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第六五話 真実と現実と空を彩るものと 四

 アッシュとスターシャ、ユニティの表と裏の筆頭者が私の前に並ぶ。


 これ以上ない対話の場が整った。これから私は場を仕切り直し、主導権を握って進行させなければならない。


 そんなことは重々分かっている。


 しかし、動揺の激しい私は分かりきったことを速やかに実行できない。


 できあがった密室で誰よりも早くスターシャが口を開く。


「私の目と耳が届かない所で面白い会話はできましたか」


 我々に向けたとも、アッシュに向けたとも断定し難いスターシャの発言は、女の嫌な部分を煮詰めたような険がある。


 初めて耳にするスターシャの肉声が私の()()を確信へ変える。


 私はこいつが苦手だ。


 安い言い回しをするならば、スターシャは『賢い女』だ。自他共に認める高い知力があり、その驕りを隠そうともしない。


 こういった相手に苦手意識を感じてしまうのは、私が自分の知性に自信がないからかもしれない。


 自分の心の問題はどうあれ、スターシャに主導権を握られるのは好ましくない。


 手綱は私が握るべきだ。


 だが、それを実現するだけの話術を私は持ち合わせていない。


 私の得意な“話し合い”に持ち込めば別だが、アッシュ相手にそれは悪手以外の何ものでもない。


 もし、我々が情報量でユニティ勢を圧倒していれば稚拙な話術を補えただろうに、悲しいかな、今も昔も私は情報強者でいられた(ためし)がほとんどない。


 スターシャ相手の対話は難航する。だからこそ、対話に先立ちスターシャを調べておくべきだった。


 ほんのすぐ先の未来で自分が苦しむと分かっていながらやるべきことをやらない、やれない。


 私はとことんまでに救いがたい。


「ココカラ先ノ対話ガ、有意義ト言エルダケノ情報密度ガ有ルコトヲ願ウ」


 苦し紛れの私の合いの手に、スターシャは大きいとは言えない目を細くする。眼光の鋭さはヘビさながらだ。


 賢き者相手に敵対的に話を進めるのは愚の骨頂、しかしながら、うわべだけの友好姿勢もまた愚か。


 ならば()()()の基本に従うのみ。


 私はその場に土魔法の椅子を作り上げてスターシャに着座を促す。


 アッシュの分は作らない。ここはアッシュの執務室だ。私が魔法で作るよりもずっと快適なアッシュ専用の椅子が最初から存在する。


 スターシャは私の勧めに応じ、躊躇も遠慮もせずに席に着く。


 アッシュは勧められても、立ったままでいい、と言う。


 我々が着座しないのだから、武人が本職のアッシュが席に着くはずもない。スターシャの着座を妨げなかっただけでも良しとしよう。


「対話を始めるにあたり、自己紹介を提案します」


 私の自信作に座るスターシャがピンと背筋を伸ばして言う。


 ああ、ダメダメ。その座り方ではダメなんだよ。


 私の椅子はもう少し身体を弛緩させて座ってもらわないことには本領を発揮できない。


「互いの立場や価値観を正しく認識し、前提を共有することで対話はより有意義になるものと考えます」


 椅子の座り方に気を取られるのが許される場面ではなかったことを思い出し、私はスターシャの発言に集中する。


 返事はもちろん応だ。


 こちらの同意を確認すると、「では提案した者として、まずは私から」と言って、スターシャがサラサラと語り始める。


 流れは最初は穏やかで、次第に勢いを増していく。冷たい外見とは裏腹に、流れの持つ熱量はそれなりだ。語気を(あら)らげこそしないものの、スターシャの決意と指導者としての資質が強くこちらに伝わってくる。


 仮にアッシュとクローシェ、ユニティの二枚看板を失ったとしても、スターシャはユニティを統率できる。彼女の演説からは、それが可能なだけの牽引力が感じられる。


 とはいえ、語られる内容に目新しさはない。


 ゼトラケイン王国に生まれ落ちたところから始まり、ロレアルの独立、マディオフの裏切り、ゴルティアへの一時避難、そして西の果てロギシーンに来てからユニティが蜂起するまでの流れは、マディオフ本領で安穏と暮らす一般国民からしてみれば、(にわか)には信じがたい内容に違いない。


