の床面積で広さはまずまずだ。治療の回転効率や防音性を考えるとある程度の改造が必須だが、総合評価としては問題ない。我々は当面、ここに腰を据えて活動する。
ユニティ及びロギシーンの上層部の者たちも、我々をこの場に閉じ込めておきたい、この地下からどこにも行かないでほしいと思っているに違いない。
明言されない彼らの切実な願いを内心では分かっていながら、我々をここまで案内した戦闘員に私は要求する。
「施設内、他階層ヲ視察シタイ」
戦闘員のひとりが絵に描いたような不快な顔で我々の要求を拒絶し、我々を室内に閉じ込めるかのように扉の前に立って肩を怒らせる。
当然と言えば当然の反応だ。
私は『視察』との言い回しを用いたが、それは何もタムケトヴィエールの構造不案内を意味しない。むしろ、庁舎やウラスと同等かそれ以上に知っている。私にとってはここはそれだけ重要な場所、傀儡は飽きるほど走らせてある。
私の直近の究極目標はタムケトヴィエール最上階で待っている。
逸る心のままに戦闘員を押し退けて、そこへ行く必要はない。それどころか焦りは普段以上に禁物だ。
成すべきことを成していれば、今、立ちはだかっている戦闘員たちのほうから我々を目標まで案内してくれる。そう、ここタムケトヴィエールまで我々を護送したように。
目標に手が届く日のことを考えると、それだけで鼓動は速くなる。
私はあらかじめ作成しておいた図案に沿い、呪破の作業効率最大化を目的とした治療室改造に着手する。
◇◇
私にとって大掛かりとまでは言えない治療室の改造はすぐに終わり、タムケトヴィエールでの呪破生活は速やかに安定する。
移転前に比較して搬入出効率が大きく向上したおかげもあり、呪破時短のために試したい案はかなり減った。
前工程も後工程も作業速度は既に一定の域に達している。次の域へ進むために必要なのは闇雲な挑戦ではない。確かな知見集積と蓄積を活かす理性である。
速さを求める最大の目的は『量をこなす』ことにある。量を増やすには今しばらく時間がかかるとして、量の次に思い浮かぶのが質なのは改めて言うまでもないだろう。
私が考える『呪破における質』とは呪破の過程における被術者の損耗度合いを指す。
質が最良であれば、被術者は呪破後も呪破前と変わらぬ心身の健康状態を保持できる。
質が低いと呪いに好き放題、機能を許してしまい、被術者は拘束下でも呪破が完了するまでに身体を損傷する。また、激しい感情は身体に悪影響を及ぼす。
強い精神負荷は時にヒトの胃に穴を開け、時に心臓の拍動規則を狂わせ、時に頭の血管を破って憤死させる。目に見える形で身体を害さずとも激情に伴い生じた心の傷は後々まで残り、場合によっては生涯消えない。
呪いの発動とそれが引き起こす狂乱は被術者の心身を著しく害する。
ならば私は心身いずれにも残遺なく呪いを解く技を練らねばなるまい。それこそ、最初から呪いなど存在していなかったかのように跡形もなく消し去る。それが私の考える最良質だ。
これまでの知見に基づいて語ると、量だけを目的とするならばドミネートは必ずしも求められない。パララス・スウーンも同様だ。質を求めるからこそドミネートが必要で、呪破の後を見据えるからこそパララス・スウーンが意味を成す。
私は健忘魔法を使えないから、忌まわしい記憶を忘却させるために薬も適宜、用いる必要がある。
身体を縛るドミネートも、意識を落とすパララス・スウーンも、健忘作用のある薬も、どれも完全ではない。完全なものがあるならば是非にでも使いたいが、あいにくそんなものは存在しない。
不完全なものを組み合わせて可能なかぎり完全に近付ける。それもまた技術だ。
健忘作用に限界があるのは呪破に携わる前から分かっていた薬学知識ではあるが、それが実体験を伴う事実として明白になったのはクローシェに判定試験を行った時だ。
あれはたしか試験五日目だったか……。
『示指を離断する』という私の宣告に、クローシェは強い違和を感じた。
判定試験では連日記憶を抹消し、目覚める度に偽りの記憶を植え込んでおいた。
偽記憶の植え込みは技術的に全く難しくない。自白剤を用いた情報収集に類似の、物があってやり方さえ知っていれば誰でもできる簡単な作業だ。
