第五三話 呪いへの道程 二
この場所において生命の危機に瀕しているのは最重傷者たるリディアだけだ。他の者は全て中等傷以下にすぎず、治療が多少遅れても生命存続に支障はない。
我々がラムサスやフルードら、自パーティー構成員を治療するのは当然として、マディオフ軍の中では急ぎ治療を必要としているリディアにだけ最小限の癒やしを施す。
あくまでも死を回避するための最小限、それ以上は行わない。
リディアの負傷は確かに派手な見た目をしている。しかし、重傷度だけなら、レンベルク砦や治癒院ウラスでこれ以上を私は何度も目にし、そして実際に治療を手掛けてきた。
治療後によほどひどい傷の膿み方でもしないかぎり、リディアが命を落とすことはない。
リディアは助かる。
私には確信がある。
しかし、毎度のことながら私の感情はひどく物分かりが悪い。私の心臓はバクバクとうるさいほど強く鼓動を打ち、どれだけ治療が順調に進んでも一向におさまる気配がない。
腹から内臓を垂らして暴れるリディアの姿が目に焼き付いて消えないせいだ。
今生で最も衝撃的な光景だった。
これでもしも倒れたのがリディアではなくエルザだったなら、私は鎮静魔法をかけてもらっても、かけられたそばから恐慌状態に陥り、まともに回復魔法を行使できなかったことだろう。
リディアとエルザの前衛、後衛としての適性や配置が逆でなくてよかったと心から思う。
我々が恐慌一歩手前で、しかも尋常ならざる急ぎ方で治療にあたっていると知らぬ鎮圧部隊の人員らは、軍人らしい迂遠な前口上をベラベラと喋っては横柄な口調で我々が属する組織やら部署やら行動目的やら名前やら、どうでもいいことを問うてくる。
律儀に答えてやる気は毛頭ない。
「極秘行動中につき、いかなる問いにも答えられない」
私に冷ややかに拒絶されても軍人たちは案外と怒り出さず、なにかしら情報を引き出そうと新たな問いを思いついてはこちらへ投げかけてくる。
答えるに値する質問が一向に投げかけられない一方で、逆に私から彼らに尋ねたいことや言っておきたいことは山ほどある。
たとえ王の手駒に過ぎない鎮圧部隊といえども、我々にとって有益な情報のひとつや二つは持っているだろう。
しかし、今は悠長に情報収集をしている時間がない。
無益な質問の一切を無視し、今、我々と彼らにとって本当に必要な情報と指示を与える。
マディオフ軍はゴブリンを退治する部隊と我々を追跡する部隊の二手に分かれた。
その二つの部隊を再統合し、負傷者の治療を簡単に済ませて可及的速やかに本陣に引き上げるべし。
理非の分からぬユニティの手勢が西から迫っている。
虚飾を排し要点だけ押さえた簡潔な指示を与えられても、軍人たちはキョトンとするばかりで直ちに行動を開始しない。
民間人ならいざしらず、軍人でこの動き出しの遅さは度し難い。
激しい苛立ちを覚えるものの、怒ってみせたところで得られるものはなにもない。
リディアの治療にもいい加減、見切りをつける。
必要最小限のはずが、救命率向上と完治後の身体機能保全のために予定よりずっと丁寧に治療してしまった。あの損傷も治しておきたい、この汚染創も清浄化しておきたい、とバカ丁寧にやっていては、いつまで経っても治療が終わらない。
我々は、呆気にとられるばかりの軍人たちをその場に置いて西を目指す。
時間をかけ心と言葉を尽くして説明しても、所詮彼らは軍人、しかも王族の呪いの被術者たちだ。
迫りくる危機を危機と認識したらしたで、再び王族の呪いの強制力によって命を顧みない戦い方を始めるやもしれぬ。
指示に従うどころか、こちらの静止を求めて大声を発するマディオフ軍人たちは、ロギシーンの防衛線を突破した際に我々を呼び止めようとしていたユニティ構成員たちの姿と重なるものがあった。
◇◇
マディオフ軍と別れた我々は林の外を目指して西北西へ駆ける。
ゴブリンの足跡は無数にあれど、生きたゴブリンは見かけない。鎮圧部隊が波を堰き止めるのを止めれば、いずれここは大量のゴブリンで溢れかえるだろう。
未明はもはや過ぎ、夜明けがもうすぐそこだ。
鎮圧部隊の力闘のおかげでここはフィールドながらに平時よりずっと安全な場所と化している。鎮圧部隊が撤退すれば失われる仮初めの平和が支配する林は、そこはかとなく不気味だ。
無数の足跡とそれに矛盾した静けさという特殊な組み合わせが、疲れた身体に錯覚と妄想を引き起こす。
我々は、この林の中でもう何日間もグルグルと同じ場所を彷徨っている。存在しない出口を探し、不安と焦燥に苦しみながら永久に走り続けなければならない。
それが妄想であると理性で分かっていても感情は平静を取り戻さない。
心の病を患う者が幻聴を幻聴と分かっていても狼狽し、恐怖し、疲弊してますます心病んでいくのと構図としては同じだ。
だが、終わりのない心の迷宮とは違い、現実の林は終端が近い。
それに、同じ場所をグルグル回っているのなら鎮圧部隊の気配をどこかに感じるはずだ。ところが集中して気配を探っても鎮圧部隊の存在はどこにも感じられない。
我々は道に迷ってなどいない。間違いなくひとつの方角に向かって進んでいる。
それが未来に向けての前進になっているという確信までは持てないが、後退でも足踏みでもないと信じて進むしか道はない。
私の心の迷いを知ってか知らずか、ラムサスが静かに言葉を発する。
「このまま行っても悲惨な未来しか待っていない」
なんたることか。情報魔法使いは、迷宮を脱出しても希望がないと言う。