 しかしながら、ラムサスという第三国の視点を有し、さらにロギシーンに来てから内偵をそれなりに進めてきた我々にとっては、物事の見え方が一変してしまうほどの新規性がない。


 ロギシーンの民として始終を見聞きしていれば当たり前に知っている情報を片耳で聞き流し、私は考える。




 これから先、ドラゴンが大量に生まれ出るというのは本当だろうか。そのドラゴンたちは、はたしてどれだけ強い。


 私が己の身で恐ろしさを味わった唯一のドラゴン、フチヴィラスと比べて強いのか、それとも弱いのか。


 かつて世界には“砂”の北だけでも二柱、三柱どころではない、とんでもない数のドラゴンが存在したと言う。


 フチヴィラスたった一柱がヒトの暮らさぬ、奥深いフィールドに降臨しただけでヒトの世は大混乱だ。


 これでもし一〇〇柱も二〇〇柱も現れた日には……。


 ドラゴンの 大発生 ヒュージアウトブレイク


 それは、建国以来ゴルティアが一貫して警告してきた、やがて訪れる世界の転換期であり、人類滅亡の原因となりかねない不可避の試練だ。


 私はそんなもの、国の指導者が民衆を言いくるめるための作話、一種の終末論だと思っていた。


 確かにドラゴンという種は強くて、雄大で、恐ろしくて、脆弱なヒト種にとって立ち向かうことの(あた)わない圧倒的な存在かもしれない。


 けれども単純な力の強さだけで過酷な生存競争に勝ち残れるほど世界は簡単にできていない。


 見よ、フィールドを。


 巨大生物が一体どこにいる。足を棒にして探し回らなければ、そんな大物は見つからない。


 それもそのはず、巨体は多大な資源を必要とし、長い寿命は繁殖年齢の引き上げや生存個体の固定に繋がり、ひいては世代交代を鈍化させる。


 いたずらな巨体化は環境変化に対する適応力の深刻な低下に直結する。


 歴史を紐解(ひもと)いても、ドラゴンが時代の変化についてこられなかったのは明白だ。


 かつて、個体全てにイチイチ名前をつけていられないほど沢山いたドラゴンは、現代に近づくにつれてその数を減らしている。


 時代の変化についていけず、今日か明日かと緩慢な滅びをただ待つ種。


 それが、私の理解するドラゴンという種だ。


 ()()()()()であるドラゴンを研究するドラゴン学(ドラゴノロジー)は古臭い、後ろ向きの学問で、私の興味の対象にはこれまで入ってこなかった。


 だが……だが、これから先、クモの子のように(おびただ)しい数のドラゴンが卵から這い出してくるとしたら……。


 フチヴィラスに追い立てられた恐怖が蘇り、全身が(あわ)立つ。


 エルザたちが……アールの家族がこれからもこの世界で生きていくのだ。それなのに、慎みも知性も持ち合わせないあんな危険な生き物がデカい(つら)をして空を飛び回るだと……?


