第五九話 修正■女■定■■ 最終日 一
ほぼ全ての工程が終わり、最後に残ったひと仕事のためにクローシェが上がり段を昇る。
十と少しを数えるばかりの小さなその段は、蹴上は高く踏み面は狭く、工程負荷によって体力が激減したクローシェには昇るに少なからぬ努力を要する。
上がり段を昇りきった頂部には何も無い。頂部の前方には大きな穴が身体を飲み込まんと待ち構えている。
頂部から穴の縁に移動し、足の先からそろりそろりと穴の中へ入り込む。
足の先が液面に触れる。
熱くもなければ冷たくもない、微温い、という表現がまさに適当な微温湯にゆっくりと身体を沈めていく。
穴の壁には取っ手が平行に二本、上下方向に走っている。
クローシェが取っ手を掴む。
取っ手は太すぎず細すぎず適度に波打っていて、クローシェの手で握るのにちょうど良い。
取っ手を支柱にして身体を首元まで正確に水中に沈め、そこで位置を固定する。
すうう。
少し大きめに息を吸って肺を最大吸気の七割から八割まで膨らまし、それから口を窄めてゆっくりと息を吐く。
急速にではなくゆっくりと一定の流速で確実に吐いて、吐いて、肺がほとんど空にちかい状態になるまで息を吐く。
腹にどれだけ力を込めてもこれ以上は吐けないところまで深く息を吐くと、胸郭に備わる自然の復元力が空気を吸い込もうとする。
その自然な身体の動きを呼吸筋の力で無理やり抑え、クローシェの身体は静止する。
規則正しく拍動する心臓が胸壁越しに微小な波紋を作っていることを除けば、穴の中には波も風の流れもない。
息を吐ききって呼吸を止めると、著しい息苦しさが即座に身を襲う。
呼吸停止からおよそ十秒が経過し、クローシェは呼吸を再開する。
肺に空気が満ちると息苦しさは一瞬で解消される。
しかしながら、胸を圧迫する不安は消えるどころかむしろ増していく。
思いどおりに動かせぬ身体、深さの分からない穴、穴に溜まる安危不明の液体、そして強制的に止められる呼吸。
これだけ条件を揃えられて、暗示される苦しみを想像するなというのは無理な注文だ。
増大化の一途を辿る予期不安が呼吸を荒くする。
呼吸が浅く早くなること数十秒、クローシェは再び少し大きく息を吸って呼吸を止める。
棒を手繰り、吸気によって浮力の増した身体を腕力で水中へ沈める。
ひとつ手繰れば口も鼻も水面下に沈む。
二つ、三つと棒を手繰って更に深くに沈めば、もう頭頂部にも空気を感じない。クローシェの身体はつま先から頭の天辺まで完全に水没した。毛髪の先端ですら水面には届かない。
息の継げない水の中、肺に蓄えたひと吸いの空気がクローシェの生命を繋いでいる。
ごぼり、ごぼり。
生命線たる愛しの肺内空気を呼出する。
先程と同様、急速にではなくゆっくりと一定の速度で吐く。
ごぼり、ごぼり、ごぼり。
寿命そのものが口から流れ出ていく恐怖に溺れながら、クローシェは吐いて吐いて吐きつくす。
ごぼり。
最後に吐いた気泡が顔面を撫でて更に上行し、水面に達する。
呼息によって生じた気泡はもう水中に存在しない。全て水上へ抜けた。後に残るはやわらかく揺れる水面だけだ。
沈んだ分だけ高くなった水圧がクローシェの胸と腹を強く締めつける。
溺水不安と相まり、死への恐怖が爆発的に膨れ上がっていく。
息を吸いたい。
しかし、胸も腹も自由に動かない。
水上に顔を出したい。
しかし、腕も足も自由に動かない。
暗い水中で見開かれた瞳に映るのはボンヤリと黒い無機質な取っ手が精々で、希望を見出だせるものはどこにもない。
死が怖い。
命を賭して戦ったクローシェでも、やはり死ぬのは怖い。
恐怖から目を背けるために、せめて目を瞑りたい。
しかし、ぎゅっと瞼を閉じるどころか瞬きすら意のままにならない。
急激な勢いで増大した死の恐怖は心臓を破裂させんばかりに強く早く鼓動させたところで高止まりし、勢いを引き継ぐかのように増大し始めるのは、終わりのない苦しみへの恐怖だ。
溺れ死ぬのではなく、溺死寸前まで苦しんだ末に呼吸を再開させられ、回復した後、再び溺れさせられる。