「そんなことは……ないと思っています」
歯切れの悪い私の返答に、そうでなくとも居心地悪そうに身体をモゾモゾとさせていたラムサスが、より一層の不快感を表情に出す。
鎮圧部隊から負わされた背中の傷は治してある。痛みはないはずだ。しかし、違和感ぐらいは残っていてもおかしくない。応急修理した装備の隙間から入り込む冷気も気に障っているかもしれない。
しかし、どちらも修飾因子に過ぎない。ラムサスを不快にする主要因子は全く別にある。
「見え透いた嘘をつく。あなたも本当は分かっている」
「私がサナと同じ未来を予想しているとは限りません。仮によく似た未来を見ていたとしても、あなたにとっての『悲惨』が私にとっても『悲惨』だとは思わないことです」
ラムサスは俯き呟く。
「ノエルにとって悲惨だから言っている」
私は王族の呪いの効果から逃れるためにマディオフ軍に対して『民の命を守る』と声高に主張した。
あれは根っからの嘘ではないが、では丸きり本心かと言うと、それもまた違う。
ウラス地下で何度となく議論を戦わせてきたのだ。ラムサスは、仮に情報魔法使いでなかったとしても、どういった事情といかなる心持ちで私がああ言ったのか、よく理解できていて然るべきだ。
ところがラムサスは本気で勘違いしている。私が、心から民の安全と安寧を願っている、と。
理解の誤りは、ヒートロッドをリディアに伸ばした時も生じていた。
召喚主が負傷すると、小妖精は動作不良を起こすのだろうか。
可能性としては否定できない。しかし、あくまでも無数の可能性のひとつでしかない。
他に考えられるとすれば……。
「今からでも引き返して、撤退する鎮圧部隊の殿軍を担うよう勧める」
代案を進言するラムサスは懇願するような目をしていた。
「マディオフ軍と共闘できればヴェレパスムがあってもクローシェを楽に倒せる」
ラムサスの代案は自パーティー、マディオフ軍、ユニティ三方の総被害減少を主目的としている。
しかし、そこには大きな見落としがいくつもある。
ラムサスの大局観は私とは比べられないほど素晴らしいのだが、局所的な戦闘勘や戦闘結果から派生しうる短期的事象の想定が甘い。
「鎮圧部隊とは目的を共有していません。それに王族の呪いは決して解けたわけではないのです。不安定極まりない鎮圧部隊との共闘など考えられません」
マディオフ軍との共闘が私にとって望ましくない未来を引き寄せてしまうのは事実だが、私がラムサスに述べたのは共闘拒否の主たる理由ではない。
主たる理由は簡単だ。私はエルザをできるだけ危険に曝したくない。軍人である以上、常に危険と隣り合わせだとしても、王族の呪いは、直面させていい危険では断じてない。
クローシェは我々を絶対の敵と見做し殲滅に拘る戦い方をする一方、マディオフ軍に対しては手ぬるい戦い方しかしていない。
考えやすい理由は大きく二つ。
ひとつは、マディオフ軍の兵士たちを、将来的なユニティやゴルティアの手駒と考えているから。これは一応、ゴルティアの表面的な国家理念と矛盾しない。
もうひとつは、王族の呪いの効果発動条件回避を意識しているから。王族の呪いをゴルティアが知り尽くしているならば、これは当たり前のことだ。
ところが、我々がマディオフ軍と共闘をした場合、クローシェは我々だけでなくマディオフ軍も本気で殲滅しようとする可能性が高い。
ユニティとマディオフ軍との血で血を洗う殺し合いの始まり、それは即ち王族の呪いの効果発動を意味する。
これは絶対に避けなければならない事態であり、だからこそ我々はマディオフ軍と共闘できない。
エルザのためであれば、私はいくらでも危険を冒そう。
共闘を拒絶する私の真意を理解したのだろう。ラムサスが首を横に振る。
彼女の呆れ顔は、情報魔法使い相手に薄っぺらな言い訳を垂れて本音を隠す行為の愚かさをよく表している。
「妹さんが最優先なのは理解している。それでも私は両方をなんとかしたい。それがノエルのためでもあると信じている」
ラムサスはどうあってもロギシーンの全員を救いたいらしい。しかも私までそう願っていると思い込んでいる。
私は確かになるべく人死を減らして事を進めようと考えていた。しかし、それは私のためであって私のためではない。
ラムサスのためだ。
ラムサスがそいつらを助けたいと願ったから、私も可能な範囲で助けようと試みた。それだけだ。
ラムサスが節操なしの慈悲の心を持っていなければ、そいつらがロギシーン奪還の過程で死のうが生きようがどうだってよかった。
助からなくても別にいいし、助かったら助かったでよりいい。簡潔かつ俗に言うならば、微妙な願いだ。
こういう嘘とも真とも言い切れないものを情報魔法や情報系の魔道具は正確に判定できない。私は経験上、そう知っている。だからこそ王族の呪いを出し抜けると判断した。あの呪いは、思った以上に発動条件が限定されている。
ああ、今はそんなことなどどうでもいい。
なにもかもがくだらなく思えてきた。
さっさと戦って、とっとと殺して、一刻も早く休みたい。
思えば私はロギシーンに来てからというもの、重要な課題をひとつも片付けられていない。
申し訳程度に情報を得たのが精々で、課題にしろ問題にしろ謎にしろ、どれもこれも減るどころか増える一方だ。
次の面倒を落着させ、そのまた次も落着させられたら、無数の問題はしばらく忘れて休もう。
しばらくなにも考えずに眠り、眠って眠って十分に眠りを貪って、目が覚めてからまた考えるとしよう。
……。
……考える?
なにを?