 そんなバカげた話、あっていいはずがない。


 ドラゴンが再び地上を支配する時代など、私は断固、認めない。


 だが、認めようと認めまいと時代は(うつ)ろい、あるべき形に収まる。


 ドラゴンがこの国の民に牙を向ければ、軍人たるエルザは討伐に向かわされる。


 王族の呪い(ロイヤルカース)に身を冒されたエルザは僚兵全員が死んでも、地に倒れてやり過ごすことも逃げ出すこともできずにドラゴンに立ち向かう。


 そう、あの時のリディアのように。


 そんなこと、絶対にあってはならない。かといって、ただ呪いを解いただけでは何も解決しない。


 私は……私はどうしたらいい。


 どう動き、何をすればエルザを守れる。


 ドラゴンを前に守りに徹し、身を隠す以外どうすることもできなかった私に何ができる。


 ドラゴンの 大発生 ヒュージアウトブレイクは、それ単体で大問題だが、それに負けず劣らずあの天体も私の心を揺さぶっている。


 なぜ、消えた星が今になって突然、再び現れる。


 月とは彗星のように長い周期で現れたり消えたりする星なのだろうか。


 私は天体学などほとんど知らないが、月はそういう天体ではなかったはずだ。


 その月がどうして……。


 ドメスカとの関連を考えても、月の再出現は凶兆と考えるのが自然だ。


 振り出しに戻り、そもそもあの天体が月だという証拠がどこにある。どんな情報が揃えば、あの天体が月か、あるいは月とは違う星なのか確定させられる。


 情報を集めるには、信頼の置ける古書にあたる必要がある。そしてそれはマディオフには無い。少なくとも、私の手の届く範囲には。


 焚書(ふんしょ)が国としての選択のひとつであることまでは否定しないが、それは純マディオフ人にとっての話だ。


 私にとっては、先人が遺した情報を抹消する愚かな火遊びでしかない。


 私は仕方なく自分の手持ちの情報で問題の天体を再考する。


 あの星は満ちたり欠けたりを繰り返す、比較的珍しい特性がある。その周期は一定で、概ね一月(ひとつき)で一周期が完了する。


 あれ……一月……?


 そもそも一月(ひとつき)というのは月の朔望周期を元に定められた日時の単位だったはずだ。


 ぬああ、私は大馬鹿者だ。


 きれいに一月で満ち欠けする天体の正体にどうして気付かない。そんなの、月に決まっている!


 難しく考えるから答えが見えなくなる。


 そういえば、あの天体から降り注ぐ光が強まった際、魔剣クシャヴィトロの様子がおかしくなった。


 クシャヴィトロ、クシャヴィトロ……。


 明らかに現代共通語ではなく、古代語に由来する名前だ。


 それで、肝心の意味はなんだ。


 日頃、私は音の響きが似ているものに接しているような気がする。


 うーん、なんだそれは。


 うぅーん、うぅーん。


 あっ、シフィエトカラルフ……光り油虫だ。


 カラルフの意味が『油虫』だったな。シフィエトのほうが『光』で、接続により発音が『シフィアト』や『シフィアトウォ』など複雑に変化する。


 なら、クシャヴィトロから光を意味する『シフィアトウォ』という音を抜き去ると……残る部分が少なすぎてよく分からない。


 では、考えの()()を変えてみよう。


 月を意味する古代語は……『クシェンジツ』だ。古代語で単純に『月の光』を作ると……シフィアトウォ、クシェンジェツァ。


 シフィアトウォ、クシェンジェツァ・シフィアトウォ……これを短縮形にして……クシェン・シフィアトウォ……もっと無理やり縮めて……クシャヴィトロ……?


 分かるか、こんなもの!


 かなり無茶な推理のようだが、ポジェムジュグラの下層にいたゴーレムの例からも分かるように、現代人の古代語発音は不正確だ。古代人からしてみれば、まあまあ妥当な短縮発音なのかもしれない。


 いずれにしても、魔剣クシャヴィトロがあの天体の光に影響を受けているのは間違いない。音は発さないものの、『共鳴している』とでも言おうか。


 私はクシャヴィトロに生じた現象を()()だと考えていたが、クシャヴィトロの本来の意味が『月光』で、空に浮かぶあの天体が『月』だと言うならば、この現象は異変などではなく、剣匠の狙いどおりに起こっている正常反応の可能性が高い。