死ぬのは怖い。
死ねずに苦しむのも怖い。
肥大する恐怖が理性を侵し、古い記憶が次から次に脳裏をよぎる。
◇◇
広いゴルティア公国のおよそ中央に位置するヴィングリング地方、そのまた中心部にロゼグランドはある。ヒト領土における文化、行政、経済の中枢たるロゼグランドでクローシェは生まれた。
家庭事情が一般とは少々異なっていることに気付いたのは物心がついてから更にいくつか年を重ねた頃だった。
日頃、クローシェの家に母親はいない。いるのは自分と父親の二人だけだ。
日中は他人様の家に預けられて行儀良く過ごし、夜になると仕事帰りの父親と二人で寒々しい自宅に帰る。
我が家でもクローシェは子供らしく振る舞わず、我慢する。
二人で認める夕食が冷めたものであっても、食後に父から遊んでもらえる時間がどれだけ短くとも、不満は言わない。
仕事で疲れた父親を子供の自分が困らせてはいけない。だからクローシェは我慢する。
外では我慢、家でも我慢。
我慢していれば必ず良くなる。良い子にしていれば良い日は必ずおとずれる。良い日を待って、クローシェは我慢する。
幼いクローシェが楽しみにする良い日。それは新年祭でもなければヘクセンナハトでも感謝祭でもなく、母親と会える日だ。
母親が家に帰ってくる日は、他のどんな祝祭日よりもクローシェにとって待ち遠しい。
母親を何か別のものに例えるならば、それはもちろん太陽だ。
いつも疲れている父親とは違い、母親はいつも活力に満ちている。
家に帰ってきた母親はクローシェがくたくたになるまで一緒に遊んでくれる。
喉が枯れて声がボソボソになるまで話に付き合ってくれる。
クローシェの知らない世界の不思議をいくらでも教えてくれる。
クローシェが日常の疑問を尋ねれば、なんだって答えてくれる。
物知りな母親だったが、教えてくれないこともあった。
どこに行っていたのかクローシェが尋ねると、母親は『遠い所』と答える。
何をしていたのか尋ねると、『明日を守る仕事』と答える。
具体的にはどういうことなのか尋ねると、『秘密』とはぐらかす。
幼いクローシェには母親の仕事がなんなのか分からなかったが、成長するにつれて朧気ながら答えが分かるようになっていく。
母親の身体には傷跡がいくつもあり、それは帰宅するたびに増えていく。
ロゼグランドではない、どこか遠い所で明日を守るための秘密の戦いに明け暮れる太陽のような人。
それがクローシェの母親だった。
子供から大人への移行期を迎えたクローシェは人生の岐路に差し掛かり、いつもと同じく父親と自分の二人だけで家族会議を行う。
昔に比べて少しやつれた父親は娘から進路希望を告げられて悲しい顔をするものの、反対はしない。
交々の想いが込められた父親の応援を背に、クローシェは憧れであり尊敬の対象である母親の後ろ姿を追いかけ、軍人として走り始めた。
ゴルティア公国が誇る正規軍ハスカールは“砂”以北最強の軍隊である。圧倒的な物量を遺憾なく発揮することで東は海まで、南は“砂”まで、西はゼトラケインまでほとんど全てを飲み込んだ。
国家理念からするとゴルティアは必ずしも西の隣接国ゼトラケインと戦う理由がない。ゼトラケインの考え方はゴルティアにかなりちかく、捉え方によってはゴルティア以上に良好に多種族融和を成し遂げている好ましい国家だ。
ゴルティアとゼトラケインは長く良好な関係を続けたが、ある時を境に関係性が半分ほど断裂する。それがゼトラケイン南部、ロレアル共和国の独立である。
言うまでもない話だが、国から国が独立するにはそれなりの事情がある。ロレアルの場合、ドレーナによる支配からの脱却が国を興す目的であった。
成り立ちからしてロレアルは多種族融和を掲げるゴルティアと和合できない国なのだ。
所変わって南の隣接国ジバクマも変が生じるまではゼトラケインと同様に好ましい国家だったが、変を機にゴルティアの攻略対象となっている。
そして忘れてはならない重要な目標が、間にゼトラケインとロレアルを挟んで西に鎮座するマディオフ王国である。