あろうことか、私は今の今まで考えていたことがなんなのか忘れてしまった。
ラムサスの最期の迎えさせ方だっただろうか。
ラムサスに関連したことだったとは思うのだが、具体的には思い出せない。
それがなんにせよ、貴重な時間を費やして考えるべきことでないのは確かだ。
限られたこの時間に考えるべきはユニティ殲滅法、ひいてはヴェレパスム対処法だ。
なにせ、つい先刻、敗れたばかりの相手に先刻よりもずっと悪い状態で再戦を挑もうとしているのだ。考えるまでもなく無謀な、挑戦と呼ぶのもおこがましい暴走だ。
私の愚かさなど今に始まった話ではない。賢い判断をしたことのほうが稀だ。
何度も愚を犯し、数え切れないほど後悔してきた。
真の愚か者は、賢い者から間違いを教えてもらっても、それでもなお正しい道に戻れない。戻ろうともしない。
手足をよく見てみよ。惨憺たる有様だ。
永遠に回復不能かと思われたヴェレパスムによる聖光症は、どうにかこうにか自動再生が始まった。しかしながら、再生速度はかつてなく遅い。
手足個々の魔力残量は、枯渇寸前とまではいかないものの全体に消耗が目立つ。特にウリトラスはひどい。当分、魔法は使わせないつもりだったというのに、対鎮圧部隊戦では結局何度か魔法を使わせてしまった。鎮圧部隊は私の大甘な目論見を許してくれない精強な部隊だった。魔力消耗に関してはラムサスも相当に著しい。
体力のほうは、私とフルードがかなり疲労している。“王成り”の影響か、クルーヴァはまだ余力がある。
装備の修理もしたい。防具が防具として性能を発揮したからこそシーワはリディアの猛攻を耐えられた。ラムサスは背後からの一撃で命を落とさずに済んだ。どんな良い防具でも状態が万全でなくては本来の防御性能を発揮できない。
アンデッド中心のパーティーながら、手足全てが瀕死と言っても過言ではない。
それでも私は退かない。そんな選択はない。
もし私が行く手を阻まなければ、我々以上にボロボロの鎮圧部隊にユニティが襲いかかってしまう。
我々がその場にいなければ、ユニティはマディオフ軍の命を極力奪わない戦い方をするだろう。
しかし、その場合、エルザはユニティに捕らえられる。クローシェは捕虜としたエルザに喜んで“治療”を行うはずだ。
王族の呪いを解くだけならいい。むしろ解け。
しかし、洗脳は断じて許可しない。
解呪そのものは必ずやらせるにせよ、私の目が届かない場所での“治療”は決して許さない。
クローシェに“治療”させるのは心身万全な私の真ん前で。
それが絶対条件だ。
だから、この場でユニティを確実に打ち破る。手足が創痍にまみれていようと、魔力が欠乏寸前だろうと、体力の限界だろうと、頭が冴えなかろうと関係ない。
追い込まれて初めて理解に至った。
ロギシーンという局地で物事を考えたとき、私にとって真の敵……絶対の敵とはなにか。
ユニティも、ユニティとロギシーンを背負って立つアッシュも、ユニティの中に活路を求める亡国の残骸も、繁殖するゴブリンも、再臨したシェイプシフターも、蘇るドラゴンも、はてや不吉に光るあの天体も、全ては相対の敵にすぎない。
敵味方関係は容易に、しかも時に劇的に変化する。
情勢が変わっても、新たな“真実”に触れても変わらぬ絶対の敵、それはただひとつ、クローシェ・フランシスだ。
この鈍感なアールの肉体でも、傀儡を通して初めて見るクローシェに対して強く抱くものがあった。
思いが今になって確信に変わる。
奴とは決して相容れない。
これと似た感情を私は何度も味わった。
王都を訪れたばかりの私にエヴァが説教を垂れて正体の片鱗を晒した時。
ラムサスが利他の心に基づく発言をして私を苛立たせた時。
そして……。
そしてなんだ。
私はその先を知っている。
知っているはずなのに思い出せない。言葉にならない。
また「前」の記憶だ。
ええい、思い出せないものはどうでもいい。
私を不快にするありとあらゆるものをかき集めて捏ね上げれば、それがクローシェ・フランシスになる。
私が掲げた多数の目標を達成するにあたり、奴の存在は必ず障害になる。
ウリトラスの孵化させたドラゴンに始まり、有事が立て続けに発生している。そして、その悪しき流れは未だとどまるところを知らない。この先、待てば待つほど状況は悪化する。
クローシェは、いずれは倒さなければならない相手だ。今、倒せずして、いつなら倒せる。
先延ばしの理由探しなど不要だ。
守るべきエルザが後ろにいて、敵のほうから私の下へ来てくれている。ならば、私はそれを撃つ。
交戦が不可避とはいえ、ユニティ戦闘員の無意味な死を大きく減らす穏便なやり様はいくらでもあった。しかし、多様にあったはずの手はクローシェによってことごとく潰された。
その典型がヴェレパスムだ。
あれがあるかぎり、私は対ユニティ戦においてノスタルジアを使えない。
両腕だけでなく全身がアンデッド化した状態で聖光に曝されてみろ。先の露光時以上に思考が痛みに占拠され、手足は全く制御不能になり、戦うどころではなくなる。
私はノスタルジアを使わずにこの劣悪な体調のままでユニティと再戦し、打ち倒さなければならない。
多様の手が消えて私の選択肢は絞られた。かえって迷わずに済むというものだ。
エルザは守る。王族の呪いはなんとしてでもクローシェに解かせる。もちろん洗脳はさせない。
取捨選択さえきちんとすれば、優先度が極めて高いものはたったこれだけだ。
他はどうなろうと構わない。
私は何度も間違い、何度も失敗してきた。
しかし、優先順位は間違えない。
だから……すまないな、ラムサス。
私の選択によりラムサスはまた数段、不幸の階段を駆け足で下ることになる。
死の直前まで……私が殺すその瞬間までラムサスにはできるだけ幸福でいてもらいたい。私は心からそう思っている。
ところが現実はどうだ。
ひとり異国に来たラムサスの傍に恋人はいない、同性の友人はいない、父親代わりの上官はいない、愛する弟にも会えない。いるのは操られた異国人と、これまた操られたブルーウォーウルフだ。
好きな物を好き勝手に食べることも、気晴らしに街へ繰り出すことも、欲しい物を買うことも、きれいに着飾ることも、趣味に興じることも、家族や恋人と語らって穏やかな時間を過ごすことも、なにもできない。
そして今これから、助けたいと願った相手が私の手にかかって死体になる様をその目で見ることになる。
たとえ罪悪感を拭うためだとしても、私はラムサスの幸福を願っている。だが、現実には私はラムサスを不幸にしかしていない。
……ああ、あれこれと考えていられるのは、もはやこれまでのようだ。