抹消が不完全だとしても、偽記憶の植え込みが完全にちかければクローシェは違和を感じなかったかもしれないが、どうやらどちらも技法として確立しているだけで、そこまで信頼性の高いものではないらしく、結果、クローシェはああいう反応を示した。
あの反応は、前日やそれ以前の判定試験内容がわずかに記憶に残っていた何よりの証明だ。
私の手持ちの情報では抗病因子がどこまで影響しているか的確に評価できないため、記憶の残存具合がそっくりそのまま薬の作用限界という解釈にはならないが、不完全性を裏付ける一幕だった事実に変わりはない。
いずれにしても私は呪破に伴う害を極限まで排除する。今の私に思いつく配慮はそれが精一杯で、悲しいかな、それ以上は思いつかない。
マディオフ軍人における呪いの浸透率を考えると、術者はかなり容易に被術者に呪いをかけられるものと思われる。クローシェ由来のゴルティア情報も私の推測を支持している。
呪いが解かれた後に再度かけ直すときも初回と同じくらい容易だった場合、配慮の意味は大きく損なわれるが、決して無にはならない。
先々を考えるならば、足元の工程改善だけではまるで足りない。もっと根本的な何かを打ち砕く必要がある。不明な私では考えつかない何かを……。
もちろん私は諦めずにいつまでだって考え続ける。だが、期待薄だ。私の周りにいる賢い者たちが賢明な策を閃いて私に申し出てくれるよう願ってやまない。
先はまだまだ明るくない。前も上も、打ち砕くべき見えない何かに光を遮られている。それでも私の心は一時に比べて少しだけ晴れている。
それはきっとアッシュとの対話で得た数少ない成果なのだろう。
私には、肝心のスターシャの思い描く未来の詳細が分からなかった。けれども、ひとつだけ、思いもよらず確信できたことがある。もしこういう状況に置かれていなければ、私はすぐにでもイオスの下に行って確信した内容を滑らかに弁舌していたであろう。
大学時代、私はアッシュとパーティーを解散した経緯の詳細をイオスに尋ねたことがある。
イオスは『アッシュの結婚が理由』と言うばかりで、多くを語ろうとしなかった。
解散後のアッシュとイオスは『絶縁状態』とまではいかないかもしれないが、断じて『関係良好』とは言えない。
長年、互いの命を預けあってきた相方を、どこの誰とも分からぬ新参の女に奪われた嫉妬や、面倒な三角関係でもあったのかと思い、私はしつこく尋ねる真似はしなかったが、気にはなっていた。
大学を離れて以降、二人の人間関係について考えることは無くなっていたが、ロギシーンの反乱軍蜂起を切っ掛けとして問題が再浮上した。
パーティー解散と反乱軍の牽引役を担ったこと、一見すると何の関係もなさそうではあるが、私は根拠こそ特にないものの二つが密接に結びついているように思った。
アッシュは女慣れしている。ミスリルクラスのハンターだったから金も腐るほどある。女の器量が良いとか、床技巧に長けているとか、親が地元の名士で財産持ちとかいう程度で目が眩むはずはない。
頭だって切れるからゴルティアが忍ばせた間者の甘言にそう容易くは騙されない。
しかし、調べてみるとアッシュが結婚相手に選んだ女は大企業バーギルの人間だった。
ナラツィオの身体と立場を借り、ロギシーンの商人視点からロギシーンとマディオフの歴史を紐解くと暗流が見えてくる。
大雑把に流れをまとめると、いち地方豪族に過ぎなかったかつてのマディオフ一族が力をつけた理由が、かつては代表的な食料困窮地域だったこの国で食糧の大規模安定生産を確立したおかげで、食糧生産の要がロギシーンという土地とモルデイン麦で、モルデイン麦の原産地がゴルティアで、その穀物をこの地域に持ち込んで改良し、農作物の生産と流通を牛耳ったのがバーギルで、バーギルの中枢人物は実は多くがゴルティア出身者で、アッシュはおそらくそれらを全て分かっていながら結婚した。
それでいてアッシュはゴルティアを信じていない。
近々の話題に触れるならば、アッシュがグイツァを討伐できたことにしたって明らかにおかしい。いかに強いとはいえ、所詮アッシュはミスリルクラスのハンターにすぎない。
確かに現在はごく少数かもしれないが、ミスリルクラスのハンターなど、かつて何人だっていた。グイツァが封印される前の時代など、それこそ今で言うブラッククラスのハンターが結構な数、存在していたに違いない。
