第五一話 闇を照らす光
冴え冴えとした銀色の光に照らされ、風に乗って地表を漂う胞子が危険な輝きを放つ。
胞子とは一種の休眠状態のようなものであり、覚醒たる発芽を待って特定の刺激を求めている。
変貌した夜空から降り注ぐ光が胞子の希求する刺激であることはすぐに判明した。
胞子がどれだけ濃密に漂っていても、完全に空が雲に覆われた夜はひとつたりとも発芽しない。
ロギシーンの伝承さえ知ってしまえば、深く考えずとも分かる事実だ。
光によって発芽した胞子はさらにもうひとつの条件が整うことで、シェイプシフターとして人々からよく知られている能力を速やかに発動させる。
敢えて能力を発動させて新しいドメスカの生誕を促しても利得はない。
能力発動条件を満たさぬよう、かといって遅滞にもならぬように意識しながら足早に横を通り過ぎる。
夜の街を行く。
そんなことは治安さえ良ければ、我々ならずとも何でもない行動だった。
平和だったそれまでの世界においては。
それが今やドメスカの復活により、常人にとって想像を絶する危険な行動になっている。
……復活。
その表現は、はたして適当なのだろうか。
水中に生きる魚が卵を産んだ後に命を落とし、時が流れてから卵が孵って水の中を泳ぐ。
それは生命の基本行動である再生産にすぎず、『復活』なる仰々しい言葉を当てはめるのは不適当だろう。
再び世に姿を現したドメスカには、復活とは別の言葉をあてがうべきである。
死んだ者が再び命を得て世界に降臨したならば復活と呼んで差し支えない。
そういう意味においては転生もまた復活という現象のひとつと言ってしまっても……。
「……エル……エル……」
真理を追求する純粋思考を、どこかから聞こえてくる声が妨げる。
生意気盛りな若い男の声だ。
はて、『エル』という名前にはどこか聞き覚えがある。そんな名前のものは存在するのだろうか。
いや、存在しないはずだ。なぜなら、それは便宜上、与えられたものに過ぎないからだ。概念上の存在……数式の中にしか存在できないものにも近い。
「……ノエル……ノエル……」
やや、ノエル?
ノエルとなると話は変わる。
ジバクマという国では女性に付ける名前として用いられ、マディオフという国では男性に付ける名前として用いられる。
しかし、国際的な扱いは全く違う。なぜならば……。
「ノエル、起きて!」
「はひっ!? 寝てません!!」
「それ、寝てた人が言うやつ!」
反射的に放った私の言い訳に、ラムサスは呆れているやら怒っているやら、なんとも評し難い不満げな顔となる。
「どれだけ眠くとも、そろそろまた気合を入れて目をこじ開けるべき。もうじき防衛線が見えてくる」
「あ、ああ……。もうこんな所まで走っていたのですね」
重大な指摘に、内心慌てながら周辺状況を確認する。
防壁の無いロギシーンには街の『外』と『中』に明確な仕切りがない。
それでも無理に中か外かで表現するならば、我々が現在駆けている地点は、『そろそろ外』といったところである。
「走りながら、そんなに深く眠りこけていたの? 私も立ったまま寝たことはあるけれど、走りながらはない。随分と器用な寝方をする」
「……積み重ねの賜物です」
傀儡の複数同時操作する場合、操者は必然的に常時ながら行動を強いられる。慣れてしまえば、寝ながら走るのはそこまで難しくない。
私の手足となっているアンデッドたちはラムサスが思っている以上に賢い。走路や足の踏み位置は傀儡のほうで勝手に考えてくれる。私は伝わってくるイメージに沿って身体を動かすだけでいい。
走りながらの睡眠は、身体のほうこそ休まらないものの、頭のほうはそれなりに休まる。
「そういえば、空の様子はどうなっているでしょう?」
アンデッドたちの目で夜空を見上げると、一緒にラムサスも上方を見やる。
「雲が覆っているのは空の五、六割ぐらいだから、一応晴れの範疇にある」
「八割晴れているか九割曇っているかよりも大事なのが晴れている箇所です。雲脚からいって、あの天体はじきに雲の裏に隠れてしまうでしょう」