入ったばかりの林を出て駆けるうちに、ユニティはもう魔法の射程限界すぐそばまで迫っていた。
ここは身を隠しようのない雪原。当然ながら、向こうも我々を認識している。
鎮圧部隊と交戦する前のように間抜けな停戦提案はしない。そんな段階はとうに過ぎ去った。
目標の隊形を十分に見てから、与える損害の効率最大化に重点を置いて魔法を構築する。魔力残量が余裕たっぷりであれば効率は意識せずに損害絶対量の最大化を目指すところだが、今は魔力効率を無視できない。
ポジェムニバダンが我々の魔法構築に反応を見せる。
小妖精からなんらかの情報を得た召喚主が言う。
「ノエル、今ならまだ間に合う。どうか考え直して」
今更な発言だ。代案を出してこない以上、より大きな実利を得られる策が他に無いとラムサスも認めているようなものだ。
それでも念の為、聞いておく。
「別の妙手があるなら再考します」
「……ごめんなさい。私がもっと賢かったら、こんな展開にはならなかった」
私にラムサスを責めるつもりはこれっぽっちもない。
ラムサスは私の期待の何倍もよくやってくれている。
だから、感じる必要のない責任を感じて苦しむな。
「あなたは軍略コンサルタントとして申し分ない提案をしてくれています。全ては我々が決断し、我々が行うことです。過剰な責任を感じる必要はありません。問題の根本はあなたにではなく、我々の歪なパーティー構成にあるのです。生きた手足の割合をもっと多くしておけば、聖属性攻撃にここまで苦労しませんでした」
異端者に借りを返すと決めた時点で、いずれ聖属性攻撃に曝されるのが目に見えていた。私がクルーヴァを手足に加えた理由の数割が修道士や聖光への対策だ。
話で聞いたゴブリンキング相当の強さに達しても“王成り”しないクルーヴァを処分しようか考えた時期があったが、結論は下せずに保留とした。
私の捨てられない性格が珍しく良い結果を生んだ。悪い結果と解釈できなくもないが、クローシェの頭の悪さからして私の選択如何によらず衝突は不可避だった。
それにしても、高性能の魔道具があれほどの脅威になるとは……。
浄罪対策はそこそこできていたつもりでいながら、実際はまるで不十分だった。見識も想像力も欠けていた。私には足りないものだらけだ。
聖光源となるのは魔道具ばかりではない。この先、ミスリルクラス相当の戦闘力を有する修道士と相まみえる可能性は十分にある。
対アンデッドに特化していない、ただの軍人にすぎないレヴィ・グレファスやリディア・カーター相手に我々はあれほど苦戦した。一流の修道士に出てこられでもしたら、力で立ち向かうのは事実上、不可能だ。リディアやレヴィに匹敵する魔力を持つ修道士を見かけたら、一目散に逃走しなければならない。
ただし、逃げを良しとしていいのは、この難所を越えた、もう少し未来の話だ。
「さて、反省会はここまでです。嘆くのも悔やむのも、全ては生き残ってからにしましょう。久方ぶりのヒト狩りの時間ですよ」
構築がすっかりと完了し、発射の時を今か今かと待ちわびていたファイアーボールを戦いの嚆矢代わりに放つ。嚆矢と違って大きな音は出ないが、仄暗い夜明けの空に浮かぶ火球は、戦闘開始の合図として申し分ない。
ファイアーボールの作る明るい軌跡を眺めながら静かに思う。
私の攻撃魔法は遠くまでよく飛ぶ。飛距離が自慢なのはベネリカッターだけではない。他の攻撃魔法もかなり遠くまで飛ばせる。
イオスやエルザら、魔法の達人たちの射程限界は把握していないが、多分私は負けていない。
大学の長期休暇に長射程を追究する魅力に気付いて以降、射程延長は私の趣味のひとつになった。
レンベルク砦での対オルシネーヴァ軍戦然り、ヴェギエリ砦での対ゴルティア軍戦然り、こうやって射程目一杯の距離から放てば、誰もこちらへ対抗射撃してこない。仮にしたとしても、こちらまで届かない。届くとすれば風魔法か、射流し名人の矢数条が精々だろう。
これも今更だが、魔法の飛距離や照準も私の長所だ。案外、探せば長所のひとつ二つは見つかるものだ。
では、その長射程を活かした遠撃ちで面白いように命を刈り取れるかというと、それはまた話が別だ。
砦や要塞のように動かない目標に撃つなり、射撃地点を林の中に置いて標的に気付かれていない状態で撃つなり、機動力の低い規模の大きな部隊に撃つなりの工夫を常にしないと、照準がどれだけ正確でも高い成果は挙げられない。
狩りの開始を告げるファイアーボールを見るや否や、ユニティの部隊は一斉に散開する。
指揮官の号令を待って動いたにしては早すぎる。遠距離から魔法を撃たれた際の動きを奴らはあらかじめ決めていたらしい。
回避行動を取られることはもちろん想定していたため、ファイアーボールには一発一発違う軌道変化をつけておいたが、残念ながらその捻りはどれも功を奏さず、全弾が戦闘員のいない雪面に着弾して虚しく炸裂する。
ユニティ戦闘員たちは子弾のばら撒かれていない安全な雪上を選んで少々の迂回をしつつ、引き続きこちらを目指す。
「贅沢な布石の打ち方をする」
ラムサスは皮肉めいて私の魔法を評した。
「贅沢? 我々に余裕はありません。これは効率を追求した末の選択です」
布石にも、効率を度外視し、万一の場合を見据えて打つものと、効率を徹底的に追求して打つものがある。このファイアーボールは完全に効率重視の魔法だ。
仕掛けた罠に相手が近づいていく時間というのは、成功への期待と失敗に終わることへの恐怖、両者の併存した身悶えするほど切ない感覚を味わえる。
ユニティには馬に跨った戦闘員が数えるほどしかいない。鎧を装備したヒトが雪の上を走る速度は騎馬よりもずっと遅い。それでも歩みを止めない以上、ユニティと我々、彼我の距離は着々と狭まる。
我々は次のファイアーボールをたっぷりと時間をかけて構築し、完成からひと呼吸の間を置いて一斉に魔法を放つ。
第二射もまた全てが外れる。
ユニティ戦闘員たちは飛来するファイアーボールの弾道から着弾点を正確に予測し、被害を完璧に免れた。
炸裂して生じる大量の子弾に誰ひとりとして掠りすらしない、完璧な回避だ。
「それなりに人数の多い部隊が全員華麗に魔法を避ける様は、示威行進に通じる独特な見応えがありますね。ふふふ」
優等生だけで部隊を組む、というのは賢いやり方のようでいて、時に意外な危うさを生み出す。
ドメスカロジツェの例で分かるように、ユニティ側には高度な情報魔法の使い手がいない。
勘や戦闘経験、慧眼で、はたしてどれだけの戦闘員が私の魔法のねらいに気付くものか。
気付いたとしても、地力が無ければそうは防げない。
いずれにしても見ものだ。
「サナ、何個か任せますよ」