 オルシネーヴァの宝物庫でこの剣を見つけた時のラムサスの発言を思い出す。


『何らかの呪いがかけられている』


 小妖精の警告は結果的に我々を何度も危地から救ってくれているありがたいものではあるが、正確性とは必ずしも縁がないのもまた事実だ。


 本当に呪いなのか。


 呪いだとしても、所有者を苦しめるものではなく、上手くすればその呪いの矛先を「所有者の敵」に向けられるのではないか。


 私はこの剣を使いこなしているつもりでいたが、無知ゆえの浅はかな理解だ。


 これは今一度、徹底的に性能を洗い出す必要が……。


「簡単ではありますが、こちらからは以上です。さあ、あなた方の番です」


 講義で居眠りする学生を起こそうとするかのような勢いに富むスターシャの呼び掛けが私の(うつ)ろな意識を対話の場に引き戻す。


 スターシャは無表情を崩していない。だが、内心では笑っているような気がする。


 自分が()()()()てしまったこともあって、内心の窺えないスターシャに私は心の底からぞっとする。


 私は考え事に入れ込みすぎた。何を話していたか、流れが全然思い出せない。


 何かが私たちの番らしいが……一問一答をやっていたのだったか。


 考えたところで思い出せるはずがないので、私は渋々ラムサスに訊く。


 執務室での会話は傀儡や土魔法を活用した人形劇でそっくりそのままラムサスに流し伝えてあり、ラムサスは私よりよほど集中して話を聞いている。


 ラムサスは私の大失態を呆れながらも要領よく状況を説明してくれる。


 要点を押さえた私は対話に復帰する。


「我々ノ立場カ……」


 ヒトとして生きていた頃は人生の折り目折り目に何度となく自己紹介した。


 ヒトの道から外れてからも、ジバクマではワーカーパーティー『エルリック』として、マディオフに再来してからは『リリーバー』として数度、己を説明する機会があった。


 では今、我々は己をどのように述べるのが最も適切なのだろう。


 不明な私には分からない。


 対話に用いる文章を色々と用意していなかったわけではないのだが、ドラゴンと月、すんなりとは受け容れがたい“現実”がとてつもない衝撃で、これまで私を支え続けてきた“真実”と心の準備を完膚なきまでに打ち壊してくれた。


 私の夢、私の目標、私の願い、優先順位に順番……。


 私にとって究極の目標は魔法の探求だ。だが、それはいくらでも後に回せる。このヒトの肉体が朽ちてから好きなだけ追究すればいい。


 生命の灯火が尽きるまでは、ヒトの心から湧き出す欲求をより優先すべきなのは当然だ。そして、無数にあるヒトの欲求の中で最大だったのがダグラスの願いだ。ほんのつい先程までは。


 心の占有率は、この短時間で劇的に変化した。


 それと同時に、私が無い知恵絞って描き上げた未来図も、組み上げた順番も(もろ)くも崩れ去った。


 幸か不幸か、私の周りにはちょうど賢い者たちが揃い踏みしている。


 なあ、アッシュ。


 私はどうしたらいい。


 どうしたらエルザは、アールの家族は幸福な一生を送れる。


 救いを求めてアッシュをチラリと窺った瞬間、アッシュが苛立った声で言う。


「どうした、ワイルドハント。なぜ黙りこくる。アンデッドは時としてヒト感覚だと想定し難いものに(つまず)くが、この問いは難しくないはずだ」


 救いを求める私の手は、伸ばす前に払い除けられてしまった。


 アッシュは続け様に言う。


「アンデッドには回答不能なら……そっちのアンデッド気取り。お前が答えろよ」


 アッシュが顎でクイクイと私を指示する。


 アッシュの小さな仕草に小妖精が反応を示す。


「対話の前段階で喧嘩を売るのはやめてもらえませんか、総大将」


 嫌味たらしくアッシュの口調を(とが)めるスターシャに、小妖精がこれまた反応を示す。


 うん?


 こいつら、まさか……。


「ヒトツ明確ニシテオコウ」


 表と裏のすり合わせ作業に私は割って入る。


「前置キダロウト本題ダロウト黙秘ハ許容シヨウ。ダガ、嘘ハ許容シナイ」

「主張は理解しました。それで、その『嘘』とやらは具体的に何を指したものでしょうか」


 スターシャの無表情はやはり崩れない。まるで、そう指摘されると分かっていた、と言わんばかりの余裕がアンデッドの目ですら見て取れる。


 泣き言は無用だ。きっちりと腰を据えて立ち会わないことには、私がスターシャの操り人形にされる。


 小細工は弄するな。細かい部分に言及するな。付け入る隙を与えるだけだ。


 私は結論だけを述べればいい。


「不仲ヲ装ウナ」


 アッシュの視線がまた一段と厳しくなる。


 スターシャは表情こそ変わらないものの深々と息を吐き、そして言う。


「これだから魔道具は怖い」


『怖い』と言いつつ、声からも(うなず)くスターシャの表情からも、恐れの感情は読み取れない。いや、むしろ……薄っすらと笑っている?