「……なら、あの辺りに浮かんでいるのがアレか」
その天体は、今は南天に輝いている。非常識なまでに巨大で明るい。
それほど目立つ天体でありながら、ラムサスの目だと、ようやく見えるかどうかなのだから驚かされる。
「クローシェたちがドメスカロジツェに今なお苦戦していたとしても、足止めはここまでになりそう」
雲の影響を受けるのはドメスカロジツェだけではない。我々が敢えて破壊せずに残してきたドメスカの胞子たちもあの天体から注がれる光無しには発芽しない。
既に発芽を果たしている個体も、発芽からさらに進んで変化し凶暴性を発揮している個体も、いずれも光を失うと一時的に活動を停止する。
ドメスカもドメスカロジツェも、今夜はもはや足止めとしての役目を果たすことはないだろう。
歴史から姿を消したドメスカが再臨した原因は、日が経つにつれて光量と存在感を増す一方のあの天体にある。
いや……『増す一方』というのも正確な表現ではないが、とにかく長い目でみると間違いなくあの天体は明瞭化の一途をたどっている。
ルカやナラツィオの目では見えず、少し前まではラムサスも全く見えていなかった。それが最近では、ラムサスだけは『有るような無いような……』と視認の兆しをみせはじめている。
今、ルカの目で天体が浮かぶ方角を見てもそこはかとない違和を感ずるばかりで、円くて巨大な天体が瞳に映ることはない。
そして、そのわずかな違和感も、操者である私が勝手に錯覚しているだけで、ルカ自身は本当は何も感じていないかもしれない。それくらいわずかなものでしかない。
ヒトの目では全く見えないか、アリやナシや程度にしか認識できないのに、アンデッドの目だと爛々と輝いて見えるのだから甚だ不思議だ。
奇妙なことに、手動弁しかない私の目でも光り輝く何かが空に浮かんでいると分かることから、あの天体の放つ光が一般的な星彩と別種の、何らかの魔力が関連した事象なのは明らかだ。
「ドメスカが戦闘からの離脱に利用できるとは思わなかった。ただ、そのせいで結果的に誤解が深まってしまったように思う……」
発芽完了したドメスカの個体がシェイプシフターとして標的の姿を写し取るのに最も大事なのが視線の有無だ。
だから二人以上で行動していれば襲われにくくなるし、視線が正しい位置に置かれていないとミレイリのようにミレイリの姿を写し取ったドメスカロジツェから襲われることになる。
ミレイリはどうも見えていそうな動きをしていたが、集団から離れ、孤立した場所でクルーヴァと戦い続けたのが仇になった。
半壊した土壁も、治安維持部隊の視線からミレイリを掩蔽する役は十分に果たしてくれた。
「そもそも、誤解とか、そういう次元にはない相手です。さっきのやりとりであなたも分かったでしょう。クローシェ・フランシスは聞く耳というものをまるで持っていません」
「私たちを悪の枢軸と見做している節があったのは同意する。でも、向こうは向こうで私たちから対話を通して何か知りたがっていたようにも思った。部下たちがその場にいる都合上、口にできないことがあったのかもしれない」
クローシェは我々に止めの一撃を見舞おうとする直前、惜しむような感情を面に出した。
我々と和解する未来を模索している風には見えなかった。一体、何を迷っていたのか……。
「その話は後で掘り下げるとして、今は優先度の高いほうを……防衛線の突破方法をあなたはちゃんと考えてある?」
「考えも何も、まっすぐ突っ切るだけです。遠回りするつもりはありませんし、交戦予定もありません」
「それがいい。まさかさっきのヴェレパスムと同等の浄罪魔道具とか大量の修道士が防衛線に配備されているとは考えにくい。防衛線では大きな衝突にならないはず。でも、その先、ゴブリンの波とぶつかった時にどうなるか……。しかも、どういう形で収拾をつけるにせよ時間がかかる。長い時間が……」