この情報魔法使いは私から長々と説明されずとも、続けて外れた魔法がなにを意図したものか分かっている。
ごく簡潔に要求を伝え、三度目となるファイアーボールを斉射する。
魔法が傀儡たちの手を離れた瞬間に私は気付く。
クローシェが連れてきたのはユニティの戦闘員ばかりではない。相当数の衛兵が混ざっている。
街中の治安維持部隊として警邏に当たっていた連中や防衛線を担当していたロギシーン出身者、要は、あの中に少なくない数の純マディオフ人がいる。
パーティーにウリトラスのいる我々が彼ら純マディオフ人を死に至らしめるのは本来かなり拙いのだが、この際だ。やむを得まい。それに、魔法は既に放ってしまった。
どれだけ崇高な文句を謳おうが、ユニティは反乱軍なのだ。その反乱軍に与している以上、彼らも同罪だ。精々自らの判断を悔いて元ロレアル人と共に死ぬがいい。
第一射や第二射に比べてかなり低い弾道で放ったファイアーボールが目標に接近する。
ずんぐりとした大柄の火球群の後を小さな土魔法たちが追いかける。見た目は小さくとも魔力密度は大きい。外形、弾道、弾速、照準、魔力密度、全てが高水準に整っていなければ用をなさない、楔子と呼んで差し支えない重要な魔法だ。
楔子の魔法群のうち一発は、ラムサスが撃った水魔法だ。
ラムサスは私の意見に賛同していないにもかかわらず、私のねらいに則した魔法を放ってくれた。しかも、精度も申し分ない。
複数の土魔法とひとつの水魔法が火魔法を追いかけ、追いつき、そして斜めに衝突する。
「さあ、爆ぜろ」
紡錘形をした土と水の鋭い先端が、緊満した火球たちの尻を突付いた瞬間、火球たちは待っていましたとばかりに炸裂する。
ウリトラスの焼夷集束弾を小細工で模した手動の空中炸裂弾が大量の子弾となって鋭角にユニティの部隊に突き刺さる。
無駄撃ちに終わった第一射と第二射の残像が目に焼き付いていたユニティ勢は地上で弾ける面制圧ではなく空中から降り注ぐ面制圧にまるで反応できない。
嚆矢にも幻惑にも終わらない、破壊と殺傷を目的として放たれたファイアーボールの子弾が前二射の鬱憤を晴らすかのごとくユニティ戦闘員たちに直撃する。
私が自分で炸裂させたファイアーボールはもちろん、ラムサスに任せた一発もほんの少し遅れて炸裂し、まずまずの範囲に散らばって標的に命中している。
さすがは精鋭たちだけあって、命中、即、致命傷とはならず、全身を闘衣で覆い火の侵略に耐えている。
しかし、耐えるのが精一杯で動作は著しく緩慢だ。
燃えるノロマたちに追撃としてクレイスパイクを放つと、大半の者は対応できずに身体に直撃させる。
土のダメージによって闘衣は不安定となり、身体にまとわりついた炎がその隙を逃さず即座に肉を焼き焦がして更にダメージを上積みしていく。
子弾の命中率はまずまず期待どおりながら、撃破率は期待を大きく下回っている。倒したのはいずれもクレイスパイクの追撃が命中した者で、ファイアーボールの子弾だけで倒れた者は誰もいない。
エルザの魔法相手に生き残っている連中だ。火属性に対して高い耐性を備えている。私程度の火魔法では決定打にならない。
それでも遠距離攻撃でもう少し頭数を減らしておきたい。
距離を維持するため、我々は魔法を撃ちつつ後退する。
疑似焼夷集束弾をこれ以上放っても効果は薄い。
見るに、ユニティは防御魔法を展開する素振りがない。ならば、小細工はやめて普通に攻撃魔法を放つのが殺傷効率上、好ましい。
相手方の反応を窺いながら弾速重視のクレイスパイクをばら撒く。
最小動作で避ける者、鮮やかに斬り払う者に繰り返し同じ魔法を撃つのは魔力の無駄遣いだ。
ほんの少しでも対応に苦慮している者を見つければ、その者へ魔法を集中させる。
全部倒そうと欲張って誰も倒せずに終わるのが最悪だ。
距離があるうち、少しでも倒せるうちに減らせる分を確実に減らしておく。
ユニティ側の総数は決して多くない。
対鎮圧部隊戦と同じで、焦りや恐怖により私が勝手に実数以上に多く錯覚しているだけだ。
ここでひとつでも二つでも数を減らしておけば、後が必ず楽になる。
厳しい現実に直面して折れそうになる自分の心にそう言って励ます。
向こうも我々からやられているばかりではない。
反撃のアイススピアーが複数本こちらへ飛来する。
相手の魔法軌道を逸らすべく、ラムサスが風魔法を放つ。
けれども魔法完成度の差は歴然であり、アイススピアーはガストを物ともせずに接近する。
迫りくるアイススピアーへの対応を瞬時に考える。
剣で斬り払うか?
いや、それは悪手だ。
ガストを弾く直進性の高さからするに、あのアイススピアーには魔力量からは単純に推し量れないなんらかの工夫が施されている。それに魔力密度もかなり大きい。
イチイチ剣で対応していてはこちらの魔力消費がバカにならない。
アンデッドの手足はいくら動かしても疲れない。魔力節約のためにも、積極的に手足を動かせ。
着弾予想地点から広めに距離を取って避ける。
天敵生物に襲撃され隠れ場所から大慌てで脱出する虫のような、華麗さとは無縁の避け方だ。
無様ながらも無事、回避に成功すると、ラムサスが悪態をつく。
「またあの水魔法使い!」
ラムサスの言うとおり、アイススピアーを撃った術者はおそらくロギシーンの街中で私に滅びを覚悟させる一撃を放った者と同一人物だろう。
「ユニティはケイドまで引き込んでいる。この求心力……本当に侮れない」
ラムサスが言った『ケイド』という名で思い当たるのは唯ひとり、ロギシーン生え抜きのチタンクラスのハンターだ。
ところが、アイススピアーの術者はハンター装備ではなく、上から下まで衛兵と同系の装備に身を包んでいる。
……ああ、そうか。ケイドはハンターから衛兵に転身したのか。
衛兵団がどれだけ厚遇でケイドを登用したとしても、ハンター時に比べて収入は確実に桁落ちとなる。金銭的には見るべきところのない変わり身だ。
それでもケイドが衛兵になった理由など、魔法指南役という安全と安定が保証された身分くらいしか思いつかない。
大学教授になったイオスもケイドと似たような転身をしている。
安全を求めて定職に就いておきながら、こうやって危険な場所に飛び込んでくるのだから、イオスにしてもケイドにしても、水魔法使いの人生指針は理解しかねる。
それにしても、マディオフの実力者をジバクマ人に先に言い当てられるとは立つ瀬がない。私はいつの間にやらラムサスに頼りすぎて色々な能力が低下している気がする。
「ああ……あの水魔法使いはケイドでしたか。魔法の実力が確かでも、残念ながら“終末”の恐怖を煽るゴルティアの手口にまんまと嵌められた模様です。情報力にしろ洞察力にしろ思考力にしろ、いずれも弱さは罪、罪、罪――」