ゴルティアにとってマディオフは単なる西の異国ではないのだが、その長く濁った関係を知るのは広いゴルティアでもほんのひと握りの人間に限られている。
ロレアル、ジバクマ、マディオフ、西だけ見てもこれだけ対応に迫られる問題が転がっているのだから、ゴルティアの理想達成までに越えなければならない障害の数が推し量れるというものだ。
数多の障害を一息に吹き飛ばす画期的な案がそう都合よくあるはずはなく、然して泥臭い、地道な裏工作が往々にして選ばれる。
かつて母親が言っていた『遠い所』が、どこを指したものなのかは成長したクローシェにも分からない。考えやすいのは外国だ。
いかに憧れとはいえ母親が辿った軌跡をそっくりそのままなぞるつもりまではなかったが、新兵として教育隊で訓練を受ける間にクローシェは工作員になることをぼんやりと願うようになる。
両親共に代々のゴルティア人であるクローシェの出自に問題は無い。文武魔、あらゆる科目で優秀な評価を得ていれば、より多くの道が自分の前に伸びるであろう、という考えの下、クローシェは訓練に全力で取り組む。
健康な肉体と生来の真面目さにより、優秀者として教育期間を修了したはいいが、工作部隊からの声は一向にかからない。
はてさてどうしたものか、己に何が足りないのか悩むものの、悩んで答えが見つかる類の問題ではない。
答えが見つからぬままに部隊に配属され、現場で課される無茶な任務の数々に粘り強く取り組む。
教育隊で優秀だったとはいえ、軍の現場で直面する難題を簡単に解けるはずもなく、ロクな結果を残せずに新兵としての在任期間は過ぎていく。
自己評価としては「不可」の日々が続くクローシェにある時、思いがけず特別な召集令が下る。
常識外れとしか思えなかった難題たちはどうやら一種の選抜試験だったらしく、クローシェは新兵として正規に部隊に配属されてから一年と経たずに軍人生活二度目の教育期間に突入する。
凡人が圧倒的大多数を占めていた教育隊の一般訓練とは比較にならないほど工作員専門の養成過程は厳しい。しかも、得るものばかりではなく、失うものもある。
それに特別な価値を見出していなかったクローシェにとって喪失にさして問題はない。そんなことよりずっと大きな問題がある。
教育隊では「優」の枠組みに潜り込めていたクローシェが、いざ専門課程に入ると「良」どころか「可」の域から抜け出せない。
クローシェは死にものぐるいで努力する。しかし、課程の同輩もまたそれなりの才人で、しかもクローシェに負けず劣らず努力しているのだから、当然と言えば当然だ。
工作員たる者、あらゆることを人並み以上にできて当たり前で、万能性に加えてさらに何かひとつずば抜けた能力を持っているのが望ましい。
ところがクローシェにはクローシェにしかない持ち味がない。選り抜き人員だらけの専門課程の中でクローシェは落ちぶれこそしないものの、埋もれてしまう。
燻っていたクローシェを大きな炎へと燃え上がらせたのが西伐軍大将ホーリエ・ヒューランだった。
文官的な経歴を持って中央に勤める大将ではなく、最前線の部隊を前線から指揮する現場勤めの大将ホーリエは事前予告なく突然、視察に訪れた。
磨いても玉になる見込みを全く匂わせていない、凡百の訓練兵にすぎないクローシェに、ホーリエはなぜか話し掛ける。
交わした会話は、将と兵として当たり障りのないものでしかなかった。だが、たったそれだけでクローシェはホーリエに特別な意識を抱くようになる。
以降、ホーリエは何度か個人面談の名目でクローシェを呼び出す。
ホーリエは仮想の作戦を語り、その損得をクローシェに問う。
ホーリエは戦術を語り、その長短をクローシェに問う。
ホーリエは戦略を語り、その賢愚をクローシェに問う。
ホーリエに少しでも深く印象を残すべくクローシェは考え、答える。
考えた末に出した答えがどれほど響いたのか、巌のように固いホーリエの表情から窺い知ることはできない。