 徹底して怖いもの知らずのスターシャにアッシュが釘を刺す。


「決めつけは禁物だ。……が、事前の調べのとおり、こいつらの情報力は時に侮れない」


 人は誰しも仮面を被る。時に意識的に、時に無意識に、時に強制されて。


 今、二人は仮面を外した。その外した仮面は無自覚に被っていたものではない。おそらくは熟考の末に選択として被っていたものだ。


 二人の間に流れる、()()()()()()()()に私は不思議と安心してしまう。


 私は自分がなぜ安心したのか考え、すぐに理由に思い至る。そして同時に、私が取るべき態度もまた決まる。


「私は――」


 もう今夜は開かないつもりでいた己の口を開く。


「アッシュ以外と口を利くつもりはなかった。……が、気が変わった」


 二人が揃って私を見る。その間に見えるのは無形の信頼だ。


「ユニティ統括丞相スターシャ・ダニェク。お前はどうやらアッシュの真のお気に入りらしい。ゆえに例外的に対応してやろう」


 アッシュは両の眉を寄せ、言葉で表現するのが難しい表情で長く息を吐く。


 スターシャはそんなアッシュを横目でチラリと見てから言う。


「あなた方こそ、ウチの総大将に……いえ、アッシュに随分と思い入れがあるようで。過去に何があったのです」

「無駄だ。その質問は俺が既にした。そして、案の定、回答を拒否された」


 アッシュはスターシャ訪室前に我々と交わした短いやり取りをさも億劫そうに説明する。


 小妖精に反応はないから、不仲の続きを演じているわけではない。これもまたアッシュの()の喋り方なのだろう。


 行儀や礼儀のなっていない徴兵直前の未成年さながらだ。これはイオスが口うるさくなるわけだ。


「なるほど。ですが、再び同じ質問を投げかけたら、今度は違った答えが返ってくる気がします。ええと……」


 スターシャが、私を促すように、意図的に先を濁す。


「便宜上、名前を必要としているのであれば、好きに命名するといい。元より我々に真の名前は無い」

「では、他の構成員に強く感化されたご様子のあなたを『ミシュマシュ』と呼ばせていただきましょうか」


 それはいつぞやクローシェたちが無能ぶりを晒した際、がっかりさせられた私が無思慮にボヤいてしまったゴルティアの古代語だ。


 寄せ集め、あるいは、混ざりもの。


 スターシャはアンデッドの中に混ざった私に対するちょっとした意趣返しと、ほんの少しのカマかけのつもりで言っただけで、私本体の特殊な構成を見抜いたのではないはずだ。


 分かってはいる。だが、分かっていてもなおギョッとしてしまうのは致し方あるまい。


「好きに呼べ」

「冗談です」


 スターシャはどうあっても私に名乗らせたいらしい。裏の総大将だけあって底意地が悪い。


「くだらん。識別名が必要ならばエルとでも呼べ」

「これは驚いた。気取っていたのはアンデッドどころではなく()()()だったとはな」


 アッシュはクカカと私の名前を笑い飛ばす。


 言われてみれば()()()()()()()()もあったな。


 とはいえ、消えた月よりもずっと古い伝承を意識して言葉を選ぶ手合(てあい)など皆無に等しいだろう。私としてもそんな大それた暗示の意図は無い。


 スターシャはアッシュの嘲笑に同調せず、静かに言う。


「では改めましてエル。ずばり聞きましょう。あなた方は……いえ、あなたはアッシュからどんな恩を受けたのです」


 これまたかなり絞った切り口で攻めてきたな。


 恩……恩ねえ……。


 アッシュと話したことすらない私が、アッシュから受けた恩……。


 セリカがイオスに突っかかっていった時、アッシュが手出し口出ししたい気持ちをグッと(こら)えて静観していたのを指して恩とは呼ぶのは無理があるだろう。


“墳墓”の中層で二人に追いかけられた件にしたって、いい迷惑だった。


 そりゃあ逃げるさ。


 なにせ、あの時セリカは……私は中層で命を落とし、アンデッドに戻っていたのだから。




 手駒は上層で傀儡化した弱小アンデッドだけ、本体たるセリカもそこまで強くない。


 中層に挑むには明らかに実力不足だというのに、ミスリルクラスのハンターという本物に触発されたせいか、私は無謀にも未踏域に足を踏み入れ、呆気なく命を落とした。


 死んで分かったのは、普通の生者が死後アンデッド化する場合と違って私は死亡から即座に活動再開できる、ということだ。思わぬ収穫である。


 とはいえアンデッドで居続けるという選択はない。私にはまだ生命あるヒトの身体で試したいことが山程ある。


 ダンジョンを出て街に戻り、次の身体を探そう。


 上層目指していざ行かん。


 私は高い意欲と共に墳墓中層を進み、そして見た。


 私を簡単に殺す力量を持つ中層のアンデッドを、いともたやすく討伐してのけるミスリルクラスのハンターを。


 その者たちは、魔力のような何かに全身を覆われていた。


 今だからこそ分かるが、その何かとは、闘衣だ。


 未知の技術、想像を超える強さに私はより一層の興味を惹かれた。


 好奇心は私から警戒心を削ぎ、結果、私はイオスに勘付かれてしまう。


 私は逃げた。


 この身がアンデッドだとバレたら、きっと二人に討伐される。


 街外れで挑んだ時とは状況が違う。手加減はしてもらえない。


 二人が追いかけてくるものだから、私はアンデッドだというのに必死に逃げた。


 逃げて、逃げて、逃げた先にとんでもない強さのアンデッド……エルダーリッチがいて、そいつの勘気に触れぬように気配を殺して横を通り過ぎた。


 後から来る二人はエルダーリッチと交戦し、おかげで私は逃げおおせた。


 もしもあそこにエルダーリッチがいなかったら、キーラの人生が狂うことも……。




 ボヤけた視界でアッシュを見る。


 闘衣という技術の存在を私に初めて教えてくれたのはアッシュ、お前だったのか。


 ほんの短い時間でしかなかったが、アッシュが見せてくれた剣は私の深層心理に強く残り、エヴァやグレンら、他の剣の達人たちと負けず劣らず私の剣に影響を与え、私の模範であり続けた。