「なにをブツブツと……」
統合性に欠けた思考の一部がケイドの現状と嘆かわしい普遍の真理について言及する一方で、また別の思考が遠距離戦の処理を担って攻防を進める。
距離が詰まるにつれてケイド以外にも遠距離攻撃を放つ者が増えていき、応酬は激しさを増していく。
ケイドがこちらへ魔法を撃ち始めたあたりから、我々の魔法が標的を撃ち倒す数は激減している。今となっては撃てども撃てども誰も倒れてくれない。
それもそのはず、回避力や防御力に劣る者は既にあらかた倒し終わっている。
今なお戦場に立っている者たちは、魔力残量を気にした生半可な魔法では何発撃とうと到底倒せない。
最終的にはこいつらも処理するにせよ、ここで闇雲に魔法を撃ち魔力を消耗しては後がなくなる。
この戦いがどういう展開になったとしても最後は近接戦が決め手になる。私はそう考えている……のだが、ユニティは中程度の距離を保って遠距離攻撃を放つばかりで白兵戦の間合いにはなぜか入り込んでこない。
おかしい。
そういえば私の敵は……クローシェ・フランシスはどこにいる。近接戦闘特化のクローシェが、なぜ先頭に立ってこちらへ切り込んでこない。
にわかに湧き立った不安が私に戦場全体を俯瞰させる。
ユニティの手勢は歩きが主で騎馬はごく少数だ。
クローシェと思しき奴は、その数少ない馬に乗っている。
ミレイリらしき人物はクローシェの騎馬からやや離れた場所、我々の進行方向からすると右の位置にいる。
我々が最も警戒すべきクローシェとミレイリ、重要標的二つの位置は把握できた……が、それでもなぜか不安が収まらない。むしろ不安はさらに強くなっている。
「クローシェはどうしてまだヴェレパスムを使わない。この距離ならもう魔道具を起動させてもよさそうなのに」
ユニティの動きを不審に思っているのはラムサスも同様だった。
「それは多分……」
魔法で一網打尽にされるのを恐れてか、ユニティはかなり広く部隊を展開している。
ケイドを含む部隊は我々の左側方へ回り、それとはまた別のミレイリを含む部隊が我々の右側方に回り込み、またさらに別の騎馬部隊が我々の前方へ回り込もうとしている。つまり、彼らは我々を包囲しようとしている。
包囲と言ってもユニティの手勢は総数からしてそこまで多くない。それゆえ、両側方や前方に回り込んだ部隊には厚みがまるでない。これほど薄くては、たとえ相手が我々でなかったとしても包囲としての効果はさほど高くない。
四方に展開するユニティの部隊と我々との距離はいずれもそれなりだ。これくらいの距離を維持していれば、ヴェレパスムが起動しても我々は聖光で大きなダメージを負わない。
クローシェは包囲が完成してからヴェレパスムを起動し、聖光の力を借りて一気にこちらを殲滅する気だ。しかし、それだけでは包囲の理由としては弱い。
「包囲の完成を待っているのでしょう。部隊の配置はもう完了間近です」
「なら、早く手を打たないと!」
相手が思惑ある行動を取っているときに座視すべきでないという意見には同意するが、考えなしに手を出すのも褒められたものではないだろう。
ならば考えろ。この薄っぺらな包囲の目的はなんだ。
ユニティは簡易魔法陣でも組もうとしているのか。
封印術というのは侮れない。なにせ、超一流ともなるとドラゴンの強個体を閉じ込められるのだから。
しかし、殲滅に少々コツの要るドメスカをユニティは逃がすばかりだった。封印術を試したという話は聞いていない。
敢えて奥の手として取っておいたという線もあるが、しっくりこない。
……。
ダメだ、分からない。
たとえ分からなくとも、妨害行動のひとつくらいはやっておこう。
根拠のない勘としては、包囲そのものには純粋な意味が無いように思う。
あれはおそらく包囲の体裁を借りたなんらかの囮だ。距離を詰めて小妖精の能力圏に入りこめば、なにを目的とした囮なのか看破できるかもしれない。
だが、戦闘において小妖精頼みの作戦を採るのは考えものだ。
小妖精が戦闘時に幾度となく役立っている、という厳然たる事実はあるが、ラムサスはつい先程もヒートロッドの意味を読み違えた。
あてにしすぎるのは賢明とは言えない。結果的に役に立った、くらいが丁度いい。
距離を詰めるのは大きな賭けだ。距離を保ったまま魔法で打ち倒すのが安全だろう。
さて、では、四つに分かれた部隊のどれを狙うか。
クローシェ率いる、我々を真後ろから追いかけてくる部隊が最も厚い。こればかりは易易と破れない。
選ぶとすれば、破ってくれと言わんばかりに薄い残りの三方だ。
左のケイドか、右のミレイリか、それとも我々の後退方向に先回りすべくかなり速く駆けている騎馬部隊か。
……。
よし、決めた。
「では、ケイドがいる部隊を優先して倒しましょう」
「その心は?」
「後に回すと、ケイドが最も面倒の素になりそうだからです」
ヴェレパスムが起動したら我々は奴らと近接戦闘することになる。その時になってからいざケイドを倒そうと思ってもケイドは後衛、かなり難しい。
しかも、ケイドは現状、抑止力として最も我々を困らせてくれている。だから今のうちになんとかする。
魔法使いを魔法で倒そうとするのは魔力消費を考えるとやや非効率ではあるが、せっかく保っている距離を自ら捨てることを思えば、まだ容認できる。
決意を固め、ケイドがいる左側方の部隊に魔法を集中させる。
ラムサスは、私からクドクドと説明されずとも、ケイドに向かって魔法を放つ。
ああ、そうきたか……。
ラムサスは水魔法も風魔法も急成長を遂げているが、それでもまだ水魔法使いとしての完成度はケイドに及ばない。
向こうにその気になられると迎撃されてしまう水魔法を撃つのではなく、ケイド以外の残り三方向からこちらへ撃ち込まれる遠距離攻撃を風魔法で防ぐ役に回ってもらいたかった。
とはいえラムサスの水魔法は決め手にならないだけであって、弾幕の構成要素を担うには威力十分だ。
ケイドは、ミスリルクラスほどの実力はないにせよ、元チタンクラスの看板に偽りなしの、実力も経験も豊富な水魔法使いだ。ケイドに対して半端な威力、半端な弾幕密度で魔法を撃っても成果は挙げられない。
やるなら十分な威力、十分な弾幕密度で撃つべし。
水魔法を少々混じた我々の魔法斉射には、さしものケイドも焦りを見せる。ロギシーン最強の水魔法使いが生き残りをかけてガムシャラに魔法を放つ。
我々の魔法斉射を合図にしたかのように、後方と右側方のユニティの部隊がこちらへ接近を開始する。
ここで我々が魔法を分散させても、相手の脚を遅くする程度しかできない。しかも、倒すはずだったケイドに残られてしまうことになる。