手応えの不確かな問答を繰り返すある日、ホーリエはそれこそ本当に掴みどころのない漠然とした夢を語る。
それは、やがて訪れる新しい時代の話だ。ゴルティアの国家理念をそのまま語るかと思えば、危険思想とも捉えられかねない際どい解釈を語り、そして最後に夢の理非をクローシェに尋ねる。
個人の夢に対して理非を述べさせるという、ともすれば無粋な行為の裏にある意味にクローシェはハタと気付く。
ホーリエが語ったのは幻想ではない。現実の暗流だ。己が問われているのはヒトという脆弱な種族が見えざる濁った流れに抗い生き残るための術と未来を掴み取る意志の有無なのだと。
その日、クローシェはアウェルという組織の存在を初めて知る。
母親の背中を追いかけて軍人となったクローシェに願いがひとつ、新たに加わる。
ホーリエは聞き及んでいた以上の聖賢だ。この傑人の力になりたい。夢を共有したい。
過酷な時代を運命づけられた未来の人々に、ほんの少しでも希望を与えたい。
ぼんやりとした志ではない、確固たる意志が胸に宿る。
早緑の夢と意志がクローシェの成長を加速させる。
勝ったり負けたりを繰り返していた剣の訓練で、誰にも負けなくなる。
魔法に関しては凡才でしかなかったのに、突然、解呪の才能に目覚める。
ホーリエに会う前後でクローシェに生じた能力的な変化は、言ってしまえばたった二つだ。しかしながら、申し分のない二つであった。
他にはない強みを手に入れて課程を終了したクローシェは数箇所の現場に派遣されて実践経験を積んだ後、マディオフに派遣される。
クローシェがマディオフに潜入した時点で既にマディオフとゴルティアは国境を接する緊張関係にあった。
しかしながら、クローシェが送り込まれたのはマディオフの東端の街アウギュストではなく北西端ロギシーンであり、そこで待ち受けるのは泥を啜り腐肉を食らう劣悪な日々ではなく静かに心身を磨り減らす書類仕事の毎日だ。
多忙ながらも衣食住に不自由しないマディオフ生活は先人工作員たちが長い時間をかけて積み上げた功績のひとつに他ならない。
とはいえ、戦いから遠ざかるのを良しとしていては、せっかく研いだ牙が瞬く間に鋭さを失う。
近いうちに戦争か、戦争に匹敵する事変が必ず起こる。仮初の平和に心身を緩めるなど許されない。
無限を思わせる仕事の合間を縫いマディオフ人の目を忍んでは、ひとり剣を撃つ。
はじめの頃は仮想の敵がクローシェの相手を務めていた。伸び盛りのクローシェはそれで十分に成長できた。
時がしばらく流れると、亡国ロレアルから逃げ落ちた戦士たちが仮想の敵に代わってクローシェの訓練相手を務めるようになる。
ドレーナが統治する国から一時とはいえ独立を果たし最後の最後までマディオフ軍と戦っただけあり、元ロレアル人たちは気骨も実力も充実している。
帰る国を失い、それでも希望を失わずに前を向いて歩く戦士たちと斬り結ぶ日々がクローシェの成長を助ける。
ゴルティア正規軍がマディオフの本格的攻略に着手するのはジバクマ平定後。ゴルティアの戦略部が立てた順序ではそうなっていた。
時を遡って考えてみると、ゴルティアがジバクマを攻略対象にする契機となった変、戦略部ですら想定していなかったジバクマの一大事件とは、貴族ダニエル・ゼロナグラの没滅である。もしもダニエルが息災だったならば、ゴルティアは最後までジバクマを攻略対象にしなかっただろう。
ジバクマはダニエルが没した理由を『不詳』と公式に表明している。
ダニエルは生者ではなくアンデッドだ。それも偽りの生を受けて五年、十年の若輩ではなく、悠久の時を過ごした大アンデッドである。
その大アンデッドが『原因はよく分からないけれども滅んでしまった』と言われて『はい、そうですか』とすんなり信じていては、国を支え国を守るなど到底不可能だ。
訳有って何者かがダニエルを滅ぼした。
こと、この思料に機密情報など不要だ。一般常識に照らし合わせて考えるだけで、誰でもその結論に辿り着ける。