ラムサスに指摘され、先の道のりの長さを改めて痛感する。
私の両肩にはもはや乗せる場所が無いほど大量の問題が乗っている。
ずっしりと重くのしかかる問題の代表格が大発生を起こしているゴブリンだ。
ラムサスの言う『長時間』が日の単位どころか、週の単位となったとしてもおかしくない。
生者たるアールの肉体は喉から手が出るほど休息を欲している。
一分でも、一秒でも早く。
少しでも気を抜くと、意思の力では抗いがたい眠りという名の泥沼に引きずり込まれてしまいそうだ。
身体がこれほど休息を求めているというのに、大量のゴブリンどもや、ゴブリン災禍の責任一切が私たちにあると考える馬鹿どもは我々の安息を許さない。
煩わしいゴブリンの波がロギシーンに向かって走ってきている理由はただひとつ。
「クルーヴァに生じた変化は、“王成り”ではなく“発情”だと思ったんですけどね……」
「あと何日それを言い続けるつもり? クルーヴァからそういう欲求が伝わってきているわけではないのでしょう?」
「はい、全く」
事後になって振り返ってみれば、確かにゴブリンの大発生もゴブリンキングの出現も、いずれも予見可能なだけの情報を我々は既に得ていた。
我々はロギシーン入りする前にオレツノ近くを通過した。あの辺りでは、やたらと頻回に、しかもそれなりの量のゴブリンを見かけた。冬のフィールドにしては異様な多さだった。
しかし、あくまでも、『今思えば』の話である。
アーチボルク東の森やダンジョンのポジェムジュグラを基準にして考えた場合、大発生の前兆と断言できるほどの量では断じてなかった。
ゴブリンの密度に対する私の感覚は、一般のハンターと比べてひどく狂っていたのだ。それが故に、オレツノのゴブリン群を見ても何も不審に思わなかった。
言い訳にしても惨めな、滑稽な話だ。
アッシュがストライカーチームを率いてゴブリンキングの討伐に向かった、という情報が流れてきても、『ユニティが我々を誘き出すため、陽動作戦に打って出た』としか思わなかった。
『オレツノ近辺では、ゴブリンの大発生は起こっていない』と誤認していたからこそ、『ゴブリンキングの誕生はありえない』と誤った確信を抱いてしまい、そしてさらに、ユニティのゴブリンキング討伐作戦を、『こちらをはめるための罠だ』と思い込んでしまった。
元凶となった認知の誤りを正してしまえば、ゴブリンの大発生もゴブリンキングの誕生もユニティのゴブリンキング討伐作戦も、そしてクルーヴァの“王成り”も、何もかもを矛盾なく説明できる。
「差し当たりの目標はクルーヴァの“王成り”の解除です。でないと、我々はユニティから延々と付け狙われることになりかねません。下手をすると、ゴブリンの波からも……」
「ミレイリという剣士のクルーヴァに対する執着は凄まじかった。でも、アッシュを欠く今のユニティが打てる手は堅守に限られる。当面フィールドまでは追いかけてこない」
並々ならぬ執着をみせていたのはミレイリだけではない。
クローシェの方も、表向きの敵意以外にも、我々に対する隠し持った殲滅動機がある。そして、殲滅を迷う謎の理由も……。
「それは指揮官が賢明だったときの話です。二度の対話を経て思うに、クローシェはあまり賢くありません。立場的にも本人の能力的にもです。不明なクローシェが本部に控える知恵者たちからの指示を仰がずに、現場判断だけで追撃戦を仕掛けてくる可能性は十分です」
「……その予測は否定できない。頭の悪い人物を指揮官に据えるのが害悪だとよく分かる」
「ただ、引き籠もられるのが我々にとって本当に都合がいいかどうか分かりません。街に残っている戦力はユニティの全戦力の半分以下です。街の外まで追ってくるならば、そこからまた更に戦力が減ります。迎え撃つ立場の我々からしてみれば、これは歓迎すべき話です」
「どれだけ戦力が減っていたとしても、ヴェレパスムは絶対に付いてくる。そして、私たちを確実に捕捉する」
ラムサスは渋い顔をして押し黙ると、斜め後方を走るクルーヴァの顔に目をやる。