たとえ長年の封印で弱っていたとしても、それでもやはりアッシュがグイツァを倒したという事実には拭いきれない違和感がある。
ストライカーチームの一員としてアッシュの偉業を見届けた人間たちの記憶を覗いても、『グイツァはすごい強かったけど、アッシュはもっと凄かったから、何がなんだかよく分からないけど、鮮やかにグイツァを倒せた』という、びっくりするほど参考にならない情報しか得られなかった。
なんだ、その幼稚な感想は。年端のいかない子供か? ヤバイバーか? 伝説の魔物の討伐という、一生に一度見られるかどうか分からない偉業なのだ。
もっとちゃんと見ておけよ。ああ、業腹だ。
あまり深く考えると腹が立って仕方ないので、グイツァ討伐は単なる事実として考えすぎないようにする。
これらの情報を個別に考えてしまうと解釈が難化する。情報を単純化し、できあがった点と点を結んで考えるとこうなる。
アッシュはゴルティアを信用していない。それなのにゴルティアと手を組んだ。結果、倒せないはずの過去の怪物、グイツァの討伐を成し遂げた。
この思料は私の得意な“真実探し”だろうか。はたまた論理的な思考だろうか。
少なくともラムサスは私が導き出した答えを妄想的とは否定していない。
アッシュがイオスと円満とは言い難い別れ方をしたのは、女に誑かされてイオスを軽んじたのではないし、ましてやイオスを嫌いになったのでもない。
かつて、私はエヴァと会話した際、『エヴァがイオスに会いたがっていない』という事実を突き止めた。突き止めるまでもなく薄々勘付いていたことではあるが、私は図らずも失言により推測を事実に昇華させられた。
エヴァがイオスとの接触を避けていたのは単一の理由によるものではなく複数の事情が絡み合っていたためと思われる。
事情のひとつがおそらくはアッシュがゴルティアと交わした契約だ。
子供みたいに夢見がちで、英雄への憧憬があって、強くて、頭が切れて、そして何より……仲間思いの良い奴だ。
あらゆるものを具備しているアッシュではあるが、そんなアッシュでも目に見えるもの全ては抱きかかえられない。
だからアッシュは選んだ。選べない私とは違い、この男は選べた。
選択はおそらく間違っておらず、結果、より多くを守ることに成功しつつあった。私が地上に再び這い出てくるまでは……。
もしもヒトであることをやめた私がヒトの世に再干渉しなかったならば、“砂”の北の世界はどうなっていただろうか。
現実にはまだ具現化していないスターシャ案が、今頃はかなり形をなしつつあったのではないかと思う。
喜べ、イオス。
私は『あの日のアッシュはもう世界のどこにもいない』と決めつけていたが、そんなことはなかった。
アッシュは、今もアッシュだ。
共に世界を旅したお前の仲間は西の果てで壮大な冒険に身を賭している。
これは本来、私が哀歓すべきものではないと理性では分かっている。それでも喉につかえた小骨がするりと取れたかのような解放感が私に次の一歩を踏み出す意欲と活力を与えてくれる。これは理屈ではない、感情の問題だ。
私は数十年の時を経てまたしても二人に触発され、無謀に挑戦しようとしている。
かつて私は衝動のままにダンジョンへ赴き、そして死んだ。
今も昔も私の非才に変わりはないが、今度は簡単に死なない。才なき者がすべきは才ある者の真似ではない。一段飛ばしに階段は昇れない。
飛ばせないなら一段いちだん昇ればいい。段が朽ちて無くなっていたとしても問題ない。長い長い遠回りを経て、段を作る手法と素材の各種を私は取り揃えてある。
私は、半ば集めるだけになりつつあった呪破の蓄積に目を通す。
隕鉄に書き込んだ情報を読み出し、それを土の板に表として並べる。
書き込む情報は呪破を行った日付、被術者の名称、年齢、およその魔力量、体格、階級、役職、兵種等などで、中でも最も重要なのが、呪いが潜んでいた魔力網の部位だ。
情報を解析して呪いの部位をある程度、予測できるようになれば呪破の律速要因となっていた前工程の所要時間を劇的に短縮させられる。
呪いが魔力網の末端、例えば指趾先端にかけられていたことは、これまでただの一度もなかった。