真相はどうあれ、ジバクマの東およそ三分の一を統治していた領主はいなくなり、同時にゴルティアがジバクマに配慮すべき理由は消滅した。それどころかむしろ戦うべき大義が発生したとも言える。
並大抵の変ではない、紛うことなき大変に接した戦略部は、数十年にわたって大きな改変を要してこなかった対西方戦略に大々的に手を加える。
実働まで数年から十数年を見込んでいた、まだ雛形にすぎない西伐軍を急遽稼働し、険しすぎるほどの険路を進軍経路としてジバクマ最東端から攻略を開始する。
開戦後しばらくは快進撃に次ぐ快進撃だったが、順調な攻略はジバクマのハンター、クフィア・ドロギスニグの参戦によって唐突に終わりを迎える。
いかにドラゴンスレイヤーとはいえ、クフィアは当時で既に平均寿命を十年も超過した老体、しかも輝かしい戦績はいずれもハンターとしてのものであり、軍人や傭兵として戦線に加わった験しはない。
そのクフィアが国家間の争いに首を突っ込むとはゴルティアの誰も考えていなかった。
魔物にしか落ちないと思われていたクフィアの雷魔法が勢い付いたゴルティア軍の兵士たちに落ち、未熟な西伐軍は突然に我が身を襲うレベルエイト、西方諸国流に言うならばブラッククラスの暴力に、対応らしい対応が全くできずに混乱の極致に陥る。
頼りにならない若い指揮官に代わって中心となったのが、超現実的な理不尽に曝された経験をかろうじて有していた少数の老兵たちだ。彼らの意見に従い、指揮官は多方面に散らばった戦力をミグラージュに集めて抗戦を図る。
少しばかり栄えているだけの辺境の街ミグラージュに城塞水準の高い守備力はないが、そこに住む民衆たちがクフィアに雷魔法の行使を躊躇わせる心理防壁としてはたらいてくれる。
傷つき身を寄せ合うゴルティア軍のそんな淡い目論見を、ブラッククラスの傭兵がまたしても打ち砕く。
クフィアが得意とするのは雷魔法だけではない。風属性も水属性もクフィアの得意魔法だ。
異常なまでに出力の高い風魔法で何時いかなる場所にも自在に出没し、目にも留まらぬ早業でその場のゴルティア兵をひとりたりとも逃さず戦闘不能にする。そして、すぐさま風の如く消え去り、次の場所でゴルティア兵を撃つ。
魔法は得手だが物理戦闘は魔法に比べると不得手で……等のクフィアに関する事前情報は嘘ではないのかもしれないが、瞬きひとつが命取りとなる実戦場でそんな情報はなんら意味をなさない。
クフィアとゴルティア兵とでは基礎能力が違う。違いすぎる。
直接的な武力衝突に主眼をおいた作戦でクフィアと渡り合おうと思ったら、ゴルティア兵には最低でもミスリルクラスの戦闘力が求められる。それもミスリルクラス下位ではダメで、ミスリルクラス上位相当でなければ有効戦力として計算できない。
半端な者を数だけ揃えたところで、魔法の一発を放つも剣の一合を撃つもできぬまま塵埃が如く吹き飛ばされる。
ミグラージュ籠もりは体勢の立て直しどころか時間稼ぎにもならず、逆にクフィアにゴルティア軍を一掃させる機会を与える結果となった。
雷魔法を使おうが使うまいが、野戦だろうが市街戦だろうが、強い者は強い。
真の実力者から現実の残酷さをまざまざと見せつけられ、ゴルティアの第一次西伐は惨憺たる幕引きを迎えた。
惨敗に懲りないゴルティア司令部はその後、第二次、第三次と西へ派兵する。
第二次以降の試行において主要都市奪取等の内外に顕示できる戦果はもちろん収められないわけだが、第一次と違ってクフィアの強さを十分に含み置いているため、想定を超える無残な負け方もしない。
ゴルティア軍は負けたなりに人知れず成果を挙げていた。
代表的な成果のひとつが、オルシネーヴァ軍のジバクマ侵攻開始である。
周到な用意の末に決行された作戦により、オルシネーヴァ軍はジバクマ西部及び北西部の主要都市を一気に攻略した。
ジバクマが国を挙げて育成している次代の英雄ジェダ・ドロギスニグの身柄を確保する計画は、不運にもその場に居合わせたマディオフ人ハンター、氷の魔術師の二つ名を持つイオスの妨害により失敗してしまったが、それでもゲダリングやリゼルカといった大都市を小国オルシネーヴァが軽微な被害しか出さずに攻略できたのだから、ゴルティアの長期戦略は、雷の直撃を受けてから泣く泣く立て直したにしては、なかなか上手くいったと言えよう。