 やっと思い出した。


 こんな場所で、こんなかたちで、それも武とは到底、縁のなさそうな文官の言葉で思い出せるようになるとは思いもよらなかった。


 もし仮に私が愚かではなく、真に賢き者だったとして、スターシャを先に調べたら、この過去の一幕を取り戻せていただろうか。


 取り戻せていたかもしれないし、取り戻せていなかったかもしれない。


 そもそも賢かったら、こういう状況にはなっていないだろう。


 はあ……。


 考えても考えても思考は錯綜するばかりで、統合する気配が一向に見られない。


 喋りだせ。そうすれば、きっとそれっぽいことを思いつく。


「アッシュから受けたものと(こうむ)ったものを総合して恩と表現するのが適当かどうか判断するのは難しい。だが……」


 セリカが二人に対してしたことは言い訳しようがないほど完全なる迷惑だ。


 それなのにセリカを追いかけてきた二人にあったのは悪意ではない。


「その判断がつかない分を返しておくのは一案(いちあん)かも知らん。なにせ、定命の者はすぐに死ぬ」


 説明になっていない私の説明にアッシュは顔の皺を深くする。


「だから、そんな漠然とした言い回しをされても分からないって――」

「お前はあの時、目に入ったものを助けようとしていたが、その目に入ったもののほうは、実際はお前に討たれそうになっていた。要点だけを話すと、そういうことだ」

「はあぁぁ~。ますます分からない……」


 アッシュはあちらを見たりこちらを見たりと視線を所在なく動かし、分かりやすく困惑する。


「しかし、エルは嘘を言っていません。そうですね?」


 スターシャの問いは、何も考えずに聞くと、まるで私に言っているかのようである。


 ところが、実際はアッシュに対して放った問いだ。


 事実、アッシュの視線の彷徨はピタリと停止している。もっと正確に言うと、ある一点を意識的に見まいとしている。


 それこそが、アッシュが()()()()()ことの証明だ。


 天体の光も、小妖精を形作る魔力も、どちらもアッシュは見えている。


 そして、見えているからかえって勘違いする。


「そう思う」


 おそらくアッシュは、嘘を鋭く見抜く小妖精を審理の結界陣の一機能だと思っているはずだ。


 確信まではしていないだろうが、可能性としてかなり高く見積もっている。


 私は審理の結界陣を使っていない。しかしながら、魔道具を保有している、という事実だけで、相手の出方や思考を大きく制限できている。


 情報系能力は戦闘力と同様、存在そのものが強い抑止力になる、という良い証明だ。


 アッシュの目もある意味では情報系能力のひとつ……あれは多分、先天性のものだろう。


 複雑な経緯によって獲得に至った紛い物の私の目とは違う、いわゆる本物の“魔眼”だ。


 アッシュだけではなく、ミレイリの目も魔眼なのではないかと私は考えている。


 アッシュにミレイリ、そう大規模に調査したわけでもないのに、分かっているだけで二人。


 ロギシーンは優秀な血統の者たちが多く住む土地なのかもしれない。いや、『かもしれない』どころではない。間違いなくそうだ。