理由は容易に推測可能だ。
軍人は傷痍がつきもので、指先にかけてしまうと負傷による部位欠損と同時に呪いが無効化してしまう。もしかすると末端からでは魔力網全体に影響を及ぼすのが困難という理由も付随しているかもしれない。
呪いがかけられているのは魔力網の本幹か、比較的本幹に近い分枝の近位だ。
末端に無いことは呪破に取り掛かるようになってから、かなり早い段階で気付き、調査範囲からは外しておいたが、時短効果はそこまで高くなかった。もっと大きく範囲を絞り込まないと大幅な時短に繋がらない。
そのためには何が何でも呪いの法則性を見つける必要がある。
私はできあがった一覧表を図に変換する。複雑な計算を必要とする解析にかけずとも、簡単な図示だけで法則が丸わかりになる例は珍しくない。
全ての情報を一度にひとつの図に落とし込むことは難しいから、情報を二つか三つに絞って図示し、通覧しても思うところがなければ新たな情報の組み合わせで図を作り、また通覧する。
すると、ぼんやり浮かび上がってくるのが年齢との部位の関係だ。
丸わかりになった、と言うほどのものではなく、この段階では私の思い込みの可能性がかなりある。
大学の三回生、四回生時に私が師事したティヴィアスと彼を頂点にして構成していた変性魔法講座は実験解析を得意としていた。解析の際に偏見の排除は極めて重要なことだが、偏見の塊であるはずの直感は時として解析前の混沌とした実験結果から、まだ全く見えてきていないはずの結論、つまりは科学的真実を突き止めてしまうことがある。
実に奇妙で、実に面白い。
今回の場合もまさにそうで、叩き台にするための粗雑な図を見て『年齢との関係がありそうだ』と私が思ったままを呟くと、あまり興味なさそうに横でぼんやりと図を眺めていたラムサスが『一歳ごとではなく一〇歳、二〇歳の大きな括りで分けたら法則が分かりそう』と言う。
ラムサスには既に層別解析について教えてある。しかし、統計に興味などない彼女がそんなことを覚えているはずがない。ラムサスの発言は知識ではなく発想に基づいている。
その点に言及したところで嫌味にしかならないため、私はラムサスの発想力を褒め、助力に奉謝しておく。
得意気な顔で鼻息を荒くするラムサスを横目に私は年齢ではなく年代で層別化した図を作成する。
すると見事、呪いの部位分布が年代できれいに分かれる。
年代で分かれる理由はいくつか考えられる。最有力な説は術者交代だ。
クローシェ産のゴルティア情報によると、王族の呪いは閲兵式で王太女が新兵一人ひとりにかけている可能性が高い。
規模が一定以上に大きな企業の新任式において、社長が入職者全員に入職辞令書を交付するなどという馬鹿げた話はない。大企業ともなると国のあちこちに広く展開しているし、入職人数も中小企業とは桁違いに多い。
それを一箇所に集めて証書を手渡ししていては金、手間、時間、全てが途方もなくかかる。
考えなしに昔から続ける前例踏襲ならば実に愚かな話だが、世界を震駭させる軍隊の構築という確固たる理由があるならば、それだけ資源を費やすのも納得がいく。
術者ごとの癖が部位分布の偏りとなって現れたのが我々の目の前にある図。それが私とラムサスの下した暫定的な結論だ。
法則の発見に伴い、前工程に大きく手を加える。
被術者を治療室に搬入する前に、被術者が正式に入軍したときの年齢を調べておく。そうすれば呪いが潜む部位の候補を図から簡単に割り出せるから、決め打つかたちで候補だけをクローシェに調査させる。
九割強は候補の中に当たりがあり、おかげで全身の魔力網をくまなく調べていたときに比べて時短が一気に進む。
外れた場合はヴィゾークの出番で、地道に全身を調べてまた別の候補を挙げてクローシェに戻す。戻されたクローシェは新候補を調べ、当たりがあればよし、なければまたヴィゾークに突っ返す。
正解するまでヴィゾークに延々候補を挙げさせる作業はその後、かなり経っても一向に時短に繋がらない。もうはっきり言って時短目的ではなく意地と趣味でやっている。要はこれも感情の問題だ。私はありとあらゆる場面で感情に踊らされる愚か者である。
私が愚かな側面を見せても法則発見の絶大な効果によって前工程時間が大きく短縮したのは間違いなく、呪破の律速要因は後工程に移った。