ただ、芳しい流れは長く続かない。
ジバクマがオルシネーヴァ方面への対応力を強化しきる前に、オルシネーヴァ軍がジバクマの西部を三割ほど奪うことをゴルティアの戦略部は期待していた。
しかしながら、危殆に瀕したジバクマ軍が凄まじい抵抗をみせる。
勝ち戦後の追撃戦気分で緊張感なく国土を侵略するオルシネーヴァ軍は各地で死にものぐるいのジバクマ軍から手痛い反撃を食らい、慌てて戦場補正の得られる有利な領域まで引き返す。
つまるところ、オルシネーヴァの戦果は開戦後の数週に挙げたものが全てで、以降、戦果と呼べる戦果は挙げられなかった。
ジバクマは圧倒的不利な状況からオルシネーヴァを押し返し、被害を最小限に食い止めたのである。
もしオルシネーヴァに肉を削がれてでも相手の骨を断つ覚悟がもう少しだけあったならば、ジバクマの領土を軽く倍は奪えていたはずなのだが、それはそれでゴルティアの虫のいい願いというものだろう。
ゴルティアほどではないながらも、ジバクマは大きな国だ。小国オルシネーヴァとの戦力差は歴然としている。
ゴルティアとの戦争で疲弊したジバクマが隙だらけの背中をオルシネーヴァにさらしていたからこそ、オルシネーヴァはジバクマの背に剣を撃ち、戦果を挙げられた。
振り返ったジバクマから反撃された場合、正直に立ち会わずに有利な場所まで引いて守るのは常道なのである。
ふいになった戦果はどうあれ、ジバクマとゴルティア、オルシネーヴァの戦争が膠着状態に陥ったことに変わりはない。再び事態が大きく動くには年の単位で時間がかかる。
長期戦の様相を呈してもゴルティアは焦らない。なにせ、待てば勝てる争いだ。
どれだけ強くともクフィアは老いたヒト種、遠からず防衛の要から外れる。クフィアの子、ジェダが育つまでは、まだまだ時間がかかる。
戦力の要が抜け落ちるのを待ってから、ゴルティアは悠々とジバクマを攻め落とせばいい。ジバクマを落としてしまえばマディオフ攻めが一気に易化する。待った分は後からいくらでも取り戻せる。
ゴルティアの長期戦略は視界良好と思われた。
暗雲は東天歴一一一二年、立夏の候になって立ち込める。
ジバクマ西部最大の都市ゲルドヴァに突如、その集団は現れた。
穏便にヒト社会に接触し、ワーカーパーティーを自称した正体不明のアンデッドら九体はしばらくの間、新来アンデッドらしからぬ慎ましやかな日々を送る。
だが、穏やかな暮らしは長く続かない。
“集団”は見えている火に自ら飛び入っては、それまで被っていた羊の皮を焼いて剥がし捨て、凶暴性の片鱗を顕にする。
牙の誇示を始めた“集団”に対し、当然ながらジバクマは国として対応に当たり、手探りで関係構築を図る。
ゴルティアもできることならその入札競争に加わりたいところなのだが、なにぶんにもヤマは大きくジバクマに潜入している工作員も独断では動くに動けない。工作員が本国へ指示を仰いでいる間に“集団”は姿を消してしまう。
消えた先がリレンコフ近郊のダンジョン毒壺であることが、そう長くはかからずに判明するものの、まさか工作員を毒壺内に送り込むわけにもいかず、地上で“集団”の過去を探る。
ゴルティア戦略部が真っ先に考えたのは“砂渡り”の可能性だ。南の世界から“砂”を越えて来たのであれば、突然の出現も腑に落ちる。ところが、南世界と情報を交換してもそれらしい話が全く出てこない。
情報の探し方が悪いのか、それとも本当に南世界と無関係な存在なのか判然としないまま、戦略部は“砂”の北、つまりは己の身の回りに“集団”の出自を求めて鼻を利かせる。
しかし、やはり核心的な情報には辿り着かない。
ゴルティアという国の特性上、調査できる範囲には限界がある。いかにも怪しい容疑者が身内にいても、容疑者を名指しして捜査できる権力と胆力のある者は、少なくともヴィングリング地方のヒト種の中にはひとりもいない。