まじまじと見たところでラムサスの目に映るのは私がかけた変装魔法の顔だけだ。
睡眠不足の状態でも魔法更新は半自動的に行われる。変装魔法を途切れさせる愚は犯さない。
ユニティとの交戦時も、そして今も、幻惑魔法はしっかりとかかり、きっちりと機能している。
それでもミレイリはクルーヴァをゴブリンと見抜き、徹底して狙い撃ちしてきた。
おそらく、アッシュが秘蔵する特定の魔物の群れの長を探し当てる魔道具、名前は確か……トロノクトルだったか。ミレイリはそれを持っていたのだろう。
アッシュが余計な物を持っていたせいで、我々は事実上、ユニティからかなり正確に居場所を特定される事態に陥っている。
殺傷力ならいざ知らず、純粋な戦闘力に限っては、我々は往々にして標的よりも劣っている。
戦闘力に劣った状態で我々が目的を達成するには、情報力において標的を上回るのが半ば必須要件となる。ドミネートを駆使して私がコツコツ積み重ねた情報の上をトロノクトル持ちのユニティは易易と越えていく。
情報魔法やそれに類する魔道具は自分で使うと便利だが、敵に使われると厄介この上ない。
「ゴブリンキングとなってしまったクルーヴァは害にしかならない。かわいそうだけれど、時機を見計らって処分したほうがいい」
「それはもちろん考えています。ただし、最終手段にもちかい、打ちたくない手です。機を誤ると全滅一直線にしかなりません」
クローシェの持つ魔道具ヴェレパスムの聖光は我々に甚大な被害をもたらした。それでもなお我々がなんとか切り抜けられたのは、クルーヴァという生者の手足があったからに他ならない。
追跡を振り切りたい一心でクルーヴァを処分してしまうと、戦闘力のある生きた手足はフルードとウリトラスだけになってしまう。
フルードはまだしもウリトラスにこれ以上の無理はさせられない。ほんの少し前まで死の淵に瀕していて、ようやく持ち直したばかりなのだ。
マルティナの力はもう借りられない。少なくとも、当面は。
三度瀕死となった場合、もう助かる術はない。
総魔力量に頼るばかりの半端な技量しかない私の回復魔法ではどうしようもない。できることは全てやっているのだから。
とにかく、生存を最優先にする意味で、ウリトラスに強力な魔法は使わせられない。そうなると、満足に動かせる手足はフルードだけ。これほど動かせる手足が無いと、もう機知もへったくれもない。
トロノクトルによりクルーヴァが我々を苦しめる存在と化している一方で、クルーヴァは我々の重要戦力ともなっている。
「生者であるクルーヴァはヴェレパスム下における戦闘での要です。それを街から出てすぐに殺処分しては安易でしょう」
「それなら、どんな手を最初に打とうとしている」
「まずは一帯のゴブリン個体数を減らします。総個体数の減少によって“王成り”が解除されないか試してみるつもりです」
「それはもうハンター先発隊やストライカーチーム、防衛線の守勢がやってくれている。それでもさらに数を減らそうと思ったとき、どれだけの時間がかかる。百や二百倒した程度では大勢に影響が出るとは思えない。それに、そもそも一旦“王成り”を果たしたゴブリンキングが元のブルーゴブリンに戻るという保証はない」
「“王位継承”が起こったくらいです。“退位”とか“王位消滅”があってもおかしくないではありませんか」
クルーヴァはある日、突然に変化をきたした。その時は『突然』だと感じたが、これも今思えばアッシュが一体目のゴブリンキングを倒した日時を反映しているのだろう。
まさかゴブリンキング化していると思わなかった私は、『やった! 原因は分からないがクルーヴァが発情期に入ったぞ! 世界の生物研究者が誰も為し得なかったゴブリンの人工繁殖に私が一番乗りだ。いやっほー!』と喜び、休息すら忘れて見当違いな実験に没頭してしまった。
研究材料の限られた街中で可能な限りの試行をしつつ、マルティナ越しにウラスで傷病者の治療はしないといけない。