これでクローシェがヴェレパスムを使おうと懐から取り出したら、起動妨害だけはしておこうと思っていたが、なぜか奴にその気はないようだ。
つくづくもってユニティの真意は不明だ。それでもケイドはきっちりと倒しておく。
魔法斉射ただの一回でケイドへの攻撃は終わらせず、すぐさま追撃の魔法を放つ。
私がアールとして生きていた頃、ミレイリはグレンとの対戦機会を求めてしばしば学園都市を訪れてきたため、対戦機会が何度もあった。荒れ狂う銀閃にやたらと馴染んでいたため、かなり後になるまで私はミレイリを正部員だと思い込んでいた。
あの同好会は色々な部分が適当すぎて、四年ちかく通っても誰がどういう立場の人物なのか完全には把握できなかったが、ミレイリが完全な部外者であることだけは間違いない。部費だって全く納めていない。大学の部や同好会はどこもそういうものなのだろうか。よく分からない。
一方、ケイドのほうは噂を聞くばかりで実際に会ったことがない。
実物を見た感想として、ケイドの実力はラムサスに勝り、イオスには遠く及ばない。水魔法使いではなく土魔法使いなので比較対象としてはやや不適当ながら、ゴルティア軍のリドレ・ゾアにはかなりちかい。
ケイド単品では『脅威』になりえないが、ユニティと仲良し小好しをやられるとかなり『面倒』にはなる。
ケイドほどの実力者を『面倒』と評価するのは傲慢なものの見方だと我ながら思う。しかし、それが本音だ。連続して実力者たちを見てきたせいで、ケイドの脅威度が相対的に下がっている。
我々にとって『面倒』にすぎないケイドには、突如として分厚くなった魔法弾幕を完全に防ぐ手立てがない。
それでも斉射第一弾をボロボロになって切り抜けると、そのまま追撃も乗り切らんとして足掻く。諦めの悪さはいかにもハンターらしい。
まさか追撃分まで凌ぐことはないと思うが、万が一がある。
追々撃を構築して、それが手足から離れた瞬間、ケイドがクローシェの隊に向かって二言三言、何事かを叫ぶ。遺言を託した後は声を発するも魔法を撃つもなく、ケイドは弾雨に沈んでいった。
結果的に追々撃は無駄になった。もしケイドがさっさと諦めて我々の魔法を身に受けていれば、逆に生き永らえることができただろうに……。
いずれにしろ、ユニティの手勢中、最も強力な遠距離攻撃要員は排除した。
その代償として、魔法を使わせるつもりのなかったウリトラスに魔法を使わせ、枯渇させてしまったが、かといって魔力欠乏に陥るほどではない。ウリトラスの体調を思えば、それでももちろん好ましくはないのだが、直ちに命に関わることはあるまい。
次の問題はクローシェとミレイリだ。ケイドの部隊にかまけている間に後方と右側方の二部隊が手の届く所まで迫っている。
クローシェが馬上で吠える。
「ワイルドハント! 今度こそ逃がさん!!」
王族の呪いに操られた者たちとはまた別の狂気に染まった目でクローシェがこちらを見据える。目が据わる、という状態をよく体現している。
クローシェがとんでもなく歪んだ正義を信条としているにせよ、エヴァほど技が練られていないにせよ、容易ならざる相手であることに変わりはない。ただ、それはクローシェ本人の話だ。脚のほうは強くない。
クローシェが駆る馬に向かってドミネートを放つ。
軍馬に準ずる馬とはいえ所詮は馬だ。ドミネートに抗うほどの魔力抵抗はない。
だが、思惑は外れ、私のドミネートはただの馬に抵抗されてしまう。
なぜだ、なぜ抵抗される!?
……まさか、魔力抵抗上昇の魔道具か。
ヴェレパスムといい、反則じみた火魔法耐性といい、ゴルティアの装備と魔道具の大盤振る舞いはつくづく忌々しい。
馬の脚で急速かつ十分に距離を詰めたクローシェが馬を捨ててこちらに飛びかかる。
クローシェにひと呼吸遅れて従者たちが後ろから、また数呼吸遅れて右からミレイリが戦闘に加わる。
私が気に留めるはユニティだけではない。西から後詰めが来ないか、東から鎮圧部隊が来ないか、はては雲の隙間からあの天体が顔を覗かせないか、様々なことに注意を払っている。
クローシェがいつヴェレパスムを起動させようとするか、その動きにも細心の注意を払わなければならない。
しかし、多数抱える問題に少しずつ分散した集中力を、クローシェの猛烈な剣の嵐が根こそぎ持っていこうとする。
片手持ちした刺突剣から放たれる連撃はミスリルクラス相当として文句のつけようがないほど強く美しく印象的だ。
街中で交えた一戦と比べると、型としては同じでも、鋭さはまるで別人だ。
劇的変化を遂げたクローシェを見てラムサスが警告を発する。
「この人たちは全員、囮!」
包囲がなんらかの囮であることはとうに分かっている。小妖精に突き止めてほしいのは、囮の影に隠された企みだ。
できれば戦う中で不審な点を見つけ出し、企みがなんなのか自分で突き止めたいところだが、いきなり強くなったクローシェの相手をしていては複雑なことを考える余裕が全くない。
それでもどうにか傀儡の目を動かして遠くから迫る脅威がないか探す。
いつぞや私がやった意趣返しとしてドラゴンが飛来しているかもしれない。
だが、ざっと見回したかぎりでは、別働隊もユニティに利用されている魔物も見当たらない。東の林の中まではじっくりと観察できていないが、どれだけ時間をかけたところで異常発見の要となる集中力のほうに余裕がないから細かな異変を見つけようがない。
ああ、囮がどうたらはこの際どうでもいい。
どうしてクローシェの戦闘力はこの短時間にここまで変化した。
見たところ、クローシェの装備に変わった点はない。魔力が急激に増加した様子でもない。
魔法や魔道具、はたまた薬による能力強化か。
いや、違うな……。
『強くなった』というよりも、『戒めが解けて実力が発揮できるようになった』という印象を受ける。
明確な違いを挙げるとすれば、刺突剣を持たぬほうの手が全身のバランスを取るために忙しなく動いていることくらいしか……。
まさか、非利き手にヴェレパスムを大事に持ち抱えていないだけで、これだけ動きが変わるのか。
フルルに持たせている魔剣クシャヴィトロと違って、ヴェレパスムがクローシェの魔力を吸っていたわけでもなかろうに、クローシェはどうやらよほどあの魔道具に思い入れがあるようだ。
刺突剣が本来、片手で扱うものであるとしても、逆の手が塞がってしまうと動きは鈍る。しかし、クローシェは我々の理解以上に魔道具の守りへ意識を傾けていた。そして、大事な大事な魔道具を守る必要が無くなったことで思い切りのよい本来の動きができるようになった。