越権行為云々の話を抜きにして、絶対的な力の強さで言っても西伐軍を率いるホーリエですら筆頭容疑者の捜査を公然とは命じられない。
表立って調べられないのであれば、自然、草は地下に走らせる。けれども、容疑を肯定する材料も否定する根拠もこれといって出てこない。
時だけが刻々と過ぎ、やがて“集団”がヒト世界に舞い戻る。
“集団”は、大氾濫の未然防止にしては不自然に長い、一年ちかい空白期間の後、ジバクマの地上に再臨した。
あたかも毒壺籠もりを証明するかのようにリレンコフの街で大商いした“集団”は、すぐさま西のゲルドヴァへ飛んで戦争に介入する。
それは、膠着していたオルシネーヴァとジバクマの戦争に大きな傾きが生じる直前だった。“集団”の再動がもう少し遅ければ、水は望ましい方角に流れていた。ゴルティアとオルシネーヴァが長年かけて完了を目前にしていた治水が水の泡となる。
“集団”は手始めに、レンベルク砦を偵察していたオルシネーヴァの中規模部隊を奇襲し、さらに奪った人命を偽りの生命に塗り替えて、潰走兵たちが逃げ帰った陣を夜襲する。
鮮烈では言葉の足りない、苛烈な初陣である。かつてクフィアがゴルティア軍に落とした雷とは別種の深い衝撃だ。
一部の者たちは早々に“集団”の性格を『残虐無比』と判断する。ところが、その判断は割と早く誤りと判明する。
“集団”にとって奇襲はほんの挨拶にすぎず、実力を誇示するものではなかった。
奇襲戦から二か月弱が経ってからの大会戦で、“集団”の実力が示される。
“集団”の放つ極大の土魔法は、軍団規模に達するオルシネーヴァ軍をたったの一撃で潰走させた。
夥しい死によってオルシネーヴァが正常な判断力を失う一方、ゴルティアは淡々と“集団”を再評価する。
破壊力の高さに、もはや疑いはない。“集団”の実力は本物だ。物理戦闘力はもちろん、大魔法にいたっては衰えたクフィアに肉薄する。しかしながら、圧巻の戦闘力に比し、“集団”が直接命を奪ったオルシネーヴァ兵の数は著しく少ない。
“集団”は、好き放題にオルシネーヴァ兵を殺してなどいない。むしろ、その逆で、示威行為として効率的な派手な殺し方を選ぶことで、終戦までの日数短縮と被害合計の最小化を図っていた。
“集団”主催の講和会議で結ばれた平和条約が、ゴルティアの解釈の正しさを何よりも証明している。
極めて高い戦闘力を有するが、ヒトの命には飢えていない。それが“集団”の端的な特徴だ。
では、“集団”の行いが過激色の強い平和運動かと言うと、それもまた違う。半端に深く物事を理解している者には、“集団”が実力行使を辞さない平和団体に見えてしまうかもしれない。
これは一種の目眩まし、あの“集団”なりの幻惑だ。
世界各国の裏事情を知るホーリエやクローシェに生半可な虚構は通用しない。“集団”が真に目的としているのは、『平和』ではなく『統一の妨害』にあると鋭く見抜く。
ゴルティアの理念がひとつ、多種族融和は良くも悪くも有名だ。
では、その理念が国内で実現できているか問われたとき、ゴルティア人は返答に窮する。
忌憚のない答えが許されるとして、視点次第、例えば、より多くの利益を得ている側からしてみれば、互いが互いを利用する共生関係が成立していると言えるかもしれない。
ところが、視点を変えてヒト種の側に立つと、ゴルティアの現状は理想から程遠い。
国土中央ヴィングリング地方に住むヒト種がゴルティアの東西南北に分布する多様な種族の橋渡しをできているかというとそんなことはなく、あちらからもこちらからも否応なく生き血を吸われているのが実情だ。
各貴族領からヒト種が得ているものは皆無とまでは言えないものの明らかに不平等で、目一杯見栄を張っても搾取の構図を相互受益と言い張り周辺諸国に納得させることは無理な域にある。
内情は酷くとも、ゴルティアが大国である事実に変わりはない。搾取の水準がそれ以上悪化しないのであれば、ヴィングリングは持続的に発展可能だ。