持ち直したとはいえ、ウリトラスはまだまだ具合が悪い。
ナラツィオ越しにチマチマと情報を集めないといけない。
退屈を持て余すラムサスの相手はしないといけない。
ドメスカの生態解明や討伐方法の確立も大切だ。
どれだけ食べさせてもフルードはいつも空腹だから最初の頃は食糧の安定供給に苦労して、意味もなく地下居住空間を広げすぎて残土処理に苦しんで……。
一部自業自得なところがあるものの、地下生活は概ね死ぬほど忙しかった。
それでもラムサスの忠告どおり、私は少しずつでももっと休むべきだった。のめり込むと私は周りが見えなくなってしまう。
「“王位継承”も“王位消滅”も言葉遊びの域を出ない。間引きを試す価値の全ては否定しないけれども、そういった試行に時間がかかればかかるほど追い込まれていくことは忠告しておく」
「……よく覚えておきます」
この先は全ての選択に慎重さが求められる。
正しい手を選ぶには正しい理解が必要だ。
物事の理解の妨げとなっていた先入観を改めて入念に打ち払い、ここ最近の出来事を時系列に沿って頭の中で振り返る。
裏事情についてはこの際、深読みしない。裏側を暴こうとするのは真実に近づこうとする努力であり、先入観を作る原因ともなりうる。
まず、ロギシーンに近いフィールドにおいてゴブリンの大発生が起こった。大発生の原因については考えない。自然現象で十分に説明が可能だ。
その後、大発生に伴いオレツノ近郊で一体目のゴブリンキングが出現した。
アッシュはユニティの戦闘部隊から人員を精選し、ストライカーチームを率いてオレツノに向かった。
ストライカーチームはユニティが前もって派遣していたロギシーンのハンター勢と合流し、見事ゴブリンキング討伐を成し遂げた。
現在進行形の問題がここからで、ミレイリの言い分からするに、ゴブリンキング討伐による戦闘の余波で何らかの事故が起こり、グイツァの封印が破綻してしまった。
アッシュはゴブリンキング亡き後の残存ゴブリンの動きや魔道具トロノクトルの反応から、二体目のゴブリンキングがロギシーンに出現したことを確信した。
風魔法使いで足の早いミレイリにトロノクトルを渡してゴブリンキング討伐を託す一方、己はグイツァを追った。
手持ちの情報を捻らずに考えると、このような流れなのだろう。
「ロギシーンにはドメスカとドメスカロジツェがいて、フィールドに出ればゴブリンが大量にいて、ユニティが後ろから追いかけてくるかもしれなくて、更に進むとアッシュやドラゴンまでいる。右も左も難題ばかり」
「しかも、ゴルティアは我々がそれら諸問題の原因であるという讒説を流布しています」
「意図してロギシーンの住人を騙しているのではなく、誤解や謬見が積み重なっているのだと私は思う。あと、私はグイツァというドラゴンを聞いたことがない。あなたが知っていることを教えてほしい」
「名前やおおまかな封印場所以外の情報を入手したのは私もつい最近です。しかも、求めて得たものではなく、完全なる副産物です」
グイツァの情報はナラツィオを操り偶然入手していた。まさか活用の機会があるとは思っていなかったため、まだラムサスには説明していなかった。
私が知った全てをラムサスに伝達する。
その昔、ロギシーンは古い時代から生き残ったドラゴンが多数住み着く、ヒトにとっては暮らしにくい土地だった。
この土地のドラゴンは少々特殊で、ドラゴンという言葉から一般に人々が想起する外観とはかなり異なった見た目をしていた。
例えて言うならば、吸血ヒルの白変種が巨大化し、四つの肢とついでに翼まで生えてドラゴン化を遂げたもの。
見た目だけでも十分なほどに気色が悪いというのに、食性までもヒルに似ていた。
ロギシーンのドラゴンは吸血する。
それが故にピヤヴカスモクという名が与えられ、他の土地のドラゴンとは少々違った忌み嫌われ方をしていた。
そんなピヤヴカスモクがのさばるロギシーンには、他に強力な魔物があまりおらず巨大な平野が広がっていて、しかも海に面している。