言ってしまえば簡単な理屈だ。しかしながら、前もって見通すのは極めて難しい。
クローシェは魔道具頼みの作戦を放棄し、自分の力で我々と戦う道を選んだ。地力によほどの自信がなければできない選択だ。
しかも、それが自信過剰とは一概に言えない。それだけの確固たる実力がクローシェにはある。
躍動するクローシェの連撃に、たまらずシーワに瘴気を展開させる。
クローシェは瘴気を見ても慌てることなく闘衣を展開し、同じく瘴気の展開範囲にいたミレイリもまるで動じず滑らかに“絶空”を使いこなす。
若いクローシェのほうは“絶空”の影響でほんの少しだけ剣の精度が落ちた。しかし、リディアを思えばまだ冴えを維持しているほうだ。
ミレイリのほうは“絶空”を使っても剣の巧緻性が全く変わらない。闘衣の技量は純粋な剣術以上に修業へ費やした時間に依存するものらしい。
ミレイリは、己の剣術とはやや相性の悪い、借り物と思しき中重量の剣を操って執拗にクルーヴァを攻め立てる。
借り物の剣で戦うミレイリが対応容易かというと、そんなことは全くない。
妙な拘りがあろうと、賭け事好きで万年散財していて、私にもカードでボロボロに負かされて未返済の借金があろうと、それでもミレイリが剣の達人のひとりであることに変わりはない。
真の達人は武器を選ばない。
剣術のほうを武器に合わせている。
初見殺しに特化した、逆に知ってさえいれば対応しやすい剣ではなく、私のあまり見たことがない正道の剣を撃ってくる。
対応難度という点では、ミレイリに正道の剣を撃たれるほうが難しくなる。
借り物の剣で見慣れぬ正道の剣を撃つミレイリと“王成り”したブルーゴブリンのクルーヴァとの戦いは完全に五分となっている。
女従者のほうは“絶空”に自信がないのか、剣を撃つ積極性がかなり低い。
こちらの周囲をウロチョロとして、こちらに隙を見つけてはおっかなびっくり冴えない剣を撃つ程度で、逆にこちらから撃ち返されるとすぐに一歩下がる。
男従者のほうは女従者より更に積極性が低くなっている。こいつは“絶空”をほぼ使えない。私の手足の真ん前に立っているくせをしておきながら、自分からは一切手を出してこない。
瘴気が功を奏し、女従者も男従者も恐るるに足らない相手になっている。我々と十分に斬り結べているのは事実上、クローシェとミレイリの二人だけだ。
ケイドを真っ先に倒しておいたのは大正解だ。おかげでクローシェとミレイリ以外にはほとんど集中力を割かずに済んでいる。
ミレイリに正道の剣を撃たれようとも、クローシェに想定を上回る実力を発揮されようとも、これなら問題なく押し切れる。死者も最小で済ませられる。
クローシェが劣勢に気付いてヴェレパスムを使おうとしたとしても、あの魔道具は起動に少しだけ時間がかかる。
そんな暇など私は決して与えない。
クローシェが間合いを取るべく一歩でも下がろうとしたら、私は一歩半前に出る。
私の前進を防ぐために配置されている従者二人はこの有様だ。どうとでもできる。
対鎮圧部隊戦の再現だ。雑魚と化した戦闘員たちをフルードやリジッド、そしてヴィゾークたちの魔法によって一人ひとり順番に倒せばいい。
倒せば倒しただけ私には余裕が生まれる。十分に余裕ができれば、クローシェがどれだけ強くとも、致命傷を与えずに制圧できる。
最初からヴェレパスムを使わなかったのが敗着だな、クローシェ・フランシス!
完全制圧に目処がつき、思考に余裕が生まれた途端、今まで目につかなかった矛盾点が処理を待つ思考列の中に割り込む。
クローシェはヴェレパスムを使う戦い方を放棄した。では、なぜ我々を包囲した。
囮とはなんだ。
こいつらが囮なのであれば、どこかに本命がいて、なんらかの動きを見せなければおかしいではないか。
もう何度目となるか分からない戦場俯瞰を再度行う。けれども、どこにも増援部隊は見当たらない。
東の林には少し動きが見られるが、あれは鎮圧部隊やユニティの別働隊ではなく魔物……おそらくゴブリンだ。数が明らかに多い。鎮圧部隊が私の与えた金の言葉に耳を傾けた証拠であり、むしろ安心材料だ。
他に挙げるとすれば、なにをするでもなく、我々の前方に突っ立ったままの部隊だが……。
そういえば、こいつらはどうして我々に攻撃してこない。
我々がケイドに狙いを定めた直後、後方と右側方の部隊は行動を開始したのに、前の騎馬部隊だけはなにも行動せず今に至っている。
せっかく貴重な馬に騎乗しておきながら、土壇場になって指揮官が臆病風に吹かれたのだろうか。
私が疑問を覚えた瞬間、小さな動きが生じる。
騎手のひとりが鎧の下に腕を入れ、懐をまさぐり始めた。その姿には強烈な既視感がある。
不思議なのは騎手の動作だけではない。魔力にもどこか見覚えがある。はて……?
まさかの思いで、我々の真ん前で見と守りに徹する弱気な男従者の姿を改めて観察する。
装備は街の中で斬り結んだ時と同一ながら、魔力の質も魔力の量も前回と全く違う。
どうして……どうして今まで気付かなかった。
こんな古典的手口に引っかかるとは……。
この男従者は、さっきの奴とは別人だ!
ああ……ああ……よく見れば、女従者のほうもさっきの奴と違うではないか!?
拙い拙い拙い拙い拙い拙い。
間に合え間に合え間に合え。
相手の目論見がなんなのか確信すると同時に恐慌寸前の頭で魔法構築を開始し、完成から即座に本物の従者へ向けて放つ。
当たれ当たれ当たれ当たれ。
一撃確殺のつもりで私の放った魔法は男従者に命中する直前、周囲の者たちが展開する防御魔法にぶつかる。
土魔法は貫通力に秀でている。小賢しい防御魔法など突き破れ!
クレイスパイクが私の期待に応えて魔法障壁を破る。後はそのまま男従者を打ち砕けば……。
最大の障害を突破して男従者の眼前に達したクレイスパイクが突如として砕け散る。
私の魔法を破壊したのは、女従者が横から撃った剣だった。
女従者が安堵して笑う。
「あー、よかった。防げて……。さてと、二発でも三発でも撃ってきな、ワイルドハント! いくらでも私が防いでやる!!」
「そう自信満々に言われると逆に不安になるのでやめてください、グレータ」
「ビーク……せっかく出した気合をごっそり削ぐことは言わないでくれない? 嫌味を言う余裕があるなら、さっさと使ってくれないかな、アレを」
ビークの名で呼ばれた男従者は、女従者からの苦言を気にする風もなく、落ち着き払って懐から目的の品を取り出す。そして、そのまま悠々と頭上に掲げると、一言一句違わずにクローシェの詠唱を再現する。
「ヴェレパスムよ、邪を打ち滅ぼせ!!」
あと少しで朝日に照らされるはずだった雪原が危険極まりない極大の聖光に染め上げられる。