しかしながら、ヒトの夢と建国の理念を嘲笑う業と欲の深い者たちはヴィングリングの汗と努力の結晶を面白半分に摘み取り、握り潰す。
アウェルでは、そういった未来への障壁になる存在を指して底なしの沼の名で呼んでいる。
ギキサントはそのほとんどがヒト以外の種族で構成されている。ヒト種を見下す屈強かつ傲慢なそれらの種族は基本的にヴィングリング以外の土地に住んでいて、そこからヴィングリングや時に国外のかなり遠い場所まで泥を飛ばす。
沼から放たれただけあって、泥は往々にして邪なる強い力を有しており、ヒト種の歩みをあの手この手で妨げる。
此度、ジバクマに飛来した泥はヒト型吸血種であるドレーナのポーラと、おそらくはドレーナから転化したと思われるアンデッド八体から構成されていて、構成員の数だけで考えるならば決して規模は大きくない。
“集団”は平和を騙り、ジバクマに攻め入るオルシネーヴァを一蹴した。
確かにゴルティアとオルシネーヴァがジバクマに仕掛けた戦争は、ジバクマ側からすれば侵略戦争に他ならず、クローシェもそれを否定するつもりはない。
けれども、ゴルティアは単に国を滅ぼしてその土地固有の文化や文明を壊すことを目的としていない。
侵略というかたちを取ってでも壊したかったのは国境だ。今はどれだけ恨まれたとしても、未来を共に歩めるならばそれでいい。私利私欲ではなく正義のためにゴルティアという国は覇権を望んでいる。
“集団”は正義の前に立ちはだかり、妨害した。
暗渠の流れを知るクローシェにとっては極めて分かりやすい正義と悪の対立だというのに、ジバクマ人には流れも滞留も決して分からない。
例えるならば、ジバクマ人は新天地を求めて極寒の雪原を震えながら歩く流離いの民だった。元いた国は、ゴルティア人によって追い出された。
ただし、ゴルティア人は国を奪うためにジバクマ人を追い出したのではない。そのままそこにいてもジバクマ人は国と共に滅びるだけだ。やり方は乱暴でも、善意に基づき、ジバクマ人に重い腰を上げさせた。
ゴルティア人に背を叩かれて歩く雪原は寒く、暗く、ジバクマ人の心と体は次第に弱っていく。
悪い奴らは弱みに付け込む。
道筋不確かな雪原に立つのは件の“集団”だ。提げた灯火器からは見るからに不吉な光が放たれている。彼らは凍えて歩くジバクマ人を呼び止め、暖かな家の中へ招待する。
クローシェには分かる。
立ち止まってはいけない。話を聞いてはいけない。家に入ってはならない。振る舞われる食事に手を付けてはいけない。
ここで歩みを止めると新天地には辿り着けない。
嘘と真を巧みに混ぜ込んだ“集団”の口上に耳を傾けると正しい思考力が失われる。
食事には毒があり、暖かい家はすぐに幻となって消失する。
新天地は温暖な楽園ではないが、全てを凍らせ終らせてしまう雪原とは違い、暖を取るために必要な木が生えている。毒の混じらぬ恵みがある。幻の光ではない、現実の光明が差している。
たとえ一時しのぎだとしても、とにかく身体を温めたいジバクマ人は美しい笑顔を湛えるドレーナから手渡される杯を検めない。
よしんば検めて杯が骨で出来ていると気付いても、骨の杯で揺れる液体が身体を冒す毒と悟っても、寒さから逃れたい一心で熱い毒液を飲み干す。
“集団”の救済は虚偽りに他ならない。ジバクマ人も毒を飲む前までは薄々そのことを察していた。
けれども一旦、身体に毒を取り込んでしまうと、その幻覚作用で“集団”構成員の顔を髑髏と正しく視認できなくなる。身体は完全に壊れてしまうまで“集団”に命じられたままに動くだろう。
ゴルティアの思い虚しく、“集団”の暴挙によりジバクマ平定は著しく困難になった。
ゴルティア戦略部は対西方戦略を再び改める。後回しにしていたマディオフ攻略の繰り上げだ。
他の攻略例に負けず劣らず、マディオフ攻略もまた相当に時間をかけた大がかりなものだ。
大筋こそ上手くいっているものの犯した失敗は数知れない。
ネイゲル一家の調略失敗は、その最たる例だろう。