 なにせ、ロギシーン人の先祖は先住していたドラゴンを種ひとつほぼ丸々滅ぼし、住む場所を勝ち取った不屈の者たちなのだから。


「しかし、不思議です。特徴がこれほど際立っているというのに、総大将はどうして接点を思い出せないのでしょう」

「そう言われてもな……」

「あなたに強い関心を示し、禁書の中にしか出てこないアンデッドをこの世に産み出した存在の名を名乗り、それを証明するかのように生と死の区分が正常から逸脱している者です」

「思い当たるところが無いとは言わない。だが、思い当たった候補とは矛盾した特徴があって、だから悩んでいる」


 矛盾した特徴とは、さっきの『()()ワイルドハント』発言のことだな。しかし、だとするとアッシュは……。


 待て待て、落ち着いて考えろ。アッシュが創造者に会ったことがあるとしても、アッシュが転生者である証明にはならない。


 アンデッドを創造したくらいだ。本人がアンデッド以上の永遠の存在だったとしても、なんら不思議は……。


 いやいや、それこそ超現実的な話なのではないか。


 私の悪い癖だ。私はちょっと困るとすぐに“真実”探しを始めてしまう。


 では、どうしたら冷静になって考えられる。


 ……。


 ダメだ。話はひどく込み入り、私はあまりにも動揺している。


 誰か、このとっ散らかった話に収拾をつけてくれ。


「はてさて、どうしたものでしょう。これではまるで話が前に進みません。あなた方は何であれば話せるのです」

「そう重ねて問うならば、相互質問の正式な再開を提案する」

「そちらが沈黙を守るから、語りやすいように道筋を提示したまでです。それに、過度に秘密主義のあなた方が一問一答に向いているとは思えません。……ですが、未来志向で話すことには賛成です。悩んでもらっているところ悪いですが、いいですね。総大将?」


 アッシュは口を固く結んだまま頷き、スターシャの意見に同意する。


「では、黙秘ばかりのあなた方に、こちらから質問させてもらいます。あなた方は何を目的としてロギシーンに来たのです」

「それはお前たちの答えにより変わる。お前たちがどんな未来を望み、ここで何を成そうとしているか。それによって我々の取る行動もまた変わる」


 スターシャは私の回答に満足がいかないのか、首を左右に振る。


「その点に関しては先述のとおりです。ドラゴンが空を飛び交う未来は、ほぼ確定していて、その確定された未来はすぐ目の前にあるのです。ドラゴンの 大発生 ヒュージアウトブレイクを防げないならば、ドラゴンがいてもなおヒトが未来のその先へ命脈を繋いでいける仕組みを構築する。そして、私たちはその(いしずえ)になる。簡単な話です」

「しかし、アッシュは言った。『ゴルティアを信じていない』と」

「それは全く矛盾なく説明可能です」


 力強いスターシャの発言から(あふ)れ出る自信が強い説得力となり、みなまで言われずとも私は察してしまう。


 ゴルティアが考える『人類を存続させるための方法』とユニティが思い描く未来図には何か決定的な違いがある。


 そういうことなのだろう。


 確かにゴルティア案でも人類は存続するかもしれない。しかしながら、ヒト種の脆弱さと立場の弱さを考えると、『存続する人類』からヒト種が弾き出されてしまう結末しか私には見えない。