クローシェは短時間で次々に呪いを見つける。ところが後ろがつっかえているから受け渡しができない。
前工程と後工程の処理速度を完全に一致させることは難しいため、そういうときは思い切ってクローシェに別なことをやらせる。ヴィゾークらと違いクローシェは生きたヒトの身、鍛錬を怠るとたちまち身体は鈍る。
身体鍛錬その他に充てられる予備時間の発生は無駄どころか好ましい。
呪破の速度が当初に設定した理想に近づき、未呪破の軍人数が着実に減少していく。
呪破の最序盤、治療室に搬入されていたのは選抜された鎮圧部隊の中だと低位に位置する軍人たちだった。中盤以降になると軍人の水準が相応に上昇してくる。
終盤もかなり後の方になると軍人たちの実力はハンター換算でプラチナクラス上位やチタンクラスとなり、搬入と搬出にそれまで以上の慎重さが求められる。端的に言って搬入出に時間がかかって仕方ない。
ならば、と我々の方が被術者の監禁されている場所に足を運ぶ。従者たちに搬入出させるよりもそのほうがよっぽど早い。
残る呪破対象はわずかだ。主たる拘束具だけ実物を持ち込み、移動困難な治療台もとい拘束台は魔法でその場に作り出せばいい。
ここまでくると従者たちはもう我々に逆らわない。それどころか、何も言われる前にこちらの意を汲み取り、先んじて動いてくれる。自発的にそうなったのかもしれないし、私の与り知らぬところでアッシュやスターシャから厳命でも受けているのかもしれない。
独自の手足と一時的に従属する異趣の手足の両方を十全に活用して私は呪破を進め、ついにその日が訪れる。
めっきり視察頻度の減っていたアッシュとスターシャが直々にタムケトヴィエールを訪れ、簡易治療室の外で呪破が一件、完了するのを待つ。
残りの件数が減って時間効率を度外視し始めていた我々は呪破を悠々完了させてから、その場の手足全員を同時に退室させて、ユニティ指導者に向かい合う。
アッシュは我々をタムケトヴィエールの応接室に招き、重々しい口調で言う。
「分かってはいると思うが、今日はお前たちに重要な軍人を呪破してもらう」
とっくに予想していた発言、予期していた対象の名前、それでも私の身体はブルリと震える。
立場上、『待っていたぞ』とは言えない。それでも私は言いたくて仕方ない。
私はこの日を待っていた。
待って、待って、待ちわびていた。
小さな傀儡の目では幾度となく見ていた。穴が空くほど何度も、何度も繰り返し見た。しかし、所詮は虫の目、直接見るには適わない。極端に言って、絵と実物くらい違う。
虫の目で見れば見るほど実際に見たくなる。
最後に会ったのは私が徴兵に向かう朝だった。
複数の強い感情が胸裏でうねり鬩ぎ合う。そのせいで、どれだけ真剣に聞こうと思ってもアッシュたちの言葉がまるで頭に入ってこない。
何を話したか分からぬうちに我々は応接室から出ることになり、一同の足はタムケトヴィエール上階へ向かう。
階段を昇る足は二階では止まらない。三階でも止まらない。
昇って昇って、あとひと階層、昇ると屋上に出てしまう、というところでやっと歩は横に進む。
下の階の部屋とは比べ物にならないほど頑丈に造られた最上階一室の鍵が開く。部屋の体積は大きい。けれども、床も壁も分厚く、頑丈さと引き換えに容積は体積に比べて驚くほど小さい。
建物最上階にこんな重量構造をいくつも作るな。
私は現実から逃避するようにそんなことを思ってしまう。
長居には適さない、その広いとは言えない空間に囚われている人物を私は己の目で見る。
私の目では容貌を正確に視認できない。見えるのは、正常な皮膚を失う前の健康だった頃の父ウリトラスに匹敵する魔力だ。量は父と同等でも、父とは違う懐かしさがある。
情報の絶対量として多くはない。だが、もしかしたらそれだけでも十分だったかもしれない。私の頭は既に焼け焦げてしまいそうになっている。
そこへ追い打ちをかけるかのように凄まじい衝撃が私の脳髄を駆け巡る。それはクローシェの目に映る、その人の面立ちに他ならない。
冷たく暗い独居房に幽閉されていたのは、かつて私が幸せを奪った人間、キーラに生き写しの姿をした我が最愛の妹、エルザ・ネイゲルだった。