ドラゴンさえいなければ住み良い土地だ。
凶悪なドラゴンの駆逐は古のロギシーンにおける全ての民の悲願であった。
脆弱なヒトのハンターたちは幾度となくドラゴンに挑み、多大な犠牲を払いながらも長い年月をかけてドラゴンを一柱、また一柱と討伐していった。
最後に残ったピヤヴカスモクの一柱、グイツァという固有名で呼ばれる個体だけはどうしても倒しきれず、当時随一の封印術の達人から力を借りてどうにかこうにか封印した。
封印は万全ではあったが完全ではない。いずれグイツァは再び這い出してロギシーンを恐怖に陥れるだろう。
ドラゴンの居ない平和な時代が束の間であると忘れることなく、封印が少しでも長続きするようイウォナの祠を崇め、厳重に守るべし。
これらはいずれもハウピーツーの社史に記されていたロギシーン史のほんの一部だ。
比較的信頼のおける近代史に入る前の導入部分、言うなれば威厳付けを目的とした伝説的逸話であって、ハント録でも何でもないため、正確性の程は不明である。
情報を手に入れた情報魔法使いが私見を述べる。
「古代の人間は、現代人よりも強かったというのが通説になっている。そんな古代人でも倒せなかったのだから、アッシュもそうだし、生まれて間もないフチヴィラスに苦戦したノエルたちも、きっとグイツァは倒せない」
ロギシーンの治安維持部隊連中は大森林の若ドラゴンを指して『フチヴィラス』と呼んでいた。満年齢にして一歳にもならない若輩魔物風情が固有名を貰うとは出世したものだ。
「長年の封印によって弱っていることを祈るばかりです。それならばストライカーチームでも倒せるはずです。いっそのこと、我々が合流して――」
「それは勧められない。まずはロギシーンから安全に離脱して、大発生とクルーヴァをなんとかする。それではじめてまとまった休息が取れるのだから、他の一切はそれができてから考えるべき」
心身が万全ならばいざしらず、私の頭に冴えはない。それでなくとも大局観が無いのだから、素直にラムサスの意見に従うべきだろう。
クルーヴァを含めたゴブリンの対処、それが最優先事項だ。
クルーヴァの処分は様々な手を試みてもどうにもならなかった場合の最終手段だ。
なにせ、クルーヴァが本当に“王成り”したのであればゴブリンの波を操れるかもしれないのだ。
もしも指揮が可能であれば、ラムサスの言う『誤解』のひとつが真実になってしまう代わりに、対グイツァ戦、対ユニティ戦を有利に進められるだろう。
ゴブリンの大発生がヒト社会にもたらす悪影響を最小限に抑えることもできる
転じて、下手に処分した場合、再度の“王位継承”が起こってどこの野良ゴブリンがゴブリンキングに“王成り”するか分かったものではない。
「クルーヴァが“王位継承”によって“王成り”したのであれば、いたずらに処分するのは危険です。次の“王位継承”を起こさずに王位を消滅させるための方法を考えなければなりません」
「不安なのは二度目の“王位継承”ばかりではない。私は、土壇場であなたがクルーヴァの命を惜しみそうな気がしてならない」
「そんな慈愛の心は持ち合わせていませんよ」
ラムサスは一層の渋面を作って返事に代える。私を信用していないという明確な意思表示だ。
「さて、議論はここまでです。防衛線が見えてきました。続きはこれを突破してからにしましょう」
こちらを観察する視線の有無を何度も確認し、新しい変装魔法をパーティー全員に施していく。
◇◇
「……エル……エル……」
また、どこからか声が聞こえる。
横から聞こえていているような、後ろから聞こえているような、不思議な聞こえ方だ。
ひょっとすると、未来の声を先取りして聞いているかもしれない。
いずれにしても安息を妨げる、鬱陶しい声だ。
しかし、無視は禁物である。
なぜ禁物か。
それは私がこの声に耳を傾けなかったがために、何度となく失敗を……。
「ノエル、また寝てる!」