 ユニティ案もといスターシャ案がどんなものなのかまだ全く想像はつかないが、少なくともゴルティア案よりはヒト種に救いがあるものとみて間違いないだろう。


 小妖精に不吉な反応がないことを確かめ、さらにラムサスに意見を求め、私は自分が下した暫定的判断への自信を補強する。


 自信が強く固くなるほど、私がロギシーンで奪ってしまった命が惜しまれる。


 いや、それどころではない。問題は果てしなく大きい。




 私は東方で相当な数のゴルティア人を殺めた。ヴェギエリ砦では実験段階の技術を投入してドラゴンまで利用した。あの時はああするのが最良だと思った。


 その後、テベスからドラゴンによる被害の大きさを聞いた私は、自分がいかに早まった行動をしたか理解した。


 しかし、理解は全く足りていなかった。私の失敗は、認識していたよりもずっと重大だった。


 スターシャはジバクマの王、ジルと同じで多分、相当に割り切った考えができる人物だ。


 ユニティ戦闘員を多数殺した我々を笑って許すとまではいかなくとも、これからの損得を優先して我々の処遇を決めるだろう。


 けれどもヒトの大半はそう簡単に過去の清算を許さない。


 優先するのは理性ではなく激烈な感情……つまりは私と同じ、待っているのは愚行の連鎖……。


 生き残った元ロレアル人や家族を殺されたロギシーン人が我々を許すわけがない。


 決定的な絶縁状を突きつけられたゴルティア人もそうだ。


 彼らは我々のみならずマディオフを強く憎み、その憎悪は世代が二つ、三つ交代しないことには消えも減りもしない可能性が高い。


 マディオフとゴルティアの和睦は事実上不可能になっている。


 私は感情に踊らされてなんということを……。


 心の中で、私の理性が(たい)を成し始める。若き日のアッシュの姿を借りた理性は私の前に立ち、私に向かって指を差す。


 否、指し示しているのは私の後ろだ。


 指示に従い、私は振り返って後方を見る。


 眼前に広がるのは饗宴直前のヴェギエリ砦だ。


 復讐心に操られたあの日の私が砦に向けて土魔法を放つ。


 理性が私に問う。


『ベネリカッターがやったことは何だ』


 巣を壊し、サルを潰し、悪を滅する。


 ベネリカッターは私の期待に応え、敵を消し飛ばした。


 最初はそう信じて疑わなかった。


 私の理解は日が経ち事情を知るにつれて確信を失っていく。そして今夜、アッシュに告げられた“現実”によって完全に崩れ落ちた。


 私が消し飛ばしたのは未来へ伸びる大量の道だ。


 道がそこにあることは当時から分かっていた。けれども、くすんだ灰色の道の先にあるのはこれまた灰色の未来だ。(ちり)ほども魅力がない。だからこそ私は躊躇なく破壊できた。


 嘘ではない。だって、その時は本当に灰色だった。私の曇った目には、そうとしか見えなかった。


 壊れた道がドラゴンの吐くブレスに()かれる。あちらからもこちらからもブレスを浴びせられ、それでも道の欠片は決して燃え朽ちない。それどころか、ブレスに(あぶ)られて冴え冴えと精彩を放つ。


 灰を吹いた下にある輝きにようやっと気付いた私は残骸を集め、修復しようと躍起になる。ところが、欠片を掴む手が灼熱に灼かれるばかりで、元通りにすることはかなわない。


 アッシュの形をしていた理性がぐにゃりと(ゆが)む。


 待ってくれ。まだ消えないでくれ。


 私は過ちを認める。償えるなら償おう。だから、私に道しるべを与えてくれ。私は……どうしたらいい。


 救いを求める私の声に、消えゆくアッシュは耳を貸さない。しかし、完全に消滅する直前に一言だけ残す。


『いい加減、現実を見よ』


 既に十分すぎるほど痛感している教訓を殊更に告げる声は、アッシュのものと違っていた。


 この声は私の……。




 溜まり積もった罪の沼に顔を(うず)めるのをやめ、そこに実在するアッシュとスターシャを見る。


 才能、実績、自信、覚悟。


 二人から放たれる光は(まぶ)しすぎて私には直視できない。


 迷えるヒトを導くのに十分な光量を(たた)えた希望の光が、後悔と絶望、二つの黒い影となって私に射し込む。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 対話はなかなか本題に入りませんが、次々と新しい事実が提示されてきています。 面白い小説というのは、読者の予想を裏切るものだと思います。私の次はこうなるんじゃないかという予想は常に裏切られ…
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