「はひ!? もう交代ですか?」
「寝ぼけないで」
私を責める声の主を見る。
日光加齢こそ進んでいるものの傷痕は無く、ハンターらしからぬきれいな顔をした壮年の男だ。
「はて……なぜここにミレイリが? 私は……気づかぬうちに部室で転寝してしまったか」
寝ていたせいか、自分の声が妙に高い。まるで女の声だ。そもそも、これは私の喉なのだろうか。
「早めに声を掛けて正解だった。いい加減に目を覚まさないと、そろそろフィールドに入る」
ミレイリの言葉の意味がよく理解できず、仕方なしに周囲を見回す。
私はなぜか雪原の真ん中にいた。きれいな雪原ではなく、数え切れないほど無数の足跡がついた汚れた雪原だ。辺りは仄暗い。
周りの者たちはミレイリ以外皆、揃いの外套を羽織り、その下に組織に所属する武人特有の気取った鎧を着込んでいる。よくよく見れば、私の装備も彼らとお揃いだ。
全員が一方向へ走っている。向かうは雪原の終わりに広がる雪化粧した林の奥らしい。
周辺情報を得ていくうちに、段々と現状を思い出す。
そうだ。
我々は変装魔法を利用してユニティの防衛線を悠々突破し、休憩場所を探して……ではなく、ゴブリンその他をなんとかするためにオレツノを目指して走っているのだった。
走っている間に、またうつらうつらとしてしまった。
目をひとこすりしたい衝動にかられるものの、不器用なアンデッドの手にはグローブがはまり、顔は死面に覆われている。一旦、立ち止まってルカの手を借りないことには、どうやっても目をこすれない。
「私がぼんやりしていた間、変わりはありましたか?」
パッとしない空を眺めながら、急を要する出来事の有無をミレイリになりすましたラムサスに問う。
なにかあればアンデッドの手足に必ず反応がある。ウトウトとしていたとはいえ、危険信号には必ず気が付く。だから、なにもなかったはずだ。
「特になにも起こっていない。ただ、空がかなり曇ってきたことは教えておく」
「聞くところによると、これくらい曇っているのがいつものロギシーンらしいですよ。今までがむしろ晴れすぎていたのです」
ドメスカは発芽にも活動継続にもあの天体から注がれる光が必要で、天体が雲に覆われてしまうと姿を消す。それは強個体であるドメスカロジツェであっても例外ではない。
ドメスカの生態や討伐方法をかなり理解しつつある私ですら倒し損じたドメスカロジツェをクローシェやミレイリが即興で倒せたとは思えないが、あれを討伐できなかったとしてもドメスカによる足止めは、私が目を覚ますよりもかなり前に無くなっていたと考えたほうがよさそうだ。
考え事をしながら走っているうちに雪原を抜け、林に突入する。
雪原と同様、林の中にも無数の足跡がある。足跡はヒトの成人よりも小さい。ゴブリンたちが残した跡だろう。
「フィールドまで来てもゴブリンに全く遭遇しない。防衛線の前方に積み重なっていた夥しい数の死体が大発生の全てだったんじゃ……。あ、そうだ。クルーヴァが元に戻っていないか確かめてみて」
「戻ってはいないと思います。しかし、念の為に見ておきましょう」
駆ける足は止めずにルカを操ってクルーヴァの被る死面を外し、その下にあるゴブリンの顔を眺める。
幻惑破りの手立て無しにクルーヴァの顔を見ても見えるのは変装魔法の顔だけだが、その幻惑破りの手立てを自作の魔道具で備えてある。
火魔法で小さな明かりを灯してやれば、ルカの目で問題なくクルーヴァの本当の姿を確認できる。
魔道具の有効と無効を切り替えてやればあら不思議、偽りの姿と真の姿が交互にルカの目に映る。
そういえば以前、嘆き悲しむラムサスの偽りの姿と真の姿をルカに交互に見させたら、ルカの身体は発作的な強さの笑いの衝動に襲われた。
あれはいつ、どんな状況だったか……。
前後の状況は思い出せないが、自分までルカにつられて笑ってしまったことは思い出せる。
緘黙を保っていると時折、笑いの閾値が信じがたいほど下がってしまい、普段なら全く面白いと思わないものをとんでもなく愉快に感じてしまうから不思議だ。
「やはりそのままです。“王成り”と思しきクルーヴァの変わり様は維持されています。それと、これは感覚的な話になりますが、クルーヴァは配下となるべきゴブリンたちの存在をそう遠くない場所に感じているようです。つまり、生き残っているゴブリンはまだまだいるはずです」
「その残党たちはどうしてクルーヴァの下に馳せ参じない。……あれ、そういえばゴブリンは夜に長距離移動しないんだっけ?」
「ゴブリンは種や地域によって主たる活動時間が異なります。私はロギシーンの魔物について詳しくないのでなんとも言えません」
クルーヴァはアーチボルクに近いフィールドで捕獲したブルーゴブリンだ。あの辺りのブルーゴブリンとロギシーン一帯に生息するブルーゴブリンには生物として違う名前が与えられている。
ただし、本当に別種と呼べるほど系統的に離れているかは、ヒトの飼育下で繁殖実験ができないゴブリンでは検証困難だ。
そのあたりの生物的な差異や、種差を越えた“王位継承”の可能性、その他諸々について討議しているうちに、傀儡が前方から何らかの戦闘の気配を察知する。
しかも、起こっているのは一対一の戦いではなく集団戦だ。
はてさて、どういった集団が何を相手取って戦っているのやら。
グイツァ討伐を果たして帰参する途中のストライカーチームがゴブリン相手に戦っているのであれば、我々も参戦すべきかもしれない。ただ、クルーヴァを介してゴブリンを自在に操れなかった場合、話はかなり複雑になる。
アッシュとはできる限り落ち着いて話をしたい。アッシュはクローシェよりも話が通じる相手だ。“真実”の核を掴むには、アッシュとの対話が不可欠だ。
対話の道筋が伸びているとすれば、アッシュ不在のクローシェの前ではなく、クローシェ不在のアッシュの前であろう。クローシェが横にいては、アッシュはおそらく“真実”を語らない。
朧ながら入手した情報をいつものようにラムサスに伝える。
「集団の片方がゴブリンなのは確実?」
「まだ遠くて姿は視認できていませんが、特徴のある声だけは聞こえてきています。薄っすらと光も見えるので、戦闘の場にゴブリンがいるのは間違いないと思います」
「ストライカーチームが向かったオレツノはロギシーンからそれなりに離れているんだよね。グイツァがロギシーンとは逆方向に逃げたとして、それを追ったストライカーチームが討伐を終えて、この辺りまで帰り着いていてもおかしくはない?」
ラムサスに尋ねられるまでもなく自分で考えていた説ではあるが、それが現実的かどうか頭の中で改めて移動所要時間やら到達地点やらを試算してみる。
「それはなさそうです。ミレイリがひとり単独でロギシーンに戻ってきたのは、彼が風魔法使いで我々以上に足が速いからです。アッシュたち追跡組が封印されていたドラゴンを極めて迅速に倒せたとしても、まさか一、二時間で討伐できた、ということはないでしょう。それに、討伐そのものがどれだけ早く終わろうとも、移動の足は速くなりません。追跡組の全員がミレイリに負けず劣らずの速度で移動するのは不可能です」
「ストライカーチームがここまで帰り着いている可能性は低い、ということか。でも、それなら一体誰が……。あ、もしかして……」
可能性は低い。しかし、アッシュであってほしい。
そんな願望が私の中にあった。欲があったと言い換えてもいい。
「ノエル。ゴブリンと戦っているのは――」
「みなまで言う必要はありません」
冷たく乾燥した空気によってカラカラに乾いた喉でゴクリと空気を飲み下す。
迂闊な欲は損に直結する。その典型だった。
「あなたの推測どおりですよ。あそこで戦っているのはマディオフ軍の鎮圧部隊です」
ゴブリンを屠る手を止めた軍人が数名、我々を凝視している。
戦闘集団の正体を見極めるべく注意散漫に放った私の視線は、情報入手の代償としてこちらの存在を明確に相手に伝えてしまっていた。




